(273) 信号機雑譚

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No.273 2015.3.3



<信号機雑譚>





ひな祭りも最早私にはあまり関係がないから、本日は前回に続いて信号機シリーズ第二弾としたい。
ジャズと信号機。
そう来るなら避けて通れないのが本作「WALKIN'」である。
JJジョンソン(tb)ラッキー・トンプソン(ts)ホレス・シルバー(p)らによる異色の顔合わせとなった。
1954年4月録音の本テイクがマイルスにとってこの曲の初演となる。
少し混乱するけれど「COOKIN'」「RELAXIN'」等のマラソンセッションは56年10月だ。
パーソネルもそちらはコルトレーン(ts)ガーランド(p)チェンバース(b)フィリージョー(ds)のレギュラー・クインテットで、本作とはまったく関係ない。

それから暫く経って60年代に入り、「WALKIN'」はマイルスバンドのライブにおける定番曲となっていた。
「In Europe」「Four&More」「In Berlin」、これらライブ盤に収められた「WALKIN'」と本作を聴き比べると、テンポがかなり異なる。
ライブでは一般にアップテンポの方がノリが良いのだ。
60年代快速調「WALKIN'」でドラムを叩いたのはトニー・ウィリアムスだった。
こちらの方が良いと言う人もいるだろう。
だが早ければ良いというものではないと私は思う。
さらにこの曲でトニー・ウィリアムスがドラム・ソロを取るのがパターンとなり、それがまたやたらと長いのがイヤだ。

本作のドラムはケニー・クラークなのだが、控え目で大人な感じに私は好感を持つ。
第一、スタジオバージョンである本作の方が圧倒的に音がいいのだ。
マイルスのライブ盤には片面30分近くあるものが少なくない。
カッティングのレベルを下げれば可能とはいえ、それは音質を犠牲にしたものとならざるを得ない。
私は「マイ・ファニー・バレンタイン」のオリジナル盤を所有する。
同様の理由により音質最低である。
聴いたことがないので保証できないが、これらについてはCDの方に分がある可能性を否定できない。

ジャズと信号機といえばもう一つ、矢口史靖監督の「スウィングガールズ」を思い出す。
歩行者用信号機のメロディ「故郷の空」に「これってジャズ?」と反応するシーンがある。
なんとあれから既に10年だという。
まいっちまうねえ。
「故郷の空」は某テレビ局朝のドラマにも使われているらしい。
この曲が実はイギリスのトラディショナルだからだ。
我家にはテレビがない(事になっている)ため、確認はできない(事になっている)。

小学校2年生のある朝、学校の手前にある国道に信号機がついていた。
弾丸道路と呼ばれた希少な舗装道路に設置されたそれは、当時周辺にある唯一の信号機だったせいで歌まで作られた。
「渡ろ渡ろ、何見て渡ろ、信号見て渡ろ・・・赤青黄色、青になったら渡ろ・・・大丈夫と思っても、止まって、もういいかい?」
半世紀以上前のこんなつまらない事を覚えているのに、昨日入れた非常に大事な仕事をすぐ忘れる。
なんとかならないものだろうか。











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(274) 北のJKパーカー

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No.274 2015.3.6



<北のJKパーカー>





寺久保エレナ。
22歳のアルトサックス奏者だ。
高校生の時彼女は「北のパーカー」といういささか大盤振る舞いなキャッチフレーズを付けられて、キングレコードからCDデビューを飾った。

彼女が在籍した女子高というのが私の母校の隣りにあり、何かとイヤハヤな関係にあった。
すべて時効だと開き直ってお話しすれば、交際していたひとがいた。
実はその女性と、一級上の従兄の彼女が同じクラスだった。

ある時私たちが校舎の近くを通るのを目ざとく見つけ、二人は開いた窓から無邪気に手を振るのだった。
周囲にいるこちらの仲間が怪訝な顔をしたが、手を振り返すお調子者がいた。
それを見て他の窓から歓声があがる。
私と従兄は知らんぷりして通り過ぎ、「報復」のためタクシー会社に電話して迎車三台の手配を依頼した。
その女子高の職員室宛に。
まったく意味がわからん。
少年犯罪の動機を解明するのはいつも容易いことではない。

