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(57) ナイト・トレインの旅

ピーターソン
NO.57 2012.1.7



<ナイト・トレインの旅>





JR西日本のトワイライト・エキスプレスに乗った。
発売日の朝、営業前から緑の窓口に並び、スィートルームの寝台券を購入できたのである。
大きな駅を避け、郊外の窓口を選んだのが良かったと思う。
スィートルーム、なかなか買えないそうだ。
運が良かった。

寝台列車の旅は時間がゆっくり流れていく。
ちょっと贅沢で、格別の趣がある。
別料金だが、夕食にはフレンチのコース料理を選択できる。
ワインが数種類用意されている。
国鉄も変わったものだ。

ただ、ここが面白いところだが、食堂車でフランス料理のサービスを受けているお客のほとんどが、どう見ても鉄道ファンだった。
服装を見ればわかる。
ジャケットを着用している客は一人としていない。
ウィンド・ブレーカーを着て線路脇でSLを追うファンが、そのまま乗り込んで来たようだ。
皆、大袈裟なカメラを手に時折車内や車窓のシーンを写し、出された料理を一々撮影する。
せっかくのフランス料理だが、ワインをたのむ客はあまりいない。
きっとこの貴重なひと時、酒に酔ってなどいられないのだろう。

だが、それは私にも少し分かる気がした。
移動が目的なのではない。
今、この場に居合わせる事が重要なのだ。
札幌・大阪間、ほぼ一昼夜をかけての長旅だが、車窓からの風景は目まぐるしく変わり、乗客をひと時も飽きさせない。
特段鉄道好きということでもない私ですら、たくさんの忘れ難い場面に何度も釘付けとなった。
とりわけ特筆すべきポイントが青函トンネルだ。
スィートルームというのは、ある区間車列の最後尾になる。
一面ガラス張りの展望席となり、列車の後ろに流れていく鉄路と風景を独占させてくれる。
どこまでも続く青函トンネルの幻想的なシーンは、特に忘れられない旅の思い出となった。

本作は1962年、バーブレコードの手によりLAで録音された。
ドライブ感のある名演奏が並ぶ好盤だと思う。
オスカー・ピーターソンはまことに偉大なピアニストだった。
その平伏させずにおかない完璧な運指は、数あるジャズピアニストにおいても類を見ないものだ。
しかしながらオスカー・ピーターソン、この日本では技量の割にいまいち評判が低かった。
それは彼のピアノが日本人にとってあまりにドライだからだ。
乾いた辛口、辛気臭さのかけらもない。
日本で受けるには湿気が必要だ。
ビル・エバンスのように。

エバンスにあってピーターソンにないものがあるとすれば、深刻さというか、ひた向きさというか、一途にのめりこみ沈潜していく感じで、それをリリシズムとか言ったりもする。
ピーターソンにはそれがない。
だから時に軽く聞こえる事があるのだが、だからと言ってピーターソンが適当に流している訳ではない。
彼はピアノに関する限り何でも楽々と出来てしまうのだと思う。
上手すぎると言っても良いが、それ故演奏に過剰な余裕を生ぜしめる。
ジャズの場合上手いことがマイナスに作用する時があるという事で、何とも気の毒な話である。紛う方無き達人であったが、それを隠す努力に欠けた。
他の分野、たとえばクラシック音楽や絵画やスポーツの世界で、上手いからと言って軽んじられる事はないだろう。
ジャズは一種風変わりな業界である。

この盤を私は大阪で買った。
再発だが、新品の輸入盤だった。
当時の機材ではやけにノイズが大きく感じられて、少しショックを受けた記憶がある。
しかし今聴くと特に問題はない。
再生装置のグレードが上がると針音などが気にならなくなるもののようだ。
それは良く聞く話だが、理屈はわからない。

私は京都時代を含め、大阪の日本橋などに良く通ったものだった。
大阪という街は色々と怪しい所が多かった。
フジフィルムのカセットテープの偽物を大量に掴まされたりした。
日本橋のオーディオ店の対応もそりゃヒドイものだった。
目当てのアンプを買いに行き、店員の口車に乗せられて違うものを買って帰ったりもした。
それは私が若かったせいもある。
だが、若い頃に刷り込まれた印象というものは、一生残るものだ。
それが悪い印象の場合挽回するのも容易なことではあるまい。

今後改めて訪れるチャンスがあるかどうかわからなかった。
だから大阪についの印象を変更するというのはほぼ不可能だろうと私は思っていた。
それが今回トワイライト・エキスプレスに乗って行った事により、私の中でこの街はずい分名誉回復したと思う。
私の知るかつての大阪は、大きいだけで全く垢抜けない、むしろ不潔な田舎町だった。
どこへ行っても黒い虫が這い回り、道行く男たちはタバコの吸い殻を投げ捨て所構わず唾を吐いた。
路地裏はどこも、じめじめといつも濡れていて、小便の臭いがした。
水の都と言われるその海や河は鉛色に濁り、得体の知れない物が浮いていた。

しかし大阪はいつの間にか綺麗になっていた。
都会的と言っても良いくらいに変貌していた。
人も街も時として変わることがある。
しかしすべての人や街がそうではないし、また変わるとしても良い方向への変化とは限らないのであるが。











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