(10) エレガント ジプシーと高速悪魔の戦い

アルディメオラ
NO.10 2011.11.22




〈エレガント ジプシーと高速悪魔の戦い〉






もちろん、これはジャズではない。
解説の野口久光氏が、そんな事を考えるのは了見が狭い由語っておられるが、幾分の疾しさを感じさせなくもない。
この時点ではまだ「フュージョン」ではなく「クロスオーバー」だった。
クロスオーバー・イレブンなどというFM番組があった頃だ。
マイルスがビッチェズ・ブリューなどをもって始めたものだが、ジャズがたとえばロックと合体したもの(ジャズロックとはまた違う)で、当時確かに新しく感じたし、それなりに魅力もあったのだ。
それがいつの間にかフュージョンとなり、今となってはほとんど誰も聴かなくなってしまった。
中古レコード店などに行けば、フュージョンは餌箱ではなく段ボールに入れて隅っこの床に置いてある。
たいてい一枚500円だ。
だが、それでも売れないのだろう。
ある時京都で見たのだが、クルセイダースのレコードは「タダ」だった。
店の外に置かれ、どうぞご自由にお持ちください、となっているのであった。
音楽をこんな風に扱ってはいけない。

アル・ディ・メオラを初めて聴いたのは多分チック・コリア(リターン・トゥ・フォーエバー)のアルバムでのことだったと思う。
最初から上手かった。
とにかくひたすらに上手いが「スペイン高速悪魔との死闘」とはまた凄いことだ。
だが、アルのイメージかもしれない、この高速悪魔というのは。
他にはパコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリンとのライブ盤一曲目でやっていた「地中海の舞踏」をパコとのデュオで演奏している。

かつて私もギターを弾いたことなどあったが、同じ人間だというのにこれ程も違えばいっそ清々しい。
私と同年輩のアル・ディ・メオラだが、今頃どうしているのだろう。
元気で活躍し、昔のように指はまだ動くのだろうか。
一聴それと判るヤン・ハマーが、過ぎ去った時の大きさを感じさせる。













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(53) 真夜中のギター そんな歌もありました

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NO.53 2012.1.3




<真夜中のギター そんな歌もありました>





アール・クルー「真夜中のギター」ムード音楽だ。低音かぶり気味。
カセット・テープが同時発売されている。
「ドルビー・システムによりプリントされていますので、ドルビー・システム付カセットレコーダーでお聴きになれば、ノイズの少ないクリアーなサウンドが楽しめます」は良いとして、「また、一般のカセットレコーダーでも、トーン・コントロールつまみで高域を少し絞ってお聴きになれば、その素晴らしいサウンドを充分に楽しめます」とは何という事だ。
いくらなんでも、そんないい加減な話はないんじゃないか。

かつてカセットテープは音楽ファンにとって重要アイテムの一つだった。
私もずい分お世話になったものだ。
FM大阪の番組、ビート・オン・プラザやカモン・ポップスなんかをカセットに録音して聴いていた。
エア・チェックというやつである。
これはずい分真剣に取り組んだ。
聴きたい音楽、欲しい音楽が次から次へ出てくるのだが、片っ端からレコードを買うなどという事が出来る筈もなかったからだ。
これらのテープは今でも残っている。当時はディスク・ジョッキーの田中まさみさんや川村ひさしさんの声をカットして録音する努力をしていた。
タイミングが難しかった。
時々失敗してディスク・ジョッキーの語りが入ってしまったが、今聴いてみるとそれらの語りが貴重な記録となっているのが分かる。
無駄な努力はよして、全部録音してしまえば良かったのだ。
几帳面な性格が仇となった。

最初に買ったソニー製のカセットデッキは音が良くなかった。
そもそもカセットテープはノイズが多く、それを改善すべく搭載されたのがドルビー・システムだったが、ソニーのデッキでこれを使うと音がモヤついてしまった。
その後、ティアックのデッキを買い、だいぶ良くなった。

最後に買ったカセット・デッキはナカミチ製で、オート・リバースの機能が付いていた。
普通のオート・リバースは、テープの回転方向を逆にするというものだったが、
その方式は色々不都合な問題が発生してあまり上手くいかなかった。
ナカミチのオート・リバースは他社と違い、カセット自体を自動で裏返しにするというもので、その動作を見ているだけで楽しかった。
このデッキは今も持っている。

後年、ソニーが開発したMD(ミニディスク)というものが出て、カセットテープは次第に姿を消した。
私にとってMDは非常に画期的な発明だった。
LPレコードを録音して外へ持ち出すのに、これほど便利な道具はない。
だが、残念な事にiPodの出現ですっかり劣勢となり、MDは間もなく姿を消しそうだ。
ソニーはこうした失敗を繰り返してきた。
ビデオテープのベータが有名だが、他にLカセットというものもあった。
カセットテープの扱いやすさとオープンリールの音質を両立させたとして、鳴物入りで売り出した。
要するにデカいカセットテープであった。
今となっては、そんなものがあった事を知る人も少ない。












(65)ロドリゴとガブリエラ

ガブリエラ
NO.65 2012.1.15



<ロドリゴとガブリエラ>





ロドリゴ・イ・ガブリエラ、タワーレコードのジャズ売り場で買った輸入盤だ。
フラメンコギター、まあジャズではない。
だが、相当かっこいいギターを弾く男女二人組だ。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」をスパニッシュ・フレーバーで演っていたりする。
リードギターの男がロドリゴ、辺見マリ似の女性の方がガブリエラである。
昔、ガブリエラ・サバティーニというテニスの女性選手がいた。
ガブリエラはスパニッシュ系では良くある名前なんだろう。

二人はメキシコ出身で、後日アイルランドに移ったとか。
何故アイルランドだったのか、その辺はまったく不明だ。
フラメンコギターとアイルランドはどうも結びつかない。
第一、メキシコからアイルランドへ移住して、居心地がいいものなんだろうか。

後で国内盤も出たようだが、当初はこの輸入盤しかなかったのである。
買って得したが、私も良く買ったと思う。
なんせこのジャケットだ。なかなか手は出まい。
当時は買いのパワーがあった。
だから手当たり次第に買っていた。
当たりも外れももちろんあった。
ざっくり言って1対9くらいの配分である。
もちろん外れが9。
それでも買い続けるパワーがあったという事。
今?いまはない。
人生波があるものだ。

国内盤がどうだったか知らないが、私の手元にある輸入盤はDVDとの二枚組で2千円くらいの値段だった。
お買い得感があるでしょ。
良く覚えていないけれど、それに釣られてレジまで持っていった可能性は高いと思う。
DVDではロドリゴとガブリエラが、フラメンコギターの弾き方について、さかんにレクチャーしている。
もちろんそれを見てフラメンコギターが弾けるようになれば世話はないが、見ていて面白く得した気分になる。

男ギターと女ボーカルのコンビは出来ているという。
男も女もギターというコンビの場合はどうなんだろう。
情熱のフラメンコギターだもの、出来てないとおかしいのである。
この場合はその方が何やら安心するな。











