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(82) 帰って来たエバンス

エバンス
NO.82 2012.2.2



<帰って来たエバンス>





ワルツ・フォー・デビーのセッションから13年の時を経て、ビル・エバンスが再びビレッジ・バンガードに帰って来た。
その間エバンスはここで演奏した事がなかったのか、
それは知らないが、多分これが二度目という訳ではないだろう。
エバンスは終始落ち着いており、あまり多くはなさそうな客が、
それを温かく見守っている。
そんなリラックスしたビレッジ・バンガードの様子が伝わって来る。

時代は70年代半ばにさし掛かり、音楽を取り巻く状況は大きく様変わりしていた。
60年代を疾走したビートルズも既に去り、ハード・ロックですらが腐り始めていた。
ウォーター・ゲート事件でニクソンが辞任し、北ベトナム軍は勢いを増してサイゴン陥落は間もなくだった。
日本では長嶋茂雄が引退、ロッキード事件で田中角栄が退陣し、宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへ向けて発進した。

エバンスはユダヤ教のラビのような風貌となっていたが、その実何一つ変わる事なく律儀にピアノを弾き続けていた。
だが、彼が51年の生涯を終えるまで、残された時間はあと僅かだった。
最後まで止める事が出来なかったヘロインが、既にこの天才ピアニストの身体をボロボロに蝕んでいたのである。














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(83) 小沼ようすけ

小沼
NO.83 2012.2.3



<小沼ようすけ>





2001年、27歳のデビューアルバム。
彼もまた神に祝福された子である。
神は選ばれし者に惜し気もなく多くのものを与えたもう。

メジャー・リーグに移籍が決まった日本人のピッチャーがいた。
移籍金としてチームに40億を残し、年俸8億の6年契約で間もなく日本を去り渡米するらしい。
最後に日本のファンを前に、この国ではレベルが低すぎてモチベーションを保てないから出て行くが、いつかまた帰って来てプレーしたいと言った。
つまり、自分の力が落ちてこの国のレベルに見合うようになればまた帰って来てやる、とこういう事だ。
それに対して日本のファンは「ありがとう、頑張って、応援してます」とお人好しまる出しだ。
自分の力で尋常ならざる大金を稼ぐのも、それを応援するのも勝手だから好きなようにしたらいい。

小沼ようすけは随分練習しただろう。
だが、ギタリストは誰だって練習する。
そしてその結果、練習に見合う分上達するのではない。
才能に見合う分だけ上達するのだ。
野球もサッカーもその点では何ら変わる所がない。

才能とは偶然遺伝子に組み込まれて伝えられた素質である。
つまり、何の努力も要せず無料で与えられた遺産のようなものだ。
では誰からの遺産だろう。
これは全人類の遺産であると考えていい。
その遺産が誰によって相続されるのか、それは全くわからないが、ある時偶然誰かがそれを相続する。
相続であれば税が課されるべきだ。
そのように考えれば、所得税というものが定額制ではなく累進性をもった税率によって算出されるのは少し納得がいく。
金を稼ぐ力もまた、人類共有の遺産である。

















(84) 長崎の女

eric.jpg
NO.84 2012.2.4



<長崎の女>





エリック・アレキサンダーで思い出す。
昔、あるジャズのサイトで知り合い、文通(電子メールだけど)するようになった長崎の女がいた。
女と書いて「ひと」と読めば演歌調で雰囲気が良い。
エリック・アレキサンダーのファンだと言い、女だてらにテナーを吹いていた。
10年以上前の話で、当時彼女は20代前半だったと思う。
私の半分以下の年齢だった。
色々情報交換などするうちに、夏休みに友達とこちらへ来ると言うので、気をまわして「温泉でも手配するがどうか」と提案したが、何をカン違いしたものかそれきり音信不通となった。

