(11) Fried Pried & Fried Buildings

しほ
NO.11 2011.11.23




<Fried Pride & Fried Buildings>






2001年の録音。
9.11からもう随分たったのだ。
だが、そんな気はしない。

私はあの時、場末の居酒屋で飲んでいた。
カウンターで焼き鳥など頼んで、誰かを待っていたような気がするが、もう覚えてはいない。
割烹着を着たおばちゃんが少し熱すぎる燗酒を、時折思い出してはお酌してくれた。
私は放っといてくれればいいのに、と思いながら仕方なくおばちゃんにも酒をついでいた。
そんな店だから10インチくらいのテレビがつきっぱなしで、手持無沙汰な男達が時折なんとなく画面を名眺めていたのだと思う。
そのうち誰彼となく店内がザワつきだしたのだ。
はじめは何か悪ふざけの類だと思って見ていた。
いきすぎたジョークをイギリスなどのテレビは平気でやる時がある。
だが、それはどうも違っていた。
何かとんでもないことが起きている。
異常な緊迫感が少し酔いの回った頭に警報を鳴らし始め、次の瞬間大きな旅客機が青空を背景にして巨大な摩天楼に突き刺さっていった。

男のギターと女のボーカル、こういうのは大抵デキてる。
たしか寺島師匠の言であった。
SHIHO(VO)と横田明紀男(g)の関係がはたしてどうだったのか。
残念ながらそれについては確認できないが、10年後の今も一緒にやっているのなら、案外良好な関係であろうという点については特に異論はない。
この世界、CDデビューするというのはもう夢のような話である。
フライド・プライドがだから全力投球しているのがわかる。
SHIHO嬢がどのような人物か私は知らない。
しかしもしかしたらこのようなドレスを着てジャケットに写るのは嫌だったのかもしれないのだが、たとえそうであったとしても、この際プロデューサーの言う通りにした。
でも胸は小さい。

買ったのはこの一枚きりで、買い足す予定も今はない。
このでデビュー作、結構良く出来ている。
ただもうこれで充分という感じだった。
次も聴いてみたいという気にはなれなかったのだ。











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(21) ブルー・ムーンといえばあなたは探偵社?

カーメン
NO.21 2011.12.3




<ブルー・ムーンといえばあなたは探偵社?>






1000円だ。
たまげるではないか。
3000円も払ったのにクソみたいな内容のCDがあるかと思えば、これではあまりに気の毒という限定盤もたまにある。
そうかと思えば同一内容の商品をジャケットだけ変えて再発したり。
あれは本当にやめて頂きたい。
承知の上であえて買う奇特なコレクターなら文句も言わないだろうが、知らずに買えば罵りたくもなる。

自らをも罵らずにはいられないのは、そうした事実を何年も気付かずにいるような場合だ。
ロクに聴いてもいないという事だから。

買って聴いて気に入らなくてお蔵入り。
きっとどこか心惹かれるところがあるのだろうけど、後日となり違うジャケットの同じブツにまた引っかかる。
そして同じようにお蔵入り。
しかもその時はまだ一連の間抜けな出来ごとに気付いてもいないのであるから、まったく何をやっているのかわからない。
もしも敵がまたジャケットを変えて再発してくれば、またまた引っかかることだって充分考えられる。
こうした悲喜劇を避けるには、ライブラリーのリストを作成することで、何度も煮え湯を飲まされた私は数年前からこれを実行している。
しかし、それでも引っかかる。
中には会社を変え、タイトルも変更してくるツワモノがあるせいだ。

そこでもう一つの対抗手段がある。
それはせめて試聴してから買えば良いのである。
しかし、それはどうも気が進まないのだ。
特に新録の新譜を試聴するということを、私は昔からしなかった。
それは立ち読みで斜めに本の内容を確認してから購入するのと同じで、なにかもったいない気がするのである。
こっそり買って帰って封を切り、さてどんな内容だろうとおもむろに盤をセットする時のあのワクワク感が大分割引きされてしまう。
同じような理由だと思うが、車も試乗して買うというのをしなくなった。
少々乗ってみたところで分かるものか。
ここ4台は試乗なしで買ったものだ。
ある人に言ったら「処女崇拝みたいなもんだね」と言われた。
うーん、少し違うように思うが、明確に反論する屁理屈が見つからなかった。










(25) トーチ 虚ろなEYE

トーチ
NO.25 2011.12.7




<トーチ 虚ろなEYE>





この盤は新譜で買った。
何を思っての事かわからないが、多分気まぐれだろう。
デビッド・サンボーンやリー・リトナーが参加している。フィル・ウッズの名前まである。
それにマイケル・ブレッカーだ。
金に糸目はつけなかった。
だが、出来はいまひとつだ。
1981年の作品。

カーリー・サイモンといえば「虚ろな愛」である。
そっちでやっていれば良かったが、多分これも気まぐれでジャズに手を出したのだろう。
長年やっているとついやってみたくなるものらしいし。
そんな中ではロッド・スチュワートの一連の作品やアート・ガーファンクルなんかは見るべきものがあったが、リンダ・ロンシュタットは何を歌っても野生の歌姫で一緒だと思った。
ポップス系女性歌手には難しいのだろうか。

ジャズものをやったらきっと成功するのでは、と思う女性歌手が日本に二人。
一人は吉田美和さん。
あの歌唱力で是非一枚つくってもらいたい。
もう一人はエゴラッピンの中納良恵さん。
ピアノトリオをバックに、スタンダードなど歌ってもらいたい。
きっと良いものが出来るだろう。
ただ、これくらいの企画なら誰でも思いつくものであるから、
案外既に二人ともジャズボーカル物を出しているやもしれないけれど。











(30) ボサノバが蛍の光

りさ
NO.30 2011.12.12




<ボサノバが蛍の光>





このノートも30枚目となった。
ボサノバは日本のジャズファンにはウケが良くない。
シリアスさが微塵もないからだ。
昔バイト先で、切りのいいところでそういうものをかけたものだった。

私がバイトしていたジャズ喫茶は、女性の店主が一切客の前に出ない変わった店だった。
前線で働くのは二人組のバイトで、5チームくらいのローテーションだった。
全員が学生である。

客も学生が多いのだが、彼らは一杯のコーヒー、一枚のトーストでいつまでもネバる。
今では信じられないことだが、満席となり来た客が座れず帰っていくことも珍しくなかった。
そういう時、切りのいいところでボサノバなどをかけたのである。
アンドリュー・ヒルだとかアーチー・シェップだとかの後に聴くと、ホッとするものがあった。

だが、客の彼らは違った。
なんでこんなダサいのをかけるんだ、こんなものを聴きにきたのではないのだぞ、オレは筋金入りのジャズ者だ、ナメるなよ、そんな顔つきでゾロゾロ席を立つのである。
女店主の指示だった。

実際、その当時の客というものは相当滑稽なものだった。
手に手に小難しい本を持ち、サングラスなどかけてやってくる。
タバコはショートピースやゲルベゾルテなど両切りが多く、それを矢継ぎ早に吸うものだから、店内はまさしくスモークを焚いた状態である。
副流煙も受動喫煙も一切知ったことではなかった。

彼らは苦み走り、肩を揺すりコウベを垂れて、リクエストした後期コルトレーンなどに没頭するのだった。
段々興に乗ってくると、店内が共鳴したようなトランス状態となる。
まるで怪しい宗教の儀式を見る思いで我々バイトは彼らを見ていた。
もとよりこちらは仕事であるのだから、何やら切羽詰まった表情でテンパっている向こうとは相当の温度差がある。
はっきり言えば白けているのだ。
さあ、盛り上がるだけ盛り上がったところでボサノバである。
最後までイカせて頂だいと、文句を言う気持ちも分からないではないな。











(32) エラ・フィッツジェラルド

エラ
NO.32 2011.12.14



〈エラ・フィッツジェラルド〉





「フィッツ・」では切らない。
というのも高校生の時、「エラフィッツ・ジェラルド」だと思い込んでいたのだ。
なんぼなんでもエラフィッツはないだろう。

「エラ・フィッツジェラルド」の顔を想像せずに聴けば、つまり素性を知らずに聴けば案外悪くない。
逆に素性を知らなければ、このジャケットを手に取りレジまで持っていく人はあまりいないだろう。
エラは容姿で相当損をしている。
その点ではウィリアムズ姉妹と似ている。
日本人男性にウケは良くないことだろう。
土人の女に用はない、という訳だ。
にも関わらず、まるで無関係な写真だとか絵だとかでジャケットを誤魔化さなかったのはエラい。
今なら、特に日本なら絶対このジャケットでは出さないな。

ところで歌は下手でも綺麗な女、テニスは下手でも綺麗な女、世の中に無数にいるそれらの女たちと、エラやウィリアムズ姉妹ではどちらが幸せだろうか。
本人に聞いてみないと分からないが、多分エラやウィリアムズ姉妹は自分たちだと言いそうだ。
一芸に秀でる感覚を一度味わったら、きっとやめられるものではないのではないか。
それにどんな美人もいつか婆になるのだし。
そうなったら美人でもブスでも、あるいは土人でも大差はない。












(52) ザッツ・ア・プレンティ

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NO.52 2012.1.2



<ザッツ・ア・プレンティ>





ポインター・シスターズというのは本物の四人姉妹であるらしい。
本作は70年台初頭の録音であるので、それから40年近く経過している。
本作の出来から考えて、当然何枚もレコードを出していると思われる。
既に収納可能なスペースは失われているが、もしも状況に変化が起きたら探してみたいミュージシャンの一つだ。
状況の変化とは収納場所の増加だが、ある音楽ファンは庭に蔵を建て、またある人はレコード収納用にマンションを借りた。
いずれも雑誌で見た話だ。
だが、私は今のところどちらも考えていない。
レコードは装置の近くに置いて聴くものだ。
ただのコレクターにはなりたくない。

ポインター・シスターズ、必ずしもジャズとは言い難いが、ノラ・ジョーンズをジャズ扱いする時代である。
余程こちらの方がジャズに近いと言って良い。
裏ジャケットでトランクに腰かけている女性が、末娘のジューン・ポインターだと思う。
この時19才。
可愛らしい人だが、現在ご健在ならアラカンであろう。
実物は見ないで置くに如くは無し。











(63) ステッピン・アウト

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NO.63 2012.1.13



<ステッピン・アウト>





ダイアナ・クラールのデビュー作である。
カナダのマイナーレーベル、ジャスティンタイムから出たものだ。
ダイアナはピアニストとしてしっかりしている。
それが本作で良く分かる。
歌を歌わずとも、ピアニストで十分いけたと思う。
そこがケイコ・リーとは違うところだ。
ケイコ・リーのピアノはタッチが弱い。
それなのに、肝心の歌も少し音程が危ない。
残念だが大分差があるようだ。

エルビス・コステロと結婚して、ダイアナは曲を作りだした。
これが相当いいのである。
アルバム「Girl in the other room」を聴いてほしい。
男の影響というのは凄いことが分かるだろう。

大体女でジャズが好きと言う場合は、ほぼ男の影響だと考えていい。
アウトドア関係とかバイクとかも大抵そうだ。
逆に女の影響を男はどのように受けるだろうか。
女の影響で編み物を始めた男を見た事がない。
男は目に見えない影響を女から受けるのだと思う。
食生活とかスキンケア用品とか。

男からの分かりやすい影響を受けがちな女だが、これだけは影響を受けないというものもある。
それがオーディオだ。
男の影響でオーディオに手を出す女を、私は見た事がない。
つくづく、女には無縁の世界なのである。











(78) 老天使の歌声

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NO.78 2012.1.28



<老天使の歌声>





アート・ガーファンクルのスタンダード集。
彼はポール・サイモンのような作曲(作詞も)はしなかったが、
優れたシンガーという才はコンポーザーとは立場が異なるだけで、充分に比肩し得るものだ。
この人の歌声がなければあのS&Gサウンドもあり得なかった。
だが、その事を理解する人は案外少ない。
今年公開された映画「グリーン・ホーネット」で、主人公が相方のカトーにこう言った。
「おまえはガーファンクルだ」
それはつまり脇役という意味合いなのである。
認識不足も甚だしい。

1978年ガーファンクルは一人お忍びで来日し、巨人・ヤクルト戦を観戦した。
TV中継のカメラマンがガーファンクルに気付き姿を写した。
その際アナウンサーに「ポール・サイモンさんです」と紹介された。
失礼にも程がある。

コンポーザーの才能は、ある日その泉が突然枯れるようだ。
その事をとても不思議に思っている。
あれほどコンコンと湧き出て止まる事を知らなかったメロディの泉が、嘘のようにパタッと枯れてしまう。
二人のポール、サイモンとマッカートニーを見ればそれが良く分かる。
だが、年齢を重ねることでシンガーは深みを増す。
天使の歌声と言われたガーファンクル、昔のような高音はもう出ないかもしれないが、それがどうした。
まだまだ現役である。