(83) 小沼ようすけ

小沼
NO.83 2012.2.3



<小沼ようすけ>





2001年、27歳のデビューアルバム。
彼もまた神に祝福された子である。
神は選ばれし者に惜し気もなく多くのものを与えたもう。

メジャー・リーグに移籍が決まった日本人のピッチャーがいた。
移籍金としてチームに40億を残し、年俸8億の6年契約で間もなく日本を去り渡米するらしい。
最後に日本のファンを前に、この国ではレベルが低すぎてモチベーションを保てないから出て行くが、いつかまた帰って来てプレーしたいと言った。
つまり、自分の力が落ちてこの国のレベルに見合うようになればまた帰って来てやる、とこういう事だ。
それに対して日本のファンは「ありがとう、頑張って、応援してます」とお人好しまる出しだ。
自分の力で尋常ならざる大金を稼ぐのも、それを応援するのも勝手だから好きなようにしたらいい。

小沼ようすけは随分練習しただろう。
だが、ギタリストは誰だって練習する。
そしてその結果、練習に見合う分上達するのではない。
才能に見合う分だけ上達するのだ。
野球もサッカーもその点では何ら変わる所がない。

才能とは偶然遺伝子に組み込まれて伝えられた素質である。
つまり、何の努力も要せず無料で与えられた遺産のようなものだ。
では誰からの遺産だろう。
これは全人類の遺産であると考えていい。
その遺産が誰によって相続されるのか、それは全くわからないが、ある時偶然誰かがそれを相続する。
相続であれば税が課されるべきだ。
そのように考えれば、所得税というものが定額制ではなく累進性をもった税率によって算出されるのは少し納得がいく。
金を稼ぐ力もまた、人類共有の遺産である。

















(92) BLUE LIGHTS VOL.2

ブルー
NO.92 2012.2.12



<BLUE LIGHTS VOL.2>





二枚の「BLUE LIGHTS VOL.2」が私の手元にある。
一枚は国内盤で、自分で購入したもの。
そしてもう一枚は後から入手したオリジナル盤で、頂いた品だ。
誰が高価なオリジナル盤をくれたとお思いか。
中古レコード店の店主がくれたのだ。

大ピアニストの名前を店名としたその店で、私は相当の数のレコードを買った。
オリジナル盤が店の主力商品なのだが、私は興味がなく、同じ予算で三枚も四枚も買える中古の国内盤ばかり買っていた。
ある時店主がこれをあげるから聴いてみなさいと言う。
理由は不明だったが、くれるというのだからありがたく頂いて帰り、聴いてみたのだ。
一言で言って音が大きいように感じた。
だが、そんな筈はない。気のせいだろうとは思ったが、私はたまたま所有していた国内盤を取り出し比較してみた。
全然違った。オリジナル盤と比べたら、国内盤からはなんとも痩せた音が出た。
焦った私は翌日店へ行き、これはどうした事かと尋ねた。
店主はオリジナル盤と国内盤の違いについて、得々と語ったものである。
私がオリジナル盤を買うようになったのは、それからの事だ。

店主は年に二度、米国へオリジナル盤買付けツアーに出かける。
直接買ってくるのだから、商品の原価は比較的安いだろう。
私が頂いた盤をいくらで購入してきたものか、それは聞いていないが多分50ドルくらいではないだろうか。
その後私がこの店で購入したオリジナル盤は、10枚や20枚ではない。
ドル換算で300倍以上の支払いをしたのである。
商売とはこのようにやるものだ、というお話。











(99) ジョン ピザレリ

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NO.99 2012.2.19



<ジョン・ピザレリ>





弾けて歌えて喋れる。
ジャズはショービジネスでもあるから、これくらいは出来ないとだめだ。
スタジオに籠り、芸術作品を作ってばかりでは済まされないのだ。
ジョン・ピザレリのステージ、お客さんは大爆笑である。
私は一つも面白くない。
彼が何を言っているのかさっぱり理解できないからだ。
日本人で不自由なく英会話が可能だという人は、どれくらいの割合でいるのだろう。
何しろ世界で二番目に英語が話せない国民だというのである。
因みに一番は、近頃亡くなったあの将軍様の国という話だ。

何故日本人は、私は英会話ができないか。
機会がなかったからであり、基本的に必要なかったからだ。
英会話が出来るようになりたいと思ったことはある。
高校生の時に英会話の学校へ週一度通った。
その程度ではもちろん話せるようにはならなかった。
子供たちは幼稚園の時から通わせた。
彼らも話せるようにはならなかった。

「二ヶ国語が話せる人はバイリンガルです。三ヶ国語ならトライリンガル。では一つの言語しか話せない人は何と言いますか?」
そういうジョークがあり、答えはアメリカン。
彼らはたまたま、国際標準語と化した言語を使う国に生を受けた、それだけのことだ。
某予備校のコマーシャルではないが、英語が言葉である以上それを使用する地域では誰でも易々と話せる類のものに過ぎない。
かの国では土方もホームレスも流暢な英語を話す。
それらの連中は時として日本へやってきて、何食わぬ顔で英会話の教師となり、バカな日本のネーチャンと宜しくやっていたりする。

日本語がそういうポジションにあれば、もしかしたら私だって世界で活躍していたかもしれない。
しかし、いくら文句を言ったところで、日本語は通用なんかしないのである。
英語が世界共通語のようになっている現在の状況が、正直言って私は相当面白くない。
何故日本語が世界で通用しないのだ、との無念な思いはある。
だが、そんな事をいくら言っても虚しいだけだ。
これだけグローバル化した現代の地球に暮らし、英語が話せないのでは最早お話にならないだろう。
何とかしなければいけない。
日本はこの点を本当に何とかしなければ、辺境の小部族に転落していくしかないだろう。
少子化対策に効果が出るには時間がかかるのと同様、
日本人の英会話対策にも間違いなく多くの時間が必要だ。
手遅れになる前に国をあげて動きださなければならない。
平成維新が必要なのは、何も国家制度だけではない。










(109) 鳴らないギター

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NO.109 2013.4.15



<鳴らないギター>





友人がCDプレーヤーを買い換えるらしい。
我が家に例のスピーカーを導入したA店のS氏が、友人宅に試聴機を「聴いてみてくれ」と持ち込んだのだ。
するとすぐに友人から「もう元には戻れない」とメールが来た。
どれどれ吾輩にも聴かせなさい、という訳でワインとCD持参で昨夜訪問したのである。
新CDプレーヤーはESOTERICのK-01という機種だ。
友人はこれまで同社のX-01を愛用していたので、まあ正常進化という感じだろう。
一生バツイチという訳にもいかない。

久しぶりに友人宅のJBL4348を聴いた。
彼は専用の部屋を持っている。
天井が高く床は巌の如く頑丈であり、どんな大音量にもびくともしない。
また、壁は石井式という特殊な構造で、一言で言えば大変響きが美しく、且つ制御されている。
これらが効いて前々から良い音がしていたのだが、我が家の音も努力の甲斐あってこのところ好調だから、今回の試聴が私は楽しみだったのだ。
まずは友人推薦の「サヒブ・シハブ・ジャズパーティ」を聴く。
うーむ、良い音はしているが、私はこの盤を持っていないので彼我の比較はできない。
次にかけたのが本作7曲目の「The Stumble」である。
これが凄まじく良かった。
我が家では聴いたことのない種類の音だった。
ギターの音色が生々しく、まさに目の前で鳴っているようだ。
そして更にはこんな音入っていたのか?という重低音が鳴り響き、身体を揺さぶるではないか。
一体何なんだ、これは。
焦った私は帰宅後、自分の装置で「The Stumble」をかけてみた。
いつもはけして出さない位の大音量で。

