(129) 演奏家

山中
NO.129 2014.3.7



<演奏家>





山中千尋嬢のデビュー作である。
本作の上梓は澤野商会最大の手柄かもしれない。
当時は30人規模のライブハウスにも出ていたので、間近で彼女を見たことがある。
ピアニストと言えば比較的スタティックな存在感の人が多い中にあって、最大級のダイナミックなオーラを彼女は発散していた。
その後当然のようにメジャーに移籍し、有りがちな事だが、本作を凌ぐ作品を彼女はまだものしていない。

日本人の女性ピアニストはクラシック出身が多く、山中千尋さんも例外ではない。
そしてよく考えてみれば、そうしたピアニストは日本人にも女性にも限らず多数あり、あのビル・エバンスですらがそうなのだ。
この難しい楽器を自在に操るには、クラシック的訓練が普通は不可欠であるという事か。
難しい割にジャズで報われないのも、この楽器の持つ特性である。
ピアノはある意味ジャズに向いていない。
半音の半音といった微妙な音を出す事が出来ない。
そして意外に思うかもしれないが音が小さい。
万一トランペットとのバトルになれば、ピアノには到底勝ち目がないのだ。
だからだろう、ピアニストには知的でクールなイメージがどうしても付きまとう。
ピアノにも情熱はあるが、その炎はアルコールランプのようにいつも青白い。
どんなに燃えようとも、絶対に赤々と燃えはしない。
だから『情熱大陸』を奏でられるのはバイオリンであって、けしてピアノではない。
挙げ句の果てにホーン入りのバンドにあっては、ピアノは常にリズムセクションである。
ドラムやベースの仲間にされる始末なのだ。
苦労して修得しても、どうも割に合わない。
それなのになに故であるのか、彼女ら日本人ジャズピアニストに代表される、そして少なくはないピアニストがクラシックから転向するのは。
逆は聞いたことがない。

幼少より厳しいレッスンに耐え、ピアノを自家薬篭中のものとした頃、彼女らはジャズと出会うのである。
その時、ある種の人がジャズのとりこになり、さらにこう思う。
なにこれ?素敵な音楽じゃないの。私が学んできた音楽よりずっと自由でスリルがあるわ。
そしてこうも思う。
これなら私にも出来るかもしれない。
いいえ、私もやってみたい!
ピアノを操る技術ならすでに完成されている。
あとはジャズの文法を少し身に着けるだけだ。
そうしてジャズピアノを始めてみると、自分が今までやってきたピアノはいったい何だったのかと思えてくる。
とにかく何が何でも譜面通りに弾かなければならないクラシックと違い、ジャズピアノのアドリブの楽しさときたら、まるで世界が違うのであった。

一方でジャズに関心を示さない人もいる。
黙々とクラシックピアノを弾き続けるのだが、この分野のピアニストはジャズより更に需要が少ないだろう。
だから彼女らはピアノの教師になるか、あるいは趣味でピアノを続け、年一回の発表会にすべてをかけるしかない。
先だってこの種のコンサートに行く機会があった。
バイオリン、ビオラ、チェロ、そしてピアノによる演奏会だった。
ロングドレスに着飾ったピアニストは、幸せそうにスタインウェイのフルコンサートを弾きまくった。
スタインウェイは実にゴリゴリとゴツい音を響かせた。
彼女の表情はあくまでも晴れやかであり、自分が続けてきたことへの自信と満足感に溢れていた。

きっとどちらでも良いのだ。
きっとどちらもこの上なく楽しいに違いない。
自分がこれだと思える音楽と楽器に出会い、続ける幸せ。
演奏する歓び。
これは演奏家にしか分からないことだ。
それをものにするには経済力と努力が必要であるが、
同時に運と才能も必要だ。
彼女らはそのすべてがそろったんだなあ。
そしてこうも思った。
オーディオとは違う世界であると。
オーディオ雑誌『ステレオサウンド』の主筆であった菅野沖彦氏はこう言っておられた。
オーディオ装置から出る素晴らしい音楽は一つの芸術である。
レコードからそんな音を引き出す人はレコード演奏家である。
気持ちは分からないでもない。
でも私は少し違う気がする。
オーディオマニアなどそんな大したものではない。
菅野さんには弟がいる。
有名なジャズピアニスト、菅野邦彦氏である。
兄は弟の演奏を聴き、ピアノを諦めたという。
レコード演奏家発言は兄貴の負け惜しみだろうな。











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