(175) 気象予報士とハウスドラマー

art taylor
NO.175 2014.8.20



<気象予報士とハウスドラマー>




酷暑の京都から戻ったら、まだ八月中旬というのにこちらはもう秋の気配だ。
たかだか数日居ただけで相当消耗し、あちこち身体にダメージが残っている私なのに、朝晩の涼しさが何とも寂しい。
じゃあどっちがいいの、という話だ。
ちょっと考えさせて頂く。

昼休みに、あるテレビ局の帯番組を見ている。
下らない事件や時事問題と同じくらいの比重を占めているのが天気の話題だ。
気象予報士の方が色々と解説などされる。
これもなかなか大変なご商売のようで、専門知識具備は当然の事として、テレビカメラの前でタレント並みに話さなければならない。
それもにこやかに面白可笑しく。
言うまでもなく、私などにはとても務まるものではない。
某ローカル局に、いっとき知人の予報士が出ていた。
癒しキャラなどと言われてもいたが、いつの間にか姿を消した。
昼の帯番組には主に二人の気象予報士が出ていた。
両方Mさんとおっしゃる。
最初に出ていたMさんの方はこれもいつの間にか出なくなり、今はもう一人のMさんに変わった。
このMさんが今年は秋が早いと言われていたが、どうやらその通りになりそうだ。

この気象予報士という微妙な立ち位置に近いのが、本作のドラマー、アート・テイラーである。
数々の名盤にサイドメンとして参加し、就中このブルー・ノートにあってはハウス・ドラマーといっていいポジションにあった。
ジャズという音楽、特にハードバップにドラムは不可欠の楽器である。
インテリ面した弁護士やら評論家なんかどうでもいいが、気象予報士Mの不在は番組的にマズいのと同じだ。
これも余人をもって代え難し、というやつだろう。

まあ、それはどうでも良い。
ドラムだ、ドラム。
中にはドラムレスの名盤もあり、それはそれで成立しているが、あくまでも寄席のモノマネ同様色物扱い、「たまにはいいか」なのであって、ドラムレスでメインの落語や漫才にはなりようがない。

無論例外もある。
小さなライブハウスなんかだと、無闇に音のデカいドラムはかえって邪魔ということもある。
頼む、ブラシでお願い、と言いたくなる。
しかしながら、ハコが大きければ大きいほど益々ドラムレスでは辛い。
そんな重要アイテムのドラムでありながら、一方でけして主役にはならない、というかなって欲しくないのも事実である。
たたき過ぎは禁物なのだ。
特に言いたいのがドラムソロだ。
やるなとは言わない。
だが、ドラムソロを延々やられるほどかなわないモノもそうはない。

そんな訳だから、ハウス・ドラマーになるには一定の資質を必要とする。
先ずは何を求められているかわきまえている事だ。
アート・ブレーキーなんかを見ればわかるように、どけどけ、オレがオレが的なドラマーは次第にサイドメンとしては声がかからなくなる。

次に大事なのは人柄だろう。
皆に好かれ、誰とでも仲良くやれなくてはとても続かない。
繰り返しになるが、ドラマーというのは普通主役ではないからだ。
主役ではない以上、そうそうワガママは通じない。
リンゴ・スターの例が分かり易いと思う。
ピート・ベストに代わったリンゴが解散までビートルズのメンバーだったのは、ドラムの腕前や特異なキャラクターも理由の一つだろうが、最も大きな要因は円満なその人柄だった。
アート・テイラーにそれを感じるのは、本作の収録曲からだ。
全て初演というわけではないが、全曲がジャズメン・オリジナルなのだ。
参加していないケニー・ドーハムが二曲も提供している。

冒頭の「シダーズ・ソング・フルート(コルトレーン作)」は余程気に入ったとみえ、前年の「ジャイアント・ステップス」への収録に続く再演となった。
また、デイブ・バーンズという有名とは言えないトランペターの起用にも、アート・テイラーの人付き合いの広さを感じさせる。
コンガのパタート・バルデスもそうだ。

このコンガであるが、かつて我が国の頭の固いジャズファンの間では「チャカ・ポカ」などと言われ、軽んじられる傾向があった。
私は以前からコンガの音色が好きで、コンガ入り盤を愛聴して来たが、先日横浜「ちぐさ」にて目前で聴くチャンスに恵まれ、改めてこの楽器のポテンシャルに驚かされた。
ミュージシャンは井谷享志氏であった。
彼が叩き出す音色、特に信じ難い低音の充実したサウンドにすっかり魅せられた。
しかし残念ながらその時聴いたような音は、どうやら録音が難しいのではないかと思う。
レコードからもCDからも、そんな音は一度も聴いたことがなかったからだ。
目前2mの至近距離でコンガを聴くチャンスがそうあるものでもないと思うが、もしも機会があればじっくり耳を傾けて頂きたい。
誰しもきっと驚かれるに違いない。
音楽好きなら、これを知らずに人生を終える手はない。

実際のところ、目の前で聴く音とレコードで聴く音にはかなりの隔たりがある場合が多いが、間違いなく損得の格差が楽器間にあり、前者代表がコンガで後者がサックスという事になろう。
本作のパタート・バルデスもその時現場で聴けばどんなだったろうと思うが、無論叶う筈もない。

ファースト・コール・ドラマーの位置にあったアート・テイラーが、ブルー・ノートに残したリーダー・アルバムは実はこれきりだ。
同じような存在のビリー・ヒギンズは気の毒にもゼロであるから、少しだけマシだったと思うしかない。
ドラマーの不遇と言ってしまえばそれまでの事なのだが、彼らには彼らなりの矜持が当然あった筈だ。
数々の名演を強力にドライブしたのは、間違いなく彼らであったのだから。
もしもその存在なくば、あの名盤もあの名曲も、なにやら五日前に開けたシャンパンの如きモノと堕すだろう。

もちろんただの偶然に過ぎないが、アート・テイラー、ビリー・ヒギンズ、二人とも仲良く65歳にて没した。
















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