本作は日本のレコード会社による、1999年原宿「キーノート」でのライブ録音である。
ハロルド・メイバーン(p)、ジョー・ファンズワース(ds)が参加している。
キーノートは現在「B♭」と名前を変え、赤坂に移転して営業を続けているようだ。
原宿「キーノート」には一度も行くチャンスがなかった。
赤坂「B♭」についてそうなる可能性は低くない。
長崎の女もどんな顔をしているのか見る機会もなかったが、とりあえず変な女だった。
MDを数枚送ってくれたので、こちらからはマイルスのマラソン・セッションを録音してお返しした。
もうすでに30代後半となっている筈だ。
今も元気にテナーを吹いているだろうか。
結婚などして二人くらい子供がいてもおかしくはない。
10年という歳月はけして侮れないのだ。











(85) jazz for men

jazz.jpg
NO.85 2012.2.5



<jazz for men>





2000年にオスロで録音された。
ノルウェーのジャズであり、ギターとウッドベースによるデュオであるから、もとより熱くはなりにくい。
スタンダードを淡々とこなしていく。

ノルウェー、音楽、ときて連想するものと言えば、ジョン・レノンが歌った「ノルウェーの森」があるばかりで、あとこの国で思い浮かぶものとしては、携帯電話の「ノキア」であろうか。
そう言えば我家のボクスターは、ノルウェーにて生産された可能性があるのだった。

最大限頑張ってみても、もうこれ以上は思い着かない。
私は生涯ノルウェーを訪れる事などないであろうし、この国の人々とどのような形であるにせよ直接の交流を持つ可能性は限りなくゼロに近い。
だが、私は自分が暮らすこの日本とノルウェーに、いくつかの共通点を見ている。
ノルウェーもまた、二院制の議会を持つ立憲君主制の王国である。
国土の面積が日本と同じくらいの小国であるが、国民一人当たりのGDPや平均寿命の高い先進国でもある。
だが、決定的に異なる点がある。
それは人口だ。

昨年、人類の総数が70億人を超えた。
一方この国では人口が減少局面に入ったと騒いでいるが、それでもまだ人類の70人に一人は日本人なのである。
これはけして少なくないのではないか。
実はノルウェーの人口は500万人ない。
北海道民よりも少ない人々が、日本より少し広い国土に悠々と暮らしているのである。
国全体のGDPは神奈川県程度だが、国民一人当たりの所得が高く、見てきたわけではないが豊かな生活をしている。

こういった国は欧州に少なくない。
日本は人口減少を嘆くより、ノルウェーあたりに学ぶべきではないかと思う。
何故少子化現象、人口減少が起きているのか。
それはこの国の基礎体力が、一億以上の人間を支えていく程強くはないということなのだ。
冷静に考えてみればその事が良くわかる。











(86) 超絶技巧

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NO.86 2012.2.6



<超絶技巧>





ゴンサロ・ルバルカバはキューバの人。
技巧派ピアニストは数多あるが、ゴンサロは極めつけと言って良いだろう。
私は彼より上手いピアニストを知らない。
あまりにも上手く、時として人間が弾いているのではないような錯覚すら覚えるほどだ。

20年近く前のこと、今ほど簡単に行き来できなかった頃、ゴンサロは招かれてアメリカで演奏したことがあった。
きっと聴衆は驚いたに違いない。
キューバの片田舎にこんな凄いピアニストがいたのである。
アメリカという国には傲慢にして思いあがったところが大いにあるが、凄いモノは凄いと素直に認め、賞賛を惜しまない寛容さもまたある。
夜明けのスキャット騒動はどうにも理解できないけれど、ゴンサロの才能は認められるところとなり、当然の如く活躍の場を与えられたのである。
もしも彼が日本に同じものを求めて来ていても、彼の居場所はなかったかもしれない。

ピアノが弾けたらなあ・・・という歌があった。
私は幼少の頃ピアノを習いたいと思ったことがある。
母親にねだったが叶わなかった。
弟がまだ小さく、ピアノ教室に連れていけない、との理由だったように思う。
その弟が幼稚園に上がりピアノを習い始めた。
それは母親に強制されたもので、それ故か少しも上達せず長続きしなかった。
だったら私にさせてくれたら、と少し思った。
一曲だけでいいから弾けたら、それがショパンのノクターンだったら、後年どんなに役に立ったことだろう。
ピアノが弾ける男というものは、もしかしたら料理が上手な男と同等かそれ以上にポイントが高いものだ。

