番外編 ㉓

ホーン3
モザイク状に見えるのは集成材故であり、塗装の色調が明るいから。
塗装斑ではない。



<番外編 ㉓ 帰ってきたホーン>




塗装ムラの補修を終えたホーンが帰ってきた。
二か月以上かかったのには訳があり、販売店の話ではメーカーがそんな筈はないと言い張ったのだという。
埒があかず、見れば分かりますと半ば強引に送りつけたところ、説明の類一切なく補修して返送してきたという事だ。

番外編 ⑲(ひびが入った二台目)との画像比較でお分かり頂けるだろうか、だいぶ下の箱と色が近くなった。
三台目でやっとここまできたのである。
一台目(NO.116の画像)など全然違う濃い色に塗られていたが、色にクレームを言ったことはない。
それどころではなかったからだ。
様々なトラブルの皮肉なプラス効果であった。

もともとオリジナルは赤っぽい色で、それを箱の色に合わせるため支払ったエクストラチャージが約10万円だった。
けして安くない。
自動車のポルシェという会社はユーザーのどのような希望にも応じるそうで、そのエクストラチャージが60万だそうだ。
客のイメージと齟齬を来さないために、ドイツ本社との間で何度も色見本のやり取りを経て車一台塗る追加料金である。
どちらが高いとはこの際言わないが、少なくとも全然違う色はないのではないか。
それがこのようにかなり近い色味になった。
喜ばしいことだ。
このホーンに何かトラブルが発生して、四台目が製造された時にはもっと近い色になるだろうか。
いやいや、そのような縁起でもない冗談は言わない方が良い。
何しろ4年がかりで箱・ホーンとも三台目なのだ。
私もさすがに呆れ、また疲れた。
納品に際し販売店氏が「やっとここまできた」と。
それをあんたが言うか、と思ったが、まあ実際のところよく途中でケツをまくらなかったものだ。
その点だけは褒めておくが、頼むからもうこれ以上何も起きないでいただきたい。

日本の木工技術はきっと昔の方が良かった。
大工の腕前なども千年かけて劣化した口だ。
この国のものづくりは大丈夫なのかと少し心配になった。
肝心の音であるが、今のところ前より悪くなった形跡はない。
しかしながら、いないとは思うがこれと同じスピーカーを欲しいなどとおっしゃる方が万一おられるならばだ、私は絶対お薦めできない。
今更改めて言う必要もないとは思うが、世の中いろんな人がいるものだから念のため。










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(145) ドラムとサッカー

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NO.145 2014.6.10



<ドラムとサッカー>




本作は大変録音がよろしい。
オーディオ屋さんが試聴盤に使うくらいだから間違いない。
彼らの言う「試聴」とは、良い音で客を驚かせて財布のガードを緩める事だ。
つまり良い音とは時に、ハッタリの効いた音の事でもある。
因みに「2 3 4」とは「デュオ トリオ カルテット」である。

シェリー・マンのドラムだが、あざといと言うか手癖ですぐ分かる。
思えばそうした顔の見えるドラマーは少なくない。
エルビンもフィリージョーもそうだし、ビリー・ヒギンズやアート・テイラーなど次々に思い浮かぶのである。
名前をあげた中でシェリー・マンが他と少し毛色が違うのは、やはり彼が白人だからだろう。
一人どこか違うのである。

本作参加のコールマン・ホーキンス(ts)などは、仮にブラインドで名前が出てこなくても、どっからどう聴いても白人には聞こえまい。
何か、どこか粘るのだ、黒人は。
それをバネと言ってもいいと思う。
コールマン・ホーキンスやエルビン・ジョーンズはバネでネバつく。
では白人シェリー・マンはどうだろう。
キレるのである。

では日本人ドラマーはどうか。
松尾明、ポンタ秀一、神保彰等々思いつくままに特徴を考えてみる。
正確であり、その音そこはかとなく知的でもある。
しかし、ネバついたりキレたりなどあまりしない。
そして、悪いがブラインドで聴いて彼らの顔が見えてくる自信はない。
そこで時節柄思いつくのだ。
あれ、それって日本代表のサッカーも同じじゃないか。
テレビにアップでも映ればともかく、ひいた画を観て個人の特定などとても出来はしない。

間もなく始まるワールドカップ。
日本はネバったりキレたりする奴ら相手にどうなるだろう。
ゴールを決めて軽々とバク宙をやらかす奴らに対し、とりあえずは正確で知的な横パスを繋いで見せるのだろうか。











