(254) 藍調のピアニスト

LEAPINLOPIN.jpg
No.254 2015.1.8



<藍調のピアニスト>




タイトルからなんとなく、筒子の両面待ちを連想する人がいるかもしれない。
1961年11月に録音された本作、ブルーノート4091番「リーピン&ローピン」がソニー・クラーク最後のリーダー盤となった。
それから約一年後、1963年1月13日にソニー・クラークは亡くなっている。
本作はトミー・タレンタイン(tp)チャーリー・ラウズ(ts)をフロントに据えた二管バップで、A面二曲目のバラード「ディープ・イン・ア・ドリーム」のみアイク・ケベック(ts)のワンホーンとなっており、そこに価値があるという向きもあるが、私にとってそれはどうでもいいことだ。
私にとっての本作は、B面の「ヴードゥー」を聴く盤なのだ。

彼の曲はどれもいい。
そのピアノ同様いつも哀愁を帯びたもので、日本人の琴線に触れるようにできている。
「ブルーノート」というレーベル名は、ソニー・クラークのためにあったと思えるほどだ。
だが、ヤンキーどもが好む「オラオラオラ~!」的な音楽と程遠く、その事と物静かで控えめな性格故にアメリカではまったく売れなかった。
アルフレッド・ライオンは「クール・ストラッティン」の注文が日本からどんどん来ることを訝ったという。
本国では初回プレスの500枚を捌くことすら容易でなかったからだ。
余談になるが当時ブルーノートは他所でのプレスを許しておらず、従って日本盤というものはまだ存在しなかった。
だからと言って本国盤が常に完璧かといえばあの国の工業製品だ、そんな事がある筈がない。
後日、ジャケット写真が手違いで反転した「クール・ストラッティン」がアメリカで再発されている。
ソニー・クラークのアメリカでの扱いはこの程度だった。

彼はアルフレッド・ライオンと日本のジャズファンに愛された。
日本専用のピアニストと言ってもいいくらいだったが、一度も来日する事のないまま他界した。
享年31歳、ヤクのやり過ぎだったと言われている。
実はその三日後にアイク・ケベックも亡くなっている。

アイク・ケベックはテナーマンとしてはどちらかと言えば冷遇された方だ。
確かに本作を聴いてわかる通り、味があるのに派手さはない。
そうした点で両者は似ている。
だが、「ブルーノート」を象徴するピアニストがソニー・クラークであったように、スカウトマンとしてこのマイナーレーベルを支えたのがアイク・ケベックだった。
彼もまた、ブルーノートにとってかけがえのない存在だったのだ。
その二人がほぼ同時に亡くなってしまう。
ブルーノートオーナーの心痛如何ばかりであったか。

おクラになったものを含め、アルフレッド・ライオンは売れないソニー・クラークを録り続け、サイドメンに起用し続けた。
だから今、我々はソニー・クラークを聴くことができる。
私はそのことを彼に感謝したい。

3年後アルフレッド・ライオンは、ブルーノートをリバティレコードに売却している。
武田信玄は末期の床で「我が死を三年秘匿せよ」といい、ステージに立つちあきなおみに黒い縁取りの知らせが届いたのも、止める男を振り切り汽車に飛び乗って三年後だった。
大切な人との別れから三年で、人は再び岐路に立つ。










スポンサーサイト

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
最新コメント
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
"Count" Basie