スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(251) 謹賀新年

last date
No.251 2015.1.1



<謹賀新年>




こちらは穏やかな正月です。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

もう30年も前に年賀状というものを個人的に廃止してしまい、それでも仕事関係であるとか、こちらが顧客となっている先からちらほらと来る。
きっと2、30枚は来るのだろう。
妻の父親が昨年亡くなり、その妻が喪中はがきを出した。
彼女の夫はとてもきちっとした人で、整理された賀状の先が三百を超えていたという。
その数の喪中はがきを用意するのも大変ではあるが、それよりもいよいよ夫の不在を改めて知らされたのではないだろうか。
そういう時が一番身に染みて寂しいものだというから。

今年も僅かに届く賀状に対して、やはり私は返信もしないので、あらたまっての正月らしい所作などほとんどない。
昨年末から子供達や母親などが家に来てずっと宴会続きであり、なんだか頭が朦朧としすっきりしない中、一応襟を正し本作を聴く。
冒頭のセロニアス・モンク作「EPISTROPHY」が好きだ。
モンクのピアノについては、やはりどうもな。
わざわざ聴こうという気にならない。
だがモンクはいい曲をたくさん書いた。
最も有名なのは「ラウンド・ミッドナイト」だろうが、「EPISTROPHY」だってかなりのものだ。
モンクは「バップの高僧」などと言われ畏敬の念をもって扱われがちだ。
そのニュアンス分からないでもないが、どうも全面的には賛同しかねる。
そんな事もあって、私のハンドルネームが「BARON DE BOP」となった経緯がある。
BARONとは男爵だが、私の地方では男爵イモというジャガイモが生産されており、そこから「バップのイモ、バップの田舎者」的発想であったように思う。
まあ、はっきり言っていい加減な話に過ぎない。

本作はエリック・ドルフィーが急死する僅か四週前の録音であり、公式には遺作ということになる。
そうした面もさることながら、アルバムラストに残されたドルフィーの肉声でも有名だ。
曰く、
「When You Hear Music. After It's Over,It's Gone In the Air,You Can Never Capture It Again. 」
音楽は終わると空中に消えてしまう。
もう二度と取り戻すことはできない。


今年も続く JAZZ JOURNEY 。










スポンサーサイト

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(252) 坂道のアポロン

brilliant corners
No.252 2015.1.3



<坂道のアポロン>




1956年リバーサイドに残されたセロニアス・モンクの代表作、ブリリアント・コーナーズである。
プレステッジで不遇をかこつモンクを身請けしたオリン・キープニューズは、コンテンポラリーシリーズに十数枚の録音の機会をモンクに与えた。
中でも本作は最も有名であり、最も内容の濃い一枚である。
力強く、そして不思議なジャケットだ。
デザイナーはポール・ベーコンだった。
パソコンなどというものがなかった時代、これは相当苦労したのではないか。
そんな事を言うのはたやすい。
いったいどのようにしてこれを作るのか。
私などの埒の外だこれは。

「I Surrender,Dear」を除く四曲がモンクのオリジナルだ。
素晴らしい楽曲が並ぶ。
アーニー・ヘンリー(sa)ソニー・ロリンズ(ts)オスカー・ペチフォード(b)ポール・チェンバース(b)クラーク・テリー(tp)マックス・ローチ(ds)と、面子も凄い。
モンクのピアノについては前回お話ししたのが率直な気持ちであるが、音楽家モンクをそれだけの扱いで私は終わりに出来ない。
と言うよりも正直なところ、終わりにしてはいけないのではないか、という何か良くわからないある種の義務感のようなものが、私をして時々本作をターンテーブルに載せさせる。
そしてやはり毎回思うのだ。
どうしてもっと普通に弾かなかったのかと。

やろうと思えばできたのだ。
ブルーノート5000番台に初期の音源が残っており、そちらでの彼は多少後年の片鱗を見せはするものの、もう少し普通にピアノを弾いている。
モンクは売れなかった。
後輩のウィントン・ケリーや弟子のバド・パウエルが注目される一方で、モンクが脚光を浴びることはなかった。
そしてモンクのピアノはこのスタイルに改造されたのだ。
私はこれを改悪だと思っている。
痛ましいことだ。
新しいことをやるのは構わない。
どれほど斬新であろうとも、その音楽が美しければ称賛をもって迎えよう。
私にとって音楽は、兎にも角にも美しくなければならない。
しかしどんな別嬪にだっていつか飽きるし逆に、ブスも三日たてば慣れるというから私は、モンクのピアノにも慣れる日が来るのかもしれないと思った。
だが不協和音は何度聴いても不協和音だった。
モンクはやはり作曲の人だ。
それでいい、それだけで十分に素晴らしい。

今朝娘が帰った。
彼女の住む町まで、ここから車で2時間ほどの距離だ。
二度目となる転勤までまだ一年以上あり、それは私が内心勝手に予想しているだけの事で、実際にどうなるかなんて分からない。
そればかりか、家から5時間かかる場所への転勤もある。
娘からの「無事着いたコール」を聞いたあと、私たちは2年越しとなる「番外編 ⑯ バイオハザード・リベレーションズ」にやっと決着をつける事が出来た。
実際の作業を行ったのは息子だった。
私と娘はただ金を稼ぎ、武器のレベルを上げただけだ。
とてつもなく大変だったけれど。

