(71) 帝王の計算

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NO.71 2012.1.21



<帝王の計算>





1952年と54年の録音。
52年はヤクでボロボロだったというから割引して考えるにしても、
立ち直ったとされる54年の演奏を聴く限りマイルス・デイビス、意外と平凡なトランペッターだった。
アルフレッド・ライオンはどこに惚れたか。

「毎年録音する」との口約束を守ったのが本作である。
そんな約束をし、ヤク中に録音の機会を与えるほどにマイルスを気遣っていたライオンであったが、55年にはプレステージに持っていかれ、次はコロンビアであった。
ライオンの心境如何ばかりであったか。

58年になり、キャノンボール名義で本Note NO.2を吹きこんだのみで、
その後ブルーノートとマイルスの縁が切れたのは如何なる理由によるものだったろう。
つまりはマイルスにとってブルーノートは既に過去のものであって、
さほど価値のある存在ではなくなっていたのだ。
ブルーノートとは当時、その程度のレコード会社だった。
売り上げがパッとせず、経営はいつだって苦しかった。
そして最後はライオンも遂に支えきれず、売り飛ばしてしまう。
それを今更、世界最高のジャズレーベルであるかのように持ち上げるのも、実はどうかしているのかもしれない。
その点ではプレステッジもリバーサイドも、何ら変わる所はない。

そしてマイルスという人はしっかり計算の出来るドライな男だったのだろう。
であればこそ「ジャズの帝王」などというものにも成り果せた。
成功するためなら何だって捨てる。
晩年の姿がそういった事の積み重ねの結果であったのは多分間違いないと思う。
だからと言ってマイルスの作品に、何の価値も変化は生じはしない。
音楽は音楽として聴く、それだけの事だ。











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