尚、渚で立ち小便ではありません、念のため。










(87)L.A.の歌姫ジャズを歌う

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NO.87 2012.2.7



<L.A.の歌姫ジャズを歌う>





最近の事のように思っていたが、驚いた事にもう30年近く前のレコードになる。
野生の歌声でカントリー・ロックを歌いまくり少しマンネリ気味となった時、こういうのもやってみたら、と勧められたかリンダ・ロンシュタット。
それでつい手を出してしまった彼女だが、まったくジャズボーカルにはなっていない。
「悪いあなた」なんかを歌っているのと、まるで同じ調子なのである。

本作がリリースされる数年前だったと思うが、大阪で来日公演を聴いたことがある。
エラ・フィッツジェラルドをエラフィッツで切っていたように、その頃私はまだ、彼女をリンダロン・シュタットだと思っていた。
リンダロンってなによ。
当時は、昨今の如き判で押したような総立ちコンサートの風習未だなく、ロック系のコンサートでもゆっくりと座って聴くことができた。
万一前で立とうものなら、「バカヤロー座れ!」と後ろから罵倒されたに違いない。
それが今では、サイモン&ガーファンクルですらが総立ちだというのだから驚く。
「コンドルは飛んでいく」を聴いて、手持ち無沙汰に総立ちになっていても仕方ないように思うのだが。
やっぱり周りが立つから、立たないと塩梅がよろしくないのであろうか。
ご苦労さんなコンサートであると言わざるを得ない。

閑話休題。彼女は恋多き女と言われ、たくさんのミュージシャンと浮名を流していた。
肉食系って感じでしょうか。
実際噂に違わず、実物のリンダはその手のオーラを出しまくり、
ステージでギターの男とベースの男が彼女を巡って喧嘩を始める有様だった。
聞きしに勝る恋の多さなのであろう。
何があったか無論詳しい事まで知らないが、
敗れた(と思われる)ギターの男がウィスキーをラッパ飲みし始め、
やがてステージでベロベロになってしまう。もう目茶苦茶であった。

最近どうしているのか知らないけれど、60代半ばとなった今なら、もしかしたらいい味のスタンダードが歌えるのかもしれない。









(88) アルフレッドの茶目っ気

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NO.88 2012.2.8



<アルフレッドの茶目っ気>





本作がブルーノートの1500番台に存在するのは、別に狂気だとは思わない。
アルフレッド・ライオンは好奇心が旺盛だった、それだけだ。
私はこれを結構気に入っている。
ジャズをどんどん先祖帰りさせていけば、こういった所に行き着くのだ。
スカしたハードバップは聴き過ぎると胸やけがする。
そんな時はこれだ。頭を空っぽにして大音量で聴く。
パワーがありユーモアがありメロディアスですらある。

唯一神教の如くジャズを崇め奉るのは流行らなくなった。
特に酒の席で音楽を聴くのなら、
マイルスやエバンスやマクリーンの間に、このSABUやトム・ウェイツや津軽海峡冬景色を混ぜて聴きたい。
きっといい味が出ることだろう。

アルフレッド・ライオンが酒飲みだったかどうか知らないが、きっと自分の宴会で口直しに掛けたらいいな、などと思いながら本作をプロデュースしたのだ。
そんな気がする。











(89) ローマからの手紙

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NO.89 2012.2.9



<ローマからの手紙>





ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」が入った「ローマからの手紙」を、在日朝鮮人三世のケイコ・リーが歌うというカラフルな一枚。
彼女は21歳でピアノを始めたという。
それであそこまで弾けるようになった。
信じられないことだ。タッチが弱い、などと悪口を言ってすまなかった。
もっとも、このアルバムでは別にピアニストを立てているから、自分のピアノがやや弱いことは本人も自覚しているのだろう。
その「ゴースト・ピアニスト」のタッチが強烈で、レンジ・ローバーの車載スピーカーをビビらせた事がある。

