(7) バードランドの夜VOL.3  時を越え沸騰する夜

ブレイキー
NO.7 2011.11.19





<バードランドの夜VOL.3 時を越え沸騰する夜>






1954年冬、ニューヨークのライブ録音である。
ブルーノートの倉庫番マイケル・カスクーナが発掘した未発表集で、70年代に発売された。
音質は芳しくないが内容は充実していてる。
クリフォード・ブラウンはもちろん良いが、特にルー・ドナルドソンに驚かされる。
この人物、後年のイメージは別物だ。
終始炎のようなソロを繰り広げる。

ホレス・シルバーのピアノが遠い。
ライブ録音黎明期のこれが限界かと思ったら、ソロになったらちゃんと寄っている。
いったいマイクセッティングとかはどうなっていたのだろう。
ミキサーを使いマルチマイクで拾い、それらを最終的にモノラル録音にしたということか。

ハード・バップが生まれた夜と言われたり、いや、ハード・バップの前夜祭だと言われたりするがどうなんだろう。
「新しいジャズ」ということなら、本作を現代の新録、たとえばクリス・クロスあたりの同一編成バンドと比べてみれば、これはもう古臭くて問題にならないのであって、現代は既にハード・バップと決別している事にもなる訳だ。
本作を聴いて古さを感じるとすれば、原因はアート・ブレイキーのドラムにもあるだろう。
現代のドラマーとはエラい違いだ。
マイクセッティングも全然違う。
こればかりは残念だがどうしようもない。

アート・ブレイキーという人、ルックスで相当損をしている。
ニコニコと愛想が良いのは一般的に悪いことではない筈だ。
しかし、悪いがどうも知性が感じられない。
同じニコニコでもサッチモにはドスを呑んだ凄味がある。
ブレイキーときたら吉本の坂田利夫みたいだ。











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(145) ドラムとサッカー

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NO.145 2014.6.10



<ドラムとサッカー>




本作は大変録音がよろしい。
オーディオ屋さんが試聴盤に使うくらいだから間違いない。
彼らの言う「試聴」とは、良い音で客を驚かせて財布のガードを緩める事だ。
つまり良い音とは時に、ハッタリの効いた音の事でもある。
因みに「2 3 4」とは「デュオ トリオ カルテット」である。

シェリー・マンのドラムだが、あざといと言うか手癖ですぐ分かる。
思えばそうした顔の見えるドラマーは少なくない。
エルビンもフィリージョーもそうだし、ビリー・ヒギンズやアート・テイラーなど次々に思い浮かぶのである。
名前をあげた中でシェリー・マンが他と少し毛色が違うのは、やはり彼が白人だからだろう。
一人どこか違うのである。

本作参加のコールマン・ホーキンス(ts)などは、仮にブラインドで名前が出てこなくても、どっからどう聴いても白人には聞こえまい。
何か、どこか粘るのだ、黒人は。
それをバネと言ってもいいと思う。
コールマン・ホーキンスやエルビン・ジョーンズはバネでネバつく。
では白人シェリー・マンはどうだろう。
キレるのである。

では日本人ドラマーはどうか。
松尾明、ポンタ秀一、神保彰等々思いつくままに特徴を考えてみる。
正確であり、その音そこはかとなく知的でもある。
しかし、ネバついたりキレたりなどあまりしない。
そして、悪いがブラインドで聴いて彼らの顔が見えてくる自信はない。
そこで時節柄思いつくのだ。
あれ、それって日本代表のサッカーも同じじゃないか。
テレビにアップでも映ればともかく、ひいた画を観て個人の特定などとても出来はしない。

間もなく始まるワールドカップ。
日本はネバったりキレたりする奴ら相手にどうなるだろう。
ゴールを決めて軽々とバク宙をやらかす奴らに対し、とりあえずは正確で知的な横パスを繋いで見せるのだろうか。











(175) 気象予報士とハウスドラマー

art taylor
NO.175 2014.8.20



<気象予報士とハウスドラマー>




酷暑の京都から戻ったら、まだ八月中旬というのにこちらはもう秋の気配だ。
たかだか数日居ただけで相当消耗し、あちこち身体にダメージが残っている私なのに、朝晩の涼しさが何とも寂しい。
じゃあどっちがいいの、という話だ。
ちょっと考えさせて頂く。

昼休みに、あるテレビ局の帯番組を見ている。
下らない事件や時事問題と同じくらいの比重を占めているのが天気の話題だ。
気象予報士の方が色々と解説などされる。
これもなかなか大変なご商売のようで、専門知識具備は当然の事として、テレビカメラの前でタレント並みに話さなければならない。
それもにこやかに面白可笑しく。
言うまでもなく、私などにはとても務まるものではない。
某ローカル局に、いっとき知人の予報士が出ていた。
癒しキャラなどと言われてもいたが、いつの間にか姿を消した。
昼の帯番組には主に二人の気象予報士が出ていた。
両方Mさんとおっしゃる。
最初に出ていたMさんの方はこれもいつの間にか出なくなり、今はもう一人のMさんに変わった。
このMさんが今年は秋が早いと言われていたが、どうやらその通りになりそうだ。

