(4) グレート ジャズピアノ 静かなる狂気

フィニアス
NO.4 2011.11.16




〈グレート ジャズピアノ 静かなる狂気〉






フィニアス・ニューボーンJr.を初めて聴いた時はその技巧に驚いた。
今日ではこれくらいのテクニックを持つピアニストならいくらでもいるし、過去にもいた。
しかし、彼のピアノはどこか人と違うのだ。
それぞれ別の人格を持つかの如き左右の手によって描き出されるところの、そのモザイク画のような彼のピアノに一時期ハマってしまった。
京都の安アパートに持ち込んだシンプルな装置で私はフィニアスを聴き続けた。
何度も繰り返し聴いたせいだろうか、
いつの間にかそれらのフレーズを自分が弾いているような錯覚すら覚えるほどだった。
言っておくがピアノはLET IT BEのイントロしか弾けない。
ヘビーローテーションで酷使され、真夏の西日に焙られて変形するのではないかと恐れたレコード盤は、意外と何のダメージもなく今も健在である。

フィニアスにあまり華やかなイメージはない。
どちらかと言えばツキのない人生ではなかったか。
彼は精神病を患い、そのため録音の機会は少なかっただろう。
また少し体調の良い時期でも、まとまった曲数を録るのは難しかったのかもしれない。
それ故か本作ではAB面のセッションが異なる。
B面は「ザ・ワールド・オブ・ピアノ」のB面と同一セッションであるとのことだが、それならば同一セッションで一枚を構成したら良かったのではないだろうか。
また、本作はB面の方が明らかに録音が良い。
同じスタジオで同じエンジニア(ロイ・デュナン)が録っても、日付が異なればその出来栄えも大きく異なるもののようだ。











スポンサーサイト

(9) ケリー ブルーな常時通電

ウィントン
NO.9 2011.11.21




〈ケリーブルーな常時通電〉





ビバップとハードバップの違いは、要所でかっこいいキメアレンジが施されているか否かにもある。
名曲、名演として長く残るには、そこのところがあるなしで大きく違ってくる。
ケリー・ブルーのかっこよさも、ある意味ではアレンジの巧みさによるものであり、一概にジャズの本質をソロだけに求めるべきではないのがわかる。
つまり両方必要なのだし、双方かっこよく決まらなくてはならないのだ。
たいへんな事だと思う。

スーナーケーブルを入手してトランス>フォノイコライザー間に使用してみた。
これはいい。
もっと使うか思案しているところである。

現在フォノイコライザーは上杉研究所のU・BROS-20を使用中だ。
本機は遠路到着した時本体ケースを留めるネジが一本脱落していたのであるが、あわてて上杉研究所に電話して事なきを得た。
後日のこと、出し抜けに右スピーカーの音が出なくなり、青くなって色々調べたらU・BROS-20の右側端子が接触不良を起こしていた。
この時も電話で対処してもらった。
実は対応していただいたのは二度とも社長の上杉佳郎氏ご本人だったのだ。
雑誌STEREO SOUNDの執筆者もしておられたので、ご存知の方も多い事と思う。
この業界では有名人であるが、割りと気軽にオーディオの電話相談など受けておられたので、私もその後何度か相談に乗ってもらったものだった。

去年の夏頃だったろうか、「常時通電」についてご意見を伺った事があった。
U・BROS-20の電源を入れっぱなしにしたいが問題があるかないか、という質問に対し上杉さんはこうおっしゃったのである。
「電源入れっぱなしが良いなどというのは、都市伝説的オカルトに過ぎません。
電源を入れて10分もたてば、電気的には安定し、それ以上良くも悪くもなりません。
電源常時ONはパーツを劣化させるだけで何ひとつ良いことなどありはしません」

オーディオの世界には常時通電神話というものが確かにあり、そのように製作されている製品すらある。
私が現在使用中のプリアンプやチャンネルデバイダーやCDプレイヤーには、電源スイッチというものがそもそもない。
常時通電を原則として作られているのである。
節電もへったくれも、そこには一切ない。
であるから、夏場などはそれ相応の発熱をし、故にエアコンが活躍するという、神をも恐れぬ垂れ流し状態となっている。
言わば電気の源泉かけ流しである。
震災直後にはさすがに気が引けたものであった。

上杉さんの説が正しいかどうか、電気のデの字もわからない私には何とも言いようがないので困る。
その上杉さんが昨年の12月、肺がんのため他界された。
急なことであった。
尚、U・BROS-20に常時通電はしていない。
















(12) ビューティフルラブなあの日の通天閣

アーノルド
NO.12 2011.11.24




<ビューティフル ラブなあの日の通天閣>






澤野作品である。
タイトル曲「ビューティフル・ラブ」「インビテーション」「ララバイ・オブ・リーブス」と馴染みの曲が並ぶ。
とんがったところなどミジンもない。
それはそれで確かに心地良い。
しかしジャズってそんなものだったか?
ぬるい。
それが言い過ぎなら、冷静だと、終始冷静と言っておく。

今年9月、澤野商会を訪ねた。
澤野商会は大阪、通天閣界隈の商店街で履物屋さんを営んでおられる。
そこへなぜ?とジャズに興味のない人は思うだろう。
澤野さんは商店街で履物屋をやりながら、ジャズのCDを作り販売しているのである。
では、そこへ何を求めて行ったのだろう。
物見遊山というわけでもなく、ジャズファンの間で有名な澤野由明さんに一度お目に掛かり、話がしたかった訳でもない。
実際私は基本的に人と話すのが苦手である。
何を話せば良いやら困ってしまうのだ。
え?あなたもそう?

では何だったのだろう。
旅の勢い、とでも言えばいいのかもしれない。
遠方から来たと言えば、そうそう手荒には扱われまい、というのもあった事だろう。
ただ、訪ねてみれば案の定、話すことなど特になかった。
御社のCDをたくさん持ってます、ハーそうでっか・・・これで終わりで後はどうして良いやらわからなかった。
こんな客では澤野氏も困ったのではないだろうか。
仕方がないのでスキーの話や、震災以降観光客が来ない話やらを無理にして、CDを一枚買い逃げ出すように帰ってきた。
人とのコミュニケーション能力に問題がある。
人を楽しませることも、自分が楽しむことも難しい。
だから人といるのが苦痛だ。
そんなこんなで、こんなに酒浸りの人生となった。













(13) When Your Lover Has Gone  恋去りしとき

エディ
NO.13 2011.11.25




<When Your Lover Has Gone  恋去りしとき>






1994年の録音で、これがオリジナルジャケットだ。
ビーナスから再発されたわけのわからないジャケットとどちらが良いだろう。
非常に微妙である。
この後エディ・ヒギンズはビーナス原氏によって日本でのカムバックを果たしてゆく。
本作はそれら諸作よりも若い分タッチにキレがある。
だが、彼はほとんど無名であり、フロリダのホテルラウンジなどで細々と活動を続けていたようだ。
自分のアーチスト人生も先が見えたと感じた日もあっただろう。
それが後日、日本で突然売れたのだから、本人も驚いたに違いない。
人生わからないものだ。