(146) イパネマの息子たち

イパネマ1
NO.146 2014.6.13


<イパネマの息子たち>



今日あたりは相当数のブラジル関連ブログが垂れ流し状態になっているだろうな。
さて、ブラジル、音楽、と来ればボサノバ、取り分けアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した「イパネマの娘」だ。
The Girl From Ipanema を収録した本作は、スタン・ゲッツ最大のヒットとなった。
それにしても、ゲッツほど評判のかんばしくないジャズ・ジャイアントが他にいるだろうか。
パーカー?ミンガス?いやいや、足元にも及ばない。
子供と頬寄せ合う例の「スタン・ゲッツ・プレイズ」のジャケットで、世間はすっかり誤解しているようだ。
とにかく性格が悪かったらしい。
ゲッツのテナーをどっからどう聴いてもゲッツですし(サッカーっぽく)、応援よろしくお願いします。

「イパネマの娘」を女性歌手が歌う時、The Boy From Ipanemaとする時があるが、だからと言って「イパネマの息子」はないと思う。
イパネマさんの息子?イパネマとは地名、イパネマ海岸の事だ。第一、息子はSonだろ。
それがどうした、そんなの知ったことではない。
本日のお題は「イパネマの息子たち」そう、セレソンである。
皆さん見ましたか?
クロアチアも頑張ったが、ネイマールと審判にやられたな。
ブラジルもあのような自殺点を献上していては先がない。
今大会は初めてアメリカ大陸で欧州勢が優勝するワールドカップになるかもしれない。
そして日本だが、うわついた事を言うのはもうやめておきなさい。
身の程を知る、というのは何時だって大切な事だ。
それを何度も体験してここまで来た筈だ。
歴史認識がなっとらんとまた言われる前に、クロアチアがやったような堅守速攻の選択肢はないのか。
ずっと現実的だと思うけど。






(147) INVITATION

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NO.147 2014.6.14



<INVITATION>



「INVITATION」という曲が好きで随分集めた。
アル・ヘイグが晩年アルバムタイトル曲として収録したり、コルトレーン、スタン・ゲッツなどもやっている。
本作は中古レコード店のオヤジが海外買い付けに行く際に、特にリクエストして入手したオリジナル盤だ。
特別人気のある盤でもないとみえて、数千円だったと記憶しているが、数ある「INVITATION」の中でもっとも好きなのがこのジョー・ヘンダーソンバージョンである。
出だしのジョーヘン一吹きからシビレる。続くロン・カーターのベースがかっこよくて腰を抜かす。
ジョーヘンのソロでは、わかる人にはわかる手癖(口癖か?)が出て、「やってる、やってる」とニヤニヤしてしまう。
本作をあらためて聴いたのにはある訳がある。
来週我「ジャズバー・ドルフィー」にてワイン&オーディオ会を催すので、その「おみや」にインビテーション集CDRを製作したのである。
まあ、趣味の押し売りですね。
インビテーション集はずっと前からヤマハのCDR-HD1500に入っているので、あとは焼くだけだから簡単なのだが、一応確認のため聴いてがっかりした。
内容ではなく、「音」だ。
三台目ホーンが来てから一週間経過した。
当初こそ「前より音が悪くなった形跡はないと」思ったが、どうもやはりそんなに甘いものではない。
ホーンを替えたので、その帯域(500~10KHzあたり)にばかり注目していた。
むしろ良くなったのでは、とすら感じていた。
しかしどうしたものか、本作インビテーションのロン・カーターが変だ。
こんなベース音ではない筈だ。
もっとゴーン、ゴーンと唸らなければならないのに、なんだか軽い。
焦ってチャンネルデバイダーの低域を上げてみた。
モヤつくばかりで良くならない。
なんということか。
だが、これがオーディオというものだと、私はわかっていた。
こんな筈ではなかったとホゾを噛む、そんなことの繰り返しがオーディオだ。
私は少しくらいの事であわてなくなった。