この気象予報士という微妙な立ち位置に近いのが、本作のドラマー、アート・テイラーである。
数々の名盤にサイドメンとして参加し、就中このブルー・ノートにあってはハウス・ドラマーといっていいポジションにあった。
ジャズという音楽、特にハードバップにドラムは不可欠の楽器である。
インテリ面した弁護士やら評論家なんかどうでもいいが、気象予報士Mの不在は番組的にマズいのと同じだ。
これも余人をもって代え難し、というやつだろう。

まあ、それはどうでも良い。
ドラムだ、ドラム。
中にはドラムレスの名盤もあり、それはそれで成立しているが、あくまでも寄席のモノマネ同様色物扱い、「たまにはいいか」なのであって、ドラムレスでメインの落語や漫才にはなりようがない。

無論例外もある。
小さなライブハウスなんかだと、無闇に音のデカいドラムはかえって邪魔ということもある。
頼む、ブラシでお願い、と言いたくなる。
しかしながら、ハコが大きければ大きいほど益々ドラムレスでは辛い。
そんな重要アイテムのドラムでありながら、一方でけして主役にはならない、というかなって欲しくないのも事実である。
たたき過ぎは禁物なのだ。
特に言いたいのがドラムソロだ。
やるなとは言わない。
だが、ドラムソロを延々やられるほどかなわないモノもそうはない。

そんな訳だから、ハウス・ドラマーになるには一定の資質を必要とする。
先ずは何を求められているかわきまえている事だ。
アート・ブレーキーなんかを見ればわかるように、どけどけ、オレがオレが的なドラマーは次第にサイドメンとしては声がかからなくなる。

次に大事なのは人柄だろう。
皆に好かれ、誰とでも仲良くやれなくてはとても続かない。
繰り返しになるが、ドラマーというのは普通主役ではないからだ。
主役ではない以上、そうそうワガママは通じない。
リンゴ・スターの例が分かり易いと思う。
ピート・ベストに代わったリンゴが解散までビートルズのメンバーだったのは、ドラムの腕前や特異なキャラクターも理由の一つだろうが、最も大きな要因は円満なその人柄だった。
アート・テイラーにそれを感じるのは、本作の収録曲からだ。
全て初演というわけではないが、全曲がジャズメン・オリジナルなのだ。
参加していないケニー・ドーハムが二曲も提供している。

冒頭の「シダーズ・ソング・フルート(コルトレーン作)」は余程気に入ったとみえ、前年の「ジャイアント・ステップス」への収録に続く再演となった。
また、デイブ・バーンズという有名とは言えないトランペターの起用にも、アート・テイラーの人付き合いの広さを感じさせる。
コンガのパタート・バルデスもそうだ。

このコンガであるが、かつて我が国の頭の固いジャズファンの間では「チャカ・ポカ」などと言われ、軽んじられる傾向があった。
私は以前からコンガの音色が好きで、コンガ入り盤を愛聴して来たが、先日横浜「ちぐさ」にて目前で聴くチャンスに恵まれ、改めてこの楽器のポテンシャルに驚かされた。
ミュージシャンは井谷享志氏であった。
彼が叩き出す音色、特に信じ難い低音の充実したサウンドにすっかり魅せられた。
しかし残念ながらその時聴いたような音は、どうやら録音が難しいのではないかと思う。
レコードからもCDからも、そんな音は一度も聴いたことがなかったからだ。
目前2mの至近距離でコンガを聴くチャンスがそうあるものでもないと思うが、もしも機会があればじっくり耳を傾けて頂きたい。
誰しもきっと驚かれるに違いない。
音楽好きなら、これを知らずに人生を終える手はない。

実際のところ、目の前で聴く音とレコードで聴く音にはかなりの隔たりがある場合が多いが、間違いなく損得の格差が楽器間にあり、前者代表がコンガで後者がサックスという事になろう。
本作のパタート・バルデスもその時現場で聴けばどんなだったろうと思うが、無論叶う筈もない。

ファースト・コール・ドラマーの位置にあったアート・テイラーが、ブルー・ノートに残したリーダー・アルバムは実はこれきりだ。
同じような存在のビリー・ヒギンズは気の毒にもゼロであるから、少しだけマシだったと思うしかない。
ドラマーの不遇と言ってしまえばそれまでの事なのだが、彼らには彼らなりの矜持が当然あった筈だ。
数々の名演を強力にドライブしたのは、間違いなく彼らであったのだから。
もしもその存在なくば、あの名盤もあの名曲も、なにやら五日前に開けたシャンパンの如きモノと堕すだろう。

