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(48) アレックス・カラオ

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NO.48 2011.12.29



<アレックス・カラオ>





アレックス・カラオは生まれつき目が不自由であったようだ。
少々クラシックなスタイルのピアノで、アル・ヘイグを思わせるところがある。
昔ならパウエル派と言われたのだろう。
誰が言い出したか知らないが、このナニナニ派というやつ、思えば失礼な言い方だ。
来日したトミー・フラナガンがパウエル派に括られていると聞き、なにそれ、オレはフラナガン派である、と言ったとか。
日本特有の分類だったのか。
もしもそうなら、そのオリジナリティには少し感心する。
だが、今はもうそんな事は誰も言わなくなった。
その辺の無名新人ならいざ知らず、大ピアニストをつかまえてパウエル派はないだろう。

本作はカナダのオタワ大学でライブ録音されている。
バードランドの子守唄、ラブ・フォー・セール、イッツ・オールライト・ウィズ・ミー、ラバーマン等々馴染みの曲が続く。
ジャケット写真の眼鏡に写る鍵盤と彼の手が印象的だ。
偶然ではあるまい。バート・ゴールドブラットによるものである。
スタジオでの作品があれば聴いてみたい。











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(49) ウィントン・ケリー

wynton.jpg
NO.49 2011.12.30



<ウィントン・ケリー>


手元の盤は、マスターテープの状態がかなり悪くなってからのプレスだ。
再発の輸入盤。
大阪辺りの安レコード屋のバーゲンで買った記憶がある。

昔のアナログ録音はオープンリールのテープレコーダーを使ったもので、時間が経つほどテープが物理的に劣化する。
音が揺れたり飛んだり、これはもうどうする事もできない。
そうなってからCD化したところで、この点は何ら変わるところがない。
オリジナル盤の価値が高い理由はここにある。
出来たての状態の良いマスターテープを使って作られているからだ。
だからと言って、レコード一枚何十万もするのはさすがにどうかしているけれど。

この盤はそもそもプレスが良くないようで、絶えずイヤなノイズを発生させる。
傷があるわけではない。
とにかく仕事が雑な印象。
裏ジャケットを見る。
印刷の字がワクからはみだしている。
見えても見えなくても、どのみち理解できる訳ではないから構わないものの、作り手の愛情とか拘りとかの類は微塵も感じられない。
アメリカの工業製品らしい、と言ってしまえばそれまでだが、そもそも、このジャズという音楽自体がアメリカ発生のものなのだ。
神聖視することはない。











(50) オープンセサミ 開け裏蓋

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NO.50 2011.12.31



<オープン セサミ 開け裏蓋>





フレディ・ハバードは2年ほど前、70才で亡くなった。
もう過去の人になっていたが、そして少しコマーシャルな所を批判されていたようだけれど、また一つ巨星が落ちたとその時思った。
これが彼の初リーダー作だった。
極東の田舎町で、こうやって故人の遺作を聴いている。
世界はそれなりに広いが私の世界はまことに狭く、たとえそうではあっても、やはりそれなりにいくつかの問題を抱えている。
しかしそんな事にはまったくお構いなく、フレディ死後の世界は来年も先へ進んでいくだろう。
人は誰も自分の世界で、自分なりに歩いて行くしかない。

すでにだいぶ前の話となるが、ステレオ・サウンドの菅野沖彦氏が「音のヌケ」について語っておられた。
後面解放型スピーカーは音のヌケが良い、との話に膝を打った。
我4344の裏面三分の一はメンテ用に蓋となっていて、ネジで留めてある。
それを外してみたのだ。
当然逆位相の低音が出てくるだろう。
だが、それがどうした。
長年の不満が一挙に解消されたのだ。
モヤモヤがなくなり、4344mk2は正しく解放された。
これなら、未知数の新スピーカーなんか要らないのではないか?











(51) コンサート バイ ザ シー

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NO.51 2o12.1.1



<コンサート バイ ザ シー>





エロール・ガーナーは楽譜を理解しなかったと聞く。
それでもこれだけピアノが弾けたのである。
数年前のこと、アルトサックスを習いにヤマハ音楽教室へ通ったことがある。
グループレッスンと個人レッスンがあり、私は迷わず個人レッスンを選んだ。
ちょっと男前で神経質そうな先生に、私は宣言した。
楽譜は読めません。読めるようになりたいとも思いません。
ただ、レフロ・アローン一曲吹けるようにして下さい。
だが、レッスンはテキスト通りに進められ、大半を楽譜の理解に費やされた。
先生は私にアルトサックスを教える気があっただろうか。
なぜかご自分は、常にテナーを持っていた。
素人相手のレッスン、それも初老の男の個人授業である。
気持ちはわからなくもない。
どこかの交響楽団員とか、クラブのバンドマンとかをしておられたのだろうか。
それだけでは食えず、ヤマハ音楽教室のバイトをしておられたのだろうか。
レフト・アローンを吹けるようにしてやろう、とは少しも思っていない様子でレッスンは三か月ほど続いた。

エロール・ガーナーはピアノを耳で覚えたのだろう。
盲目のピアニストは何人もいる。彼らは皆そうしてピアノが弾けるようになった。
私にそうしてアルトサックスを吹くことはできなかっただろうか。
今でも少し残念に思っている。











(52) ザッツ・ア・プレンティ

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NO.52 2012.1.2



<ザッツ・ア・プレンティ>





ポインター・シスターズというのは本物の四人姉妹であるらしい。
本作は70年台初頭の録音であるので、それから40年近く経過している。
本作の出来から考えて、当然何枚もレコードを出していると思われる。
既に収納可能なスペースは失われているが、もしも状況に変化が起きたら探してみたいミュージシャンの一つだ。
状況の変化とは収納場所の増加だが、ある音楽ファンは庭に蔵を建て、またある人はレコード収納用にマンションを借りた。
いずれも雑誌で見た話だ。
だが、私は今のところどちらも考えていない。
レコードは装置の近くに置いて聴くものだ。
ただのコレクターにはなりたくない。

ポインター・シスターズ、必ずしもジャズとは言い難いが、ノラ・ジョーンズをジャズ扱いする時代である。
余程こちらの方がジャズに近いと言って良い。
裏ジャケットでトランクに腰かけている女性が、末娘のジューン・ポインターだと思う。
この時19才。
可愛らしい人だが、現在ご健在ならアラカンであろう。
実物は見ないで置くに如くは無し。











(53) 真夜中のギター そんな歌もありました

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NO.53 2012.1.3




<真夜中のギター そんな歌もありました>





アール・クルー「真夜中のギター」ムード音楽だ。低音かぶり気味。
カセット・テープが同時発売されている。
「ドルビー・システムによりプリントされていますので、ドルビー・システム付カセットレコーダーでお聴きになれば、ノイズの少ないクリアーなサウンドが楽しめます」は良いとして、「また、一般のカセットレコーダーでも、トーン・コントロールつまみで高域を少し絞ってお聴きになれば、その素晴らしいサウンドを充分に楽しめます」とは何という事だ。
いくらなんでも、そんないい加減な話はないんじゃないか。

かつてカセットテープは音楽ファンにとって重要アイテムの一つだった。
私もずい分お世話になったものだ。
FM大阪の番組、ビート・オン・プラザやカモン・ポップスなんかをカセットに録音して聴いていた。
エア・チェックというやつである。
これはずい分真剣に取り組んだ。
聴きたい音楽、欲しい音楽が次から次へ出てくるのだが、片っ端からレコードを買うなどという事が出来る筈もなかったからだ。
これらのテープは今でも残っている。当時はディスク・ジョッキーの田中まさみさんや川村ひさしさんの声をカットして録音する努力をしていた。
タイミングが難しかった。
時々失敗してディスク・ジョッキーの語りが入ってしまったが、今聴いてみるとそれらの語りが貴重な記録となっているのが分かる。
無駄な努力はよして、全部録音してしまえば良かったのだ。
几帳面な性格が仇となった。

最初に買ったソニー製のカセットデッキは音が良くなかった。
そもそもカセットテープはノイズが多く、それを改善すべく搭載されたのがドルビー・システムだったが、ソニーのデッキでこれを使うと音がモヤついてしまった。
その後、ティアックのデッキを買い、だいぶ良くなった。

最後に買ったカセット・デッキはナカミチ製で、オート・リバースの機能が付いていた。
普通のオート・リバースは、テープの回転方向を逆にするというものだったが、
その方式は色々不都合な問題が発生してあまり上手くいかなかった。
ナカミチのオート・リバースは他社と違い、カセット自体を自動で裏返しにするというもので、その動作を見ているだけで楽しかった。
このデッキは今も持っている。

後年、ソニーが開発したMD(ミニディスク)というものが出て、カセットテープは次第に姿を消した。
私にとってMDは非常に画期的な発明だった。
LPレコードを録音して外へ持ち出すのに、これほど便利な道具はない。
だが、残念な事にiPodの出現ですっかり劣勢となり、MDは間もなく姿を消しそうだ。
ソニーはこうした失敗を繰り返してきた。
ビデオテープのベータが有名だが、他にLカセットというものもあった。
カセットテープの扱いやすさとオープンリールの音質を両立させたとして、鳴物入りで売り出した。
要するにデカいカセットテープであった。
今となっては、そんなものがあった事を知る人も少ない。