どうして君はこんなに濁っているんだ。
どうしてこんなに緩いんだ。
とにかくギターが鳴らないのである。
あの部屋のようには。
そう、音色がまるで違う。

夜更けに一人涙した・・・










(136) ギター侍

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NO.136 2014.4.29


<ギター侍>



ギターは私にとって特別な楽器だ。
同世代の諸兄に同じ思いの方が多くおられる筈である。
我々はギターが自己表現可能なツールであり、それが比較的簡単に出来るとカン違いしたのだ。
コード表に従ってポジションを押さえ、ジャーンとコード(和音)をかき鳴らしただけで音楽が生まれるんだと。
たわいもない事であった。
そしてまったくの自己流だった。
その点ではボブ・ディランとて大差なかったのだが、彼はそれをそのままエレキギターに移植したので、相当見苦しいというか聴き苦しい事になった。
そうした事実を彼に伝える者はなかったのか。
エレキギターで説得力のある演奏をするのは簡単なことではない。

本作のウェス・モンゴメリーのギターもおそらくは自己流だ。
問答無用のオクターブ奏法であるが、いやはや器用な人もいるものだ。
普通にソロを弾くだけでも大変なのに、ウェスときたらオクターブ(ユニゾン)の二音で進行していく。
その演奏は抜群のキレがあり力強く、たいそう男らしかった。
多くの作品を残したが、晩年は少しポピュラーな方向へも行った。
それでちょっとは報われ、良い思いもしたであろう。
そうでなくてはいけない。
才能は当然のように報われるべきだ。

ギターは小さなオーケストラであると良く言われる。
小さいので持ち運びが容易である。
かつて街でギターケースを持ち歩いた諸兄にお尋ねするが、その姿に酔ってはいませんでしたか?
たいして弾けもしないギターを持っているだけで、ミュージシャン気取りだったのが私だ。
だが、ギターは誰にでも似合うものでもまたない。
男の中の男、漢でなければ。
ギターが似合う漢でまず思い浮かぶジョン・レノン。
細身のスーツ姿でリッケンバッカーを高めにかまえ、脚を肩幅に開く仁王立ちの姿が忘れられない。
ウェスもギターの似合う漢だった。
だが、ジョンのような不良っぽさではなく、もっと大人の男。
それは一見安心感であり安定感である。
しかしその懐にウェスはいつもドスを忍ばせていた。
いざとなったら頼れる男。
ギターを持った渡り鳥。
ウェス・モンゴメリーこそが本物のギター侍だ。









(138) アミーゴ!

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NO.138 2014.5.6


<アミーゴ!>




ビセンテ・アミーゴ、フラメンコ・ギターの名手。
アミーゴとは友だ。
なんだよ友か、少し難しいね。
それは誰もがわかっている。
だから多くは語るまい。
多くは語らないが、これだけは言える。
もしも友がいなくなったなら、人生はきっとひどくつまらないものになるだろう。
時には理解できなかったり、腹が立つことだってあるが、友よ夜明け前の闇のなかで、友よ戦いの炎を燃やせ。

さてと、連休とか言う数日も終わり、それぞれにそれなりに大変な日常が始まることでしょう。
今更特に頑張れとは言わない。
言わなくともみんな、結構いじらしいくらい頑張っているのだ。
よいよい、ぼちぼちいこうではないか。
そして友よ、疲れたら迷わず休め。
グラスに酒を注ぎ、好きな音楽を聴こう。
ジャズじゃなくたってもちろん構わない。
時間をうっちゃる事が必要な時もある。
そんな時に音楽はいつも味方になってくれた。
そう、音楽もあなたの大切な友の一人だ。












(143) 我ホーンよ

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NO.143 2014.5.22


<我ホーンよ>



渡辺香津美の99年ニューヨークライブ。
あの矢野顕子も参加し、大変な盛り上がりを見せた。
日本を代表するジャズギターの名手だが、YMOに大接近していた時期もあった。
後年そのことを、本人どのように振り返るのだろう。
(器用過ぎると)時には色々ある、と、そんな程度かもしれない。
「おやつ」なんかでも分かる通り、結構好き勝手にやってきた人だ。
個人的には鈴木勲「ブルー・シティ」でのソロが好きだった。
でも、きっと本質は本作寄りにあると思われる。
何事も軽々とこなす、そんなタイプのギタリストだ。

本作は現在廃盤となっているのか、amazonで5000円以上していた。
4344時代にはモコモコした再生音がイヤで、あまり聴かなかった一枚だ。
それを10年ぶりに出してみたら、値段が倍になっていただけでなく、音も倍良くなっていた。
申し訳ないが、最近我が家の音が滅法良いのである。
そこで心配なのが、現在塗り直している筈の山本新ホーンだ。
あれから二ヶ月経ち何の音沙汰もないが、そろそろ連絡が来る頃だ。
ホーンを新品に交換すれば、必ず音は変わる。
それも僅かな変化では済まされないだろう。
いっそこのままで良いのでは、と思わないでもない。








(159) CRISS CROSS

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NO.159 2014.7.10



<CRISS CROSS>



ワールドカップ史に語り継がれる謎となるだろう。
オランダvsアルゼンチン戦PK戦での起用である。
むしろ不起用と言うべきか。
勝負事であるし、結果論と言ってしまえばそれまでなのだが。
しかし、オランダ国民のみなさんは納得されるのだろうか。

何事につけ、国民性というのはあるものだ。
鎖国を続ける我が国に対し、宗教性を排しひとり長崎出島での貿易権を獲得していたのがこの国だった。
私はオランダに行ったことがないので、責任は持てないが、合理的であり冷静である、そんな印象を持っている。
今回も遂に悲願は叶わなかったわけだが、最後までテンパった様子は感じさせなかった。
淡々とPKを蹴り、止められた。
勝負に決着がついた時、感極まって泣いていたのは勝者のアルゼンチンサポーターの方であり、ロッベンのご子息を例外として、オランダ人の目に涙はなかった。
妻が昔KLMか何かでヨーロッパへ行った折、周りに乗り合わせた多くのオランダ人のデカさに仰天したと言っていた。
とにかく体格に恵まれたオランダ人にあって、代表正キーパーのシレッセンはどこか線が細く頼りなげな印象は確かに有り、PKスペシャリストとしてコスタリカ戦に起用されたクルルの方が、正真正銘オランダ的だったと思う。
キーパーデカい、イコール、ゴールが狭く見える。
これだけでPKキッカーに大きなプレッシャーを与える。
可能なら(そんな訳ないけど)時間を巻戻し、三人目交代枠を訂正して、オランダキーパークルルでのPK戦を見てみたいものだ。

本作はジェシ・ヴァン・ルーラーの、クリス・クロスにおけるセカンドアルバムである。
名前から想像がつくように、ジェシはオランダ人だ。
そしてクリス・クロスというレーベルもオランダのレコード会社である。
これがまた、実に両者ともオランダ的だ。
ジェシのギターはものすごくテクニックがしっかりしており、どんな早弾きでも破綻を来たす気配すら見せない。
非常にモダンである。
そしてどこかクールでメカニカルで、理詰めな印象も同時に伺わせる。
一方クリス・クロスの音作りは常に過不足がなく、一発あててやろう的な山っけを感じさせない。
ただ安定した音を聴かせる反面、ある程度の装置を持ったマニアにしかその真価を見せることがないと思う。