もちろんただの偶然に過ぎないが、アート・テイラー、ビリー・ヒギンズ、二人とも仲良く65歳にて没した。
















(177) 諦めきれなくて

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NO.177 2014.8.23



<諦めきれなくて>



冒頭の曲、ピアニストのビリー・テーラーが書いた「イージー・ウォーカー」が好きだ。
本作はドラマー、ジェフ・ハミルトンのリーダー作であるが、本作でピアノを弾いたラリー・フラーと再度組み、ラリー・フラー名義で「イージー・ウォーカー」のタイトルでも出している。
本作はライブ盤で、この曲が持つダルさをより上手く表現していると思う。
ラリー盤の方はビクター入魂のXRCD2仕様で、音の良さを喧伝するが、特にどうという事はない。
能書きで音が良くなれば大したものである。

ジェフ・ハミルトンはバスドラのキレ良く、ベースと拍子が合う瞬間がたまらなく良い。
言いたいことを分かってもらえるだろうか。
きっと専門用語があるに違いないが、素人の私は知らない。
この、バスドラとベースの拍子合わせで出現する空気の動きが欲しくて、我家のスピーカーは15インチウーハー二連となった。
たいていオーディオというものは、全て良いというわけにはなかなかいかないものだ。
この音をどうしても出したいとなれば、あの音は我慢しなければならなくなる。
大抵そうしたものだ。
諦める事を教えてくれるのもオーディオである。

本日は庭でBBQの予定であったが、どうも日本中の空気がそんな事してる場合か?と言っていた。
それで中止。
でも、次第につまらなくなってきて、一緒にやる筈だった友人とこっそり宴会でもやるか、という話になっている。
隠れ宴会。
まあ、どっちにしても飲むらしい。


と言うか、飲み、今帰りました。
たいへんご馳走になりました。
タテマエというものはどんな事にもあり、
立ちふさがってゆく手を遮る時もある。
あの日のことを思い出し、一番良い選択をしてください。
自分がゆきたい道がもしも通行可能なら、
それが一番良いかもしれない。
それが無理なら、仕方ない。



















(183) 似て非なるを悪まず

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NO.183 2014.9.4



<似て非なるを悪まず>




錦織選手には驚いた。
USオープンでベスト8が限界であろうと見ていたところ次も勝ち、ベスト4へ進んだではないか。
グランドスラムの男子シングルスは5セットマッチだ。
錦織圭はいつもこれに泣かされてきた。
上位シードを破っても、たいていはもつれにもつれ、フルセットでの辛勝となり、次の試合はもう体力的にもたなかった。
私は約20年シングルスの大会に出ていない。
5セットを戦ったこともない。
でも5セットのシングルスの過酷さが少しはわかる。
年齢にもよるが、それなりのトレーニングをしていなければ、普通1セットか2セットで脚がつる。
この場合の「つる」とは、ちょっと伸ばせばまた出来るなどといった生易しいものではなく、一週間はまともに歩けなくなるといった類のものだ。
むしろ脚がつるくらいならまだマシであり、肉離れやアキレス腱断裂も普通に発生する。
この30年間で二度、アキレス腱断裂の現場に居合わせた。
コートの向こう側で起きても、「バチッ」と何かが切れる音が聞こえてくる。

プロの選手は素質も鍛え方も違うから、1セットや2セットでどうこうなる事など滅多にないが、やはり同じ人間だ。
5セットマッチのフルセットが連日続けば、やはりダメージが蓄積するだろう。
それを乗り越える体力のある者だけが、グランドスラムを征してきたのだ。
錦織選手、センスは元々素晴らしいものを備えている。
エアーKはアントニオ猪木の卍固めに匹敵する発明である。
だが、唯一体力面だけが世界のトップレベルに達していなかった。
だからグランドスラム大会が3セットマッチに変更されない限り、錦織選手の優勝はないだろうと思っていた。
だが、もしかしたら彼は変わったのかもしれない。
彼の身体は、と言うべきか。

似て非なる者とは錦織圭のことでは無論なく私だ。
同じようなウエアを着、同じようなラケットを持ち、同じようなコートで球を打ってはいるが、当然ながら内容は笑うほど異なる。
まず何が違うと言って、ラケットの握り方が違う。
私のは昔のテニスだから、コンチネンタルグリップという「超うすーい」握り。
いまどきの選手はウエスタングリップ等の厚い握りで、「グリグリの」トップスピンを打つ。
そうしたものを見た時実は私、正直に言うとバカに見えて仕方がない。
違う競技にしか見えないし、少しもかっこよく思えない。
いや、ごめんなさい。
もちろん好きなようにやって頂いて結構なんですよ。
勝ちゃーいいんだテニスは。