テナーのジョン・ドーテンという人は本職がコンピューター関係の仕事だそうで、そうした事はジャズの世界では特別珍しい話ではない。
そして様々な意味で気分の良い話ではないのもまた事実である。
なろうと思えば楽に成れたというテニスコーチを選ばず、スーツを着て仕事がしたかったと語った知人を思い出した。
思えばこれを買った当時私はCDのヘビー・リスナー(というかヘビー・バイヤー)だったが、棚が満タンになったとの理由により購入をためらうというのもいかがなものか。
気分の良い話ではない、という意見も当然聞こえてきそうな感じだ。

これを聴きながら島田荘司氏のエッセイ集「ポルシェ911の誘惑」を読んでいる。
エディ・ヒギンズは読書の邪魔をしないのが美点である。
この本が書かれたのはプラザ合意(85年)の頃で、本作よりもさらに時代が遡っている。
その頃日本は今よりもずっと楽天的で元気があり、ベルリンは西と東に分かれていたし、北京市民の主たる交通手段は自転車であった。
四半世紀の時を経て、いまや冷戦はとうの昔に終わり、日本は中国の後塵を拝しかねない有様となっている。
時代というもの、時の流れというものの凄さをつくづく感じさせる。
中国繁栄のきっかけを作ったのは鄧小平による市場経済化であった。
そして日本不調の始まりは総量規制や金融引き締めによる急激な信用収縮によったのであるが、どちらもやってみるまで結果など分かりはしなかった。

物事は理屈通りにゆくものばかりではない。
その点では今のEU問題も同様で、どのような方向へ行き、どう収束するのか今の段階では誰にも分らないといった方が早い。
それはTPPも同じことだ。
さあ、どうする?











(14) ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ VOL.1 美貌はプライスレス

ユタ
NO.14 2011.11.26





<ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ VOL.1 美貌はプライスレス>






ドイツ人美形ピアニスト、ユタ・ヒップによる幻の名盤ということになっている。
美人、美人というがそれほどのものか。
ピアノもいたって普通だ。
評論家レナード・フェザーがわざわざドイツから連れてきて録音させるほどのものにはとても聴こえてこない。
今なら大西順子や山中千尋、三輪洋子といったもっと良い「美人」ピアニストがこの日本にも大勢いる。

時代が違うと言えばそれまでの話になるが、後から考えれば本作がブルーノート栄光の1500番台に存在しなければならない理由もない。
まあ、そうは言っても1500番台も始めの方は、SP音源や10インチの寄せ集めで構成され、内容的にも必ずしも納得のいくものばかりではないのだが。
12インチLPの時代到来により、ブルーノートとしても早期にカタログを充実させる必要があった。
本作もそういったものの一枚なのかもしれない。

「ドイツ人」「女性」「若い」「(比較的)美人」ジャケットの行間にそういったキーワードが隠れている。
当時アメリカのジャズファンは、そんな彼女をどのように聴いたのだろう。
異国の地で心細気な若い女性がいれば、応援したくはなる。
多分それだけだ。

スィングジャーナルの1993年5月臨時増刊号「新・幻の名盤読本」によれば本作の幻度相当高く、それをRVGリマスターで安く入手できるというのは、良い時代に、あるいは味気ない時代になった。
ところで何故本作の幻度が高いのかといえば、それは当時売れなかったからなのである。
どれくらい売れなかったのか。
これは想像になるが、ブルーノートが当時売った総数といえば多分良くて千の単位だ。
つまり、そもそも市場に出回らなかったから、その後何十年と年月を経てのち健在な玉数が絶対的に少なく、今や程度の良いオリジナル盤などには滅多にお目にかかれない事態となっている、という話に過ぎない。
それ故目の玉が飛び出るようなプライスタグが付けられるのであって、必ずしもそれが内容の充実ぶりを保証するものでない事は、多くの高額オリジナル盤と同様である。

その後のユタ、インフレ気味の声援も次第に小さくなり、失意のうちに帰国したようだ。
我が国におけるベッツィ&クリスのようなものかもしれない。











(16) イタリア流合理主義

カルロ
NO.16 2011.11.28




<イタリア流合理主義>






カルロ・ウボルディ、イタリア人ピアニスト。
かっこいい曲を書く。
今もっともジャズが盛んなのはイタリアであるという。
アメリカはジャズを発明したが、もはや所有はしていないと言われる。

しかし、それにしてもイタリアとジャズは何かピンと来ない。
大丈夫だろうか、イタリア人といえば陽気で明るいというイメージだ。
陽気で明るいジャズもあるにはあるが、全部そうなら辛い。

しかし、行ったこともない私には良くわからないのであるが、イタリア人というのは本当にそうなのか。
「そうなのか」とはつまり、陽気で明るいか、ということだけれど、
セリエAのサッカーなど見て疑問に思ったものだ。
堅いのである。守備が。
それはカテナチオ(カンヌキをかける)と自ら言うほどで、徹底的に耐えて何はともあれ失点を避け、相手の隙を突いて得点し、1-0で勝つのが彼らの美学だという。
これが陽気で明るいサッカーだろうか。
いや、セリエAには外国人選手も多く、必ずしもイタリアの国民性を反映したものではないかもしれない。

だが、彼らのナショナルチームが青いゲームシャツを着て戦う対外試合は、さらに堅実なものとなっていたのである。
イタリア人というのが陽気で明るいかどうか、それは知らないが、非常に合理的なのはとりあえず間違いない。
目的に向かって遠回りしない人たちなのだ。
サッカーという極めて得点の入り辛い競技を合理的に戦うには、先ずは失点しないことだ。
失点しなければ負けることはない。
得点が目的ではない。
負けないこと。
勝つことはその次だ。
それがイタリア流合理主義サッカーという事なのではないか。

イタリア人と超守備的サッカーとジャズは依然としてどうも結びつき辛いが、優れた芸術にはまず先に、完璧なプランがあると考えれば多少納得もいく。
ジャズのソロは何も場当たり的に出鱈目に演るものである筈はなく、少なくとも頭の中に譜面が浮かんでいなければ、とてもこのような美しい音楽になどならないだろう。
そしてサッカーの試合というのは彼らにとってやはり芸術であり、最も美しい1-0への勝利へ向けて用意された完璧なプランが、カテナチオという譜面だろうか。

かつてマカロニ・ウエスタンとかいうゲテモノがあった。
本物のウエスタンには到底太刀打ち出来るものではなかったように思う。
だが、このマカロニ・ジャズは違う。負けていない。
少し分かりやすく作ってある。
ひとりよがりな辛気臭いオリジナル曲を並べて苦行を強いるようなことはしない。
これは意図的なものだろう。
加えて本作の収録時間、55分とコンパクトにまとめられている。
これも美点。
もう少し聴きたいと思うほどだ。
商業音楽CDのツボを押さえて合理的にまとめた秀作である。
2006年の録音。











