(18) PASODOBLE

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NO.18 2011.11.30




<PASODOBLE>





ベース(Lars)とピアノ(Leszek)のデュオ。
坦々と進行する。
決して熱くなることなく、北欧の風のように。
しかも微風。

今これを二階の六畳間で聴いている。
エアロバイクの退屈を紛らわせるために、使っていない機材を持ち込んだのである。
フィリップス製スィングアームの800R、アキュフェーズA30、それにシンプルなボリュームボックスである。
スピーカーはモニターオーディオの極安いトールボーイをオークションにて入手した。
とてもコンパクトなシステムなのだが、これが良い音なのだ。
もう、これで充分と思えてくるほどだ。
大袈裟な装置でなくても十分楽しいではないか。
私は今までいったい何をやっていたのか・・・
などとため息交じりでワインなど飲みながら。

2007年スウェーデン録音の輸入盤。










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(22) I'm Still Here

北川
NO.22 2011.12.4




<I'm Still Here >





北川氏がベースを押してニューヨークと思しき街角をやってくる。
ウィムス・オブ・チェンバースのように。
だがあまり絵にならない。
日本人は損だなあ。
これだけのベース弾きなのである。
気の毒な話だが、ベースが弾けるだけマシというものだろう。
多くの日本人は才能があるのに絵にならないと嘆いているのではない。
才能がないのに絵にもならない、ときては存在そのものが殆ど意味のない落書きのようなものだ。
もちろん、私自身が落書きの一つである。

先日のこと、高校の先輩でテニス仲間のMさんと飲んだのである。
Mさんは大学卒業後オーストラリアへ渡り、会社を興して成功した。
そして55歳でリタイアして向こうの大学院に学士入学し、立派に卒業したという。
現在63歳、人生を楽しんでいる様子だ。

そんなMさんは今年、二つの地震を自分の目で見た。
まずニュージーランド地震の時、まさにクライスト・チャーチにいて、37歳の恋人(白人女性)とテニスをしていたらしい。
ほぼ一カ月後の東日本震災では素早く現地入りし、Mさんは自転車で野宿しながら三週間に渡り被災地を周った。
これで自信をつけたMさん、これから主に自転車で世界各地を巡る旅を始めるようだ。
羨ましい老後のありようだ。
もちろんMさんは努力されただろう。
だが誰もが努力すればプロ野球選手になれる訳ではなく、プロのミュージシャンになれる訳でもない。
Mさんの今日を作ったのは主に資質だ。
彼を間近に見ていると、それが良くわかる。
今更改めて言ってみても仕方のない話しだが、ではそういった資質を持ち合わせなかった者はいったいどうすれば良かったのか。
しみじみそう言いたくなる話ではあった。

I'm Still Here...
 










(64) 半世紀前の ON TOP

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NO.64 2012.1.14



<半世紀前の ON TOP>





ポール・チェンバースはファースト・コール・ベーシストだった。
最初に声が掛かる、という事だ。
マイルスバンドのベーシストでもあった。
本作A面1曲目「イエスタデイズ」のアルコ(弓弾き)など凄い演奏だと思う。
だが正直に言う。
(54)のブライアン・ブロンバーグと比較してしまうと、あまりの違いに驚くのだ。
これが50年の差である。
ジャズは半世紀の間に、特にベースとドラムが大変進歩した。

本作はベーシストのリーダーアルバムなのだが、当時のベースは4ビートのリズムをキープするのが主な仕事であったので、リーダーとして前面に出るのが容易でない。
それゆえのアルコであったと思う。
それをバンゲルダーが恐ろしい音質で捉えるのに成功した。
本作の価値はそこにある。
いや、そこにしかない。
後はチェンバース、リズム隊に終始している。
これではもたないので、アルフレッド・ライオンはケニー・バレルを参加させた。

ケニー・バレルは確かに天才ギタリストであるのだが、何もベーシストのリーダーアルバムに出てこなくても良いのだ。
当時まだベースという楽器は、ステージの中央でスポットライトを浴び続ける術を知らなかった。
これに尽きる。
だからアルフレッド・ライオンもチェンバースをリーダーにして、トリオやデュオで一枚録ろうという発想には到底ならなかった。
チェンバースのベースはベースの中ではオン・トップだったが、まだまだバンドの中でトップを張る所までは行かなかったのだ。