ただ、ちょっと考えたい。
テニスのこうした変化が、この競技にとってプラスに作用したであろうか。
プロの世界にあってはセンスの戦いを馬鹿力の勝負に置き換えた。
原動力となったのは道具、ラケットの進化だ。
かつて使用されていた木製の小さなラケットであんな事をしたところで、とてもまともに当たるものではない。
アマチュアの世界ではオバチャンをコートに蔓延らせた。
どんくさいオバチャンであるが時間だけはある。
何故なら自分には働く必要がないからだ。
働くのは夫であり、家事は限りなく軽労働となった。
余りある時間を利して高性能ラケットで練習を重ねるオバチャン。
小さい木製ラケットのままだったら手も足もでなかっただろう。
だが、スィートスポットの広大な今どきのラケットなら、当てただけで勝手に球は飛んでいく。
あとは愚直に練習さえすれば、もはや若い女(なにかと忙しい)など敵ではない。
悪貨が良貨を駆逐する如く、やがてテニスコートから若い女性が姿を消した。
若い女性がいないところに、若い男は用はない。
こうしてテニスの衰退が進行した。
道具の進化は必ずしもその競技の繁栄を担保しない。
今、街のテニススクールは高齢化が進み、限界集落化しようとしている。

さて本作ポンタボックスである。
これは限りなくジャズに近い、何か違う別のものだ。
村上ポンタ秀一は日本を代表するセッションドラマーだ。
あの「赤い鳥」のメンバーだったこともある有名人。
そんな彼がちょっとジャズっぽいものもやってみようと思ったのだろう。
だが、基本的な音がジャズのドラムとは異なる。
ジャズとロックその他では使う楽器(ドラム)の形状がそもそも違う。
素人の私が見てもそれは明らかで、ジャズのドラムは見るからに小ぢんまりとしたものだ。
本作で使用した楽器は多分、そうしたものではあるまい。
あるいはチューニングがロック的なのかもしれない。
そして何というか奏法そのものが違うようだ。
かと言って村上ポンタ秀一のドラムが同世代と思われるセッションドラマーの、例えばジム・ケルトナーやスティーヴ・ガッドの匂いがするかというとそれもない。
独特の世界なのだ。
何やら和太鼓の響きすら感じるのは、タムを多用するせいだろうか。

村上ポンタ秀一自身がジャズを演っているつもりはない的な発言をしていた。
なにしろこんなタイトルのアルバムを出してもいる。
「Modern Juzz(Jazzにあらず)」
ちょっとあざといね。



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(197) 戦いの朝 シェリー・マンとコーヒー

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NO.197 2014.9.23



<戦いの朝 シェリー・マンとコーヒー>




シェリー・マンは60年も前に西海岸で活躍した白人ドラマーだ。
独特のスタイルを有し、他とは明らかに異なる。
本作は私にとって、何故か心安らぐ一枚だ。
万人にお薦め出来る作品かどうかわからないが、
私はこれを聴き気持ちが落着く。
テニスは対戦相手以上に、自分との闘いだ。
普段と同じように、練習通りに出来る人はいないと言っていい。
練習はした。
夏の間死ぬほどやった。
あとはどこまで本来の自分に近付けるか、それだけが全てだ。
舞い上がってしまえば、なす術もなく自壊するだろう。
本当の敵は意外にも自分の内にある。

昨夜は試合に備え早々と寝たが、なんと10時に起きてしまった。
え~、うそ!どうすんだよ!て感じだった。
それから眠剤を服用してなんとかまた無理やり寝た。

今朝は予定通り5時に起きた。
薬のせいか少しフラつく。
今、コーヒーを入れ本作を聴いている。
こんな時間にジャズ。
少しシュールだ。
でも悪くない。
次第に明るくなってきた。
普通の人は当然まだ寝ているだろう。

今日の大会、勝ち続ければ一日仕事になる。
長い一日になる。
いや、是非そうしたい。
だから今はリラックスする時だ。
コーヒーを飲む。
やや小音量で流れる「Autumn In New York」。
いい感じ。
妙な力みがない。
それにジャケットがいいでしょう。
コンテンポラリーにはこのような「イラスト動物シリーズ」があり、どれもいい。
アンドレ・プレビンの「ライオン」や、ハンプトン・ホーズの「ワニ」である。
いずれまた機会があれば紹介したい。

では、これから色々用意もあるので、本日はこれにて。
皆さん、良い休日でありますように。
お仕事の方は気をつけていってらっしゃい。

なんか今朝はやけに清々しく、広い心の私だ。
いい試合になるかもしれない。

では!









