(288) BLUE SERGE

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No.288 2015.5.2




<BLUE SERGE>




バリトンサックス奏者サージ・チャロフのワンホーンによる名盤「ブルー・サージ」を聴く。
バリトンサックスと言えば、私には真っ先に思いつく人がいる。
ジェリー・マリガンだ。
この件で異論は多くあるまい。
確かにマリガンはこの楽器の第一人者だった。
同時代のサージ・チャロフがマリガンの独走を許したその訳は簡単である。
彼が33歳の若さでで夭折したせいであった。

バリトンは人が少ない。
だからライバルも少ないのである。
それは何故か。
バリトンは大変なのだ。
大きく重く、おまけに相当難しいらしくその割に報われない。
敢えて選択する理由が見つからないくらいだ。
だがバリトン特有の音色の魅力は実際テナーと比べて勝るとも劣らないし、ましてアルトなどには絶対に真似の出来ない迫力がある。
しかし軽快なアルトが西部の伊達男、夕日のガンマンだとするなら、重厚なバリトンはドイツ機甲師団の重機関銃だというくらいの差があるのも事実だ。
ハンドガンとガトリングガンの差だ。
バイオハザードでどちらかを選択可能なら、私はぜひ後者にしたい。
とはいえ「エクスペンダブルス3」でドルフ・ラングレンが「10秒しかもたない」とおちょくられていたガトリングガンは、並みの男の手に負える代物ではけしてない。
サージ・チャロフはその鈍重とも言えるバリトンを自在に操り朗々と歌った。
性格のいい、ナイスガイだったと言われている。
「留学先のバークリーで最初にデートに誘われたのがサージ・チャロフだった、いい男(ひと)だったわ」と、ピアニストの秋吉敏子さんが証言している。

マリガンにはどちらかといえばクールでメカニカルな印象があるが、サージ・チャロフはもっと情緒溢れる演奏を得意とした。
ビブラートを効かせたスウィング系で、そのスタイルからジョニー・ホッジス(as)のバリトン版といった趣きがあった。
なるほど、キャピタルがワンホーンで録りたかった筈である。
本作は加えてソニー・クラーク(p)の参加がデカい。
更にはフィリー・ジョー(ds)にリロイ・ビネガー(b)とくる。
成功を約束されていたようなものだった。











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(289) IT'S ALL RIGHT !

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No.289 2015.5.5




<IT'S ALL RIGHT !>





血は争えないと言う。
ウィントン・ケリーはニューヨーク生まれだが、両親はジャマイカの人だ。
この事がウィントン・ケリーのスタイルに影響しない訳がない。
本作以前、特にマイルスに雇われていた頃なら多少の無理をし、柄にもなくシリアスを装いもした。
だが、それは彼の素顔ではなかった。
本作に見られるリラックスしたピアノ、これがウィントン・ケリーの本音であろう。

ジャマイカの黒人は、すべてアフリカ大陸から拉致された奴隷の子孫だ。
この点ではアメリカの黒人と何ら違いがない。
ただジャマイカ人というのはその殆どが黒人であり、そこが大きく違う。
現在アメリカには純粋な血統の黒人は一人もいないという。
白人農場主に買われた黒人奴隷には女性も多く、彼女らは白人男性農場主の性奴隷でもあったから、アメリカの黒人にどんどん混血化が進んだ。
そうして300年の時が過ぎた。
タイガー・ウッズやデンゼル・ワシントンを見ればわかるように、日本人より余程鼻筋の通った彼らの面立ちは最早純粋な黒人の顔からかけ離れている。

人口の九割を黒人が占めるジャマイカではそういう事が比較的少なかった。
気候的にも彼らの故郷により近く、独特のサンクチュアリが形成された。
ジャマイカの音楽がリラックス出来た理由はそういうことだ。
アメリカの黒人はいつ白人警官に撃たれるかわからないので、落ち落ちリラックスなどしていられない。

ジャズを聴き始めた頃、ウィントン・ケリーとレッド・ガーランドの区別がつき辛かった。
だが暫く聴いていると段々わかってくる。
ウィントン・ケリーはレッド・ガーランドほどブロックコードを多用しないし、それに性根が明るい。
ケニー・バレルのギターと、それにコンガが陽気なピアノによく合っている。