(79) Stone Flower

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NO.79 2012.1.29



<Stone Flower>





私はこの大作曲家といわれるアントニオ・カルロス・ジョビンが未だよく解らない。
陽気なヤンキーには受けたかもしれないが、日本で本当にヒットした事などあったのか?
レノン&マッカートニーにも匹敵する20世紀を代表するコンポーザーだというが、ポール・モーリアやフランシス・レイとどこが違うというのだ。
ところで最近になってポール・マッカートニーが「なぜマッカートニー&レノンじゃないんだ」と不満を漏らしていると聞く。
天才ポールも過去の栄光に拘りだしたか。
そういえば昔「How Do You Sleep」でジョンにコテンパンに言われてたっけ。

息子が二週間のロス滞在を終え、明日には帰国する。
親にねだってロス旅行。
行く方も行かせる方も、あまり褒められたものではあるまい。
せめてこの二週間が、将来彼にとって価値のあるものとなってくれれば良いが。
そして娘がこの家を出る。
変わっていく。確実に変わっていくが、どう変わるのか今のところ分からない。
ただ、子供たちの人生はまだまだこれからである。
むしろこれから始まると言っていいくらいだ。
二人の人生はこれから自分の力で活路を開いていかねばならぬ。
とりあえず父親としては出来るだけの事をした。

何か作業中の娘から声が掛かった。
「このCDおしゃれだね。どういうジャンル?」
どういうジャンルと言えばいい?
ボサノバでありジャズボーカルであると伝えた。
娘とは音楽でずい分もめた。
受験勉強の妨げになる、と言うのであった。
私は音楽鑑賞の大半を、新たに入手したヘッドホンに委ねる事となった。
それもすべて過去の思い出となる。











(87)L.A.の歌姫ジャズを歌う

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NO.87 2012.2.7



<L.A.の歌姫ジャズを歌う>





最近の事のように思っていたが、驚いた事にもう30年近く前のレコードになる。
野生の歌声でカントリー・ロックを歌いまくり少しマンネリ気味となった時、こういうのもやってみたら、と勧められたかリンダ・ロンシュタット。
それでつい手を出してしまった彼女だが、まったくジャズボーカルにはなっていない。
「悪いあなた」なんかを歌っているのと、まるで同じ調子なのである。

本作がリリースされる数年前だったと思うが、大阪で来日公演を聴いたことがある。
エラ・フィッツジェラルドをエラフィッツで切っていたように、その頃私はまだ、彼女をリンダロン・シュタットだと思っていた。
リンダロンってなによ。
当時は、昨今の如き判で押したような総立ちコンサートの風習未だなく、ロック系のコンサートでもゆっくりと座って聴くことができた。
万一前で立とうものなら、「バカヤロー座れ!」と後ろから罵倒されたに違いない。
それが今では、サイモン&ガーファンクルですらが総立ちだというのだから驚く。
「コンドルは飛んでいく」を聴いて、手持ち無沙汰に総立ちになっていても仕方ないように思うのだが。
やっぱり周りが立つから、立たないと塩梅がよろしくないのであろうか。
ご苦労さんなコンサートであると言わざるを得ない。

閑話休題。彼女は恋多き女と言われ、たくさんのミュージシャンと浮名を流していた。
肉食系って感じでしょうか。
実際噂に違わず、実物のリンダはその手のオーラを出しまくり、
ステージでギターの男とベースの男が彼女を巡って喧嘩を始める有様だった。
聞きしに勝る恋の多さなのであろう。
何があったか無論詳しい事まで知らないが、
敗れた(と思われる)ギターの男がウィスキーをラッパ飲みし始め、
やがてステージでベロベロになってしまう。もう目茶苦茶であった。

最近どうしているのか知らないけれど、60代半ばとなった今なら、もしかしたらいい味のスタンダードが歌えるのかもしれない。









(89) ローマからの手紙

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NO.89 2012.2.9



<ローマからの手紙>





ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」が入った「ローマからの手紙」を、在日朝鮮人三世のケイコ・リーが歌うというカラフルな一枚。
彼女は21歳でピアノを始めたという。
それであそこまで弾けるようになった。
信じられないことだ。タッチが弱い、などと悪口を言ってすまなかった。
もっとも、このアルバムでは別にピアニストを立てているから、自分のピアノがやや弱いことは本人も自覚しているのだろう。
その「ゴースト・ピアニスト」のタッチが強烈で、レンジ・ローバーの車載スピーカーをビビらせた事がある。

英国の車産業はほぼ絶滅したが、それは無理もなかった。
英国車は壊れてどうしようもなかった。
それは故無き事ではない。作りがいいかげんなのだ。
レンジ・ローバーのカタログによれば、そのオーディオは「息を呑むような音」がすることになっている。
だが、どこか音がおかしかった。
原因不明のまま数年が経ち、訳あってオーディオを入れ替えた時に驚きの事実が見つかった。
左フロントのスコーカー(中音用ユニット)が結線されていなかったのだ。
ユニットは組付けられ、線もそばまで来ているが、結線はされず放置されていた。
それを発見したカーオーディオ専門の業者が結線し、音を出してみたところ、ユニットが不良で歪んだ音が出た。
レンジ・ローバーの組み立てラインでは、それが判明した時、スピーカー・ユニットを交換せず線を外して出荷したのだ。
どうせ分りゃしないと。

それがわかったので、同じ口径の少し上等なユニットに全部交換してもらった。
レンジ・ローバーは初めて「息を呑む」音を出した。
ところが、本作「ニューヨークの想い」のイントロのピアノで音が割れてしまったのである。
取り付けた業者によれば、マッチングが悪いので更に別の機種に変更するとの事だった。
やや意味不明だったが、まあ仕方なかろう。
機種は変更され、当然音のニュアンスも変わった。
そんなほろ苦い思い出が、「ニューヨークの想い」に込められている。















(103) AGINGという事

キスインザボトム
NO.103 2013.1.20



<AGINGという事>





あって当然だった一枚。
ポールが歌うスタンダード集。
ダイアナ・クラールがピアノで、エリック・クラプトンとジョン・ピザレリがギターで参加し、トミー・リピューマがプロデュースした。

できればロッド・スチュワートのように普通に歌ってほしかった。
そのようにやっている曲も実はある。
だが、多くのトラックでポールは口先だけの変な歌い方をした。
一度聴き通したときには、これが現在のポールなのかと思った。
そしてなんだか変に年寄り臭く聞こえた。
ブラインドで聴けば、誰だかわからないような歌声。
気を取り直し二度目に聴いたときに、それが故意になされたものだと気付いた。
よせば良かったものを。
マット・デニスやジミー・スコットばりに枯れた感じでやりたかったのか、ポール。

ポールは年相応の枯れた味を出そうとして出せなかった。
それはそうだろう。
何故なら彼はまだ枯れてなどいないからだ。
いつまでも若くありたいと、そのためにきっとポールは散々努力した筈だ。
ある意味努力が報われもした。
しかし今回だけはアンチエージングの努力が裏目に出た形だ。
隠し切れない年寄り臭さだけが声に滲み出た。
上手に年を取るのも楽ではない。
そして人間、都合の良い「いいとこ取り」はなかなかうまくはいかないらしい。
結局私はスタンダードではなく、ポールの自作曲「マイ・バレンタイン」が一番気に入った。

前回お話ししたエージングCDが素晴らしく効いたのでご報告。
我が家ではピアノの音が妙に詰まったような不自然な鳴り方をしていたのだが、それが嘘のように良く鳴りだした。
メーカー推奨の10時間使用を終えたが、当然こうなると欲が出てくる。
20時間鳴らしたらもっと凄いことになりやしないか、と。
これは悩ましいことになったものだ。
こちらもやはり程ほどに、ということかな。











(105) 最初と最後

its time
NO.105 2013.2.9



<最初と最後>





マイケル・ブーブレが歌う Save the Last Dance For Me 。
「ラストダンスは私に」と越路吹雪が歌い、いじらしくも切ない女性の思いを込めた演歌調な楽曲のようだが、原曲の歌詞を見ればこれは男の歌だ。
ウッディ・アレン似のちょっと冴えない男が、何かの間違いで素敵な女性とカップルになったが、ダンスパーティーでは気後れしてしまうのか、たくさんの男から誘われる自分の彼女にこう言うのだ。
「あなたを狙うあの男と抱き合って踊っていいよ。君の手を握った男に微笑んでもいいんだよ。でも忘れないで、あなたを送っていくのは誰か、今夜誰の腕のなかで眠るのか。だからダーリン、ラストダンスは僕と」

これはこれで切ない。

ある男が女性に気持ちを告白された。
その男は女性にもてるので、その時三人の彼女がいたそうだ。
三人というのが微妙にリアルな線を突いている気がする。
四人ではどうもしんどい。
さて、男は正直に三人の女がいる事を話した。
すると女性は思い詰めた表情で言ったそうだ。
「四番目の彼女でいいんです・・・」

後日このモテ男が言うには、そう(四番目でいいと)は言ったが女というのは結局一番目でないと満足しないのだという。
だからすべての女に君しかいないと言うに限ると。
四番目の女とどうなったかは聞き逃したが、多分別れたのだろう。

男の側からすればどうか。
女は最後の女である事を望むと言うが、男は現在何番目かというよりも、最初の男でありたいという願望がどうもあるようだ。
その視点で言えば、ラストダンスを希望するというのは相当屈折している。
まあ、ダンスくらい別にどうって事ないと言えばその通りだが。
しかしながら、どんなに他の男が誘おうが断り、私が踊るのはあなただけ、
送ってもらうのも腕のなかで眠るのもあなただけですと、
そんな風に言う女性ならそれに越した事がないのも事実ではある。
最初であり且つ最後、ちょっと怖い気もするけれど。

昭和の男は不器用で狭量で面倒くさいが、それ故騙しやすいのが唯一救いなんだとか。










(106) THE REAL ELVIS

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NO.106 2013.2.17



<THE REAL ELVIS>





amazonではこの三枚組CDが送料込で540円。
私はこれを近くの実店舗にて980円で購入した。
440円損した訳だが、これがことのほか悔しい。
入手時はずい分得した気分だったのだが。
一方で44,000円の電源ケーブルを、鼻で笑うところのあるオーディオマニアの金銭感覚はどこかおかしい。
何れにせよ、CDの国際価格は相当やばい事になっているらしい。
国内盤3,000円とかはもう、はっきり言って法外、論外である。

さて、エルビスであるが、実はまともに聴くのは初めてと言っていい。
収録された120曲全てが1956年~1963年に録音されている。
これはジャズの黄金時代と完全にダブっているのだ。
バックのミュージシャンについてクレジットされていないので想像に過ぎないが、おそらく多くのジャズメンがこっそりアルバイトしているのだろう。
彼らはその時代の最強かつファーストコールのスタジオミュージシャンでもあった筈なのだから。
だから今回は敢えて番外編扱いとしなかった。

これを聴けばエルビス・プレスリーという歌手が、伊達に有名だった訳ではない事が誰にも納得できるだろう。
ただ、私がエルビスに対して抱いていたイメージは「ロックンロールの帝王」といったものだったが、実際聴いてみれば少しハードなところもある普通のボーカルものである。
ロカビリーというのはそうしたものだったのだろう。
日本でも「ウエスタンカーニバル」と称して日劇あたりでやっていた音楽はこれに近いものだったのか。
確かにプレスリーにもウエスタン・ミュージックの匂いがする。
ジョン・レノンはプレスリーから多大な影響を受けたと語っていた。
だが、プレスリーとビートルズの間には連続性が感じられない。
プレスリーはただ与えられたものをソツなくこなしているに過ぎない。
その点でビートルズとは決定的に異なり、プレスリーはジャズを駆逐する天敵とはなり得なかった。
だからジャズの黄金時代に、別のスタジオで静かにこんな事が起きていたのだ。











(108) ANGEL EYES

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2013.3.20 NO.108



<ANGEL EYES>





イーデン・アトウッド、美貌のジャズ・シンガー。
まさに彼女のためにあるようなタイトル「ANGEL EYES」である。
本作は2013年の2月に発表された「ジャズ批評誌ジャズオーディオ・ディスク大賞2012ボーカル部門」において、見事金賞に輝いた。
喉の腫瘍切除後の彼女の声は、初期のものとは別人といって良いものとなったが、私は今の声質の方がむしろ好きだ。
確かに本作は現在までの最高傑作だと思う。

イーデンは音程が確かだ。
こう書くとプロのシンガーであれば当然との声が聞こえてきそうだ。
だが、意外とそうでもない。
悲しい事に特に我が国では。
でもまあ、音程はとりあえず当然とするか。
イーデンは更に抜群のテクニックとブルース・フィーリングを備えている。
ジャズシンガーなら、本当はそれも当然なんだけど。
ともあれ、私は過去1年に購入した作品中ではベスト3に本作を入れるだろう。
愛聴盤となりそうな一枚であるのだが、強いて言えばジャケットだけはもう少し何とかして欲しかった感がある。
これでは彼女の美しさを表現できていないし、何やら恨めしや的な鬼気迫るものがあり過ぎる。

美人で歌が上手く、180センチというモデル並みの肢体に恵まれた彼女であるが、人生必ずしもすべてがうまくいった訳ではなかった。
結婚し妊娠を望んだが、なかなか子宝に恵まれなかった。
それは特に珍しい話でもない。
しかし、不妊治療を決意した彼女は医者から驚愕の事実を告げられる。
心身ともに完璧な女性である筈のイーデンの性別は、あろう事か「男」だったのだ。
それ故だろうか、夫婦はほどなく離婚したという。