(202) ジャズとジャケット

fhilly joe
No.202 2014.9.29



<ジャズとジャケット>




ジャズのジャケットデザインはシンプルなものが多い。
基本は録音中のミュージシャのスナップショットや、風景写真、イラストなどがベースとなる。
精々休憩時間にミュージシャンを連れ出し、近所で軽くポーズをとらせる程度だ。
最近でこそ、まったく無関係なお姉さんやらヌード写真やらを使用する例も少なくないのだが、昔はそういったものをお見掛けする事もあまりなかった。
いずれにしても低予算で、手間暇掛けずにチャッチャとやるのが普通だったのだ。

一つには一作当たりの販売数が少ないというのがあるだろう。
ブルーノート、プレステッジ、そして本作のリバーサイドをジャズ三大レーベルなどと称するが、当時の実状はチンケなマイナーレーベルに過ぎず、オリジナル盤発売当時の実売総数は千の単位が普通ではなかったか。
あの「クール・ストラッティン」などは千いっていない可能性がある。
だからオリジナル盤が狂ったような金額で取引きされるのだ。
予想される総売上が少ない以上、ジャケットデザインに割ける予算も限られる。
勢いジャズは数で稼ごうという話になる。
何しろやろうと思えば、午前中に一枚午後一枚と、一日に二枚分の録音が可能な音楽なのだ。
例えばロック系のミュージシャンが、一枚出すのに年単位の時間を要したのと大きく異なる。
そのような事情からジャズのレコードというのは膨大な点数になり、老舗ジャズ喫茶のレコード棚に何万枚といったアルバムが蒐集されることにもなる訳だ。

もう一つはイメージの問題。
あまりおちゃらけたものはどうも似合わない。
そのように作る方も買う方も思っている。
ブルージーでどちらかと言えば薄暗く、内省的なイメージ。
だからジャケットに写るミュージシャンはニコリともしないものが多い。
そんなことから、No.188の最後に掲載したロリンズのジャケット写真が、仲間内で散々おちょくられもしたのだ。
だから本作なども非常に珍しい方だと思う。
類似のものとしては、サンタに扮したデューク・ピアソンの「メリー・オウル・ソウル」くらいしか他に思いつかない。
実際にはロリンズもピアソンも、本作のフィリー・ジョー・ジョーンズも、きっと大層ノリのいい人物で、こちらの方が地であってブルージーで薄暗く内省的な方は演技で営業ではないか。

あの「リリシズム」で名高いビル・エバンスが、モニカ・ゼタールンドの歌伴を務めた盤がある。
その名も「ワルツ・フォー・デビー」である。
この作品のCD化に際し、ラストに追加された能天気な「サンタが町にやって来る」を聴いた時、私はジャズメンの本性を見た気がした。
エバンスは生前、この短い録音が後日世に出るとは考えていなかったのではないか。
エバンスの実像に迫る貴重な記録である。

フィリー・ジョーの方は、本作ジャケットでこんな格好をしたばかりでなく、ドラキュラに扮したナレーションまでしている。
残念ながら私は英語を解さず、何を言っているものやら殆どわからないが、「バンパイア」とか「ドラキュラ」といった単語が、芝居がかったナレーションの中に聞き取れるので多分そうだ。
元はと言えば本作サイド出演のジョニー・グリフィン(ts)作のブルースナンバー、「ブルース・フォー・ドラキュラ」に端を発した(企画が先の可能性もあるが)悪ノリに過ぎず、作品の内容はと言えば、それら(ジャケットとナレーション)を除けば至極真っ当なハード・バップ集である。

フィリー・ジョーの件、続きを次回また。






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(203) 人生黒衣にて 

マラソン
No.203 2014.9.30



<人生黒衣にて>




フィリー・ジョー・ジョーンズの話など続けたい。
1955年、彼はデューク・エリントンの誘いを蹴り、マイルス・デイビスのクインテットに雇われる。
直後、マイナーレーベルのプレステッジに見切りを付たマイルスは、コロンビア(現ソニー)への移籍を図る。
その時問題となったのが、プレステッジへの契約履行であった。
契約上レコード4枚分の音源が不足していたのだ。
そこでマイルスはこれを一気に片付けようと、二日間クインテットを缶詰にして4枚分の録音を完了させた。
これが世に名高いマラソンセッションである。

と、このように私も理解していた。
ところがこの「二日間」というのをもう少し調べてみると、第一日目が1956年5月11日であり、二日目は同年10月26日である事が分かる。
てっきり二日続けてやったものだと思えば、なんとその間5ヶ月も空いているのだ。
これには何か合理的な説明が必要だろう。
普通に考えればさっさと済ませて早く自由の身となり、晴れてメジャーレーベルへの移籍を急ぎたくならないか。
空白の5ヶ月の理由を私は知らない。
だが結果的にマイルスは、この間にコロンビア移籍第一弾となる「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を録音していたようだ。
何故そうなったものか、これも理由は分からない。
ジャズメンのやる事は大体いい加減なもので、その点ではマイルスとて例外ではなかった、ということだろうか。