(54) 新スピーカーで聴くWOOD

wood.jpg
NO.54 2012.1.4



<新スピーカーで聴くWOOD>





そうこうするうちに、とうとう新スピーカーがやって来た。
先ず第一陣として山本音工の木製ホーンが、組立の前日に到着したのだった。
大きな段ボール箱が二つ。
S急便が荷物を置いて引き揚げていった。
居間に置かれた段ボール箱は大変重く、私一人の力で動かすことは困難だった。
明日まではこのままにしておくしかない。

この大きな木製のホーンから、いったいどのような素晴らしい音が出るのであろう。
私は遠足前夜の小学生のように明日が待ち遠しく、まだ音の出ないホーンが入った箱を眺めてニヤニヤしていたのである。
ところがふと気付けば、一つの箱に直径2センチほどの穴があいているではないか。
嫌な予感がした私はA店のKさんに報告を入れた。
Kさん早速やってきて箱を開け、中を確認したところ、ああ、何ということだろう、何かが段ボールを貫通し、本体に傷をつけていたのだ。
Kさん、慌てて運送屋に連絡を入れ、続いて山本音工にも電話を入れる。

S急便の担当者がやって来た。
どうやら保険で処理をする事になるらしかった。
私は何と言ったら良いかわからず、茫然としていた。
私の心中を察したKさん、大丈夫です、保険できちんとできますと、しきりに慰めるのであった。

翌日は朝から組み立て作業である。
専門の作業員の方を二人と、A店のKさん、それにSさんがみえて、計4人での作業である。
まず、タテマツ製のウーファーボックスが搬入された。
それを平らに寝かせ、エール音響の15インチウーファー二発を取り付ける。
これが容易ではない。
何しろ一発40キロの重量だ。
手をかけるような所がどこにもないので、Sさんは見たこともないピチピチのゴム手袋をして歯を食いしばり作業を進める。
私は邪魔にならないよう離れた所から、祈るような気持ちで作業を見つめるだけである。

ここで大きな問題が持ち上がった。
タテマツがウーファー固定用に付けてきたボルトが、短くてまったく用をなさないのだ。
何という事だタテマツ、図面をひき、全て計算したのではないのか。
Sさん、唖然とした様子だが、いつまでもそうしてはいられない。
ひとっ走り買って来ますと出て行かれた。

暫くしてSさんは同じ種類の長いボルトを調達して戻って来た。
一発8本、全部で32本のボルトを近くのホーマックで見つけたというのである。
ホーマックを疑う訳ではないが、見た目が似ていても質は問題ないのだろうか。
いや、疑ってもしょうがない。
ホーマックのボルトでウーファーを留めるしかないのだ。

やがてウーファーの取付けが終わり、男四人でそれを起こしにかかる。
大丈夫か?私に出来る事は何一つない。
続いて山本音工のホーンに、ドライバーJBL2441が取付けられる。ホーンの傷が痛々しい。
今度はそれを四人で担ぎ上げ、タテマツボックスの上に乗せるのである。
ここで気付いた。恐れていた事であるが、特注した筈の色合わせが全く合っていないのだ。
ホーンの色が明らかにずっと濃い。
それをKさんに言った。もちろんKさんもそれには気付いていた。
「これは不幸中の幸いというやつです。保険で左右とも作り直しになりますから、次は色を合わせるように良く言います」
そうだろうか。
本当に大丈夫なんだろうか。

この時点でとうに昼をまわっているが、時間を惜しむように昼休みなしで作業が続く。
もっとも私は、食欲などどこかに置き忘れてしまっているから、昼抜きに何の問題もなかった。
最後の重量物、エール音響のツィーターを木製ホーンの上に乗せた。
ここで作業員の方二人を帰し、後はKさんSさん二人の仕事である。

結線が終わり、音を出せる状態になったのは3時過ぎの事だった。
Kさんが厳かに言う。
「アンプの電源を入れてください」
私は黙って頷くと、この日唯一の仕事である電源を入れた。

ここからKさんとSさん、持参のCDを取っ換え引っ換えチャンネルデバイダーの調整が始まった。
音は確かに出ている。
だが、それが良い音かそうでないのか、この段階ではまだ私には判らない。
二人が私の全く知らないクラシックのソフトを使って調整していたからだ。
無言の時間が流れていた。私は息を詰め、二人の作業を注視していた。

どうも様子がおかしい。
二人で首を傾げているのだ。
次第に何かブツブツ言い始める。
曰く、ウーファーが動かない。曰く、洞窟で鳴っているようだ・・・
おいおい、それはないだろうと思ったが、私の耳も期待していたものとは大分違うのではないかと感じていた。

6時を回った頃だった。
Kさんは言った。
「初日ですし、まだ硬いのでしょう。このまま鳴らして下さい。明日また来ます」
そうして二人は帰っていかれた。

私はほとんど何もしていないのだが、なんだかぐったりと疲れていた。
そして相当に落胆していた。
一人になって本作を聴いてみる。
4344でも良く鳴っていた数少ないCDの一つである。
明らかに低音の質が悪い。
高域はモヤモヤしている。
どうしよう、エラいことになったのではないのか。
ベーシスト、ブライアン・ブロンバーグが泣いているようだった。











(55) ミート・ミー・イン・パリス

松尾
NO.55 2012.1.5



<ミート・ミー・イン・パリス>





翌日、Kさんは大きな荷物を持って一人でお見えになった。
荷物はパスのチャンネルデバイダー(以下チャンデバ)である。
チャンデバはスピーカー用の電気回路で、信号を低音と高音に分けるためのものだ。

Kさんは我家のチャンデバを疑っていた。
私の所で使っているのはアキュフェーズのDF-45という機種で、信号を一度デジタルに変換し加工した後もう一度アナログ信号に戻すというものだ。
Kさんはこれが音を悪くしているのではと疑っていた。
そこでご自分が一番良いと信じるパスのチャンデバを、店から持ってきたのである。

接続され音が出た。今日もクラシックのCDである。
じっと聴いていたKさん、昨日よりずっと良いとおっしゃる。
確かに昨日とは違う音が出ているらしかった。
しばらくこれで聴いてみて下さい。
そう言ってKさんは帰られた。

私は一人で様々なものを聴いた。
確かに違うのである。
本作をかけた。松尾明氏のドラム音がスカッとしている。
パスのチャンデバ、実売価格で70万以上だろう。
私はこれを買うのか?

買うしかないように思えた。
毒喰らわば皿まで。
この新スピーカーをなんとかしなければならないのである。
藁をも縋ると言うが、それにしては高い藁ではないか。











(56) ブルー・シティ

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NO.56 2012.1.6



<ブルー・シティ>





パスのチャンネルデバイダーも家に落ち着き、私は片っ端からレコードをかけていた。
どうも違和感がある。
なにがと上手く説明出来ないが、どうもどこかが違う気がしていた。
接続を確認し直し、調整可能箇所はすべてチェックしたつもりだった。
だが、それでも消えないこの変な違和感。いったい何だ。

本作を聴きながら、わたしはふと思いついてプリアンプのスイッチをモノラルにしてみたのだ。
鈴木勲のベースが中央に定位する筈である。
だが、音像がどうやっても中央に集まらない。
これはおかしい。
頭が混乱していた。
アンプの故障か?
いや、どうも違う。
チャンデバのボリュームを全てゼロまで絞ってみる。
当然音は消える。
次に高音のボリュームのみ、左右対称位置まで上げてみる。
高域の音像がスピーカーの中央にきちっと定位しているではないか。
これはどういう事か。
では、低域も試してみよう。
高域をゼロにして、低域のボリュームのみ左右対称に上げてみた。
大きく左に寄っている。
なんだ、これは・・・
原因はまだ分からない。
だが、何やら解決の糸口を掴んだようだった。

なけなしの知識と想像力を総動員して考えた。
低音の音像のみ極端に左へ寄っている。
右のウーファーから音が出ていないのか?
そっと手で触れてみる。
コーン紙の振動が手に伝わってきた。
これは・・・え?まさか・・・
右ウーファーボックスのケーブルを外し、単三電池を繋いでみた。
正相の接続であるから、コーン紙が前へ出る筈だ。

ボコッと音がしてコーン紙が動く。
なんという事か。
私は我が目を疑った。
上下二発のウーファー、上のコーン紙は前へ出ている。
しかしである、下のコーン紙は引っ込んでいるではないか!
私は遂に原因を特定した。
右スピーカーのウーファーのうち一つが、有ろう事か内部の配線ミスで逆相に繋がっているのだ。
だからお互いに打ち消しあい、右スピーカーからは殆ど低音が出ていなかったのである。











(57) ナイト・トレインの旅

ピーターソン
NO.57 2012.1.7



<ナイト・トレインの旅>





JR西日本のトワイライト・エキスプレスに乗った。
発売日の朝、営業前から緑の窓口に並び、スィートルームの寝台券を購入できたのである。
大きな駅を避け、郊外の窓口を選んだのが良かったと思う。
スィートルーム、なかなか買えないそうだ。
運が良かった。