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(290) カメラが聴いたジャズ

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No.290 2015.5.8




<カメラが聴いたジャズ>





本作はアメリカ西海岸を代表する写真家ビル(ウィリアム)・クラクストンを描いたドキュメンタリー映画のサウンドトラックである。
ライナーノーツに語られた「われわれは絵画について語る非礼を詫びるべきである」との言葉を重く受け止めつつ、この映画とそのサウンドトラックを紹介する。

写真は二度と来ない一瞬を切り取る。
考えてみればレコードも同じだ。
そこにあるのは視覚と聴覚の違いだけだ。
残されたものはその瞬間から一人歩きを始め、全てが視聴する者に委ねられる。

どのようなレベルの記録であろうとも、切り取られた一瞬はその後長期に渡り世に残される。
だからそれを成す側にある種の覚悟を強いるが、多くの場合そのように意識される事はまれだ。
そして残されたものにどのような価値を感じるかも視聴する者それぞれに異なる。
それが救いと言えるかもしれない。
何とも思わない場合も普通にあるからだ。

クラクストンは多くのレコードジャケットを残した。
彼の作品に限らず私にとってレコードのジャケットは極めて重要なものだ。
時には盤本体とどちらがより重要であるか判断に迷うほどだ。
もちろん盤のないレコードは意味がないのだ。
しかしジャケットのないレコードもあり得ない。
ジャケットはレコードの顔だ。
だから音楽配信なんて論外なのである。
昔のジャズファンはレコードを大事にした。
映画の中でデニス・ホッパーが証言する通り、ライブよりも断然レコードだった。
ライブハウスで「イェーイ!」などとやるのにはどこか抵抗があり、私は今でもそれは変わらない。
長い間ジャズは真顔で聴くものだったからだ。

かつてジャズはレコードのジャケットと切り離せない関係にあった。
ジャケットの写真を撮ったカメラマンの重要性は改めて言うまでもなく、カメラマンはクラクストン一人ではないが映画にまでなったのはそれなりに理由がある。
クラクストンの作品はいつも柔らかな光に溢れ、彼の優しい眼差しを通してジャズが幸福だった時代を上手く表すことが出来た。
お人柄ということか。
この映画とサウンドトラックを視聴したあなたがどう感じるか私には分からない。
だがそれを承知のうえで未知の方には是非観てそして聴いて欲しいと思う。
ジャズの新たな地平が開けるかもしれない。

本作の音楽監督はドイツ人トランペッターのティル・ブレナーである。
サウンドトラックに採用されたチェット・ベイカー、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドなどを除く多くの曲がティル・ブレナーの手によるものだ。
中でもハモンドオルガンB3を効果的に使用した「BLUES FOR PEGGY」は、元祖スーパーモデルでありクラクストンの妻だったペギー・モフィットに捧げられている。








grand encounter









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(291) 才能のV8エンジン

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No.291 2015.5.11




<才能のV8エンジン>





チェット・ベイカーへのトリビュート盤である。
2000年に出た本作を私は長い間オクラ入りさせていた。
それはストレートに言えばピンとこなかった、もっと率直に言うと好きじゃなかったからだ。
引っぱり出して聴いたきっかけが、前回お話ししたサウンドトラック盤である。
ティル・ブレナーが音楽監督を務めたドキュメント作品を後年DVDで観直す機会があった。
この映画実はドイツ製作で、ティル・ブレナーの起用にはそうした繋がりも当然ある。
だがドイツのジャズミュージシャンは彼一人ではない。

ティル・ブレナーはたくさんのものを持っていた。
クラシック出身のトランペットは常に抜群の安定を見せる。
それを可能にするのは分厚い胸板の堂々たる体躯だ。
トランペッターが音を外さなくなるのは彼がトランペットをやめる時だ、そのように言われるほどトランペットで正確な音程をキープするのは難しい。
だがティル・ブレナーの奏でるトランペットは音を乱す気配も見せない。
如何なる場面にあっても冷静であり、その安定感はウィントン・マルサリスをも上回る。
5リッターのV8エンジンで高速道路を制限速度を守ってゆるゆると行く、そんな余裕を感じさせる。
それが私には面白くなかった。