プレステッジはこの「マラソンセッション」を4枚に振り分け、毎年一枚ずつ発売していった。
本作「リラクシン」、No.45で紹介した「クッキン」、そして「ワーキン」、「スティーミン」である。
マイルスバンドの面々はこれらに収録された曲を、殆どワンテイクでクリアーしたという。
残りの面子を一応言えば、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、そしてジョン・コルトレーン(ts)となる。
No.186「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション」のザ・リズムセクションとは他でもない、このクインテットのリズム隊、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、それにフィリー・ジョーであった。

フィリー・ジョーはマイルスバンドに3年間在籍し、マイルスの諸作に貢献した。
そしてそれだけではなく同時に、ブルーノートはじめ多くの名盤に参加している。
「ソニー・クラーク・トリオ」「クール・ストラッティン」「ブルー・トレイン」「ニュークス・タイム」これらでドラムを叩いたのはフィリー・ジョー・ジョーンズなのだ。
これらの作品が今日でもハードバップの名盤として愛聴され続けるのは、彼の参加も大きな理由の一つだとする説、これは十分傾聴に値するものだ。

ただ、これはフィリー・ジョーに限った話ではなく、全てのドラマーに言えることだと思うが、もしかしたら彼らに若干のコンプレックスはなかったろうか。

ソロピアノのアルバムはいくらでもある。
セロニアス・モンクやキース・ジャレットがすぐに思い浮かぶだろう。
ソロギターもそうだ。
パット・メセニー、ジョー・パス等たくさんある。
ではトランペットは?テナーサックスは?
ソロで一枚もたすのはちょっとキツいが、絶対ないって事でもない。
売れないだろうが。
ベースはブライアン・ブロンバーグあたりがそれに近い事をやっている。
これはその楽器で和音(コード)を弾けるかどうかで分かれると思う。
ピアノは左手で伴奏しながら右手でメロディーを弾くことが可能だ。
小さなオーケストラとも称されるギターも事情は似ている。
そこでドラムはどうだ、という話になると(実際はその手の恐ろしいモノが存在するらしいが)これはもう単独では音楽にならない。
私はポリネシアンダンスショーしか思い浮かばない。

主役になれないドラマーなのだ。
レコードやCDの裏を見て欲しい。
ドラマーをリーダーとする場合を除き、クレジットされたメンバーの一番最後が彼らの指定席である。
そんな彼らが目立たないように気をつけながら目立つ時、私はその健気さに打たれる。
目立とうとして目立つのはNG。
いないと困るが目立ち過ぎても困る黒衣のようなドラマー。
人生はそうありたい。











(217) OUT OF THE STORM

out of the storm
No.217 2014.10.20



<OUT OF THE STORM>




エド・シグペンといえば、オスカー・ピーターソン・トリオのドラマーだ。
彼が6年在籍したこのトリオ、完全にピーターソンの専制君主制だった。
ピーターソンにはドラマーなど、プロの水準に達していて必要以上に自己主張しなければ、誰でも良かったのではないか。
一方シグペンにとってこのトリオでの演奏は、お仕事以外の何物でもなかっただろう。
そんなトリオを辞めた翌1966年に吹き込まれたのが本作である。
「OUT OF THE STORM」とはまた、意味深なタイトルをつけたものだ。

ジャケットと中身が随分乖離した印象を私は持っている。
陽気なメキシコ民謡「シエリト・リンド」で始まり、ラストも「バーベキューでいこう」で呑気に終わる。
その間に色々やってはいるが、いま一つピリッとしない。
せっかくのリーダー作だからとシグペン、メロディック・タムをスタジオに持ち込んだ。
ペダルで音程を調整するというものだが、特に効果がある風でもない。
後年のシンセドラム同様、変わった音を出しても間抜けに聴こえるだけなのだ。
クラーク・テリー(tp)がマウスピースのみで出す音にも同じ事が言える。
一番の聴きどころと言えば、ケニー・バレルのギターかもしれない。

このセッションにはハービー・ハンコック(p)が参加し、前年ブルーノートから出た「Maiden Voyage 」も実は録音されたようだ。
しかし、残念な事にこのテイクはボツになった。
それも当然かもしれない。
ハンコックが参加し「処女航海」を演るのでは、誰がリーダーかわからなくなってしまう。
CD化でボーナストラックに入るのを期待したが、それもなかった。

本作は長年のキャリアに対するご褒美のようなものだったと思う。
ヴァンゲルダースタジオで録音され、音質非常に良好だ。
この翌年よりエラ・フィッツジェラルドのバックを勤め、シグペンは更に嵐の外へと去った。