イーデンの魂の叫びを聴け。










(131) アンソニー

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NO.131 2014.4.4


<アンソニー>


私がやっているこれはブログというものだ。
なんのためにこんな事をしているのか、と時々思うが、人は発表の場が欲しい生き物なのだろうといったところで思考停止して、それ以上は考えないようにしている。
考えるとばかばかしくなって来るからだ。
多くの方がブログをやっておられるが、中にはビデオブログというものがあるのをご存知か?
私は知らなかったし、真似できるものでもないと思った。
とてもそんな根性はない。
私の自己顕示欲はその程度の生煮えだ。

先日YOUTUBEなるものを見る機会があり、そうすると「あなたへのおすすめ」を機械が提示してくる。
私の好みは恐ろしい事に、パソコンによって把握されているらしい。
どれどれ。
そうした経緯で遭遇したのが本日の「アンソニー」だ。
またオーディオマニアめ、「アンソニーギャロ」のスピーカーの話題か?
そのように考えたあなたも相当のオーディオマニアであるが、今回は違う。
アンソニーさん(多分日本人男性、40歳?)によるYOUTUBEビデオブログなのである。
世界中に向けて堂々と素顔を晒し語っておられる。
大したものだ。立派な覚悟ではないか。
主に音楽関係の話題なのだが、40歳でアナログ(LPレコード)を始めましたシリーズなどとても面白い。
この世代になるとDJなどの例外を除き、レコードというモノに触ったことすらないようだ。
アンソニーさんは立派なオーディオマニアで、50年代60年代のジャズにも興味をお持ちのようなので、そうすると勢いアナログレコードの情報に触れる機会もあったのだろう。
とても好奇心旺盛な方だから、きっとスルー出来なかったのに違いない。
彼は決心し、ヤフオクでマイクロのレコードプレーヤーを手に入れると、経験ゼロの状態から恐るおそるそれを立ち上げていく。
その過程を逐一ビデオ撮影してある。

アンソニーさんは大阪在住で、多分ネイティブだと思われる。
最初はそれに全く気付かなかった。
というのも彼の日本語が、完璧な標準語を基本として話されるからだ。
私も昔関西に住んでいたことがあるが、
当時標準語を上手に操る関西在住のネイティブはほぼ皆無だった。
東京にならいたのである。
スキルス胃がんの無理筋な手術で亡くなったアナウンサーの逸見政孝さんなどまさにそうだ。
東京に出て関西弁を使い続けるのはお笑い芸人だけだ。
そんな芸人も含め、地元に残り続けたネイティブは東京進出組の事をけして好ましく思っていなかった。
彼らは自分の出自に拘りとともに強いプライドを有していたからだ。
恐らくそんな彼らには、関西弁以外の言葉を話す自分を許すことが出来なかったと思う。
今はもうそんな時代でもない。
仲間うちでの会話はともかく、標準語で普通に会話出来る関西人は珍しくない。
それはともかく、繰り返しになるがアンソニーさんのビデオブログ、とても面白いので一度是非ご覧頂きたい。

他にもヤフオクで落札したレコードの紹介や購入したCDの紹介、コンサートの感想といったシリーズがあり、そういった中に出てきたのが本作の「RIHWA」だった。
リファと読むようだ。
札幌出身の在日韓国人四世であるという。
札幌で音楽活動していたが、東京進出しCDデビューした。
1989年生まれというから24歳か。
私の息子と同級だ。
だから買ってみようと思った。
ちょっと可愛いお顔だし・・・



・・・人に音楽を勧めるのは難しい。








(132) 美人過ぎるジャズシンガー

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NO.132 2014.4.13


<美人過ぎるジャズシンガー>


青紀ひかりさんのセカンドアルバム
「Charlotte Street」である。
本作購入はアンソニー氏の推薦によるものだ。
「ニューヨークの溜息」と言われたヘレン・メリルばりの歌唱力であり、録音そのものが素晴らしく良いとのふれ込みだった。
そう言われれば私は買う。
それで実際どうだったかと言えば、歌唱力・録音とも普通、というのが私の感想である。
もちろん一定のレベルには達している。
だからアンソニー氏に不満を述べる気はない。
こうして「数打つ」ことでしか「当たり」に遭遇しない事を、既に私は学習済みだからだ。
一方で青紀ひかりさん、美人シンガーであることに異論はない。
なかなかいないのである。
(抜群の)歌唱力も伴った美人シンガーというものは。
歌の上手いブスならいくらでもいる。
歌が下手な美人も。
もし彼女がブスだったらCDデビュー出来たかどうか、それはわからないが、ジャズボーカルはインスト以上にショービジネスの世界だ。

「たかじんNOマネー」で言っていた話だが、美人過ぎる〇〇という言い方が最近流行りだ。
美人過ぎる市議とか、美人過ぎる検事総長とかのあれだ。
美人過ぎる女優や美人過ぎるCAはない。
普通だからだ。
つまり美人過ぎる〇〇の〇〇は、普通めったに美人がいない世界の話になる。
美人過ぎる女医、美人過ぎる柔道家。
そうした言い方が許されるか、と言うのである。
おまけに大方の場合、続けて(××歳)と来る。
これは欧米ではあり得ないという。
履歴書に年齢を書くことはなく、面接で問うことも出来ないのだとか。

そうした意味で世界的に見てどうも普通ではなかったのが、例の美人過ぎるリケジョ騒動であるようだ。
この件については言うまでもなく、何の話をしてるのやら私には理解できない。
理解できないなりにかろうじてわかるのは、ポイントは二つ、一つは論文(博士論文とスタップ論文)に不正やねつ造があるかであり、そしてもう一つがスタップ細胞なるものが実際存在するのか、ということだろうと思う。
こんな時代だからちょっと検索すれば色々出てくる。
むしろ色々過ぎて更に訳がわからなくもなるが、そんな中で武田邦彦氏の話はストンと腑に落ちた。
氏が言うには、判例的にも科学論文には著作権などないのだとか。
なんとなれば、科学論文というものは科学的事実のみを書いてある筈のものだから、というのだ。
たとえば「昨日名古屋に雨が降った」という記述に著作権などない。
だれが書いても内容は同一である、というのである。
特に論文の前半部分は大体において、それまで既に明らかにされているその分野の既成事実を一応まとめて提示しているに過ぎないものであるから、そんなものにオリジナリティを発揮していては研究がさっぱり先に進まない。
だから引用オーケーだし、出展を明らかにする必要もない。
特に博士論文においては、全責任は指導教授にあるのであり学生にはない。
論文が通ったか通らないか、それが全てであるという。
そして他の論文のコピペを悪とするのは、日本独特の「ムラのローカルルール」に過ぎないとしている。
武田氏自身が研究者であり、多くの論文を書いている。
昔は他(外国)の論文を引用する場合、一々許可を願い出ていたらしい。
しかし今ではそんなことは止めたという。
ほとんど返事が返ってこないからだ。
許可を求められた側が、どこから引用してきたのかわからなくなっているからではないか、との事だ。

スタップ論文の不正・ねつ造疑惑についても語っておられる。
研究者というのは昔、そのほとんどが金持ちのボンボンだったらしい。
家が金持ちだから、金を稼ぐ必要はなく、身の回りの世話は婆やがやってくれる。
つまり自分は研究だけしていればよく、論文をスミからスミまで完璧に仕上げる余裕があった。
「ムラのローカルルール」はそのような環境下で形成され、現在まで残ったものだ。
そうした結果、日本では論文の内容以前に形式の完璧さが求められるのだという。
だから日本人の論文が英語で書かれ、欧米で発表されるようになった。
日本語で発表しようとすると、内容以前の下らない事で通らないからだ。

そもそもこの件で批判を展開している学者連中は、まともな研究をしたことがあるのか?とも言っておられる。
氏曰く、研究には「暗闇研究」と「月明かり研究」と「昼間研究」があるという。
そして日本で行われる研究のほとんどは「昼間研究」であるという。
「昼間研究」とは欧米の誰かが行って発見した「暗闇研究」を更に掘り下げて発展させるというものだ。
翻って「スタップ」は紛れもなく暗闇研究であり、それを行う者は正しく手さぐり状態で進んで来た。
先がどうなっているものやら、まったくと言っていいほどわからない。
どれほど時間をかけても、結局成果は全く上がらないかもしれない。
そのような研究を続け、とうとう人類の未来を変えるかもしれない結論に達した。
その論文に添付した画像が多少ゴタゴタしたからと言って、それを葬ってどうする気だと言う武田氏の意見に私は耳をかす。

長くなったが最後に、スタップ細胞があるのかないのか、この点について武田氏の見解はこうだ。
理研は科学研究の成果を金に換えようとする組織である。
その理研がスタップ細胞については論文発表前、すでに特許を申請している。
ここが重大なポイントである。
論文が間違いなら取り下げも可能だ。
だが申請された特許が認められた時、第三者がそれを事業化する事が十分考えられる。
万一その特許に瑕疵があったなら、つまりスタップ理論に間違いがあった場合、生じる経済的損害は全て理研にツケが回ってくることになる。
当然理研は万全の態勢で検証実験を行った上で、スタップ理論の特許を出願した筈である。

私はもっともな意見だと思った。
仮に研究室がどれほどの乱倫状態であったとしても、科学的な事実には断じて一つも影響しない。
それに彼女は、私の可愛い娘とほとんど歳が違わないのである。
オボちゃんがんばれ。
大事な研究を盗まれてはダメだ。
おじさんも及ばずながら、且つ陰ながら応援しています。









(135) Female Jazz の艶でわかった事

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NO.135 2014.4.23


<Female Jazz の艶でわかった事>  



本作はジャズボーカルのオムニバス物である。
実はこれもアンソニー氏絡み。
氏がEtta Cameronという女性ボーカルを紹介しているのを見て、ちょっと聴いてみるかと思ったのであるが、どうも少し不安だったのだ。
ちょっと学習したというか、彼のビデオブログは大変おもしろいのだが、好みが少し私とは異なるのではないか、そんな気がしてきた。
そこでオムニバスに逃げたという訳だ。
夜の大人必携の艶ジャズコンピだそうで、シリーズ三部作になっている。
VOL.1にEtta Cameronが2曲入っている。
ついでだからと全部買った。
大人必携の大人買いだ。
大人買いと言っても私くらいの歳になると、段々お金の遣い道が限定されてくる。
服など買っても仕方がないし、腕時計は既に四つもあるし、読む本は限られてくるし等々でどうしても消費縮小傾向となる。
アンプなんかはもうおなか一杯。
そうなると、買い物と言ってもCDとワインくらいしかないのである。

アマゾンからCDが届けられた。
実に便利な時代だ。
もう実店舗でのCD販売には相当無理がある。
前回報告した静電気事件で針をダメにしたので、昔よく行ったオーディオ店に出向いたのだが、5年ぶりに行ってみて驚いた。
7階建ての都心部自社ビル(多分)の1階路面店がCD売り場になっていた。
かつては白物家電を並べていたのだが、量販店とは勝負にならないので白物をやめてCDを置いたのだという。
あんな地価の高い場所の路面店でCDを売って合う訳はないのである。
では肝心のオーディオフロアーがどうだったかと言えば、一人の客もいなかった。
店員が一人、手持無沙汰な様子でレジに座っているだけだった。

アマゾンに注文した三枚のCDであるが、二回に分けて送られて来た。
準備が整った物から先に発送するのだという。
もちろん客を待たせないためで、送料はかかっていない。
勝負にならないのは白物家電だけではないだろう。
何はともあれ開封にかかる。
ジャケットはどれもこんな感じ。
開けてみると実はこれ、輸入盤にシールを張り付けただけのもので、日本語ライナーも何も入っていない。
これで2100円はないでしょう。
スーパーのワゴンセールで980円、といった体裁のものだ。
ジャケ写にやられたな。
ジャケット代が1120円。
Etta Cameronはどうだったかと言うと、まあまあだった。
Summer Timeなどかなり良い。
そこでわかったのだが、アンソニー氏は黒っぽいモノがお好きなのだ。
そしてこの歳になってやっとわかったのである。
私は黒っぽいのはあまり好きではないらしい。

なんだ、そうだったんですね・・・










(144) 老兵

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NO.144 2014.5.26


<老兵>



ロッド・スチュワートと言えばギラついたロック歌手のイメージだが、本人が本当に歌いたかったのは本作のようなスタンダードであったという意外過ぎる話。
レコード会社がオーケーしないので、アルバムを出す事もかなわなかったという。
その頃既に昔日の勢いなく、会社としてはそんなものは売れないとの判断であった。
そこでロッドが自費製作したのがこのシリーズの始まりだった。
彼が丁度私くらいの年齢の時である。
実に大したものなのだ。
「老兵」とは彼ではない。
ロッドが本作でもう一勝負に打って出たのと同じくらいの歳で、大分まいっている私のことだ。