トランペットやサックスやピアノはこの50年どうだったのか?
ベースとドラム程の激変はなかったのだ。
これは何故だろう。
ホーンとピアノには最初からスポットライトが当たっていた。
だから街灯に群がる夏の虫の如く、多くの才能がそこに集まり、50年前既に大方の所をやり尽くしていたのだろう。
地味なサポート役だったベースとドラムには、ホーンやピアノ程の才能は集まらなかった。
だから50年後まで有望な鉱脈が手付かずで残された。
そういう事だと思う。
2012年を迎える現在、ベースとドラムの鉱脈に残量があるのか、それは私には分からない。
ただ、10年前と比べれば明らかに変化のスピードが落ちてきたように思う。
21世紀も最初のディケイドを周った今日、ジャズは相当シビアな局面を迎えている。











(93) 夕張鹿鳴館

レッド
NO.93 2012.2.13



<夕張鹿鳴館>





鉱夫で思い出したのが、北炭夕張の迎賓館であった「夕張鹿鳴館」である。
大正時代の建物を利用して、現在レストランと宿泊施設として営業されている。
財政破綻した田舎町でひっそり営まれているので、あまり知られてはいないだろう。
第一どこにあるのか探し当てる事すら一苦労だ。

本格的なフレンチを出すレストランに、女中部屋を大改装した宿泊棟の組み合わせで、オーベルジュとして一応成立しているのだが、今時分は寒くて大変だ。
大改装と言っても自ずと限界があり、特に断熱化と気密化が難しい。
従って全館暖房という訳にはいかず、レストランと客室以外の場所は外気温と殆ど変らない。
館内を歩くのに外套が必要なのだ。
さらに今年は雪が多く、古い建物を雪の荷重から守るために二週間に一度は、本格的な雪下ろし作業を余儀なくされているという。
文化財なみの建物が倒壊しては困るので、頑張って雪を下ろしはするが最早どこへも持っていき場がなくなり、せっかくの庭園も全く見えない。窓の景色はただの雪山である。

夕食にちょっとしたワインを付ければ、一人4万からの料金となる。行くなら冬以外にした方がいい。










(100) 八丁味噌の思い出

古野
NO.100 2012.2.20



<八丁味噌の思い出>





10年ほど前の話になるが、訳があり私は隔月決まって名古屋へ行っていた。
その頃ホテルの近くのライブハウスで、古野さんのステージを見た事がある。
話術が巧みで、大入りの客席は私を含めドッカンドッカン大受けだった。
やはりライブは言葉がわかってナンボのものだ。

その時購入した本作CDにサインを頂いた。
間近に拝見した様子と、直前のライブでの話しぶりにずい分落差があって驚いた。
実際の古野さんは音大出の芸術家肌の人で、ライブでの話術はテクニックなのかもしれない。
それはそれで大したものだ。

名古屋という街は存外垢抜けていて、事前に想像したような田舎臭さは全くなかった。
だが、食文化にはどうも同じ日本とは思えない異質さがある。
名古屋コーチンという高名な地鶏があるが、それを鍋でいただく時に八丁味噌を入れてしまう。
味が濃くて、せっかくの鶏の味が全然わからなかった。
味噌煮込みウドンも同様に、珍妙なる食物であったし、あの有名な手羽先も私には理解不能だった。
それは遠くでインスタントラーメンのスープの味がした。

それらの味の思い出が本作にいくらか重なるか、と言えばけしてそんな事はない。
私の味覚と聴覚の記憶には、恐らく相互に大きな関連性がないのだろう。
あれから10年の時が過ぎ、私の町にも名古屋の手羽先を出す店が出来た。
懐かしいので行ってみよう、とはけして思わない。