英国の車産業はほぼ絶滅したが、それは無理もなかった。
英国車は壊れてどうしようもなかった。
それは故無き事ではない。作りがいいかげんなのだ。
レンジ・ローバーのカタログによれば、そのオーディオは「息を呑むような音」がすることになっている。
だが、どこか音がおかしかった。
原因不明のまま数年が経ち、訳あってオーディオを入れ替えた時に驚きの事実が見つかった。
左フロントのスコーカー(中音用ユニット)が結線されていなかったのだ。
ユニットは組付けられ、線もそばまで来ているが、結線はされず放置されていた。
それを発見したカーオーディオ専門の業者が結線し、音を出してみたところ、ユニットが不良で歪んだ音が出た。
レンジ・ローバーの組み立てラインでは、それが判明した時、スピーカー・ユニットを交換せず線を外して出荷したのだ。
どうせ分りゃしないと。

それがわかったので、同じ口径の少し上等なユニットに全部交換してもらった。
レンジ・ローバーは初めて「息を呑む」音を出した。
ところが、本作「ニューヨークの想い」のイントロのピアノで音が割れてしまったのである。
取り付けた業者によれば、マッチングが悪いので更に別の機種に変更するとの事だった。
やや意味不明だったが、まあ仕方なかろう。
機種は変更され、当然音のニュアンスも変わった。
そんなほろ苦い思い出が、「ニューヨークの想い」に込められている。















(90) たけしとジャズ

takeshi.jpg
NO.90 2012.2.10



<たけしとジャズ>





NO.81で書いた「私的名曲集」を、ビートたけし氏位になれば本当に作ってもらえる。
しかもそれを二枚組3200円というお値打ち価格で、実際に販売してもらえるのだ。
もっとも「私的名曲集」とは言っても、クレオパトラの夢(バド・パウエル)、モリタート(ソニー・ロリンズ)、アイ・リメンバー・クリフォード(リー・モーガン)といったまさしくヒットメドレーであり、そう我儘な中身でもない。
担当者が少し大変だとすれば、収録曲のレーベルが多岐に渡っていて、その承諾を一々取り付ける事くらいだ。
だが、「たけしとジャズ」を持ち出せば断る相手もいまい。
この内容ならスーパーのワゴンセールで500円とかで並んでいる廉価盤で手に入る音源だが、「たけしとジャズ」と銘打てば改めて買うバカな客は私一人ではないのだろう。
それで天才北野武の音楽の原点はジャズだった!とうそぶいている。
うらやましい事だが、人間大物になれば、出来ない事も怖い事も限られてくるようだ。

出来ない事怖い事と言えば、嘗て不文律として守られていたものが、いつの間にかそうでなくなってしまった事は多くある。
こんな事を書きながら「朝ズバ!」をつけていたら、交通情報のテロップが出て、また高速道路で事故だという。
最近多くなってはいないだろうか。高
速道路の事故は即命にかかわる。
マナーが悪くなった。
それも極めて悪くなったと思う。
昔は多くのドライバーが、高速運転の危険性という共通認識に立った運転を守っていた。
暴走族まがいの人間以外、無茶はけしてしなかったのである。
それがいつしかそうではなくなってきた。
日本人はやっていい事とそうではない事の区別がつき辛くなっている。

お天道様は今も昔も、いつだって変わらず見ている。
東日本大震災時に伝えられた驚嘆すべきマナーの良さ。
実際そういう事もあったのだろう。
だが、それはある意味まだ余裕がある状態で守られたマナーという話に過ぎないのではないか。
当然そうではない案件も多数あった筈だ。
事態が固定化していった頃、震災当日一つのおにぎりを分け合って食べたという美談が伝えられる同じ避難所に、被災とはまったく無関係の人間が多数紛れ込み、三食付きの無料宿泊施設としてありがたく活用していたと聞く。
関西から東京に向かうトラックが遠回りして東北の料金所で一旦降り、Uターンして再び東京へ向かうことで高速料金を無料にするという見事な裏技を発明したのも、同じこの国の人間である。
可能不可能に関わりなく、やっていい事とそうではない事は確実にある。