本作を聴くと寺久保エレナの上手さにたまげるだろう。
アルトサックスという楽器をまさに自在に操り、ロン・カーター(b)ケニー・バロン(p)らレジェンドと互角に渡り合う。
リーダー作にしては支配率が少し低いが、それはある程度仕方のない事であった。
音が美しいかわりに多少線が細いのも許容範囲である。

ただ私は少し心配になる。
「女子高生」サックスプレーヤーとして注目されてから数年経った。
現在も「うら若き女性」サックス奏者に変わりはない。
しかしこれらのカッコ書きがなくなる時、彼女はどうなっていくだろうか。
30代はまだいけそうだ。
しかし40代50代にも彼女はいつかなるだろう。
それでも寺久保エレナはアルトサックスを吹き続けるだろうか。
その歳の女性ピアニストや歌手はまったく普通に存在する。
むしろ適齢期と言えるかもしれない。
だがサックスならどうだろう。
はたして需要があるだろうか。
私には想像がつかない。
強いて実在例をあげればキャンディ・ダルファーか。

もっと率直に言えば、女性にサックスという楽器が似合わないと感じる。
サックスだけではない。
トランペットも似合わない。
管楽器でいけそうなのはフルートくらいか。
これは理屈ではない。
嗜好の問題だ。
剣道と弓道、それに空手の形を除き女の格闘技は嫌いだ。
柔道もレスリングも大嫌いだ。
それよりはだいぶマシだけれど、やはり女性管楽器奏者はキビしい。
若くてかわいい女の子が演奏する場合のみ、なんとかついていけるというだけの事だ。
しかしそんなもの、若くてかわいい女の子なら何をやたって大抵許されるものな。
彼女らは一定期間、絶対食いっ逸れないように最初から出来ている。
たとえ才能の類一切なかろうとも。

ある歌手のヒット曲に「雨○ど×」とかいうクソみたいな歌があり、その裏バージョン「□う△つ☆雨○ど×」でその男はこんな風に言っている。
「女性は器量が良いというだけで、幸せの半分を手にしている」
歌がどんなにクソみたいでも、事実は事実である。
私の見るところ、世の中とは実際いつもそうしたものだった。

器量好しで才能まである場合、一般にこれを鬼に金棒というが、寺久保エレナのアルトサックスがたいしたものであるのは間違いのないところだ。
きっと彼女はこれからも練習し、さらに上達するに違いない。
そして20年後、「北のパーカー」と呼ばれた女子高生は「日本のキャンディ・ダルファー」になっているだろうか。
何かと将来が楽しみである。

ところで先日、車をラングラーに買い替えるかも、という話をした。
これは第二次世界大戦下、米国陸軍に制式採用された軍用車両を始祖とする。
少し軍事オタクな私に向いた車だとちょっと思った。
ラングラーはそれから半世紀以上に渡り、何度もモデルチェンジを繰り返して現在に至っている。
直近では2007年に先代「TJ」をモデルチェンジしたものが現行モデルとなるのであるが、これがなんとコードネーム「JK」と呼ばれているのであった。
オフロードやアウトドアやワイルドなどと言うよりも、ルーズソックスとかプリクラとかの淫行な世界ですね、普通。
これはちょっとアレだなあ、ワタシ的に言うと。













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番外編 ㉞

ドレスの色




<番外編 ㉞>





世間を騒がすドレスの色。
あなたは何色に見えますか?

どうやら約七割の人が青と黒に見えるらしい。
残りの三割が白と金で、私は後者だ。
当ブログは地が紺色なので少し状況が変わる可能性がある。
妻は多数派だが、このページを見る角度で結論が異なると言った。
しかしどのような角度であろうとも、私には青と黒になど絶対に見えない。

何れにせよ大変なことではないだろうか。
自分が見ている世界と他の人が見ている世界が果たして同じものなのか、という検証不能だった筈の疑問に対する解答ともなり得るからだ。
これは多くの人が内心不安に感じていた事ではなかったか。
何も視覚に限ったことではない。
五感のすべてについて言えることだ。