(17) アルトゥーロ・オファリル 時を越えるパーフィディア

オファリル
NO.17 2011.11.29





<アルトゥーロ・オファリル 時を越えるパーフィディア>






30年以上素姓のわからなかった「パーフィディア」を含む。
「青い麦」「青春の館」・・・知っている人もいるだろうが、私も中身はすべて忘れた。
ディスコ以前、「おどり場」とか言っていた場所でバンドが演っていた曲だった。
わけもわからないまま大人の世界に抱いた憧憬は、幻としておいた方が良かったのか。
「B♭」「モンク」「ドッコ」「アクト」「モジョ」「ミルク」みんな時の彼方へ消えていった。
レコードというメディアは耐久力があるが故、そうして全てが消えた後ですらそれがウソのようにリアルな残像を再現して見せる。
言って見ればヤボですらある物体である。
楽々と一世紀はもつであろうレコードに比べれば、このCDというやつは30年もつかどうかわからない。
出始めの頃3000円以上もした古いタイトルを陽にかざして見ると、物によっては細かな孔が穿たれている。
酸化によるものだという。
本作は2002年の録音であり、すでに10年が経過している以上、30年後にきちんと再生できるかどうか怪しいものなのだ。
その頃多分既に私は生きていないが、これらを引き継いだ子や孫やそれ以外の人達がどのような気持で聴くにせよ、実体験を伴わない音楽は時に空虚なものになる。
音楽は自分が生きた時代とともにあるべきものなのかもしれない。
だからCDは30年もてばそれでいい、そのような達観をもって作られたのであれば驚く他ない。











(26) ハウス オブ ブルーライト横浜

エディ
NO.26 2011.12.8




〈ハウス オブ ブルーライト横浜〉





59年の録音であるが、私の手持ちは80年代に再発された国内盤である。
エディ・コスタというピアニストの、もの悲しい物語が油井正一氏によって綴られている。
ジャズメンは古今、そして東西を問わずいつだって恵まれぬ境遇を甘受してきた。
そしてそういった状況には今後も大きな変化など起きないだろう。
それでも尚彼らをして演奏に駆り立てるものがある。
それは女だ。
というのは冗談だが、ジャズメンがある種の女性にやたらとモテるのは事実である。
だが、ジャズメンを本当に奮い立たせるもの、それは彼らに出来て私には出来ない事、音楽を創造するという行為によってもたらされる歓喜だ。
自分の作り出す音楽が脳内に快感物質を分泌し、一たびそれに酔えば次はもっと強い刺激を欲するだろう。
彼らは遂にその快感に搦め捕られ、二度と離れられないでいる。
私には自ら音楽を作り出す才能はなかったが、なくて良かったかもしれないではないか。
良かった良かった、精々私は人様の作ったものを聴かせて頂く事としよう。
快感は酒に担当させて。











(28) ワルツ フォー デビー 名盤の作り方①

ビル
NO.28 2011.12.10





<ワルツ フォー デビー 名盤の作り方①>






これも大有名盤であるが、私は本作の存在を20年前まで知らなかった。
ジャズ喫茶でバイトしていてそれはないだろう、と言われるが事実だから仕方がない。
興味のあるタイトル、何かの理由で引っ掛かって来たレコードしか聴こうとせず、ジャズ本の類で系統立てて覚えるような事もしなかったからで、かくてはならじとそれ以来名盤紹介本等で研究するようになった。

本作を私に教えてくれたのは、同じテニスサークルに所属していた女性でアチョという名前だった。
もちろんあだ名である。
空手をやっていたとかで、それでアチョなのだが、いくらなんでも安直に過ぎる。
空手の腕前は知らない。多分あのテニスだから知れたものだろう。
取り立てて特別な関係があった訳ではないが、ワルツ・フォー・デビーを聴くたび彼女を思い出す。
その後どうしただろうな。
きっともういいおばちゃんになった事だろう。

そのアチョにこのレコードを聴かせた男が先日結婚した。
やはり同じサークル絡みの関係であり、私をオーディオ地獄に引きずり込んだ人物だ。
それまでの私は、ラジカセよりマシならそれでいいとうそぶいていたものだった。
なのにお節介にもいい音とは何かを、その男は教えてくれた。
だから私も結婚とは何かを、一回り年下の女性を妻としたその男に教えてやりたかった。
人は判断力の低下によって結婚し、忍耐力の不足によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚するのだと。
だが、もう全てが手遅れだった。

レコードというものはそれが商品である限りより多く売ろうと、売れるようにと作られている。
だからプロデューサーがA面一曲目に持って来たがるのはいつも、ドーンとキャッチーな曲である。
昔はレコードが高価だったから、買う前に試聴する客も多く、その場合たいていはA面一曲目を聴くものだからだ。
だが本作はそういったセオリーをまったく無視し、「マイ・フーリッシュ・ハート」を一曲目に持ってきた。
これが本作を他とは違う存在にし、大名盤にした。

ワルツ・フォー・デビーは1961年6月にニューヨークのジャズクラブ「ビレッジ・バンガード」で行われたライブ演奏を音源としており、同一音源からサンディ・アット・ザ・ビレッジバンガードというもう一枚別のレコードが出ている他、その時の全セットを収録したCDのボックス・セットも出ている。
そういった中で、タイトル曲ワルツ・フォー・デビー始め複数回のテイクがある曲が多い中、マイ・フーリッシュ・ハートには別テイクがない。
色々な見方が出来るだろうが、これ一発、完成度抜群なのである。
私はこのトラックが相当好きだ。

マイ・フーリッシュ・ハートで思い出すのが、源孝志監督の映画「大停電の夜に」である。
映画のテーマに使われていたし、豊川悦司がジャズバーのマスターを演じるそのバーが「フーリッシュ・ハート」だった。
まあまあの出来だったが、まあまあだった。
ベース奏者だった豊悦がニューヨークで勝負しようと決意して、恋人に一緒に来てくれないかと半プロポーズ的なお誘いをする。
女は迷ったがとうとう来なかった。
豊悦はその後ひとり日本に戻り、ジャズバー「フーリッシュ・ハート」を始めた。
だが、ご多聞にもれず閉店する事になる。
最後の営業日がクリスマス・イブで、店を閉める前に来てくれないかと嘗ての恋人に告げる。
その恋人というのが原田知世で、なんだか少し違う気がした。
あれは柴崎コウがよかったな。











(33) フライト・トゥ ・デンマーク 思えば遠くへ来たものだ

jordan.jpg
NO.33 2011.12.15




<フライト トゥ デンマーク 思えば遠くへ来たものだ>





今は亡きデューク・ジョーダン、1923年生まれというから相当古い人だったのだ。
62年から本作吹きこみの73年まで、彼はレコーディングから遠ざかりタクシー・ドライバーをしていた時もあった。
ジャズがマイナーな音楽なのは、一時を除けば今も昔もそんなに変わりはしない。
それはオーディオという趣味についても同じことが言える。
両方ともこんなに素晴らしい芸術だというのに嘆かわしい事である。

しかし思えば多くのビッグネームがこの世を去ったものだ。
スタン・ゲッツは死期が近いのを知り、演奏で燃え尽きたという。
ビル・エバンスなどは緩慢な自殺と言われた。
一切病気を治そうとしなかったかったからだというが、本当だろうか。
死人に口なし、それは誰にもわからない事だ。

