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(154) 彩

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NO.154 2014.6.25



<彩>



本作、佐藤準氏の事はほとんど知らない。
だがこの「彩」に収録された一曲目「A Latchkey」の旋律を、私は生涯忘れることはない。
ブラジル関連でもう一つだけ、どうしても触れておかなければならない出来事がある。
かつて私はF1にのめり込み、夜中に起き出して全戦欠かさず観戦していた。
ブラジルが生んだ「音速の貴公子」アイルトン・セナを応援するためだった。
この曲は私にとってセナのテーマソングだ。

1994年セナは、マクラーレンから前年チャンピオンのウィリアムズ・ルノーへ移籍したばかりだった。
まるでコース上を貼りついたようにコーナーを駆け抜けるウィリアムズを駆って、セナは四度目のグランプリを獲得するのではないかと私は思っていた。
しかし一方で一抹の不安もあった。
F1ではレギュレーションがしょっちゅう変更される。
この年のレギュレーション変更において、実はウィリアムズの快進撃を支えたアクティブサスとトラクションコントロールというハイテクデバイスが禁止されていたのだった。
それはおそらく政治的な力が働いた結果であったろう。
その結果、ウィリアムズ・ルノーは前年までの安定感を失い、非常にコントロールが難しい車になっていたと言われている。
そして5月1日、第三戦サンマリノグランプリで、突然その悲劇は起きた。

ポールポジションからスタートしたセナは、世代交代を迫るミハエル・シューマッハーに背後から追いまわされる。
運命の7周目だった。
イモラ・サーキットのタンブレロコーナーのコンクリート壁に、セナは200キロ以上のスピードで真っ直ぐ突っ込んでいった。
享年34歳。

それ以来、私はF1を観ていない。
私が観たかったものは結局、アイルトン・セナの活躍でありF1ではなかった。
そのような例は他にもある。
江川卓が引退してのち、私はファンだった筈のジャイアンツ、そしてプロ野球への興味を失った。
同年代の江川に声援を送っていただけだったのだ。
その後同郷の皆さんが、本拠地をこちらへ移して来た超地味なパリーグのチームに対し、まるでひい爺さんの代からファンだったような態度で熱狂するのを見るにつけ、ただただ白けるばかりだ。
あんたら昨日までジャイアンツファンだったんじゃないのか。
いくら秋波を贈ろうとも、まるで相手にされない愛しいヒト巨人軍。
でも、つれない態度にもメゲず、抱き続けた深情けだった。
ところがそこへ、ちょっと不細工だけど手の届きそうな別の相手が現れた。
そんな手近なヤツと、さっさとくっついただけの話だ。
そういう、軽いというかお調子者というか、おもいっきり良く言って自由なところが、我同胞のワラかすところだ。
まあ、開拓者精神かもしれんね。

ジョン・マッケンローの引退も、テニスのテレビ観戦から遠ざかるきっかけとなった。
毎年夜中に見ていたウィンブルドン、あの情熱はなんだったのか。
そう、どのような情熱もウソのように冷める時がある。
だが、一生冷めることのない情熱もきっとあるのだ。
ウィンブルドンへの関心は失ったが、私はテニスをやめていない。
オーディオへの執着、ジャズへの興味も失っていない。
では、サッカーはどうか。
中田がペルージャに移籍した頃、専用チューナーを買いCSアンテナまで設置して、私は胸ときめかせ彼に声援を送った。
そんなスカパーの装置一式は、もうとっくにゴミと化した。
今にして思えば、中田が代表の中心であればこその熱狂だったのだ。

サッカー日本代表とは私にとって何か。
それはあの太平洋戦争、たとえばミッドウェイ海戦を筆頭に、起きた数々の無念を(ほんの少し)晴らしてくれるかもしれない存在だった。
私の父は戦争に行った。
それも志願してまで行き、予科練で終戦を迎えた。
もしも何か歴史の歯車がほんの少しずれていたなら、彼は特攻に行き私は生まれなかったかもしれない。
そんな父は生涯戦争について、私に何一つ語ることがなかった。
しかし、どれほどの思いがその胸中にあったか、私にはわかる。
息子に一切話さなかったことで余計にわかる。
そんな私と父の思いは今回も遂に叶わなず、日本艦隊は返り討ちにあって撃沈された。
完敗でありほぼ全滅、玉砕と言っていい結果だった。

映画「ミッドウェイ」のラストで次のようなセリフがあった。
ニミッツ提督役のヘンリー・フォンダであったろうか。
それはこういうものだ。
「我々はほんの少しついていただけだ」
その後の私の研究では、そんな話はただの外交辞令に過ぎない。
十分に勝つチャンスがあったとされるミッドウェイ海戦だが、我帝国海軍は完敗した。
それも実際は、完全に負けるべくして敗れたのである。
その話はまた機会があれば語りたいと思うが、ミッドウェイの雪辱をサッカーで遂げることなどどうやら出来そうにないらしい。
サッカー、特にワールドカップは普通のスポーツ、球技なんかではない。
文字通り命をかけた格闘技であり、もっと言えば戦争の代用品だ。
そのことの本当の意味に日本の代表選手が気付き、雄々しく立ち向かう日が果たして来るだろうか。
多分、私が生きているうちにはないな。
無念を晴らすのは、第二次太平洋戦争でアメリカ第7艦隊を殲滅する時まで待つしかないようだ。

本日は母の誕生日である。
母は83歳になった。
その息子も還暦へのカウントダウンが始まっている。
何かと言えば誰かが死んだ話をしたり、思い出話が多くなったり、また、同じような話の繰り返しになったりは、そんな訳だから仕方がないと、どうかご容赦お願い申し上げ候。










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