私が聴いている音楽が、他の人にはまったく違う風に聴こえている可能性がある。
これは感度の話ではない。
私にAと聴こえる音楽が別の人にはBと聴こえ、そのBとは実は私にとって聴くに堪えない騒音を意味するものだった。
味覚ならこうだ。
私がワインの味として認識している知覚をX、別の人のそれをYとし、XYを入れ替えたらYとは私にとって大嫌いな納豆風味だった。

人の知覚は従来信じられていたよりも、ずっと個人差が大きいものかもしれない。
もしもこの仮説が正しければ、人の嗜好が様々ある事に説明がつき易くなる。
蓼食う虫が好き好きなのも当然だった。
何故こんな美人と冴えないおっさんが?という疑問も解けようというものだ。
彼女の脳では「冴えないおっさん」が、とてもセクシーなオスと認識されていたのだ。
案外「こんな美人」が実は「とんでもないブス」かもしれないのだが。

今ならオーディオマニアがアンプに大金費やす理由が分かる。
一方でそんなものに見向きもしない人がいる事も。
誰であろうと聴くに堪えない騒音を増幅する機械に興味を示す筈がないのだ。



ところで、このページの「地」って紺色で合ってますか?












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(275) 次の4年が過ぎても

outside by the swing
No.275 2015.3.11



<次の4年が過ぎても>





山中千尋さんのライブに行った。
「MUSIC LAMP」という企画で子供のジャズバンドと一緒に出るらしかったが、あまりよく検討もせずチケットを予約していた。
彼女は現在ニューヨークで暮らす世界的なピアニストだ。
滅多なことで私の町まで来ることなどない。
それに第一3000円と安かったのである。

行ってみて○イ△ン□クラブ主催の相当に気持ち悪いチャリティーであるとわかった。
チャリティが悪いと言うつもりはない。
ただそれを行うものに求めたい。
自画自賛はもとより、自己PRもどうか勘弁して欲しい。
それに会長の挨拶もやめといてもらえると有難い。
このクラブの会長は自分が呼んだ筈のピアニストを「中山千尋」と言った。

コンサートは三部構成だった。
まずは子供ジャズバンド小学生の部から始まった。
身体の小ささ、そして相対的に楽器の大きさが際立つ。
身の丈とたいして変わらないテナーサックスや、明らかに身体よりでかいフェンダー・ジャズベースを抱えて小学生が演奏する。
「サニー」「ウォーターメロン・マン」「A列車で行こう」など数曲を結構いい感じで演る。
スウィングガールズよりは上手い。

続いて中学生バンド。
小学生もそうだったが、圧倒的に女の子が多い。
彼女ら率直に言ってたいしたもんだった。
その辺の高校のブラスバンドなんか全然お呼びでない。
ところでこの子供バンドだが、実は先日お話しした寺久保エレナはここの出身である。


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「セプテンバー」「ナイス・ショット」などをやり、最後に山中千尋さんと一緒に一曲と、チック・コリアの「スペイン」を演奏した。
千尋さん、何を思ってか猛烈な勢いのソロで前奏を弾き倒す。
前奏と言うよりも独立した別の曲だった。
多分これを的確に表現する単語があると思うが知らない。
それを凝視する子供ら。
特に少数派たる男子ピアニストの表情がなんとも言えなかった。
見てはならないものを見、聴いてはならない音を聴いたとでもいうように。
もしかしたらこの夜、彼の人生が変わりはしなかったか。
長い長いイントロが終わり、山中千尋に促されるように、子供ジャズバンドがあの耳慣れた「スペイン」を奏で始めた。
千尋さんの強烈な一撃は、恐らくは自分の名前を間違ってアナウンスした会長や、孫の発表会に駆り出された年寄り連中への名刺代わりだったのだろう。

長尺の演奏が終わり、場内アナウンスが休憩を告げた。
これがなんと40分もの長時間だった。
ロビーに展示したクラブの活動内容を見てくれ、ということのようだった。
もちろん私は席を動かなかったが、この計算外の休憩が中座の原因となる。
そしてある程度予想された通り、休憩に席を立ったきり戻らない人たちが相当数いた。