チェット・ベイカーは自分に才能があるように見せようと頑張った。
実際以上に良く見せるのには大変な努力を要する。
無理が破綻を呼ぶ。
彼の容姿が急速に衰えたのは麻薬のせいばかりではなかったかもしれない。
ティル・ブレナーには明らかな才能がある。
それも尋常ならざる才能だ。
それを隠そうともしない。
彼には普通のことだからだ。
この差は大きい。
加えてご覧のルックスだ。
可愛げがなさすぎる。
本作を拒否する背景にあったのは結局嫉妬だろう。

十数年の時を経て、素直に才能を認め受け入れることが出来る歳に私はなった。
つまりそれはある種の諦観でもある。
ダメダメな人生を呪うのではなく、そういうものだとやっと受容できるまでに私は半世紀の時を要した。
それでもヒップホップ的な作りや、DJの効果音はやはり好きになれないし、チェットを意識しすぎた(いや、意識しているのはマイケル・フランクスではないかとの説もあろう)ボーカルも私はいらない。
とりわけチェットの声をサンプリング音源として使用する事に賛成できない。
唯一ライブ録音が使用されたタイトルナンバーがいっそ一番いい。
これだけが普通のハードバップだ。










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(292) CHETバラードを吹く

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No.292 2015.5.14




<CHETバラードを吹く>





前回お話ししたトリビュート盤の元ネタがこのジャケット。
ただし内容はまるで異なる。
本作はジャズの王道スタンダード集である。
「チェットバラードを吹く」といった趣きの作品だ。
ティル・ブレナーもスタンダードを演ったが、一聴何を演っているのかわからないくらい原曲から遠い。
そうなる理由もわからなくはないのだ。
後発の人は気の毒なところが確かにある。
普通に演奏したくても、半世紀以上も前にやり尽くされてしまった。
でもそれなら良い案がある。
手付かずの曲を探すか、自作するのだ。
曲は殆ど無数にある。
それでも気に入る曲がない時は、自分で書けばいい。
分かり易く心に残る曲(テーマ)を書いて欲しい。
難しくて何度聴いても覚えられない曲に名曲と呼ばれるものは恐らく一つもない。
覚えやすいというのは十分ではないにしろ、名曲の必要条件だ。
つまり売れるための必要条件でもある。
道楽でやっているならともかく、ある程度売れなくては暮らしが立ち行かない。
そこのところで上手く折り合いをつけなければならない。
商業主義とは少し違う。
誰にだって生活があるのだ。
家族だっているかもしれない。
売れる曲を書くのはけして悪いことではない。
その代りアドリブは存分にやればいい。

チェット・ベイカーの時代にそんな工夫をする必要はほぼなかった。
腕利きをスタジオに集め、スタンダードをチャチャッと演れば高確率で名盤と呼ばれるものになった。
いい時代だったのである。
本作は1958年の末から翌年始かけて、リバーサイドレコードがそんな感じで製作したものだ。
ペッパー・アダムス(bs)ハービー・マン(fl)ポール・チェンバース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)ケニー・バレル(g)それにラファロとバンガードへ出る前のエバンスらが脇を固める。
非常に録音がいい。










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(293) audioquest

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No.293 2015.5.17




<audioquest>





本作は1993年、歴としたオーディオ用ケーブルメーカーのオーディオクエストによって製作された。
レコーディングやマスタリングに使用されたケーブルは当然ながらすべてオーディオクエスト社の製品で、それ故かどうか不明だがすこぶる音がいい。
諸君はオーディオにおけるケーブルの重要性をご存じだろうか。
ケーブルというのは少し気取った言い方だ。
普通に簡単に言うとコードである。