もっとこんな筈ではなかったのはスペインだろう。
一次リーグのオランダ戦でなんと1ー5の大敗。
5失点というのは野球ならありそうだが、サッカーのスコアではない。
グループリーグでスペインとオランダが当たる事自体そもそもどうかしているが、そんなこと言ったって仕方がないのがワールドカップ。恐いもの見た、という感じだった。
続いて同じグループBの試合巧者チリがオーストラリアに勝ち、スペインは更に追い詰められた。
チリはスペイン戦では最初から引き分け狙いで来るだろう。
手負いのスペインに上手く引き分けられたなら、相当分が悪かったこのグループの突破が見えてくる。
オランダに勝てなくても、大敗さえしなければ良いのだから。
両者(チリ、スペイン)一勝一敗一分の勝ち点4(スペインがオーストラリアに順当勝ちとして)。
勝ち点4は普通ならかなり微妙だ。最低5は欲しい。
だがスペインが大敗してくれたおかげで、チリは勝ち点4での得失点差ベスト16進出が見えて来た。
面白くなってまいりました。
本当にこんな筈ではなかったのはどこか。
実際にはまだまだわからない。











(148) 日本人プレーヤー

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NO.148 2014.6.16



<日本人プレーヤー>


日本代表の初戦敗退で心も身体も重苦しい。
サッカーは芸術だ。
そしてこじつけでもなんでもなく、ジャズだ。
一定のルールがあり文法があるが、本質はアドリブである。
それ故日本人には難しいのか。

小曽根 真はバークリーを首席で卒業している。
同期だったダイアナ・クラールが「小曽根にはかなわなかった」と証言している。
彼のような日本人ジャズミュージシャンが多くはないが時々いる。
そんな小曽根の本作はデビューアルバムだ。
正確な運指や端整な曲作りに、クラシックの十分な訓練をうかがわせる。
極めて日本的な、そして優秀なミュージシャンである。
ジャズの秀才と言っていいだろう。

日本には時々ではあるが優秀なサッカー選手も出る。
しかしこれも多くはない。
古くは釜本、カズ、そして中田といったところか。
なぜか皆、真ん中より前の選手だ。
世界基準の優れたキーパーとディフェンダーが出たことはない。
サッカーは守備なくして成立しないというのに。
キーパー、センターバック、MF、そしてフォワード、そこに核となる世界基準のプレーヤーが最低一人いなくては、ワールドカップでは戦えない。
そして必要なのは「秀才」より「野獣」だ。フォワードにおいては特に。

どうも民族の限界かな。









(149) 知らずにいたかった 

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NO.149 2014.6.17



<知らずにいたかった>




新進気鋭と言われたライアン・カイザーも既に40過ぎ。
本作はライアン27歳のワンホーン物である。
今時のトランペッターとしては特にテクニックがある方ではない。
事実、リンカーン・センターのステージで、御大ウィントン・マルサリスに「ついてこれる?」という感じで、ナマ暖かく見守られていたとの目撃談もある。
しかし私は彼の音が好きだ。
そして特に本作は録音が良い。
2000年の発売だったから、もう結構前の作品なのだが、今聴いてもハッとするくらい音がいい。

2000年当時、我が家にあったスピーカーはJBL4425だった。
これは鳴らしやすいスピーカーで、素晴らしくリアリティに溢れた音がした。
今にして思えばずっとこれで良かったのだ。
それを販売店の口車に乗せられて、色々なことになっていったという訳だ。
今家にあるスピーカーを4425に換えたとしたら、それはきっとガッカリな音に聞こえるだろう。
でも知らずにおれば、それはそれで幸せな人生なのである。
何事もそうだ。

2000年といえばシドニーでオリンピックがあり、私はサッカーを観にオーストラリアへ行った。
それはひどいものだった。
何がひどいって、人種差別が。
数々のイヤな目にあったが、それはここでは触れないでおく。
中田英寿氏が二度目のオリンピック出場を果たし、グループリーグ突破の原動力となったが、決勝トーナメント1回戦(対アメリカ)のPK戦でまさかの失敗。日本はアメリカに負けた。
信じられないものを見た気がした。
このあたりから、日本代表に対する私の期待がどんどん肥大していった。
それは一言で言えば「悪い白人を懲らしめてくれ」であり、「広島・長崎の恨みを晴らしてくれ」だったろう。

1998年のフランスワールドカップ初出場に続いて、自国開催の2002年大会、2006年のドイツ大会と、もうワールドカップ出場は当たり前の気持ちが醸成されてきた。
そして2010年の南アフリカにおいて二度目のグループリーグ突破を果たしたのち、ワールドカップはベスト8以上を目指すものとなっていた。
どうかしていたのだ。皆がどうかしていた。マスコミに煽られ、現実というものを見なくなっていた。
ドーハの頃のようなウブなファンにはもう戻れないとしても、私はもっと謙虚になろうと思っている。
この程度の国民に、この程度の政治家。
それが事実だとするならば、この程度の民族にこの程度のサッカー代表、それも当然事実である筈だからだ。