山中千尋も40歳になった。
冒頭のジャケット写真から華奢な女の子を想像されたのなら全然違う。
彼女相当身体を鍛えていると思う。
背筋が隆起したガッチリ体形だ。
特にバイオハザードチックな前腕の筋肉が凄い。
本作は2005年のメジャー・デビュー作だ。
あれからもう10年経っている。

澤野時代に小さなライブハウスで彼女を見たことがある。
目と鼻の先でピアノを弾く千尋たん、かわいかったな。
その後彼女のピアノは体形と共に力強く変化した。
堂々たる風格すら備わってきた。
だが、澤野時代も私は忘れられない。
どちらがいいか、それは言いたいが何とも言えないところだ。

この日の彼女はあくまでもゲスト扱いで、数曲サラッと演って終わるだろうと思っていた。
その通り、澤野商会のデビュー作「Living Without Friday」や「Take Five」、そしてモンク風と御本人が言う「エリーゼのために」、それに本作から「八木節」などを演奏してステージ終了の段取りとなる。
しかしお約束のアンコール。
長すぎた休憩のせいで、この時約束の時間を10分以上過ぎていた。
こんな筈ではなかったが仕方ない。
アンコールを諦め、小走りに会場を出る。
長時間座り続けた臀部が痺れていた。


今年も3.11が来た。
あれから4年だ。
生きている人には何度でもこの日が巡ってくる。
女が好きな誕生日というやつも同様だが、あの日と今日に何の関係も実際はない。
日付が一緒というだけだ。
エリック・ドルフィーが言ったように、起きた事は過ぎ去り二度と取り戻すことが出来ない。
だが、せめて教訓だけは残さなければなるまい。
そのために3.11というアイコンは意味がある。

過ぎた年月、遠い日々、4年も10年も30年もたいして違いがないように最近では思えてきた。
歳月は人を待たないという点で。










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(276) アニタの医療過誤

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No.276 2015.3.14



<アニタの医療過誤>





アニタ・オデイは麻薬・酒・男と絵に描いたような生涯を送ったジャズ歌手だ。
本作ジャケットの表情からも、深い愁いと薄い幸が見てとれるようだ。
だがその歌声はけして暗くなかった。
ウィリアムス浩子がアニタの「バークリー・スクエアーのナイチンゲール」を聴いたことで、ジャズシンガーになろうと思ったというそのテイクが、本作に収録されている。
ちょっとハスキーだがアニタの歌は優しい。

子供の頃受けた扁桃腺手術の際、医師が間違ってノドチンコまで取ってしまい、以来ロングトーンとビブラートが出来なくなったというが本当だろうか。
扁桃腺とノドチンコの違いくらい私でも分かる。
実は私も扁桃腺がない。
40年ほど前に京都の市立病院で摘出したのだ。
これが何とも野蛮な手術で、細いワイヤーの輪を扁桃腺に巻き付けて引き千切るのだ。
麻酔こそするがそれも局部麻酔である。
千切った後は半田ゴテのようなものでヂヂヂ・・・と焼いてお終い。
術後の痛みと出血といったら大変なものだった。
10日近く入院した。
当時ガールフレンドみたいなのが三人いて、こういう時は来るなと言っても無駄だ。
病室で鉢合わせしないように、見舞いの時間を調整するのに苦労した。
それを見ていた同室のオヤジ共が、最初は親切だったのに退院まで口をきかなくなったのにはこちらも閉口した。
自慢話のようで恐縮だが、実際はいか程の事もない。
他愛ない話だ。
これも時効にしたい。

扁桃腺の手術、現在では三日程度で退院出来るらしい。
日帰りの人すらいる。
全身麻酔でレーザーメスを用い、傷痕もきれいで回復が早いのだという。
考えられないことだ。
私の時は痛みで一か月近くまともな食事ができなかった。
こういう時食べられないもの、堅い煎餅だとかアツアツのラーメンとか、そういったものが無性に喰いたい。
一か月経って何でも食べられるようになったら、案外どうでもよくなったけれど。

