(34) ゴー ウエスト,マン!の疑惑

クインシー
NO.34 2011.12.16




<ゴー ウエスト,マンの疑惑>






クインシー・ジョーンズはアレンジも作曲も、そして無論演奏もしていない。
何故クインシー名義なのか不明。
指揮者?音楽監督?バンマス?後年のスリラーなど実際はどうだったのかと、思わず余計な想像もしてしまう。

1957年の録音で、クインシーがロスアンジェルスへ赴いて作られている。
現地のミュージシャン、といってもベニー・カーター、チャーリー・マリアーノ、アート・ペッパー、コンテ・カンドリ、ペッパー・アダムス、レッド・ミッチェル、シェリー・マン他錚々たる有名ミュージシャンを集めている。
相当に気合の入った、つまり金の掛かったレコードなのだ。
そこへわざわざニューヨークからクインシーを呼び、しかも殆ど仕事らしい仕事をさせない、などという事があり得るだろうか。
実際にアレンジも作曲もしないのであれば、一体何をしに行くというのだ。

当時のウエストコーストでは映画産業が繁栄しており、映画のサウンド・トラックを演奏する譜面に強いミュージシャンが大量に必要だった。そこでニューヨーク辺りで食い詰めたジャズメン、なかでもそうした楽理に長けた連中が集まって、現地で盛んに演奏されたのがウエストコーストジャズである。
彼らに指揮者だとか監督だとか、そんなものは全く必要ない。
アレンジもしないクインシーがやる事と言えば、選曲とキャスティングくらいのものだろう。
それくらいなら文書や電話だけで充分なのであり、いくつか録ったテイクを送らせたテープから選んで一丁上がりだ。
これは全く証拠のない憶測に過ぎないが、この時クインシー・ジョーンズ、名前だけ貸した可能性がある。
実際にはロスへなど、一度も行っていないのではないだろうか。











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(37) ブルースエット アフターダーク

カーティス
NO.37 2011.12.18




<ブルースエット アフターダーク>





1958年録音。
ファイブ・スポット・アフター・ダーク、ベニー・ゴルソン作のこの名曲とトミー・フラナガン参加で本作の価値は高い。
思えばジャズ、1953年から63年までの10年間に、名盤と言われる殆どのレコードが録音されている事実をどう考えればいいのだろうか。
たった10年である。
今なら無風状態で何事も起きないままに経過してしまいかねない年数だ。
実際、2001年からの10年でジャズに何があったか。
本作に匹敵する名盤が一枚でも登場したか。
残念ながら思い当たる節はないのである。
これについてよく言われるのがロック以前、以後という説だ。
つまり黄金の10年間、ジャズはまだロックの侵攻に耐えていたというものだ。
特に前半の5年、ジャズはナンバーワンポピュラーミュージックだったと。
だから最高の才能がジャズに集中した結果であるというのであるが、
それはある程度当たっている気がする。
そして最高の才能が全てやり尽くした頃、ビートルズが登場して全部持って行った。
これも事実だろう。
更にその後の10年でロックも全てをやり尽くした。
そこで不思議に思うのだ。
最高の才能達は今、どこで何をしているのかと。
今は何もない時代だ。
アフターダークである。
そしてこの音楽空洞時代となって、既に30年以上が経過している。
人類にはもう、新たな芸術を生み出す力がないのだろうか。
そんな事はないと思う。
まったく新しい芸術作品は、たった一人の天才の出現によってもたらされるだろう。
今はじっとそれを待っているのだ。
しかし長いな。











(39) バグス&トレーン

m&t
NO.39 2011.12.20




<バグス&トレーン>





40年前、高校生だった私は朝日新聞の配達をしていた。
それで家計を助けていたとかの美談ではもちろんなく、ギター欲しさにバイトをしていただけだ。
その新聞販売店にいた美大浪人崩れの男から二枚のレコードを貰った。
一枚がオイゲン・キケロのロココ式ジャズであり、もう一枚が本作だった。
両方ともガチャガチャに傷んでいたが、あれが初めてのジャズのレコードだったのである。
その後本作は買い直し、キケロの方は買わずにいる。
多分、この先も買うことはないと思う。

比較的無名ではあるが、本作は黒々とした良いレコードだ。
ガレスピーのビ・バップが入っているのがいい。
好きな曲だが、あまり演奏されていないので、その点でも貴重盤となっている。
二人ともアトランティックの専属だったから、案外安易な企画として出てきた事は充分考えられるが、ミルトに駄作なし、と言われる通りただのルーチン・ワークにはなっていない。
金字塔ジャイアント・ステップスをコルトレーンが吹きこむのは、この後すぐであった。











(74) Jazz Bar 2011

jazzbar.jpg
NO.74 2012.1.24



<Jazz Bar 2011>





NO.73に続く寺島関連。
ホヤホヤの新譜である。
年末といえば紅白歌合戦とこれ、寺島靖国プレゼンツJazz Bar。
シリーズも11作目となった。
私はこの「ジャズバーシリーズ」を、2001年の第一作からリアルタイムで聴いてきた。
そしてずい分多くの事を教わり、いつの間にか私も歳を取っていたらしい。
この点では寺島氏とて変わりなく、ここ何年かは正直な話すこしマンネリ気味でもあった。
このシリーズも終わりが近いのかな、と思わないでもなかったのである。

そこへ来て急に、今年のジャケットはかつてなら考えられないようなモノをぶつけてきた。
寺島氏もただのエロ爺になった、というのは簡単だ。
私も10年前ならこのジャケットを見て鼻血を押さえたかもしれないが、今はもうどうということもない。
女というものに特別な幻想を抱かなくなったからだ。
寺島氏は私よりも大分先輩でおられる。
私同様、今さら胸の谷間にときめいてはいられないだろう。

では、このジャケット写真は何だ?
CDを売りたいのか?
もちろん、それは少しあるだろう。
だが、それだけでは済まないある覚悟を、私はこの谷間に見たのである。
FOREVER YOUNG まだまだ枯れてはいられない。オレは男だ。
そんな氏の心意気を見たのだ。
これは12作目以降への決意表明である。
よろしい、頑張っていただきましょう。
これからもJazz Bar、聴かせていただきますよ、寺島さん。











(85) jazz for men

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NO.85 2012.2.5



<jazz for men>





2000年にオスロで録音された。
ノルウェーのジャズであり、ギターとウッドベースによるデュオであるから、もとより熱くはなりにくい。
スタンダードを淡々とこなしていく。

ノルウェー、音楽、ときて連想するものと言えば、ジョン・レノンが歌った「ノルウェーの森」があるばかりで、あとこの国で思い浮かぶものとしては、携帯電話の「ノキア」であろうか。
そう言えば我家のボクスターは、ノルウェーにて生産された可能性があるのだった。

最大限頑張ってみても、もうこれ以上は思い着かない。
私は生涯ノルウェーを訪れる事などないであろうし、この国の人々とどのような形であるにせよ直接の交流を持つ可能性は限りなくゼロに近い。
だが、私は自分が暮らすこの日本とノルウェーに、いくつかの共通点を見ている。
ノルウェーもまた、二院制の議会を持つ立憲君主制の王国である。
国土の面積が日本と同じくらいの小国であるが、国民一人当たりのGDPや平均寿命の高い先進国でもある。
だが、決定的に異なる点がある。
それは人口だ。

昨年、人類の総数が70億人を超えた。
一方この国では人口が減少局面に入ったと騒いでいるが、それでもまだ人類の70人に一人は日本人なのである。
これはけして少なくないのではないか。
実はノルウェーの人口は500万人ない。
北海道民よりも少ない人々が、日本より少し広い国土に悠々と暮らしているのである。
国全体のGDPは神奈川県程度だが、国民一人当たりの所得が高く、見てきたわけではないが豊かな生活をしている。

こういった国は欧州に少なくない。
日本は人口減少を嘆くより、ノルウェーあたりに学ぶべきではないかと思う。
何故少子化現象、人口減少が起きているのか。
それはこの国の基礎体力が、一億以上の人間を支えていく程強くはないということなのだ。
冷静に考えてみればその事が良くわかる。











(88) アルフレッドの茶目っ気

sabu.jpg
NO.88 2012.2.8



<アルフレッドの茶目っ気>





本作がブルーノートの1500番台に存在するのは、別に狂気だとは思わない。
アルフレッド・ライオンは好奇心が旺盛だった、それだけだ。
私はこれを結構気に入っている。
ジャズをどんどん先祖帰りさせていけば、こういった所に行き着くのだ。
スカしたハードバップは聴き過ぎると胸やけがする。
そんな時はこれだ。頭を空っぽにして大音量で聴く。
パワーがありユーモアがありメロディアスですらある。

