番外編 ⑨

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<番外編 ⑨>





夜中にランダムで曲をかけていたら、「明日に架ける橋」が流れてきた。
最初に買ったLPレコードは森山良子かこれだった。
どちらが先か忘れたが、残念ながら森山良子は既に手元にない。

中学3年の同級生がシングル盤を買い、素晴らしいと教えてくれた。
私は清水買いでLPを手に入れ少し誇らしく思ったが、「サウンド・オブ・サイレンス」が入っていないのを知り非常に落胆した。
CBSソニーの国内盤にはシールドがかかっていて、試聴ができなかったのだ。
だからと言って大枚はたいて購入したLPレコードを放置するわけがなく、私はまさに擦り切れるほど繰り返しこの盤を聴いた。
高校進学が決まった後の、最後の春休みの頃だった。
私は朝からこの曲をかけ、傍で母が洗濯をしていた。
息子を見る母の眼差しが、柔らかな春の陽を受けて穏やかに微笑んでいた気がする。

四月になり、同級生と私は一緒に、地元では結構有名な進学校に進んだ。
有名進学校であるはずのその高校は、学園紛争で機動隊が入り、その後大変なことになっていた。
授業中に教室の後ろから侵入してきた上級生が、黒板に向かって生卵を投げつけた。
隣のクラスには火のついたバルサンが投げ込まれた。
トイレではいつも誰かがタバコを吸っていた。
校内のどこにも、学び舎という雰囲気など一切なかった。
しかし、時期が来ると彼らの多くは、いつの間に勉強したのか有名大学へ進学していくのだった。
セクトに入り、「君も入ってくれたらやらしてあげる」と言って同級生をオルグしまくった挙句、自殺未遂事件を起こして学校をやめた女生徒もいたが、一方で過激派のリーダーだったある男は、退学処分をモノともせず大検を経て京都大学に入り伝説となった。

例の同級生は、その後どこかの家電メーカーに就職したのち、私も記憶にある中学の別の(当然だが)同級生と結婚したという。
思いのほか旧友との繋がりを大切にする男だった訳だ。
それからの消息は知らない。
リストラになど遭遇していなければ良いのだが。

あの頃、人生は無限の可能性を秘めているかに思われた。
別に根拠があったわけでは無論ない。
ただなんとなくだ。
怖いもの知らず、とは良く言ったもので、それは知らぬが仏とたいして意味は違わない。
人生にかけられた橋がどれほど脆弱なものであろうとも、過去にそれを渡った経験がない以上知る由もなかった。
今から振り返れば冷汗の連続だった難所の数々を、だからその時は気付きもせずに通過してきた。
やっとここまで来た。
残りわずかとなった道程もなんとか無事に渡りきる事ができますようにと、そんな時ばかりは亡き父に手を合わせたりしてみる。

あの頃と違って多少の知恵がついた現在は、先に横たわる橋が必ずしも安全とは限らない事が私にも当然理解できる。
この橋が明日への架け橋とは限らない。
しかし、だからと言って残された選択肢は極めて限られており、最早私にはこの橋を渡るしか道がない。
そして橋を渡り切った時に尚命があるのなら、更にその先の地雷原を息を止めて駆け抜けるよりないのだ。
イチかバチか、全速力で。

嘘だと思うかもしれないが、書き終えた時に「LET IT BE」が・・・・
現実というヤツは時々、さらりとドラマチックだ。











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