(140) Journey To Love

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NO.140 2014.5.10


<Journey To Love>



およそ40年前、FM大阪の「ビート・オン・プラザ」で本作を聴いた。
全体的には当時ありがちなクロスオーバーもので、ジェフ・ベックの参加もそれがどうした程度のものだった。
ビート・オン・プラザは新譜LPをほぼまるごとオンエアするという番組だったので、なんとなく聴いていた本作はやがてB面に進んだ。
スタンのベース、チック・コリアのピアノ、ジョン・マクラフリンのギター(すべてアコースティック)による快調な演奏が始まった。
それが「Song To John 2」だった。
この曲はスタンリー・クラークとチック・コリアの共作で、Johnとはジョン・コルトレーンのことである。
スタンとチックの曲にジョン・マクラフリンが入りコルトレーンに捧げるという、わかったようなわからないような(どちらかと言えばわからない)話なのだが、サビのところへきて私はのけぞった。
これほどかっこいいユニゾンがあるものだろうか。
実際あるのだ。ここに。
「Song To John 2」が世間ではどれくらいの評価であるのか私は知らない。
特別話題になっているものを目にした事もないのであるが、個人的には落とせない一曲だ。
そうした私的名曲というようなものは誰にでもあると思う。
私にも沢山ある。
半世紀以上も生きながらえておれば普通そうなる筈だ。
ただしどれもこれも個人的な嗜好である。
焼酎が好きな人もワインが好きな人も酒を口にしない人もいるのと一緒だ。
だから必ずしも普遍性があるとは限らないのは承知しているが、この曲は全力プッシュしておく。
珍妙なジャケットと「慈愛への旅路」という日本盤のダサ過ぎるアルバムタイトルに騙されてはならない。

本日もう一つ騙されてはならないのが「Nytimber」だ。
イギリス南部のウエスト・サセックス州にて醸造されるスパークリングワインである。
イギリスでワイン?と思うでしょう。私も思った。
実は昨年、結婚祝いにと友人からロゼを頂いたのだが、これにも私はのけぞった。
よくのけぞる男だな、と思わないでいただきたい。
のけぞっても10年に一回程度だ。
旨いのである、ナイティンバー。
これではシャンパーニュの立場がないというくらいのものだ。
いや、むしろコクの深さという点でこれを凌ぐシャンパーニュがあるか。
事実世界中で絶賛されており、イギリス王室御用達ともなっている逸品だ。
これには喜んで良いのかどうか微妙な事情もある。
温暖化である。
ワインの北限がイギリスまで上がってきたというのだ。
うーむ、大丈夫なのか地球。
少し心配になるのも無理からぬところであるが、ワインが旨いことに対して特に不服はない。
だから昨年秋、妻の誕生日に一本贈っておいた。
その個体は爾後仕舞い込まれていたのだが、一本目を贈ってくれた友人夫婦と本日そいつを飲むことになっている。
あの入籍から今日で丁度一年になる。








(151) BLACK ORPHEUS

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NO.151 2014.6.21



<BLACK ORPHEUS>



「黒いオルフェ」がタイトル曲。
ボサノバを代表する超名曲だ。
この曲も好きで色々集めた。
NO.31のウェイン・ショーターや、ゴンサロ・ルバルカバ、ロン・カーターなどもやっており、デクスター・ゴードン「GETTIN' AROUND (BLUE NOTE 4204)」は特に有名だ。
当然の如く「黒いオルフェ集」としてCDR-HD1500に収められている。

この「黒いオルフェ」やNO.147の「INVITATION」に限らず、多くのジャズメンが好んで収録した曲というのが多数ある。
「BEAUTIFUL LOVE」「ROUND MIDNIGHT」「NIGHT AND DAY」「MY FUNNY VALENTINE」「AUTUMN LEAVES」「SUMMERTIME」等々思いつくままに挙げても際限なく出てくる。
私はジャズを演奏出来ないので想像するしかないが、恐らくジャズっぽくアドリブしやすい曲というのがあるのだと思う。
そうした曲に共通した要素が「哀愁」ではないだろうか。
少なくとも、あまりアッパラパーな曲調のものは見かけない。それは事実だ。
御大寺島靖国さんが言うように、ジャズはガッツと哀愁なのである。
私(と寺島さん)が哀愁曲を好むだけ、という可能性も大いにあるけれど。

本作はスリー・ブラインド・マイス(TBM)という日本のレーベルであり、このTBMは録音が良いので有名だ。
NO.56に登場した、同じくTBMの「BLUE CITY」や、鈴木勲初リーダー作「ブロー・アップ」もあわせて是非聴いて頂きたい。
一つ気になるのであるが、鈴木氏はBASS & CELLOとクレジットされており、CELLOでソロをとる。
まあ、それは良いとして、その時同時にベースは弾けないので「BLUE CITY」においてはセカンドベーシストがクレジットされている。
それが本作にはない。
ベースもチェロも鈴木氏が弾いたのだとしたら、それは多重録音という話にならざるを得ないのだ。
うーむ・・・ジャズに多重録音てありか?

