番外編 ③

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<番外編 ③>





終了宣言以来そう経っていないのにと、どうか笑って頂きたい。
ちょっとした旅をして、ご報告したい事が出来たのだ。
有り難いことだと思う。
さてこの写真お判りと思うが、沖縄の普天間飛行場である。
今回私は沖縄へ赴き、普天間、嘉手納そして辺野古などを見てきた。

私の町に一番近い空港から、沖縄への直行便は飛んでいない。
だから仕方なく、先ずは羽田まで飛ぶ。
所要時間約一時間半である。
この便に乗って初めて知ったのだが、今は国内便(JAL)にもファーストクラスというものがある。
驚いた。たったの一時間半ファーストクラスに座ってどうだというのだ。
だが、それは試してみなければ分らないことだ。
というわけで、ファーストクラスへのアップグレードを希望した。
追加料金8000円とのことだ。
微妙というか高い。
しかし食事が付いているという。四国の有名な割烹との提携であるらしい。
たいへん美味そうだ。
ところが残念ながら、その便のファーストクラスは売り切れていた。
急にがっかりしたが、私は気を取り直して機上の人となった。
上昇していく旅客機の、小さな窓から見える我故郷。
3月中旬のその大地は、まだ雪に覆われ白一色であった。

羽田からは多くの家族連れやカップルが搭乗してくる。
幼い子を抱いた若い夫婦も目立つ。
旅客機は一万メートルという高高度を飛行する。
機内は与圧されているが、地上と同じ気圧にはできない。
そこではダイビングとは逆の耳抜きが必要になるが、
赤ちゃんにはそれが上手く出来ないという。
やがて機内のあちこちから、赤ん坊の泣き声が聞こえ始める。
お母さん方、わが子がなぜ泣くかわかっているかい?
耳が痛いんだよ。
幼い子にとってそれは、理不尽な拷問のようなものだ。
彼らは特に沖縄旅行を望んではいないのだ。
それを望んでいる若いお父さんお母さん、わが子を抱いての沖縄旅行は無理だ。
どうしても行きたいならわが子のため、そして他の乗客のため、筏にでも乗って行くしかない。
だがJALの機内では耳が痛いと赤ん坊が無き続け、それを聞かされる無関係な他の乗客も、黙って一緒に耐えるしかないらしい。

昼過ぎには那覇に着いていた。
空港近くでレンタカーを借りる。
これがEV(電気自動車)の日産リーフだった。
どういう事情か知らないが、沖縄本島ではEVの為の充電インフラがかなり整備されている。
各ホテルはもとよりコンビニ、公営の駐車場などにも充電施設があるのだ。
これには驚いた。そして充電には事実上別の費用が発生しない。
私は沖縄に滞在した四日間、車の燃料代を一切負担しなかった。
これは一体どういうカラクリになっているのだ。
おそらくはEVの電気代というものが、ガソリン車の燃料代よりずっと安上がりなのだろうが、それにしても只な訳がないのである。電気代は誰が負担しているのだろう。
沖縄から北方に遠く離れた我町で、私は電気自動車の充電装置を見かけた事など一度もない。
同じ日本ではないか。これはどうなっているのだ。
解けない疑問を抱えたまま、電気自動車は音もなく走り始める。
当然だが本当に静かだ。遠くでモーターが回る気配とロードノイズ、あとは風切り音がするだけである。
その事で逆に危険なのは、歩行者にまったく認識されない点だ。
那覇の路地裏を走る。前を行く歩行者はいつまでも狭い道の真ん中を歩き、よけてくれる気配がない。
まさかクラクションを鳴らす訳にもいかず、後をゆっくりついて行くしかない。
何かの拍子に後ろを振り返った歩行者が、驚いて道の端によけるまで。

那覇から北方のホテルへ向かう。
高速道路を含め沖縄の道路は非常に状態がいい。
我町とはもう全然違う。
我町の道路はどこも舗装が傷んで穴だらけになっている。
主に冬期間に凍害によって傷むのだが、厳しい財政事情が補修の妨げとなっているようだ。
この地では凍害を起こすほどの冬がないため道路の傷みも軽微には違いないが、その他社会インフラや町の様子を見て感じるのであるが、どうやら沖縄は財政が相対的に豊かであるらしい。
その財源がどこにあるのか、私にはわからない。
ここには観光以外に特別な産業があるとは思えないし、その観光にしたところで本島の空き地の相当部分が米軍基地となっていて、充分な観光地を展開できるスペースがあるようにはとても見えない。
米軍が相応の地代を払っているという話も聞かない。
となれば、国庫負担しかないだろうな。
沖縄の豊かな社会インフラは、国庫によって賄われているのだろう。

