(203) 人生黒衣にて 

マラソン
No.203 2014.9.30



<人生黒衣にて>




フィリー・ジョー・ジョーンズの話など続けたい。
1955年、彼はデューク・エリントンの誘いを蹴り、マイルス・デイビスのクインテットに雇われる。
直後、マイナーレーベルのプレステッジに見切りを付たマイルスは、コロンビア(現ソニー)への移籍を図る。
その時問題となったのが、プレステッジへの契約履行であった。
契約上レコード4枚分の音源が不足していたのだ。
そこでマイルスはこれを一気に片付けようと、二日間クインテットを缶詰にして4枚分の録音を完了させた。
これが世に名高いマラソンセッションである。

と、このように私も理解していた。
ところがこの「二日間」というのをもう少し調べてみると、第一日目が1956年5月11日であり、二日目は同年10月26日である事が分かる。
てっきり二日続けてやったものだと思えば、なんとその間5ヶ月も空いているのだ。
これには何か合理的な説明が必要だろう。
普通に考えればさっさと済ませて早く自由の身となり、晴れてメジャーレーベルへの移籍を急ぎたくならないか。
空白の5ヶ月の理由を私は知らない。
だが結果的にマイルスは、この間にコロンビア移籍第一弾となる「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を録音していたようだ。
何故そうなったものか、これも理由は分からない。
ジャズメンのやる事は大体いい加減なもので、その点ではマイルスとて例外ではなかった、ということだろうか。

プレステッジはこの「マラソンセッション」を4枚に振り分け、毎年一枚ずつ発売していった。
本作「リラクシン」、No.45で紹介した「クッキン」、そして「ワーキン」、「スティーミン」である。
マイルスバンドの面々はこれらに収録された曲を、殆どワンテイクでクリアーしたという。
残りの面子を一応言えば、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、そしてジョン・コルトレーン(ts)となる。
No.186「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション」のザ・リズムセクションとは他でもない、このクインテットのリズム隊、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、それにフィリー・ジョーであった。

フィリー・ジョーはマイルスバンドに3年間在籍し、マイルスの諸作に貢献した。
そしてそれだけではなく同時に、ブルーノートはじめ多くの名盤に参加している。
「ソニー・クラーク・トリオ」「クール・ストラッティン」「ブルー・トレイン」「ニュークス・タイム」これらでドラムを叩いたのはフィリー・ジョー・ジョーンズなのだ。
これらの作品が今日でもハードバップの名盤として愛聴され続けるのは、彼の参加も大きな理由の一つだとする説、これは十分傾聴に値するものだ。

ただ、これはフィリー・ジョーに限った話ではなく、全てのドラマーに言えることだと思うが、もしかしたら彼らに若干のコンプレックスはなかったろうか。

ソロピアノのアルバムはいくらでもある。
セロニアス・モンクやキース・ジャレットがすぐに思い浮かぶだろう。
ソロギターもそうだ。
パット・メセニー、ジョー・パス等たくさんある。
ではトランペットは?テナーサックスは?
ソロで一枚もたすのはちょっとキツいが、絶対ないって事でもない。
売れないだろうが。
ベースはブライアン・ブロンバーグあたりがそれに近い事をやっている。
これはその楽器で和音(コード)を弾けるかどうかで分かれると思う。
ピアノは左手で伴奏しながら右手でメロディーを弾くことが可能だ。
小さなオーケストラとも称されるギターも事情は似ている。
そこでドラムはどうだ、という話になると(実際はその手の恐ろしいモノが存在するらしいが)これはもう単独では音楽にならない。
私はポリネシアンダンスショーしか思い浮かばない。

主役になれないドラマーなのだ。
レコードやCDの裏を見て欲しい。
ドラマーをリーダーとする場合を除き、クレジットされたメンバーの一番最後が彼らの指定席である。
そんな彼らが目立たないように気をつけながら目立つ時、私はその健気さに打たれる。
目立とうとして目立つのはNG。
いないと困るが目立ち過ぎても困る黒衣のようなドラマー。
人生はそうありたい。











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