(171) smooth jazz

paul marc
NO.171 2014.8.8



<smooth jazz>



スムース・ジャズである。
アシッド・ジャズやクラブ・ジャズなどと同様、なにか得体のしれないものと近寄らなかった。
我が国ではほとんど無視されているが、こういうのがアメリカでは流行っているらしい。
というか、一つのジャンルとして確立し、専門の放送局まであるというのだ。
それなりの需要があるということで、ではいったいどのような需要かと言えば、TVドラマなどのBGMだそうだ。
なるほど、そう思って聴けば、LAあたりを舞台にしたソープオペラのシーンが目に浮かばないでもない。

マーク・アントワンはロマの血をひくフランス人ギタリスト。
ポール・ブラウンは元々この世界で有名なプロデューサーだった。
それが自身もギタリストとしてデビューし、セルフプロデュースもしている。
この二人、実は今回初めて知った。
アメリカではアール・クルーやジョージ・ベンソンなどが、今やスムース・ジャズのミュージシャンとして認識されているようだ。
もちろんギタリストだけではなく、検索すればデビッド・サンボーン、ボブ・ジェームス、アル・ジャロウなんかも、このジャンルに出てくる。

ではフュージョンとどこが違うのか、という話になるが、圧倒的に一曲一曲が短い。
まさしくドラマのBGMとしてはこれでたくさん、使い勝手が良いのだろう。
つまりソロパートが極めて短いわけで、これでジャズと言えるのか、と言い出したらその通りとしか言い様がない。
しかし思い起こして頂きたいのだが、かつてジャズの演奏というものは短かったのである。
それはSPレコードの片面3分程度という物理的な枠内に収める為だった。
それがLPレコードの登場でどんどん長尺化し、片面一曲20分以上も珍しくなくなった。
だが、長ければ素晴らしいのかといえばそんなわけもなく、苦痛に満ちた大作は実際少なくない。
必然性があれば脱ぐと女優は言う。
それはあってもなくてもどんどん脱いでもらって構わないのだが、必然性のない長尺録音はただダラダラと長いだけの演奏に堕しやすい。
CD一枚80分、こんな時代だからコンパクトにまとめる努力がむしろ必要とされる。

にしても本作の一曲は短い。
もうあっけないほどの短さだ。
だから10曲入って全体では40分に過ぎない仕上がりとなる。
全曲彼らのオリジナルだが、見方によれば曲を浪費しているとも取れる。
これはコンポーザーには辛い。
つまりアルバムをうめるために、たくさん曲を書かなければならなくなるからだ。
その10曲であるがどれも出来がよく、もうちょっと弾いてくれないかな、もう少しアドリブ聴かせてよ、という気持ちには間違いなくなる。
コンパクトにまとめ過ぎなのだ。

では音楽としてこれを否定するかと問われれば、私は結構気に入ってこれを聴いている。
他の「スムース・ジャズ」は聴いたことがないので責任持ちかねるが、本作に限って言えば全曲気持ちよく聴け、聴いていてとても心地よい。
何より録音が良い。
特に低域の処理が上手い。
このあたりのノウハウは恐らく、すでに確立されているのだろう。
何かリラックスしたい時に、スムース・ジャズというレッテルを貼られたものを引っ張り出せば、たいてい外れることはない、そんな気もするがもちろん責任は持てない。
ただ本作に限って言えば、アマゾンで1500円程度で買えるし、これを買っても損はさせない自信がある。
女性を口説く時に、ここぞというところでどうぞ活用されたし。














(180) テクニックと集中力

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NO.180 2014.8.29



<テクニックと集中力>




アル・ディメオラ、ジョン・マクラフリン、パコ・デルシアによる炎のアコギライブである。
あらかじめお断りしておくが、本作はどちらかと言うと(殆ど)ジャズではない。
だが、間違いなく傾聴に値するものだ。
特にアコースティックギターがお好きな向きには、自信をもってお勧めする。
とりわけ一曲目の「地中海の舞踏」を聴いてほしい。
この曲はアルとパコ(と書くとなんかどうもだが)のデュオで、マクラフリンは参加していない。
右がアル、左がパコだ。
「エレガント・ジプシー」におけるスタジオバージョンと聴き比べるのも一興ではあるが、こちらのライブバージョンの方が断然熱く録音も良い。
これは結構まれな話で、演奏も録音もライブが勝るケースはそんなにない。

驚くべきは彼らの安定した運指だ。
スタジオバージョンよりも更にアップテンポでありながら、まったく乱れず、ノーミスで最後まで押し通す。
これが生身の人間が人前で弾くギターか?
鬼気迫る、とはこういう事だ。
尋常ではないテクニックと集中力。
フラメンコ・ギターの名手、ビセンテ・アミーゴが言っていた話だが、こうした集中力をステージで出すのに、まる一日の精神的調整を要するそうだ。
では、このテクニックを身につけるには、どれほどの時間を要したのだろう。
もちろん想像もつかない努力が背景にある筈だ。
そしてもう一つ確実に言えるのは、必要とされるのはそればかりではないという事で、ミもフタもない話だが100年練習したところで私にこのようなギターは弾けない。
改めて言うことでもないが。

昔学生バンドでギターを弾いたことがあった。
録音が残っている。
最早笑うしかない代物だ。
笑うといっても嘲笑なんだが。

どうも秋風が立ち始めると、気分が下降しだしていけないな。
前向きに行くね。
多少無理しても。

何はともあれ、集中力は適度な緊張によってもたらされる。
この「適度」というのが難しく、度を過ぎれば所謂アガッた状態となり、まったく思うようなパフォーマンスを発揮できない。
逆に緊張感が足りないと、反応の鈍いダレたイメージを見る者に与えるだろう。
日頃のたゆまざる鍛錬を重ねた上で、本番で自分が演じるべき役に成り切る。
これは音楽、スポーツ、演劇は言うに及ばず、人前で何かを行う者に要求される共通の能力と言うべきものだ。

アマチュアのテニス大会といえど、適度の緊張感がもたらす集中力を要する事情は同じだ。
試合までに十分な準備が必要な事も。
さらにあるコーチが言っていた。
練習では全てのショットを一々考えて打て。
だが、本番ではもうショットを考えるな。
ショットは体が覚えている。
そんな事に頭を使っていてはダメだ。
考えるのは相手(敵)が何を考えているか、それだけでいい。

実はもうじき大事な試合があるんですよ。
いまいちやる気が出ないので困っている。










(184) SAPPHIRE BLUE

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NO.184 2014.9.5



<SAPPHIRE BLUE>




ラリー・カールトンの2003年録音、ブルース集である。
若い頃のピーター・フランプトン的風貌はどうもいただけないが、歳をくってかっこよくなったラリー。
男はこうありたい。
ラリー・カールトンといえば「Room 335」で有名だ。
でも、あんな軽薄メロディより本作の方がずっといい。
従って本作のボーナス・トラックは全くの蛇足だ。
それ以外の全曲が素晴らしい出来である。
特にラスト(ボーナス・トラック Room 335 はないものとして)の「Take Me Down」のかっこよさに参った。
ハーモニカ(ブルース・ハープか?)とのデュオ作。
これを聴かずにはおけないだろう。
 