唯一神教の如くジャズを崇め奉るのは流行らなくなった。
特に酒の席で音楽を聴くのなら、
マイルスやエバンスやマクリーンの間に、このSABUやトム・ウェイツや津軽海峡冬景色を混ぜて聴きたい。
きっといい味が出ることだろう。

アルフレッド・ライオンが酒飲みだったかどうか知らないが、きっと自分の宴会で口直しに掛けたらいいな、などと思いながら本作をプロデュースしたのだ。
そんな気がする。











(90) たけしとジャズ

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NO.90 2012.2.10



<たけしとジャズ>





NO.81で書いた「私的名曲集」を、ビートたけし氏位になれば本当に作ってもらえる。
しかもそれを二枚組3200円というお値打ち価格で、実際に販売してもらえるのだ。
もっとも「私的名曲集」とは言っても、クレオパトラの夢(バド・パウエル)、モリタート(ソニー・ロリンズ)、アイ・リメンバー・クリフォード(リー・モーガン)といったまさしくヒットメドレーであり、そう我儘な中身でもない。
担当者が少し大変だとすれば、収録曲のレーベルが多岐に渡っていて、その承諾を一々取り付ける事くらいだ。
だが、「たけしとジャズ」を持ち出せば断る相手もいまい。
この内容ならスーパーのワゴンセールで500円とかで並んでいる廉価盤で手に入る音源だが、「たけしとジャズ」と銘打てば改めて買うバカな客は私一人ではないのだろう。
それで天才北野武の音楽の原点はジャズだった!とうそぶいている。
うらやましい事だが、人間大物になれば、出来ない事も怖い事も限られてくるようだ。

出来ない事怖い事と言えば、嘗て不文律として守られていたものが、いつの間にかそうでなくなってしまった事は多くある。
こんな事を書きながら「朝ズバ!」をつけていたら、交通情報のテロップが出て、また高速道路で事故だという。
最近多くなってはいないだろうか。高
速道路の事故は即命にかかわる。
マナーが悪くなった。
それも極めて悪くなったと思う。
昔は多くのドライバーが、高速運転の危険性という共通認識に立った運転を守っていた。
暴走族まがいの人間以外、無茶はけしてしなかったのである。
それがいつしかそうではなくなってきた。
日本人はやっていい事とそうではない事の区別がつき辛くなっている。

お天道様は今も昔も、いつだって変わらず見ている。
東日本大震災時に伝えられた驚嘆すべきマナーの良さ。
実際そういう事もあったのだろう。
だが、それはある意味まだ余裕がある状態で守られたマナーという話に過ぎないのではないか。
当然そうではない案件も多数あった筈だ。
事態が固定化していった頃、震災当日一つのおにぎりを分け合って食べたという美談が伝えられる同じ避難所に、被災とはまったく無関係の人間が多数紛れ込み、三食付きの無料宿泊施設としてありがたく活用していたと聞く。
関西から東京に向かうトラックが遠回りして東北の料金所で一旦降り、Uターンして再び東京へ向かうことで高速料金を無料にするという見事な裏技を発明したのも、同じこの国の人間である。
可能不可能に関わりなく、やっていい事とそうではない事は確実にある。











(97) 踊り子

おどりこ
NO.97 2012.2.17



<踊り子>





スィンギーなウエストコーストのビッグバンド物だ。
アートペッパーや、あのスコット・ラファロなんかが参加している。
ジャズっていいなあ、と本作なんかを聴くと思う。
最初はわけも分からず、本作と同じマーティ・ペイチの「おふろ」がカップリングされたCDを買った。
次第にこの様な扱いもどうかと思い始め、「踊り子」「おふろ」ともオリジナル盤を探しあてた。
盤質はまあまあなのだが、この二枚ジャケットが大分やられている。
こんな良いレコードを手荒に扱う輩は洋の東西問わずいる。
私などには信じられないことだ。

レコードからはCDには感じられないオーラが出ている。
レコードを棚から抜き出し、ジャケットから出してターンテーブルに乗せそっと針を置く。
一連の動作に付きまとう緊張感が私は好きだ。
背筋を伸ばしレコードと対話している。
そうすればレコードを傷めるなどという事など起こりよう筈もない。
レコードというモノ、大切にすれば人間なんかより寿命は長い。











(102) Jazz Bar 2012

a.jpg
NO.102 2012.12.24




<Jazz Bar 2012>





いよいよ年の瀬である。
恒例となった「ジャズバー」が今年も無事に出た。
近年年末が近付くにつれ、はたして今回も出るのかと少し不安だ。
理由は様々あるが、とりあえずこれが出なくては、一年の締め括りにならない。

これで12年連続となる。たいしたものである。
出来栄えの良かった年も、それほどでもなかった年もあったが、好き嫌いも浮き沈みもそれは世の常。
自分で曲を作るわけにもいかず、ネタ切れを起こす時だってあるに違いない。
だが、少なくとも二度と聴かないほどのダメなビンテージは一度もなかった。

毎回一定以上のレベルを、ずっと維持してきたのである。
それはけして容易な事ではなかった筈だ。
もちろん商品である以上、売れなければ続かない。
ひとりよがりでそれが売れるなら世話はないが、
世の中そんなに甘いものではない。
試行錯誤、そして時には妥協も迫られた事だろう。

惜しみない努力が12年も続けられてきた。
そしてその努力というのは何も、寺島さん一人が背負ってきた訳ではきっとないのだ。
商品として店に並べられるまでには、多くの人や組織が関わっている。
自分一人の意志だけで継続可能な、そして業績とは一切無縁なこのブログのようなものでも、実際続けるとなれば簡単ではない。
ましてJazz Bar、世間の荒波を乗り越えて進まねばならず、波風にのまれいつ沈没してもけして不思議ではなかった。
「 vol.12」これは偉業と言っていいだろう。
寺島さんはもとより、関係各位の多大なるジャズへの熱意に感服する。



今年は岩浪洋三さんが亡くなられた。
享年79歳。心不全だという。
きっと心臓が止まる直前まで、
ジャズのあれこれ(もしかしたら女のあれこれかもしれないけれど)を考えておられた事だろう。
一面識もないが、精力的な情熱的な、そして何よりまっ直ぐな方だったのではないだろうか。
翻って私は残りの人生をそのように生きられるか。
寿命が尽きる時が来て尚音楽への関心を失わず、苦労をかけた女房と並んでスピーカーの前の椅子に座り、嗚呼いい音だなぁと。
自信はないが、そんな風に自分の最期を迎える事が出来たなら、これに勝る僥倖はない。




何はともあれ、メリークリスマス!









(118) たけしとブルーノート

たけ2
NO.118 2013.10.8



<たけしとブルーノート>





北野武のジャズシリーズ第2弾が出た。
前作『たけしとジャズ』は四万枚売れたそうだ。
これはジャズのレコードとしては驚異的な数字である。
ちょっとした音楽好きなら皆どこかで聴いたことがあり、
更にジャズファンであればほとんどの収録音源を手元に置いているであろう、というようなCDをわざわざ購入にまで至らしめたのは「ビートたけし」というブランド故だ。
同じコンピレーションでも、本ノートで毎年とりあげている『寺島靖国プレゼンツ、JAZZ BARシリーズ』なんかは恐らく、十分の一程度の売上ではないかと想像している。
『JAZZ BAR』を買う数千人の人達はそして、今も熱心にジャズを聴き続けているコアなファンだろう。
『たけしとジャズ』を買った四万人のうち、どれくらいのジャズファンが含まれているものかはわからない。
多分、多くはないだろう、とこれも想像だが、仮にそうだとすれば四万人に限りなく近いジャズファンではない人達が『たけしとジャズ』をきっかけにしてジャズファンになっていくのであれば、それはそれで結構なことだと思う。

実は私も個人的なブルーノートのコンピレーションを制作している。
CD三部作で三十数曲になるが、このうち『たけしとブルーノート』とカブッたのは「スィートラブ・オブ・マイン/ジャッキー・マクリーン」たった一曲だけだった。
そして『たけしとブルーノート』には、私が聴いたことのない音源が含まれる。
就中、青山テルマという未知の女性歌手が歌う、ビートたけし作の「浅草キッド・英語バージョン」がボーナストラックで付いている。
私はこのCDを買ったのである。
驚いたことに本作は、ブルーノートレーベルで出された「ブルーノートのレコード」だった。
音源のほとんどがブルーノートである。
考えてみればおかしな話でもないのだ。
だが、私はどうしても「こんな事が許されるものだろうか」との思いを拭いきれない。
それはノラ・ジョーンズのCDが、ブルーノートから出た時の違和感とそんなに違わない。
なんか違うんじゃないか?と私はどうしても言いたい。

