番外編 ⑤

嘉手納


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<番外編 ⑤>





三日目は朝から基地巡りだ。
まずはホテルから一番近い辺野古のキャンプシュワブを目指す。
東海岸の人里離れた場所にそれはある。
普天間の飛行場をここへ移転させようとした日米合意は、それなりに合理性のあるものだと思う。
埋め立て予定地がサンゴ礁の美しい海岸だと聞いたことがあるが、基地のフェンスに阻まれて確認することは出来ない。
移転を当て込んで某政治家が買い占めたとかいう土地も、特定は困難だった。

次に向かったのは、極東最大の米空軍基地嘉手納である。
冒頭の写真は基地と道路を隔てた「道の駅」展望デッキからの風景だ。
今やちょっとした観光スポットになっているようだ。
運が良ければ最新鋭のF-22ラプターなども見ることが出来るというが、生憎この日は飛来せず航空自衛隊でもお馴染みのF-15が訓練しているのみだった。
だがそれでもF-15が目前で急上昇していく様にはそれなりの迫力があり、その騒音は普通の民間空港では体験出来ないものである。
晴れた空を見上げ続けた私は、季節外れの日焼けをする事となった。

そして最後に宜野湾市の普天間を訪れたのである。
番外編③冒頭の写真は、普天間飛行場滑走路の延長上にある嘉数公園からの風景だ。
高台にあり、飛行場を見渡せる恰好のポジションにある。
普天間は危険な飛行場として問題になっているが、確かに街中にあり飛行場として相応しくない立地であるのは明らかだ。
では、この状況はどのようにして形成されたのだろう。
嘉手納基地は旧陸軍の飛行場を米軍が整備したものだ。
元々そこに飛行場があったのだ。
だが、普天間は違う。
この飛行場は戦後米軍が、一から原野に構築したものだ。
何もない所に基地が出来、その後周辺に人が集まって危険な普天間が出来上がった。
ではなぜ、それほど危険だという基地の周りに人が群がるのか。
それは基地が金を落とすからであり、雇用を提供するからだ。
これといった産業がなく、従って求人が少なく、10パーセント以上の高失業率に喘ぐ沖縄にあって米軍基地は、トップの観光に次ぐ重要な雇用の場となっている。
その待遇は、思いやり予算による国家公務員に準じたものだという。
だから基地からの求人にはいつも20倍を超える応募がある。
自ら望んで危険な飛行場周辺に集まった人々が、飛行場が危険だからどこかへ移転しろと主張し始めるのはどうもおかしい。
どこかで誰かが、故意に話の筋を書き換えている、そんな気がしてならないのだ。

普天間では騒音問題で訴訟すら起きている。
基地の騒音がどれほど酷いのか、どれほどの被害を及ぼしているのか、それは実際にそこで暮らしてみなければ本当のところはわかるまい。それはそうだ。
だが私が嘉数公園に滞在した小一時間、基地周辺は実にのどかな状況だった。
離発着があったのは、KC-130輸送機の着陸一回のみである。
だから我慢すべきだと言うつもりは毛頭ないが、嘉手納の騒音とは全然違う。
普天間は海兵隊基地だ。
飛来する機体のほとんどがプロペラ機であり、桁外れの騒音を出すジェット戦闘機の離発着はないのだ。
嘉手納周辺の騒音のひどい地域では、我慢できなくなった住民が防衛省に土地を売ってどんどん出ていくという。
その譲渡所得には、5000万円の特別控除すらあるのだ。
この国では居住地選択の自由が保障されている。だが、普天間にそうした動きはないようだ。
普天間の人たちは本当に基地移転を望んでいるのだろうか?
中には心から望んでいる人がいるのかもしれない。
それが実際にどれくらいの割合なのか、一人一人に本心を聞いてみたいものだ。

米軍基地は沖縄にとって、実は金の卵を産む鶏なのかもしれない。
だとするなら、それが少々騒々しいとか排泄物が臭いとか言って、そう簡単に絞め殺すわけにもいかないだろう。
現在国庫から手厚く支出されている補助金や交付金は、基地負担への見返り、保証の意味合いが相当ある筈だ。
基地がなければ見直し必至、米軍基地あっての補助金・交付金、米軍基地あってのインフラ整備なのである。
もしも基地が全部なくなれば、沖縄は経済的に成り立たないのではあるまいか。
おそらく地元の人たちは、その事を充分理解している筈だ。
基地反対を叫ぶ声は別の方向から聴こえてくるものだと思う。
誰かが地元の本音を無視した政治闘争にすり替えている、それが沖縄の基地問題の真相ではないだろうか。

基地問題は原発問題と構造が似ているようにも見える。
しかし沖縄の米軍基地が福島の原発のように、他県民に迷惑をかける事態は考えにくい。
だから沖縄の基地問題は、外部の者をして安易に口をはさむことを許さない。
もしもそれが可能であるなら、地元の人たちが住民投票でもして自分たちで決めるしかない複雑で多面的な問題なのである。

駆け足で沖縄を周り、翌日私は我が家へと帰った。
そろそろ大音量で音楽を聴きたくなっていた。
いつでも最高の音をだせるよう、アンプの電源を落とさずに私は出かけていた。
およそ70年前、帰れないかもしれないと知りつつ沖縄へ向かった多くの将兵がいる。
彼らの出征は事実その通りになってしまった。
短い旅が終われば、私の日常はすぐに元通り再開される。
私はその事を知っている。
それは恐らく大変幸せなことなのだろう。
平和とは明日の予定が立てられることなのだ。
だが、平和はけして只ではない。
日産リーフの充電が実は只ではないように、何らかの形で誰かがそのコストを負担しなければならない。
そして完全に管理され、コントロールされた状況下ではじめて、平和は明日も継続される。
平和の継続を担保するものは、外交と軍事力だ。
戦争反対を叫べば戦争がなくなり、平和を求めれば平和がやってくる訳がないことを私は改めて思った。
四日ぶりの故郷に立てば外気は氷点下。
北国の春は尚遠く、まだまだ影も形も見せてはいないのだった。











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