とにかく私が言いたいのは、その時点での最新医療というものは常に相当いい加減なものだという事だ。
後で考えたら「あんな事やってたの」ということばかりではないか。
たとえば昔の眼科では必ずジョウロのようなもので目を洗浄したでしょう。
耳鼻科も上向きのカランで鼻腔を洗った。
今そんなことしますか?
外科では手術後の傷を毎日消毒したが、科学的根拠ないばかりかかえって害になるというのでやらないそうだ。
素人にわからない専門的な事で、同様の事が山ほどあるに違いない。

つまり我々がその時受けている医療行為の多くが、何れ陳腐化するか間違いだったとされるトンチンカンな出鱈目だって事だろう。
風邪ひとつ未だに治せないのを見るまでもなく、治せない病気ばかりじゃないか。
私の知る限り「現在の医学ではどうしようもありません」というのがドラマの決まり文句だった。
水戸黄門の印籠のようなものだ。
これには異論を差し挟む余地なし。
患者サイドは臍を噛むしかない。

しかし実際はドラマの決まり文句とは限らなかったのである。
私の父親は74歳の時、ピンピンした状態で検査入院し、翌日行ったら意識不明となっていた。
何があったのだろう。
家族には見ていた訳ではないから分からない。
その病院では手に負えないからと、あれよあれよと大病院へ転院してICUに入れられ同じことを言われたが、事実その通りとなり10日ほどで亡くなった。
もちろん納得いかず訴訟も考えた。
だが素人には何をどう訴えたら良いかすら分からない。
それに仮に勝訴したところで父が生還する訳でもない。

20年以上前、前妻は急に体調が悪くなり、ある大学病院に入院した。
意識が無くなってから悪性リンパ腫だとやっとわかった。
意識のない患者に医者は抗がん剤の点滴を打ち続けた。
今から思えば「最新医療」の実験台にされ、彼女は入院一か月で帰らぬ人となった。
41歳だった。
この時も最期が近くなった時、若い主治医は私に同じことを言った。
そう言いながら死ぬまで毎日、朝晩レントゲンを撮り続けた。
きっとデータが欲しかったのだろう。
ちなみに彼女の父親も10年後、同じ病で亡くなっている。
これが私個人が間近で見た医者と現代医学の実力である。
考えてもみよ、患者にとって未来の医学なんか関係ない。
現在の医療で治せないなら死ぬだけだ。

尤も人はいつか死ぬ。
その死亡率100%である。
それでも死ぬのが怖いから人は医者にかかる。
医者は人の弱味につけ込む新興宗教と大差ないとも言え、やっている事は結局徒労に過ぎないとも言える。
それにしては医者のやつら態度がデカく、それに儲け過ぎではないか。
私の感覚では仕事というものは成功報酬でなければならない。
治せもしないばかりか、場合によっては術死させても金だけは取るってそりゃないでしょう。
そんな医者が「先生」と呼ばれて当然な顔をしているのが一番腹立たしい。
私が医者なら恥ずかしくて絶対やめてもらいたい。
それを仲間同士で先生先生言い合ってるものな、あいつらは。

笑止。










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(277) JOY SPRING

joy spring
No.277 2015.3.17



<JOY SPRING>





ブラウニーのソロはいつも美しい。
マイルスのソロが幾何学模様だとすれば、ブラウニーの場合は一幅の絵画だ。
溢れ出る美しい旋律を次から次へアドリブで紡いでいったのだとしたら、これは奇跡としか言いようのないものだ。
ヘレン・メリル盤におけるクインシー・ジョーンズのアレンジが頭にこびりついているため、ひょっとしたら他にもそんな風に録音されたものがあるのではないかとつい想像してしまう。
だがそんな話はもう、今となってはどうでも良い事なのだろう。
真相は最早誰にも分からない。
クリフォード・ブラウンの素晴らしいトランペットがこうして残され、私は気の向くままにそれを取り出して聴くことが出来る。
それだけでいい。

本作は「JOY SPRING」「JORDU」を含むB面が好きだ。
就中このオリジナル曲「JOY SPRING」が私にとってブラウニーが残した録音のベストテイクだ。
この曲を聴くと気持ちが晴れ晴れとしてくる。
やっと春の気配がしてきた。
次第に日の出が早くなり、昨日ついに気温が10度を超えた。
一気に雪解けもすすむだろう。
長かった冬が終わる。