「Take Me Down」といえば昔EXILEが歌った別の曲があり、これも名曲だった。
EXILEといっても「エグザイル」とかいう妙竹林ではなく、「イグザイル」と呼ばれたアメリカのバンドだ。
結構有名だった、知らない筈はない。
同じバンド名をつけるかねえ。
なんぼでもあるだろうに。

ラリー・カールトンは特にブルース・ギタリストというわけではなく、フュージョン寄りのジャズっぽい演奏を得意とする。
そういったギタリストは少なくない。
アル・ディメオラ、ジョン・マクラフリン、エリック・ゲイル、ジョージ・ベンソンと、どんどん出てくる。
一方で完全にブルース・ギタリストとみなされている、例えばエリック・クラプトンとかBBキングといった連中がジャズ寄りのアルバムを作れば、これは相当聴き応えがありそうだ。
だが、そうはならない。
やっぱりイメージの問題かな。
「クリーム」のクラプトンが今さらジャズでもないのだろうか。
気にしないでやればいいのに。









(192) 報道と真実とジャケ買いと

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NO.192 2014.9.18



<報道と真実とジャケ買いと>



日増しに涼しくなっていく。
朝晩は最早、肌寒いと言う方が当たっているくらいだ。
体調管理が難しくなってきた。
先日「風邪をひいた」というテニスのおばちゃんがいたので、(とても丈夫そうだし)まだ風邪はないでしょう、デング熱かなんかじゃないですか、と冗談を言ったつもりでいたら、彼女ひとつも笑わなかった。
ジョークもセクハラも、行為者の違い(小栗旬か私かなど)により相手の受け止め方が大きく異なるものだ。

さて本日は、文藝春秋10月号掲載記事の続きである。
これは7月に報告した某国工作船事案(本ブログ番外編㉔)と密接に関連する。
本件は2001年12月22日に東シナ海の我国領海内で発生した、不審船と海保巡視船との戦闘である。
銃撃戦を経て不審船からはロケットランチャー発射まで行われたが、幸いにも現場海域は荒れており波が高かったため、巡視船に命中するには到らず、刀折れ矢尽きた不審船はその後自爆・自沈した、とされるものだ。
この事件で一つ疑問に思ったのが発生した海域であった。
日本海なら合点がいくのだ。
事実、日本海での不審船事案が過去にあった。
この海は北朝鮮からの最短ルートなのだ。
それが何故東シナ海なのか。
この記事が事実ならば、私の疑問はあっさり解決する。

記事によれば、上海に程近い舟山群島(無論中国領)に北朝鮮工作船部隊の基地がある(あるいはあった)というのだ。
不審船は日本で何らかの作戦行動(覚醒剤輸送作戦だったと言われている)を済ませたのち、一直線にここを目指す途中、監視していた巡視船に停船を促されたという事だ。
彼らはこの基地を根拠地とし、我が国へ侵入し拉致事件も繰り返してきた。
多くの(しかし全体からすれば一部の)日本人拉致被害者が、ここから中国本土を経て陸路北朝鮮へ送られた、と記事は書いている。
つまり拉致事件には中国が関与していると言っているのだ。

本件が事実なのかどうか、今のところ私には判らない。
情報のソースも不明だ。
朝日新聞の例を引くまでもなく、マスコミ報道を鵜呑みにする人は今時そうはいないだろう。
私も同じだ。まず疑うべし。
だが、事が事である。
とてもこのままにしておける話ではない。
関係者は本件の事実関係を必ず明らかにして頂きたい。

思いつきに過ぎないが、もしかして拉致被害者を全て返せない理由の一部はこれか?
中国経由で北朝鮮へ送られた拉致被害者が帰国後そのように証言したら、中国は相当まずい事になるだろうから。



「SWEET NOIZ MAGIC」はギタリスト高中正義のベスト盤だ。
中古レコードを1000円程度にて入手したもので、収録された名曲「SMOOTHER」が、ある報道番組のテーマ曲に採用されている。
報道番組も色々だが、何故か総じて番組テーマ曲だけは素晴らしいのを持ってくる。
「SMOOTHER」は格別に良い。
このメロディ、一度聴いたら忘れられない。
ギターっていいな・・・と今の季節なら特別心に響く。しみじみと染み入る。
この曲、本作以外のアルバムにはどこにも入っていないようだ。
シングル盤でのみ出たものを、このベスト盤に入れたものと思われる。
ベスト盤とはいえ、他の曲では別バージョンなど工夫もされているようだが、その点についての関心はあまりない。
つまりこれ一曲しか聴かないが、いい買い物をしたと思っている。

けっしてジャケ買いではないことを、念の為申し上げておきたい。









(196) 酒とバラとテニスの日々

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NO.196 2014.9.22



<酒とバラとテニスの日々>




ギタリスト、パット・マルティーノは本作録音直後の1976年、脳動脈瘤の手術により記憶喪失となった。
ギターの弾き方すら忘れたという。
その後あまたある自作品レコードをコピーすることで、またギターが弾けるようになりカムバックした。
きっと本当の話なんだろう。
凄すぎる。

パット・マルティーノのアルバムを数枚所有するが、本作が一番好きだ。
特にB面「酒とバラの日々」がいい。
通称「酒バラ」。
ヘンリー・マンシーニが同名映画のために書いたこの曲自体がそもそも好きで、多くのジャズメンが取り上げていることから色々聴いてきたけれど、このトラックが一番だ。
オスカー・ピーターソンの We Get Requestsバージョンも有名だが、私は断然パット・マルティーノ派である。
映画そのものは、若い夫婦がじわじわアル中になっていくとかの話で、そんなものを敢えて観るつもりなどなかった。
そんな嫌な話は今後も絶対観ない。
 
脳動脈瘤の手術なら、知人のテニス選手も昨年受けたばかりだ。
幸い記憶喪失にはならずに済んだ。
リハビリに暫く時間を要したが、ほぼ元通りとなり元気にテニスをしている。
彼は明日私が出場する団体戦のチームメイトである。
今年73歳になられた。
これも凄いことだ。
その歳までテニスの試合に出るなど、私にはとても無理だと思う。

明日の大会だが、出場者総数3000人と言われる日本最大のアマチュアテニス大会だ。
年二回行われ、明日が二回目となる。
私も昔は色々な大会に出たが、近年ではこの団体戦のみとなった。
ということは、年内最後の公式試合ということだ。
この日のために、何ヶ月も必死に練習してきた以上、そう簡単に負けるわけにはいかない。
特に春の大会で我々は、全敗という前代未聞の大敗北を喫している。
勝敗は兵家の常とは言うものの、春は相当へこんだ。
四の五の言ったところで始まらない。
勝利の美酒に酔うべく、明日とりあえず頑張ります。









(223) ジプシー・スウィング

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No.223 2014.10.31



<ジプシー・スウィング>




ジャンゴ・ラインハルトの継承者、マヌーシュ・ギターの名手ロマーヌ。
私は本作をアコギアルバムのベスト3に入れたい。
残り2枚は当ブログNo.180に登場のスーパー・ギタートリオ、それにクラプトンのアンプラグドだ。
ロマーヌの音楽はジプシー・スウィングと呼ばれるもので、ステファン・グラッペリ(Vn)なども同類である。

ジプシーか。
日本人誰しも聞いたことこそあるものの、なじみの薄い世界ではないだろうか。
私などが思い浮かべるものは、サーカス団、占いの女、その程度であり接点がどこにもない。
無知、妄想、誤解、偏見、そんな衣にまぶされているのか、実態なんかまったく見えてこない。