「黒いオルフェ」はそもそも同名映画の主題歌で、別名「MANHA DE CARNAVAL(カーニバルの朝)」ともいい、この映画の音楽はかのアントニオ・カルロス・ジョビンが担当した。
しかし、この曲の作者はジョビンではなく、ルイス・ボンファである。
この辺の関係はどうなっていたのだろう。
20世紀を代表する作曲家と言われる(私はそのように思ったことはないが)ジョビンが音楽監督をしたのであれば、主題歌は自作が普通の流れではないか。
ただ、ジョビン作の「黒いオルフェ」なら、私の「黒いオルフェ集」は製作されなかった可能性が高いのであるが。

1959年封切りのフランス、イタリア、ブラジル合作というこの映画を私は観ていない。
妻にそれを言ったところ、「全然あなたのタイプじゃないわ」との事。
なるほど、それでどんな映画かおよそ想像がついた。
DVDになっているかどうか知らないが、仮にレンタルしても多分10分ともつまい。
スペース・シップかイージス艦かインベーダーが出てくる映画でないと、私はダメなのであった。








(198) 残されたもの

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NO.198 2014.9.24



<残されたもの>




ジャコ・パストリアス。
ウェザー・リポートのベーシストだった彼を思う時、私はどうしても悲しい気持ちになってしまう。
驚異的と言われたテクニックは、今となっては驚くほどの事でもなくなった。
残るのは晩年(と言っても享年35歳だが)の、あまり芳しくない評判にどうしてもなっていく。
精神疾患に麻薬と酒の悪癖がかさなった。
おちぶれた姿で「20ドル貸してくれ」と友人、知人を周った。
そして最後は不幸な死を迎えた。

どうも悲惨なイメージがつきまとうジャコだが、
死後彼の書いた曲は残された。
「Teen Town」「Continuum」「Come On, Come Over」等々。
私は何を残せるだろう。
未だ生きているうちから分かる。
何も残せる筈がない。
精々ワインの空き瓶が関の山だろう。

昨日、テニスの団体戦は天候にも恵まれ、怪我もなく無事終了した。
良い事と悪い事があった。
良い事から話そう。
この大会は一部から十部までカテゴリーがわかれ、各カテゴリー24チーム中ベスト8に入れば、上級カテゴリーに昇格する。
私のチームは昇格することが出来た。
悪い事。
チームが解散することになった。
だいぶ前から予兆はあったのだ。
NO.196でお話しした73歳が、もう限界であると言われた。
この大会は学生以外誰でも出場可能なため、70過ぎでも20歳の若者と対戦しなければならない。
これは非常にきつい。
それ以外にも各選手、様々に理由があったと思う。
継続したいと発言した者は一人もなかった。
私も内心、もう止めにしたいと思っていたのだ。
理由は言わない。
だが、解散が決まって清々したかと言えば、意外にも喪失感をかみしめている。
男女の別れで未練なのは大抵男の方だという。
その割に未練がましい事を女々しいと言ったりするから不思議だ。
暫く私も女々しいかもしれない。









(215) 退屈な平穏

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No.215 2014.10.17



<退屈な平穏>




本作の存在を完全に忘れていた。
現在着々とライブラリーの番号付け替え作業が進行中で、それに伴い発見した一枚だ。
一度は聴いたのだろうが、それきりオクラ入りしたもののようだ。
ブライアン・ブロンバーグが、ウッドベースのソロで全編押し通している。
作る人も弾く人も買う人も偉い。