世の中何一つとして確実な事などなく、分からない事だらけだが、たった一つ間違いのない事実は全ての生物がいつか必ず死ぬということだろう。
全ての人が死亡率100%なのである。
これ程分かり易い話もそうない。

コルトレーンは悟りに近づいたのか?
マイルスは死など恐れぬ男だったのか?
そんな事は本当はどうでも良い事で、皆偶然に生をうけ、なるようにしかならなかった人生の終わりに、ほとんど訳がわからなくなって死んでいったのだ。
ただ、自分の死期が近い事を知っていた人というのは確かにいるだろう。
状況にもよるだろうが、出来ればそうありたいものだ。
もうじき彼女の誕生日。
あれから20年、生きていれば還暦を過ぎていた筈の彼女は多分死を悟っていたと思う。
その時何を思ったか、出来ることならいつか聞いてみたいものだ。











(38) ザ・スリー  スピーカー、アンプ、それにプレーヤー

ザ/スリー
NO.38 2011.12.19



<ザ・スリー  スピーカー、アンプ、それにプレイヤー>





新譜で購入。
35年後、中古レコード店で1000円程度で売られている。
ピアニストがジョー・サンプル、日本製作(イースト・ウィンド)、そしてジャケットも冴えないからだろうか。
本作はダイレクト・カッティング盤だ。
当時は何かそれがとても素晴らしい特別のレコードであるかのように思った。
売る側、FMレコパルなどのメディアもそういった扱いをしていたからでもあるだろう。
だが、実際の内容は特にどうと言うこともない。
ジャズである以上、編集なしの一発録りというのも、考えてみれば当たり前の話に過ぎない。
この手のまやかしは良くある。
レコードのもつ保存性の高さが、長い時間の経過後もしっかりと証拠能力を発揮するが、それ以外の多くが風化してうやむやになっているだけだ。
都合の良い事を言い、それだけを覚えている事が多い。
だが、時には都合の悪かった事も覚えていて、そうして少しずつではあるが進歩して来たのである。

当時私は相当背伸びをして、最初のオーディオを手に入れた。
それは自分で買った、という意味で、実際には中学生の時に叔父が日立のステレオを買い与えてくれたのである。
今から考えると、あの時何故叔父は突然ステレオを買ってくれたものだろう。
まったくの謎なのだが、そして既に故人となりそのわけを聞くことも出来ないのだが、全てがその時始まったと言っていい。
医者だったその叔父は、酒を飲み過ぎて肝臓をやられ、比較的早くに亡くなった。
医者の不養生というのは本当だ。

叔父が買ってくれたステレオは安物ではあったが、私はとても大切に使っていた。
しかし、余りにもノイズが多く、私は段々それが不満になっていった。
そこでついに自分で選択したオーディオを、大阪の日本橋で購入したのである。
当然予算がひどく限られたものであるから、本当に欲しかったスピーカー、ダイヤトーンのDS-28Bは買えず、下の機種であるDS-251MK2を選んだ。
それでも踊りだすほどに嬉しく、それは大事に扱ったものであった。

一緒に選んだアンプがデンオン(デノンにあらず)のPMA-500Zで、このアンプは時々壊れはしたが、明るく乾いた音で251をドライブしたものであった。
プレーヤーもデンオンのダイレクト・ドライブに、シュアーの安いカートリッジを着けていた。
私は震える手で針を置き、たくさんのレコードを聴いた。
総額で30万そこそこのセットだったと思うが、今仮に100万のアンプを買ったとしても、あの時ほどの感激はやってこないだろうな。











(48) アレックス・カラオ

kallao.jpg
NO.48 2011.12.29



<アレックス・カラオ>





アレックス・カラオは生まれつき目が不自由であったようだ。
少々クラシックなスタイルのピアノで、アル・ヘイグを思わせるところがある。
昔ならパウエル派と言われたのだろう。
誰が言い出したか知らないが、このナニナニ派というやつ、思えば失礼な言い方だ。
来日したトミー・フラナガンがパウエル派に括られていると聞き、なにそれ、オレはフラナガン派である、と言ったとか。
日本特有の分類だったのか。
もしもそうなら、そのオリジナリティには少し感心する。
だが、今はもうそんな事は誰も言わなくなった。
その辺の無名新人ならいざ知らず、大ピアニストをつかまえてパウエル派はないだろう。

本作はカナダのオタワ大学でライブ録音されている。
バードランドの子守唄、ラブ・フォー・セール、イッツ・オールライト・ウィズ・ミー、ラバーマン等々馴染みの曲が続く。
ジャケット写真の眼鏡に写る鍵盤と彼の手が印象的だ。
偶然ではあるまい。バート・ゴールドブラットによるものである。
スタジオでの作品があれば聴いてみたい。











(49) ウィントン・ケリー

wynton.jpg
NO.49 2011.12.30



<ウィントン・ケリー>


手元の盤は、マスターテープの状態がかなり悪くなってからのプレスだ。
再発の輸入盤。
大阪辺りの安レコード屋のバーゲンで買った記憶がある。

昔のアナログ録音はオープンリールのテープレコーダーを使ったもので、時間が経つほどテープが物理的に劣化する。
音が揺れたり飛んだり、これはもうどうする事もできない。
そうなってからCD化したところで、この点は何ら変わるところがない。
オリジナル盤の価値が高い理由はここにある。
出来たての状態の良いマスターテープを使って作られているからだ。
だからと言って、レコード一枚何十万もするのはさすがにどうかしているけれど。

この盤はそもそもプレスが良くないようで、絶えずイヤなノイズを発生させる。
傷があるわけではない。
とにかく仕事が雑な印象。
裏ジャケットを見る。
印刷の字がワクからはみだしている。
見えても見えなくても、どのみち理解できる訳ではないから構わないものの、作り手の愛情とか拘りとかの類は微塵も感じられない。
アメリカの工業製品らしい、と言ってしまえばそれまでだが、そもそも、このジャズという音楽自体がアメリカ発生のものなのだ。
神聖視することはない。











(51) コンサート バイ ザ シー

garner.jpg
NO.51 2o12.1.1



<コンサート バイ ザ シー>





エロール・ガーナーは楽譜を理解しなかったと聞く。
それでもこれだけピアノが弾けたのである。
数年前のこと、アルトサックスを習いにヤマハ音楽教室へ通ったことがある。
グループレッスンと個人レッスンがあり、私は迷わず個人レッスンを選んだ。
ちょっと男前で神経質そうな先生に、私は宣言した。
楽譜は読めません。読めるようになりたいとも思いません。
ただ、レフロ・アローン一曲吹けるようにして下さい。
だが、レッスンはテキスト通りに進められ、大半を楽譜の理解に費やされた。
先生は私にアルトサックスを教える気があっただろうか。
なぜかご自分は、常にテナーを持っていた。
素人相手のレッスン、それも初老の男の個人授業である。
気持ちはわからなくもない。
どこかの交響楽団員とか、クラブのバンドマンとかをしておられたのだろうか。
それだけでは食えず、ヤマハ音楽教室のバイトをしておられたのだろうか。
レフト・アローンを吹けるようにしてやろう、とは少しも思っていない様子でレッスンは三か月ほど続いた。