(150) 代表するもの

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NO.150 2014.6.19



<代表するもの>




アート・ペッパーと並ぶ、そしてウエスト・コースト・ジャズを代表するアルト・サックス奏者、バド・シャンクの名盤だ。
「チュニジアの夜」「オール・オブ・ユー」「朝日のように爽やかに」「ポルカドッツ・アンド・ムーンビームス」といった名曲満載盤で、私は大変好きだ。
彼のアルトはペッパーのように情緒的ではなく、もっとカラッとしてむしろよりウエスト・コースト的であるとすら言えるのだが、しかしながら日本で人気があるのは断然ペッパーの方だ。
ペッパーにあってバド・シャンクにないものがあるとすれば、それは「せつなさ」や「なげき」といった要素だろう。
歌舞伎の愁嘆場のように、日本人の琴線に共鳴するのは「泣き」の場面であって、カリフォルニアの青い空乾いた風ではないということだ。
確かに日本の風土に、ウエスト・コースト・ジャズはどこか似合わない。
バド・シャンクが多用するフルートのサウンドが、そうした傾向により拍車をかける。
エリック・ドルフィーなんかもそうだが、バスクラはともかく、フルートに持ち替えると少しがっかりする。
リー・モーガンVOL.3における「ハサーンズ・ドリーム」や、ウィントン・ケリーの「ケリー・ブルー」など一部例外を除き、私はジャズにフルートはあまり似合わないと思っている。
特にアンサンブルならまだしも、カルテットでたっぷりやられると尻がムズムズしてくる時がある。
出来ることなら、バド・シャンクにはアルトオンリーでいってもらいたかった。

今朝は大変な事が起きた。
前回優勝のスペインが0-2でチリに負け、グループ・リーグ敗退が決まったのだ。
「スペイン戦のチリは引き分け狙い」と書いたが、それどころではなかった。
格下と思われるチームが守備的にゲームを進めるのは普通だが、とはいえ90分守りっぱなしなわけはない。
スペインがやられたのは、カウンターとセットプレーだった。
前回優勝チームがその後の4年の間、世界中で徹底的に研究されるというのは十分想像がつく。
そして次の大会ではすっかり様子が違ってくる。
2002年のフランスがやはりそうだった。
日本がコートジボアール戦で出来なかった(やらせてもらえなかった)という「自分たちのサッカー」とはパスサッカーであり、志向するところは要するにスペインのサッカーだ。
しかも日本は、その大幅な劣化版に過ぎない。
明日対戦するギリシャというチームは、どちらかと言えばスペイン艦隊を沈めたチリ型の堅守速攻を得意とするチームである。
もうそれ以上は言いたくない。
私は日本代表としてピッチに立つことはできず、白紙委任状を託した私の代理人である彼らに全てを任す他ないのだ。
最早祈るしかない。






(151) BLACK ORPHEUS

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NO.151 2014.6.21



<BLACK ORPHEUS>



「黒いオルフェ」がタイトル曲。
ボサノバを代表する超名曲だ。
この曲も好きで色々集めた。
NO.31のウェイン・ショーターや、ゴンサロ・ルバルカバ、ロン・カーターなどもやっており、デクスター・ゴードン「GETTIN' AROUND (BLUE NOTE 4204)」は特に有名だ。
当然の如く「黒いオルフェ集」としてCDR-HD1500に収められている。

この「黒いオルフェ」やNO.147の「INVITATION」に限らず、多くのジャズメンが好んで収録した曲というのが多数ある。
「BEAUTIFUL LOVE」「ROUND MIDNIGHT」「NIGHT AND DAY」「MY FUNNY VALENTINE」「AUTUMN LEAVES」「SUMMERTIME」等々思いつくままに挙げても際限なく出てくる。
私はジャズを演奏出来ないので想像するしかないが、恐らくジャズっぽくアドリブしやすい曲というのがあるのだと思う。
そうした曲に共通した要素が「哀愁」ではないだろうか。
少なくとも、あまりアッパラパーな曲調のものは見かけない。それは事実だ。
御大寺島靖国さんが言うように、ジャズはガッツと哀愁なのである。
私(と寺島さん)が哀愁曲を好むだけ、という可能性も大いにあるけれど。

