(41) クレッセントの修業

コルトレーン
NO.41 2011.12.22



<クレッセントの修業>





「至上の愛」の半年前、同一メンバーによる録音である。
マッコイ・タイナーの音楽が、今にも始まりそうな感じがする。
マッコイはコルトレーンから大きな影響を受けた。
同一メンバーで活動する、つまり自分のバンドを持つ、これはコルトレーンがマイルスから学んだ手法である。
特にピアノトリオにおいて、「ビル・チャーラップ・トリオ」とは言うものの、毎回ドラムとベースが異なる、というやり方にはいささか居心地の悪さを感じる。主導権がレコード会社側、あるいは主催者側にあるのが明らかだ。
そのような現場では、看板ピアニストを含めてミュージシャンの側は、用意された企画の中で相手方の意図通りに演奏するスタジオミュージシャンなのである。
グループとしてまとまったピアノ・トリオというものは、ビル・エバンスやオスカーピーターソン、それにキース・ジャレットなどの僅かなケースしかない。

コルトレーンはどうだったか。
演奏能力が高いが故、その場で誰とでも合わす事ができる、従って器用貧乏にもなりがちな多くのジャズメンのやり方を嫌い、自分のグループサウンドを追求した。
求める音楽の方向性が明確にあったからだ。

自らの内面と向きあい、心の声に耳を傾け、そこから湧き出るインパルスを音で表現していった。
それはまさに触れれば切れるほど真剣であり熱い。
だから今それを聴くと、少し鬱陶しくまた暑苦しい。
これは音楽の形をした修行である。
苦悩をわざわざ金で買っているようなものである。

だが音楽には時としてそういった部分がジャズに限らず確かにあるのだ。
ハッピーなら良いと言うつもりはない。
では、何だ。つまり、聴きたいならそれを聴けば良いだけだ。
評論家は仕事としてそれを聴かねばならない。
だが、私は違う。
聴くことに生活はかかっていないのだ。
それなのに何故今これを聴かねばならないのか。
すべてを聴くと自分で決めたからであった。
自分のささやかなライブラリーを聴き通すという試みも、やってみればなかなかにシンドいものではないか。











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