高速道路を走ると、充電の残量が見る見る減っていく。
リーフはフル充電で約200キロ走ることになっているが、それはエコ走行モード(とノーマル走行モードがある)で理想的にエコ走行をした場合、つまり現実の走行ではありえない数値という事のようだ。
実際に走行可能なのは半分くらいではないかと思う。
リーフの電気モーターはトルクが強く、気持ちよく加速する。
だが、そんな事をしていたら目的地まで着けないのではないかと不安になるくらい、バッテリーのゲージが減っていく。
仕方なくエコモードにするが、悲しいくらい力がなくなってしまうのである。
ちょっとした登りでどんどんスピードが落ちてしまう。
エコモードでは車の流れに合わせた運転は難しい。
だが、この調子なら充分ホテルまで到達可能であった。

ところでバッテリーの充電というのはどうやるのだろう。
EVを扱うのが初めてである以上、勝手はまったく分らない。
そこで途中のサービスエリアで充電してみる事にした。
充電装置は二口あったが、充電している車両はない。
今はまだ台数が少なく、施設の利用者数も知れたものだとしても、
今後もしEVが普及した場合どうなるのだろう。
その点には一抹の不安が残る。
さて、充電であるが思いのほか簡単である。
繋いでスイッチを入れて後は待つだけだ。
充電機には普通バージョンと高速充電機とがあり、
サービスエリアにあるのは高速の方だった。
約20分程度でフルの8割まで充電が可能で、
逆に言えばフル充電は出来ない。
充電中の車から目を離すのが何となく不安ではあったが、
トイレに行ったりコーヒーを飲んだりしていたら20分はあっと言う間である。
さあ、目的地のホテルまであと少しだ。

空港から車で一時間半ほど行った西海岸の岬の突端に、宿泊先のリゾートホテルが建っていた。
従業員の誘導で車寄せに着ける。
明らかに私よりも華奢な、若い女性従業員の方が荷物を運んでくれる。
この状況に私はいつも戸惑う。
男ならどうと言うことはない。有り難く運んでもらえば良いのだ。
だが、小柄な女性に仕事とは言え荷物を運ばせて、私は平気でいられない。
このあたりの客の心理を、ホテル側がもっと推察すべきだと思うが如何なものか。
車は駐車場へ運ばれ、ホテル側で充電もしてくれるとの事であった。
この日、沖縄の最高気温23度、日没は午後6時半過ぎであった。
我町との比較で言えば、最高気温で20度以上高く、日没は30分程度遅い。
日本は案外広いのである。





ブセナ









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番外編 ④

海軍




<番外編 ④>





翌日は南部の戦跡を訪ねた。
写真は帝国海軍の司令部壕である。
海軍はツルハシともっこで、この地に広大な地下司令部を構築した。
その労力には頭が下がるが、だからと言ってそれで戦に勝てた訳ではない。
出来る限りの努力を惜しまなかったと、それだけの事なのである。
日本軍は米軍との比較で、工兵の機械化や兵器装備の近代化で決定的に劣っていた。
だから精神主義に走るしか他に方法はなかったのだが、その事で一定の成果を上げたとも思う。
だが、肝心の装備兵器で負けていては戦場では苦しい。
日本軍の歩兵の主力装備がボルトアクションの小銃で、それをやっと一発撃つ間に米兵はマシンガンをバラバラと撃ってくる。
実際の銃撃戦では、一発一発丁寧に狙ってなどいられるものではないという。
狙いをつけている間に頭を撃ち抜かれてしまうのだ。
だからいきおい顔を上げずにメクラ射撃をすることになる。
そうなると弾の発射量の勝負になってしまう。日本軍は弾薬の準備も少ない。
そんな状況下にありながらも精神力にものをいわせ(つまり命を的に)、火力に劣る小銃を手にした日本兵は良く戦ったと思う。
実際、沖縄戦ではアメリカ軍にも相当の犠牲者が出ている。
1万2千人が戦死しているのだ。
だが、キルレシオでは10倍の差となった。
アメリカ軍は地上戦闘員だけでも5倍という圧倒的な戦力で押し寄せ、自軍の犠牲の10倍、12万人近い日本兵を殺した(非戦闘員殺害数を含まない)。

