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番外編 ⑥ VANISHING POINT

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<番外編 ⑥ VANISHING POINT>





あたりに人影がなくなっていた。
家々の窓は真昼間だというのにカーテンで閉ざされ、
雑草に覆われた庭に全く生活の気配がない。
福島第一原発警戒区域。
原発の事故現場まであと20キロである。
ここから先へ一般人は行く事を阻まれる。
言わば地図から消された場所だ。

ゴールデンウィークを利用して福島へ行ってきた。
今日本中を揺るがす原発問題の震源を見ておきたかったのだ。
私の地元にも原発がある。
それは我家からおよそ60キロほどの距離だ。
驚いた事に、その直下に活断層があるかもしれないとの話もある。
同様の状況を多くの原発について指摘されるこの国の住民一人ひとりにとって、
福島の悲劇はけして他人ごとではない。
2012年5月、他人ごとではない日本中の原発が全て止まった時、
他人ごとでない様相が二つに分かれた。
それは主に利害関係の差だった。
行政や電力会社と無関係な者のなかに、このまま原発を廃止してもらいたいという希望を口にする声は少なくない。
一方で原発の恩恵を直接享受する人たちは、早期の再稼動を希望するのである。

私の地元の原発は住民の多くが細々と漁業で生計をたてる寒村に作られた。
原発によって彼らの生活が一変したという。
貧しい村に雇用がもたらされた。
原発関連の交付金で役場が建て替えられた。
有線テレビの放送施設が作られた。
どうしてそんなものが必要だったのか解らない、インドアのスケートリンクが作られた。
お年寄りに人気が高いパークゴルフ場も作られた。
これらを村民は無料で利用できるという。

極めつけはこれだ。
補助金によって100円で購入できる弁当がデリバリーされるようになったのだ。
原発のおかげで寒村は貧困から救われたように見えた。
誘致に反対する声もあったが、実際に出来てみれば原発は、村民に幸福をもたらす魔法の装置だったのだ。
ただし、永遠に事故が起きなければ、という条件付きではあるのだが。

だからだろう、この村の村長はテレビのインタビューにこたえて一日も早い再稼動を望み、最後にこう付け加えるのを忘れなかった。
「絶対安全という保障が前提です」
これが田舎者の頑迷でなくて何だというのだ。
いったい誰にそのような保障が可能だろう。
実際に事故は起き、多くの者がそれを目撃した今、安全は保障できないそれ故の交付金であった事が明らかとなった筈だ。
しかし、なぜだか彼にはそれが理解できないらしいのだ。
これを聞いたとき、私は福島へ行こうと思った。
行ってどうなるものでもないのだ。
それは薄々判っていたが、私は行かずにいられなかった。
起きてはいけない、しかし可能性がけしてゼロではない原発事故が実際に起きた地を、この国の住民の一人である自分も訪ねておかなければならなかった。
同じ事がいつ私の地元で起こるかわからないのだ。

私にとって福島はけして身近な場所ではない。
もしも原発事故がなかったなら、私は一生福島を訪れることなどなかったかもしれない。
だから私には何の先入観も思い入れもなく、ありのままを見てそれを受け入れることが出来るだろう。
そして今福島へ行くからには、現地で金を使わなければならないと思っていた。
私に出来る事といえば、せいぜいそれくらいのものだからだ。
宿をとった磐梯熱海のオーベルジュは、
全館がこの日はどうやら満室らしかった。
同じようなことを考える人が世の中にはいるものだ。
だが、予約を入れたホームページから漂うのは苦境である。
この一年、店の経営は大変だった筈だ。
それが漸く、ゴールデンウィーク限定かもしれないが、この満室である。






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LivingRoom


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BathRoom




私が取った部屋は2ベッドルームのメゾネットタイプで、床面積が100㎡以上あった。
最早ちょっとした一軒家なみの広さである。
そうした部屋が七つあり、中庭に面した離れのような佇まいとなっている。
各部屋に源泉かけ流し、檜の相当大きな内風呂がある。
だから大浴場は必要ないが、別に露天風呂とサウナの施設が用意されている。
それらを堪能し、夕食の時間となったので私はレストラン棟へ向かった。
レストランはブースに分かれていてるが、基本的には一室である。
ジャケット着用で席に着き、フレンチのコース料理をシャンパンや赤白ワインと共に頂いた。
どれも5ケタのワインもさすがに素晴らしく、
私はこの宿を選んで良かったと思った。
コースも中盤になり、口直しのシャーベットが出ていた。
異変が起きたのはそんな時だった。
目前を5歳くらいの男の子が走り過ぎたのだ。
私は目を疑ったが、けして蜃気楼という訳でもなかった。
ほどなく、先ほどの子供が今度は逆方向へ走って行った。
今度は嬌声を発しながら。

こうした事態が続いていたが、店の側でその子ないしその親を制した様子はなかった。
店にとってこれは悪夢に違いない。
だが、あるいは想定できたシーンでもあったのだ。
予約はホームページから行うようになっており、予め室内着を用意する為だとして性別年齢をつまびらかにさせているからだ。
幼児を受け入れればどのような事が起きるか、これは誰にでも想像できる。
しかし店としては経営を維持していく為に売り上げが必要である。
つまり、背に腹は代えられなかった結果であった。
店としては何とか何事もなく収まってくれる事を祈っていた筈だ。
事実多くのケースでは店の評判を落とすような事件に発展する事なく、売上だけは上がり、うまくいっていたことだろう。
だが、いつかこんな日もあるのではないかと、内心ビクビクしてもいたのではないだろうか。

原発も同じ事だなと私は思った。
原発事故も又、背に腹を代えられなかった結果である。
背に腹を代えなかった結果、ウサギを追った山も小鮒を釣った川も、一切合切が放射能に汚染された。
人の気配が消え、耕作が放棄された周辺の田畑を目の当りにすれば、原発という物は危険に目を瞑ったり安全以外の何かを優先したりしても良いものかと、多くの人が疑問を持つだろう。
自分の故郷が何どきこのような景色に変わるか判らないのだ。
レストランで子供が走り回る悪夢とは次元が異なる話だがそれでも尚、この国の政府は目を瞑って飛ぼうとしているらしい。
こんな大惨事が滅多な事でそう何度も起こる筈がないと、
彼らはそのように考えているようだ。






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生きているうちに、再びこの先へ行ける日が来るのか?










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