柔らかな陽光さす縁側で「やっと春になって有難いですね」という妻に、「うん、でもまたすぐに冬だよ」と夫が言うのは夏目漱石の「門」だった。
女はかつて男の友人の妻だった。
人生何があるかわからないという事、そして一難去ってまた一難それが現実ではあるのだけれど、性懲りもなく私は春の訪れが嬉しい。











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(278) SATURDAY MORNING

saturday morning
No.278 2015.3.21



<SATURDAY MORNING>





タイトルとジャケットの乖離が激しい。
土曜の朝といっても、金曜の夜遊びから続くまだ明けきらない4時頃のジャズクラブか。
再三お伝えしたように私は英語がさっぱりなので想像に過ぎないけれど、「サタディモーニング」には遊び過ぎたり飲み過ぎたりであまりすっきりしない朝といったニュアンスがあるのかもしれない。
事実私の「サタディモーニング」はたいてい二日酔いだった。
しかしこのところ毎週朝8時半のテニスに行くようになり、そうなると勢い自制心も作動しそういう事は少なくなった。
CDが現在廃盤になっているようなので恐縮だが、ソニー・クリス作品で私は本作が一番好きだ。
インペリアル盤の「go man!」も好きだが、どちらか一枚と言われればこっちだ。
だからもちろんLPも所有する。

LPレコードの成熟期に入っていた1975年録音で、従って本作はとても音がいい。
ソニー・クリスのアルトはもちろん、あるいはバリー・ハリスのピアノの音もさることながら、特にリロイ・ビネガーのゴンゴンと鳴るベースが凄い。
なにより収録曲がすべて良く、スモーキー且つブルージーな色彩で一筆書きに描ききる。

ソニー・クリスは自殺したとされるが、諸説あり女に拳銃で撃たれたという人もある。
女をそこまで思い詰めさせる罪な男が実際いるもので、先日聞いた古い知人の元妻の話もよく刺されずに済んだなというくらいのものだった。
そもそも人妻だった彼女(仮にM子とする)は、夫と娘を捨てて男のもとへ走ったのだった。
しかし再婚後間もなく、男にはずっと以前から他に愛人がいた事が発覚したのだという。
やっと別れさせヤレヤレと思う頃、男が病気で入院した。
せっせと通う病室にある日別の女がおり、りんごの皮を剥いていた。
問い詰めればその女もまた長年の愛人であったのだ。
「私はいない方がいいの?」
そう問いかける彼女に返答しない男。
M子は病室をとび出し、今度こそ男との別れを決意したのだという。


ソニー・クリスは私にとってジャッキー・マクリーンと並ぶアルトのヒーローだ。
この二人にとってのヒーローは多分チャーリー・パーカーだった。
今パーカーを日常的に聴く人が果たしてどれだけいるだろう。
パーカーが残した音源の殆どが、時代が古いせいで音が悪すぎる。
残念だが音が悪い音楽鑑賞は苦行に過ぎない。

ジャッキー・マクリーンに比べると、ソニー・クリスはどうも不当に扱われてきた。
曰く「うるさい、軽い、下品だ」それもこれも、上手さ故の謂れ無き誹謗である。
確かにジャッキー・マクリーンのアルト、ジャズっぽいと言っていいだろう。
それに比べて、ソニー・クリスの音はどちらかと言えば溌剌としている。
あっけらかんとし過ぎ、雰囲気を壊していると言いたいのも分からなくはない。
「天童よしみブルースを歌う」的な感じか。
だが楽器がよく鳴っているという点でもテクニックという点でも、まさっているのは明らかにソニー・クリスだ。
文句を言う前にぜひ本作を聴いてほしい。
晩年のせいかソニー・クリス、吹き過ぎず終始演奏が落ち着いている。
言い辛いけれどもアルバム単位で考えた時、ジャッキー・マクリーンは本作を超える盤を持たない。