テニスの団体戦があった。
その大会で私のチームは6戦して6敗した。
相当へこんでいる。
テニスを始めて30年以上。
色々あったがそれなりに頑張ってきた。
しかしながら、そもそもがハードな競技である。
正直言って、随分前から内心不安はあったのだ。
それを振り払い今日まで来たが、若者が打つスピンの効いた速球に、私は手も足も出なかった。
目の前に 身も蓋もない現実ってヤツを突き付けられた格好だ。
最早これまでか、とさすがに下を向いた。

ロッド・スチュワートは還暦間近で、スタンダードという新境地を見事開拓した。
私にそうした活路を見い出す事が出来るだろうか。
それとも静かに退場するのみか。
答えはまだ、少しも見えて来ない。








(167) やがて秋が来たなら

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NO.167 2014.7.29



<やがて秋が来たなら>



毎日暑い。
これから二、三週間が本格的な夏本番だ。
皆さん、夏休みの計画も立てておられることでしょう。
私はこの夏、京都へ行ってみようと思っている。
京都の夏は強烈に暑い。
年をとってから行ける所ではない。
今行かずにいついくのだ、という気分で行く。

進んでいくのは人生だけではない。
季節も確実に進んでいる。
次第に夜明けが遅くなってきた。
夏至の頃の勢い既になく、三時台は今ではまだ真っ暗だ。
そして気付いた時には、いつの間にか秋風が吹き始めているだろう。
これが寂しくてかなわない。
輝きというものはたいてい、一瞬の出来事で長くは続かないものだ。
人生は一度きりだが、四季の移ろいなら毎年のことだから、7月も末になれば私は覚悟する。
スタッドレスタイヤや除雪機のCMが流れ始めるのも、そう遠い話ではない。

秋にジャズを聴くならボーカルがいい。
インストは寂しすぎるからだ。
できれば味があって、そのうえ音程のいい人を聴きたいものだ。
メロディ・ガルドー、ダイアナ・クラール、ソフィー・ミルマン、様々思い浮かぶ中、日本人で圧倒的に上手いのが美空ひばりだ。
実は彼女、結構ジャズを残している。
本作収録の「L・O・V・E」は、トップバリューのCMで流れているから聴いたことがあると思う。
油断しているとひばり節というか、コブシにやられる。
歌詞に日本語を多用し、ちょっとした居心地の悪さもなくはないが、シリアス過ぎずそこがいい。
秋が来たら、少しセンチメンタルな気分になりかけたら、彼女のジャズを聴いてみて下さい。
抜けるように高い秋空、美空ひばり、ウムきっと悪くない。

その前に間もなく、娘の誕生日がやってくる。
私の娘が今年30歳になる。
驚くべきことだが当たり前のことなんだ。
だがしかし、やはり驚く。
あの可愛かった娘がある日反抗的になり、冷たくなり、父は一人涙した。
それは成長の証しとはいえ、なかなか辛いことだった。
彼女は彼女で色々あったことだろう。
それはそうだ、人生だものな。
そんな娘が最近では父に優しい。
やっと大人同士のつきあいが出来るようになった、ということだろうか。
昔のように「パパ」とは、もう呼んでくれないけれど。










(168) 心当たりは特にない

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NO.168 2014.7.31



<心当たりは特にない>



なんかダルくないですか。
まだ夕方5時前だというのに、私は目を開けていられないほどダルい。
別に眠いのではない。
ただただダルいのだ。

先日耳鼻科へ行く機会があって、ついでに血液検査を依頼した。
私は中性脂肪値が上がりやすく、油断していると1000とかのびっくり数値が出る。
それで知人の医者に薬を飲まされていたが、どうもあまり感心しない薬らしいのでやめた。
その代わりに今は、炭水化物を食さない方向でカロリー制限している。
これは非常に効果があり、瞬く間に正常値となった。
今回は通常の血液検査に加えて、肝炎ウィルスの検査もやってもらった。
そうした血液検査を町の耳鼻科で頼む人はあまりいないと見えて、医師も看護婦さんも戸惑っておられた。
もしかすると採血なんか10年ぶりで、痛い目にあわされるかもしれないと、こちらも緊張した。
「ではちょっとチクッとしますよ」と言う看護婦さんの作業から目をそらし私はあらぬ方向を向いていたが幸い、特別痛いということはなかった。

2日ほどしたら検査結果が送られてきた。
中性脂肪は80程度。
他も特に問題はない。
ただ、追加で頼んだ肝炎ウィルスの判定がいったいどうなっているのか、素人が見ても判るようなものではない。
判定だから○×△とか、アウトないしセーフとか書いてあれば親切というものだが、なんだかよく判らない。
仕方がないのでそのクリニックに電話で問い合せた。
「あなたが送れというから送ったのよ」と女医さん。
確かに検査結果を送ってくれるように依頼したのである。
でも、ナマのデータを送られてもちょっと困る。
「ええ、そうなんですが、見ても判らなかったもんで」
そうでしょうそうでしょう、と女医さんは電話口で説明を始めた。
「コレステロールがどうのこうので、脂っこいものはどうのこうの・・・・」
いや、それはいいんですけど。
私が聞きたいのは肝炎ウィルスに感染しているかどうかなんですよ。
だが、黙って聞く。
長々とあれこれ説明した女医さん、最後にきて「そうそう、肝炎ウィルスは陰性の結果です。ではお大事に」
どこも悪くない、何一つ悪くない人にも一応「お大事に」と彼らは言う。
決まり文句。
まあ、何事につけ、つまりはジャズにも無くはないのだが。
何はともあれ私は、肝炎ウィルスにはどうやら感染していないらしい。
だからこのダルさはまた別の理由によるものだ。
だいたい肝炎になったら身体がダルいかどうか、それすら知らないのだから。

ノラ・ジョーンズの音楽を聴いて益々ダルくなる。
ダルいが、彼女の歌声には独特の味がある。
余人をもって代え難し。
ワン・アンド・オンリーの典型だ。
本作は彼女のデビュー・アルバムだが、セカンドもなかなかだ。
なかなか、という微妙なニュアンスをお分かり頂きたい。
絶賛するというのではないが、さりとてダメ盤ではない。
特にこの独特のダルさはむしろ夏向きかもしれない。
ギトギト暑苦しい日に、熱帯ジャズ楽団なんか聴いていられないだろう。

夏のBGMにノラ・ジョーンズは悪くない。
ただし、このジャケ写真はだいぶ割引して考えて下さい。
実物はこんなにいい女ではござらぬ。
ところでもう有名な話だが、彼女はシタール奏者のラビ・シャンカールの娘だ。
ジョージ・ハリスンにシタールを手ほどきするラビの動画が、我が家にもたくさんある。
どうも時代的にピンと来ない。
つまりこの父娘が同時代の人に思えない。
ソレもその筈、ラビ・シャンカール59歳の時の娘なんだと。
ラビが私と同じくらいの時、ノラちゃん生まれたのだ。
恐れ入った。
私の娘は30歳になったが、私はかろうじてまだ還暦前だ。
ノラちゃん30歳の時その父は89歳。
だが、立派に生きていた。
まことに恐れ入る。
ノラ・ジョーンズは現在35歳だ。
ラビ・シャンカールの方は残念ながら2年前、92歳で亡くなった。
人それぞれ。
いろんな父娘がある。
だから先日離婚して、もう一生一人でいるとか言っているあなた。
なんの、まだまだだって。
君の人生にはまだまだ先がある。
大丈夫、きっとうまくいくさ。










(182) 夏から秋へ

タイレル
NO.182 2014.9.2



<夏から秋へ> 




今、北国は東京よりも暑い。
本日も夏日となり、30度に届きそうな勢いだ。
ではあるが、気分は深く静かに潜行している。
ならば、いっそ季節感などない方がいいと、我が家に響き渡るスティーヴ・タイレルのダミ声。
クリスマス・アルバムが、ほんの少しだけ気分を盛り上げる。
家人から苦情が寄せられるけれど。

スティーヴ・タイレルは、相当いい歳(50過ぎ?)になって、やっとジャズシンガーとしてCDデビューした苦労人だ。
スティーヴン・タイラーと混同しないよう注意が必要である。
スティーヴン・タイラーはエアロスミスのボーカルだ。
話はそれるが、女優のリヴ・タイラー(アルマゲドンのヒロイン)は彼(スティーヴンの方)の娘で、成長するまでそのことを知らず、あのトッド・ラングレンの娘として育ったという。
彼女のフルネームは、リヴ・ラングレン・タイラーである。
人には人の人生があるものだ。

閑話休題。
スティーヴ・タイレルである。
なんか見たことのある顔だ。
芸人さんにこんな顔いなかった?
やっと思い出したのである。
FUJIWARAの原西孝幸氏。
思い出してみれば、そんなには似ていなかった。
よくある事だ。

スティーヴ・タイレルの価値はその声にある。
好悪の分かれるところだが、私は非常に好む。
ロッド・スチュワートとの近似性を言う人もいるが、それならむしろドクター・ジョンの方が近いように思う。
しかし、本質的に二者とは異なるものがある。
夏から秋への不思議な旅は、夏から秋への能登半島。
スティーヴ・タイレルの歌声も、どこか演歌調だ。











(189) カナダからの手紙

sophie.jpg
NO.189 2014.9.15



<カナダからの手紙>




現在カナダ出身の売れっ子女性ジャズシンガーが複数存在する。
ダイアナ・クラールが超有名だ。
カナダの美空ひばり、ニッキ・ヤノフスキーが2010年のバンクーバー五輪で国歌を歌った時、彼女は16歳だった。
本作のソフィー・ミルマンはユダヤ系ロシア人で、ソ連崩壊にともないイスラエルを経てカナダへ移住した人。
まだ若いが苦労人だ。
だからと言う訳ではなかろうが、ダイアナ、ニッキのような無邪気さは微塵もない。
それが声に現れる。
歌手の好みは何より声だろう。
その人の声そのものが好きか嫌いか。
だから勝負は10秒以内に決まる。
嫌いな声の歌手を積極的に聴くことは二度とない。

本作はソフィーのデビュー作である。
手元にあるのは輸入盤で、ライナスというインディーズものだ。
これを聴いた時は「やった」と思った。
私は試聴して購入することがなく、結果としてハズレの山を築く。
当たりは一割有るか無し。
だが本作ではのっけから当たりを自覚した。
アントニオ・カルロス・ジョビンの「おいしい水」で始まる。
素晴らしいスキャット、アドリブ、ジャズフィーリング。
ソフィーは歌が上手い。
音程が正確だ。
歌手なら当然のところ、必ずしもそうとは限らないのが世間の恐ろしさである。
気を付けたい。

一つ文句がある。
このジャケットはない。
もっといい写真があった筈だ。
これは写真写りが悪すぎる。
本当のソフィーはこんなアフガンハウンドのような顔ではない。

「カナダからの手紙」の話がしたい。
高校一年の時だった。
8才年上の女性がカナダへ語学留学し、バンクーバーから手紙が来た。
高校を休学してこちら(もちろんカナダ)へ来いとのお誘いだった。
私は悩んだ。
そりゃそうだろう、特別な関係があった人ではない。
しかし綺麗な女性ではあった。
いったい何事か。
だが愚かにも私は行こうと思った。
週刊誌のヌード写真に鼻血の年頃である。
結局母親が泣いて止めるので中止とはなった。
あの手紙はいったいなんだったのか。
あの時カナダへ行っていたら、私はその後どうなったのだろう。
きっとろくな事になった筈がない。
それとも・・・
いやいや、留学は駅前でたくさんなのである。








(204) THE PIANO HAS BEEN DRINKING(NOT ME)

tom waits
No.204 2014.10.2



<THE PIANO HAS BEEN DRINKING(NOT ME)>




実は初めて聴いたトム・ウェイツは本作ではなかった。
第三作「スモール・チェンジ」収録の「思いでのニューオリンズ」である。
それは新曲を紹介するFM番組だった。
この曲が出たのが1976年だから、およそ40年前ということになるだろう。
声とメロディに圧倒され、翌日にはレコード店へと走っていた。
だが、このレコードを買うかどうかだいぶ迷った。
ジャケットがなんか安っぽくて好きじゃなかったからだ。
結局これを買ったのは「思いでのニューオリンズ」をもう一度聴きたかったからだ。
当時はFM放送をかなり積極的にエアチェック(カセットテープに録音)していたが、不覚にもこの曲が流れた時私はデッキの録音ボタンを押していなかったのだ。
アパートに帰り全曲聴いての感想は、どうもわざとらしいというものだった。
レコードを通して聴かれるトムの歌声はダミ声以外の何物でもない。
その頃当然ながらインターネットなどというものはなく、得られる情報も限られたものとなる。
後日FM誌などで知ったトムは「酔いどれ詩人」などということになっており、酒とタバコで声が潰れたといった話だった。
後日の来日ステージでは、ウィスキーのグラス片手にややフラつく足取りで現れたという。
「スモール・チェンジ」には「ピアノが酔っちまった」などという曲も入っている。
酔ったのはピアノであってオレじゃない、といったものだ。
ふーん、そうなの。
なんかシャラ臭いけど、まあいいや。

「思いでのニューオリンズ」が気に入った私は次に、セカンドアルバム「土曜の夜」に手を出した。
このレコードもジャケットが安っぽい。
でも内容的にはタイトル曲はじめジャズっぽい仕上がりで、なかなかに良くできていた。
トムの声はまだ潰れていない。
こちらは1974年の録音だ。
わずか2年で別人のように声が潰れるほど飲んだのか?