本作はスリー・ブラインド・マイス(TBM)という日本のレーベルであり、このTBMは録音が良いので有名だ。
NO.56に登場した、同じくTBMの「BLUE CITY」や、鈴木勲初リーダー作「ブロー・アップ」もあわせて是非聴いて頂きたい。
一つ気になるのであるが、鈴木氏はBASS & CELLOとクレジットされており、CELLOでソロをとる。
まあ、それは良いとして、その時同時にベースは弾けないので「BLUE CITY」においてはセカンドベーシストがクレジットされている。
それが本作にはない。
ベースもチェロも鈴木氏が弾いたのだとしたら、それは多重録音という話にならざるを得ないのだ。
うーむ・・・ジャズに多重録音てありか?

「黒いオルフェ」はそもそも同名映画の主題歌で、別名「MANHA DE CARNAVAL(カーニバルの朝)」ともいい、この映画の音楽はかのアントニオ・カルロス・ジョビンが担当した。
しかし、この曲の作者はジョビンではなく、ルイス・ボンファである。
この辺の関係はどうなっていたのだろう。
20世紀を代表する作曲家と言われる(私はそのように思ったことはないが)ジョビンが音楽監督をしたのであれば、主題歌は自作が普通の流れではないか。
ただ、ジョビン作の「黒いオルフェ」なら、私の「黒いオルフェ集」は製作されなかった可能性が高いのであるが。

1959年封切りのフランス、イタリア、ブラジル合作というこの映画を私は観ていない。
妻にそれを言ったところ、「全然あなたのタイプじゃないわ」との事。
なるほど、それでどんな映画かおよそ想像がついた。
DVDになっているかどうか知らないが、仮にレンタルしても多分10分ともつまい。
スペース・シップかイージス艦かインベーダーが出てくる映画でないと、私はダメなのであった。








(152) 父の日には娘も帰って来た

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NO.152 2014.6.22



<父の日には娘も帰って来た>




先日6月18日の事、ホレス・シルバーが亡くなった。
享年85歳とのことだった。
おくやみ申し上げる。
しかし同時に、随分長生きしたんだと率直に思った。
彼の世代のジャズメンは短命である。
それは麻薬によるものだ。
ジャズ好きな知人とその事について話す機会があった。
ホレス・シルバーは麻薬をやっていたかどうか。
もしもやっていたのに長生きしたなら凄いけど。
まあ、そんな話をしたのだ。
私はやった事がない為自信はないものの、彼の目つきがちょっと疑わしいと思っていた。
知人はもし彼が麻薬中毒だったなら、85歳まで生きた筈がないと言った。
知人は医師だ。
だからきっと彼の言う通りなのだろう。
了解、それはわかった。
次に私が気になるのは、薬中ではないがアル中の場合だ。
私も、そして知人の医師もアル中だからである。
だが、それはちょっと怖くて今回は聞きそびれた。

ホレス・シルバーは数々の名曲を残した。
とりわけ私が好きな一曲は、本作タイトル曲の「ケープ・バーディン・ブルース」である。
ケープ・バーディンとはアフリカの小さな島で、ホレス・シルバーの父親の出身地だという話だったと思う。
NO.67「ソング・フォー・マイ・ファザー」ジャケットに写るあの父さんである。
なんとも親孝行な人だったのだ。
本作はブルーノートの4000番台も後半であるし、ジャケットもそれなりに怪しいけれど、大丈夫このあたりはまだ問題ない。
フロントラインはウディ・ショウ(tp)にジョー・ヘンダーソン(ts)、それに時々J.J.ジョンソン(tb)だ。
ホレス・シルバーを一通り聴いた人には、是非本作も試してもらいたい。