寝台列車の旅は時間がゆっくり流れていく。
ちょっと贅沢で、格別の趣がある。
別料金だが、夕食にはフレンチのコース料理を選択できる。
ワインが数種類用意されている。
国鉄も変わったものだ。

ただ、ここが面白いところだが、食堂車でフランス料理のサービスを受けているお客のほとんどが、どう見ても鉄道ファンだった。
服装を見ればわかる。
ジャケットを着用している客は一人としていない。
ウィンド・ブレーカーを着て線路脇でSLを追うファンが、そのまま乗り込んで来たようだ。
皆、大袈裟なカメラを手に時折車内や車窓のシーンを写し、出された料理を一々撮影する。
せっかくのフランス料理だが、ワインをたのむ客はあまりいない。
きっとこの貴重なひと時、酒に酔ってなどいられないのだろう。

だが、それは私にも少し分かる気がした。
移動が目的なのではない。
今、この場に居合わせる事が重要なのだ。
札幌・大阪間、ほぼ一昼夜をかけての長旅だが、車窓からの風景は目まぐるしく変わり、乗客をひと時も飽きさせない。
特段鉄道好きということでもない私ですら、たくさんの忘れ難い場面に何度も釘付けとなった。
とりわけ特筆すべきポイントが青函トンネルだ。
スィートルームというのは、ある区間車列の最後尾になる。
一面ガラス張りの展望席となり、列車の後ろに流れていく鉄路と風景を独占させてくれる。
どこまでも続く青函トンネルの幻想的なシーンは、特に忘れられない旅の思い出となった。

本作は1962年、バーブレコードの手によりLAで録音された。
ドライブ感のある名演奏が並ぶ好盤だと思う。
オスカー・ピーターソンはまことに偉大なピアニストだった。
その平伏させずにおかない完璧な運指は、数あるジャズピアニストにおいても類を見ないものだ。
しかしながらオスカー・ピーターソン、この日本では技量の割にいまいち評判が低かった。
それは彼のピアノが日本人にとってあまりにドライだからだ。
乾いた辛口、辛気臭さのかけらもない。
日本で受けるには湿気が必要だ。
ビル・エバンスのように。

エバンスにあってピーターソンにないものがあるとすれば、深刻さというか、ひた向きさというか、一途にのめりこみ沈潜していく感じで、それをリリシズムとか言ったりもする。
ピーターソンにはそれがない。
だから時に軽く聞こえる事があるのだが、だからと言ってピーターソンが適当に流している訳ではない。
彼はピアノに関する限り何でも楽々と出来てしまうのだと思う。
上手すぎると言っても良いが、それ故演奏に過剰な余裕を生ぜしめる。
ジャズの場合上手いことがマイナスに作用する時があるという事で、何とも気の毒な話である。紛う方無き達人であったが、それを隠す努力に欠けた。
他の分野、たとえばクラシック音楽や絵画やスポーツの世界で、上手いからと言って軽んじられる事はないだろう。
ジャズは一種風変わりな業界である。

この盤を私は大阪で買った。
再発だが、新品の輸入盤だった。
当時の機材ではやけにノイズが大きく感じられて、少しショックを受けた記憶がある。
しかし今聴くと特に問題はない。
再生装置のグレードが上がると針音などが気にならなくなるもののようだ。
それは良く聞く話だが、理屈はわからない。

私は京都時代を含め、大阪の日本橋などに良く通ったものだった。
大阪という街は色々と怪しい所が多かった。
フジフィルムのカセットテープの偽物を大量に掴まされたりした。
日本橋のオーディオ店の対応もそりゃヒドイものだった。
目当てのアンプを買いに行き、店員の口車に乗せられて違うものを買って帰ったりもした。
それは私が若かったせいもある。
だが、若い頃に刷り込まれた印象というものは、一生残るものだ。
それが悪い印象の場合挽回するのも容易なことではあるまい。

今後改めて訪れるチャンスがあるかどうかわからなかった。
だから大阪についの印象を変更するというのはほぼ不可能だろうと私は思っていた。
それが今回トワイライト・エキスプレスに乗って行った事により、私の中でこの街はずい分名誉回復したと思う。
私の知るかつての大阪は、大きいだけで全く垢抜けない、むしろ不潔な田舎町だった。
どこへ行っても黒い虫が這い回り、道行く男たちはタバコの吸い殻を投げ捨て所構わず唾を吐いた。
路地裏はどこも、じめじめといつも濡れていて、小便の臭いがした。
水の都と言われるその海や河は鉛色に濁り、得体の知れない物が浮いていた。

しかし大阪はいつの間にか綺麗になっていた。
都会的と言っても良いくらいに変貌していた。
人も街も時として変わることがある。
しかしすべての人や街がそうではないし、また変わるとしても良い方向への変化とは限らないのであるが。











(58) go man !

ソニー
NO.58 2012.1.8



<go man !>





ソニー・クリスの死因は二説ある。
一つは拳銃自殺。
もう一つは女に撃たれたとするものだ。
銃創が腹部であり、自殺は不自然だとする説に私も同意する。
ソニーもまた、女に撃ち殺されるという、ジャズメンの鑑のような死に方をした。

ソニーの美点は何と言ってもその音色の輝かしさだろう。
これが同じ楽器か、というくらいジャッキー・マクリーンとは違う。
少しテラテラし過ぎているかもしれないくらい晴々と鳴る。
もう一点は運指の正確さだ。
それによってコブシが良く回る。
それを下品だとする向きがあるほどである。

A店のKさんがやってきた。
申し訳ありません、と。
そうだろうな、他にもっと上手い言い方があるだろうか。
私にも名案は浮かばない。
しかしだ、よく考えてもらいたい事がある。
もしも正常に接続されていたならば、DF-45をパスのチャンデバに買い換えたかどうか、それは分からない話だろう。
もう永久に分からないが、私はその事を生涯忘れない筈だ。
だが、それについて私は言及しなかった。
今更言っても仕方ないからだ。
思えばずい分大人になった。
後日、右スピーカーはバラされ、最初からやり直しとなった。

さて、ここへ来てまた大問題が持ち上がったのである。
ウーファーを留めるボルトがやけに緩み、度々締め直しとなっていたのだ。
それをKさん、曰く箱の木が痩せた、曰く強力なユニットの振動で緩んだ、そのように言いながらその都度締め直していたのだった。
ところがある時、バチッと音がしたかと思うと空回りし始めたのだ。
二か所同時だった。
調べたところ、ボルトを受けているオニメナットというパーツが途中から切れ、もげていた。
何が起きたかというと、例のホーマックで調達したボルトが、まだ尚短かかったのだ。
オニメナットに刺さりきらず、半分くらいしか掛っていなかった為、オニメに無理がかかり、少し伸びてしまう。
結果緩む、締め直す、また緩むを繰り返し、最後はオニメが破断してしまった。
何しろ40キロ以上の重量を8本のボルトで固定しているのである。
一か所5キロ以上の力がかかっている。
それを設計通りに受け止められず破綻、つまりは早い話が強度不足という事である。
まったく、何ということだ。











(59) ブルートレーン 名盤の作り方③

トレイン
NO.59 2012.1.9



<ブルートレーン 名盤の作り方③>





ジョン・コルトレーン唯一のブルーノートにおけるリーダー作である。
この時コルトレーンはプレステッジの専属ミュージシャンだった。
そればかりではない。
ケニー・ドリューもリバーサイドの専属であった。
このため、本作にはプレステッジとリバーサイドの名前がクレジットされている。
ライバルだったジャズ三大レーベルの協力態勢で作られたのが本作である。
私はコルトレーン作品の中で本作が一番好きだ。
中でもタイトル曲が好きで、NO.44でうっかり書き忘れたが、ハードバップを代表する名曲の一つだと思っている。

サックスという楽器は、リードという乾燥した葦を薄くスライスした物を振動させ、管で増幅して音を出している。
プレーヤーは演奏前にリードを舐めて湿らせてから、サックスのマウスピースに装着する。
ジャケット写真はその瞬間を撮ったものと、私は長い間思い込んでいた。
しかし、最近になってコルトレーンはキャンディーを舐めているのだと聞いた。
良く見ればリードは既に取り付けられているし、指の間にキャンディーのスティックのような物も写っている。
コルトレーンが子供のようにキャンディーを舐めている。
ほほえましい、しかしちょっと不釣り合いなシーンである。

コルトレーンはアルフレッド・ライオンに借金があり、それで本作を録音したとの話もあるが、もし続けてブルーノートに作品を残していれば、きっと多くの名作が生まれていたのではないか。そんな気がする。
せめてプレステッジの後、アトランティックやインパルスへ行く前に、ブルーノートで録音する事はできなかっただろうか。
それが少し残念だ。