このCDを買うかもしれない数万人の人達は、『たけしとブルーノート』をきっかけにブルーノートのファンになっていくだろうか。
ブルーノートの熱心なファンになれば、このCDには取り上げられずに埋れた聴いて大ハッピーになる曲がたくさん待っているのだ。ブルーノートはハード・バップの楽園である。それらを聴かずに死んで欲しくない。
アンドリュー・ヒル、セシル・テイラー、サム・リバース、これらはブルーノートを代表する重要ミュージシャンではけしてないのだ。
また、ノラ・ジョーンズ、カサンドラ・ウィルソンなどのボーカル物もブルーノートの看板では断固ないのだ。

私はむしろこのCDが、将来中古屋に大量に出回るのではないかと危惧する。
数万人の未来ある音楽ファンの、ブルーノートとの不幸な出会いになりはしないかと。










(120) Jazz Bar 2013

jazzbar2013.jpg
NO.120 2013.12.4



<Jazz Bar 2013>





Jazz Bar の季節がやってきた。
寺島さんは75歳におなりの筈だ。
まことにお元気。
全編ピアノトリオという本作にイチャモンをつけるのはたやすいが、やめておく。
さすがにあと何度出せるかわからないのである。
好きなようにされれば良いのだ。
それが許される立場に氏はおられるということだ。

知人に72歳の現役テニスプレーヤーがおり、先日脳動脈瘤の手術をされた。
二週間ほどで退院し、すぐにテニスを再開された。
驚くべき体力と回復力だ。
寺島さんもそうだが、この方も見た目が本当にお若い。
外見的に若く見える人は肉体的にも若いのだそうだ。
人は様々だ。
私などは一回り以上も年下だが、多分あと10年テニスはもたないだろう。
せいぜい5年、そんな気がする。
先日来腰痛に取りつかれ、すすめられるままに検査を受けた。
ヘルニアと脊椎の腫瘍が見つかった。
腫瘍は悪性とは考え難いとの事だった。
さてどうするか、という話になったが、私は「放置」を選ぶ事にした。
放置してあと20年もてば良いのである。
もたない時ですか?
それはその時考えようかと。











(121) 年の瀬に 

s ハンプトン
NO.121 2013.12.27



<年の瀬に>





2013年も残すところあと5日となった。
私は今日から正月休みに入り、暫くは音楽三昧の日々を満喫させて頂く。

さて、クリスマスを過ぎ、大晦日まであとわずかというこの日に生まれたのが妻の母。
今夜は彼女のお誕生パーティである。
どんな音楽を好まれるのか聞いておけば良かった。
だが、本作のような黄金期のジャズなら、きっとどこかで耳にされた事もあろう。
61年当時、人々はこのような音楽でツイストを踊っていた。
ジャズは小難しいばかりの音楽ではなかった(無論そういうところもある)。
彼女にも、どこかでこのようなジャズをバックに踊った経験があるやもしれない。
今夜は半世紀前のそんなシーンを思い出して頂こう。

年末年始という一種高揚した気分を共有しやすく、
しかし一方で何かとあわただしいこの季節に生まれた知人が少なくない。
クリスマスイブの前日に生まれた友人がいるが、
彼女の誕生日はいきおい、クリスマスに一本化されてしまいがちだった事だろう。
もっとも私の幼少期などは誕生日にもクリスマスにも、何か素敵な行事があった覚えなど特にないのである。
日本はまだ貧しかった。

私の弟は元旦の翌日生まれた。
それも自宅での出産だった。
当時はそれが普通だったようだ。
次第に出産の現場が自宅から病院へと変わっていき、不慣れな病院の対応故に起きた取り違え事件が今年大きな話題となった。
弟が生まれた時私は3歳だったが、産婆さんが定期的に往診に来ていた事や、出産当日の異様な雰囲気などをはっきり記憶している。
記憶力は相当怪しいのに何故かわからないが、古い記憶は消えない。
その日私には文字通り居場所がなく、押し入れに押し込められ泣き寝入りした。

本作のスライド・ハンプトンは、割と短命な相撲取りとジャズメンにあっては珍しく、80過ぎだが立派にご存命である。
彼は左利きのトロンボーン奏者なのだが、左利き用のトロンボーンというものが存在する事自体に寧ろ驚く。
一体どれほどの需要があるというのだ。
左利きのミュージシャンですぐに思いつくポール・マッカートニーは、右利き用の楽器に逆から弦を張り、ひっくり返して弾いていた。
今年来日したポールのコンサートに私は行かなかった。
立って聴かされるのが嫌だったのだ。
何やら同窓会的ムード横溢する、いいコンサートだったらしい。
少し後悔している。










(185) ボタン消滅の訳

naoko.jpg
NO.185 2014.9.8



<ボタン消滅の訳>





ブログというものをやり始めてそろそろ3年になる。
よくもまあ続いたものだ、と言って支障あるまい。
使い方を完全に把握していないという憾みは依然ある。
世代的なものだ。仕方ない。
何しろ音源の半数はアナログ(LPレコード)で所有しており、音楽をダウンロードした経験もする気も金輪際ないという骨董人間である。
その割には使いこなしている方ではないか。

そもそもこのブログを始めたのは、思い残す事のないよう言いたいことを言っておく、というのが動機といえば動機だ。
最初は何をどうしたものやらわからず、ページの設定というのだろうか、デザインも適当なものだったし、大体書いたものを果たして誰か他の方が読んでいるのかどうか、それすらわからないまま闇雲に更新していた。
自分はそれで一向に構わなかったが、そのうち「拍手」というものをしてくれる人がいるらしいと気付いた。
「へ~」と思ったが、それも滅多にある事ではなかったので、大きな関心をはらうには至らなかった。
しかしその「拍手」というのが結構頻繁になされるにいたり、段々気にするようになった。
多くても数人であったが、ゼロだとなんだか落胆する。
そんな調子で推移する昨今となった。

だがこの「拍手」、どんなに多い時でもふた桁になることはなかった。
ところが昨日のこと、「ラリー・カールトン」を紹介したどちらかと言えばやっつけ仕事に、どういう訳か当ブログとしては多目の拍手を頂き、ついにふた桁、なんと「16」まで到達したのであった。
みなさん、どうもありがとう。
ただ、そこでわたくし思ったのです。
そもそも拍手をしてもらいたくて書いていたわけでもなかろうに。
でも段々そんな風になっていくものだから、これはいかんのじゃないかと。
そこで記念すべき拍手ふた桁突破を機に、当ブログでは拍手制度を廃止します。

昨日娘と話をしていて愕然とした、と言うか目からポロリ鱗が落ちた。
彼女曰く、多くの人にとってジャズってのは居酒屋のBGMの類に過ぎず、たいして関心のあるものではないと。
そうかも。
自分が好きだからと言って、なんだかよくわからないような古い音楽の、それも重箱の隅をネチネチほじくりかえすような話を聞かされても、多くの人は閉口するばかりだ。
なるほど、だからあんまり相手にしてもらえなかったのね。
思わず納得。

JAZZ、これは極めて自分勝手な趣味のひとつに過ぎない。
けっしてそれ以上でもそれ以下でもありはしない。
それでよろしいのではありますまいか。
そして特段JAZZに限らずとも、言いたいことがあれば言えばよろしい。
書く事がないなら無理に書くことも又ない。
こうして何かを残しておけば死後、いつか子供たちがこれを見て、ああオヤジはこんな事を考えていたのかと思うかもしれない。
笑いのネタにでもなれば幸いである。

さて、本作であるが、寺井尚子はイメージ(誰の?とつっこまれても困るが)よりずっとジャズの核心を鋭く突いてくる人だ。
バイオリンジャズというのは悪くない。
悪くはないがどうも絵にはなりにくい。
ステージでサマにならないと言うか。
だってそうでしょう。
どんな衣装で演奏すれば良いというのか。
こきたないジーパンではカントリーのフィドルに見えてしまうし、ドレス姿でバイオリンではとてもジャズには見えない。
だから音は素晴らしい(本作は特に録音良好)のに、気の毒にもライブ映えしない楽器だ。
そんな寺井尚子の本作はライブ盤である。
「スペイン」一曲だけでも価値がある。
数多くカバーされた同曲の中で、録音・演奏ともに最高の出来だと思う。
これがライブ録音だというのだから更に凄い。

リー・リトナーが強力サポートして、ツアーにも帯同していた。
この頃(2001年)私はこの二人がなんかどうも怪しいと、完全にゲスの勘ぐりとしか言い様のない妄想(かどうか実際わからんが)をいだいていた。
それから間もなくのこと、リー・リトナーがあの杏里と結婚するとかでひっくり返りそうになった。
日本の男はさっぱり外人女性にモテないけれど、日本人女性は違う。
それはわかる気がする。
あなたがたは素敵だ。
それは認めるから、外人は勘弁してもらえないかな。
きっとダメだと思うけど。