そして私は遂に本作に到達する。
1973年のデビュー作である。
徐々にさかのぼって聴いたトム・ウェイツ。
私は結局本作が一番気に入り、何故かその後の彼に興味を失った。
現在もご健在のようだ。
日本人なら年金受給年齢になられる頃だ。
2、3年であんなに声が潰れるほど酒を飲み、それが続いたらどうなるだろう。
ドアーズのジム・モリソンの例を見ればわかる。
禁煙には成功したという事だが、トムはその後断酒でもしたのだろうか。
尚、本作収録の「OL'55」をイーグルスがカバーしてヒットした。








(208) ブロッサム ディアリー

blossam dearle
No.208 2014.10.7



<ブロッサム ディアリー>




ボーカルに求めるものはなんだろう。
人それぞれに色々あると思う。
当然インストものとは少し違ってもくる。
中には容姿が一番大事、という人だっているかもしれない。
異論なし、それはそれで好きにして頂いて結構である。

個人的にボーカルで最重要項目となるのは音程の確かさ。
そして歌が上手いことだ。
前にも言ったが、この当然である筈の項目に、他の事を重視した結果製作者側で目を瞑る時がある。
商業録音である以上、まず売れることが正義であるとの姿勢を簡単に否定出来るものではない。
内容はクズだが売れるタマ、音楽的に素晴らしいけれどビジュアルは商売にならないタマ、音楽的にもビジュアル的にも素晴らしいタマ、これらをほどよく、つまり製作側の商売が成り立つベストミックスで繰り出しているなら、私はこれを認めざるを得ない。
最低でも製作者が継続していける程度には売れる必要があるからだ。
出来るだけ自分だけは、クズを避けて通りたいとは思うけれど。
もちろん音楽的にもビジュアル的にも素晴らしいものだけ商品化するのが理想であるのは言うまでもないことだ。
そうした素材がゴロゴロいるなら世話はない。
まあしかし、なかなかそういう訳にもね。

私にとって次に大事なのは、これも前に書いたが声だ。
その声が好きか。
ナンボ音程が正確で歌が上手くても、声が嫌いならどうしようもない。
お引きとり頂くよりなくなる。
本作のブロッサム・ディアリーはどうか。
彼女、カマトトとかぶりっ子とか甚だしきはロリータとまで言われる。
中には好きだがスピーカーから大音量で聴くのは憚られるという御仁までおられる。
ではどのようにして聴くのか。
夜更けにこっそりヘッドホンで聴くそうだ。
何もそこまですることはあるまいに。

私はブロッサム・ディアリーの歌声が好きだ。
そしてスピーカーから大音量で流れても、何ら問題ない。
スコットランド人の父とノルウェイ人の母の間に生まれた彼女、特別美人でもないしブスでもない。
いたって普通、どこにでもいる普通の白人女性である。
歌も上手いがピアノも弾く。
強いて言えば少し声量が足りないか。
でも、逆にそれが彼女の魅力になっているとも言える。
ばかみたいに声をはりあげて熱唱しない。
あくまでも優しく、囁くように彼女は歌う。

彼女はパリ時代に、ボビー・ジャスパー(fl,ts)と結婚していた事もある。
30代半ばでその結婚生活は破綻したようだ。
その後の男運については知らない。
だが、どうも女友達と共同生活していたらしい、との話もある。
パリでノーマン・グランツの目にとまり、1956年バーブレーベルからデビューしたのが本作である。
ハーブ・エリス(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー(ds)らがバックアップしているが、ピアノは彼女自身である。

2009年に84歳で亡くなった。
残した作品はあまり多くない。
尚、ブロッサム(花)は本名である。
晩年まで可愛らしい女性であったという。








(211) 一世一代

jazzcover2.jpg
No.211 2014.10.10



<一世一代>




何故か姉妹で苗字が微妙に違う、森田葉月&森川七月のデビュー盤である。
芸名であるから(本名 姉:美佳、妹:三七子)意図的なものだ。
理由はわからない。
本作が2006年メジャーレーベルのGIZAから発売された時、二人は25歳と20歳の若さだった。
なのにジャズのスタンダードを歌いメジャーデビューか。
これには想像通りの生い立ちが語られている。
幼い頃から、家で両親が掛けるジャズを聴いて育った、というのである。
もっとも二人はジャズだけを歌っていたわけではない。
七月は15の頃からPUPUPIDOというコーラスグループで、大阪のライブハウスに出ていた。
その時のレパートリーにはジャズやロックやR&Bもあったが、「なごり雪」だとか「君をのせて(天空の城ラピュタ)」なども歌っていたと、インタビューで語っている。
要するに気に入った楽曲を片っ端から歌ったのであろう。
そんなこともあってか、彼女らの音楽は「カジュアルなジャズボーカル」とされた。
それまでの堅苦しいジャズボーカルと一線を画す。
そのように言うのはレコード会社である。
私はどのようなジャズボーカルを聴いても、堅苦しく感じた事など未だかつて一度もないのだが。

本作はライブ盤である。
とはいえ、一度の公演を網羅したものではなく、複数のライブからの抜粋である。
エンジニアが良い仕事をした。
ツギハギ感がまったくない。
そして音に統一性があるのだ。
更に録音そのものが非常に良い。
私は本作をして、あらゆるジャンルを含むライブ録音の、トップ10に入れても良いと思っているくらいだ。

ジャズボーカルというと、一般的なイメージとしてはちょっと陰のある妙齢の女性が、様々な人生経験を歌に託して表現するといった感じになる。
20歳そこそこのおねーさんにはちと荷が重いよと。
そこら辺のニュアンスを恐れ「堅苦しくない、カジュアルな」ジャズボーカルであるとしたかったのだろう、レコード会社は。
確かに彼女らの歌声は若々しく透明感があり、これはこれで十分魅力的だ。
自分もこのライブ会場に居合わせたかったとすら思わせる訴求力がある。
本作では姉の葉月と妹七月が交互にリードボーカルを取る。
ところが葉月がソロで歌うのに対し、七月のソロは一曲のみで、それ以外は姉がコーラスを付けている。
この時点での力関係がそういう事だったのだろう。

翌2007年、森田葉月はソロ名義でアルバムを出した。
「for the next generation」と題されたソロアルバム、今度はスタジオ録音であった。
これは彼女にとって卍盤であった筈だ。
普通、ライブ盤でデビューというのは珍しい。
ライブはごまかしが効かない筈だからだ。
そのデビューライブである程度の評価を得、満を持してのスタジオ録音であった。
ただ、ソロといっても妹の七月がコーラスで参加しており、実際の構成は前作と大差ないが、より緻密な作り込みが可能なスタジオで、前作を上回る作品が生まれる筈であった。
少なくとも私はそのように思い、次作を聴いたのだ。
しかし実際は、アルバムの出来として随分な差がついてしまっていた。

前作ライブのほんわかしたホールトーンが乗った声でなく、オンマイクでシビアに拾われた葉月の声。
無論下手ではない。
学園祭レベルよりは上だ。
それは間違いない。
でもそこまで。
この程度ならクラブ歌手やライブハウスに腐る程いる。
これが前作と同じ歌手の作品か?
そもそも音が悪い。
こもったような魅力のない声だ。
前作の初々しい透明感もどこかへ行ってしまった。
恐らくはこれが彼女の真の姿、実力なんだろう。
ライブ盤ではそれが、ホールトーンに誤魔化されて違うものに聞こえたのだ。
色の白いは七難隠す、と言うではないか。
音の良いのも同様ということだ。

それから間もなくのこと森田葉月はGIZAを離れ、「つぐめ」と名を変えた。
何があったか知らない。
だが、間違いなく何かがあったのだ。
「つぐめ」とは次女の古い言い方で、母親は彼女をそう名付けようとしたのだそうだ。
結局周囲に反対され「美佳」となったが、彼女らは最低でも三姉妹なのだろう。
今「つぐめ」は33歳になった。
妹の七月は29歳でGIZAに残っている。
それぞれに音楽活動を続けているようだ。
奇跡のライブ盤が二人にとって一世一代の名盤となってしまうのか。
わからない。
私は「for the next generation」以降の二人をフォローしていないからだ。
一発屋は世の中に沢山おり、それはジャズの世界とて例外ではない。
だが彼女らがジャズを歌い続け、私がジャズを聴き続け、いつか経験と年月が二人を本物のジャズシンガーに育て上げる日が来るかもしれない。
その歌声はきっとまた私の耳にも届くだろう。












(213) 小林 桂

keikobayashi.jpg
No.213 2014.10.12



<小林 桂>




私が知らないだけかもしれないが、近頃あまり話題にならないのではないか。
ホームページを拝見したところ、今年新譜CDは出ておらず、ライブも月一回がやっとのようだ。
数えてみたら手元にCDが5枚ある。
しかし私自身は、2002年の本作を最後に買っていない。
あまりにもワンパターン過ぎたと思う。
力があればワンパターンで押し通す事も可能だ。
「力」とはフランク・シナトラほどの実力だ。
だがけしてそうではない。
それほどの力はなかった。
だから飽きられてしまったのではないか。

昔は一定規模の街に必ずナイトクラブの類があり、ある程度名の売れた歌手なら最低限そうした稼ぎ場があった。
地周りのやくざが仕切っていた。
親分の顔をたてながら、全国を巡業していれば、それでなんとか喰えたのだ。
今はそれも激減している。
副業でもない限り失礼ながら、これでは暮らし向きも楽ではあるまい。

今アマチュアのボーカルが流行りだそうだ。
ライブハウスでコンサートのようなことをやり、客は殆ど全員家族友人などの関係者で埋められ、店側も大喜びなんだとか。
ピアノやサックスでは尻込みしてしまう人も、歌ならいける場合がある。
それでなければ、街にあれほど多くのカラオケ店がある訳がないのだ。
カラオケで腕を磨いたら次は、本格的な発表の場を持ちたくなる。
あるいは自費制作のCDを作りたくなる。
私はならないが、そういう人もいるだろう、きっと。
そういう人にレッスンさせる、ボーカルスクールを作ったらどうだろう。
結構商売になるのではないか。
いや、実際既に彼はやっているかもしれない。

小林 桂は25歳までに10枚以上のCDを出す売れっ子だった。
あれから10年が経ち、彼も今年35か。
そろそろ若さで売るのもシンドい歳だ。
近影のこけた頬が少し気になった。
勢いで突っ走ってきたものの、少し知恵が付き(失礼)周りを冷静に観察するようになれば、将来が特別バラ色に見える筈もない。
本当の人生って、実はそこからスタートするんだけどね。

12年前に本作を聴いた時、私は嬉しくなった。
こんな日本人が出る日が来たのだなと。
録音も素晴らしかったから、本作をオーディオチェックに随分活用したものだ。
小林 桂はその後、有りがちな歌謡曲路線に目を向けなかった。
やればきっと売れた。
きっと多くの誘惑があった筈だ。
でもジャズシンガーのスタンスを崩すことを潔しとしなかった。
偉いと思う。
だがこれから彼が現状を変え、活路を開くには、思い切って暫くスタンダードから離れてはどうだろう。
理想は自作曲だが、こればかりは才能がなくてはどうしようもない。
やってみたら凄くいい曲が書けた、それなら素晴らしいけれども、そうそう旨い話もなかろう。
それが難しいときは、例えば自分の世代の他ジャンル曲をジャズ化するとか。
とにかくどうやったらCDが売れるかこっそり考えてみるといい。
何かあると思う。

私は応援します。
どうか買いたくなるCDを出してください。









(216) LOST

niki king
No.216 2014.10.19



<LOST>




CDの番号付け替え作業を行っている。
最初に作ったルールがいい加減なものだったせいで、その後に増えた盤を整理不能にしてしまったからだ。
そう言うといったいどれだけあるのかと思われそうだが、精々千と数百にすぎない。
たかだかその程度でも、何らかの整理をしなければ何がどこにあるのか分からなくなる。
ある本に出てくる御仁はなんと6万枚のCDを所有しているという。
こうなると本当にライブラリーだ。
中には廉価盤や輸入盤もあるだろうから、1枚平均2千円とすると総額が億の単位になる。
マジですか。

当方の作業、だいぶいい所まで来て、現在ボーカルの山に手をつけ出した。
ここまで何事もなく、順調に来た。
ところが掲載のCDが見当たらない。
そんな筈はないだろう。
比較的最近手に取った記憶がある。
ありそうな場所を全て捜索した。
だが出てこない。
そんなバカな。

こんな時貴方ならどうする。
まあいいや、ないものは仕方がない、と諦めて忘れることが出来るか。
私は出来ない性格なのです。
そうなると道は二つ。
一. 見つかるまで探す。
二. 買いなおす。
う~む・・・唸るところだ。
見つかるまで探すったって、あとどこを探しゃーいいんだ。
そんなに広い家でもあるまい。
しゃーない、買うしかないか。