それから私たちは、息子の推薦するDVDを観た。
「坂道のアポロン」という、フジテレビがいつの間にか放映したアニメだ。
九州の田舎に転校した主人公がジャズに目覚めていく話だ(今のところ)。
毎回有名なジャズの曲名がタイトルとなっていく。
これが大変面白い。
こんな風にして私たちの正月が終わり、少しずつ普段の生活へ戻っていくらしい。
明日には息子も帰るという。
私は8日ぶりのテニスだ。


















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(253) やられた

alex riel
No.253 2015.1.5



<やられた>




2010年9月12日デンマークのライブハウス、モンマルトルでのライブ録音だ。
ジャッキー・マクリーンとデクスター・ゴードンのスティプルチェイス盤「ザ・ミーティング」や、No.205のサヒブ・シハブ盤でドラムを叩いたのが、本作リーダーのアレックス・リールだった。
どんな楽器でもスポーツでも、その他なんでもそうだが、歳を取れば怪しくなる。
そしてこれには常に個人差があり、歳とともに劣化するだけの人もいれば、人間国宝となる人さえいる。
アレックス・リールは外人だから、人間国宝は無理かもしれない。
本作二曲目「身も心も」にハッピー・バースディが挿入される。
こうした場合の多くは、誰か関係者の誕生祝いであるのが普通だ。
そう、この日はアレックス・リールの70回目の誕生日であった。
古希だ。
それでこのドラムか。
恐れ入った。
全ての生物がDNAに既定されるというのは本当だ。

前回お話しした「坂道のアポロン」でドラムを叩く千太郎も、そしてピアノのボンもそうした意味では同じだった。
まったくもって、極めてベタな物語である。
だがだが、私はこのアニメを全力プッシュしたい。
第3話くらいまではどうという事もなかった。
だが、その後、これはラピュタあるいはエバンゲリオンに並ぶアニメではないかと思い始めた。
そして第9話「Love Me or Leave Me」で完全に、私はまんまとしてやられた。
本当にベタでベタで、でもそれ故面白い。
アニメを観てこんなに感動した事はない。
私は作者の意図した通りに操作され誘導されたのだ。
その事に何のウラミもない。
私の感動なんて昔からえらく安直だからだ。
それが偏差値に関係があるとしても、安んじて受け入れる心算だ。
ずっとこういうのが好きだった。
直球の感動が好きだった。

佐世保を舞台としている。
もしも九州にお住まいでこれをまだ観ていない方がおられるなら、最初つまらないとお思いでもどうか、一度我慢して最後までご覧頂ければと思う。
もちろん北海道にお住いのあなたも。

万一既に観ておられ、つまらなくて話にならなかったという方は武士の情、スルーでお願いします。











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(254) 藍調のピアニスト

LEAPINLOPIN.jpg
No.254 2015.1.8



<藍調のピアニスト>




タイトルからなんとなく、筒子の両面待ちを連想する人がいるかもしれない。
1961年11月に録音された本作、ブルーノート4091番「リーピン&ローピン」がソニー・クラーク最後のリーダー盤となった。
それから約一年後、1963年1月13日にソニー・クラークは亡くなっている。
本作はトミー・タレンタイン(tp)チャーリー・ラウズ(ts)をフロントに据えた二管バップで、A面二曲目のバラード「ディープ・イン・ア・ドリーム」のみアイク・ケベック(ts)のワンホーンとなっており、そこに価値があるという向きもあるが、私にとってそれはどうでもいいことだ。
私にとっての本作は、B面の「ヴードゥー」を聴く盤なのだ。

彼の曲はどれもいい。
そのピアノ同様いつも哀愁を帯びたもので、日本人の琴線に触れるようにできている。
「ブルーノート」というレーベル名は、ソニー・クラークのためにあったと思えるほどだ。
だが、ヤンキーどもが好む「オラオラオラ~!」的な音楽と程遠く、その事と物静かで控えめな性格故にアメリカではまったく売れなかった。
アルフレッド・ライオンは「クール・ストラッティン」の注文が日本からどんどん来ることを訝ったという。
本国では初回プレスの500枚を捌くことすら容易でなかったからだ。
余談になるが当時ブルーノートは他所でのプレスを許しておらず、従って日本盤というものはまだ存在しなかった。
だからと言って本国盤が常に完璧かといえばあの国の工業製品だ、そんな事がある筈がない。
後日、ジャケット写真が手違いで反転した「クール・ストラッティン」がアメリカで再発されている。
ソニー・クラークのアメリカでの扱いはこの程度だった。

彼はアルフレッド・ライオンと日本のジャズファンに愛された。
日本専用のピアニストと言ってもいいくらいだったが、一度も来日する事のないまま他界した。
享年31歳、ヤクのやり過ぎだったと言われている。
実はその三日後にアイク・ケベックも亡くなっている。