(153) BLUE LIGHTS

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NO.153 2014.6.24



<BLUE LIGHTS>




ジジ・グライスはどちらかというと作曲の人だ。
「マイノリティ」が有名だが、個人的には本作収録の「ブルー・ライツ」が好きだ。
本人も気に入っていたらしく、アート・ファーマーとの「When Farmer Met Gryce (PRESTIGE 7085)」に続いての再演となった。
エディ・コスタで有名な「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」は同一曲である。
ところでエディ・コスタだが、31歳で亡くなった時、新婚旅行直前だったのだとか。
自動車事故死だった。
このころのジャズメンは、薬か自動車事故かその両方で夭折するのが珍しくなかった。
ジジ・グライスは1983年に58歳で亡くなっている。
それとて長生きした方ではない。
ほぼ、私と同年齢なのだ。
人間(に限らないけれど)いつどうなるか分からないから、それなりの覚悟と準備が必要だと思う。
死後の事はどうせ大した遺産など残らないのでどうでも良いが、問題は倒れてわけが分からなくなった時などの身の振り方である。
濃厚な治療というか処置を受け続け、生ける屍となって何年も寝たきりなどというのは考えただけでゾッとする。
意志表示不能となった時に備えて、何か書いておくのは悪い考えではない。
必ずしも希望通りになるとは限らないけれど、何もないよりはずっとマシだろう。

本作はジジ・グライスがドナルド・バードと組んだ「ジャズ・ラブ・クインテット」の一枚でラブはLOVEではなくLAB。
ラボラトリー、実験室の事だ。
どういう実験かと言うと、アドリブとアレンジの融合であるという。
しかし、それって普通のハード・バップではないのだろうか。
他のメンツはハンク・ジョーンズ(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)という錚々たる顔ぶれである。
我家にあるのはCDで、定価999円だった。
これでいいのかと少し悲しかった。
超破格のこの名盤、しかしあまり音は良くない。
ちょっと歪んでいる。
それが気になる向きには、この曲を初めて聴くならアート・ファーマーとの盤の方が良いかもしれない。
尚、LEE MORGAN VOL.3(BLUE NOTE 1557)の「ハサーンズ・ドリーム」にてフルートを吹いたのは、ジジ・グライスである。
どこぞの村役場にでも居そうな、気のいいおとっつぁん的風貌も私は好きだ。












(154) 彩

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NO.154 2014.6.25



<彩>



本作、佐藤準氏の事はほとんど知らない。
だがこの「彩」に収録された一曲目「A Latchkey」の旋律を、私は生涯忘れることはない。
ブラジル関連でもう一つだけ、どうしても触れておかなければならない出来事がある。
かつて私はF1にのめり込み、夜中に起き出して全戦欠かさず観戦していた。
ブラジルが生んだ「音速の貴公子」アイルトン・セナを応援するためだった。
この曲は私にとってセナのテーマソングだ。

1994年セナは、マクラーレンから前年チャンピオンのウィリアムズ・ルノーへ移籍したばかりだった。
まるでコース上を貼りついたようにコーナーを駆け抜けるウィリアムズを駆って、セナは四度目のグランプリを獲得するのではないかと私は思っていた。
しかし一方で一抹の不安もあった。
F1ではレギュレーションがしょっちゅう変更される。
この年のレギュレーション変更において、実はウィリアムズの快進撃を支えたアクティブサスとトラクションコントロールというハイテクデバイスが禁止されていたのだった。
それはおそらく政治的な力が働いた結果であったろう。
その結果、ウィリアムズ・ルノーは前年までの安定感を失い、非常にコントロールが難しい車になっていたと言われている。
そして5月1日、第三戦サンマリノグランプリで、突然その悲劇は起きた。

ポールポジションからスタートしたセナは、世代交代を迫るミハエル・シューマッハーに背後から追いまわされる。
運命の7周目だった。
イモラ・サーキットのタンブレロコーナーのコンクリート壁に、セナは200キロ以上のスピードで真っ直ぐ突っ込んでいった。
享年34歳。

それ以来、私はF1を観ていない。
私が観たかったものは結局、アイルトン・セナの活躍でありF1ではなかった。
そのような例は他にもある。
江川卓が引退してのち、私はファンだった筈のジャイアンツ、そしてプロ野球への興味を失った。
同年代の江川に声援を送っていただけだったのだ。
その後同郷の皆さんが、本拠地をこちらへ移して来た超地味なパリーグのチームに対し、まるでひい爺さんの代からファンだったような態度で熱狂するのを見るにつけ、ただただ白けるばかりだ。
あんたら昨日までジャイアンツファンだったんじゃないのか。
いくら秋波を贈ろうとも、まるで相手にされない愛しいヒト巨人軍。
でも、つれない態度にもメゲず、抱き続けた深情けだった。
ところがそこへ、ちょっと不細工だけど手の届きそうな別の相手が現れた。
そんな手近なヤツと、さっさとくっついただけの話だ。
そういう、軽いというかお調子者というか、おもいっきり良く言って自由なところが、我同胞のワラかすところだ。
まあ、開拓者精神かもしれんね。