(91) ウィスパー ノット

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NO.91 2012.2.11



<ウィスパー・ノット>





ベニー・ゴルソンは多くの名曲を書いた。
中でもとりわけ「ウィスパー・ノット」が私は好きだ。
なんという見事な構成だろう。
音楽と数学には共通性があるという。
ベニー・ゴルソンはきっと頭の良い男だったろう。

楽譜を理解出来ない私は、無論数学も苦手だった。
高校最後の数Ⅲに至っては、定期テストが殆ど零点で、
生活指導もしていた数学の教師から、最後のテストが零点なら卒業させない旨宣告された。
なんとか5点取って私は高校を卒業したが、この時の事は40年たった今でも時々夢に見る。

リー・モーガンはこの時弱冠18歳。
私が数学で零点を取り続けていた年齢だ。
そんな自分と比較してモーガンを語る事にたいして意味はないが、この18歳のトランペッターは不気味なほどの早熟ぶりを見せる。
この後、けして長くはなかった活動期間をモーガンは疾走した。
まるで34歳での夭折を、予め悟っていたかのように。

三つのバルブと唇の形のみで、全ての音階を吹き別けるトランペットという楽器は難しい。
普通は音を出すことすら出来ない。
まだ少年と言ってよい年齢で、この楽器を完全に自家薬籠中の物としたモーガン。
彼は神と取引でもして、トランペットのテクニックを自らの寿命と引き換えたのか。
そのようにでも考えなければ、私はこの演奏に合理的な説明が付けられない。











(92) BLUE LIGHTS VOL.2

ブルー
NO.92 2012.2.12



<BLUE LIGHTS VOL.2>





二枚の「BLUE LIGHTS VOL.2」が私の手元にある。
一枚は国内盤で、自分で購入したもの。
そしてもう一枚は後から入手したオリジナル盤で、頂いた品だ。
誰が高価なオリジナル盤をくれたとお思いか。
中古レコード店の店主がくれたのだ。

大ピアニストの名前を店名としたその店で、私は相当の数のレコードを買った。
オリジナル盤が店の主力商品なのだが、私は興味がなく、同じ予算で三枚も四枚も買える中古の国内盤ばかり買っていた。
ある時店主がこれをあげるから聴いてみなさいと言う。
理由は不明だったが、くれるというのだからありがたく頂いて帰り、聴いてみたのだ。
一言で言って音が大きいように感じた。
だが、そんな筈はない。気のせいだろうとは思ったが、私はたまたま所有していた国内盤を取り出し比較してみた。
全然違った。オリジナル盤と比べたら、国内盤からはなんとも痩せた音が出た。
焦った私は翌日店へ行き、これはどうした事かと尋ねた。
店主はオリジナル盤と国内盤の違いについて、得々と語ったものである。
私がオリジナル盤を買うようになったのは、それからの事だ。

店主は年に二度、米国へオリジナル盤買付けツアーに出かける。
直接買ってくるのだから、商品の原価は比較的安いだろう。
私が頂いた盤をいくらで購入してきたものか、それは聞いていないが多分50ドルくらいではないだろうか。
その後私がこの店で購入したオリジナル盤は、10枚や20枚ではない。
ドル換算で300倍以上の支払いをしたのである。
商売とはこのようにやるものだ、というお話。











(93) 夕張鹿鳴館

レッド
NO.93 2012.2.13



<夕張鹿鳴館>





鉱夫で思い出したのが、北炭夕張の迎賓館であった「夕張鹿鳴館」である。
大正時代の建物を利用して、現在レストランと宿泊施設として営業されている。
財政破綻した田舎町でひっそり営まれているので、あまり知られてはいないだろう。
第一どこにあるのか探し当てる事すら一苦労だ。