沖縄戦で劣勢の日本軍が米軍に一定の出血を強いることが出来たのは、サイパンなどでの戦訓を生かし無謀な水際作戦を棄てたからだった。
敵の上陸を無理に阻止しようとせず、上陸後内陸部で敵を消耗させる作戦に変えたのだ。
これは軍事的には正解だろう。
だが、一方でこの作戦が地元民などの非戦闘員の犠牲を増やす結果となった。
軍部は元より、沖縄県民の犠牲を斟酌していなかった。
米軍の本土進攻を遅らせる、それ以外に重要なことなど何ひとつなかったのである。
沖縄県民の安全には少しの配慮もなされなかった。

琉球はそもそも、薩摩に併合されるまでは小なりといえレッキとした独立国であったし、日本よりもずっと中国寄りのポジションに立っていた。
歴史にIfは意味がないとは言うが、もしも薩摩に併合される事なく、中国の属国といった立場が続いていたとしたなら、沖縄戦はなかっただろう。
今、軍事大国となった中国が、武力にものをいわせて沖縄に色気を出し始めている。
こういった現実を沖縄の人々はどのように受け止めているのだろう。
かつて同胞を虫けらのように殺した同じ米軍の、在日基地の8割近くが現在も沖縄に存在している事と合わせ、この地の歴史はあまりに過酷である。

帰りに那覇に立ち寄り、やちむん通りを歩くなどした。
家人がシーサーを買いそうな勢いであったが、ぎりぎりにて思いとどまったようであった。
良かったのではないか。
そんな大荷物を買い込んだら後が大変である。
国際通りのレコード店を覘いたら、ジャズのバーゲンコーナーがあり、正規国内盤が三枚で2480円とのことだ。
これはルール的にアリか、と思いつつもリーフで聴こうとアキコ・グレースや澤野の北川潔など三枚を購入。
沖縄ではジャズの人気が更にパッとしないのだろうか。
どうもイメージ的に似つかわしく思えないのも、あながち偏見とばかりは言い切れまい。
店を出たところで猛烈なスコールに遭遇した。
急遽雨傘を買い求める。
この日の外気温は25度を超えていたようだ。
まことに南国である。






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番外編 ⑤

嘉手納


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<番外編 ⑤>





三日目は朝から基地巡りだ。
まずはホテルから一番近い辺野古のキャンプシュワブを目指す。
東海岸の人里離れた場所にそれはある。
普天間の飛行場をここへ移転させようとした日米合意は、それなりに合理性のあるものだと思う。
埋め立て予定地がサンゴ礁の美しい海岸だと聞いたことがあるが、基地のフェンスに阻まれて確認することは出来ない。
移転を当て込んで某政治家が買い占めたとかいう土地も、特定は困難だった。

次に向かったのは、極東最大の米空軍基地嘉手納である。
冒頭の写真は基地と道路を隔てた「道の駅」展望デッキからの風景だ。
今やちょっとした観光スポットになっているようだ。
運が良ければ最新鋭のF-22ラプターなども見ることが出来るというが、生憎この日は飛来せず航空自衛隊でもお馴染みのF-15が訓練しているのみだった。
だがそれでもF-15が目前で急上昇していく様にはそれなりの迫力があり、その騒音は普通の民間空港では体験出来ないものである。
晴れた空を見上げ続けた私は、季節外れの日焼けをする事となった。