(60) ア カペラ

a capella
NO.60 2012.1.10



<ア カペラ>





懐かしく、だが少し悲しく、そしてややミゼラブルでもあった、ある時期の事を本作は私に思い出させる。
アカペラはア・カペラなんだな。
CAPELLAは英語の辞書にない。
星の名前らしい。
イタリア語のA CAPPELLAは無伴奏の事。
カペッラは中田英寿がいた時のローマの監督だった。
トッティばかり使い、中田を出さないのでイライラした。

昔知人が「カペラブラザーズ」というバンドをやっていて、カペラってなんだと聞くと、マツダのカペラだと言って笑っていたが、あれは嘘だな。
ア・カペラのカペラに因んだものだったのだろう。
何故ならその男は、大阪大学の男声合唱団出身だったからだ。
もう還暦を過ぎた筈だ。
今も元気に歌っているだろうか。

大変なことになってきた新スピーカーに、新たな事件が持ち上がった。
ウーファーボックスの天板と側板の繋ぎ目に隙間が出来てきたのである。
恐らくは二発のウーファーが重すぎて支えきれなくなっているのだ。
つまり、箱の強度が足りないのである。

この隙間が5ミリ程度まで広がった頃、更に問題が起きた。
保険で作り直した山本の木製ウーファーまで割れてきたのだ。
山本ウーファーは集成材で出来ている。
集成材とは小さな木片を圧着して作る木材だ。
その接着が弱く、繋ぎ目が離れてきたようだ。
普通、あり得ないことである。
集成材は反ったり割れたりしがちな木材の弱点をカバーし、材料の強度をだす目的で作られているからだ。
それが割れてくるというのは、まったく問題外の出来事と言っていい。
もう、あっちもこっちもボロボロではないか。

私は週に2・3度、スピーカー前のスペースで筋トレやストレッチをしているのだ。
300キロからある物体が自重を支えきれず崩壊したら、いったいどんな事態となるのか。
それを想像したら、違う種類の鳥肌が立った。













(61) WOW

junko.jpg
NO.61 2012.1.11



<WOW>





大西順子はとても小柄だ。
あのようにゴツゴツとした力強いタッチの持ち主にはとても見えない。
そこがまた彼女の魅力だ。
曲を書くのが上手いのもいい。
会った事も、だから無論話した事もないが、きっと不思議な女性なのではないのかと想像している。
女性ピアニストに有りがちな、媚を売る雰囲気が彼女には感じられない。
それも彼女の大きな美点だと思う。

ほとんど引退状態の時、あるジャズフェスで彼女を聴いた。
ヨレヨレと言っていいようなデニムの上下で登場し、挨拶抜きで弾き始めた。
しかし、一瞬で聴衆のハートを、彼女はがっちり掴んでしまう。
盛り上がる会場。
往年のタッチは健在で、ガンガンと3曲ほど弾き、さっさと帰っていった。

大西順子、上手く力強くしかも曲がいい。
それらは全てが完璧にコントロールされたものである。
才能がある上に充分に勉強し、練習もした。
そのうえで、日本人によるジャズの限界は確かにあった。
それに気付き、彼女は一時身を引いたのではなかったか。
巷間言われる結婚問題ではないような気が私はする。

本作が世に出てもう20年近いが、私が初めて聴いたのは10年くらい前になる。
その頃、私は本格的にオーディオに手を出し始め、楽しくて仕方なかった。
なかなか思うような音が出なかったあの頃、本作は私の未熟な腕でも良く鳴る数少ないCDのひとつだった。
だからダメな音が続いた後は本作を聴き、私は少し心の平穏を得た。

だが、良い音が出ない日も、私はけしてクサらなかった。
いや、むしろ問題点が多い事を嬉しく思ってすらいた。
これが趣味というものだと言って、トライ&エラーが苦にならなかったのだ。
だから安直にオーディオ店まかせな人を不思議に思い、たとえ良い音が出ていても評価しなかった。
今はどうだろう。私はもう問題点は要らない。
今すぐ良い音で鳴ってくれればそれでいい。
人は10年も経てば、ずい分と変わるのである。












(62) ダメンズ・イン・ミラノ

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NO.62 2012.1.12



<ダメンズ・イン・ミラノ>





チェット・ベイカーが好きだという女性は少なくない。
イケメンの上にトランペッターで、歌まで歌うのだから無理もない。
破滅型の人生だった。
後年の姿など、その劣化ぶりに驚き目を覆うが、
もしかしたらそうした所も逆に、彼女らの母性本能を刺激するのかもしれない。
イケメントランペッターで歌も歌うダメンズ、これはもう最強の女たらしなのである。

計算尽くで男を見る女性が一般的に多い一方で、ダメな男に惹かれる女性というのが実際いるようだ。
ダメな男が好きというのではなく、たまたま好きになった男が実はダメなヤツだったという事も考えられるが、どうもそうとばかりも言えないように思う。
私自身がもしかしたらそれで助けられた、という気がしなくもない。
そしてこれも言えると思うのだが、ダメンズウォーカーは時として、ダメンズを更に致命的な所までダメにする。
私がついていなければ、この人はどうにもならない、などというのが錯覚だとある時期気付き、彼女たち自身がその事を一番良く分かっている。
それでもダメな男と離れる事が出来ない。
不思議な事だと思う。
だが、男と女の間がそもそも不思議なものである以上、そこにはどんな事だって起こり得る。
そういう事にでもして置くしかないようだ。

本作は1959年に残された現地のミュージシャンとの録音で、ライブではない。
チェットの艶やかなトランペットはここでも良く鳴り、環境によるものかメンバーによるものか、リラックスした好演奏が繰り広げられる。
こうした流れが半世紀の時を越えて、ファブリッツィオ・ボッソやハイ・ファイブへと繋がったのだろうか。
白人トランペッターの系譜はアメリカを離れ、遠くイタリアに残された。
大したトランペット吹きだったチェット・ベイカー、歌など歌っている場合ではない。











(63) ステッピン・アウト

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NO.63 2012.1.13



<ステッピン・アウト>





ダイアナ・クラールのデビュー作である。
カナダのマイナーレーベル、ジャスティンタイムから出たものだ。
ダイアナはピアニストとしてしっかりしている。
それが本作で良く分かる。
歌を歌わずとも、ピアニストで十分いけたと思う。
そこがケイコ・リーとは違うところだ。
ケイコ・リーのピアノはタッチが弱い。
それなのに、肝心の歌も少し音程が危ない。
残念だが大分差があるようだ。

エルビス・コステロと結婚して、ダイアナは曲を作りだした。
これが相当いいのである。
アルバム「Girl in the other room」を聴いてほしい。
男の影響というのは凄いことが分かるだろう。

大体女でジャズが好きと言う場合は、ほぼ男の影響だと考えていい。
アウトドア関係とかバイクとかも大抵そうだ。
逆に女の影響を男はどのように受けるだろうか。
女の影響で編み物を始めた男を見た事がない。
男は目に見えない影響を女から受けるのだと思う。
食生活とかスキンケア用品とか。

男からの分かりやすい影響を受けがちな女だが、これだけは影響を受けないというものもある。
それがオーディオだ。
男の影響でオーディオに手を出す女を、私は見た事がない。
つくづく、女には無縁の世界なのである。











(64) 半世紀前の ON TOP

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NO.64 2012.1.14



<半世紀前の ON TOP>





ポール・チェンバースはファースト・コール・ベーシストだった。
最初に声が掛かる、という事だ。
マイルスバンドのベーシストでもあった。
本作A面1曲目「イエスタデイズ」のアルコ(弓弾き)など凄い演奏だと思う。
だが正直に言う。
(54)のブライアン・ブロンバーグと比較してしまうと、あまりの違いに驚くのだ。
これが50年の差である。
ジャズは半世紀の間に、特にベースとドラムが大変進歩した。

本作はベーシストのリーダーアルバムなのだが、当時のベースは4ビートのリズムをキープするのが主な仕事であったので、リーダーとして前面に出るのが容易でない。
それゆえのアルコであったと思う。
それをバンゲルダーが恐ろしい音質で捉えるのに成功した。
本作の価値はそこにある。
いや、そこにしかない。
後はチェンバース、リズム隊に終始している。
これではもたないので、アルフレッド・ライオンはケニー・バレルを参加させた。

ケニー・バレルは確かに天才ギタリストであるのだが、何もベーシストのリーダーアルバムに出てこなくても良いのだ。
当時まだベースという楽器は、ステージの中央でスポットライトを浴び続ける術を知らなかった。
これに尽きる。
だからアルフレッド・ライオンもチェンバースをリーダーにして、トリオやデュオで一枚録ろうという発想には到底ならなかった。
チェンバースのベースはベースの中ではオン・トップだったが、まだまだバンドの中でトップを張る所までは行かなかったのだ。

トランペットやサックスやピアノはこの50年どうだったのか?
ベースとドラム程の激変はなかったのだ。
これは何故だろう。
ホーンとピアノには最初からスポットライトが当たっていた。
だから街灯に群がる夏の虫の如く、多くの才能がそこに集まり、50年前既に大方の所をやり尽くしていたのだろう。
地味なサポート役だったベースとドラムには、ホーンやピアノ程の才能は集まらなかった。
だから50年後まで有望な鉱脈が手付かずで残された。
そういう事だと思う。
2012年を迎える現在、ベースとドラムの鉱脈に残量があるのか、それは私には分からない。
ただ、10年前と比べれば明らかに変化のスピードが落ちてきたように思う。
21世紀も最初のディケイドを周った今日、ジャズは相当シビアな局面を迎えている。