エロール・ガーナーはピアノを耳で覚えたのだろう。
盲目のピアニストは何人もいる。彼らは皆そうしてピアノが弾けるようになった。
私にそうしてアルトサックスを吹くことはできなかっただろうか。
今でも少し残念に思っている。











(57) ナイト・トレインの旅

ピーターソン
NO.57 2012.1.7



<ナイト・トレインの旅>





JR西日本のトワイライト・エキスプレスに乗った。
発売日の朝、営業前から緑の窓口に並び、スィートルームの寝台券を購入できたのである。
大きな駅を避け、郊外の窓口を選んだのが良かったと思う。
スィートルーム、なかなか買えないそうだ。
運が良かった。

寝台列車の旅は時間がゆっくり流れていく。
ちょっと贅沢で、格別の趣がある。
別料金だが、夕食にはフレンチのコース料理を選択できる。
ワインが数種類用意されている。
国鉄も変わったものだ。

ただ、ここが面白いところだが、食堂車でフランス料理のサービスを受けているお客のほとんどが、どう見ても鉄道ファンだった。
服装を見ればわかる。
ジャケットを着用している客は一人としていない。
ウィンド・ブレーカーを着て線路脇でSLを追うファンが、そのまま乗り込んで来たようだ。
皆、大袈裟なカメラを手に時折車内や車窓のシーンを写し、出された料理を一々撮影する。
せっかくのフランス料理だが、ワインをたのむ客はあまりいない。
きっとこの貴重なひと時、酒に酔ってなどいられないのだろう。

だが、それは私にも少し分かる気がした。
移動が目的なのではない。
今、この場に居合わせる事が重要なのだ。
札幌・大阪間、ほぼ一昼夜をかけての長旅だが、車窓からの風景は目まぐるしく変わり、乗客をひと時も飽きさせない。
特段鉄道好きということでもない私ですら、たくさんの忘れ難い場面に何度も釘付けとなった。
とりわけ特筆すべきポイントが青函トンネルだ。
スィートルームというのは、ある区間車列の最後尾になる。
一面ガラス張りの展望席となり、列車の後ろに流れていく鉄路と風景を独占させてくれる。
どこまでも続く青函トンネルの幻想的なシーンは、特に忘れられない旅の思い出となった。

本作は1962年、バーブレコードの手によりLAで録音された。
ドライブ感のある名演奏が並ぶ好盤だと思う。
オスカー・ピーターソンはまことに偉大なピアニストだった。
その平伏させずにおかない完璧な運指は、数あるジャズピアニストにおいても類を見ないものだ。
しかしながらオスカー・ピーターソン、この日本では技量の割にいまいち評判が低かった。
それは彼のピアノが日本人にとってあまりにドライだからだ。
乾いた辛口、辛気臭さのかけらもない。
日本で受けるには湿気が必要だ。
ビル・エバンスのように。

エバンスにあってピーターソンにないものがあるとすれば、深刻さというか、ひた向きさというか、一途にのめりこみ沈潜していく感じで、それをリリシズムとか言ったりもする。
ピーターソンにはそれがない。
だから時に軽く聞こえる事があるのだが、だからと言ってピーターソンが適当に流している訳ではない。
彼はピアノに関する限り何でも楽々と出来てしまうのだと思う。
上手すぎると言っても良いが、それ故演奏に過剰な余裕を生ぜしめる。
ジャズの場合上手いことがマイナスに作用する時があるという事で、何とも気の毒な話である。紛う方無き達人であったが、それを隠す努力に欠けた。
他の分野、たとえばクラシック音楽や絵画やスポーツの世界で、上手いからと言って軽んじられる事はないだろう。
ジャズは一種風変わりな業界である。

この盤を私は大阪で買った。
再発だが、新品の輸入盤だった。
当時の機材ではやけにノイズが大きく感じられて、少しショックを受けた記憶がある。
しかし今聴くと特に問題はない。
再生装置のグレードが上がると針音などが気にならなくなるもののようだ。
それは良く聞く話だが、理屈はわからない。

私は京都時代を含め、大阪の日本橋などに良く通ったものだった。
大阪という街は色々と怪しい所が多かった。
フジフィルムのカセットテープの偽物を大量に掴まされたりした。
日本橋のオーディオ店の対応もそりゃヒドイものだった。
目当てのアンプを買いに行き、店員の口車に乗せられて違うものを買って帰ったりもした。
それは私が若かったせいもある。
だが、若い頃に刷り込まれた印象というものは、一生残るものだ。
それが悪い印象の場合挽回するのも容易なことではあるまい。

今後改めて訪れるチャンスがあるかどうかわからなかった。
だから大阪についの印象を変更するというのはほぼ不可能だろうと私は思っていた。
それが今回トワイライト・エキスプレスに乗って行った事により、私の中でこの街はずい分名誉回復したと思う。
私の知るかつての大阪は、大きいだけで全く垢抜けない、むしろ不潔な田舎町だった。
どこへ行っても黒い虫が這い回り、道行く男たちはタバコの吸い殻を投げ捨て所構わず唾を吐いた。
路地裏はどこも、じめじめといつも濡れていて、小便の臭いがした。
水の都と言われるその海や河は鉛色に濁り、得体の知れない物が浮いていた。

しかし大阪はいつの間にか綺麗になっていた。
都会的と言っても良いくらいに変貌していた。
人も街も時として変わることがある。
しかしすべての人や街がそうではないし、また変わるとしても良い方向への変化とは限らないのであるが。











(61) WOW

junko.jpg
NO.61 2012.1.11



<WOW>





大西順子はとても小柄だ。
あのようにゴツゴツとした力強いタッチの持ち主にはとても見えない。
そこがまた彼女の魅力だ。
曲を書くのが上手いのもいい。
会った事も、だから無論話した事もないが、きっと不思議な女性なのではないのかと想像している。
女性ピアニストに有りがちな、媚を売る雰囲気が彼女には感じられない。
それも彼女の大きな美点だと思う。

ほとんど引退状態の時、あるジャズフェスで彼女を聴いた。
ヨレヨレと言っていいようなデニムの上下で登場し、挨拶抜きで弾き始めた。
しかし、一瞬で聴衆のハートを、彼女はがっちり掴んでしまう。
盛り上がる会場。
往年のタッチは健在で、ガンガンと3曲ほど弾き、さっさと帰っていった。

大西順子、上手く力強くしかも曲がいい。
それらは全てが完璧にコントロールされたものである。
才能がある上に充分に勉強し、練習もした。
そのうえで、日本人によるジャズの限界は確かにあった。
それに気付き、彼女は一時身を引いたのではなかったか。
巷間言われる結婚問題ではないような気が私はする。

本作が世に出てもう20年近いが、私が初めて聴いたのは10年くらい前になる。
その頃、私は本格的にオーディオに手を出し始め、楽しくて仕方なかった。
なかなか思うような音が出なかったあの頃、本作は私の未熟な腕でも良く鳴る数少ないCDのひとつだった。
だからダメな音が続いた後は本作を聴き、私は少し心の平穏を得た。

