番外編 ④

海軍




<番外編 ④>





翌日は南部の戦跡を訪ねた。
写真は帝国海軍の司令部壕である。
海軍はツルハシともっこで、この地に広大な地下司令部を構築した。
その労力には頭が下がるが、だからと言ってそれで戦に勝てた訳ではない。
出来る限りの努力を惜しまなかったと、それだけの事なのである。
日本軍は米軍との比較で、工兵の機械化や兵器装備の近代化で決定的に劣っていた。
だから精神主義に走るしか他に方法はなかったのだが、その事で一定の成果を上げたとも思う。
だが、肝心の装備兵器で負けていては戦場では苦しい。
日本軍の歩兵の主力装備がボルトアクションの小銃で、それをやっと一発撃つ間に米兵はマシンガンをバラバラと撃ってくる。
実際の銃撃戦では、一発一発丁寧に狙ってなどいられるものではないという。
狙いをつけている間に頭を撃ち抜かれてしまうのだ。
だからいきおい顔を上げずにメクラ射撃をすることになる。
そうなると弾の発射量の勝負になってしまう。日本軍は弾薬の準備も少ない。
そんな状況下にありながらも精神力にものをいわせ(つまり命を的に)、火力に劣る小銃を手にした日本兵は良く戦ったと思う。
実際、沖縄戦ではアメリカ軍にも相当の犠牲者が出ている。
1万2千人が戦死しているのだ。
だが、キルレシオでは10倍の差となった。
アメリカ軍は地上戦闘員だけでも5倍という圧倒的な戦力で押し寄せ、自軍の犠牲の10倍、12万人近い日本兵を殺した(非戦闘員殺害数を含まない)。

沖縄戦で劣勢の日本軍が米軍に一定の出血を強いることが出来たのは、サイパンなどでの戦訓を生かし無謀な水際作戦を棄てたからだった。
敵の上陸を無理に阻止しようとせず、上陸後内陸部で敵を消耗させる作戦に変えたのだ。
これは軍事的には正解だろう。
だが、一方でこの作戦が地元民などの非戦闘員の犠牲を増やす結果となった。
軍部は元より、沖縄県民の犠牲を斟酌していなかった。
米軍の本土進攻を遅らせる、それ以外に重要なことなど何ひとつなかったのである。
沖縄県民の安全には少しの配慮もなされなかった。

琉球はそもそも、薩摩に併合されるまでは小なりといえレッキとした独立国であったし、日本よりもずっと中国寄りのポジションに立っていた。
歴史にIfは意味がないとは言うが、もしも薩摩に併合される事なく、中国の属国といった立場が続いていたとしたなら、沖縄戦はなかっただろう。
今、軍事大国となった中国が、武力にものをいわせて沖縄に色気を出し始めている。
こういった現実を沖縄の人々はどのように受け止めているのだろう。
かつて同胞を虫けらのように殺した同じ米軍の、在日基地の8割近くが現在も沖縄に存在している事と合わせ、この地の歴史はあまりに過酷である。

帰りに那覇に立ち寄り、やちむん通りを歩くなどした。
家人がシーサーを買いそうな勢いであったが、ぎりぎりにて思いとどまったようであった。
良かったのではないか。
そんな大荷物を買い込んだら後が大変である。
国際通りのレコード店を覘いたら、ジャズのバーゲンコーナーがあり、正規国内盤が三枚で2480円とのことだ。
これはルール的にアリか、と思いつつもリーフで聴こうとアキコ・グレースや澤野の北川潔など三枚を購入。
沖縄ではジャズの人気が更にパッとしないのだろうか。
どうもイメージ的に似つかわしく思えないのも、あながち偏見とばかりは言い切れまい。
店を出たところで猛烈なスコールに遭遇した。
急遽雨傘を買い求める。
この日の外気温は25度を超えていたようだ。
まことに南国である。






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