アイク・ケベックはテナーマンとしてはどちらかと言えば冷遇された方だ。
確かに本作を聴いてわかる通り、味があるのに派手さはない。
そうした点で両者は似ている。
だが、「ブルーノート」を象徴するピアニストがソニー・クラークであったように、スカウトマンとしてこのマイナーレーベルを支えたのがアイク・ケベックだった。
彼もまた、ブルーノートにとってかけがえのない存在だったのだ。
その二人がほぼ同時に亡くなってしまう。
ブルーノートオーナーの心痛如何ばかりであったか。

おクラになったものを含め、アルフレッド・ライオンは売れないソニー・クラークを録り続け、サイドメンに起用し続けた。
だから今、我々はソニー・クラークを聴くことができる。
私はそのことを彼に感謝したい。

3年後アルフレッド・ライオンは、ブルーノートをリバティレコードに売却している。
武田信玄は末期の床で「我が死を三年秘匿せよ」といい、ステージに立つちあきなおみに黒い縁取りの知らせが届いたのも、止める男を振り切り汽車に飛び乗って三年後だった。
大切な人との別れから三年で、人は再び岐路に立つ。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(255) 色彩のブルース

色彩のブルース
No.255 2015.1.10



<色彩のブルース>





昨日の夢 オレンジ色の翳り
今日の夢 沈黙の気配示す
アルコールの川をゆっくり渡る
長ぐつのリズム 心で酔いましょう

鉛の指から流れるメロディー
激しく染める光の渦
あかりの色が奏でるブルース
やさしく泣いてる吐息に 甘えさせて

目に浮かぶ 裏通りの風景画
ひしめきあうしゃがれた声の洪水
モノクロームの中に封じ込めた姿を
遠い約束 リズムでかわしましょう

吐きだす言葉に 熱いメロディー
切なくよみがえる デジャブの香り
心を溶かす 色彩のブルース
甘くささやいた吐息が 眠るまで






EGO-WRAPPIN'(エゴラッピン)、そして中納良恵さんが音楽業界でどういったポジションにあり、どれくらい人気があるものか実は知らない。
本作についても同様だが、まったく無名という事はおそらくあるまい。
賢明な日本の音楽ファンがこれを見逃す筈がないからだ。
だがamazonで検索すると、ミニアルバムの本作に数千円の値札が付いているから、現在廃盤となっている可能性が高いようだ。
そうしたものを聴いてと言うのもなんだか憚られるけれど、万一聴き逃しておられるならこれは絶対聴かずにはおけない作品だと思う。
クレジットされるのは4曲だが、「老いぼれ犬のセレナーデ」が隠しトラックとなった全5曲。
全て自作である。
中納良恵さんがどれくらい関わっているのか不明であるものの、少なくとも作詞は彼女の仕事だ。
「色彩のブルース」の歌詞を掲載した。
YouTube等で聴いた場合、何を言っているのか分からないかもしれないから。

中納良恵さんにスタンダードのアルバムを一枚出して欲しいと、以前ここで話したことがある。
それは故なきことではなく、ゴンチチの「Standards」の最後に彼女が歌った「テネシーワルツ」が収録されていて実に素晴らしく、全編これでお願いしたいと思ったからだ。
だがそんな思いが伝わる筈もなく、その後「中納良恵スタンダードを歌う」が出た気配はないけれど、あるいは私が知らないだけかもしれない。
もしも既にリリース済みで、それをご存じの方がおられたら是非教えてください。








続きを読む

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(256) リカード ボサノバ

dippin.jpg
No.256 2015.1.13



<リカード ボサノバ>




本作もジャズ喫茶の人気盤だった。
ハンク・モブレイ最大のヒット、「ディッピン」というより「リカード・ボサノバ」である。
ジャズ喫茶で受けるのは、とにかく分かり易い曲だ。
小難しい曲が続く店内で、いつも皆我慢していたのだろう。
そんな時突如流れる「リカード・ボサノバ」に救われたのだ。
心のオアシスである。
ジャズファンとは何とも気の毒というか、やせ我慢好きというか、M気質というか、おかしな人たちだと思いませんか。
だったら家でずっと心のオアシスに安住していたらどうだ、と言うのも普通当然だと思う。
とはいえ、全部が「リカード・ボサノバ」ではダメなんだな。

昔ゼミの教授に宴席で聞いたことがある。
学術論文というのは何故分かり易い日本語で書かれないのかと。
なかには捏ねまわし過ぎて、日本語としておかしいのではないかと思われる文章になっている場合もある。
もっとシンプルでストレートではいけないのか。
それではだめだというのである。
特に我々が係わる社会科学の分野で、シンプル過ぎたりストレート過ぎたりだとアホみたいになりかねない。
だから有り難く見えるように、威厳を示すために、ワザと持って回った言い方をするのだと、だいぶ酒がまわった教授は述べたものだった。

ジャズもこれと同じだ、とは言わないが、まったく違う訳でもない。
難解を我慢して聴いて理解しているフリをし、「リカード・ボサノバ」で救済されることに意味はあるのか。
意味があるかどうかはちょっと分からない。
でも、我慢の後の解放に一定の快感があるのは事実だ。
サウナで20分我慢した後のビールが旨い、だからサウナはやめられないのと似ているかもしれない。













テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(257) Flight To Jordan

flight to jordan
No.257 2015.1.15



<Flight To Jordan>




1月15日といえば、昔はこの日が成人の日に決まっていて、各自治体が成人式を執り行っていた。
生を受けた故郷の町と、その後住民票を移した京都市から二度お誘いがあったが、私は両方とも行かなかった。
昔からへそ曲がりだったせいだが、行かなくて良かった。
この国の儀式、就中冠婚葬祭にはどうも気に入らないものが多過ぎる。
結婚式なんか最大級のばかばかしさだ。
結婚したければするが良いので、あまり関係ない者に迷惑をかけるものではない。
聞かれたら実は結婚したんですよ、と報告すればそれで沢山ではないか。

昔知人男性の披露宴に参席した折り、最後に本人が挨拶したまでは良いが、「僕たち幸せになります」と言ってハラハラと泣くのである。
あのカップルはその後どうしただろう。
なんとなく想像がつく。
新婦が醒めた目で男を見ていたからだ。

だいたい我々の世代は性というものを恥かしく、後ろ暗いものであるかのように刷り込まれて育ったものだ。
だからこっそりやっていたのでしょう。
それを今夜からバンバンやりますよと、皆を集めて発表するのである。
これほどこっ恥ずかしいセレモニーがまたとあるだろうか。

更に○○家と××家の結婚式というのが笑わせる。
どいつもこいつも得体の知れない馬の骨ではないか。
特に当地など、せいぜい100年ほど前、「内地」で食い詰め落ち延びて来た連中の三世、四世である。
家も家柄もへったくれもあったものではないのだ。
よしんばあるのだとしても、今時家と家がどうのこうのという時代ではとっくになくなっておる。
相手方の親戚と顔合わせをしたところで、そのほとんどともう二度と会うこともない。
あるとしたら葬式くらいのものである。

それでもどうしてもやると言うのなら、離婚する時にも皆を集め、あの時はせっかく来てもらいお祝いまで頂きましたが斯く斯くの事情にて別れる事になりました、すみませんと、けじめを付けねばならないところだ。
葬式についても言いたいがもうやめた。


ブルーノート4046番は、デューク・ジョーダンがブルーノートに残した唯一のリーダー盤だ。
ジョードゥーやスコッチブルースと並ぶデューク・ジョーダンの名曲、「フライト・トゥ・ジョーダン」がタイトル曲である。
彼のピアノは同時代の黒人ピアニスト達と少し違う。
メロディが静寂でどこかもの悲しく、そして何より精緻だ。
アメリカで食うに困り渡欧し、デンマークのスティプルチェイスに吹き込んだ演奏を聴くと、水を得た魚と言おうか北欧が似合っていた。

アメリカではろくな目に合わなかった。
No.33 フライト トゥ デンマークでも有名な「危険な関係のブルース(No Problem)」は、映画のためにデューク・ジョーダンが書いた曲だった。
しかし、何故か映画には別人の名前でクレジットされ、印税なんかまったく入ってこなかったのだという。
本作B面ラストの「Si-Joya」とは、実は「危険な関係のブルース」である。

「フライト・トゥ・ジョーダン」は本作以前にも、1955年のシグナル原盤B面に残されている。
こちらも本作と同じ二管フロントによるクインテットなのだが、バリトンサックスとトロンボーンの組み合わせ故か、本作と比べるとやや弛緩して聞こえる。
本作のスタンリー・タレンタイン(ts)とデイジー・リース(tp)の方がずっといい。
デイジー・リースは前年イギリスから来たばかりだった。
スタンリー・タレンタインもそうだと思うが、デューク・ジョーダンがセットしたものではないだろう。
アルフレッド・ライオンの慧眼だと思う。
なんていい曲、そしていい演奏だ。





jordan3.jpg











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(258) BLUE'S MOODS

blues moods
No.258 2015.1.17



<BLUE'S MOODS>




ブルー・ミッチェルといえば本作「BLUE'S MOODS」であり、A面冒頭の「I'll Close My Eyes」に尽きる。
ハード・バップ期にトランペットのワンホーンが案外少ないのは、何よりもぶ厚いアンサンブルのテーマを重視したからだ。
そこを押してワンホーンで演らせたトランペッターに共通するのが、やはり音の美しさだろう。
ブッカー・リトル(タイム盤)、ケニー・ドーハム(Quiet Kenny)、リー・モーガン(Candy)、皆美しい音色を持っていた。
ブルー・ミッチェルもそうだ。
オリン・キープニューズがどうしてもワンホーンで録りたかった、この燦爛たる響きを聴いて欲しい。
音楽にとって「音」がどれほど大切か、改めて納得してしまうだろう。

本作のもう一つの美点はジャケットのかっこよさだ。
演出ではあるまい。
ブルー・ミッチェルがたまたま煙草を左手の中指と、薬指に挟んだままプレーした瞬間を切り取ったものだ。
ついでにラッパの先から煙が噴き出ていたら?
完璧だがギャグっぽくなるかもしれない。
この写真はアングルも素晴らしいと思う。
正面から見たブルー・ミッチェルってどうも、こんなに男前ではなく天狗猿のような顔だったから。