ところで病室をとび出したあとのM子は、前の夫娘それに孫との暮らしを始めたらしい。
別れた男とはその後、時々テニスをするだけの関係になったという。
しかしながら、これが彼女の最終形であると私は必ずしも思えずにいる。













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番外編 ㉟

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<番外編 ㉟>




グーグルの「chromecast」をご存じでしょうか。
わずか3センチ X 6センチ、厚さ1センチもないプラスチックの軽量部品が、大袈裟でなく私の音楽環境に革命を起こした。
テレビのHDMI端子に挿しWiFiに繋ぐだけで、YouTubeの信号をテレビに飛ばす事が出来る。
我家ではテレビの音声信号をプリアンプに接続しているので、これによりオーディオのクオリティでYouTubeの膨大な音楽データが再生可能となった。
今までノートパソコンの貧弱なスピーカーでしか聴けなかった、しかし殆ど無限にある音楽プログラムを私は手に入れたことになる。
音質的に問題外だったせいでYouTubeを無視していた。
しかしこれからは違う。
使わない手はない。
エバンス、マイルス、ロリンズ、なんでもある。
なんなら三枝の創作落語だって。
申し訳ないことにすべて無料だ。

大推薦いたします。
「chromecast」なんと実売5千円しない。










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番外編 ㊱

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<番外編 ㊱>





2006年に買ったパナソニックのプラズマテレビである。
購入店舗はヨドバシカメラだった。
5万円程度のポイントが付きますとの事でカードを渡されていた。
ところが次にその店へ行った時、ポイントとやらは既にきれいさっぱり消滅していた。
1年以上経過していたからだった。
その事について事前に告知されていた覚えはない。
家電製品はその場でズバッと現金値引きに限る。

さて今回「chromecast」を接続するにあたり、問題が生じていた。
うちのテレビにはHDMI端子が三口あり、一番にはプレーステーションを繋いでいたため二番に「chromecast」を挿したのだが映らない。
プレーステーションと挿し替えてみる。
一番なら問題ない。
しかし三番もダメだ。
実は二番三番は購入以来一度も使用していない。
とはいえ単純な端子と配線の筈だから10年やそこらで腐る訳がない。
オーディオマニアとしてはこんなバカな話はなかった。

そうは言っても映らないものは映らないので、パナソニックのカスタマーセンターに問い合わせた。
この手の相談窓口はどこもそうなのだけれど、非常に質が低い。
色々聞くと「それではこちらにおかけください」とたらい回しにされる。
どいつもこいつもバイトのにーちゃん、ねーちゃん風であり、訳のわかった技術者という感じが一切しない。
コストの問題だから仕方ないとは思うが、これらのオペレーションセンターはまず間違いなく外注だろう。
オーディオ関係の、例えばハーマンとかアキュフェーズに電話した場合、絶対こんな事にはならない。

埒が明かないので、それでは技術者を派遣してください、という事になった。
「出張修理のご依頼ですね。それではこの番号におかけ直しください・・・○○がお受けいたしました・・・」
私が話していた相手は人間だったのかと本気で考え込んだ。

後日「技術者」がやって来た。
症状を確認し彼は言った。
「ちょっと電話してきます」
車に戻りどこかと連絡をとったらしい「技術者」が言うには、マイコンの基盤が悪いので交換になりますとの事である。
ちょうどそのパーツを持参しているので、今すぐ修理可能だが部品代だけで四万弱かかるそうだ。
私は言った。
「症状から想像するに、そのような大袈裟なパーツ交換ではなくて、何か簡単な設定のような気がするんですけどね・・・パーツですか、それでホントに直りますか?」
素人が何を言う、的な一瞥と共に、HDMI端子にそのような設定は何もない、パーツ交換で解決できる筈であると彼は言う。
それ以上私が口を出しても仕方ない。
9年落ちのプラズマテレビを4万出して修理するのが果たしてどうなのかとは思ったが、結局パーツ交換してもらう事にした。
さていよいよ修理なのだが、壁際に設置した状態ではどうにもならない。
台からおろして裏蓋を外す必要があった。
技術者は一人である。
仕方がないので手をかした。
二人で台からおろす。
なんとクソ重たいことか。
長年のオーディオマニアの勘ではこやつ、50キロはあった。