ジョン・マッケンローの引退も、テニスのテレビ観戦から遠ざかるきっかけとなった。
毎年夜中に見ていたウィンブルドン、あの情熱はなんだったのか。
そう、どのような情熱もウソのように冷める時がある。
だが、一生冷めることのない情熱もきっとあるのだ。
ウィンブルドンへの関心は失ったが、私はテニスをやめていない。
オーディオへの執着、ジャズへの興味も失っていない。
では、サッカーはどうか。
中田がペルージャに移籍した頃、専用チューナーを買いCSアンテナまで設置して、私は胸ときめかせ彼に声援を送った。
そんなスカパーの装置一式は、もうとっくにゴミと化した。
今にして思えば、中田が代表の中心であればこその熱狂だったのだ。

サッカー日本代表とは私にとって何か。
それはあの太平洋戦争、たとえばミッドウェイ海戦を筆頭に、起きた数々の無念を(ほんの少し)晴らしてくれるかもしれない存在だった。
私の父は戦争に行った。
それも志願してまで行き、予科練で終戦を迎えた。
もしも何か歴史の歯車がほんの少しずれていたなら、彼は特攻に行き私は生まれなかったかもしれない。
そんな父は生涯戦争について、私に何一つ語ることがなかった。
しかし、どれほどの思いがその胸中にあったか、私にはわかる。
息子に一切話さなかったことで余計にわかる。
そんな私と父の思いは今回も遂に叶わなず、日本艦隊は返り討ちにあって撃沈された。
完敗でありほぼ全滅、玉砕と言っていい結果だった。

映画「ミッドウェイ」のラストで次のようなセリフがあった。
ニミッツ提督役のヘンリー・フォンダであったろうか。
それはこういうものだ。
「我々はほんの少しついていただけだ」
その後の私の研究では、そんな話はただの外交辞令に過ぎない。
十分に勝つチャンスがあったとされるミッドウェイ海戦だが、我帝国海軍は完敗した。
それも実際は、完全に負けるべくして敗れたのである。
その話はまた機会があれば語りたいと思うが、ミッドウェイの雪辱をサッカーで遂げることなどどうやら出来そうにないらしい。
サッカー、特にワールドカップは普通のスポーツ、球技なんかではない。
文字通り命をかけた格闘技であり、もっと言えば戦争の代用品だ。
そのことの本当の意味に日本の代表選手が気付き、雄々しく立ち向かう日が果たして来るだろうか。
多分、私が生きているうちにはないな。
無念を晴らすのは、第二次太平洋戦争でアメリカ第7艦隊を殲滅する時まで待つしかないようだ。

本日は母の誕生日である。
母は83歳になった。
その息子も還暦へのカウントダウンが始まっている。
何かと言えば誰かが死んだ話をしたり、思い出話が多くなったり、また、同じような話の繰り返しになったりは、そんな訳だから仕方がないと、どうかご容赦お願い申し上げ候。










(155) 命まで取らない 

honnda1
NO.155 2014.6.27



<命まで取らない>



本作も日本のジャズ史に残る名盤の一枚だ。
40年以上も前の作品だが、録音も非常に良い。
本田竹曠はとても力強いタッチのピアノを弾いた。
ピアノの弦がしばしば切れてしまう程であったという。
私はレット・イット・ビーの前奏をなんとか弾けるのが関の山であるから、それがどれほどの事かよくわからないけれど、トミー・フラナガンやレッド・ガーランドが演奏中に弦を切った話は聞いたことがない。
だから憶測で語る以外ないが、もしかしたらその当時の本田は随分と気負いこんでいたのかもしれない。
後年、ネイティブ・サンなどと、相当柔らかい事にもなった本田であったから。

本田宗一郎さんは、しなやかで強靭な人だったという。
F1グランプリでのあまりの強さに閉口したFIA(サッカーで言えばFIFA)が、ホンダ封じのレギュレーション変更(ターボ禁止)を断行した時の事だ。
スタッフが本田宗一郎氏の所に行き、露骨なFIAに抗議してもらおうとターボ禁止措置が出た旨報告したという。
本田さんは開口一番「ターボが禁止されたのはうちだけか?」ときいた。
そんなわけはない。
「なら大丈夫だ。ばかなやつらだ。それならうちはターボなしで最高のエンジンを作るだけだ。で?話ってのは何だ?」
そんな本田宗一郎に憧れ続けたアイルトン・セナが、初対面で感激のあまり号泣したのは有名な話である。