幸いにも、この話はどうもその後、沙汰止みとなったようだった。









<二伸>

ここまで来たら錦織圭は勝っておくべきだ。
ここで負けたら全部パー、そう覚悟して何が何でも絶対勝たないと。
間違いなく彼のテニス人生で最も大事な試合となるだろう。
ただ、残念なことに、我が家は映らんのですよ・・・・
非常に残念だ。
でも見てたら、見て応援してたら勝つってもんでもないから。








(187) 同窓会の夜

carnegie.jpg
NO.187 2014.9.12



<同窓会の夜>




1974年、カーネギーホールでのライブ。
ジェリー・マリガンとチェット・ベイカーの二枚看板だが、ボブ・ジェームス(p)ロン・カーター(b)ハービー・メイソン(ds)らがバックアップしており、当時のCTIオールスターズの様相である。
だが、心配にはおよばない。
ストレート・アヘッドなとても良い盤だ。
あのジョン・スコフィールド(g)まで出ている。
ジョンスコはこの時まだ駆け出しだったので、扱いが良くないのはまあ仕方ないだろう。

私の手元にあるのはLPレコードで1と2に分かれている。
LPも爛熟期に入り、音質は非常に良い。
現在ではCD化にともないカップリングされ一枚に収められているようだが、音質は分からない。
LPの方が音が良いというのはしばしばあった話だから。

VOL.1(一枚目の黒いジャケット)で好きなのは、何といってもA面一曲目の「Line For Lyons」だ。
マリガンのバリトン・サックスが良く鳴っている。
ちょっと枯れた音色が素晴らしい。
マリガンとチェットの間で「何やる?」「昔よくやったアレは?ウォーミングアップにさ」「いいね、オーケーだ」的なやりとりがあったという。
昔よくやった「木の葉の子守唄」はやってくれなかった。

B面一曲目には「My Funny Valentine」が収録される。
チェットといえばこれ。
マリガンあたりは当然「おまえどうせなら歌えよ」と水を向けたことだろう。
だがチェット「いや、歌はもういいや」と言ったかどうか分からないが歌わない。

ヤク中で滅茶苦茶な男だった。
それが原因でトランペッターの命ともいえる前歯を全部折られたりもした。
男前で女性にもてたと思われるが、この当時はがらがらに痩せてしまい皺しわで目が落ち窪み、別人のようになっていた。

マリガン、チェットともに出演した、写真家ウィリアム・クラクストンの映画「カメラが聴いたジャズ(Jazz Seen)」に二人の若かりし日の姿が残されている。
サウンドトラックのCDがあるので、これもいつか紹介したいと思う。
クラクストンは「フォトジェニック(Fhotogenic)な男だった」とチェットを評している。
実物より写真写りが良かったという事だろう。
この点で損をしていると思うのがピアニストの山中千尋さん。
彼女はどういう理由かいつも、写真より実物の方がずっと素敵だ。

VOL.2(黄色いジャケット)で好きなのはA面二曲目の「Bernie's Tune」。
この曲と「Line For Lyons」だけで、本作二枚を買って良かったと思っている。
尚、このコンサートにはスタン・ゲッツ(ts)も出演し、三管で色々やったらしい。
残念ながらそれらは、契約の関係で本作に収められることはなかった。



carnegie2.png











(193) ある別の分離独立 ①

great jazz artists1
NO.193 2014.9.19



<ある別の分離独立 ①>




英国の分裂は回避されたようだ。
我が国にあってはたかだか憲法改正の是非を問う国民投票すらままならないのに、一地方の分離独立という過激案件を住民投票で決めるあの国は一体どうなっておるのだ。
そもそも民主主義の成熟度が違うのか。

スコットランドという地域は、私の暮らすこの島と同程度の面積、同程度の人口規模に過ぎない。
我々が独立国としてやっていけるなどと、私は到底思えない。
スコットランド沖の北海油田が大きな財源と考える向きもあろうが、そろそろ枯渇するのではないかとも言われる。
それが無くなればスコッチウィスキー以外特に産業もないのに、彼らは独立してどうするつもりだったのだろう。
実際のところイングランド・スコットランド双方にとって特段メリットのある話ではなく、行き掛り上声だけは大きかった独立派が瞬間的に有利にみえたものの、最後はサイレント・マジョリティが現実的な判断を冷静に下したといったところだ。
今回は何と16歳以上の者に投票権があり、特に若い連中が賢明な投票行動をしたと伝えられる。
いきり立っていたのはおっさんばかりなり、ということらしい、どうも。

ただ、これで大団円を迎えたかといえば、そうもいくまい。
北アイルランドのようなことにはならなくとも、今後に火種が残されたのは間違いない。
事実、この投票が決まってからの2年という期間、独立反対派は賛成派の暴力に怯えてものが言えないといった話が聞こえていた。
反対派が襲われたり、家の窓ガラスを割られるといった騒ぎが後を絶たなかったという。
そうした動きがこの結果を受け、一気に沈静化するとは普通考えられない。
逆はあるかもしれないが。

スコットランドと言えば個人的にはもう一つある。
この地にある「LINN」というメーカーのレコードプレーヤーと、フォノイコライザー(以下フォノイコ)という機材を、長年私は愛用してきた。
LPレコードというのは簡単に言うと、低音を小さく高音を大きく記録してある。
これによりノイズ低減と長時間録音が可能となったが、再生する時には変形させた周波数特性を元に戻す必要がある。
その役割を担うのがフォノイコで、昔のアンプには最初から内蔵されていたものだ。
しかしLPレコードの再生需要が激減したため、現在のアンプにこの機能はもうない。
それで単体のフォノイコが必要になるという訳だ。

このLINNのプレーヤーとフォノイコで、私は本作のようなレコードをたくさん聴いてきた。
これは「リバーサイド」というレーベルが、自分の所の音源を使って制作した、セルフ・コンピレーションといった趣の作品である。
多分CDにはなっていないと思う。
何やら悩ましげな表情の女性が胸から上のみ写っているが、実はこれ三部作で、二枚目、三枚目と順次下へいく。
さあ、いったいどんな事になるのでしょうか。
まあ結構有名だから、知っている人は知っていると思うが。

胸像部分の本作は、作曲家リチャード・ロジャースの作品集である。
CD化されていなくとも全て、元々リバーサイドが持っていた音源だ。
A面のビル・エバンス「春の如く」は、1961年にスコット・ラファロを交通事故で失い落ち込んでいたエバンスがベースにチャック・イスラエルを迎え、翌年吹き込んだ「ムーン・ビームス」の収録曲である。
B面のセロニアス・モンク「You Are Too Beautiful」は、1956年の「The Unique」収録曲。
といった具合であるが、すべてが既存のアルバムに入っている訳でもないようだ。

リチャード・ロジャースといえば「マイ・ファニー・バレンタイン」である。
本作には「Johnny Lytle(vib)」のトラックが採用されている。
ところがこれのありかが不明だ。
1961年録音の「Happy Ground」に収録の同曲は、オルガンとドラムを従えたトリオである。
しかし本作のそれは、ジョニー・グリフィン(ts)ボビー・ティモンズ(p)を含むクインテット編成となっている。
同じ面子で演ったセッションといえば、62年に傍系の「JAZZLAND」に吹き込んだ「Nice And Easy」のみだと思う。
本作収録の「マイ・ファニー・バレンタイン」は、この時のボツテイクかもしれない。
全然違うかもしれないが。
もしもご存じの方がおられるなら、ご一報お願い申し上げます。

本日はいつにも増して長くなったな。
これを端から端まで読む人がはたして居るのかと、少し心配になった。
次回は胴体部分が登場します。
バラバラ殺人事件ではありません。
ご安心を。








(194) ある別の分離独立 ②

great jazz artists2
NO.194 2014.9.20



<ある別の分離独立 ②>




SF映画なんかには、地球政府が出来国境がなくなった世界がよくある。
甚だしきは銀河系が統一され、銀河連邦が成立する。
首都星はオーディンであった。
その後、銀河帝国と自由惑星同盟がイゼルローン回廊を挟んで対峙する話を、ご存じの方もおられるだろう。
銀河の歴史がまた一ページ・・・・
ところが現実の世界は独立に次ぐ独立。
どんどん細分化されていく。

人は独立したがる。
自分の好きなようにしたいからだ。
だから経済力があれば親元を離れ自活する。
国家レベルの話となっても多分大差はない。

大が小を併合し搾取弾圧を受けた小が独立を望むのは分かる。
植民地の独立も似たようなものだから理解できる。
また、クリミア半島の件は侵略であって独立ではない。
スコットランドの件はどうも分からない。
スペインのカタルーニャやバスク地方も同様だ。
言語や文化が多少違うからと今更分離独立すれば、細分化によって力を失うだけだろう。
北海道と九州では相当違うけれど、独立しようと我々は思っていない。
地続きだと鬱陶しさもだいぶ違うのか。