学生時代の仲間とスキーに行くため、娘が帰って来た。
早朝ゲレンデまで1時間かけて娘を送る(迎えにも行ったが)父さんを笑わないで頂きたい。
昔は私も随分スキーにのめり込んだものだった。
2mの板を何本もかついで長野の白馬なんかへ行った。
久々にスキー場という所へ行ったら、今やスノーボーダーの方が多いのであった。
昔はそんな者は一人もいなかったのである。
スキーの板も変わった。
カービングスキーというモノに代わり、最早2mどころか身長よりも短いのである。
はっきり言ってかっこ悪いと思った。

帰宅後娘がリフト・ゴンドラの券を見せてくれた。
5時間券に「スーさん」と商品名をつけている。
「スーさん」というユルキャラが国際スキー場にいるらしい。
数人の方だけに分かる楽屋落ちな話なのだが、どうしてもお伝えしたかった。



スーさん









続きを読む

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(259) YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO

アンドレking size
No.259 2015.1.19



<YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO>




ロンドン交響楽団の指揮者アンドレ・プレヴィンがジャズピアニストだった頃コンテンポラリーに残したのが、本作「KING SIZE !」だ。
No.197でお話ししたイラスト動物シリーズの一枚である。
実はこのうち「ペンギン」「ワニ」そして本作「ライオン」のジャケットを額に入れ、この数か月我家の一角に飾っていた。
そろそろ入れ替えようかとも思うのだが、気に入っているのと面倒なのとでそのままになっている。

本作の録音は1958年だ。
しかしとても信じられない。
音が瑞々しくしかも力強い。
オーディオ的にはジャズ史上屈指の名録音だと思う。
レッド・ミッチェルのベースもゴツいけれど、更にプレヴィンのピアノの音が凄い。
ピアノは比較的生音を聴く機会の多い楽器だが、実際にはこんなに凄い音を客席で聴く事はできない。
もしかしたらピアニストが演奏中に聴いているピアノの音はこういったものなのかもしれないが、残念ながら私には分からない。

A面ラスト、コール・ポーター作の「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」を改めて聴く。
これもジャズ史上名演の多い曲だ。
アルト・サックスがアート・ペッパー、ボーカルがヘレン・メリル、ギター&ベースがポール・チェンバースのBLUE NOTE 1569だとすれば、ピアノトリオの決定版が本作である。
プレヴィンがジャズに残した最高のトラックと言っていいだろう。

彼は数年後にはジャズを離れはじめ、その後完全に足を洗った。
いったいアンドレ・プレヴィンという人は、ジャズとクラシックのどちらが好きなのか。
聞いたことがないので分からないが、多分後者なんだろう。
クラシックからジャズに来たピアニストは無数にいる。
彼ら、彼女らは二度とクラシックに帰らなかった。
その逆というプレヴィンのケースは、とても珍しいと思われる。
でも少なくとも本作において、そんな彼の本性がけしてマイナスに作用していない。
音楽とは本当に面白いものだ。


本日、大阪の某番組に「委員会メンバー」としてレギュラー出演しているタレントの講演会があった。
その男は元皇族の末裔とかで、歯茎の目立つなにか下品な風貌が私は嫌いだった。
だがテニスの選手にもある事なので、そんなもので人を評価してはなるまいと自分に言い聞かせてきた。

確かに関係ないと思った。
私の席は会場はるか後方であり、元皇族末裔の顔などほとんど霞んで見えなかったからだ。
そのタレントは2時間喋りまくり、そのすべてを「うけ」狙いに終始した。
日本人の美徳について語るのだが、この男が口にした途端それが薄汚れたものに思え私は目を背けた。
そもそも日本人善人説を私は信じていない。
あたり前のことだが、そういう人がいる一方そうでない人もいるというだけだ。
この点では中国人も韓国人もアメリカ人も同じことだろう。
全員が不道徳である筈がないし、お行儀がいい筈もない。
ただ、日本人というのは比較的自己主張を、特に公共の場や非常時において控える傾向はある。
だからある局面で道徳的に見える事があるというだけだ。

礼文島などの離島に住む人たちは、彼に言わせればそこに住んでいるだけで国益に資するのであり、今後も継続することが肝要なんだと、まったくの俯瞰目線である。
人が住まないから尖閣が狙われ竹島が占拠された、その点に異論はない。
しかしだったら口だけでなく、離島居住が国益に叶うと言うお前がまず小笠原あたりに住んだらどうだ、そう思ったのはきっと私だけではないだろう。

話が長く、終わりそうで終わらない。
仕舞には自分の本のPRを延々と始めた辺りで、お客が帰りだした。
こういう時、私は同調できないのだ。
最後に拍手するのが人の道、みたいな固定観念からさっさと脱出できたらいいのに。
おかげでイヤな汗を脇の下にかき、季節柄帰り道がやけに寒々としてきた。





額縁










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(260) 白青つける

vol3.jpg
No.260 2015.1.22



<白青つける>




本作タイトルをもしも日本語で書いてあればどうだろう。
バカみたいで買う気も失せる。
ジャズのレコードにはこうした自画自賛というか臆面もないというか、日本人なら絶対つけないタイトルのものが少なくない。
アメリカ人て・・・