(240) 例外ドラムソロ

spiral circle
No.240 2014.12.6



<例外ドラムソロ>




ヘルゲ・リエン・トリオの「スパイラル・サークル」であるが、今回はドラムの話がしたい。
本作は東京のディスク・ユニオンが2002年に出したもので、今はなきスウィングジャーナルのゴールドディスクに選定されている。
この選定も後半はいい加減なものだった。
ほぼタイアップというか、レコード会社とのなれ合いというか、ステマに近いものだったと思う。
スウィングジャーナルも背に腹は代えられなかっただろうが、読者だってそうそうバカではない。
次第に神通力を失い廃刊に至ったのも無理はなかった。

ただ、全てが胡散臭いかと言えばそうではなく、スウィングジャーナルにだって当然矜持があった。
それがリアリズムによる妥協により少数となっただけだ。
本作の受賞などに、そんな数少ない同誌の良心が顕れていた。

ドラムの話をするのであった。
クヌート・オーレフィアールというのがこのトリオのドラマーだ。
ヘルゲ・リエン(p)がノルウェー人なので、オーレフィアールさんもそうかもしれないが分からない。
分からないし、最近猛烈に速度を上げ低下しつつある私の記憶力で、クヌート・オーレフィアールの名を覚えるというのは最早極めて困難である。

だいたい短いから何とか覚えたヘルゲ・リエンだって、相当へんてこな名前だろう。
実際家人などはエリンだと思い込んでいたようだ。
確かに離縁よりエリンの方がまだマシかもな。
愛しのエリン、エリン・マイラブ・ソースィー・・・か。
まあいいだろう、だから諦めつつ次へ進もう。
人間ある所まで来たら、諦めるというのも大事なことだと最近思うようになった。

本作のドラムを是非聴いておくべきだ。
ジャズドラムのイメージが覆る可能性がある。
7曲目の「テイク・ファイブ」だけでもいい。
曲名を知らずに聴きだせば、何事が起きているのかと思う。

私はCDを開封する時にリストを確認しない。
そして一曲目から聴きだす。
はっきり言って本作には難解なところもなくはない。
少々とんがってもいる。
それが7曲目まで来て、激しいドラムソロが始まる。
こんなドラムソロを聴いた事がなかった。
なんじゃこれは!と松田優作的心の叫びのあと、地の底から響いて来るのだ。
あのメロディが。

なんという構成力であろう。
人を感動させる、という方向で計算され尽くしている。
また、録音が素晴らしい。
こんなドラムソロなら大歓迎だ。


だらだらとだいぶ長引いてきたが、例外的ドラムソロについて今暫くお付き合い願いたい。
一昨日ライブを聴いた。
何度かテニスをご一緒させて頂いた方が、友人の店でライブを演ったのである。
誘われて行ったが、あまり期待していなかった。
これは失礼だった。
この方プロのミュージシャン(ds)だったのである。
石橋正彦さんとおっしゃる。
プロだから名前を出してもいいだろう。

私より8歳年上で、はっきり言えば小柄な初老のオヤジである。
テニスの腕前こそ達者なものだが、ドラマーという体格ではない。
人は見かけによらないと言うが本当だ。
いやはやもの凄いドラマーだった。
再現性のない話で恐縮だが、あの歳であのドラムはまいったと言う他ない。
またピアニストがそれを知っているから、どんどんソロを促す。
石橋さん、苦笑いで受けるのだが、まあなんと言うか当然ながら一糸乱れず背筋がピンとしている。
いつもニコニコ温厚な感じの石橋さん、この夜は底知れない凄味すら漂わせた。
あんなキレのいいドラムを目の前で聴いた(見た)のは初めてだ。
テニスもドラムも力だけではないのだな。

ライブ後、テニスのショットにキレがある秘密がわかりました、と言ったら石橋さん、また穏やかな表情に戻り「イヤー・・・」と照れておられた。



bar mino


長くなりついでにもう一つ。
「寺島 Jazz Bar 2014 」が届いた。
先日発売前から、どんどん買いましょう的発言を私はしたのである。
到着後わかった。
実は今年のJazz Bar、全曲ピアノトリオであった。
お買いになる際はその点ご承知おき下さいますよう。










(253) やられた

alex riel
No.253 2015.1.5



<やられた>




2010年9月12日デンマークのライブハウス、モンマルトルでのライブ録音だ。
ジャッキー・マクリーンとデクスター・ゴードンのスティプルチェイス盤「ザ・ミーティング」や、No.205のサヒブ・シハブ盤でドラムを叩いたのが、本作リーダーのアレックス・リールだった。
どんな楽器でもスポーツでも、その他なんでもそうだが、歳を取れば怪しくなる。
そしてこれには常に個人差があり、歳とともに劣化するだけの人もいれば、人間国宝となる人さえいる。
アレックス・リールは外人だから、人間国宝は無理かもしれない。
本作二曲目「身も心も」にハッピー・バースディが挿入される。
こうした場合の多くは、誰か関係者の誕生祝いであるのが普通だ。
そう、この日はアレックス・リールの70回目の誕生日であった。
古希だ。
それでこのドラムか。
恐れ入った。
全ての生物がDNAに既定されるというのは本当だ。