(65)ロドリゴとガブリエラ

ガブリエラ
NO.65 2012.1.15



<ロドリゴとガブリエラ>





ロドリゴ・イ・ガブリエラ、タワーレコードのジャズ売り場で買った輸入盤だ。
フラメンコギター、まあジャズではない。
だが、相当かっこいいギターを弾く男女二人組だ。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」をスパニッシュ・フレーバーで演っていたりする。
リードギターの男がロドリゴ、辺見マリ似の女性の方がガブリエラである。
昔、ガブリエラ・サバティーニというテニスの女性選手がいた。
ガブリエラはスパニッシュ系では良くある名前なんだろう。

二人はメキシコ出身で、後日アイルランドに移ったとか。
何故アイルランドだったのか、その辺はまったく不明だ。
フラメンコギターとアイルランドはどうも結びつかない。
第一、メキシコからアイルランドへ移住して、居心地がいいものなんだろうか。

後で国内盤も出たようだが、当初はこの輸入盤しかなかったのである。
買って得したが、私も良く買ったと思う。
なんせこのジャケットだ。なかなか手は出まい。
当時は買いのパワーがあった。
だから手当たり次第に買っていた。
当たりも外れももちろんあった。
ざっくり言って1対9くらいの配分である。
もちろん外れが9。
それでも買い続けるパワーがあったという事。
今?いまはない。
人生波があるものだ。

国内盤がどうだったか知らないが、私の手元にある輸入盤はDVDとの二枚組で2千円くらいの値段だった。
お買い得感があるでしょ。
良く覚えていないけれど、それに釣られてレジまで持っていった可能性は高いと思う。
DVDではロドリゴとガブリエラが、フラメンコギターの弾き方について、さかんにレクチャーしている。
もちろんそれを見てフラメンコギターが弾けるようになれば世話はないが、見ていて面白く得した気分になる。

男ギターと女ボーカルのコンビは出来ているという。
男も女もギターというコンビの場合はどうなんだろう。
情熱のフラメンコギターだもの、出来てないとおかしいのである。
この場合はその方が何やら安心するな。











(66) 昭和は遠くなりにけり

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NO.66 2012.1.16



<昭和は遠くなりにけり>





フレディ・レッドはハード・バップを代表する作曲の人だ。
分かりやすく印象に残るテーマを書き、ハード・バップの核心に迫った。
本作は全曲そんなフレディのオリジナルで固められている。

今新譜のCDが出て、それが全曲ミュージシャンのオリジナルだった場合、
そんな恐ろしいモノを私はまず買わないと思う。
小難しい、訳の判らないオリジナル曲を、80分も聴かされてはかなわないからだ。

現代のミュージシャンは音楽とは一体なんなのか、一度よく考えてから作った方がいい。
CDを買ってくれるのは誰なのか。
それを買った人があなたのオリジナル曲を聴きどう思うか。買ったからには一度は聴くが、二度目もあるかどうか。
それらについて、ほんの少しのご配慮をいただきたいと思う。
それが商業CDを世に問うことが可能であったエリートにとって、忘れてはならない義務だと私は思うようになった。

確かにフレディのこの音楽は、少しばかり判りやす過ぎるだろう。
それをもって通俗的と指摘することはたやすい。
だが、考えて頂きたいのだ。
音楽は、特にポピュラー音楽は大衆のものではないか。
そして大衆は常に低俗なものなのである。

すべてを通俗的に作れとは言わない。
それではさすがに聴く方も飽きてくるし、作り手も辛かろう。
だから時々通俗を薬味として効かせば良い。
ジャズには確かに難解な所も必要で、全部が通俗的ではこれはもうジャズではない。
難解と通俗のブレンド、ブレンドのサジ加減、これが腕の見せ所だと思う。
あなた方、現在のジャズミュージシャンにとって、それはけして難しい話ではない筈だ。
そうすればCDだってもっと売れるだろう。
生活も良くなる。
金に目が眩んで妥協したとか、魂を売ったと思われるとか、そんな事は心配しなくて良いのだ。
誰にだって生活がある。
売れることはけして悪ではない。

ラスト曲「OLE」を聴く。
胸に迫るものがある。
まだ若かった父や母の姿が心に蘇る。
狭いお茶の間、貧しい食卓、裸電球、そんな家庭でつかの間の団欒を過ごし、明日もまた頑張って働いた昔の日本を思い出す。
前にも書いたが、昭和歌謡の源流がここに流れている。
ザ・ピーナツや伊藤ゆかりや園まりが、頭の中で紅白歌合戦のステージに立ち、歌いだす。
演奏は小野満とスィング・ビーバーズだ。










(67) FOR MY FATHER

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NO.67 2012.1.17



<FOR MY FATHER>





ホレス・シルバーもやはり作曲の人だ。
「カルカッタ・キューティー」を聴いて分かる通り、特別ピアノは上手くない。
セロニアス・モンクと似た存在と言えるかもしれない。
捻じれた味のあるピアノがいいと、心にもない嘘を言う人もいるが、モンクも作曲の人だと私は思っている。

「ロンリー・ウーマン」を聴き確信を持つ。
曲の美しさでもっているに過ぎない。
でも、シルバーはそれでいいのだろう。
これだけのメロディ・メーカーでありながら、さらにピアノまで上手かったなら、それは可愛気がなさ過ぎるというものだ。

シルバーはこのレコードを父親に捧げた。
羨ましい事だ。
私にはそんなかっこいい事、ついに何一つ出来なかったな。
きっと父は私のことを心配していたと思う。
そして残念に思ってもいた筈だ。
母親と違い、父親は出来の悪い長男坊を愛おしくは思わないものだ。
息子を誇らしく思えるようなものを、一つでいいから父に捧げてみたかった。

明日は父の9回目の命日である。










(68) WAY OUT 名盤の作り方④

way out
NO.68 2012.1.18



<WAY OUT 名盤の作り方④>





ジャケットの写真に使われた、オランダの彫刻家Naum Gaboによる「チューリップ」なる作品は、どこにあるのだろう。
今でも存在しているのだろうか。

これも1958年の作品だ。
グリフィンは当然のように上手い。
50年前にこのような作品が存在した以上、今のジャズミュージシャンたち(敢えてジャズメンとは言わない)が今更どうしたら良いかと困り果て、行くべき道が見えなくなるのは理解できる。
ただ、どれほど困ったとしても、難解で煙に巻こうとは考えないで頂きたい。
それでは自分の進路を、更に見通しの悪いものにするだけだ。

考えてみればグリフィンにしろピアノのケニー・ドリューにしろ、特別な事をしている訳ではない。
ハード・バップの文法に沿って、普通に語っているだけの事だ。
では、50年後の世代はこれにどう対抗できるだろうか。
曲を変えるのである。
既存の曲はどうしても飽きられているから、新しく曲を書く。
それも美しい曲を。
そしてそいつをごく普通に、ストレートに演奏するのである。

CD一枚全部が美しい曲で埋め尽くされる必要はない。
もしもそうなったら、かえって胸やけがするだけだ。
1曲か2曲、多くて3曲でいいのだ。
これを適宜ちりばめてやる。
アルバムの印象がずい分変わる筈だ。
21世紀のジャズ名盤誕生は可能だと思う。


オーディオ機器の大半は電源ケーブル(コードのこと)の脱着が可能だ。
付属のケーブルは一応付いているだけで、大抵は社外品のケーブルを使用する。
これがまたもの凄い種類存在し、値段も様々ある。
正気を疑われるので、ご婦人方には言えないような高額なケーブルも中にはある。
普通家電製品の電源ケーブルの先っぽはプラスとマイナスの二又状だが、オーディオ用ではアース用にもう一つ付いて三又となっている。
このため、一般的なコンセントには繋ぐことが出来ない。
そこでオーディオ用のコンセントというものが用意されている。
病院のコンセントなどもそうだが、三穴形状となっているものだ。
今回我家の壁コンセントをこのオーディオ用に取り換えた。
「PSパワーポート」という製品である。

配電盤に新規にブレーカー4台を設置した。
そこから4本の新配線、そして4台のPSパワーポート設置という具合である。
一つのコンセントには機材を一台。
贅沢だ。
これには大して金は掛からない。
だが、絶大な効果があった。
天女の羽衣を剥ぎ取って、いきなり丸裸にしたような丸見えのリアルな音が出た。











(69) Off To The Races

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NO.69 2012.1.19



<Off To The Races>





ドナルド・バード、ジャッキー・マクリーン、ペッパー・アダムス、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、アート・テイラー。
ハード・バップ、そしてブルーノートの一大興行だ。
本作は1958年の録音だが、どうしてこんなにというくらい、この年には名盤が大量生産された。
ブルース・ウォーク(ルー・ドナルドソン)、クール・ストラッティン、ソウル・トレーン、サムシン・エルス、マイル・ストーン、モーニン、シーン・チェンジズ(バド・パウエル、クレオパトラの夢)・・・まるで際限がない。
今では考えられないような、何か大きな波が来ていたのだろう。