本格的なフレンチを出すレストランに、女中部屋を大改装した宿泊棟の組み合わせで、オーベルジュとして一応成立しているのだが、今時分は寒くて大変だ。
大改装と言っても自ずと限界があり、特に断熱化と気密化が難しい。
従って全館暖房という訳にはいかず、レストランと客室以外の場所は外気温と殆ど変らない。
館内を歩くのに外套が必要なのだ。
さらに今年は雪が多く、古い建物を雪の荷重から守るために二週間に一度は、本格的な雪下ろし作業を余儀なくされているという。
文化財なみの建物が倒壊しては困るので、頑張って雪を下ろしはするが最早どこへも持っていき場がなくなり、せっかくの庭園も全く見えない。窓の景色はただの雪山である。

夕食にちょっとしたワインを付ければ、一人4万からの料金となる。行くなら冬以外にした方がいい。










(94) ケルン コンサート

キース
NO.94 2012.2.14



<ケルン コンサート>





当時毎日3回はリクエストが来た。
さっきかけたばかりです、と言って断ったこともあるくらいだ。
リクエストは、二枚組の決まってA面に集中した。
一面一曲の構成だが、お陰で私は今でも隅々まで記憶している。
確かに美しく、また良く出来ているが、これは本当に即興演奏だったのだろうか。
それはキースにしかわからない事だ。
しかし、私は少し疑っている。
まったく白紙の状態でピアノの前に座り、これらのメロディが次から次へ湧いて出るというのは、いくらなんでも話が出来過ぎていると思う。
だが、事前に何らかの構想や予習があったとしても、本作の価値が低下するものではない。
それはどうでも良い事なのだ。
美しい音楽にはそれだけで価値がある、とこの歳になれば思うし、言っても許されるだろう。











(95) カモメ

チック
NO.95 2012.2.15



<カモメ>





私がまだ高校生で、ビートルズやフォークソングなんかを聴いていた当時、これを所有した同級の友人がいた。
一時その男とアパートを借りて同居した事がある。
親が地方に転勤となり、私は親の公務員宿舎を出なければならなくなったのだ。
一人暮らしは初めてで勝手がわからず、私はその友人とアパートを借りる事にした。
お互い家賃負担が半分で済むメリットがあった。
私達は学校のそばにボロアパートの空室を見つけた。
40年前、6帖二間風呂トイレなしの家賃は確か9000円だった。
その部屋に私は自分のステレオセットを持ち込んだ。
二人とも音楽好きと言って良かったので色々聴いたものだった。
かけるレコードはまるで違っていたが、その男がエルトン・ジョンやロッド・スチュワートやCSN&Yをかけるのは、別に何とも思わなかった。
ある時、彼の留守中に何となく本作をかけてみた。
何ということもなく演奏が続いたが、A面の最後へ来て私は大きな衝撃を感じた。
「What Game Shall We Play Today」
もう吉田拓郎なんかを聴いている場合ではないと思った。











(96) オーバーシーズ

フラナガン
NO.96 2012.2.16



<オーバーシーズ>





本作は私が生まれて初めて買ったジャズのレコードである。
ただし自宅用ではなく、ある人にプレゼントしたものだ。
その人は10歳近く年上で、地方の国立大学の歯学部を8年生で退学し、奥さんの父親が営む不動産会社で働き始めたところだった。
高校生の私に酒の味を教え、人生とは世間とは女とは何か語ってくれた。
今から思えばどれも的外れな見解だった訳だが、当時の私にそんな事が判断できる筈もなく、初めて覗く大人の世界になんとか近付こうと必死だった。
しかし、まだ子供だった私には何をどうして良いやら分からないまま、やがて私はその町を離れる事となり、ずい分酒をご馳走してもらったその人物に何かお礼をしたいと考えた。
それで用意したのが本作だ。
その人がジャズならトミー・フラナガンだと言ったのを、私は覚えていたのだ。
現在私の手元には、本作のLPとCDの両方がある。
人生と世間と女はともかく、ジャズならトミー・フラナガンはそんなに間違っていなかった。