上流から最小限のシステムを考えてみよう。
レコードプレーヤーないしCDプレーヤー → アンプ → スピーカーとなる。
先ずプレーヤーの電源ケーブル、プレーヤーの信号をアンプへ送るオーディオケーブル、アンプの電源ケーブル、アンプの信号をスピーカーへ送るスピーカーケーブル、以上4種類のケーブルが必要になる。
これに何を使うか、それによって音が全然違うものになる。
本当だ。
呆れるくらい音が変わる。
ウソだと思ったらやってみてください。

現在我家では電源ケーブルにハーモニクス、バランスケーブルにACデザイン、スピーカーケーブルにアクロテックとハーモニクスを使用中だ。
機材が多いとそれだけ本数がいる。
一本一本がヴィトンのバッグ的な値段なので、総額では大変なことになってしまう。
オーディオとは金のかかるものなのだ。
だからじっくり腰を据えて長い年月をかけ、少しずつ揃えるしかない。
ケーブルは腐らないから時間をかけても大丈夫だ。
もちろん潤沢に資金をお持ちなら一気に揃えてもいいが、それは何やらどうもね。

本作のリーダー、ベニー・ウォレス(ts)は音使いとスケールが独特で、一聴アーチー・シェップを彷彿とさせるが、もう少しストレートな感じだから次第に区別がつくようになる。
8曲中6曲がピアノレス、テナー・ドラム・ベースのトリオだ。
これはベニー・ウォレスに自信がないと出来ない。
ソニー・ロリンズのバンガードライブ(BLUE NOTE 1581)ですら私には少し不満がある。
どことなく落着かない。
音が足りない。

その点本作は見事だ。
居心地の悪さを感じさせない。
それは結局のところ録音の良さ故だと思う。
色の白いは七難隠すと言う。
音楽は音の良し悪しが支配的な要素となる。
録音が良ければあとはなんとかなるものだ。
内容は有りがちなスタンダード集だが、好感が持てる仕上がりとなっている。
ルー・レヴィーが「On My One And Only Love」「Skylark」の二曲でピアノを弾いた。









ケーブル










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(294) STANDARD TIME

ウィントンvol3
No.294 2015.5.20




<STANDARD TIME>





先週マイルス・ディビスを一人で一気聴きした。
時間的制約から全部という訳にもいかず、選択的マラソン鑑賞にならざるを得なかったがしかし、これが思った以上に楽しかった。
そして再確認したのである。
スタンダードは色褪せない。
むしろ色褪せなかった結果スタンダードとなったのだと。
スタンダードに成れなかった試みは時に悲惨であり滑稽ですらある。
その点ではウィントン・マルサリスも同様だ。
彼の偉業もやはりスタンダードに限定されるものだ。
ただここで言うスタンダードは少し意味が広範で、だからたとえば「Four」や「Footprints」「Straight, No Chaser」なんかも普通に含まれる。
でも当然「Bkack Codes」や「Knozz-Moe-King」は含まれないので念のため。

マイルスの後でウィントン・マルサリスのスタンダードを聴くのは少しアンフェアな行いかもしれない。
それはある種の後出しじゃんけんのようなものだからだ。
しかしながらウィントン・マルサリスの演奏を割り引いて聴くかと言えば、人間の耳はそんなに都合よく出来ていない。
両者のトランペットには残酷なほどの差があり、我家のレコードとCDとオーディオ装置はありのままにそれを伝えて来る。

ウィントン・マルサリスにマイルスという先駆者があった事は言うまでもない事実だ。
ウィントン・マルサリスは無人の荒野を行きこの地点に立ったわけではない。
それはそうだ。
しかし同時にこうも言える。
マイルスがいなければウィントン・マルサリスというトランペッターが存在しなかったかどうか、それは誰にもわからない。
本当は少しわかるけれど、つまりどうでもいい事なのだ。
それは小型カセットプレーヤーのウォークマンとiPodの関係に似ている。
歴史の事実とはそういうものだ。
父エリスは敬愛するウィントン・ケリーの名を息子につけた。
それを父が望んだかどうかわからないが、しかし息子は父のあとを継いでピアニストになることはなかった。
事実はただそういうことだ。

