(272) LEDと白熱灯

go 3
No.272 2015.2.28



<LEDと白熱灯>




10年以上前に母親と東京へ行ったことがあった。
その頃母は今よりも健脚でいくらでも歩くことができたから、毎年弟と三人で旅行にでかけていた。
おそらく今でも達者に歩くのだと思う。
しかし我々の旅はいつの頃からだったろう、車で行ける範囲で一泊の温泉旅行に替わっていた。
もしも私が娘だったら(気色わるい仮定ですが)三泊程度の旅行が続いていた可能性があると思う。
やはり息子と娘は違う。
母に娘はおらず、それはそれで仕方のないことだが少し気の毒ではある。
どうも世の息子たちは親孝行が下手だ。

父が生きていた時、家族で旅行に行くことなんてほとんどなかった。
理由はわからない。
しかし父が亡くなり、我々は三人で旅行するようになった。
その一番最初の行き先が東京だった。
私は特に東京へ行きたいと思ったことはない。
別に用もないからだ。
ただどこでもいいから三人で行くことが大事だった。
そういう感じってどうしても連れの者に伝わるのだと思う。
だから母がその旅行を心から楽しめたのか私はちょっと自信がない。

はとバスに乗り車窓からぼんやり外を眺めて気付いたことがあった。
信号機の様子が私の町とどうも違う。
東京の信号機は粗い点描画のようであり、色彩が無機質で素っ気ない印象だった。
それがLEDだと知ったのはそれから何年か経ち、私の町にLEDの信号機がつけられてからだ。
LEDの信号機には思わぬ欠点があった。
エネルギー効率に優れ発熱が少ないせいで、吹雪で吹き付けられた雪が溶けないのであった。
そのため信号機の用をなさなくなり、警官が長い棒の先についたブラシで雪を落とす、そんな報道が流れた。
それからLEDの照明がどんどん増えていき、遂に白熱電球の製造が打ち切られた。
あけらかんとミもフタもないほども明るい照明に照らされて、これから我々は生活していかなければならないらしい。

本作は1959年、ポール・チェンバース(b)のリーダー作としてシカゴのビー・ジェイ・レーベルに残された。
フレディ・ハバード(tp)キャノンボール・アダレィ(as)ウィントン・ケリー(p)フィリー・ジョー・ジョーンズ/ジミー・コブ(ds)という豪華キャストは当時のマイルスバンドのトランペッターをフレディ・ハバードに置き換えたものだ。
ウィントン・ケリーのソロに「ケリー!」と黄色い声援が飛ぶ楽しいライブ録音をご堪能頂ける。
当時のライブレコーディングとしては傑出した高音質である。
私が所有するものは6曲入り1800円の国内盤LPレコードだが、現在16曲二枚組のコンプリートCDとなっているようだ。
残り10曲聴いてみるか思案中。













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