(97) 踊り子

おどりこ
NO.97 2012.2.17



<踊り子>





スィンギーなウエストコーストのビッグバンド物だ。
アートペッパーや、あのスコット・ラファロなんかが参加している。
ジャズっていいなあ、と本作なんかを聴くと思う。
最初はわけも分からず、本作と同じマーティ・ペイチの「おふろ」がカップリングされたCDを買った。
次第にこの様な扱いもどうかと思い始め、「踊り子」「おふろ」ともオリジナル盤を探しあてた。
盤質はまあまあなのだが、この二枚ジャケットが大分やられている。
こんな良いレコードを手荒に扱う輩は洋の東西問わずいる。
私などには信じられないことだ。

レコードからはCDには感じられないオーラが出ている。
レコードを棚から抜き出し、ジャケットから出してターンテーブルに乗せそっと針を置く。
一連の動作に付きまとう緊張感が私は好きだ。
背筋を伸ばしレコードと対話している。
そうすればレコードを傷めるなどという事など起こりよう筈もない。
レコードというモノ、大切にすれば人間なんかより寿命は長い。











(98) 語るべきもの

南
NO.96 2012.2.18



<語るべきもの>





南博さんはピアニストであるが、文章も書かれる。
バブル期の銀座時代を書いた「白鍵と黒鍵の間に」。
銀座のクラブでピアニストをして作った資金でバークレーに留学した「鍵盤上のUSA」。
そして、帰国後を書いた「マイ・フーリッシュ・ハート」が昨年出た。
どれもやたらと面白く、この道でも十分やっていける水準に仕上がっている。
 
音楽家と文筆家に共通してあるべき必須の素養は何か。
それは何はともあれ語るべき事柄がある、ということに尽きる。
中には語るべき何物をも持ち合わせず、ただ生活のために続けておられる方もお見受けするが、人間誰だって生活がある以上それを責めるわけにはいかない。
しかしながら本来であれば、語るべきものがなくなれば廃業するしかない職業である。

南さんは今のところ、その両方に語るべきものをお持ちのようだ。
文章は大変わかりやすく、誰が読んでも楽しめる。
ピアノはどうだろう。
こちらは少なくとも、わかりやすいとはけして言えない。
他の方に私がお薦めできるのは、残念ながらというか、はっきり言って本の方である。











(99) ジョン ピザレリ

john.jpg
NO.99 2012.2.19



<ジョン・ピザレリ>





弾けて歌えて喋れる。
ジャズはショービジネスでもあるから、これくらいは出来ないとだめだ。
スタジオに籠り、芸術作品を作ってばかりでは済まされないのだ。
ジョン・ピザレリのステージ、お客さんは大爆笑である。
私は一つも面白くない。
彼が何を言っているのかさっぱり理解できないからだ。
日本人で不自由なく英会話が可能だという人は、どれくらいの割合でいるのだろう。
何しろ世界で二番目に英語が話せない国民だというのである。
因みに一番は、近頃亡くなったあの将軍様の国という話だ。

何故日本人は、私は英会話ができないか。
機会がなかったからであり、基本的に必要なかったからだ。
英会話が出来るようになりたいと思ったことはある。
高校生の時に英会話の学校へ週一度通った。
その程度ではもちろん話せるようにはならなかった。
子供たちは幼稚園の時から通わせた。
彼らも話せるようにはならなかった。

「二ヶ国語が話せる人はバイリンガルです。三ヶ国語ならトライリンガル。では一つの言語しか話せない人は何と言いますか?」
そういうジョークがあり、答えはアメリカン。
彼らはたまたま、国際標準語と化した言語を使う国に生を受けた、それだけのことだ。
某予備校のコマーシャルではないが、英語が言葉である以上それを使用する地域では誰でも易々と話せる類のものに過ぎない。
かの国では土方もホームレスも流暢な英語を話す。
それらの連中は時として日本へやってきて、何食わぬ顔で英会話の教師となり、バカな日本のネーチャンと宜しくやっていたりする。