ウィントン・マルサリスは自らの道を行き、やがて長じ父と共にこのアルバムを残した。
「父さん、おれピアニストになれなくてゴメン」
「マイサン、何を言うか。立派なトランペッターになりおって・・・」
ジャケットに写る親子の表情そのままに、穏やかでくつろいだ上質な時間の流れがここにある。
珠玉の全21曲、なんという大盤振る舞い。










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(295) カウントダウンが始まる

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No.295 2015.5.24




<カウントダウンが始まる>





微妙なジャケットだ。
セミヌードだからではない。
どーしてこのイモねーちゃんなのか。
本作の評価は是非聴いてからにしたい。

ジミー・ヒース(ts)の名曲「For Minors Only」で快調なスタートを切る。
これだけで私のメーターが振り切れる。
この曲が好きだ。
本作の全7曲中ペッパーの2曲を除き5曲がジミー・ヒースのオリジナルで、「For Minors Only」はこれが初演である。
しかしジミー・ヒースはこのセッションに参加しておらず、この辺りの事情はわからない。

この時チェットは26歳の若さだ。
そればかりではなく、ペッパー31歳、ピアノのカール・パーキンスも27歳と皆若い。
そんな彼らにどんどんレコーディングの機会が与えられる時代だった。
ジャズミュージシャンンはスターでありアイドルだったのだ。

ウエストコーストジャズを象徴するかのような美しくも洒落たアンサンブルで全編を固めた本作だが、これだけどんぴしゃなコンビネーションを見せつけるチェットとペッパーがレギュラーバンドを組んだことはない。
この二人の顔合わせ実は非常に希少だ。
それ故か、雑誌のプレーボーイとタイアップしたというこのジャケット故か、本作は廃盤店でも結構高い。
私が所有する盤はただの国内盤だが、5桁に近い値段だった。
手に取った時、強欲な店主に完全に見透かされ、足元を見られたと思った。
それでも飛びついたのはけしてジャケットのせいではない事を、クドい様だが(特にスー嬢に)申し上げておかなければならない。

ピアニストのカール・パーキンスは本作収録の翌年交通事故で亡くなっている。
彼の死を悼み、リロイ・ビネガーが書いた美しいバラード「For Carl」をもしもお聴きになったことがないなら、こちらも是非チェックして頂きたい。
多くのミュージシャンがこの曲を録音しているが、私はとりわけピアニスト故田村翼(よく)氏の「Ballad For Hamp」収録テイクが好きだ。
心ゆさぶる名演である。










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(296) どうしても裸ならこんな風にやってみろ

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No.296 2015.5.27




<どうしても裸ならこんな風にやってみろ>





男は女の裸が好きだと思うでしょう。
それが段々そうでもなくなる。
嫌いだとは言わないし、どうでもよくもない。
しかし最早鼻血は出ない。
そうなると何でもそうだが好き勝手をホザき始めるのだ。

学生の頃なら酒であればなんでも良かった。
ビールなんて贅沢品で滅多に口に出来なかった。
それが今ではどうだ。
ビール?いや、オレいいや。シャンパンにする。
なんだと、バカもの。
何様のつもりでいやがる。
でも仕方ないのだ。
人とはそういうものだ。

音楽もそう。
一度いい演奏を知ってしまえばそれが基準、つまり普通になる。
いい音がするスピーカーを聴けば、もうラジカセには戻れない。

少し論旨がズレた気がする。
昔は女ならなんでもよかった。
なんなら雌ゴリラでもよかったが、いい女を知った今となってはそうもいかない。
そんな風な話ではありません。
むしろこうだ。
段々耳が遠くなり、音楽鑑賞に興味を失ったと、そんな文脈で語られるべき話だった。
自分でも時々なにが言いたいのかわからなくなるから困る。
それにしても、耳が遠くなるのはイヤだな。
十分あり得るだけに恐怖だ。

マーティ・ペイチは大層趣味のいいピアニスト・アレンジャーだった。
ジャケットにも恵まれて得をした。
踊り子」や「お風呂」が有名だ。
本作も好きな盤だが、なにぶんにも収録時間がえらく短い。
全8曲は普通だが、20分少々しかない。
今時のCDなら三倍入っている。
長ければいいってもんでもなかろうが、それにしてもなあ。
ジャケットの絵がおっさんだったらきっと無視されただろう。