がしかし、デザインで挽回してしまう本作。
Vol.3とあるように、1も2もあり1が最も有名であろう。
でも私は3が一番好きだ。
それはジャケットもあるけれど、演奏がリラックスしていて聴きやすいからだ。
「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」の存在も大きい。
でもやはりジャケットだ。
正直に言わないといけない。
同じ面子のVol.1の方が一般に名演とされるが、私はジャケットが嫌いであまり聴く気にならない。
まあそんなもんだ。
レコードのジャケットは演奏内容と同じくらい大切ってこと。
だからジャケットが付いてないダウンロードとかいう愚かモノは論外なんである。

「ワニのジャケット」実は二種類ある。
背景が白と明るい青とで、手元の盤は輸入盤OJCの白だ。
OJCとは「Original Jazz Classics」の略で、コンテンポラリー、リバーサイド、プレステッジ等々を「モノポリー」の如く傘下に収めた米ファンタジーから出た廉価盤である。
話はそれるがこれが意外と音が良くあなどれない。
レーベルを傘下に収めるという事は、オリジナルマスターテープを手に入れるという事だ。
ファンタジーは更にそれを現代的にリマスターして製品化した。
だから音が非常にフレッシュだ。
もしかするとオリジナル盤よりも音が良い可能性すらあるが、オリジナルを聴いたことがないので分からない。

ちなみに全ての日本盤はおそらく、オリジナルマスターテープからプレスされていない。
本作であれば、コンテンポラリーの倉庫に厳重保管されていた門外不出のオリジナルテープ(これは重要文化財のようなものだ)からおこされたコピーが送られてきて、それをもとにプレスされたのが日本盤ということになる。
だから当然、日本盤よりもOJCはスジが良い。
昔カセットテープなどをコピーした経験をお持ちの諸兄にはご理解頂ける筈だ。

ただこのOJC、そもそも設定価格が安く(日本では1000円強だった)、従って当然安く作られたと思われ全てが雑だ。
ジャケットも盤もペラペラであるし、プレスもひどく雑。
時々「ニキビ」や反りや、ひどいのは新品なのに傷が入っているモノすらあった。
まるでいいとこなしだが、しかしそうでもない。
基本的にはその素性ゆえ、くどいようだが音が良いので、運よく「無事」なヤツを引き当てると「やった!」感があった。
そんなOJCのレコードを随分買った。
昨日のことのように思える。
でも実際は既に20年以上前の話だと、書いている途中で気付き驚く。
そして、もしやと思い調べてみたら以前にも同じ事を書いており更に驚いた。

話を戻そう。
本作には青盤と白盤があり、オリジナル盤がどちらだったか、見たこともない私は知らない。
しかしCD化されたものが殆ど青地なので、オリジナルは青盤だった可能性もある。
だが私の美的センスでいうと(そこのあなた、なぜ笑う)これはもう絶対白地だ。
緑のワニの背景が青って、それはないだろう。
目がチカチカするではないか。
日の丸を見よ。
白地に赤く日の丸染めているから、あ~美しいのであって、もしも青地だったらどうでしょう。
中近東か、どこかアフリカあたりの国旗になってしまう。
ご飯だって白いから美味しく頂けるが、万一青かったら?
雪もそうだ。
白いからまだ許せる。
もし青い雪に閉ざされたなら、この冬がさらに確実に鬱陶しいものとなる。

こじつけです。
空も海も青い方がいいに決まっておる。
この地球は青いからこそ美しい。
全部白くなったら氷河期だ。
アメリカ生まれのセルロイド人形の瞳は青くなければ歌にならない。
白かったら怖いよ。
ですが、ハンプトン・ホーズの「ワニ」だけは、絶対白盤でなければ私はイヤ。









ワニ青










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(261) SISTER CHERYL

foreign intrigue
No.261 2015.1.25



<SISTER CHERYL>




本作はトニー・ウィリアムスが書いた名曲満載のお買い得盤だ。
就中「SISTER CHERYL」はジャズ史に残る美しいメロディであり、一度聴いたら一生忘れない曲である。
トニー・ウィリアムスは60年代のマイルスバンドを決定付けたドラマーだと言って良い。
特にその疾走感というかスピード感は、他の誰にもマネの出来ないものだった。
特にそのハイハットに特徴があるという一般的な見解よりも、私が一番にイメージするのが彼のバスドラだ。
70年代のイースト・ウィンド盤グレート・ジャズ・トリオの「Moose The Mooche」で、一関ベイシーのJBLウーハーを壊しかけたエピーソードに戦慄した。

本作は1985年の録音だが、「SISTER CHERYL」の初演ではない。
初演は81年に東京で録音された、ウィントン・マルサリス(tp)のセッションにポンと提供された。
気前がいいのである。
実はこの時、トニー・ウィリアムスと本作のベーシストロン・カーターも参加していたのであった。
であるから、大きな違いはトランペッター(本作ウォレス・ルーニー)とピアニスト(本作のマルグリュー・ミラー対ハービー・ハンコック)であり、本作参加のボビハチ(vib)効果ということだ。
是非聴き比べて欲しい。