彼らはかつて、地続きのユーラシア大陸を定着することなくさすらい、方々で暮らしてきた。
そうするには何かきっと理由があったのだろうが、私は知らない。
彼らは流浪の先々で、そこで定住する人々との間に軋轢を生じてきた。
それはそうだろう。
町内の公園で、ある日突然見知らぬ外人一家がテント生活を始めたとしたら、あなたは平気でいられるか。
現在彼らのほとんどが定住しているが、定住先の西欧でかなりの差別を受けているようだ。
それ故か、「ジプシー」は差別用語だからと「ロマ」に言い換えるようになった。
呼び方を変えたところで、真相に何の変化も生じないのは自明のことだ。
極東の小島からは見えない世界、おめでたい日本人には理解不能な世界がある。

ジプシー・スウィング最大の特徴は哀愁、そしてスピード感だ。
2ビートのサイドギターが、急き立てるように音楽を疾走させる。
疾走が乾いた風を巻き起こす。
だから哀愁も乾いている。
悲しみの果てに枯れた涙とでも言うか。
そこが演歌と大きく異なるのだ。
色々あっても明日が来る。
明日が来る以上生きていくしかない。
相変わらず実態を100%近く理解していないが、私はロマーヌの音楽、ジプシー・スウィングから、そんなしたたかな強靭さを感じる。
ジャケットの顔を見てください。
こんな男の隣で、ぼやぼやしてちゃヤバそうだ。

イヤイヤ、余計な事など言わないで黙って聴くしかないのだ私は。
ロマーヌは曲作りも素晴らしい。
特にタイトル曲、「フレンチ・ギター」を聴いてほしい。
名曲です。










(224) ACOUSTIC GUITAR

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No.224 2014.11.3



<ACOUSTIC GUITAR>




前回ロマーヌをアコギベスト3と言った後で、このCDを思い出した。
アコギのオムニバス盤で、非常にお買い得感がある。

店頭で「捨て曲なし」のポップフレーズを時々見るでしょう。
逆に言えば殆どのCDに「捨て曲」がある事になる。
いや、あるどころではなく、ほとんど、中には全部そうだという盤も少なくない。
「捨て曲なし」、これを書く店員さんも複雑な心境なのではないか。
オムニバス盤やベスト盤にすら個人的に「捨て曲」があるのは、各々好みの違いがあるという事だけだろうか。
予算的制約の結果、というのがないか気になる。

私は結構なアコギ好きで、ACOUSTIC GUITAR の文字を見るとつい購入してしまう。
それでも当たりは1枚につき1、2曲で大抵変りなし。
その点でこの盤は宝庫だった。
<No.184>のラリー・カールトン「SAPPHIRE BLUE」を15曲目の「TAKE ME DOWN」で発見した。
天野清継の「AZURE」はJTのCMでヒットしたナンバーだ。
アル・ディ・メオラ「TANGO」、横田明紀夫「MY LITTLE SUEDE SHOES」、アーニー・クルーズ「NA PALI SLACK」等々捨て曲なしとは言わないけれど、愛聴曲満載。


ギターに張る弦が、大きく分けると二種類ある。
ナイロン弦の所謂クラシックギターの事を、私はあまり知らない。
中学の時にヤマハ製を買ってもらったきりである。
「禁じられた遊び」がなんとか弾けた。
半世紀近い昔話になる。
母に買ってもらったヤマハのギターは6000円だった。
ギターが欲しくて堪らなかったので、はっきり覚えている。
念願のギターを手に入れて、それはそれは嬉しかったからだ。
しかし、クラシックギターは残念な事に、冷静になればどうもあまりかっこ良くなかった。
目指すところが違うというか。
何しろ立って演奏すると「東京ロマンチカ」の鶴岡雅義に見えるのが悲しくて。
おまけにネックの幅が広いため、五、六弦を親指で押える形で「F」や「B♭」のコードを押さえられない事にも間もなく気付き落胆した。

スチール弦ならマーチンD-45か、ギブソンのハミングバードだろう。
今でも何十万、ビンテージ物なら百万の単位だが、1ドル360円の時代にはとんでもない類の代物だった。
実際に売られている現物を見た事すらない。
レコードで聴くのみだ。
コードを弾くとボローンと鳴らず、ジャリーンと音がする。
それを「ジャリジョリーン」と表現した高校の同級生がいた。
その男ミック・ジャガーのファンで、当時私の従妹と付き合っていた。
高校時代に飲酒と自転車泥棒で二度停学処分をくらいながらも、最近名前で検索したところ京都大学を出て全農の役員になっていた。
似ても似つかない風貌となっていたが、間違いなく眼差しがあの男だ。
多分、間もなく退職するのではないか。
その後も東京に残り、こちらへ帰って来る事最早あるまい。

40年以上も前の話だが、その男がバファロー・スプリング・フィールドのレコードを買いそして気に入らず、私に半額で買わないかと持ちかけて来た事があった。
その盤「AGAIN」は今でも無傷で手元にある。
私は「AGAIN」でニール・ヤングやスティーブン・スティルスを知った。
彼らが使用するギターがマーチンとかギブソンであり、エレキギターならフェンダーでもあった。
そういったものは、現実離れの神々しい存在だった。
ドン・マクリーンとかジェームス・テーラーとか石川鷹彦とかの、別世界の人が持つ物と思っていたが、昨今では結構アマチュアの学生なんかが弾いていたりするので呆れる。
ルイ・ビトンやシャネルが、JKに不釣り合いなのと同じ理屈なのだが。








(227) 藍調 SIDE Ⅱ

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No.227 2014.11.10



<藍調 SIDE Ⅱ>    




台北ブルーノートのマスターへのみやげにした「BLUENOTE SIDE Ⅲ」とは別にⅠとⅡがある。
私的コンピレーションで、我家ではよくかかる。

ブルーノートの盤で比較的入手しやすいのが1500番台と4000番台だ。
私的コンピのⅠは主に1500番台からのセレクトで、ⅡとⅢは主に4000番台となる。
これは分母の差に過ぎない。
1500番台が100枚弱しかないのに対し、4000番台は怪しすぎるのを省いても三倍ほどもある。
これらコンピはヤマハのハードディスクプレーヤーに入っており、いつでもCDR化が可能だ。
「BLUENOTE SIDE Ⅱ」のラインナップは以下の通り。

1. Autumn Leaves (キャノンボール・アダレイ(マイルス・デイビス)/1595)
2. Asiatic Raes (ソニー・ロリンズ/4001)
3. Amen (ドナルド・バード/4026)
4. Sweet Love Of Mine (ジャッキー・マクリーン/4345)
5. Easy Walker (スタンリー・タレンタイン/4268)
6. Moanin' (ジャズ・メッセンジャーズ/4003)
7. On Green Dolphin Street (ホレス・パーラン/4028)
8. Sweet Honey Bee (デューク・ピアソン/4252)
9. Idle Moments (グラント・グリーン/4154)
10. The Break Through (ハンク・モブレー/4209)
11. Swift (フレディ・レッド/4025)

