(242) AIR

air 1
No.242 2014.12.11



<AIR>




シカゴ出身のトリオ「AIR」のレコードを買ったのは、ほんの気まぐれだった。
たまたま暇つぶしに入った中古レコード店で見掛け、安いのでなんとなくレジへ持って行っただけ、というのが真相である。
ただ、少し変わった音楽をやっていそうな予感がした。
ちょっとフリー寄りのジャズと言っていいが、60年代以降にあったような突拍子もないものではない。
かつて寺島メグにおいて繰り広げられた、フリージャズライブの惨劇があった。
あるトランペッターが「演奏」した「水との対話」という「曲」についての逸話である。
その男タライに水を張り、ラッパの先を下向きに浸してブクブクと吹き、床を水浸しにしたという。

AIRは少し前衛的で難解なところもあるが、歴とした音楽である。
事実、本作におけるオープニングナンバーに、ジェリー・ロール・モートンの「シカゴ・ブレイクダウン」が選曲されている。
殆どそのように聴こえない、との意見もあろうかと思うが、最初だけだ。
彼らは元々ニューヨークのハーレムと並ぶブラック・ゲットーであるシカゴのサウス・サイドで活動していたが、当地ブラックミュージックの閉塞性に飽き足らなくなったのか、1975年ニューヨークへ進出している。
その頃ニューヨークではロフト・ジャズムーブメントが起きていて、今後本格的にブレイクする可能性を秘めていた。
ロフト・ジャズを支える聴衆と言うのが、主に白人それもインテリ富裕層であり、この国での商業的成功へ大きな後押しとなり得る勢力であったからだ。

事実AIRは新進気鋭のグループとして注目されるようになり、1982年アメリカデビュー盤となる本作を録音するに至る。
こうしたニューヨークのジャズシーンは、当時日本にも様々な媒体を通じ伝えられていた。
ジャズの新たな時代が始まっている、といった風に。
しかしそれは、シカゴにおけるブラックミュージックが幻影に過ぎなかったのと同様、ニューヨークましてこの日本では一過性の現象に過ぎなかったから、ニューヨークにおいては最早次世代のヤッピーにウケる事もなかったし、無論日本では一顧だにされなかったと言っていい。

インテリ富裕層はいつだって自分勝手で移り気で気取っていて、その上バカだ。
更に白人と来た日には、地球上でこれ以上感じ悪いヤツがいるのか。
結局バカが前衛音楽を聴いたフリしていただけだった。
自分を格好良く演出するアクセサリーとして。
実際は聴いても理解しても愛でても一切いない。
彼らが愛したものはシャンパンとコカインと破倫と、難解なものを好んで聴く良き理解者(と思い込んでいた)、つまり成功者たる自分自身だけだ。
クールだなんだとブームにのって、すっかりAIRを聴いている気分になっていたものの、何のことはない只のKYに過ぎなかったという事だった。

では、AIRの音楽を理解するのは困難か?
そんな事はない。
分かろうとすれば誰にでも分かる。
特に私はインテリでも金持ちでもないので尚の事だ。
それは繰り返し聴く、これに尽きる。
愚直に。
なーに、一日いっぱい聴いていればいいというだけである。
そうすればボンヤリと、少しずつ何かが見えてくるものです。
頭の中で捻じれて絡まった糸を辛抱強く解いていき、ああそうかこうなっていたんだと。
それも音楽を聴く楽しみの一つだろう。
結構癖になる。
おまけにこのジャケット、一風変わっているがなかなかいいでしょう?








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