オーディオチェック盤について前にも書いた。
これは二種類あると思う。
上手く再生するのが難しい盤。
ただし、録音が悪いのではない盤。
これは本当の意味でのチェック盤といえる。
もう一つは録音がやたら優秀で、機器が何倍も性能アップして聴こえる盤。
これは主にお店が客の度肝を抜く魂胆で使用する。
腰を抜かし、客は目の前のスピーカーを買う。

本作は後者のチェック盤として使用され、オーディオ店の売上に大いに貢献したものと想像される。
特にベース好きのオーディオマニアにはたまらないだろう。
だが、オーディオマニア以外の人は、重篤なMの方以外手を出さない方が良い。

オーディオマニア、やっかいな趣味に取り憑かれたこの人達はいつもどこかが不安である。
自分の出している音がいったいどうなのか。
ある日は素晴らしい音に聴こえ、安心と満足と自信に満ちている。
だが、そんなものは絶対に長く続かない。
気分にもよるだろう、かける曲にもよるだろう。
そして実際出ている音そのものが、日によって全然違うんだと思う。
気温、気圧、湿度、供給されて来る電気、そして体調。
それら諸々のコンディションが微妙に変化し、確実に音に影響している。
そもそも彼らは少数派なので、相談相手も限られる。
昨日はこんなじゃなかったのにと、一人悶々と思い悩む今日。
そんな時に本作をお聴きなさい。
きっとあなに平穏が訪れるだろう。
調子がいい時は聴く必要なし。
それから、本作をかけてもいい音で鳴らないなら、あなたの装置は深刻な状態だと思った方が良い。


秋深き今日この頃である。
ところで今年は冬が遅いらしい。
とはいえ、いずれ確実に冬がやって来る。
今のうちにやっておかねばならない事も多いが、オーディオ関係で解決しておきたいのが静電気対策だ。
昨シーズンはこれのせいでカートリッジのスタイラス、簡単に言うとレコード針を一本ダメにした。
数万円の損害となった。
これはいかん、冬が来る前に何とかしておきたいといろいろ物色していたところ、静電気を除去するというブレスレットを見つけた。
こんなもので?
思いきり怪しい。
だいたいこういったモノを首や手首に巻く男を、ずっと冷めた視線で私は見ていたのである。
特に手首に数珠をつけた元官僚とかいう君、そりゃ一体何のまねか、と。
だが、そうも言っていられなくなった。
あの者どもにも、止むに止まれぬ事情があったのだろう、きっと。



right hand







(236) 共に去り逝かむ

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No.236 2014.11.28



<共に去り逝かむ>




某局のニュースを見ていたら、出し抜けにオーディオの話題それもハイレゾの話へ。
HIGH - RESOLUTION(高解像度)、略してハイレゾである。
話には聞いているが音を聴いたことはない。
番組リポーターがソニーのスタジオへ赴き試聴、「聖子ちゃんが目の前でボクだけのために歌っている」ようなのだとか。

最近あまり言わなくなったがハイファイという言葉もある。
HIGH - FIDELITY(高忠実度)の略で、ハイレゾよりもずっと馴染み深い。
1950年代にLPレコードが登場すると、表といわず裏といわず「Hi-Fi」と大書したものがいっぱいあった。
1956年・57年録音盤をカップリングした本作CDも、元々は「オスカー・ペチフォード・イン・ハイファイ」である。
ハイファイセットなどというコーラスグループもいたが、オーディオ界では次第にこのハイファイを使用しなくなり、ハイエンドに取って代わる。
ハイエンド・・・地獄の沙汰も金次第感がハンパなかった。
それが今、ハイと言えばレゾである。

「今まで聴いていたCDは、原音全部ではなく、必要な部分のみを記録していました。
音の一部を大幅に削除していたのです」
これ、誰が言っていると思います?
ソニーのホームページ編集子なのである。
なんだとぉ!
そもそもCDを開発したソニーである。
お前がそれを言うのか!
さらに「ハイレゾは音の量が違うんです!音の太さ・繊細さ・奥行き・圧力・表現力が段違いなんです」と続く。
CDを大量に所持する我々ユーザーの立場をどうしてくれるのだ。