もう一人の本田。本田圭佑は少し入れ込み過ぎたのだろう。
内心は不安だってあった筈だ。
だからそれを打ち消そうと、大きな事を言って自分を鼓舞した。
長友の会見を見て、彼らも今どきの日本人の若者であると納得した。
心に柔らかく、それゆえ弱く傷つきやすいところを抱えている。
それを自分が一番よくわかっているから、出来るはずがないと知りつつの「優勝」発言で自らトランス状態になろうとした。
イングランドでは若い選手が次々に代表を辞退するという。
イングランドの世代交代がうまくいかず、まさかの予選敗退を呼んだ原因はそんなところにもあった。
サッカーの代表とはそれほどの重圧がかかるものなのだろう。

硫黄島で戦った日本代表は壮絶な消耗戦をアメリカ代表に課し、初めて死傷者数でアメリカに勝った。
栗林忠道中将はバンザイ突撃をけして許さず、徹底した持久戦でアメリカ海兵隊を苦しめたが、守備隊は最終的にはほとんど戦死した。


長友よ、内田よ、お疲れさんでした。
ゆっくり休んでください。
そうしたら、またいつか日本のために戦ってほしい。
サッカー日本代表も時には苦しいだろう。
だが、誰も命までよこせとは言わない。















番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.1

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<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.1>



戦艦三笠はイギリスで建造され、1903年、帝国海軍連合艦隊旗艦として就航した。
当時の日本には、この艦(フネと読んでください)を作る力がまだなかった。
しかし、あの長門を起工したのは、そのわずか14年後であった。
栄光と悲劇、光と影に彩られた帝国海軍の、そんな黎明期に君臨した戦艦三笠は、今もその歴史、その姿を我々に伝えている。
神奈川県横須賀市の三笠公園に、しかし三笠は係留されていない。
地面に埋められ固定されているのだ。
ワシントン軍縮会議の結果を受け、帝国海軍は三笠の廃棄を決定したが、二度と軍艦として再使用出来ない状態にする事を条件として、この地にモニュメントとしての存続を許された。
そんな三笠に座上した東郷元帥旗下の帝国海軍連合艦隊と、当時着々と南下を窺がっていた帝政ロシアのバルチック艦隊が激突した日本海海戦で万一、我連合艦隊が敗れていたなら、その後の歴史は相当違うものとなったのは間違いない。
私が現在居住している場所などは、日本ではなくなっていた可能性は大いにある。

私は今回、梅雨でしのつく港のヨーコ横浜横須賀を訪ねてみることにした。
軍事オタクの気を引くだけでなく、ジャズもさかんな土地である、と聞いていた。



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横須賀にはアメリカ海軍の基地があり、沖縄同様その内側は祖国日本にあって日本ではない。
アメリカ海軍の軍人・軍属が我が物顔で街を行きかい、彼らの存在を既に前提とした商店街が形成されているのもまた、沖縄と同様である。
この街には英語で物件を表示した不動産屋がたくさんある。



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そして、米ドルが流通する場所が少なくない。
ドブ板通りもそんな場所の一つだ。



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この写真ではまだ午前中とあって、人影もほとんどないが、それでも怪しい。暗くなったら一体どうなるのだろう。
ドブ板通りを抜けて三笠公園へ向かい、私はいよいよ戦艦三笠の艦内に足を踏み入れることにした。



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上の写真は三笠入口付近に展示されている大和の45センチ主砲弾である。
身長155センチくらいの日本人女性と比較すると、そのサイズを把握できるだろう。
私は思ったより小さいと感じた。

三笠は戦後、その上部構造物を全て撤去されてしまい、甲板上に水族館やダンスホールを建造される、というとんでもない不遇時代を過ごした。
そんな三笠を救ったのが、あのニミッツ提督だった。
ニミッツ提督は東郷元帥のマブダチで、友が活躍した艦の惨状を見かね、アメリカ海軍関係者から金を集めて三笠再建に協力したのだという。
その額7億円、今の貨幣価値でいくらになるか知らないが、三笠再建費用のおよそ半分をニミッツ提督が集めてくれた。
この話を聞かせてくれたのは、艦内案内係の小柄な老人だった(ボランティア?)。
彼は海上自衛隊の退役士官で、潜水艦乗りだったという。
面白い話を聞かせてくれた。
それはまた次回。












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