これで終わろうと思った。
明らかにテンション低調だ。
冬季鬱の予感。

主な原因が二つある。
一つは除雪。
私の町では近年マンションンの売れ行きがいい。
一軒家はなかなか売れない。
そうだろうな、わかる気がする。
高齢者が雪崩を打って、一軒家を売りマンションに引っ越すのが今の流れだ。
マンションは除雪が不要というばかりではない。
冬の光熱費が四分の一、五分の一になる。
私の母は地下鉄駅や百貨店が目と鼻の先にあるマンションの9階に暮らす。
雪なんか少々降っても彼女に何の影響もない。
我家のとんでもない電気代の話を先日したが、母のところでは月に数千円らしい。
息子の十分の一以下である。
マンションはとにかく燃費がいいのだ。

長年の知人がエレベーター付豪邸を売りマンションに移るかもしれないという。
大ジャズマニア、オーディオマニアである。
でもマンションで大音量の音楽はダメだろう。
だから私は難聴にでもなって音楽が聴こえなくならない限り、あるいは認知症でレコードのかけ方がわからなくならない限り、マンション暮らしはしない予定だ。
その代償が除雪作業。
業者も頼んでいるが、どうしても基本は家主だ。
しんどい。
あと10年もたない。

もう一つは雪道運転の難儀と渋滞だ。
夏の片側三車線が二車線弱となり、さらに駐車する不届き者がいるせいで一車線となる。
どういうつもりか知らないが、道路に雪を出す不埒者のせいですり鉢状になり、すれ違う車同士が道路中心方向へ滑っていつ接触するかわからない。
公設ロードヒーティングに面した者は、それを無料融雪装置と考えているようで、どんどん道路に雪を出す。
醜い。
先日も言った事だけれど、日本人が道徳心旺盛だなんてそんなのまったく勘違い。
自分さえ良ければいいという人間の本性に基づいて、殆どの日本人が日々行動していると私は断言する。
時々見栄を張ったり、やせ我慢したりして「結構自分いい人」だと安心することがあるだけだから笑わせるな是非。


このところ顕著にブログが短くなってきたスーちゃん、なんとなく君も冬季鬱かい?







marsalis 3























テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(262) For Lester

ray brown
No.262 2015.1.28



<For Lester>




ジャイアントと呼ばれ誰知らぬ者とてない、そして今では伝説となったジャズメン達がいた。
トランペットのマイルス、ピアノのエバンス、ドラムのブレーキー、テナーのコルトレーン、アルトのパーカー等々きりがない。
エバンスよりパウエルでしょうとか、コルトレーンじゃなくてそこはロリンズなどの話になっても困る。

彼らと同時代を生きジャズをベースで支えたレイ・ブラウンも同様に、ジャイアントの殿堂入りは間違いないとしても、チャーリー・ミンガス、ポール・チェンバース、レッド・ミッチェル、ロン・カーター等々思いつくままにベースのビッグネームを挙げた時、彼が何故か少し筆頭感に欠ける事に気付く。
それは恐らくレイ・ブラウンが史上屈指の名手でありながら、この楽器の役割を比較的早期に自ら限定してしまい、最後までその枠を出ることがなかったからだ。
しかしレイ・ブラウン無かりせば、後年のクリスチャン・マクブライドやブライアン・ブロンバーグ出現も無かった可能性がある。
彼はイノベーターでこそなかったが、モダンジャズベーシストの偉大な始祖であったと私は思っている。

本作はレイ・ブラウンが1977年コンテンポラリーに残したリーダー盤、「Something for Lester」である。
ジャズでレスターへのトリビュートと言われると、レスター・ヤングを連想するのがむしろ普通だが、ここでのレスターは本作収録後急死したコンテンポラリーのオーナープロデューサー「レスター・ケーニッヒ」のことだ。
映画「ローマの休日」のプロデュースに関わった後、「赤狩り」でハリウッドを追放されたレスター・ケーニッヒが西海岸に設立したのがコンテンポラリーレコードである。

東海岸のブルーノートと何もかもが好対照だ。
現在ジャズの三大レーベルと言われるのが東海岸由来の「ブルーノート」「リバーサイド」「プレステッジ」であり、コンテンポラリーは入れてもらえない。
ウエストコーストジャズと呼ばれ、半ば別ジャンル扱いされがちであり、三大レーベルが横綱・二大関だとすれば、コンテンポラリーには小結クラスの軽量感が漂う。
これは不当である。
当ブログでも取り上げた重要盤をカタログに多数持つコンテンポラリーは、これも繰り返し申し上げた事だがとにかく音が良い。
ブルーノートを録ったルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)の音が悪いとは無論言わないが、コンテンポラリーの録音技師ロイ・デュナンの音はオーディオ的にRVGサウンドを凌駕するものだ。
RVGはピアノの録り方が下手だとよく言われた。
私はRVGが下手だとは思わないけれど、誇張されたピアノであるのは事実だと思う。
本作のシダー・ウォルトンを聴けばわかる通り、ロイ・デュナンが録ったピアノの方が遥かに自然に、そして美しく聴こえる。

ベースもそうだ。
RVGのベースは良く言えば太く、しかし上手く再生出来なければ少しコモッたベースになる。
一方本作のレイ・ブラウンはもっと近代的なベース音であり、且つ普通の装置であっても比較的手軽にいい音で鳴る。
これは学生時代の夏休みに土方、さらに冬休みには沖仲仕の短期集中バイトで必死に金を貯め買った、しかしながら非常にプアなオーディオで聴いていた頃の記憶だ。