ご承知の通り、CDに記録された情報に20kHz以上の信号は一切ない。
スパッとカットされているのだ。
これは人間の能力が20kHz以上を感知できないからで、聞こえないならカットでいいよね、とそのようにCDという規格は開発時に枠をハメられている。
ところが、と冒頭の番組。
聞こえていない20kHz以上の音も当然の如く自然界に存在し、音波としての振動がそれ以下の音域に影響を与えている、と言うのである。
リポーターが次に向かうのはどこかの大学の実験室だ。
同じ音源を二種類聴く。
20kHzでカットしたCDバージョンと、青天井に上まで出したハイレゾバージョン。
被験者の様子を脳波で観察する。
すると後者に「安心」とか「快感」の要素が明らかに顕れているというのである。

「ハイレゾは情報量がCDの6.5倍です。
ハイレゾ音源はインターネットで購入します。
音楽配信サイトからダウンロードします」
あっそう、もうわかった。
何度でも言うが、如何ほどに音が良かろうともそれはダメ。
私は絶対関わらない。
滅び行くパッケージメディア、LPレコードやCDと共に我命運尽きて結構だ。

尚本作、ベーシストのリーダー作でありながらもスウィング系ビッグバンドものという、ちょっと変わった盤である。
ジジ・グライス、ベニーゴルソン(57年セッションのみ)がアレンジャーとなっている点が大きい。
57年セッションでは、同年ブルーノートに吹き込んだ「アイリメンバー・クリフォード(リー・モーガン1557)」のオーケストラ版を収録。トランペッターにアート・ファーマーを起用している。
ハープが入っていたり、サヒブ・シハブ(brs)が顔を出したりとアレンジャー、飽きさせないように色々頑張った。
しかしハイファイ度普通、56年セッションの方はモノラル録音である。








(262) For Lester

ray brown
No.262 2015.1.28



<For Lester>




ジャイアントと呼ばれ誰知らぬ者とてない、そして今では伝説となったジャズメン達がいた。
トランペットのマイルス、ピアノのエバンス、ドラムのブレーキー、テナーのコルトレーン、アルトのパーカー等々きりがない。
エバンスよりパウエルでしょうとか、コルトレーンじゃなくてそこはロリンズなどの話になっても困る。

彼らと同時代を生きジャズをベースで支えたレイ・ブラウンも同様に、ジャイアントの殿堂入りは間違いないとしても、チャーリー・ミンガス、ポール・チェンバース、レッド・ミッチェル、ロン・カーター等々思いつくままにベースのビッグネームを挙げた時、彼が何故か少し筆頭感に欠ける事に気付く。
それは恐らくレイ・ブラウンが史上屈指の名手でありながら、この楽器の役割を比較的早期に自ら限定してしまい、最後までその枠を出ることがなかったからだ。
しかしレイ・ブラウン無かりせば、後年のクリスチャン・マクブライドやブライアン・ブロンバーグ出現も無かった可能性がある。
彼はイノベーターでこそなかったが、モダンジャズベーシストの偉大な始祖であったと私は思っている。

本作はレイ・ブラウンが1977年コンテンポラリーに残したリーダー盤、「Something for Lester」である。
ジャズでレスターへのトリビュートと言われると、レスター・ヤングを連想するのがむしろ普通だが、ここでのレスターは本作収録後急死したコンテンポラリーのオーナープロデューサー「レスター・ケーニッヒ」のことだ。
映画「ローマの休日」のプロデュースに関わった後、「赤狩り」でハリウッドを追放されたレスター・ケーニッヒが西海岸に設立したのがコンテンポラリーレコードである。

東海岸のブルーノートと何もかもが好対照だ。
現在ジャズの三大レーベルと言われるのが東海岸由来の「ブルーノート」「リバーサイド」「プレステッジ」であり、コンテンポラリーは入れてもらえない。
ウエストコーストジャズと呼ばれ、半ば別ジャンル扱いされがちであり、三大レーベルが横綱・二大関だとすれば、コンテンポラリーには小結クラスの軽量感が漂う。
これは不当である。
当ブログでも取り上げた重要盤をカタログに多数持つコンテンポラリーは、これも繰り返し申し上げた事だがとにかく音が良い。
ブルーノートを録ったルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)の音が悪いとは無論言わないが、コンテンポラリーの録音技師ロイ・デュナンの音はオーディオ的にRVGサウンドを凌駕するものだ。
RVGはピアノの録り方が下手だとよく言われた。
私はRVGが下手だとは思わないけれど、誇張されたピアノであるのは事実だと思う。
本作のシダー・ウォルトンを聴けばわかる通り、ロイ・デュナンが録ったピアノの方が遥かに自然に、そして美しく聴こえる。