だが、良い音が出ない日も、私はけしてクサらなかった。
いや、むしろ問題点が多い事を嬉しく思ってすらいた。
これが趣味というものだと言って、トライ&エラーが苦にならなかったのだ。
だから安直にオーディオ店まかせな人を不思議に思い、たとえ良い音が出ていても評価しなかった。
今はどうだろう。私はもう問題点は要らない。
今すぐ良い音で鳴ってくれればそれでいい。
人は10年も経てば、ずい分と変わるのである。












(66) 昭和は遠くなりにけり

2.jpg
NO.66 2012.1.16



<昭和は遠くなりにけり>





フレディ・レッドはハード・バップを代表する作曲の人だ。
分かりやすく印象に残るテーマを書き、ハード・バップの核心に迫った。
本作は全曲そんなフレディのオリジナルで固められている。

今新譜のCDが出て、それが全曲ミュージシャンのオリジナルだった場合、
そんな恐ろしいモノを私はまず買わないと思う。
小難しい、訳の判らないオリジナル曲を、80分も聴かされてはかなわないからだ。

現代のミュージシャンは音楽とは一体なんなのか、一度よく考えてから作った方がいい。
CDを買ってくれるのは誰なのか。
それを買った人があなたのオリジナル曲を聴きどう思うか。買ったからには一度は聴くが、二度目もあるかどうか。
それらについて、ほんの少しのご配慮をいただきたいと思う。
それが商業CDを世に問うことが可能であったエリートにとって、忘れてはならない義務だと私は思うようになった。

確かにフレディのこの音楽は、少しばかり判りやす過ぎるだろう。
それをもって通俗的と指摘することはたやすい。
だが、考えて頂きたいのだ。
音楽は、特にポピュラー音楽は大衆のものではないか。
そして大衆は常に低俗なものなのである。

すべてを通俗的に作れとは言わない。
それではさすがに聴く方も飽きてくるし、作り手も辛かろう。
だから時々通俗を薬味として効かせば良い。
ジャズには確かに難解な所も必要で、全部が通俗的ではこれはもうジャズではない。
難解と通俗のブレンド、ブレンドのサジ加減、これが腕の見せ所だと思う。
あなた方、現在のジャズミュージシャンにとって、それはけして難しい話ではない筈だ。
そうすればCDだってもっと売れるだろう。
生活も良くなる。
金に目が眩んで妥協したとか、魂を売ったと思われるとか、そんな事は心配しなくて良いのだ。
誰にだって生活がある。
売れることはけして悪ではない。

ラスト曲「OLE」を聴く。
胸に迫るものがある。
まだ若かった父や母の姿が心に蘇る。
狭いお茶の間、貧しい食卓、裸電球、そんな家庭でつかの間の団欒を過ごし、明日もまた頑張って働いた昔の日本を思い出す。
前にも書いたが、昭和歌謡の源流がここに流れている。
ザ・ピーナツや伊藤ゆかりや園まりが、頭の中で紅白歌合戦のステージに立ち、歌いだす。
演奏は小野満とスィング・ビーバーズだ。










(67) FOR MY FATHER

father.jpg
NO.67 2012.1.17



<FOR MY FATHER>





ホレス・シルバーもやはり作曲の人だ。
「カルカッタ・キューティー」を聴いて分かる通り、特別ピアノは上手くない。
セロニアス・モンクと似た存在と言えるかもしれない。
捻じれた味のあるピアノがいいと、心にもない嘘を言う人もいるが、モンクも作曲の人だと私は思っている。

「ロンリー・ウーマン」を聴き確信を持つ。
曲の美しさでもっているに過ぎない。
でも、シルバーはそれでいいのだろう。
これだけのメロディ・メーカーでありながら、さらにピアノまで上手かったなら、それは可愛気がなさ過ぎるというものだ。

シルバーはこのレコードを父親に捧げた。
羨ましい事だ。
私にはそんなかっこいい事、ついに何一つ出来なかったな。
きっと父は私のことを心配していたと思う。
そして残念に思ってもいた筈だ。
母親と違い、父親は出来の悪い長男坊を愛おしくは思わないものだ。
息子を誇らしく思えるようなものを、一つでいいから父に捧げてみたかった。

明日は父の9回目の命日である。










(72) MOKO MOKO

mokomoko.jpg
NO.72 2012.1.22



<MOKO MOKO>





買ったあとでCCCDだと知った。
大分少なくなったけど、一体どういう心算のCCCD。
了見が狭すぎる。
ミュージシャン側に拒否権はないのか?

デビューアルバムに続いて同年中にリリースされた、本作は松永貴志のセカンドアルバムである。
後日タイトルを「STORM ZONE」とし、ブルーノートからも発売された。
この時彼は弱冠16才であった。

デビュー直後私の町でコンサートがあり、出かけたが来なかった。
つまりドタキャンであった。
まさか、前日女とハメを外して起きられなかったとかいう話ではないと思う。
まだ体が出来ていなかったのかもしれない。

デビュー盤ではひたすら、元気いっぱい弾きまくった感もあったが、本作ではクラシック的素養も見せる。
ピアノは独学との話もあったが、やはり幼少より一応のレッスンを経て来たのか。
もしもそうではないのなら、恐るべき16才という事になるだろう。
普通の人にとって、ピアノという楽器はとても難しい。
だが、中にはそのピアノが簡単だと、信じられない事を平気で言う人がいるものだ。
松永貴志もそういった、滅多にいない変人の一人なのかもしれない。
現在既に成人している筈だが、その後の動向はあまり知らない。
順調にキャリアを重ね、日本を代表するピアニストになって頂きたいと思う。











(75) WHITE NIGHTS

shafranov.jpg
NO.75 2012.1.25



<WHITE NIGHTS>





この盤はかつて違うジャケットで出て売れず、幻盤となっていた。
その後この形で澤野商会から再発された。
そうしたところ、女性にも受け売り上げが伸びた。
ジャケットが可愛いと言って、これを買っていく女性がいるらしい。
不思議で言葉にならない。
だが、前のジャケットを見た事があるが、パッとしない風景写真だったのは事実だ。
ジャケットは大事だ。
それを証明するエピソードとなった。

本作が録音されて既に20年が経過した。
ビーナスレコードにおけるエディ・ヒギンズ同様、ウラジミール・シャフラノフは澤野の看板ピアニストとなっていた。
二人は日本で売れたという以外に少しも似ていないが、
自分のカラーをより濃く持っているのはヒギンズである。
一聴ヒギンズであると誰にでもわかる。
シャフラノフをブラインドで当てる自信は、はっきり言って私にはない。
とは言え、シャフラノフが自分のスタイルを持っていないかと言えば、そんなことはない。
両者を比べるとシャフラノフの方がやや先鋭的である、つまり少し判り辛いというだけで、むしろいつも変わらないのはシャフラノフの方だ。
私にとって彼を選別するポイントがあるとすれば二つしかない。
それは、好みの曲をやっているか。
そして音質が良いか。
それだけだ。

日本では多少売れたが、彼が世界的なビッグネームになった事実は今のところない。
この点ではヒギンズも同様だが、この二人に限らず新たなジャズジャイアントはもう誕生しないだろう。
ウィントン・マルサリスが最後だと思う。