分かり易い曲、ヒット曲、キャッチーなテーマの曲。
BLUENOTE SIDEⅢ、Ⅱを通して、明らかにそういった基準で選択しているという事がお分かり頂けると思う。
酒でも飲みながらジャズを聴くなら、こういったものが私は好ましい。
事実今もブルゴーニュの赤などちょっといただきながら聴きつつ書いている。
そういえば発音はわからないけれど、台湾で赤ワインを「紅酒」と表記していた。
だが飲食店で酒を頼む人は殆どなかった。
あの地では人前での飲酒が不道徳である可能性がある。
私達もなんとなく飲酒量が減り、食べ物の値段が安いこともあって滞在中に使ったお金が非常に少額となった。
台湾にとってあまり優良な観光客ではなかった。

大陸から来る中国人がこの地でも例の爆買をするのかどうか知らない。
だが、彼らには良くも悪くもパワーがあった。
どこへ行っても写真を撮りまくり、お構いなく大声で語り合う。
傍若無人との見方もできる。
そんな彼らを台湾の人たちはあまり良く思っていないようだった。
どうも自分達のことを中国人と思っておらず、中国人と一緒にされては迷惑だ、そんなニュアンスをガイドさんのたどたどしい日本語から感じたものだ。

少々酔った勢いもあるかもしれないけれど、万一当方の私的コンピ盤「BLUENOTE SIDE シリーズ」を欲しい方がおられるなら、CDRお送りします。
有名曲が多いから、既に全ての音源をお持ちだという方も当然おられよう。
だからどれくらいの希望があるものやら分からない。
分からないが50枚も作るのはちょっと大変なので、各盤先着5名様枚限定とさせてください。
重複応募可。
「BLUENOTE SIDE Ⅰ」の内容は明日以降アップいたします.。
発送は多分鍵コメにて住所氏名をお伝え頂く他ないので、お互いやや勇気が要る話ではありますね。
もちろん当選発表なし、発送をもって代えさせて頂きます。
















(247) AIREGIN

incredible.jpg
No.247 2014.12.21



<AIREGIN>




冬の嵐騒動に振り回されたあと、急に暖かくなり雨など降ったかと思えば一転真冬に戻った。
これで道路事情が最悪な事になった。
でこぼこのアイスバーンになり、危なくてどうしようもない。
特に歩道が恐ろしい。
雪道になれた現地の人であっても、とてもまともに歩けたものではないのだ。
こちらの方が余程、不要な外出を避けるようアナウンスすべき事態だろう。
慣れない方面の方は、当分当地へ足を踏み入れるべきではない。

さて、ウェス・モンゴメリーの代表作の一つ、「The Incredible Jazz Guitar」である。
本作の美点を二つあげれば、一つはなんと言ってもソニー・ロリンズ作の名曲「エアジン」の名演だ。
ウェスはピックを使わず、自己流の指弾きであのブルージーな音色とオクターブ奏法に到達した。
それは素晴らしいとしても、どう考えても速弾きには適さないと思う。
本作「エアジン」における疾走感は驚異と言う他ない。
それ故の「Incredible」なのだろう。

本作の美点、もう一つは名盤請負人トミー・フラナガン(p)の参加である。
フラナガンがピアノを弾くと、確かに格調が高くなり名盤度が二段階くらいかさ上げされる。
第一名前がすでに格調高い。
ピアニストらしい名前というのがあるもので、名は体を表すというのは本当だ。
ビル・エバンスもそうだが、トミー・フラナガンも名前で随分得をしたと思う。
少なくともゴンサロ・ルバルカバよりは、ずっともっともらしい。

そういう意味で本作のウェス・モンゴメリーもギタリストらしい名前だし、ジョー・パスといえばギタリストしか思い浮かばない。
全部当たり前の話ですね。
ウィンドウズはオペレーティング・システムらしい名前だと言っているに等しい。
マイルスバンドに、ビル・エバンス(別人)という名のサックスプレーヤーがいた事実をどうする、と言われたら返答に窮するばかりである。

名前というものは最初少々変でも慣れるし、定着してしまえば体を表してしまう。
そういうものだ。
本作の「AIREGIN」にしても最初は何それ?という感じだった。
しかし今や「エアジン」は「エアジン」である。
何の違和感も有りはしない。

名曲「AIREGIN」実は逆に綴れば「NIGERIA ナイジェリア」である。









テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(263) The Poll Winners

the poll winners
No.263 2015.1.31



<The Poll Winners>




ダウンビート誌、メトロノーム誌等の人気投票で1956年度の楽器別ベストプレーヤーに輝いた三人、バーニー・ケッセル(g)シェリー・マン(ds)レイ・ブラウン(b)による企画モノである。
デューク・ジョーダンの「JORDU」やエリントンナンバー「サテンドール」、あのINVITATIONを書いたケイパーの「グリーン・ドルフィン・ストリート」等スタンダードの有名曲で固めてきた。
白人的な洒落たアレンジのジャズで聴き易く作られているのがうけ、売れた。

ヒットに気をよくしたコンテンポラリーは、その後同一の面子による続編を連発する。
このあたりの軽快なフットワークが、コンテンポラリー軽量級のイメージを作ってしまったのだろう。
だいたいブルーノートならあり得ないジャケットだ。

コンテンポラリーの音がなぜ良いのか、という話の続きである。
ジャズが儲からない商売である話は散々した。
そこでレコード会社は何とかして製作費を安くあげようと様々に工夫を凝らした。
コンテンポラリーはスタジオ代を節約するために、自社商品の倉庫を自前のスタジオにしてしまった。
ミュージシャンが演奏する傍らに出荷前の商品が堆く積み上げられてもいるが、コンクリート製で天井が高くたいへん響きの良い空間であったという。

加えてエンジニアのロイ・デュナンが機材にこだわる人だった。
ノイマンU-47、AKG C-12などのドイツ製コンデンサーマイクを用い、ミキシングコンソールが彼の手で自作された。
この当時のドイツ製マイクを上回る物は現在存在しないらしい。
ドイツが東西に分かれた冷戦期にその技術が失われたのだという。
そのためロイ・デュナンが使用したタイプのマイクが、今では1万~2万ドルといった値段で取引されているのだとか。
ストラトキャスターのビンテージモデルに高値が付くのと同じ現象だ。
これ便利だなと思いつつ気に入りながらも、しかし普段手荒に扱っているモノが多数あると思う。
それらが一度失われたが最後二度と手に入らない、というのは実際良くあることだ。

ところでどのような高性能マイクを使用しても、スタジオワークの一次記録がそのままレコードになる訳ではない。
マスターテープの音とは案外ショボいものであるらしく、そこから様々な加工が施され製品となる。
これをマスタリングといい、エンジニアの腕の見せ所でもあるが、なんと皮肉なことに音質劣化の原因ともなるのだ。
マスターテープの音はショボいがフレッシュであったのに、マスタリングで付加される勢いの代償として、やればやるほど最終製品の鮮度が低下してしまう。
ここが難しいところだ。
そこで極力音を劣化させたくなかったロイ・デュナンは、マスタリングの工程を可能な限りシンプルにしダビングを減らしたのである。
リヴァーブや音量などの音質調整を最後のカッティングの際同時に行い、これを詳細なメモに残している。
余談になるがそうとは知らず後年CD化されたものの中に、オリジナルの音と全く異なるダメな製品があり、CDの黎明期に悪い印象を残す一因ともなった。


