(195) ある別の分離独立 ③

great jazz artists3
NO.195 2014.9.21



<ある別の分離独立 ③>




本日は亡き義父納骨の日だった。
クリスチャンである妻の希望を入れ洗礼を受けたが直後突如倒れ、一年後に亡くなった。
結果として彼は、妻が自らも希望するところの、信者だけが埋葬を許される共同墓地に納骨される事となった。
非常に出来た人物であったという。
妻をして葬儀で、私の人生は当たりでした、夫のおかげで幸せでしたと、そのように言わしめた。
娘、すなわち我妻は男のそれが普通の姿であると信じていたといい、不思議な動物でも見るような、あるいはある種の同情を伴った眼差しで時に私を見る。
そんな私にとってほんの少し困った存在でもあった彼に、ベニー・ゴルソンが書き、亡きブラウニーの代わりとして17歳のリー・モーガンに吹かせたあの名曲、「I Remember Clifford」を捧げたい。
もう著作権も切れていることだから、どうか許されたし。


さて、リバーサイド三部作はこのお御足部をもって完成する。
レコード三枚のジャケットを並べると、横臥美人図となる仕掛けである。
だがこれは、日本人にはちょっと難しい手法かもしれない。
それ故、未だCD化が見送られているようにも思う。
一枚目はともかく、二枚目、三枚目は単独で見るとどうなんだ。


昔、と言っても最近だが(どっち?)、澤野商会が看板ピアニストのウラジミール・シャフラノフ作品を時間差で二枚出した。
「Portrait In Music」という同一タイトルだった。
この二枚、ジャケットは全く異なるものの、なんと中身は全く同一だったのだ。
この頃の私は内容を吟味することなく新譜を買っていた。
だから買ってから、それもかなりの期間を経てから、この事実に気付いたのである。
これでは文句を言えた義理では到底あるものでもなかろうに、澤野商会へ電話して社長の澤野由明氏に私は抗議した。
澤野さん、内心困惑されたと思うが、いやそれは申し訳ないことですと丁寧に説明してくれた。
最初に出た方は、ウラジミール・シャフラノフの写真がジャケット意匠に採用されている。
この写真を良く見ると、シャフラノフの右手先が少し切れている(フレーム外、写っていないということ)。
ピアニストの大事な指が、たとえ写真とはいえ切れていていいのか?
これを澤野由明さんは良しとせず、別のバージョンで出し直したのだという事だった。
これが日本人の感覚だ。

本件を一つの基準とすれば、この横臥美人三部作などはあり得ない類の代物ではないだろうか。
だがリバーサイド、オリン・キープニューズは甚くこのアイデアが気に入ったとみえ、「ジョージ・ガーシュイン、ハロルド・アレン、アービング・バーリン」からなる別バージョンも存在する。
このシリーズは全部で6枚あるという事だ。
小樽のあるジャズ喫茶で知り、少し悔しかった。
この店は誇らしげに全てを額装し壁に飾っていた。
だが、偶然手に入る場合を除き、私としてはこれらを探すつもりはもうない。


" 秋風にたなびく雲の絶え間より、もれ出づる月の影のさやけさ "


あろうことか、不覚にも本作のテーマ大作曲家のジェローム・カーンを無視していた。
マイ・フェイバリット・ジェローム・カーンの双璧は「煙が目に染みる」と「Yesterdays」である。
前者、本作ではキャノンボール・アダレィがオーケストラをバックにやっている。
これもけっして嫌いではない。
ではあるが、ビーナスレコードから出ている「エディ・ヒギンズとスコット・ハミルトン」のバージョンが特に好きだ。
あの何とも言えない演歌調が、この季節にぴったり。
50過ぎれば皆演歌。

後者はまず、本作ウェス・モンゴメリーの職人技を堪能して頂きたい。
ウェスが持つジャズの都会的なかっこよさをこのテイクで聴きメロディを覚えたら、合わせて私が聴きたいのはBLUENOTE 1569 「BASS ON TOP」のポール・チェンバースだ。
ベースのアルコ(弓弾き)をやらせたら、チェンバースの右に出る者はいなかった。
ある程度の装置で聴けば、この曲の良さも一層際立つだろう。
横隔膜が震える。

秋の夜長にしみじみ聴きたい。



















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