この盤は東芝の国内盤だが、キング盤とはかなり違うと聞いた。
東芝がジャズっぽく、キングはオーディオ的であるのだとか。
それにブルーノートオリジナル盤を加えて聴き比べしてみたいものだ。
ここでも特に、ジャッキー・マクリーンはジャッキー・マクリーン以外の何者でもないが、各盤によってどのように違って聴こえるだろう。
何れにしても間違いなく、ジャッキー・マクリーンに聴こえるに違いない。
これは凄い事だ。今音を聴いただけで演奏者を特定できる者が何人いるか。
大西順子くらいしか思いつかない。

同業者でテニス関連のKが結婚するらしい。
テニスコーチの青年に来週の結婚式に出るか、と聞かれて分かった。
そうか、ヤツは来週結婚するのか。
20才年上の私は場違いと見え呼ばれていないが、流れから言って少し不自然であり困ったなと思っていたら、Kから電話があった。
ジャズのCDを披露宴に使いたいので貸してほしいという。
上手い解決策であろう。
ついでに祝いの品を届け、一件落着とする。

後日漏れ伝わったところではK、同業者はおろか会社の同僚すら一人も呼ばなかったのだとか。
職場結婚にも関わらず、である。
それで上司が大分ご立腹らしいが、Kは一向に意に介さず、それがどうしたという風情らしい。
大物である。










(70) 天高く翔ぶんだ BIG FOUR

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NO.70 2011.1.20



<天高く翔ぶんだ BIG FOUR>





缶コーヒーのCMソングに使われた「明日があるさ」、そしてあのスキヤキソング「上を向いて歩こう」を作曲した中村八大氏、実はバリバリのジャズピアニストだった。
松本英彦(ts)小野満(b)ジョージ川口(ds)らとビッグ・フォーを結成し、日本のジャズ黎明期を支えた。
本作は全曲中村氏のアレンジによるスタンダード作品集である。
バードランドの子守唄やスターダスト、A列車で行こうなどの小気味良い演奏がテンコ盛りとなっている。

我家のウーファーボックスが遂に作り直しの運命となった。
山本ホーンは修理でお願いしたいとの事で、私は内心不満に思ったがそれを了承した。
A店のKさんが気の毒になってきたからだ。
基本的には製作者の責任であるところ、矢面に立つのはもちろん販売店のKさんにならざるを得ず、なんとも因果なご商売であると少し同情した。
Kさんもきっとオーディオがお好きでこの道に入られたのだろうが、ナンボ好きでも私には出来そうもない。

ただ、これだけは言っておかねばならないが、Kさんという人、相当いいかげんな所がある。
それはもう、数え上げればきりがないほどだ。
しかし、私の住むこの田舎町には、もう他に人も店もない。
この業界、高額商品を扱う割に人材がいない。
オーディオが下火になったのは、そうした事と無関係ではなかった筈だ。

新スピーカーの全部が片付くのは、発注から数えれば丸一年後の事になりそうである。
このスピーカーを買った事が正解であったかどうか、今のところまだ私は結論を出せずにいる。
しかし、もう4344に戻すことも叶わないのだ。
なんとかうまく収まって、ああ良かったねと言い、そして本当に鳥肌が立つほどに良い音で鳴ってくれる日が早く来るよう、私は心底祈っている。

頑張れ我家のBIG FOUR !










(71) 帝王の計算

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NO.71 2012.1.21



<帝王の計算>





1952年と54年の録音。
52年はヤクでボロボロだったというから割引して考えるにしても、
立ち直ったとされる54年の演奏を聴く限りマイルス・デイビス、意外と平凡なトランペッターだった。
アルフレッド・ライオンはどこに惚れたか。

「毎年録音する」との口約束を守ったのが本作である。
そんな約束をし、ヤク中に録音の機会を与えるほどにマイルスを気遣っていたライオンであったが、55年にはプレステージに持っていかれ、次はコロンビアであった。
ライオンの心境如何ばかりであったか。

58年になり、キャノンボール名義で本Note NO.2を吹きこんだのみで、
その後ブルーノートとマイルスの縁が切れたのは如何なる理由によるものだったろう。
つまりはマイルスにとってブルーノートは既に過去のものであって、
さほど価値のある存在ではなくなっていたのだ。
ブルーノートとは当時、その程度のレコード会社だった。
売り上げがパッとせず、経営はいつだって苦しかった。
そして最後はライオンも遂に支えきれず、売り飛ばしてしまう。
それを今更、世界最高のジャズレーベルであるかのように持ち上げるのも、実はどうかしているのかもしれない。
その点ではプレステッジもリバーサイドも、何ら変わる所はない。

そしてマイルスという人はしっかり計算の出来るドライな男だったのだろう。
であればこそ「ジャズの帝王」などというものにも成り果せた。
成功するためなら何だって捨てる。
晩年の姿がそういった事の積み重ねの結果であったのは多分間違いないと思う。
だからと言ってマイルスの作品に、何の価値も変化は生じはしない。
音楽は音楽として聴く、それだけの事だ。











(72) MOKO MOKO

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NO.72 2012.1.22



<MOKO MOKO>





買ったあとでCCCDだと知った。
大分少なくなったけど、一体どういう心算のCCCD。
了見が狭すぎる。
ミュージシャン側に拒否権はないのか?

デビューアルバムに続いて同年中にリリースされた、本作は松永貴志のセカンドアルバムである。
後日タイトルを「STORM ZONE」とし、ブルーノートからも発売された。
この時彼は弱冠16才であった。

デビュー直後私の町でコンサートがあり、出かけたが来なかった。
つまりドタキャンであった。
まさか、前日女とハメを外して起きられなかったとかいう話ではないと思う。
まだ体が出来ていなかったのかもしれない。

デビュー盤ではひたすら、元気いっぱい弾きまくった感もあったが、本作ではクラシック的素養も見せる。
ピアノは独学との話もあったが、やはり幼少より一応のレッスンを経て来たのか。
もしもそうではないのなら、恐るべき16才という事になるだろう。
普通の人にとって、ピアノという楽器はとても難しい。
だが、中にはそのピアノが簡単だと、信じられない事を平気で言う人がいるものだ。
松永貴志もそういった、滅多にいない変人の一人なのかもしれない。
現在既に成人している筈だが、その後の動向はあまり知らない。
順調にキャリアを重ね、日本を代表するピアニストになって頂きたいと思う。











(73) ヘビーローティション

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NO.73 2012.1.23



<ヘビーローティション>





寺島師匠には大変お世話になった。
と言っても、お会いしたことはない。
専ら活字を介して、一方通行のお付き合いである。
ずい分と影響されたものだ。私が今日のようなオーディオマニアとなっている、その半分は氏の影響によるものである。
また、改めて言うまでもなく、本Noteは氏の「辛口JAZZノート」その他のエピゴーネンだ。

本作は氏の本で知り、どうしても聴きたかった。
しかし、ずい分と探したが既に廃盤となっていて影も形もなかった。
そしてもう諦め忘れかけた頃、某サイトで新品が売り出されたのだ。
私は喜び過ぎて、発作的に3枚購入していた。
アイドルの総選挙とやらを笑うことは出来ない。
人間思い詰めるとロクなことにならないのである。
以来、本作は我が家における「ヘビーローティション」の一枚となった。

ところが現在、私にとって最大の音楽ソースは、実はLPレコードでもCDでもない。
それはヤマハ製CDレコーダー「CDR-HD1500」になる。
定価8万円足らず、インドネシア生産の録再デッキである。
申し訳ないが、8万円という値段はオーディオの世界ではハナクソのようなものだ。
だが、こいつは素晴らしく使い物になるのだ。

私がCDR-HD1500に目を付けた時、ヤマハはこの製品の製造を既に終了していた。
仕方なく中古をオークションで探すことにしたが、観察していると落札価格がいつも10万を超えていた。
定価8万以下、最終在庫の店頭価格は5万を切っていたのだ。
だが、今さらそんな事を言っても仕方がない。
私は目を瞑ってこのCDレコーダーを落札する事にした。

本機最大の特徴は市販IDEハードディスクを自分で装着できる点にある。
ただ、ハードディスクが適合するかどうかはやってみないと分からないという。
更に、IDEタイプのハードディスクというヤツが既に過去の物となっていて、入手は簡単ではない。
あちこち当たり、私は500MBの製品2台を探しだした。
これを本機に装着し巧く適合すると、最大800時間近い録音が可能になる。

幸いにも購入したハードディスクは本機に適合した。
私は手持ちのLPレコードやCDを次々録音していった。
昔からこの手の作業が大好きだった。だから少しも苦にならず、作業はどんどんはかどった。
至福の800時間、タイトルにして1000枚近くを録音し終えるのに、そんなに時間は掛からなかった。