そして最後に宜野湾市の普天間を訪れたのである。
番外編③冒頭の写真は、普天間飛行場滑走路の延長上にある嘉数公園からの風景だ。
高台にあり、飛行場を見渡せる恰好のポジションにある。
普天間は危険な飛行場として問題になっているが、確かに街中にあり飛行場として相応しくない立地であるのは明らかだ。
では、この状況はどのようにして形成されたのだろう。
嘉手納基地は旧陸軍の飛行場を米軍が整備したものだ。
元々そこに飛行場があったのだ。
だが、普天間は違う。
この飛行場は戦後米軍が、一から原野に構築したものだ。
何もない所に基地が出来、その後周辺に人が集まって危険な普天間が出来上がった。
ではなぜ、それほど危険だという基地の周りに人が群がるのか。
それは基地が金を落とすからであり、雇用を提供するからだ。
これといった産業がなく、従って求人が少なく、10パーセント以上の高失業率に喘ぐ沖縄にあって米軍基地は、トップの観光に次ぐ重要な雇用の場となっている。
その待遇は、思いやり予算による国家公務員に準じたものだという。
だから基地からの求人にはいつも20倍を超える応募がある。
自ら望んで危険な飛行場周辺に集まった人々が、飛行場が危険だからどこかへ移転しろと主張し始めるのはどうもおかしい。
どこかで誰かが、故意に話の筋を書き換えている、そんな気がしてならないのだ。

普天間では騒音問題で訴訟すら起きている。
基地の騒音がどれほど酷いのか、どれほどの被害を及ぼしているのか、それは実際にそこで暮らしてみなければ本当のところはわかるまい。それはそうだ。
だが私が嘉数公園に滞在した小一時間、基地周辺は実にのどかな状況だった。
離発着があったのは、KC-130輸送機の着陸一回のみである。
だから我慢すべきだと言うつもりは毛頭ないが、嘉手納の騒音とは全然違う。
普天間は海兵隊基地だ。
飛来する機体のほとんどがプロペラ機であり、桁外れの騒音を出すジェット戦闘機の離発着はないのだ。
嘉手納周辺の騒音のひどい地域では、我慢できなくなった住民が防衛省に土地を売ってどんどん出ていくという。
その譲渡所得には、5000万円の特別控除すらあるのだ。
この国では居住地選択の自由が保障されている。だが、普天間にそうした動きはないようだ。
普天間の人たちは本当に基地移転を望んでいるのだろうか?
中には心から望んでいる人がいるのかもしれない。
それが実際にどれくらいの割合なのか、一人一人に本心を聞いてみたいものだ。

米軍基地は沖縄にとって、実は金の卵を産む鶏なのかもしれない。
だとするなら、それが少々騒々しいとか排泄物が臭いとか言って、そう簡単に絞め殺すわけにもいかないだろう。
現在国庫から手厚く支出されている補助金や交付金は、基地負担への見返り、保証の意味合いが相当ある筈だ。
基地がなければ見直し必至、米軍基地あっての補助金・交付金、米軍基地あってのインフラ整備なのである。
もしも基地が全部なくなれば、沖縄は経済的に成り立たないのではあるまいか。
おそらく地元の人たちは、その事を充分理解している筈だ。
基地反対を叫ぶ声は別の方向から聴こえてくるものだと思う。
誰かが地元の本音を無視した政治闘争にすり替えている、それが沖縄の基地問題の真相ではないだろうか。

基地問題は原発問題と構造が似ているようにも見える。
しかし沖縄の米軍基地が福島の原発のように、他県民に迷惑をかける事態は考えにくい。
だから沖縄の基地問題は、外部の者をして安易に口をはさむことを許さない。
もしもそれが可能であるなら、地元の人たちが住民投票でもして自分たちで決めるしかない複雑で多面的な問題なのである。

駆け足で沖縄を周り、翌日私は我が家へと帰った。
そろそろ大音量で音楽を聴きたくなっていた。
いつでも最高の音をだせるよう、アンプの電源を落とさずに私は出かけていた。
およそ70年前、帰れないかもしれないと知りつつ沖縄へ向かった多くの将兵がいる。
彼らの出征は事実その通りになってしまった。
短い旅が終われば、私の日常はすぐに元通り再開される。
私はその事を知っている。
それは恐らく大変幸せなことなのだろう。
平和とは明日の予定が立てられることなのだ。
だが、平和はけして只ではない。
日産リーフの充電が実は只ではないように、何らかの形で誰かがそのコストを負担しなければならない。
そして完全に管理され、コントロールされた状況下ではじめて、平和は明日も継続される。
平和の継続を担保するものは、外交と軍事力だ。
戦争反対を叫べば戦争がなくなり、平和を求めれば平和がやってくる訳がないことを私は改めて思った。
四日ぶりの故郷に立てば外気は氷点下。
北国の春は尚遠く、まだまだ影も形も見せてはいないのだった。











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バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

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