裏蓋が外され、どうにも心もとない手つきでパーツ交換が行われるのを私は見守っていた。
それでどうだったかって?
見事に何も変わらなかったんだよ。
しばし長考に入る「技術者」氏。
「テレビをリセットしていいですか?」
なに?リセット?なんだそれ、聞いてないぞ。

リモコンで何やら操作がなされ、要するにテレビは出荷状態に初期化されたようだ。
バカバカしい話だが、これで直った。
もちろんこれなら私にも出来たのである。
レビンソンのCDプレーヤーを初期化する方法はユーザーに開示されており、実際私もやった事があるけれど、その手順はずっと複雑だ。
交換した4万のパーツが元に戻され、ふたたびクソ重たい本体を二人で台に戻した。
そして5千なにがしの出張料と技術料を悪びれる様子なく受け取り、パナソニックの「技術者(恐らく外注)」氏は帰っていった。

この話をもしも松下幸之助さんが聞いたら怒らないかい?
それとも案外、直ったんやろ?それでええやないか、と言うだろうか。











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(279) Phoebe Snow

phebe snow
No.279 2015.3.29



<Phoebe Snow>




子供たちにとって産みの母、つまり亡くなった最初の妻が屡々夢に現れるようになった。
それがどんな意味合いなのか、我心中分析してみるつもりも今更ない。
彼女とのことは彼方の、眩しい光の輪のなかで微かに霞んで見える。
多分多くの重要なことを私は忘れてしまった。
忘れたいことも少なくなかった。
そうしたものを恐らく人は誰も、記憶の深層に鍵をかけ意図的に封印しようとする。
だが忘れたつもりで安心していても、ある年齢になるとタガが緩んでそれが夢に出てくるのかもしれない。
大抵かなりデフォルメされたかたちで。

しかしたとえそうではあっても、鮮明に覚えていることだってたくさんある。
音楽もその一つだ。
どんな曲が好きなのか、そういった会話が普通どこかで交わされるものだろう。
彼女は「イアンとシルビア」が好きだと言った。
「ジュンとネネ」や「ヒデとロザンナ」なら聞いたことがあった。
でも私は「イアンとシルビア」を知らなかった。
それから暫く「イアンとシルビア」のレコードを私は探したが、見つけることが出来なかった。
今と違い何でもパソコンで探し出せる時代ではなかった。

それから何年かして、彼女は本作を買った。
自分自身で買った数少ないレコードの一枚だ。
サム・クック作のブルース「Good Time」や、多くのフォークシンガーが歌った「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」が収録されている。
全ての曲がとても趣味がいい。
中でもフィービーのオリジナル曲「Poetryman」は75年に全米一位になった。

独特な歌声のフィービー・スノウはギターの名手でもあった。
テディ・ウィルソン(p)ズート・シムズ(ts)チャック・イスラエル(b)らジャズメンが参加し、ディブ・メイスンがエレキ・ギターを弾いている。
非常に質の高い作品だ。
録音もすこぶる良い。
特にフィービーのギターサウンドに魅せられる。

彼女がどうして本作を買ったか、私は聞きそびれた。
だからもうそれを知ることはない。
ただ、このように良く出来たボーカル盤を自ら買ったという事は、それなりに音楽的審美眼を備えていたという事だろう。
音楽好きでもあった筈だ。
しかし彼女はあまり多くの作品を買おうとしなかった。
私達はまだ若くそれ故貧乏で、夫が買い込むレコード代がきっと精一杯だったのだろう。
そしていくらか経済的な余裕が出来た頃、彼女は育児に忙しくもう音楽どころではなくなっていたのかもしれない。
もっとレコードをたくさん残してくれたら良かったなと思う。
人生はいつもちぐはぐで、一番必要な時に必要なものに必ずしも手が届かない。
それが少し残念だ。

先日「イアンとシルビア」の事を私は突然思い出し、アマゾンでCDを注文した。
もう間もなく届くだろう。
随分遅くなってしまったけれど。


フィービー・スノウは2011年4月に脳溢血のため亡くなっている。
60歳の春だった。











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