細分化した者は弱体化し、現状を維持する強者との差が益々広がる。
もしもEUが大同団結して統一国家となれば、アメリカ・中国に対抗可能な超大国となる。
ローマ帝国の昔は統一国家だったのだ。
不可能ではあるまい。
それを承知のうえで逆に独立するというのだから、よっぽど隣人が嫌いなんだろうな。
思えば熟年離婚なんかも同じ事か。


胴体部分の本作はコール・ポーター作品集だ。
キャノンボール・アダレイ「What Is This Thing Called Love?」ソニー・ロリンズ「Every Time We Say Goodbye」ジョニー・グリフィン「In The Still Of The Night」が連続するA面の豪華さは普通ありえない。
NO.186にて紹介した「You'd Be So Nice To Come Home To」を本作ではミルト・ジャクソンが演る。
ミルトに駄作なし。
だが常に平均点だ。
五段階評価だと3か4。
1、2もないかわり、とび抜けた5もない。
これが彼の楽器(vib)の限界を物語る。
クールでかっこいいが、絶対熱くなれない。
そこがジャズでは弱点にもなる。
ミルトの発する炎はいつも、アルコールランプのように青白い。
「You'd Be So Nice・・・」ならNO.186のアート・ペッパーの方が絶対いいのだ。
だが、「Meets The Rhythm Section」はコンテンポラリーレーベルなので、リバーサイドレーベルの本作に入れることは叶わなかった。

しかしその後色々あって、コンテンポラリー、リバーサイドともファンタジーの傘下となる。
今なら差し替えも可能だが・・・













(195) ある別の分離独立 ③

great jazz artists3
NO.195 2014.9.21



<ある別の分離独立 ③>




本日は亡き義父納骨の日だった。
クリスチャンである妻の希望を入れ洗礼を受けたが直後突如倒れ、一年後に亡くなった。
結果として彼は、妻が自らも希望するところの、信者だけが埋葬を許される共同墓地に納骨される事となった。
非常に出来た人物であったという。
妻をして葬儀で、私の人生は当たりでした、夫のおかげで幸せでしたと、そのように言わしめた。
娘、すなわち我妻は男のそれが普通の姿であると信じていたといい、不思議な動物でも見るような、あるいはある種の同情を伴った眼差しで時に私を見る。
そんな私にとってほんの少し困った存在でもあった彼に、ベニー・ゴルソンが書き、亡きブラウニーの代わりとして17歳のリー・モーガンに吹かせたあの名曲、「I Remember Clifford」を捧げたい。
もう著作権も切れていることだから、どうか許されたし。


さて、リバーサイド三部作はこのお御足部をもって完成する。
レコード三枚のジャケットを並べると、横臥美人図となる仕掛けである。
だがこれは、日本人にはちょっと難しい手法かもしれない。
それ故、未だCD化が見送られているようにも思う。
一枚目はともかく、二枚目、三枚目は単独で見るとどうなんだ。


昔、と言っても最近だが(どっち?)、澤野商会が看板ピアニストのウラジミール・シャフラノフ作品を時間差で二枚出した。
「Portrait In Music」という同一タイトルだった。
この二枚、ジャケットは全く異なるものの、なんと中身は全く同一だったのだ。
この頃の私は内容を吟味することなく新譜を買っていた。
だから買ってから、それもかなりの期間を経てから、この事実に気付いたのである。
これでは文句を言えた義理では到底あるものでもなかろうに、澤野商会へ電話して社長の澤野由明氏に私は抗議した。
澤野さん、内心困惑されたと思うが、いやそれは申し訳ないことですと丁寧に説明してくれた。
最初に出た方は、ウラジミール・シャフラノフの写真がジャケット意匠に採用されている。
この写真を良く見ると、シャフラノフの右手先が少し切れている(フレーム外、写っていないということ)。
ピアニストの大事な指が、たとえ写真とはいえ切れていていいのか?
これを澤野由明さんは良しとせず、別のバージョンで出し直したのだという事だった。
これが日本人の感覚だ。

本件を一つの基準とすれば、この横臥美人三部作などはあり得ない類の代物ではないだろうか。
だがリバーサイド、オリン・キープニューズは甚くこのアイデアが気に入ったとみえ、「ジョージ・ガーシュイン、ハロルド・アレン、アービング・バーリン」からなる別バージョンも存在する。
このシリーズは全部で6枚あるという事だ。
小樽のあるジャズ喫茶で知り、少し悔しかった。
この店は誇らしげに全てを額装し壁に飾っていた。
だが、偶然手に入る場合を除き、私としてはこれらを探すつもりはもうない。


" 秋風にたなびく雲の絶え間より、もれ出づる月の影のさやけさ "


あろうことか、不覚にも本作のテーマ大作曲家のジェローム・カーンを無視していた。
マイ・フェイバリット・ジェローム・カーンの双璧は「煙が目に染みる」と「Yesterdays」である。
前者、本作ではキャノンボール・アダレィがオーケストラをバックにやっている。
これもけっして嫌いではない。
ではあるが、ビーナスレコードから出ている「エディ・ヒギンズとスコット・ハミルトン」のバージョンが特に好きだ。
あの何とも言えない演歌調が、この季節にぴったり。
50過ぎれば皆演歌。

後者はまず、本作ウェス・モンゴメリーの職人技を堪能して頂きたい。
ウェスが持つジャズの都会的なかっこよさをこのテイクで聴きメロディを覚えたら、合わせて私が聴きたいのはBLUENOTE 1569 「BASS ON TOP」のポール・チェンバースだ。
ベースのアルコ(弓弾き)をやらせたら、チェンバースの右に出る者はいなかった。
ある程度の装置で聴けば、この曲の良さも一層際立つだろう。
横隔膜が震える。

秋の夜長にしみじみ聴きたい。



















(199) 残すべきもの

night lights
NO.199 2014.9.25



<残すべきもの>




ついに出たか、というほどの有名盤。
B面のPrelude in E Minor (ショパン作)が、かつてFM番組のテーマ曲に使われたので、覚えておられる諸兄も少なくないだろう。

A面冒頭のタイトル曲でのジェリー・マリガンは何ゆえかピアノを弾いている。
続いて大好きな黒いオルフェ(カーニバルの朝)と、終始大人な感じでくる。
いいなあ。
これほど秋の宵に合う盤がまたとあるか、というくらいのベタな演奏満載である。
そもそもバリトン・サックスの音色がすでに、季節感たっぷりの汁だく状態だ。
かと言って腕達者たちの演ることだから、安いムード音楽になどけっしてならない。

手元に二枚の「NIGHT LIGHTS」がある。
一枚は学生時代最初に買った国内盤で、もう一枚は後年オリジナルを見つけて買ったものだ。
オリジナル盤といっても60年代の、それもメジャー盤(フィリップス)であるから大したことはない。
数千円だったと記憶する。
だが、持っているだけで嬉しい。
ジャケットの発色が全然違うのだ。
そして最大の差、写真は再発ステレオ盤だが、オリジナルはモノラル盤なのである。
ただし聴くのは年に一度。
さすがに繰り返し聴けば飽きてくるからだ。
こういう盤はそれでいいと思う。
飽きるなんてもったいなくも申し訳ないから。

昨日あたりはだいぶ弱気になり、私なんかどうせと、残せるものなんてワインの空き瓶くらいのものだと、すっかりうらぶれていたがそうだ、レコードがあったのだ。
扱いに注意すれば孫(いないけど)の代にも十分残せるのがアナログレコードだ。


まだ見ぬ孫の代であるが、どうも色々申し訳ない事態もレコードと一緒に残してしまいそうだ。
国家財政もそうだが、それよりもっと深刻なのが地球環境の悪化だ。
未だ色々な事を言う人たちが居て、素人にはどれを信じて良いやら判断つきかねる状態ではある。
しかし、どうも今より良くなってはいないと考える必要がありそうだ。
予想というのは常に結構いい加減なものであったし、なってみないとわからん、というのが正解なんだろうが、仮に今マスメディアが盛んに煽っている気象環境の変化が現実に起きれば、それはもうただ事である訳が無い。

2050年、私の街で秋のお彼岸の気温30度以上が普通になるというのだ。
その時東京あたりでは35度を超えている。
では「暑さ寒さも彼岸までは過去の話」となっているか。
いや、そうではないと言うのである。
7月8月は40度以上が普通になり、お彼岸の35度で「だいぶ涼しくなりましたね」と、時候の挨拶は昔通り交わされる。

同時に、もっと南ではどんな事になっているだろう。
干ばつによる砂漠化だ。
100億に迫る人類の食いブチを、地球は賄いきれなくなるのではないか。
そうなれば当然食料の争奪戦が起きる。

伊勢湾台風並の巨大台風が普通になり、日本に壊滅的な被害を繰り返し与えるともいう。
あくまでもこれらは今のところの予想だ。
繰り返すが、実際はなってみなければわからない。
だがもし・・・