「99」や「Africa」を作曲したTOTOのデヴィッド・ペイチは彼の息子である。
この男、女優のロザンナ・アークェットの元カレで、別れたあと彼女に捧げ「Rosanna」を歌ったがロザンナには全く相手にされなかった事でも有名だ。
マルサリス家同様ペイチ家も息子の方が有名かもしれない。










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(297) jazz erotica

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No.297 2015.5.30




<jazz erotica>





リッチー・カミューカ(ts)「jazz erotica」本作の入手に相当苦労した。
と言っても、さすがにこの盤だけを探してレコード店巡りをしたわけではない。
いつも頭の中に100枚くらいのWant Listが入っており、本作も長年その中の一枚だったのだ。
毎日のように私は、頭の中のリストと照らし合わせながらエサ箱(レコードの陳列ケースを何故かそう呼ぶ)を漁っていた。
そんなある日、馴染みの中古店の壁にこれが飾られていたのである。
「!!!(あわわわ・・・)」
この気持ちをお分かり頂きたい。
店主になんと思われようが知ったことではなかったが、あまり見透かされても面白くない。
さり気なく購入するのも大変である。
私は抱きかかえるように彼女を連れ帰り、それから一度たりとも門外へ出したことはない。

国内盤が出たことは多分ないと思う。
そうすると輸入盤になるのだが、これは質の悪いものも少なくない。
特に再発盤は新品でも疵がついていたり、プレスが悪いせいでノイズが発生したりする場合がある。
だからどうしても欲しい重要盤はオリジナルが望ましい。
しかしジャズのオリジナル盤を新品で入手するのは極めて困難だから、廃盤店(中古レコード店)で探すほかない。
こうした事情は多分50年前も変わらなかった筈だ。
しかし私がそれを理解したのは精々この20年くらいの事だ。
レコードは必ず新品で購入すべきものだった。
思えば呑気なコレクターだった。

そういえば本作もウエストコースト物だ。
東海岸のブルーノートやリバーサイドの作品にこういったジャケットはない。
もっとストレートだ。
つまり内容と直結したジャケット製作が東の特徴だった。
本作のようなジャケットはもちろんレコードの中身と何の関係もない。
一体何故こういう事が起きたのか。
理由は簡単だ。
50年代~60年代の東海岸でレコードを買うのは、主に黒人を中心としたジャズマニアだった。
だからジャケットの役割は第一に中身を購入者に伝えるという事だった。
つまり東海岸にはヌードジャケットの需要がなかったのだ。
一方西海岸では、ミュージシャンもそうだが購入層も主に白人で、好意的に言えば彼らはよりソフィスティケイトされたモノを求める人たちだったから、趣味のいいヌードジャケットがよく売れたのである。
率直に言えば、時には売るために女の裸を利用したという事にもなろう。

これは長年の謎なのだが、何故かジャズファンは圧倒的に男性の比率が高い。
そもそもこれが前提となっている。
何れにせよ、同じアメリカでも西と東では随分違うのが分かる。
私は両方認める。
ジャズのレコードジャケットが全部ヌードでは困るけれど、少しなら悪くない。

音作りの傾向も東西でかなり違う。
どちらがいいか、音についてはまあ好みの問題だ。
ざっくり言えば東はよりジャズっぽく、西はオーディオ的。
気候風土の特徴がモロに反映されていると言っていいだろう。
行ったことはないのだが。

本作の美点は何よりもその分かり易さにある。
小難しいところゼロ。
リーダーのリッチー・カミューカを筆頭にコンテ・カンドリ(tp)フランク・ロソリーノ(tb)らが、ウエストコーストジャズのお手本のような、まさに小洒落た演奏を聴かせる。
リッチー・カミューカのワンホーンテイクと多管アンサンブルによるテイクがあり楽しめる作りだ。
「ウエストコーストジャズってなに?」
という人に打って付けだが、問題は入手の困難さか。











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