日本語がそういうポジションにあれば、もしかしたら私だって世界で活躍していたかもしれない。
しかし、いくら文句を言ったところで、日本語は通用なんかしないのである。
英語が世界共通語のようになっている現在の状況が、正直言って私は相当面白くない。
何故日本語が世界で通用しないのだ、との無念な思いはある。
だが、そんな事をいくら言っても虚しいだけだ。
これだけグローバル化した現代の地球に暮らし、英語が話せないのでは最早お話にならないだろう。
何とかしなければいけない。
日本はこの点を本当に何とかしなければ、辺境の小部族に転落していくしかないだろう。
少子化対策に効果が出るには時間がかかるのと同様、
日本人の英会話対策にも間違いなく多くの時間が必要だ。
手遅れになる前に国をあげて動きださなければならない。
平成維新が必要なのは、何も国家制度だけではない。










(100) 八丁味噌の思い出

古野
NO.100 2012.2.20



<八丁味噌の思い出>





10年ほど前の話になるが、訳があり私は隔月決まって名古屋へ行っていた。
その頃ホテルの近くのライブハウスで、古野さんのステージを見た事がある。
話術が巧みで、大入りの客席は私を含めドッカンドッカン大受けだった。
やはりライブは言葉がわかってナンボのものだ。

その時購入した本作CDにサインを頂いた。
間近に拝見した様子と、直前のライブでの話しぶりにずい分落差があって驚いた。
実際の古野さんは音大出の芸術家肌の人で、ライブでの話術はテクニックなのかもしれない。
それはそれで大したものだ。

名古屋という街は存外垢抜けていて、事前に想像したような田舎臭さは全くなかった。
だが、食文化にはどうも同じ日本とは思えない異質さがある。
名古屋コーチンという高名な地鶏があるが、それを鍋でいただく時に八丁味噌を入れてしまう。
味が濃くて、せっかくの鶏の味が全然わからなかった。
味噌煮込みウドンも同様に、珍妙なる食物であったし、あの有名な手羽先も私には理解不能だった。
それは遠くでインスタントラーメンのスープの味がした。

それらの味の思い出が本作にいくらか重なるか、と言えばけしてそんな事はない。
私の味覚と聴覚の記憶には、恐らく相互に大きな関連性がないのだろう。
あれから10年の時が過ぎ、私の町にも名古屋の手羽先を出す店が出来た。
懐かしいので行ってみよう、とはけして思わない。











番外編 ②

the band



<番外編 ②>






マーチン・スコセッシが監督したドキュメンタリー映画「ラスト・ワルツ」は、1976年に行われたザ・バンドのラストコンサートを記録したものだ。
ニール・ヤングがエリック・クラプトンがジョニ・ミッチェルがリンゴ・スターが、そしてあのボブ・ディランまでもが集結、ザ・バンドの解散、いや、と言うよりもロックの終焉を宣言した。
ジャズに引導を渡したロックもまた、およそ20年で自壊し伝統芸能となった。

何事にも始まりと終わりがある。本稿も例外ではなかった。
けして報われる事のない作業は、約百編の言いっ放しののち早くも終わりを迎えた。
死ぬ前に言いたい事を言ってやろうと思ったが、それもなかなか楽ではない。
語るべき事が、実は案外少ないのである。

願わくば何か「語るべきこと」がまた出現し、何かを言わずにおれない衝動が私を突き動かす日が来てほしい。
文章を書くという行為は、結構な頭の体操でもあるからだ。
何か適当なテーマがあれば、書き続けることも出来るだろう。
だが、特別な才能を持ち合わせない普通の人(つまり私)には、それがなかなか見つけられない。
人はなりたい者になれる訳では普通ないし、
文章を書いて生計を立てたいと思ったこともまたないのであるが、毎日職業として書き続ける方々のご苦労が少しはわかる。
なりたいと思ったことはないが、なれた筈もないのであるが、ならずによかった。

駄文を時々読んでくれた数人のみなさん、どうもありがとう。
みなさんにも素敵な「MUSIC LIFE」が訪れますように。

いつかまたお会いしましょう。










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バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

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