アンプがデンオン(くどいがデノンにあらず)のPMA500Z、スピーカーはダイヤトーンDS251MKⅡであった。
自分の音と店の音を半日違いで比較できた。
確かだと思う。
確かにコンテンポラリーは音がいい。
そして鳴らしやすく録られている。
その秘訣がどこにあったか、ロイ・デュナンサウンドについて次回もう少し続けたいと思う。















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(263) The Poll Winners

the poll winners
No.263 2015.1.31



<The Poll Winners>




ダウンビート誌、メトロノーム誌等の人気投票で1956年度の楽器別ベストプレーヤーに輝いた三人、バーニー・ケッセル(g)シェリー・マン(ds)レイ・ブラウン(b)による企画モノである。
デューク・ジョーダンの「JORDU」やエリントンナンバー「サテンドール」、あのINVITATIONを書いたケイパーの「グリーン・ドルフィン・ストリート」等スタンダードの有名曲で固めてきた。
白人的な洒落たアレンジのジャズで聴き易く作られているのがうけ、売れた。

ヒットに気をよくしたコンテンポラリーは、その後同一の面子による続編を連発する。
このあたりの軽快なフットワークが、コンテンポラリー軽量級のイメージを作ってしまったのだろう。
だいたいブルーノートならあり得ないジャケットだ。

コンテンポラリーの音がなぜ良いのか、という話の続きである。
ジャズが儲からない商売である話は散々した。
そこでレコード会社は何とかして製作費を安くあげようと様々に工夫を凝らした。
コンテンポラリーはスタジオ代を節約するために、自社商品の倉庫を自前のスタジオにしてしまった。
ミュージシャンが演奏する傍らに出荷前の商品が堆く積み上げられてもいるが、コンクリート製で天井が高くたいへん響きの良い空間であったという。

加えてエンジニアのロイ・デュナンが機材にこだわる人だった。
ノイマンU-47、AKG C-12などのドイツ製コンデンサーマイクを用い、ミキシングコンソールが彼の手で自作された。
この当時のドイツ製マイクを上回る物は現在存在しないらしい。
ドイツが東西に分かれた冷戦期にその技術が失われたのだという。
そのためロイ・デュナンが使用したタイプのマイクが、今では1万~2万ドルといった値段で取引されているのだとか。
ストラトキャスターのビンテージモデルに高値が付くのと同じ現象だ。
これ便利だなと思いつつ気に入りながらも、しかし普段手荒に扱っているモノが多数あると思う。
それらが一度失われたが最後二度と手に入らない、というのは実際良くあることだ。

ところでどのような高性能マイクを使用しても、スタジオワークの一次記録がそのままレコードになる訳ではない。
マスターテープの音とは案外ショボいものであるらしく、そこから様々な加工が施され製品となる。
これをマスタリングといい、エンジニアの腕の見せ所でもあるが、なんと皮肉なことに音質劣化の原因ともなるのだ。
マスターテープの音はショボいがフレッシュであったのに、マスタリングで付加される勢いの代償として、やればやるほど最終製品の鮮度が低下してしまう。
ここが難しいところだ。
そこで極力音を劣化させたくなかったロイ・デュナンは、マスタリングの工程を可能な限りシンプルにしダビングを減らしたのである。
リヴァーブや音量などの音質調整を最後のカッティングの際同時に行い、これを詳細なメモに残している。
余談になるがそうとは知らず後年CD化されたものの中に、オリジナルの音と全く異なるダメな製品があり、CDの黎明期に悪い印象を残す一因ともなった。


以上のような事が上手くマッチして、コンテンポラリーの音を作ったのである。
音の良し悪しとはこのような、精一杯の努力と少しの偶然による事が少なくない。
ちょっとしたことで出てくる音がガラッと変わってしまう。
やればやるほど迷路に迷い込み、音が悪くなる事だってある。
だから音の調子がいい時は触らないに限る。
良い音を出すのは難しく、悪くするのは簡単だ。

ロイ・デュナンが録った音から現場の空気感が伝わってくる。
コンテンポラリーに限らず当時の録音現場は、ライブステージのようにミュージシャンが同じ空間で同時に演奏し録られていた。
だから当然マイクが他者の音をも拾う。
実はこれによりリアルな音場表現が出来ていたのだ。
現在のマルチ録音は、ミュージシャンを別々の完全に遮音されたブースに閉じ込めて行われる。
他のミュージシャンの出す音をヘッドホンによってモニターし、それに合わせて演奏する。
そもそもこの方法では同時に演奏する必要すら最早ない。
ギターとベースが別の日に録られても、結果に一切影響しないのだ。
エンジニアには後でどのようにも加工可能なことから、現場をコントロールしやすいと評判がいい。
ミュージシャンとしても自分のパートだけを誰にも迷惑をかける事なく、何度でも納得がいくまでやり直す事が可能だ。
だが、そうして出来上がった音楽に血が通っているだろうか。
スタジオの空気感が伝わるだろうか。
それは何か他の、別のものになって仕舞わないだろうか。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

プロフィール

バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
最新コメント
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
"Count" Basie
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。