なんとかして、孫に残すのはジャズのオリジナル盤だけにしておけないものか。








(200) INCREDIBLE !

the cat
NO.200 2014.9.26




<INCREDIBLE !>




NO.200となった。
キリの良い回であるが、特に何事もなくタンタンと進行する。

ジミー・スミスは幼少よりピアノを弾いていたが、20代中頃のある日2000ドル以上の借金をしてハモンドB-3を購入、オルガニストへ転向した。
以来昼間はオルガンの練習に明け暮れ、夜になれば酒場でピアノを弾いて生活した。

楽譜が読めなかったが、非常に耳が良く不自由しなかったとされる。
しかし私はこの話を疑っている。
幼少時からピアノを学んだ人が楽譜を理解しない、というのはだいぶ怪しいと思う。

やがてブルーノートからデビューし、ジミーはたちまち売れっ子となった。
ブルーノートの1500番台だけで、彼は13枚のリーダー盤を出している。
1501番(マイルス・デイビス)から1600番(ザ・スリー・サウンズ)までの98枚中の13枚というのは、驚くべき数字である。
因みにリー・モーガンとハンク・モブレーが6枚。
ルー・ドナルドソンとホレス・シルバーが5枚。
バド・パウレルが4枚。
ソニー・クラークが3枚である。
ジミー・スミスの13枚が抜きん出た数字である事がわかる。
何故これほど多いのか。
それはもちろん売れたからだ。
ジミーのオルガンジャズは主にハーレムの黒人層にうけ、ブルーノートの屋台骨を支えた。

尚、ブルーノート1500番台が98枚しかないのは、ふたつの欠番(1553番と1592番)があるからだ。
1592番は何故か(多分売れないから)オクラ入りしたソニー・クラークの「クインテット」で、後に東芝によって発掘され発売された。
これをいれると、ソニー・クラークのリーダー盤は4枚となる。
あの「クール・ストラッティン」を含むソニーの諸作が、当時のアメリカでは全然売れていなかったのだ。
今逆に、ジミー・スミスの13枚を聴く人がどれだけいるだろう。
不思議なものだ。

1553の欠番について私は真相を知らない。
きっと何か因縁めいた物語がありそうだ。
あるいはある日突然テープが発見され、発売されるとか。
どうだろう、それなら楽しみに待ちたい。

本作「THE CAT」は1964年にバーブレーベルから発売され、これも大変売れた。
トランペット、トロンボーン主体のビッグバンドを従え、いかにも売れそうなナンバーが続く。
録音も非常に素晴らしい。
私は有名なタイトル曲を含むA面よりも、「シカゴ・セレナーデ」や「ブルース・イン・ザ・ナイト」などのB面が好きだ。

副題が「The Incredible JIMMY SMITH」である。
「信じられな~い!」ということだ。
ジミーのオルガンはあのマイルスをして「世界八番目の不思議」と言わしめたとか。
本作はビッグバンド付きであるが、ブルーノート1500番台13枚は、全てオルガントリオだ。
この場合あとの二つがギターとドラムである。
そう、ベースがいないのだ。
なんとベースはジミーが足用鍵盤にて(両手と)同時に演奏している。
まさにINCREDIBLEなお話なんである。
しかし本作では別にベーシストがいて、だいぶ楽をしたようだ。

さて、本日これから宴会である。
トルコ料理店なんだとか。
誰が決めたか知らないが、世界三大料理の一角を占めるトルコ料理。
私は全くの未知。
いい加減なモノを出す店でない事を祈りたい。












(205) ジャズか それともテロか

sahib shihab
No.205 2014.10.3



<ジャズか それともテロか>




有史以来いつの世も、国際問題のタネは常に尽きなかった。
国があり人があれば、それは今後も変わらず続いていく。
今日最も懸念されている国際問題は、エボラ出血熱とイスラム国だろう。
今のところ両方とも、我が国とは直接関係がないように見えなくもない。
だが、あっと言う間に目前の危機と化す可能性はある。

一見嫌なのはエボラの方か。
だがより危険なのがイスラム国ではないだろうか。
今後アメリカを中心とした多国籍軍との本格的な戦闘に発展した場合、どちらが勝つのかそれは、やる前から誰が見ても明らかだ。
アメリカが敗れた相手は今までのところベトナムしかいない。
それはベトナムにジャングルがあったからだった。
中東にジャングルはない。
隠れる場所とてない砂漠で、極短期間のうちにアメリカはイスラム国を制圧するだろう。
だが、本当の意味で彼らのジハードは、寧ろそこから始まるのではないのか。
たとえ戦闘に勝利しても、アメリカは彼らを皆殺しに出来る訳ではない。
次に始まるのは何か。
テロだ。
日本が調子に乗って「集団的自衛権」を行使などすれば、彼らは日本をテロの標的とすることに躊躇わないだろう。
そして我が国はそのテロに対して極めて脆弱だと私は思う。
目標となるものならほぼ無数にあり、その多くが殆ど丸腰と言って良い状況下にある。

イスラム国の勢力は2万とも3万とも言われるが、そのうちに1000人以上の欧米人が含まれ、アメリカ人すらが100人単位で参加しているという。
どこにでも不満分子はいる。
その不満も様々だろう。
だが、最大のものが何であるのか、私は想像がつく。
それは人種差別である。
マイルス・デイビスは白人嫌いを広言して憚らなかった。
それは実際白人にひどい目にあわされたからだ。
ステージのあい間に外で休憩中、白人警官に警棒で殴打された事すらあった。
バド・パウエルがおかしくなったのも、同様の事件がきっかけになったと言われている。
マイルスは生涯白人を許さず、アメリカにあって戦い続けた。
だが、そんな人種差別に嫌気がさして、アメリカを捨てた者も無論いた。

エドモンド・グレゴリーは22才で渡欧してデンマークに居を構え、イスラム教に改宗し名前まで変えた。
それが本作の全てを作編曲し、指揮をとったサヒブ・シハブその人である。
彼は音楽家であったために、アラブゲリラにはならずに済んだが、こういう人たちが今ならイスラム国の戦闘員となるのではないだろうか。
音楽は人を破滅の淵から救う(かも)。

本作は1965年にコペンハーゲンで録音され、「OKTAV」というマイナーレーベルから出された「超」が付く幻盤であった。
近年この版権を大阪の澤野商会が入手、再発された。
まぼろし盤も数多あるが、単に流通量が少ないだけというものも中にはあり、聴いてガッカリする事も少なくない。
だがこれは違う。
正真正銘の名盤、これを聴かずして何とすると断言出来る名盤である。
ジャズが好きでも嫌いでも関係ない。
とにかく黙って一曲目の「Di-Da」を聴いてもらいたい。
可能な限り良い装置を使い、出来るだけの大音量で。
それで感じるところがないのなら、あとはもう聴かなくて結構だ。
あなたと私は友だちにはなれない。
絶対そんなことにはならないと思うけれど。

ところで本作が録音された8月のコペンハーゲン。
ジャケットの写真は録音風景を写したものだ。
仮にエアコンが効いているとしても、デンマークってところ夏でも相当涼しいようだ。














(212) 三つのチャレンジ

lem winchester
No.212 2014.10.11



<三つのチャレンジ>




『最初のチャレンジ』

黒人警察官レム・ウィンチェスターは時折、クラブでジャズメンのバイトをしていた。
彼の楽器はビブラフォンである。
ビブラフォンと言えば、あまりにも有名なのがミルト・ジャクソンだ。
その他、ライオネル・ハンプトン、ゲイリー・バートン、ボビハチ等いるにはいるが、ミルトを富士山に例えれば他は丘くらいの印象になる。
それくらいミルトの存在が巨大であり、また、この楽器の需要そのものが限定的だった。
つまり、サッカーのゴールキーパーだ。
正キーパーのミルト以外、滅多に出番なしの状態だと思えばいい。
そんなビブラフォン奏者の現状を知っていたレム・ウィンチェスターであったから、正業は警察官と決め、ビブラフォンの方はあくまでもバイトと割り切っていた。
だが、彼もまた間違いなく音楽を愛する者のひとりであった。
好きな道で生きて行けたなら、どんなに充実した人生になることか。
そしてプロ並みの演奏技術を持っていたことも事実であった。
オレはこのまま一生を警官で終えていいのか。
人生を終える時、オレは後悔せずにいられるだろうか。
ありがちな煩悶を繰り返し、レム・ウィンチェスターは遂に決意した。
よし、音楽で食っていこう。
もしもダメならまた警官に戻ればいいんだ。