音を聴いてみる。これは充分実用に耐えるものだ。
そいつをランダム再生すれば、どうだ、これは私だけのジュークボックスではないか。











(74) Jazz Bar 2011

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NO.74 2012.1.24



<Jazz Bar 2011>





NO.73に続く寺島関連。
ホヤホヤの新譜である。
年末といえば紅白歌合戦とこれ、寺島靖国プレゼンツJazz Bar。
シリーズも11作目となった。
私はこの「ジャズバーシリーズ」を、2001年の第一作からリアルタイムで聴いてきた。
そしてずい分多くの事を教わり、いつの間にか私も歳を取っていたらしい。
この点では寺島氏とて変わりなく、ここ何年かは正直な話すこしマンネリ気味でもあった。
このシリーズも終わりが近いのかな、と思わないでもなかったのである。

そこへ来て急に、今年のジャケットはかつてなら考えられないようなモノをぶつけてきた。
寺島氏もただのエロ爺になった、というのは簡単だ。
私も10年前ならこのジャケットを見て鼻血を押さえたかもしれないが、今はもうどうということもない。
女というものに特別な幻想を抱かなくなったからだ。
寺島氏は私よりも大分先輩でおられる。
私同様、今さら胸の谷間にときめいてはいられないだろう。

では、このジャケット写真は何だ?
CDを売りたいのか?
もちろん、それは少しあるだろう。
だが、それだけでは済まないある覚悟を、私はこの谷間に見たのである。
FOREVER YOUNG まだまだ枯れてはいられない。オレは男だ。
そんな氏の心意気を見たのだ。
これは12作目以降への決意表明である。
よろしい、頑張っていただきましょう。
これからもJazz Bar、聴かせていただきますよ、寺島さん。











(75) WHITE NIGHTS

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NO.75 2012.1.25



<WHITE NIGHTS>





この盤はかつて違うジャケットで出て売れず、幻盤となっていた。
その後この形で澤野商会から再発された。
そうしたところ、女性にも受け売り上げが伸びた。
ジャケットが可愛いと言って、これを買っていく女性がいるらしい。
不思議で言葉にならない。
だが、前のジャケットを見た事があるが、パッとしない風景写真だったのは事実だ。
ジャケットは大事だ。
それを証明するエピソードとなった。

本作が録音されて既に20年が経過した。
ビーナスレコードにおけるエディ・ヒギンズ同様、ウラジミール・シャフラノフは澤野の看板ピアニストとなっていた。
二人は日本で売れたという以外に少しも似ていないが、
自分のカラーをより濃く持っているのはヒギンズである。
一聴ヒギンズであると誰にでもわかる。
シャフラノフをブラインドで当てる自信は、はっきり言って私にはない。
とは言え、シャフラノフが自分のスタイルを持っていないかと言えば、そんなことはない。
両者を比べるとシャフラノフの方がやや先鋭的である、つまり少し判り辛いというだけで、むしろいつも変わらないのはシャフラノフの方だ。
私にとって彼を選別するポイントがあるとすれば二つしかない。
それは、好みの曲をやっているか。
そして音質が良いか。
それだけだ。

日本では多少売れたが、彼が世界的なビッグネームになった事実は今のところない。
この点ではヒギンズも同様だが、この二人に限らず新たなジャズジャイアントはもう誕生しないだろう。
ウィントン・マルサリスが最後だと思う。











(76) ジャズの囚人

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NO.76 2012.1.26



<ジャズの囚人>





この盤を最後に、ハービー・ハンコックはブルーノートを後にした。
出所して行くプリズナー(囚人)のように。
その時、彼のやりたい音楽がどういう物だったのか、それは分からない。
ただ、一つだけはっきりしていた事があった。
「ジャズは金にならねえ」
この後のハンコックはフュージョン路線を走り始める。
1969年春のことであった。

人は誰も成功して金を得たい。
そこにあるのは程度の差だけだ。
強い要望を持つ者は、ハンコックやマイルスがそうであったように、より商業主義的な方向へ向かった。
一方、ジャズメンであることに拘り続けた人もいた。
彼らはジャズの囚人であった。
ある者は自ら望んで囚われの身となり、またある者はそこを出てどこへ行き、何をすれば良いのかわからなかった。
何れにしても彼らはどこへも行かず、その場に留まり続けた。
そして多くは時代に取り残され、経済的にも恵まれることはなかった。
だが偶然にせよ必然にせよ、彼らの手にはプライドが残された。
金で転ばなかった者のプライド、ジャズの囚人のプライドが。

だが、いつの世にもプライドは食えない。
つまりジャズが食えないのであれば、他に何か食えるモノを探す必要がある。
それが彼らジャズの囚人にも喫緊の課題であった。
スタジオミュージシャンとして糧を得る事が出来た者は幸運である。
キャバレーのバンドマンの席を得た者もついていた。
だが音楽とは無関係の仕事で食い繋ぐしかない者も多数いたのである。

多くの者が様々アルバイトに精を出しながら、いつかまたジャズにスポットライトが当たる日を待った。
その日暮らしも慣れればそう悪くない。
アルバイトが終われば、夜は小さなクラブでたまに演奏も出来る。
そうして70年代、80年代が過ぎ去った。
ハンコックが身を寄せたフュージョン業界は、一時活況を呈していた。
だが二度とジャズに光が当たることはなかった。
時代の風向きは完全に変わっていた。

フュージョンで成功しひと稼ぎした後、ハンコックは何食わぬ顔で帰って来た。
もう金は充分ある。あとはジャズで細々とやっていこう・・・
その後私はホテルのディナーショーで彼を見た。
スポットライトを浴び、スタンディング・オベーションをもって迎えられたハービー・ハンコックははにかんだように笑い、けして目を合わそうとしなかった。











(77) テナー バトル

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NO.77 2012.1.27



<テナー バトル>





右chジョニー・グリフィン、左chエディ・ロックジョー・ディビス。
やはり体格の差か、ロックジョーの方が音が大きくワイルドだ。
だが、ここは小柄なグリフィンのテクニックを褒めるべきだろう。
この体格差を見て欲しい。
大人と子供、ヘビー級とバンタム級くらいの差がある。
それをものともせず、互角に渡り合うグリフィンである。
一方のロックジョーはシンプルなブローテナーだ。
厚い胸板、肺活量で押し切ってしまう、音で黙らせてしまうロックジョーなのだ。

本作のようなゴリゴリのバトル物を最近あまり見かけなくなった。
エリック・アレキサンダーとグラント・スチュワートくらいだろう。
重複感を避けてのことか。
もちろんワンホーンもいいけれど、たまにはバトルもやってもらいたい。
一枚全部はさすがに胃にもたれるから、一曲、二曲やればいいと思う。
たとえばハリー・アレンのリーダー作に、ジョシュア・レッドマンを呼んで二曲くらいバトルさせてみたい。
その時は別々のブースに入ったりせず、マルチトラックもやめて、スタジオ・ライブのようにやってもらいたい。
日本企画で生ぬるい事ばかりさせられるハリーが、どのように変貌するだろうか。

グリフィンとロックジョーのバトルは熱い。
熱い事は間違いないが、ある種理詰めなところもある。
これはグリフィンのカラーによるものだ。
ロックジョーを相手に単純なブロー合戦に持ち込んでしまっては、少々グリフィン分が悪い。
この二人と現代のミュージシャンの差は勢いだと思う。
60年代までなら自己表現をストレートに出せば、ある意味それでOKだった。
しかし今それをやれば、昔の誰かの焼き直しになりがちだ。
その危険を察知し、現代のミュージシャンたちは一捻りも二捻りもして音を出さなければならなくなる。
考えながら、迷いながら絞り出すようにして生み出されるジャズから、最早勢いは姿を消している。
あまり考えすぎず、ジャズなんだからもっとノビノビやればいい。
昔の誰かに似たっていいじゃないか。もうずい分昔の話なんだから。











(78) 老天使の歌声

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NO.78 2012.1.28



<老天使の歌声>





アート・ガーファンクルのスタンダード集。
彼はポール・サイモンのような作曲(作詞も)はしなかったが、
優れたシンガーという才はコンポーザーとは立場が異なるだけで、充分に比肩し得るものだ。
この人の歌声がなければあのS&Gサウンドもあり得なかった。
だが、その事を理解する人は案外少ない。
今年公開された映画「グリーン・ホーネット」で、主人公が相方のカトーにこう言った。
「おまえはガーファンクルだ」
それはつまり脇役という意味合いなのである。
認識不足も甚だしい。

1978年ガーファンクルは一人お忍びで来日し、巨人・ヤクルト戦を観戦した。
TV中継のカメラマンがガーファンクルに気付き姿を写した。
その際アナウンサーに「ポール・サイモンさんです」と紹介された。
失礼にも程がある。

コンポーザーの才能は、ある日その泉が突然枯れるようだ。
その事をとても不思議に思っている。
あれほどコンコンと湧き出て止まる事を知らなかったメロディの泉が、嘘のようにパタッと枯れてしまう。
二人のポール、サイモンとマッカートニーを見ればそれが良く分かる。
だが、年齢を重ねることでシンガーは深みを増す。
天使の歌声と言われたガーファンクル、昔のような高音はもう出ないかもしれないが、それがどうした。
まだまだ現役である。