私は普通にアホだが、どんなにアホでも間違ってCDを捨てるほどのアホではない。
それ以上となるとちょっとアレだが、そのくらいなら最低自信がある。
いつかわからないけれど、絶対どこからか出てくるに違いないのだ。
近い将来、私は本作を二枚所有する事になるだろう。
その時はどなたか一枚差し上げます。










(218) DEPARTURE BAY

the girl in the other room
No.218 2014.10.21




<DEPARTURE BAY>





1964年生まれのダイアナ・クラール、今年なんと50歳になった。
これでは私が歳を取るのも、甚だ尤もなのだ。
ジャズシンガーで一番売れたのは間違いなく彼女だろう。
一番は「THE LOOK OF LOVE」か。
売上げ140万枚だという。
ジャズ関係で聞いたことのない数字だ。
他にアルバムが10枚以上ある筈で、総売上はいったいどんな数字になるのやら。

数えてみれば私は、ベスト盤を除くほとんどのアルバムを持っていた。
好きで集めた覚えのないまま、いつの間にかこれだけ揃っていた。
それが単独アルバムの売上げ140万枚の理由かもしれない。
特別にファンである自覚を持たない者にも買わせる力というか。
特別ファンでも何でもないが、私が一番気に入っているのが本作「GIRL in the OTHER ROOM」だ。
これも売れた。

それまでスタンダードばかり歌っていた彼女が、突如オリジナル曲を作った。
そればかりか、ジョニ・ミッチェルの「BLACK CROW」やトム・ウェイツの「TEMPTATION」まで歌った。
彼女に何が?
2003年、エルビス・コステロと結婚したのだ。
本作は翌2004年の作品である。
夫の影響が大きかった言われている。

トミー・リピューマからプロデューサーをTボーン・バネットに変更した、最近の「GLAD RAG DOLL」なんかよりずっとこっちの方がいい。
だいたいあのジャケットはないでしょう。
あの時点で48歳の筈だ。
フンベツは働かなかったのか。
誰か止める者はなかったのか。
あの格好でステージに出てきたらどうするんだ。

それはないと思いたい。
それにしても本作でこれだけの作曲力を発揮しながら、後が続かないのは何故だろう。
自分の能力を客観的に評価出来ないのだろうか。
それなら分からないでもない。
灯台下暗しと言うが、自分の事は以外に見えないものだ。
我が国の俳優にもいるでしょう。
作曲?ギター?歌?まあ止めとけ、ってのが。
そういうのに比べたら、ダイアナ・クラールの仕事は素晴らしい。
特に本作収録の「DEPARTURE BAY」である。
これには参った。

歌お上手、作曲素晴らしい。
それにダイアナ・クラールはピアノも一流である。
その腕を買われ、当ブログNo.103にてポール・マッカートニーにピアニストとして雇われているのが彼女だ。
世の中には凄い女がいるものだ。
ただ、自分の事は見え難いとしても、歳相応という事もどうかお考え頂ければと思う次第です。

ところで、たった今ささやかな朗報が舞い込んで来た。
倅が教員採用試験にやっと合格したらしい。
これで私もいよいよ思い残す事がなくなって良かった。
人それぞれに、様々な「DEPARTURE BAY」がある。
人生、何時だって人それぞれだ。












(222) Blue Alert

madeleine.jpg
No.222 2014.10.30



<Blue Alert>




マデリン・ペルー「HALF THE PERFECT WORLD」。
本作3曲目の「Blue Alert」を探した、探した。
どこで聴いたか覚えておらず、歌手の名前も曲名もわからなかった。
独特の歌声とアレンジの断片が耳に残っているのみ。
そういえば、ブルーアラーとかなんとか言っていたような。
アンジャニ・トーマスというカナダ人女性にたどり着いた。
「ブルー・アラート」という曲をレナード・コーエンと共作している。
しかし、これは違った。
これをカバーしていたのが、マデリン・ペルーであったのだ。

とても魅力的な声の持ち主だ。
彼女はギターも弾き、どちらかと言えば、ど真ん中のジャズボーカルではない。
そうした所がシャンタル・チェンバーランドあたりと被る。
二人共多分カナダ人である。
あの国からいい女性ボーカルがどんどん出てくるのに、何か特別な理由でもあるのだろうか。


さて本日も我家のオーディオ機材を少し。
理由は特にない。
念のため自慢でもない。
そもそも自慢するほどの高額機器を所持しないので。




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左がスコットランドはリンのフォノイコライザー、LINTOである。
前にも書いたが、これがないとLPレコードが聴けない。
昔のアンプには内蔵されていた。
現在市販されるアンプにこの機能がないのである。
そこで別途必要になるという訳だ。
右奥はオルトフォンのMCカートリッジ用昇圧トランスである。
詳細は検索して頂きたい。
検索するとリンのLINTOに昇圧トランスが必要ないとお分かり頂ける。
そうなのだ。
この二つは寄り添うように存在しながら、お互いを必要としていない。
仮面夫婦のような状態にある。
昇圧トランスが密かに繋がっているのは、別の棚の別の機材だ。
うー・・・いいのか、それで。



an1.jpg


チチを上から覗いたような昇圧トランス、そんな彼女の愛人、ウエスギの真空管フォノイコライザーU・BROS-20である。
実はこれ、別のプレーヤーに付けたオルトフォンのカートリッジ、SPUシナジーを囲っている。
罪な男だ。
その話はいつかまた。










(233) SHE'S LEAVING HOME

gardot.jpg
No.233 2014.11.22



<SHE'S LEAVING HOME>




昔のジャズファンは辛辣な事を言っては素人を威圧したものだった。
そこに若干の諧謔が含まれていたことも否定しない。
でも、やはりその目線は相当上空からのものだった。
ストリングス入りを「ヒモつき」コンガ入りを「チャカポコ」と蔑んだ。
バイオリニストやパーカッション奏者の立場も考えてやったらどうだ。
ジャケットに女性の裸が写れば「エロジャケ」。
これは今でも言うし、私も少し抵抗がある。
娘にでも見られたら、父親の人格を疑われるのではないかと恐れるからだ。
女性ボーカルや女流ピアニストを好めば「婦人科」。
ならば私などは立派な婦人科だ。

本作の「婦人科」関連ボーカリスト、メロディ・ガルドーに関して語られる不可欠の話題をご存じだろう。
彼女がいつも手放す事がないサングラスである。
メロディ・ガルドーは現在29歳だ。
私の娘と殆ど同年代。
十年前、自転車で走行中彼女は事故に遭った。
赤信号を無視して突っ込んできた車に跳ね飛ばされ、死の淵を彷徨いながらもなんとか生還した。
しかしその後遺症のために視覚過敏となり、以来サングラスを離すことが出来なくなったという。
それ故なのだろうか、彼女が作る歌がどこか別の、苦悩に満ちた世界を私に覗かせるのは。

「My One And Only Thril」のThe Rainを聴いた。
その時私は全く無関係な情景を見ていた。
私は何故か「もののけ姫」のシーンを思い出していたのだ。
たたら場の頭エボシがこう言い放つ。
「賢しらに僅かな不運を見せびらかすな」
呪われたアシタカの右腕を指して。
バイオハザードを連想する、あの悍ましくも不気味な右腕が「僅かな不運」か。
苦界に身を売られた過去を持つ彼女にのみ許されるセリフだ。

メロディ・ガルドーもまた不運だった。
僅かとはとても言えないほどに。
だが、メロディ・ガルドーにとって、不運が大々的に語られた事が果たして本意だったろうか。
私は違う気がした。
レコード会社の方針に不本意ながら従ったと私は思う。
サングラスとは関係なく、まさに色眼鏡で見ることなく、彼女の音楽を聴いてほしかったのではないだろうか。
不運の公表とバーターでCDを売りたくない。
彼女の不運と音楽に何の関係もない。
そのことをメロディ・ガルドーは良く知っていたと思う。
だから彼女はそろそろ状況を変え埒を明けたかったのではないか。
第三作、これを聴いて私はホッとしたのである。
不運な事も確かにあったけれど、一人の若い女性としてそろそろ幸せになって良い頃だ。
そうした方向へ少し舵が切られたように私は感じた。
今すぐに全部は無理だとしても。


さて、大幅に話が変わる。
本日車を買い換えたのである。
今まであまり車の話をした事がない。
それは実際、特に私が車好きという事でもないからだ。
だが、買い換えによって近いうちに引き取られていく(ほとんどタダ同然だ)この車が私はとても好きだった。
だから我が家に18年も居つく事になった。

一緒に車のショーに行った友人に薦められてこの車を買った。
この人物はその頃、イタリアのバルケッタを買った。
オープンツーシーターの、それはそれはかっこいい車だった。
その後、左ハンドル且マニュアルのセニックを買い、最近になってカングーに乗り換えるという、なんともラテン系な男である。
日本のパンツェッタ・ジローラモ、北のちょいワルオヤジ。
今は見事にカングーが似合っている。

そんな彼に薦められたこの車、とにかく壊れまくった。
どこがって?そりゃーあなた、エンジンとミッションとボディ以外の全てと言っていいくらいだ。
壊れに壊れ、修理代が恐らくはこの車をもう一台買えるくらいかかったのではないか。
でも私は少しも不満を感じていない。
この車を買って良かった、そう思っている。
気品があり、哲学があり、そして何より佇まいが凛としていた。

徳大寺 有恒氏がこれのゴールドに乗っていらした。
この車が走り去っていく後姿が好きだと言っておられた。
我家では主に家人がこの車を使用して来たので、まさしく走り去る後姿を私は幾度となく見てきた。
いつも典雅で美しかった。
そして数ある外装色の中でも、とりわけ私は我家の色が好きだった。
この車にはこの色しかないだろうというくらいに。

殆どの期間をガレージ保管していたせいもあるだろう、今でも状態が非常にきれいだ。
そのせいかどうか分からない、多分違うような気がするが、18年経ってもひとつもみすぼらしくならなかった。
こんな車を私は他に知らない。

話したいことならいくらでもある。
だがもうよそう。
たくさんの思い出を乗せたまま、彼女はもうすぐ家を出ていくのだ。



レンジ








(245) あなたと夜と音楽と

agnieszka.jpg
No.245 2014.12.17



<あなたと夜と音楽と>




アグネスカ・スクシペク、ポーランドのジャズ歌手である。
少しハスキーで、とても魅力的な声の持ち主である彼女だが、ほとんど無名と言っていいだろう。
2001年の本作がデビュー盤であり、その後第二作が出たという話を聞いていない。
翌2002年ガッツプロダクションが輸入し、「女性ボーカル万歳」シリーズと銘打って発売した。

ガッツプロはピアノトリオにおいても万歳した、何でも万歳な会社だ。
私はガッツプロが出すCDを結構買ったが、ホームページを見ると2007年以降の情報が途絶えており、もしかしたら会社が万歳した可能性があると失礼ながら思っていた。
ところが現在も頑張っておられるようだ。
この会社、笠井隆さんという方が一人で運営されてきた。
それはきっと今も変わらないだろう。

本作のように良質でありながら日の当たらない作品、つまりマイナーであり恐らくは日本でも数が出そうもないCDを紹介し続ける姿勢に頭が下がるばかりだ。
好きでなければ出来ないし、好きなだけではけして出来まい。
熱意というか意地というか、まさにガッツが必要だ。
熱意と意地とガッツで儲からない商品を背負い、多くの山を越えて来たのだ。
私も商売をしているから分かる。
どんな商売も普通、手間もヒマもそれなりにかかるものだ。
それで結果儲からないというのは本当に疲れる。
だから当然、ガッツプロがやっているような商売に、手を出す人もあまりいない。
なんとなく好きではないけれど、インディーズとか言うのであったか。
そういえばこの分野で第一人者の澤野商会ですら、大阪は通天閣の足下新世界の片隅で下駄屋との兼業、というのが実情であった。

私が本作を好きなのは「あなたと夜と音楽と」が入っているからだ。
原題「You And The Night And The Music」そのまんまである。
30年代のミュージカルで使われた曲だというが、ネタ元については全然知らない。
スタンダードソングにはそういうものが少なくない。
つまりネタ元となった映画やミュージカルの方は完全に忘れ去られ、曲だけがスタンダードとして生き残ったというものだ。
この曲の楽想と、そしてタイトルそのものに何故か惹かれる。










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(255) 色彩のブルース

色彩のブルース
No.255 2015.1.10



<色彩のブルース>





昨日の夢 オレンジ色の翳り
今日の夢 沈黙の気配示す
アルコールの川をゆっくり渡る
長ぐつのリズム 心で酔いましょう

鉛の指から流れるメロディー
激しく染める光の渦
あかりの色が奏でるブルース
やさしく泣いてる吐息に 甘えさせて

目に浮かぶ 裏通りの風景画
ひしめきあうしゃがれた声の洪水
モノクロームの中に封じ込めた姿を
遠い約束 リズムでかわしましょう

吐きだす言葉に 熱いメロディー
切なくよみがえる デジャブの香り
心を溶かす 色彩のブルース
甘くささやいた吐息が 眠るまで






EGO-WRAPPIN'(エゴラッピン)、そして中納良恵さんが音楽業界でどういったポジションにあり、どれくらい人気があるものか実は知らない。
本作についても同様だが、まったく無名という事はおそらくあるまい。
賢明な日本の音楽ファンがこれを見逃す筈がないからだ。
だがamazonで検索すると、ミニアルバムの本作に数千円の値札が付いているから、現在廃盤となっている可能性が高いようだ。
そうしたものを聴いてと言うのもなんだか憚られるけれど、万一聴き逃しておられるならこれは絶対聴かずにはおけない作品だと思う。
クレジットされるのは4曲だが、「老いぼれ犬のセレナーデ」が隠しトラックとなった全5曲。
全て自作である。
中納良恵さんがどれくらい関わっているのか不明であるものの、少なくとも作詞は彼女の仕事だ。
「色彩のブルース」の歌詞を掲載した。
YouTube等で聴いた場合、何を言っているのか分からないかもしれないから。