ベースもそうだ。
RVGのベースは良く言えば太く、しかし上手く再生出来なければ少しコモッたベースになる。
一方本作のレイ・ブラウンはもっと近代的なベース音であり、且つ普通の装置であっても比較的手軽にいい音で鳴る。
これは学生時代の夏休みに土方、さらに冬休みには沖仲仕の短期集中バイトで必死に金を貯め買った、しかしながら非常にプアなオーディオで聴いていた頃の記憶だ。

アンプがデンオン(くどいがデノンにあらず)のPMA500Z、スピーカーはダイヤトーンDS251MKⅡであった。
自分の音と店の音を半日違いで比較できた。
確かだと思う。
確かにコンテンポラリーは音がいい。
そして鳴らしやすく録られている。
その秘訣がどこにあったか、ロイ・デュナンサウンドについて次回もう少し続けたいと思う。















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(272) LEDと白熱灯

go 3
No.272 2015.2.28



<LEDと白熱灯>




10年以上前に母親と東京へ行ったことがあった。
その頃母は今よりも健脚でいくらでも歩くことができたから、毎年弟と三人で旅行にでかけていた。
おそらく今でも達者に歩くのだと思う。
しかし我々の旅はいつの頃からだったろう、車で行ける範囲で一泊の温泉旅行に替わっていた。
もしも私が娘だったら(気色わるい仮定ですが)三泊程度の旅行が続いていた可能性があると思う。
やはり息子と娘は違う。
母に娘はおらず、それはそれで仕方のないことだが少し気の毒ではある。
どうも世の息子たちは親孝行が下手だ。

父が生きていた時、家族で旅行に行くことなんてほとんどなかった。
理由はわからない。
しかし父が亡くなり、我々は三人で旅行するようになった。
その一番最初の行き先が東京だった。
私は特に東京へ行きたいと思ったことはない。
別に用もないからだ。
ただどこでもいいから三人で行くことが大事だった。
そういう感じってどうしても連れの者に伝わるのだと思う。
だから母がその旅行を心から楽しめたのか私はちょっと自信がない。

はとバスに乗り車窓からぼんやり外を眺めて気付いたことがあった。
信号機の様子が私の町とどうも違う。
東京の信号機は粗い点描画のようであり、色彩が無機質で素っ気ない印象だった。
それがLEDだと知ったのはそれから何年か経ち、私の町にLEDの信号機がつけられてからだ。
LEDの信号機には思わぬ欠点があった。
エネルギー効率に優れ発熱が少ないせいで、吹雪で吹き付けられた雪が溶けないのであった。
そのため信号機の用をなさなくなり、警官が長い棒の先についたブラシで雪を落とす、そんな報道が流れた。
それからLEDの照明がどんどん増えていき、遂に白熱電球の製造が打ち切られた。
あけらかんとミもフタもないほども明るい照明に照らされて、これから我々は生活していかなければならないらしい。

本作は1959年、ポール・チェンバース(b)のリーダー作としてシカゴのビー・ジェイ・レーベルに残された。
フレディ・ハバード(tp)キャノンボール・アダレィ(as)ウィントン・ケリー(p)フィリー・ジョー・ジョーンズ/ジミー・コブ(ds)という豪華キャストは当時のマイルスバンドのトランペッターをフレディ・ハバードに置き換えたものだ。
ウィントン・ケリーのソロに「ケリー!」と黄色い声援が飛ぶ楽しいライブ録音をご堪能頂ける。
当時のライブレコーディングとしては傑出した高音質である。
私が所有するものは6曲入り1800円の国内盤LPレコードだが、現在16曲二枚組のコンプリートCDとなっているようだ。
残り10曲聴いてみるか思案中。













テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

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