『二番目のチャレンジ』

巨峰ミルト・ジャクソンと同じようなスタイルでは到底勝ち目はない。
そこでレム・ウィンチェスターは、硬めのマレットを使用し、より硬質な音を出した。
また、ペダルを多用せず、ビブラートを少な目にした。
彼の演奏は粒立ちのはっきりした音が特徴となった。
そうして自分の個性を確立し、彼はミルトに挑戦状を叩きつけたのである。
ミルト作品にサヴォイ盤の「オパス・デ・ジャズ」がある。
最高傑作ともいわれるこの盤は、1955年に吹きこまれている。
フランク・ウェス(fl,ts)、ハンク・ジョーンズ(p)、エディ・ジョーンズ(b)、ケニー・クラーク(b)以上がサポートメンバーだ。
レム・ウィンチェスターはこれと同じメンバーでの録音を企てた。
それが本作、その名も「アナザー・オパス」である。
1960年の事だった。
ただ、ドラマーのケニー・クラークはその時既に欧州へ移住しており、やむなくガス・ジョンソンを代役とした。

この勝負の行方について、私はここでジャッジしない。
それは聴く人それぞれが決めることだ。
両方好きならそれでいい。
現在では両作とも、廉価版CDで入手可能な筈である。


『最後のチャレンジ』

レム・ウィンチェスターがこの世界で有名なのは、実はこの「最後のチャレンジ」によるところが大きい。
何故彼がそのような行動に出たか、はたして正気だったのか、それも含め本当のところはわかっていない。
ヤクだったかもしれない、酒だったかもしれない、鬱病が原因だったかもしれないそれは「アナザー・オパス」の約半年後、1961年1月の事だった。
その時彼はあるクラブに出演中で、悲劇は突然その店内で起きた。
映画「ディアハンター」で有名になったロシアンルーレットをご存じだろう。
リボルバータイプの拳銃に一発だけ弾を込め、弾倉を回転させてのち、自分のこめかみに銃口を当ててトリガーを引くあれだ。
レム・ウィンチェスターは何ゆえか、周りの者が制止する前であれをやったのだ。
本当になぜなんだ?

六分の一の確率が一回目に来た。
店内に銃声が響き渡り、火薬の臭いと血飛沫と脳漿と悲鳴が充満した。
33歳の若さであった。
その日は13日の金曜日だったという。









(230) 冬のはじまり

jazzbar2014.jpg
No.230 2014.11.14



<冬のはじまり>




前回ちょっと話題にした「寺島靖国 Jazz Bar 2014」が今年も無事出そうだ。
内容等まだ明らかにされていないようだが、12月5日頃の発売予定である。
私が宣伝するのもアレだが、これを聴かなくては一年が終わらないという師走の風物詩的存在。
勝手に師匠と崇める寺島さんも間もなく77歳だ。
ご健在でおられても、さすがにあと10回出すのはしんどいかもしれない。
少し高いが、皆さんドンドン買ってください。

これが出ると年末ムード濃厚となってゆく。
まだ発売まで日があるけれど、私は早速予約した。
そんな矢先、まだ11月中旬だと言うのに、朝起きたら外が大変な事になっていた。



2014初雪



我が家の裏の景色である。
「キタ━(゚∀゚)━!」というヤツだな。
幸い台北へ行く時に帰りの事が心配だったので、つまり空港から帰って来られなくなっては困るので、タイヤを早々と換えてあった。
お陰で今朝、問題なく外出も可能であったが皆さんどうだろう、交通量は非常に少なかった。

今夜から三日連続、No.156~でお話ししたトランペッター島裕介のライブがある。
島さん横浜方面の方なので、驚くだろうな。
それより何より、無事こちらへ来ることが出来るだろうか。
少し心配だ。










(249) 小樽のひとよ

小樽4
No.249 2014.12.25



<小樽のひとよ>



No.193~No.195登場の「リバーサイド三部作 ×2 (全6枚)」を額装する、小樽のジャズ喫茶「Groovy」におじゃました。




小樽11

夕方4時頃の中途半端な時間帯にホテルに着いた。
グルービーはホテル向かい側のビルの地下だ。
8階の部屋から店の様子は窺えない。
祝日でもあったので、やってないんじゃないかと思いつつダメ元で行ってみた。
開いてて良かった。






小樽9

常連客がカウンターで談笑中だった。
ボーズのラジカセ(これも死語?)から流れる小音量のジャズ。
前もそうだったが、何故かメインの装置を使っていない。
この店のご主人をかなりの趣味人とお見受けする。
調度や何気なく置かれた様々なモノから、生半可な素性でないのが伝わってくる。
でも、ジャズ喫茶の命であるメインの装置が、何故かいつも鳴っていない。
何故か?
そんなの決まっているではないか。
客が来ないからだ。
カウンターでスポーツ新聞を広げる町内会の顔見知りは客ではない。






小樽8

構わずパラゴンの前に陣取る。
暫くすると音が出始める。
そうだと思った。
ジェリー・マリガン「ナイトライツ」を聴かせて頂いた。
いい感じだ。
一時間ほど滞在し、ビールを2杯いただいて店を出た。
あっという間にレストランの予約時間がきていた。







小樽6

粉雪舞い散る小樽の駅に、ひとり残してきたけれど。





小樽5

駅近くのレストランを目指す。
アジア圏の観光客が行きかう。
なんとなく判るもんだ。
着慣れない防寒着姿で嬉しそうに雪道を行く彼らは、いったい何が楽しくて冬の北海道を訪れたのか。
YOUは何しに小樽へ?

間もなく目指す店が見えてくる。
「La Cheminee」である。






小樽1

「ラ・シュミネ」とは「暖炉」のことらしい。
現在小樽唯一のフレンチレストランではないだろうか。
以前に市内別の場所で営業していたようだ。
恐らく規模を縮小し、ここへ移転したのではないかと思う。
小樽でフレンチは結構たいへんだ、と前にオーナーが語っておられた。
そうだろうな、観光客の姿をこの店で見たことはなかった。
全部地元のお客さんだ。
私のようにわざわざJRに乗って来る物好きな客もあまりいないだろう。
寿司も結構だが、新鮮な食材を使って供される小樽のフレンチをぜひ一度どうぞ。






小樽3

我々が一番乗りだったので、店内をちょっと撮影。
携帯、それもガラケーのいい加減なカメラだから、当ブログの画像はいつもだらしない。
美しい写真を使われる方などを見ると、彼我のあまりの違いにがっかりする。

この日は4組、8人が客の全てだったと思う。
この人数で店は満席となる。
最後に入った若いカップル以外、熟年の夫婦ばかりだった。
向かいの妻に関心を示さず、ずっとスマホを弄ってたオヤジ、それは良くないと思うな。
若いカップルもなんだか倦怠感を漂わせていた。
何度目のクリスマス?
クリスマスディナーのテーブルにも、色々な物語があるのだろう。

6時半開店で食事に3時間かかった。
まぶたが重くなりかけた我々は、デザートもそこそこに一番早く店を出た。
その後のことは知らないが、9時半以降に新規はもう無理だ。
非常に効率が悪い。
店が続いていくには客単価を上げなければなるまい。
この店が今後も続いて欲しいとお思いなら、「ラ・シュミネ」を応援するお気持ちがお有りなら、どうかそれなりのワインをボトルで注文してあげて下さい。
店が儲かるのはワインである。
労せずして儲かる。
そういうアイテムも出なければ、店を維持するのは難しい。
飲みきれない時は、思い切って残せば良いのだ。






小樽2

店のすべてを、オーナーシェフの花形信行さんが一人で切り盛りされる。
この日はクリスマスディナー一種類のみのところ、妻が肉料理を苦手とする旨事前に申告しておいたので、彼女だけは別メニュー対応して頂いた。
申し訳ないと思った。
はっきり言ってご迷惑をおかけした。
だから近いうちに、今度は子供達も連れて再訪しよう。
「雪あかりの路」の頃がいいかもしれない。


ご馳走さまでした、大変おいしく頂きました。














テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(264) 音楽は平和を救えるか

cooking the blues
No.264 2015.2.3



<音楽は平和を救えるか>




ヨルダン空軍のF-16戦闘機がラッカ上空で撃墜され、パイロットのカサースベ中尉がアラブゲリラに拘束された頃、フロリダの病院で本作のリーダーであるクラリネット奏者バディ・デ・フランコが亡くなった。
昨年12月24日のことである。
二人にとって有難くないクリスマスイブとなった。
バディ・デ・フランコは91歳だったという。
ジャズメンにしては珍しく長寿だった。

今回の事件で一番衝撃的なのが、F-16(ファイティング・ファルコン)の撃墜である。
多少古くなったがまだまだ現役の機体で、西側陣営の空軍において主力戦闘機として制式採用されているものだ。
我が国のF-2支援戦闘機(戦闘攻撃機)は様々の事情から、このF-16を母体として開発された。
それがゲリラに撃墜されたのだ。
おそらくは遁走した新イラク軍から鹵獲したスティンガーミサイルなどの歩兵携帯型対空ミサイルか、同種のミサイルを装備した戦闘車両などによって実行されたものと思われる。
落ちているものを拾ったというだけなら驚くことではない。
驚くべきは彼らがそれを使いこなし、正規軍の主力戦闘機を撃墜した点にある。
カラシニコフを使いこなす自信すら私にはない。