前回お話しした「坂道のアポロン」でドラムを叩く千太郎も、そしてピアノのボンもそうした意味では同じだった。
まったくもって、極めてベタな物語である。
だがだが、私はこのアニメを全力プッシュしたい。
第3話くらいまではどうという事もなかった。
だが、その後、これはラピュタあるいはエバンゲリオンに並ぶアニメではないかと思い始めた。
そして第9話「Love Me or Leave Me」で完全に、私はまんまとしてやられた。
本当にベタでベタで、でもそれ故面白い。
アニメを観てこんなに感動した事はない。
私は作者の意図した通りに操作され誘導されたのだ。
その事に何のウラミもない。
私の感動なんて昔からえらく安直だからだ。
それが偏差値に関係があるとしても、安んじて受け入れる心算だ。
ずっとこういうのが好きだった。
直球の感動が好きだった。

佐世保を舞台としている。
もしも九州にお住まいでこれをまだ観ていない方がおられるなら、最初つまらないとお思いでもどうか、一度我慢して最後までご覧頂ければと思う。
もちろん北海道にお住いのあなたも。

万一既に観ておられ、つまらなくて話にならなかったという方は武士の情、スルーでお願いします。











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(261) SISTER CHERYL

foreign intrigue
No.261 2015.1.25



<SISTER CHERYL>




本作はトニー・ウィリアムスが書いた名曲満載のお買い得盤だ。
就中「SISTER CHERYL」はジャズ史に残る美しいメロディであり、一度聴いたら一生忘れない曲である。
トニー・ウィリアムスは60年代のマイルスバンドを決定付けたドラマーだと言って良い。
特にその疾走感というかスピード感は、他の誰にもマネの出来ないものだった。
特にそのハイハットに特徴があるという一般的な見解よりも、私が一番にイメージするのが彼のバスドラだ。
70年代のイースト・ウィンド盤グレート・ジャズ・トリオの「Moose The Mooche」で、一関ベイシーのJBLウーハーを壊しかけたエピーソードに戦慄した。

本作は1985年の録音だが、「SISTER CHERYL」の初演ではない。
初演は81年に東京で録音された、ウィントン・マルサリス(tp)のセッションにポンと提供された。
気前がいいのである。
実はこの時、トニー・ウィリアムスと本作のベーシストロン・カーターも参加していたのであった。
であるから、大きな違いはトランペッター(本作ウォレス・ルーニー)とピアニスト(本作のマルグリュー・ミラー対ハービー・ハンコック)であり、本作参加のボビハチ(vib)効果ということだ。
是非聴き比べて欲しい。

これで終わろうと思った。
明らかにテンション低調だ。
冬季鬱の予感。

主な原因が二つある。
一つは除雪。
私の町では近年マンションンの売れ行きがいい。
一軒家はなかなか売れない。
そうだろうな、わかる気がする。
高齢者が雪崩を打って、一軒家を売りマンションに引っ越すのが今の流れだ。
マンションは除雪が不要というばかりではない。
冬の光熱費が四分の一、五分の一になる。
私の母は地下鉄駅や百貨店が目と鼻の先にあるマンションの9階に暮らす。
雪なんか少々降っても彼女に何の影響もない。
我家のとんでもない電気代の話を先日したが、母のところでは月に数千円らしい。
息子の十分の一以下である。
マンションはとにかく燃費がいいのだ。

長年の知人がエレベーター付豪邸を売りマンションに移るかもしれないという。
大ジャズマニア、オーディオマニアである。
でもマンションで大音量の音楽はダメだろう。
だから私は難聴にでもなって音楽が聴こえなくならない限り、あるいは認知症でレコードのかけ方がわからなくならない限り、マンション暮らしはしない予定だ。
その代償が除雪作業。
業者も頼んでいるが、どうしても基本は家主だ。
しんどい。
あと10年もたない。

もう一つは雪道運転の難儀と渋滞だ。
夏の片側三車線が二車線弱となり、さらに駐車する不届き者がいるせいで一車線となる。
どういうつもりか知らないが、道路に雪を出す不埒者のせいですり鉢状になり、すれ違う車同士が道路中心方向へ滑っていつ接触するかわからない。
公設ロードヒーティングに面した者は、それを無料融雪装置と考えているようで、どんどん道路に雪を出す。
醜い。
先日も言った事だけれど、日本人が道徳心旺盛だなんてそんなのまったく勘違い。
自分さえ良ければいいという人間の本性に基づいて、殆どの日本人が日々行動していると私は断言する。
時々見栄を張ったり、やせ我慢したりして「結構自分いい人」だと安心することがあるだけだから笑わせるな是非。


このところ顕著にブログが短くなってきたスーちゃん、なんとなく君も冬季鬱かい?







marsalis 3























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