中納良恵さんにスタンダードのアルバムを一枚出して欲しいと、以前ここで話したことがある。
それは故なきことではなく、ゴンチチの「Standards」の最後に彼女が歌った「テネシーワルツ」が収録されていて実に素晴らしく、全編これでお願いしたいと思ったからだ。
だがそんな思いが伝わる筈もなく、その後「中納良恵スタンダードを歌う」が出た気配はないけれど、あるいは私が知らないだけかもしれない。
もしも既にリリース済みで、それをご存じの方がおられたら是非教えてください。








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(266) Night or Day

h williams
No.266 2015.2.9



<Night or Day>





ウィリアムス浩子さん。
日本の女性ジャズシンガーで現在私的ナンバーワンが彼女だ。
故岩浪洋三氏が一押しされた。
岩浪さんの評論にいつも賛同したわけではなかった。
でも彼女については完全に同意する。

彼女はブログをマメに更新されるので情報を掴みやすい。
ライブ活動も精力的にこなしておられるが、残念ながら私はまだ生を聴いていない。
伊藤志宏氏(p)とのライブが多く、意外な気がした。
あの shima&shikouDUO の伊藤志宏氏である。
本人曰く「邪魔しないように弾いている」そうだ。

島裕介氏とも接点がある。
2008年のデビューアルバム「From The Musicals」において、「But Not For Me」に島さん得意のミュートトランペットでゲスト参加していた。
島氏を「君」伊藤氏を「ちゃん」付けで呼ぶ彼女は、おそらく現在アラフォー世代であろう。
写真でお見掛けする通りハーフとかではなく、純血の日本種ではないかと思われる。
夫君がウィリアムス氏、ということであるらしい。
彼女の英語の発音が美しい(かどうか英語を解さない者に本当のところは分からないが、少なくともそのように聞こえる)のはそういった事情によるのであろうか。

彼女の歌声がとても好きだ。
前にも言ったことだが、ボーカルは声が好きかどうかがすべてだと思う。
声が嫌いだったらもうどうしようもない。
まあ彼女の歌声が嫌いという人はそういないのではないかと思う。
しかし好みの問題である以上断定はしないでおく。
断定はしないがこういう事もある。
本作の次に私のハードディスクプレーヤーから聴こえてくるのが八代亜紀「夜のアルバム」だ。
清楚なウィリアムス浩子との激しいコントラストにひっくり返りそうになる。
何も八代亜紀さんが清楚にあらずと言っているわけではない(言っているに等しい?)。
因みに彼女、歴としたジャズシンガーで便宜上演歌歌手の看板を付けていたとお考え頂きたい。
「夜のアルバム」はなかなか素敵なジャズボーカルものに仕上がった。
ただウィリアムス浩子さんとはまるっきりの対極に位置するのも事実だ。
どちらがよりジャズっぽいかという事になると、多分様々に意見が分かれるのではないだろうか。



八代亜紀





ウィリアムス浩子さん、発音が美しく(聞こえ)歌声が素晴らしく(聞こえ)、その上彼女は歌が上手い。
音程が正確である。
CDを出しているプロの歌手なら当然だろうと思い勝ちだが、案外そうでもないという話も既にした。
ウィリアムス浩子さん(なぜ浩子ウィリアムスではないのだろう)は今時珍しいくらい私にとって完璧なプロのシンガーだ。
その上彼女のCDは音がいいと言われる。
なんだか褒め過ぎに思われるかもしれないけれど、どれも本当だからしょうがない。
事実、「オーディオアクセサリー」であるとか「月刊ステレオ」「無線と実験」といったややマニアックなオーディオ雑誌が、彼女のCDに注目している。

ただ、この音質について今、私は少し考え込んでいる事がある。
私が彼女の存在に気付いたのは、気紛れに買った「JAZZ VOCAL SHOWCASE vol.1」が最初だった。
日本の女性ジャズボーカルを集めたこのオムニバス盤の最後に、彼女が歌う「A Nightingale Sang in Barkley Square」が収録されていた。
他の方に因縁をつける気など毛頭ない。
しかし申し訳ないが彼女の前の8曲がすべて吹っ飛んだ。

本作のまたしても最後に「A Nightingale Sang in Barkley Square」が、それもボーナス・トラックとして収録されている。
しかしこのトラック、上記とはテイクが異なるのだ。
アラン・ブロードベントのピアノをバックに新たに録音された本作と上記。
どちらが好きか。
私は圧倒的に上記作だ。
それが「音質」なのである。
本作の彼女、なんだか銭湯で歌っているかのような不自然さがある。
リバーブ過剰というか籠っているというか。

ところがリスニングポイントを変えるとこれが改善される事に先日気付き、それでだいぶ考え込んでしまった。
私のリスニングポイントはスピーカーから4mほどの位置だ。
諸々の制約により、これを変更するのは非常に困難である。
この位置から後方約3mにパソコンを置く丸テーブルがある。
この場所で本作を聴くと、本作の音に不満を感じることがない。
リスニングポイントが音質に及ぼす影響が小さくないことくらい私も承知している。
しかし本作のようにシビアに変化するのは初めてのことだ。
そして変化するからと言って、リスニングポイントをそう簡単に変えられるものではない。
困っちゃったな。






jazzvocal showcase















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(267) But Not For Me

from the musicals
No.267 2015.2.12



<But Not For Me>





前回お話しした「JAZZ VOCAL SHOWCASE vol.1」収録「A Nightingale Sang in Barkley Square」の元ネタがこちら。
ウィリアムス浩子さんのデビュー作だ。
全5曲のミニアルバムである。
ライナーの類一切なく、「歌を聴いて、これがわたし」と潔い。

アニタ・オデイが歌う「A Nightingale Sang in Barkley Square」を聴き、これを歌うためプロ歌手になろうと思ったというくらいの思い入れから、自己レーベルを「Barkley Square Music」とするほどの彼女である。
だからもちろん第一声はこの曲。
いいなあ、いい。
しかし今回は、あとに続く「All The Things You Are」や島裕介参加の「But Not For Me」に注目したい。

キーを下げて地声のアルトでちょっとアーシーな感じを出している。
ちらりと覗かせるちょぴり蓮っ葉な横顔にグッと来る。
妙齢女性の手練手管という感じ。
美空ひばり的というか、ダイアナ・クラール風というか。

いやもっとピッタリの表現があるが思い出せない。
とにかく明らかに「A Nightingale Sang in Barkley Square」とは芸風が異なる。
これがまた大層かっこいいのだけれど、この路線はなぜかその後封印されてしまう。
そして清楚路線だけが残された。

どうしてなんだ。
非常に惜しい気がしてならない。
メジャーデビューの際プロデューサーに強要されたというなら分からなくもないが、この場合そうではないから自己規制あるいは自己選択ということだろう。
確かに「A Nightingale Sang in Barkley Square」は素晴らしいと思う。
だが「But Not For Me」の歌いっぷりを私は捨てがたい。
よりジャズっぽいのは絶対こっちだ。
何も全部そうじゃなくていい。
適宜織り交ぜて塩梅良くやってもらえたらいいのに。

しかし彼女はどんどん清楚路線を行き、「A Wish」ではアイドル風特殊メイクを披露するに至る。
だれ?
はっきり言ってそんな感じだ。

ジャズボーカルという括りを嫌ったのだろうか。
デビュー作というのはたいてい、それまでの自分の縮図のような様相になるのが普通だ。
いままでやりたかった事を総花的に網羅したくなるものだと思う。
デビューが遅ければなおさらそうだ。
そこからどんどん離れていくのも勿論本人の勝手だが、せっかくのウィニングショットを簡単に捨てるのはどうにも惜しい気がしてならない。
何事も良く売れる方が本人にとって有り難いのは間違いないだろうけれど、本作だって局地的には随分売れたと聞いているんだが。




a wish













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(268) 雪あかりの路

my room 1
No.268 2014.2.15



<雪あかりの路>




現在こちらがウィリアムス浩子さんの最新作となる。
またも5曲入り20分のミニアルバムである。
伴奏は馬場孝喜さんのガットギター一本。
確かにこのスタイルで10曲以上もたせるのはきついかもしれない。
そして全編「A Nightingale Sang in Barkley Square」の路線を継承する。
個人的な感想に過ぎないが、なんだかどんどんジャズから遠退いていく。
それはなにも「In My Life」なんかを演っているせいばかりではないと思う。

本作はどこかの誰かのオーディオルームで一発録りされたそうで、マイルーム・プロジェクト第一弾であるらしい。
う~む、これを続けるのか・・・
遂に自身によるライナーが付けられた。
特に日本の女性ミュージシャンがこれをやると、たいていの場合私は急に居心地が悪くなる。
なぜだろう。
うまく説明できない。
だがきっと私にとってジャズの重要な構成要素である少し汚れた色彩や、ハードで乾いた薄暗い世界とまったく逆のムードが支配し始めるからではないかというのが自分なりに想像するところだ。
つまりおそらく、女性ジャズシンガーに抱く私の妄想、少し身持ちが悪く従って男運もなく、ややアル中気味な薄幸の佳人といったまったく根拠も何もあったものではない勝手で失礼な妄想が背景にありそうだ。
実際そんな(理想的な)ジャズシンガーがどこかにいるのかもしれないけれど、まあ今時そうそう有りそうもないのにどうもすみません。

「目をつむれば、ウィリアムス浩子とギターの馬場孝喜がそこにいる。そんなおそるべきリアリティを伴った解像力のよいサウンドだ」
そのように後藤誠一氏が解説に書かれている。
そうなのだ、本作はオーディオマニアを納得させ得る高音質録音である、と鳴り物入りでリリースされた盤だった。
だがどうも我家ではそんなに上手く鳴っていないようだ。
悪くはない。でもそれ以上でもない。
とてもそこで歌っているようだといったリアリティなど感じない。
後藤さんのアバンギャルドで聴くと違うのだろうなぁ。
こういう時オーディオマニアはとても不安になる。


さて、話変わって娘らと小樽へ行ってきた。
「ラ・シュミネ」で食事する、「雪あかりの路」を見る、という二大イベントだった。
偶然バレンタインディと重なり、小樽中のホテルが満室だった。
やっと見つけた「スマイルホテル」名前も凄いが、部屋も凄かった。
家族4人が一室で寝ることとなった。
女性は着替えも大変だ。
娘が20歳の頃ならとても無理だったと思う。
大人になった。

札幌駅からJRに乗った。
この日は低気圧の影響で朝から猛吹雪。
にも関わらず、朝里あたりの海で、サーファーが・・・
どんな事情があるのか知らない。
おそらく命よりサーフィンが大切なんだろう。
それにしても周囲にベースキャンプとなるような施設もない。
帰りはどうする気か。
他人事ながら心配になる。


朝里1

息で曇る窓のガラス拭いてみたけど、遥かに霞み見えるだけ・・・





雪明り2

小樽は坂の多い街だ。
夏用のスニーカーを履いた観光客が往生していた。
冬の北海道をナメてはいけません。






雪明り3

冬の小樽などという所は、寂れにサビレていたものだ。
それはおそらく現在もそう変わりはないと思う。
「雪あかりの路」、なかなか良いアイデアではないだろうか。
多くがボランティアによる運営であるようだ。
だがそれ故の問題も少なからずある。






雪明り1

なるほど、小樽といえば魚である。





雪明り5

この会場は旧手宮線跡地を利用している。





雪明り6

みなさんバレンタインディはいかがでした?












テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(270) Wallflower

wallflower.jpg
No.270 2015.2.20



<Wallflower>





昨年末にリリースされたが、正直なところダイアナ・クラールはもういいやとスルーしていた本作。
なんとなくジャケットも気に入らず、内容もまったく見ていなかった。
大変な失態であった。
これを聴かずに何を聴くのだ、というくらいの全力プッシュ盤です。

収録曲をご覧頂きたい。

*夢のカリフォルニア(ママス&パパス)
*ならず者(イーグルス)
*スーパースター(カーペンターズ)
*アローン・アゲイン(ギルバート・オサリバン)
*言いだしかねて(イーグルス)
*悲しみのバラード(エルトン・ジョン)
*オペレーター(ジム・クロウチ)

あと数曲あるがそれらはどうでもいい。
私にとって埒外の曲だ。
それは人それぞれにあると思う。
あの時、あの人、あの街角。
瞬間冷凍されタイムカプセルに保存された古い記憶。
ダイアナ・クラールの歌声が、忘れかけていたそんな記憶に解凍のスイッチを入れる。
60年代、70年代、中学生や高校生や大学生だった頃に聴いた曲。
心に残る曲の数々をダイアナ・クラールが歌った。
「ならず者」や「言いだしかねて」なんか本当によく歌ってくれた。
既にイメージが固まっているこんな曲は普通ためらいがちだ。
ジム・クロウチの「オペレーター」やエルトン・ジョンの「悲しみのバラード」もありがとう。
よくこれを掘り起こしてきたもんだ。
感心する。

これは彼女の主導で起きたことではないのかもしれない。
きっとプロデューサーのデビッド・フォスターによるものだろう。
だが、ダイアナ・クラールは嫌がらずにやってくれた。
断ることならいつだって可能だった筈だ。
ダイアナ・クラールは断らなかった。
それを私は大切にしたい。
ヤンキース20億のオファーを蹴って広島に復帰した黒田博樹みたいな感じ。
黒田投手の男気に勝るとも劣らない女気じゃあないか。

そうなんだ、いつかこれらの曲を彼女は歌うべきだった。
しかし10年前ではまだ脂っこ過ぎただろうし、10年後ではやはり遅すぎたんだと思う。
50歳のダイアナ・クラールが今歌うべきだったのだ。
彼女はスタンダードを歌う自分に少し飽きていた筈だ。
それらを歌い続けるには既に稼ぎ過ぎていたから。
だからこのタイミングしかなかったのだ。
でも普通やらないよ。
こんな盤が作られ私の手元に届くなんてホント奇跡だ。

二枚組LPレコードや国内盤CD(初回限定DVD付)の約3000円もあるけれど、私は約1800円の輸入盤CDにした。
本作はこれで十分だと思う。
歌詞カードもライナーもダイアナのDVDも私には不要だ。













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(271) CHEEK TO CHEEK

cheek to cheek
No.271 2015.2.25



<CHEEK TO CHEEK>





トニー・ベネット、なんと御年88歳であられる。
対するレディー・ガガ嬢は28歳。
二人とも少し私のストライクゾーンを外れている。
いや、レディー・ガガにいたっては大暴投というか危険球というか問題外か。
そうだな率直に言って別の星の女だった。
だから初めてその歌声を聴くといっても良いくらいだ。
しかしやはり聴いてみないと分からないのが音楽だと思った。

先日荒木一郎のベスト盤を聴いた。
「いとしのマックス」「今夜は踊ろう」「空に星があるように」などヒットを飛ばしながら、事件を起こし(真相不知)脱落した。
しかしその後、多くの歌手に楽曲を提供しそのどれもが非常にレベルの高いものだった。
就中「ちょっとマイウェイ」という桃井かおり主演ドラマのサウンドトラックが素晴らしかった。
コーラスグループの「パル」が歌っていて、「夜明けのマイウェイ」「ラジコンブルース」「街~南代官山一丁目」等々全てが名曲と言える出来だった。
私はLPレコードを所有している。
当然ながら状態とても良好だ。
あるオークションで調べたら既に廃盤となっているCDが2万近くしていた。
「やった!これならLPはとんでもないことになってるかも!」
680円だった・・・
それはともかく、このまま埋もれさせるのは惜しい才能を荒木一郎という人は感じさせ、長い間気になっていた。
それでこのたびベスト盤を聴いたのだがこれはダメだった。
歌が下手過ぎる。
23曲聴き通すのが辛かった。

それに比べてこちらは逆のビックリ。
良質のジャズボーカルものに仕上がっている。
特にトニー・ベネットという爺さんはいったいどうなっておるのか。
この歳で立派に現役のプロ歌手だ。
それも一流の。
なんだろう、やっぱり素質なのか。
だってそうでしょう88歳ですよ、「我人生の終りに」的な自費出版ならともかく商業CDを出すとかの話では普通絶対ない。
そういえば今年84歳になる母は、まだ現役で毎週コーラスを楽しんでいるけれど(ちょっと自慢しました、すみません)。

レディー・ガガという人も上手く歌っている。
時々危ない、つまり本性が出そうになるところも正直言ってなくはないが、それでも最後まで何とか持ちこたえてしまった。
ただ、だからといって別の盤を聴いてみようとは今のところ思っていない。

本作はある市川さんという方に頂いた品だ。
せっかく下さると言うものをいらないと突き返す人(時々いるんですよ、これが意外と)ではないので、そんな事情から偶然これを聴く機会に恵まれてしまった。
これはラッキーだった。
良く出来たアメリカンショービジネスのメインストリームである、と言っていいだろう。
市川さんどうもありがとう。
愛聴盤になりそうです。

88歳と28歳。
これがきっかけで二人が結婚するような事があるとなんだか面白いけどね。
いくらなんでもあるわけないか。
いや、でも人生何があるのか誰にもわからない、これは事実だと思う。
なにしろ今までずっとそうだったでしょう。
だからこれから先だってわからない事に変りなし。
最近何かとお疲れのご同輩諸兄、発売中のグリーンジャンボだってそうだ。
当たったらどうします?











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(276) アニタの医療過誤

anita.jpg
No.276 2015.3.14



<アニタの医療過誤>





アニタ・オデイは麻薬・酒・男と絵に描いたような生涯を送ったジャズ歌手だ。
本作ジャケットの表情からも、深い愁いと薄い幸が見てとれるようだ。
だがその歌声はけして暗くなかった。
ウィリアムス浩子がアニタの「バークリー・スクエアーのナイチンゲール」を聴いたことで、ジャズシンガーになろうと思ったというそのテイクが、本作に収録されている。
ちょっとハスキーだがアニタの歌は優しい。

子供の頃受けた扁桃腺手術の際、医師が間違ってノドチンコまで取ってしまい、以来ロングトーンとビブラートが出来なくなったというが本当だろうか。
扁桃腺とノドチンコの違いくらい私でも分かる。
実は私も扁桃腺がない。
40年ほど前に京都の市立病院で摘出したのだ。
これが何とも野蛮な手術で、細いワイヤーの輪を扁桃腺に巻き付けて引き千切るのだ。
麻酔こそするがそれも局部麻酔である。
千切った後は半田ゴテのようなものでヂヂヂ・・・と焼いてお終い。
術後の痛みと出血といったら大変なものだった。
10日近く入院した。
当時ガールフレンドみたいなのが三人いて、こういう時は来るなと言っても無駄だ。
病室で鉢合わせしないように、見舞いの時間を調整するのに苦労した。
それを見ていた同室のオヤジ共が、最初は親切だったのに退院まで口をきかなくなったのにはこちらも閉口した。
自慢話のようで恐縮だが、実際はいか程の事もない。
他愛ない話だ。
これも時効にしたい。

扁桃腺の手術、現在では三日程度で退院出来るらしい。
日帰りの人すらいる。
全身麻酔でレーザーメスを用い、傷痕もきれいで回復が早いのだという。
考えられないことだ。
私の時は痛みで一か月近くまともな食事ができなかった。
こういう時食べられないもの、堅い煎餅だとかアツアツのラーメンとか、そういったものが無性に喰いたい。
一か月経って何でも食べられるようになったら、案外どうでもよくなったけれど。

とにかく私が言いたいのは、その時点での最新医療というものは常に相当いい加減なものだという事だ。
後で考えたら「あんな事やってたの」ということばかりではないか。
たとえば昔の眼科では必ずジョウロのようなもので目を洗浄したでしょう。
耳鼻科も上向きのカランで鼻腔を洗った。
今そんなことしますか?
外科では手術後の傷を毎日消毒したが、科学的根拠ないばかりかかえって害になるというのでやらないそうだ。
素人にわからない専門的な事で、同様の事が山ほどあるに違いない。

つまり我々がその時受けている医療行為の多くが、何れ陳腐化するか間違いだったとされるトンチンカンな出鱈目だって事だろう。
風邪ひとつ未だに治せないのを見るまでもなく、治せない病気ばかりじゃないか。
私の知る限り「現在の医学ではどうしようもありません」というのがドラマの決まり文句だった。
水戸黄門の印籠のようなものだ。
これには異論を差し挟む余地なし。
患者サイドは臍を噛むしかない。

しかし実際はドラマの決まり文句とは限らなかったのである。
私の父親は74歳の時、ピンピンした状態で検査入院し、翌日行ったら意識不明となっていた。
何があったのだろう。
家族には見ていた訳ではないから分からない。
その病院では手に負えないからと、あれよあれよと大病院へ転院してICUに入れられ同じことを言われたが、事実その通りとなり10日ほどで亡くなった。
もちろん納得いかず訴訟も考えた。
だが素人には何をどう訴えたら良いかすら分からない。
それに仮に勝訴したところで父が生還する訳でもない。

20年以上前、前妻は急に体調が悪くなり、ある大学病院に入院した。
意識が無くなってから悪性リンパ腫だとやっとわかった。
意識のない患者に医者は抗がん剤の点滴を打ち続けた。
今から思えば「最新医療」の実験台にされ、彼女は入院一か月で帰らぬ人となった。
41歳だった。
この時も最期が近くなった時、若い主治医は私に同じことを言った。
そう言いながら死ぬまで毎日、朝晩レントゲンを撮り続けた。
きっとデータが欲しかったのだろう。
ちなみに彼女の父親も10年後、同じ病で亡くなっている。
これが私個人が間近で見た医者と現代医学の実力である。
考えてもみよ、患者にとって未来の医学なんか関係ない。
現在の医療で治せないなら死ぬだけだ。

尤も人はいつか死ぬ。
その死亡率100%である。
それでも死ぬのが怖いから人は医者にかかる。
医者は人の弱味につけ込む新興宗教と大差ないとも言え、やっている事は結局徒労に過ぎないとも言える。
それにしては医者のやつら態度がデカく、それに儲け過ぎではないか。
私の感覚では仕事というものは成功報酬でなければならない。
治せもしないばかりか、場合によっては術死させても金だけは取るってそりゃないでしょう。
そんな医者が「先生」と呼ばれて当然な顔をしているのが一番腹立たしい。
私が医者なら恥ずかしくて絶対やめてもらいたい。
それを仲間同士で先生先生言い合ってるものな、あいつらは。

笑止。










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(279) Phoebe Snow

phebe snow
No.279 2015.3.29



<Phoebe Snow>




子供たちにとって産みの母、つまり亡くなった最初の妻が屡々夢に現れるようになった。
それがどんな意味合いなのか、我心中分析してみるつもりも今更ない。
彼女とのことは彼方の、眩しい光の輪のなかで微かに霞んで見える。
多分多くの重要なことを私は忘れてしまった。
忘れたいことも少なくなかった。
そうしたものを恐らく人は誰も、記憶の深層に鍵をかけ意図的に封印しようとする。
だが忘れたつもりで安心していても、ある年齢になるとタガが緩んでそれが夢に出てくるのかもしれない。
大抵かなりデフォルメされたかたちで。

しかしたとえそうではあっても、鮮明に覚えていることだってたくさんある。
音楽もその一つだ。
どんな曲が好きなのか、そういった会話が普通どこかで交わされるものだろう。
彼女は「イアンとシルビア」が好きだと言った。
「ジュンとネネ」や「ヒデとロザンナ」なら聞いたことがあった。
でも私は「イアンとシルビア」を知らなかった。
それから暫く「イアンとシルビア」のレコードを私は探したが、見つけることが出来なかった。
今と違い何でもパソコンで探し出せる時代ではなかった。

それから何年かして、彼女は本作を買った。
自分自身で買った数少ないレコードの一枚だ。
サム・クック作のブルース「Good Time」や、多くのフォークシンガーが歌った「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」が収録されている。
全ての曲がとても趣味がいい。
中でもフィービーのオリジナル曲「Poetryman」は75年に全米一位になった。

独特な歌声のフィービー・スノウはギターの名手でもあった。
テディ・ウィルソン(p)ズート・シムズ(ts)チャック・イスラエル(b)らジャズメンが参加し、ディブ・メイスンがエレキ・ギターを弾いている。
非常に質の高い作品だ。
録音もすこぶる良い。
特にフィービーのギターサウンドに魅せられる。

彼女がどうして本作を買ったか、私は聞きそびれた。
だからもうそれを知ることはない。
ただ、このように良く出来たボーカル盤を自ら買ったという事は、それなりに音楽的審美眼を備えていたという事だろう。
音楽好きでもあった筈だ。
しかし彼女はあまり多くの作品を買おうとしなかった。
私達はまだ若くそれ故貧乏で、夫が買い込むレコード代がきっと精一杯だったのだろう。
そしていくらか経済的な余裕が出来た頃、彼女は育児に忙しくもう音楽どころではなくなっていたのかもしれない。
もっとレコードをたくさん残してくれたら良かったなと思う。
人生はいつもちぐはぐで、一番必要な時に必要なものに必ずしも手が届かない。
それが少し残念だ。

先日「イアンとシルビア」の事を私は突然思い出し、アマゾンでCDを注文した。
もう間もなく届くだろう。
随分遅くなってしまったけれど。


フィービー・スノウは2011年4月に脳溢血のため亡くなっている。
60歳の春だった。











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