(76) ジャズの囚人

herbie.jpg
NO.76 2012.1.26



<ジャズの囚人>





この盤を最後に、ハービー・ハンコックはブルーノートを後にした。
出所して行くプリズナー(囚人)のように。
その時、彼のやりたい音楽がどういう物だったのか、それは分からない。
ただ、一つだけはっきりしていた事があった。
「ジャズは金にならねえ」
この後のハンコックはフュージョン路線を走り始める。
1969年春のことであった。

人は誰も成功して金を得たい。
そこにあるのは程度の差だけだ。
強い要望を持つ者は、ハンコックやマイルスがそうであったように、より商業主義的な方向へ向かった。
一方、ジャズメンであることに拘り続けた人もいた。
彼らはジャズの囚人であった。
ある者は自ら望んで囚われの身となり、またある者はそこを出てどこへ行き、何をすれば良いのかわからなかった。
何れにしても彼らはどこへも行かず、その場に留まり続けた。
そして多くは時代に取り残され、経済的にも恵まれることはなかった。
だが偶然にせよ必然にせよ、彼らの手にはプライドが残された。
金で転ばなかった者のプライド、ジャズの囚人のプライドが。

だが、いつの世にもプライドは食えない。
つまりジャズが食えないのであれば、他に何か食えるモノを探す必要がある。
それが彼らジャズの囚人にも喫緊の課題であった。
スタジオミュージシャンとして糧を得る事が出来た者は幸運である。
キャバレーのバンドマンの席を得た者もついていた。
だが音楽とは無関係の仕事で食い繋ぐしかない者も多数いたのである。

多くの者が様々アルバイトに精を出しながら、いつかまたジャズにスポットライトが当たる日を待った。
その日暮らしも慣れればそう悪くない。
アルバイトが終われば、夜は小さなクラブでたまに演奏も出来る。
そうして70年代、80年代が過ぎ去った。
ハンコックが身を寄せたフュージョン業界は、一時活況を呈していた。
だが二度とジャズに光が当たることはなかった。
時代の風向きは完全に変わっていた。

フュージョンで成功しひと稼ぎした後、ハンコックは何食わぬ顔で帰って来た。
もう金は充分ある。あとはジャズで細々とやっていこう・・・
その後私はホテルのディナーショーで彼を見た。
スポットライトを浴び、スタンディング・オベーションをもって迎えられたハービー・ハンコックははにかんだように笑い、けして目を合わそうとしなかった。











(81) 私的名曲集

blue.jpg
NO.81 2012.1.31



<私的名曲集>





透明度が高いヨーロピアン白人ジャズの日本製作盤だ。
この手のモノをずい分買った。
それだけ数が出ていたという事だ。
つまり日本で需要があったのだ。
それを今冷静に聴いてみれば、どれもあまり変わり映えしない内容のものが多い。
それらに大体共通するのが、中身と無関係な意味不明のジャケットである。
本作に採用された写真の女性、確かに男を惹きつける何かがあるだろう。
特にこのペッタンコの腹、理由は敢えて言わないが男は本能的にこれに弱い。
それだけで売れたケースも相当あるに違いない。
商売である以上否定できないものではあるけれど、カレル・ボエリーを含めミュージシャンはどう考えていたか聴いてみたいものだ。

それは別にして、本作には"名曲"「High Time」が入っている。
ただしあくまでも個人的な"名曲"であって、この曲が話題になったり何かのテーマ曲に取り上げられたりした事はない。
もちろん曲がヒットした事実も今のところ一切ない。
きっと今後もないだろうが、この曲なかなか良いです。

長年聴いていると、こうした私的名曲が少しずつ増えていく。
そこで提案だが、それを一枚のアルバムにするというのはどうだろう。
「あなたの名曲をCDにします」という商売を始めたら、3000人くらいならきっと注文が来ると思う。

ジャズのコアなファンが日本に5000人くらいいると言われている。
新譜をチェックし律儀に買ってくれる人たちだ。
そうしたマニアは、CD一枚程度の私的名曲なら大抵持っている筈だ。
そのうち過半数が注文すれば3000という数字になる。
最低単位を10枚・3万円とすれば、9000万の売り上げだが保証はできない。

自分でCDRを焼くのは簡単だが、それではつまらない。
どこかの会社でやらないかな。その時はどういうジャケットにしようかと今から考えているのだ。
あんまり恥ずかしいのも困るけど、せっかくだから思い切り派手なのがいいかもしれない。
ビレッジバンガードで私がピアノを弾いている、というのはどうだろう。
ベースがレイ・ブラウン、ドラムはシェリー・マン、とこういうのを合成で作ってもらう。
今時簡単に出来るのではないか。
少しくらいなら特別料金を払ってもいいから。

この企画には副作用的にレコード会社を利する別の効果がある。
私的名曲のストックを増やそうと、ジャズファンが今よりもっと真剣に新譜をチェックするのだ。
今や彼らは新譜チェックに飽き始めている。
それはあなた方が下らないCDを出し過ぎたせいでもあるのだが、この企画はきっとジャズファンのCD離れをくい止める良いカンフル剤となるだろう。
どうだろうレコード会社の方、真剣に検討してみてくれないか。
どうせ普通のCDなんか出していても、たいして売れやしないんだから。











(82) 帰って来たエバンス

エバンス
NO.82 2012.2.2



<帰って来たエバンス>





ワルツ・フォー・デビーのセッションから13年の時を経て、ビル・エバンスが再びビレッジ・バンガードに帰って来た。
その間エバンスはここで演奏した事がなかったのか、
それは知らないが、多分これが二度目という訳ではないだろう。
エバンスは終始落ち着いており、あまり多くはなさそうな客が、
それを温かく見守っている。
そんなリラックスしたビレッジ・バンガードの様子が伝わって来る。

時代は70年代半ばにさし掛かり、音楽を取り巻く状況は大きく様変わりしていた。
60年代を疾走したビートルズも既に去り、ハード・ロックですらが腐り始めていた。
ウォーター・ゲート事件でニクソンが辞任し、北ベトナム軍は勢いを増してサイゴン陥落は間もなくだった。
日本では長嶋茂雄が引退、ロッキード事件で田中角栄が退陣し、宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへ向けて発進した。

エバンスはユダヤ教のラビのような風貌となっていたが、その実何一つ変わる事なく律儀にピアノを弾き続けていた。
だが、彼が51年の生涯を終えるまで、残された時間はあと僅かだった。
最後まで止める事が出来なかったヘロインが、既にこの天才ピアニストの身体をボロボロに蝕んでいたのである。














(86) 超絶技巧

gon.jpg
NO.86 2012.2.6



<超絶技巧>





ゴンサロ・ルバルカバはキューバの人。
技巧派ピアニストは数多あるが、ゴンサロは極めつけと言って良いだろう。
私は彼より上手いピアニストを知らない。
あまりにも上手く、時として人間が弾いているのではないような錯覚すら覚えるほどだ。