(79) Stone Flower

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NO.79 2012.1.29



<Stone Flower>





私はこの大作曲家といわれるアントニオ・カルロス・ジョビンが未だよく解らない。
陽気なヤンキーには受けたかもしれないが、日本で本当にヒットした事などあったのか?
レノン&マッカートニーにも匹敵する20世紀を代表するコンポーザーだというが、ポール・モーリアやフランシス・レイとどこが違うというのだ。
ところで最近になってポール・マッカートニーが「なぜマッカートニー&レノンじゃないんだ」と不満を漏らしていると聞く。
天才ポールも過去の栄光に拘りだしたか。
そういえば昔「How Do You Sleep」でジョンにコテンパンに言われてたっけ。

息子が二週間のロス滞在を終え、明日には帰国する。
親にねだってロス旅行。
行く方も行かせる方も、あまり褒められたものではあるまい。
せめてこの二週間が、将来彼にとって価値のあるものとなってくれれば良いが。
そして娘がこの家を出る。
変わっていく。確実に変わっていくが、どう変わるのか今のところ分からない。
ただ、子供たちの人生はまだまだこれからである。
むしろこれから始まると言っていいくらいだ。
二人の人生はこれから自分の力で活路を開いていかねばならぬ。
とりあえず父親としては出来るだけの事をした。

何か作業中の娘から声が掛かった。
「このCDおしゃれだね。どういうジャンル?」
どういうジャンルと言えばいい?
ボサノバでありジャズボーカルであると伝えた。
娘とは音楽でずい分もめた。
受験勉強の妨げになる、と言うのであった。
私は音楽鑑賞の大半を、新たに入手したヘッドホンに委ねる事となった。
それもすべて過去の思い出となる。











(80) 酒と薔薇の日々

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NO.80 2012.1.30



<酒と薔薇の日々>





ズート・シムズのテナーとジョー・パスのギターによるデュオ作品。
二人の顔合わせや楽器編成から想像される通り、終始くつろいだ演奏が繰り広げられる。
1982年の録音であるから、ズート最晩年の記録である。
ズート・シムズという男無類の酒好きで、酒さえあれば機嫌が良かったという。
本作録音後3年で亡くなった。
享年60歳、それでも長く生きた方か。

ジョー・パスはヤク中だった。
65歳で亡くなっている。
ヤクと酒、どちらがより体に悪いだろう。
ヤクは種類にもよる。
マリファナなどは殆ど害がないとの説もあるが、覚醒剤だと何やら相当マズい感じだ。
一方、ヤクは犯罪だが酒は合法で、国家財政を支えてすらいる。
どこかおかしい気がしなくもない。
かつてアメリカには酒を非合法とした時代があったのである。
酒は命を削るカンナだと言うではないか。
昔観た映画でドアーズのジム・モリソンが強い酒をあおって死んだ。
文芸春秋によれば尾崎豊は酒を水のように飲み続け、内蔵がボロボロになっていたという。
いい酒でありたいものだ。

私は若い頃からワインが好きだった。
もういい歳になり、思い残す事のないよう、五大シャトーを制覇する事にした。
ついては一人ではまるでつまらないので、家人を巻き込み友人二人を誘い込んだ。
五大シャトーとはボルドーの一級シャトーの事で、マルゴー、ラフィット、ラトゥール、オーブリオン、そしてムートン・ロートシルトである。

大人四人で割り勘すれば、五大シャトーもそんなに怖くない。
ワインのフルボトルを四人で分ける。
もちろん目分量だが一人180ml、グラス二杯程度。
そこそこ満足出来る量である。
これが六人だと分け前もとちと少なくなる訳で、
四人はいいところをついていると思う。
一年かけて隔月に五大シャトーの会と称しワイン会を催したが、最後のムートン・ロートシルトをいただき、めでたくと言おうか、惜しくも昨夜終了したのである。

5本飲んでみて判ったが、五大シャトーとはボルドーワインを旨い順に5本選んだものかというと、必ずしもそうではない。
ワインであるから、ビンテージや保存状態の問題もある。
ただし、有名であること、それ故に高価であることは事実で、
中には中国での人気による高騰で、洒落にならない金額となってしまっていたシャトーもあった。
五大シャトーの次はどうしよう。
現在思案中であるが、もしブルゴーニュに手を出し始めたらエラいことにならないか。
酒とバラの日々は続く。











(81) 私的名曲集

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NO.81 2012.1.31



<私的名曲集>





透明度が高いヨーロピアン白人ジャズの日本製作盤だ。
この手のモノをずい分買った。
それだけ数が出ていたという事だ。
つまり日本で需要があったのだ。
それを今冷静に聴いてみれば、どれもあまり変わり映えしない内容のものが多い。
それらに大体共通するのが、中身と無関係な意味不明のジャケットである。
本作に採用された写真の女性、確かに男を惹きつける何かがあるだろう。
特にこのペッタンコの腹、理由は敢えて言わないが男は本能的にこれに弱い。
それだけで売れたケースも相当あるに違いない。
商売である以上否定できないものではあるけれど、カレル・ボエリーを含めミュージシャンはどう考えていたか聴いてみたいものだ。

それは別にして、本作には"名曲"「High Time」が入っている。
ただしあくまでも個人的な"名曲"であって、この曲が話題になったり何かのテーマ曲に取り上げられたりした事はない。
もちろん曲がヒットした事実も今のところ一切ない。
きっと今後もないだろうが、この曲なかなか良いです。

長年聴いていると、こうした私的名曲が少しずつ増えていく。
そこで提案だが、それを一枚のアルバムにするというのはどうだろう。
「あなたの名曲をCDにします」という商売を始めたら、3000人くらいならきっと注文が来ると思う。

ジャズのコアなファンが日本に5000人くらいいると言われている。
新譜をチェックし律儀に買ってくれる人たちだ。
そうしたマニアは、CD一枚程度の私的名曲なら大抵持っている筈だ。
そのうち過半数が注文すれば3000という数字になる。
最低単位を10枚・3万円とすれば、9000万の売り上げだが保証はできない。

自分でCDRを焼くのは簡単だが、それではつまらない。
どこかの会社でやらないかな。その時はどういうジャケットにしようかと今から考えているのだ。
あんまり恥ずかしいのも困るけど、せっかくだから思い切り派手なのがいいかもしれない。
ビレッジバンガードで私がピアノを弾いている、というのはどうだろう。
ベースがレイ・ブラウン、ドラムはシェリー・マン、とこういうのを合成で作ってもらう。
今時簡単に出来るのではないか。
少しくらいなら特別料金を払ってもいいから。

この企画には副作用的にレコード会社を利する別の効果がある。
私的名曲のストックを増やそうと、ジャズファンが今よりもっと真剣に新譜をチェックするのだ。
今や彼らは新譜チェックに飽き始めている。
それはあなた方が下らないCDを出し過ぎたせいでもあるのだが、この企画はきっとジャズファンのCD離れをくい止める良いカンフル剤となるだろう。
どうだろうレコード会社の方、真剣に検討してみてくれないか。
どうせ普通のCDなんか出していても、たいして売れやしないんだから。











番外編 ①

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<番外編 ①>





フレデリック・コーエン著、行方均訳。
100ページそこそこの薄っぺらい作り、本というよりは小冊子である。
何が書かれているか。
ブルーノートオリジナル盤の特徴について個別に紹介しているのだ。
オリジナル盤とは発売当時にプレスされた盤のことだ。
書籍の初版本に相当する。

この本には、1509・・・Lex,RVGe,Fr,/Lex,f,Bs,nl
こうしたものがずらりと羅列されている。
これだけでは意味をなさない。
解読が必要となる。

・レーベルの住所はレキシントン街767番地
・レコード盤の最内周にRVG(ルディ・ヴァンゲルダー/録音エンジニア)の手彫り
・レコード盤の外縁(rim)は盛り上がっている
・裏ジャケットの住所はレキシントン街767番地
・額縁ジャケット
・背文字なし
・ラミネート加工なし

といった内容になる。
ブルーノート1509番のオリジナル盤はこうですよ、ということだ。
1509は「ミルトジャクソン」だが、それは書かれていない。
ジャケットの写真もない。
演奏内容の解説も一切ない。

この本を必要とするのはどういう時だろう。
コレクターが購入しようとしているレコードが、本当にオリジナル盤であるかどうか確認する時に役立つ。
それも、何人いるか知らないが、コンプリート・コレクションを目指しているコレクターに役立つ。
彼のブルーノート・ライブラリーに、一枚でも"贋作"が混じっては意味がないからである。

私は1509のオリジナル盤は欲しくない。
たまたま行った店に1509の"オリジナル盤"が売られていて、それを気紛れに購入する可能性はあるが、それが本当にオリジナル盤であるか確認する必要は特にない。
だからこの本は私には無用の物だ。
それを購入してしまったのは、ネットショッピングの大きな限界がそこにあるからだ。
店頭で手に取り、これをレジに持っていく事はあり得ない。

2011年11月、ディスクユニオンが3500円で発売した。
これは初版第一刷である。









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バロン ド バップ

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音楽がある限り

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