彼らの行いの善悪がどうであれ、相応の実力を伴った勢力であり、ただのゲリラや過激派などではすでにない。
その勢いはピークを過ぎたと言われるが、無力化が可能かどうか不明だ。
仮に将来無力化できたとしても、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。
空爆だけですべてを制圧するのは難しく、最後はどうしても地上戦が必要になる。
しかし先進国の軍は地上部隊の投入を嫌がる。
歩兵の命が高いからだ。

そして将来完全にこれを制圧出来たとしても、人を変え場所を変え時を変えて同種の勢力が必ず台頭するだろう。
差別や貧困を根絶することが困難であり、何世代にも渡って膠着状態にある格差を解消できず、世界中に不満が貯まる一方となっているのだから。

ゲリラの手が長くそして強靭となった今、この先どのような事が起きるか想像がつかなくなっている。
現在考え得るあらゆる準備をするしかない。
例えば、あらゆるインフラがテロに対して非常に脆弱なこの国で、先ずは原発への対空ミサイルの配備が急がれる。
新千歳空港を離陸した777が泊原発に突入してきた時は、ためらう事なく撃墜するしかない。
他に選択肢はない。
ためらえば北海道は終わりだ。

一か所につき大隊規模の地上戦力の展開も必要になる。
敵は必ずしもゲリラや過激派に限らず、彼らの挑戦がいつどこから来るのか誰にも分からない。
これらのコストに耐えられないなら、もはや現有原発の存在自体が許されない。
これは再稼働するかどうかに無関係だ。
たとえ再稼働せずとも、そこに無防備の原発があるだけで、この国にとって非常に大きな脅威となるだろう。
内部に致命的な被害を及ぼす量の核物質を抱えた原発は、その存在自体がとんでもなく危険な巨大火薬庫であるからだ。


長くなった。
音楽に戻ろう。
もちろん音楽は平和を救えない。
平和が音楽を救う。
平和を救うのは軍事力だけだ。
そして救える平和も自国の限定的な平和のみだ。

私は本作のオリジナル盤を所有する。
しかし残念なことに、女性の額にボールペンのいたずら書きがある。
この盤は廃盤屋のオヤジがアメリカで買い付けてきた品物だ。
だからほぼ間違いなくヤンキーの仕業である。
バカモノ!なんてことしやがる。
まあ、そのせいで安く買えたのではあったが、しかしヤンキー許さんぞ。

本作にはタル・ファーロウ(g)とソニー・クラーク(p)が参加する。
どちらかといえば寡作で実力の割に評価されなかったタルの太く乾いたギターが、弛緩したムードになりがちなクラリネットによるリーダー作を引き締めたのに対し、ソニー・クラークは気の毒にもピアノよりも主にオルガンを担当させられた。
これが良くわからない。

ラブミー・ドゥーにおけるリンゴ・スターはドラムを取り上げられ、タンバリンを叩かされた。
効果とそのエピソード性を鑑みれば、これは今となっては許せなくもない。
しかしEMIのプロデューサー、ジョージ・マーチンは後年リンゴに平謝りだったそうだ。
ジョージ・マーチンにしてみれば、彼らがあんな事になるなんてその時点では思いもしなかったという事だろう。
そりゃーそうだ。
人は大化けする時があるから、気を付けなければならない。

ノーマン・グランツがソニクラにオルガンを、それもタラタラとコードを弾かせた理由はなんだ。
思いつきか?
ピアノを弾いたパートが光るだけに、余計腹が立つ。
ソニクラファンにとって歴史的痛恨事であった。











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ジャンル : 音楽

(288) BLUE SERGE

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No.288 2015.5.2




<BLUE SERGE>




バリトンサックス奏者サージ・チャロフのワンホーンによる名盤「ブルー・サージ」を聴く。
バリトンサックスと言えば、私には真っ先に思いつく人がいる。
ジェリー・マリガンだ。
この件で異論は多くあるまい。
確かにマリガンはこの楽器の第一人者だった。
同時代のサージ・チャロフがマリガンの独走を許したその訳は簡単である。
彼が33歳の若さでで夭折したせいであった。

バリトンは人が少ない。
だからライバルも少ないのである。
それは何故か。
バリトンは大変なのだ。
大きく重く、おまけに相当難しいらしくその割に報われない。
敢えて選択する理由が見つからないくらいだ。
だがバリトン特有の音色の魅力は実際テナーと比べて勝るとも劣らないし、ましてアルトなどには絶対に真似の出来ない迫力がある。
しかし軽快なアルトが西部の伊達男、夕日のガンマンだとするなら、重厚なバリトンはドイツ機甲師団の重機関銃だというくらいの差があるのも事実だ。
ハンドガンとガトリングガンの差だ。
バイオハザードでどちらかを選択可能なら、私はぜひ後者にしたい。
とはいえ「エクスペンダブルス3」でドルフ・ラングレンが「10秒しかもたない」とおちょくられていたガトリングガンは、並みの男の手に負える代物ではけしてない。
サージ・チャロフはその鈍重とも言えるバリトンを自在に操り朗々と歌った。
性格のいい、ナイスガイだったと言われている。
「留学先のバークリーで最初にデートに誘われたのがサージ・チャロフだった、いい男(ひと)だったわ」と、ピアニストの秋吉敏子さんが証言している。

マリガンにはどちらかといえばクールでメカニカルな印象があるが、サージ・チャロフはもっと情緒溢れる演奏を得意とした。
ビブラートを効かせたスウィング系で、そのスタイルからジョニー・ホッジス(as)のバリトン版といった趣きがあった。
なるほど、キャピタルがワンホーンで録りたかった筈である。
本作は加えてソニー・クラーク(p)の参加がデカい。
更にはフィリー・ジョー(ds)にリロイ・ビネガー(b)とくる。
成功を約束されていたようなものだった。











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ジャンル : 音楽

(290) カメラが聴いたジャズ

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No.290 2015.5.8




<カメラが聴いたジャズ>





本作はアメリカ西海岸を代表する写真家ビル(ウィリアム)・クラクストンを描いたドキュメンタリー映画のサウンドトラックである。
ライナーノーツに語られた「われわれは絵画について語る非礼を詫びるべきである」との言葉を重く受け止めつつ、この映画とそのサウンドトラックを紹介する。

写真は二度と来ない一瞬を切り取る。
考えてみればレコードも同じだ。
そこにあるのは視覚と聴覚の違いだけだ。
残されたものはその瞬間から一人歩きを始め、全てが視聴する者に委ねられる。

どのようなレベルの記録であろうとも、切り取られた一瞬はその後長期に渡り世に残される。
だからそれを成す側にある種の覚悟を強いるが、多くの場合そのように意識される事はまれだ。
そして残されたものにどのような価値を感じるかも視聴する者それぞれに異なる。
それが救いと言えるかもしれない。
何とも思わない場合も普通にあるからだ。

クラクストンは多くのレコードジャケットを残した。
彼の作品に限らず私にとってレコードのジャケットは極めて重要なものだ。
時には盤本体とどちらがより重要であるか判断に迷うほどだ。
もちろん盤のないレコードは意味がないのだ。
しかしジャケットのないレコードもあり得ない。
ジャケットはレコードの顔だ。
だから音楽配信なんて論外なのである。
昔のジャズファンはレコードを大事にした。
映画の中でデニス・ホッパーが証言する通り、ライブよりも断然レコードだった。
ライブハウスで「イェーイ!」などとやるのにはどこか抵抗があり、私は今でもそれは変わらない。
長い間ジャズは真顔で聴くものだったからだ。

かつてジャズはレコードのジャケットと切り離せない関係にあった。
ジャケットの写真を撮ったカメラマンの重要性は改めて言うまでもなく、カメラマンはクラクストン一人ではないが映画にまでなったのはそれなりに理由がある。
クラクストンの作品はいつも柔らかな光に溢れ、彼の優しい眼差しを通してジャズが幸福だった時代を上手く表すことが出来た。
お人柄ということか。
この映画とサウンドトラックを視聴したあなたがどう感じるか私には分からない。
だがそれを承知のうえで未知の方には是非観てそして聴いて欲しいと思う。
ジャズの新たな地平が開けるかもしれない。

本作の音楽監督はドイツ人トランペッターのティル・ブレナーである。
サウンドトラックに採用されたチェット・ベイカー、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドなどを除く多くの曲がティル・ブレナーの手によるものだ。
中でもハモンドオルガンB3を効果的に使用した「BLUES FOR PEGGY」は、元祖スーパーモデルでありクラクストンの妻だったペギー・モフィットに捧げられている。








grand encounter









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