(28) ワルツ フォー デビー 名盤の作り方①

ビル
NO.28 2011.12.10





<ワルツ フォー デビー 名盤の作り方①>






これも大有名盤であるが、私は本作の存在を20年前まで知らなかった。
ジャズ喫茶でバイトしていてそれはないだろう、と言われるが事実だから仕方がない。
興味のあるタイトル、何かの理由で引っ掛かって来たレコードしか聴こうとせず、ジャズ本の類で系統立てて覚えるような事もしなかったからで、かくてはならじとそれ以来名盤紹介本等で研究するようになった。

本作を私に教えてくれたのは、同じテニスサークルに所属していた女性でアチョという名前だった。
もちろんあだ名である。
空手をやっていたとかで、それでアチョなのだが、いくらなんでも安直に過ぎる。
空手の腕前は知らない。多分あのテニスだから知れたものだろう。
取り立てて特別な関係があった訳ではないが、ワルツ・フォー・デビーを聴くたび彼女を思い出す。
その後どうしただろうな。
きっともういいおばちゃんになった事だろう。

そのアチョにこのレコードを聴かせた男が先日結婚した。
やはり同じサークル絡みの関係であり、私をオーディオ地獄に引きずり込んだ人物だ。
それまでの私は、ラジカセよりマシならそれでいいとうそぶいていたものだった。
なのにお節介にもいい音とは何かを、その男は教えてくれた。
だから私も結婚とは何かを、一回り年下の女性を妻としたその男に教えてやりたかった。
人は判断力の低下によって結婚し、忍耐力の不足によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚するのだと。
だが、もう全てが手遅れだった。

レコードというものはそれが商品である限りより多く売ろうと、売れるようにと作られている。
だからプロデューサーがA面一曲目に持って来たがるのはいつも、ドーンとキャッチーな曲である。
昔はレコードが高価だったから、買う前に試聴する客も多く、その場合たいていはA面一曲目を聴くものだからだ。
だが本作はそういったセオリーをまったく無視し、「マイ・フーリッシュ・ハート」を一曲目に持ってきた。
これが本作を他とは違う存在にし、大名盤にした。

ワルツ・フォー・デビーは1961年6月にニューヨークのジャズクラブ「ビレッジ・バンガード」で行われたライブ演奏を音源としており、同一音源からサンディ・アット・ザ・ビレッジバンガードというもう一枚別のレコードが出ている他、その時の全セットを収録したCDのボックス・セットも出ている。
そういった中で、タイトル曲ワルツ・フォー・デビー始め複数回のテイクがある曲が多い中、マイ・フーリッシュ・ハートには別テイクがない。
色々な見方が出来るだろうが、これ一発、完成度抜群なのである。
私はこのトラックが相当好きだ。

マイ・フーリッシュ・ハートで思い出すのが、源孝志監督の映画「大停電の夜に」である。
映画のテーマに使われていたし、豊川悦司がジャズバーのマスターを演じるそのバーが「フーリッシュ・ハート」だった。
まあまあの出来だったが、まあまあだった。
ベース奏者だった豊悦がニューヨークで勝負しようと決意して、恋人に一緒に来てくれないかと半プロポーズ的なお誘いをする。
女は迷ったがとうとう来なかった。
豊悦はその後ひとり日本に戻り、ジャズバー「フーリッシュ・ハート」を始めた。
だが、ご多聞にもれず閉店する事になる。
最後の営業日がクリスマス・イブで、店を閉める前に来てくれないかと嘗ての恋人に告げる。
その恋人というのが原田知世で、なんだか少し違う気がした。
あれは柴崎コウがよかったな。











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