(16) イタリア流合理主義

カルロ
NO.16 2011.11.28




<イタリア流合理主義>






カルロ・ウボルディ、イタリア人ピアニスト。
かっこいい曲を書く。
今もっともジャズが盛んなのはイタリアであるという。
アメリカはジャズを発明したが、もはや所有はしていないと言われる。

しかし、それにしてもイタリアとジャズは何かピンと来ない。
大丈夫だろうか、イタリア人といえば陽気で明るいというイメージだ。
陽気で明るいジャズもあるにはあるが、全部そうなら辛い。

しかし、行ったこともない私には良くわからないのであるが、イタリア人というのは本当にそうなのか。
「そうなのか」とはつまり、陽気で明るいか、ということだけれど、
セリエAのサッカーなど見て疑問に思ったものだ。
堅いのである。守備が。
それはカテナチオ(カンヌキをかける)と自ら言うほどで、徹底的に耐えて何はともあれ失点を避け、相手の隙を突いて得点し、1-0で勝つのが彼らの美学だという。
これが陽気で明るいサッカーだろうか。
いや、セリエAには外国人選手も多く、必ずしもイタリアの国民性を反映したものではないかもしれない。

だが、彼らのナショナルチームが青いゲームシャツを着て戦う対外試合は、さらに堅実なものとなっていたのである。
イタリア人というのが陽気で明るいかどうか、それは知らないが、非常に合理的なのはとりあえず間違いない。
目的に向かって遠回りしない人たちなのだ。
サッカーという極めて得点の入り辛い競技を合理的に戦うには、先ずは失点しないことだ。
失点しなければ負けることはない。
得点が目的ではない。
負けないこと。
勝つことはその次だ。
それがイタリア流合理主義サッカーという事なのではないか。

イタリア人と超守備的サッカーとジャズは依然としてどうも結びつき辛いが、優れた芸術にはまず先に、完璧なプランがあると考えれば多少納得もいく。
ジャズのソロは何も場当たり的に出鱈目に演るものである筈はなく、少なくとも頭の中に譜面が浮かんでいなければ、とてもこのような美しい音楽になどならないだろう。
そしてサッカーの試合というのは彼らにとってやはり芸術であり、最も美しい1-0への勝利へ向けて用意された完璧なプランが、カテナチオという譜面だろうか。

かつてマカロニ・ウエスタンとかいうゲテモノがあった。
本物のウエスタンには到底太刀打ち出来るものではなかったように思う。
だが、このマカロニ・ジャズは違う。負けていない。
少し分かりやすく作ってある。
ひとりよがりな辛気臭いオリジナル曲を並べて苦行を強いるようなことはしない。
これは意図的なものだろう。
加えて本作の収録時間、55分とコンパクトにまとめられている。
これも美点。
もう少し聴きたいと思うほどだ。
商業音楽CDのツボを押さえて合理的にまとめた秀作である。
2006年の録音。











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