以上のような事が上手くマッチして、コンテンポラリーの音を作ったのである。
音の良し悪しとはこのような、精一杯の努力と少しの偶然による事が少なくない。
ちょっとしたことで出てくる音がガラッと変わってしまう。
やればやるほど迷路に迷い込み、音が悪くなる事だってある。
だから音の調子がいい時は触らないに限る。
良い音を出すのは難しく、悪くするのは簡単だ。

ロイ・デュナンが録った音から現場の空気感が伝わってくる。
コンテンポラリーに限らず当時の録音現場は、ライブステージのようにミュージシャンが同じ空間で同時に演奏し録られていた。
だから当然マイクが他者の音をも拾う。
実はこれによりリアルな音場表現が出来ていたのだ。
現在のマルチ録音は、ミュージシャンを別々の完全に遮音されたブースに閉じ込めて行われる。
他のミュージシャンの出す音をヘッドホンによってモニターし、それに合わせて演奏する。
そもそもこの方法では同時に演奏する必要すら最早ない。
ギターとベースが別の日に録られても、結果に一切影響しないのだ。
エンジニアには後でどのようにも加工可能なことから、現場をコントロールしやすいと評判がいい。
ミュージシャンとしても自分のパートだけを誰にも迷惑をかける事なく、何度でも納得がいくまでやり直す事が可能だ。
だが、そうして出来上がった音楽に血が通っているだろうか。
スタジオの空気感が伝わるだろうか。
それは何か他の、別のものになって仕舞わないだろうか。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(284)MIDNIGHT BLUE

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No.284 2015.4.15



<MIDNIGHT BLUE>





ブルーノート4123番「ミッドナイト・ブルー」問答無用の一枚。
これを悪く言うのは困難だ。
なんたる見事なブルージーミュージックであることよ。
ケニー・バレルはブルースを弾くために生まれてきたような男だ。
タレンタインも適任である。
それになにしろにコンガが効いているなあ。

と、言うのは平成27年の感覚であり、
昭和の恐そうなオヤジはこれをチャカポコと蔑んだ。
そういう人たちは皆もう死んだか、生きていても耳が遠くなり音楽鑑賞から引退した。
替わりに小便だけが近くなってすっかり弱気だ。
偉そうなことを言う元気最早ない。

それはともかく、若い頃威張っていても男ってダメだね。
前にも言ったが結局最後は女性に敵わない。
なにしろ女は元気だ。
羨ましいくらいに。
別に大阪のオバチャンに限った話ではない。
生命体として強い。

男はいつも戦士として使い捨てされるだけだった。
しかし米国海兵隊のような野獣も、私のような文弱の徒も特段の区別をしてもらえない。
太平洋戦争末期、特攻に行かされる学徒の中には離陸直後失神して墜落する者がいたそうだ。
あの時代に生まれ、零式艦上戦闘機に搭るほど優秀だったなら、私はきっとそうなった。
永遠の0では語られる事のなかった真実もある。

男は例外なく強く逞しくなければならないようだ。
実際そういう男もいるが、そうではない者もいる。
それは今も昔も変わらない。
きっとこれからも。
しかし男は戦士としてのみ評価され続ける。
他の評価軸は限定的だ。

現代なら差し詰め企業戦士か。
就活で見られているのは結局その点、つまり戦力たり得るのかという所だ。
弱い男は雇ってもらえない。
辛い話だ。
だが、メガネに適って採用されたとしても、その後の運命はけしてあまいものではない。
若く稼げる時のみ利用され、少しヨレて来たらすぐリストラだ。
良くて出向。
南方の島嶼に送られ、タコツボでじっとしておれ、敵が来るまで動くな、来たら一人一殺であると玉砕を強要されたあの頃と基本は変わらない。

家庭が、つまり女性が期待しているのは繁殖力と子育ての費用稼ぎの戦士だ。
いや場合によっては繁殖力も必要とされないな。
本当に自分の子かどうかなんて事、普通殆どの男は判別不能だから。
閑古鳥の「托卵」みたいなものですね。
(斯く言う私も多分別の意味で托卵されたとも、或いはしたとも言える)
にも関わらず、この頃では「育メン」などと持て囃され、専業主婦の嫁に乞われるままに育児家事まで負担させられる始末だ。
それで最後に待っている運命が熟年離婚では立つ瀬もなかろう。
アホな男たちはそれでもまだ気付かない。
男は黙ってサッポロビールだと。
いいか、あんたが元気なのは今のうちだけなんだよ。
それは究極の空元気かもしれないんだ。

ご同輩、男はバカでそして悲しいねえ。
せめて酒なと飲んでくれたまえ。
ブルーなミッドナイトにチビチビやりながら来し方行く末を思うそんな時、もしも音楽が必要なら本作を薦める。
この盤だけは男のものだ。
女には全然必要ない。
特に我妻には。
やけに寝付きの良い彼女にあるのは精々イブニングまでで、ミッドナイトなんか有りはしないからだ。


















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(299) ON FIRE

on fire
No.299 2015.6.11




<ON FIRE>





これもよく見たら女性はほぼ裸らしい。
バーニー・ケッセルの鼻の下がのびてニヤついている。
しょーがねーなぁ。

本作はハリウッドにあったジャズクラブ「P.J's」におけるバーニー・ケセルのライブ盤だ。
彼のライブ録音自体が珍しいが、本作をリリースしたエメラルド・レコードが更にレアである。
なにしろこれ一枚きりだ。
プロデューサーがフィル・スペクター。
そう、アルバム「LET IT BE」をプロデュースし、「ロング・アンド・ワインディングロード」に女声コーラスをオーバーダビングしてポール・マッカートニーを激怒させたあの男だ。

フィル・スペクターは過去何度かバーニー・ケッセルをスタジオワークで雇っており、そうした繋がりから本作へと発展したようだ。
ケッセルのギターにベースとドラムのトリオと言えば1957年録音(本作は1965年録音)の有名盤「ポール・ウィナーズ」を踏襲したもので、そうした所にフィル・スペクターの抜け目のなさが窺えるがこちらはヒットせずエメラルド・レコードは潰れた。
収録ナンバーの「いそしぎ」は今日スタンダードとなっている。
本作と同じ1965年の映画のテーマ・ソングであった。

約3年半に渡り、主にこうして好きなジャズのレコードを紹介してきた。
それは畢竟過去について語る事に繋がった。
私の人生の大部分がもう既に過去に属しているからだろう。
だが昔話ばかりでは面白くないのだ。
言ってる本人が面白くないから、見ている方は当然そうだと思う。
とはいえ外交問題同様に未来志向で物事を扱うのは容易くないのも事実だ。
既に定まった過去を語ることなら出来ても、未だ見ぬ未来を(それも楽観的に)語るとなると骨が折れる。
どのように想像力を働かせても先の事は読み難いものだ。
悲観論ならいくらでも言えるけれど、そんな話を聞きたい人はいない。
さりとてバラ色の夢物語ばかりしても、とりとめのない夢想や戯言に過ぎないからこれも面白くない。
ではどうする。
今を語るのだ。
つまり日記ということだ。
「移ろいゆく浮世に竿さすジャジーな毎日を綴ります」
なかなかそうもいかなかったが、私は冒頭そのように宣言している。
話を組み立てるという作業は頭の体操に調度いい。
万一怪しくなってきたら、いよいよそういう方向も考えなければならないだろう。
そんな風に考えている。










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