20年近く前のこと、今ほど簡単に行き来できなかった頃、ゴンサロは招かれてアメリカで演奏したことがあった。
きっと聴衆は驚いたに違いない。
キューバの片田舎にこんな凄いピアニストがいたのである。
アメリカという国には傲慢にして思いあがったところが大いにあるが、凄いモノは凄いと素直に認め、賞賛を惜しまない寛容さもまたある。
夜明けのスキャット騒動はどうにも理解できないけれど、ゴンサロの才能は認められるところとなり、当然の如く活躍の場を与えられたのである。
もしも彼が日本に同じものを求めて来ていても、彼の居場所はなかったかもしれない。

ピアノが弾けたらなあ・・・という歌があった。
私は幼少の頃ピアノを習いたいと思ったことがある。
母親にねだったが叶わなかった。
弟がまだ小さく、ピアノ教室に連れていけない、との理由だったように思う。
その弟が幼稚園に上がりピアノを習い始めた。
それは母親に強制されたもので、それ故か少しも上達せず長続きしなかった。
だったら私にさせてくれたら、と少し思った。
一曲だけでいいから弾けたら、それがショパンのノクターンだったら、後年どんなに役に立ったことだろう。
ピアノが弾ける男というものは、もしかしたら料理が上手な男と同等かそれ以上にポイントが高いものだ。

尚、渚で立ち小便ではありません、念のため。










(94) ケルン コンサート

キース
NO.94 2012.2.14



<ケルン コンサート>





当時毎日3回はリクエストが来た。
さっきかけたばかりです、と言って断ったこともあるくらいだ。
リクエストは、二枚組の決まってA面に集中した。
一面一曲の構成だが、お陰で私は今でも隅々まで記憶している。
確かに美しく、また良く出来ているが、これは本当に即興演奏だったのだろうか。
それはキースにしかわからない事だ。
しかし、私は少し疑っている。
まったく白紙の状態でピアノの前に座り、これらのメロディが次から次へ湧いて出るというのは、いくらなんでも話が出来過ぎていると思う。
だが、事前に何らかの構想や予習があったとしても、本作の価値が低下するものではない。
それはどうでも良い事なのだ。
美しい音楽にはそれだけで価値がある、とこの歳になれば思うし、言っても許されるだろう。











(95) カモメ

チック
NO.95 2012.2.15



<カモメ>





私がまだ高校生で、ビートルズやフォークソングなんかを聴いていた当時、これを所有した同級の友人がいた。
一時その男とアパートを借りて同居した事がある。
親が地方に転勤となり、私は親の公務員宿舎を出なければならなくなったのだ。
一人暮らしは初めてで勝手がわからず、私はその友人とアパートを借りる事にした。
お互い家賃負担が半分で済むメリットがあった。
私達は学校のそばにボロアパートの空室を見つけた。
40年前、6帖二間風呂トイレなしの家賃は確か9000円だった。
その部屋に私は自分のステレオセットを持ち込んだ。
二人とも音楽好きと言って良かったので色々聴いたものだった。
かけるレコードはまるで違っていたが、その男がエルトン・ジョンやロッド・スチュワートやCSN&Yをかけるのは、別に何とも思わなかった。
ある時、彼の留守中に何となく本作をかけてみた。
何ということもなく演奏が続いたが、A面の最後へ来て私は大きな衝撃を感じた。
「What Game Shall We Play Today」
もう吉田拓郎なんかを聴いている場合ではないと思った。











(96) オーバーシーズ

フラナガン
NO.96 2012.2.16



<オーバーシーズ>





本作は私が生まれて初めて買ったジャズのレコードである。
ただし自宅用ではなく、ある人にプレゼントしたものだ。
その人は10歳近く年上で、地方の国立大学の歯学部を8年生で退学し、奥さんの父親が営む不動産会社で働き始めたところだった。
高校生の私に酒の味を教え、人生とは世間とは女とは何か語ってくれた。
今から思えばどれも的外れな見解だった訳だが、当時の私にそんな事が判断できる筈もなく、初めて覗く大人の世界になんとか近付こうと必死だった。
しかし、まだ子供だった私には何をどうして良いやら分からないまま、やがて私はその町を離れる事となり、ずい分酒をご馳走してもらったその人物に何かお礼をしたいと考えた。
それで用意したのが本作だ。
その人がジャズならトミー・フラナガンだと言ったのを、私は覚えていたのだ。
現在私の手元には、本作のLPとCDの両方がある。
人生と世間と女はともかく、ジャズならトミー・フラナガンはそんなに間違っていなかった。










(98) 語るべきもの

南
NO.96 2012.2.18



<語るべきもの>





南博さんはピアニストであるが、文章も書かれる。
バブル期の銀座時代を書いた「白鍵と黒鍵の間に」。
銀座のクラブでピアニストをして作った資金でバークレーに留学した「鍵盤上のUSA」。
そして、帰国後を書いた「マイ・フーリッシュ・ハート」が昨年出た。
どれもやたらと面白く、この道でも十分やっていける水準に仕上がっている。
 
音楽家と文筆家に共通してあるべき必須の素養は何か。
それは何はともあれ語るべき事柄がある、ということに尽きる。
中には語るべき何物をも持ち合わせず、ただ生活のために続けておられる方もお見受けするが、人間誰だって生活がある以上それを責めるわけにはいかない。
しかしながら本来であれば、語るべきものがなくなれば廃業するしかない職業である。

南さんは今のところ、その両方に語るべきものをお持ちのようだ。
文章は大変わかりやすく、誰が読んでも楽しめる。
ピアノはどうだろう。
こちらは少なくとも、わかりやすいとはけして言えない。
他の方に私がお薦めできるのは、残念ながらというか、はっきり言って本の方である。











(101) エディ・ヒギンズ没

eddie.jpg
NO.101 2012.10.11



<エディ・ヒギンズ没>





あまりにも薄情というべきだ。
エディ・ヒギンズの死を知らぬまま3年が経過していた。
享年77歳であったという。
2009年の夏の終わり、肺癌とリンパ腫で亡くなった。

そんなもんだろう、という気がした。
多分私はそんなには生きられないとも思った。
そして何年生きようとも、どれだけ長生きしようとも、
結局は同じなのだと思った。

日本の一音楽ファンが、手元にあるCDを数えたら30枚近い数になった。
けして少ない数ではあるまい。
スィングジャーナルなき世界では彼の死が、
この田舎町まで聞こえてくることは残念ながらなかったが、
エディ・ヒギンズ、きっとそんなに悪い人生でもなかったのではないか。
少し甘めの、しかし良く冷えたスパークリングワインでも飲みながら、そんな彼のCDを聴いてみようと思う。
カクテルピアニストとの世評を受けての皮肉ではない。
エディのピアノは甘いと言うよりは旨味があり、
そしてひどく芳醇であった。
あんなピアノが弾けたなら、きっと人生悔いはなかっただろう。
加えてこの男ぶりである。
女性には随分もてたに違いなく、事実再婚も一度や二度ではなかった。
日本人女性と結婚し、一時日本で暮らしていたとも聞いた。
そんな彼のピアノは私の記憶を軽々と10年前に引き戻す。
だが、10年後、私はエディのピアノを聴いているだろうか。
人生は短い。















(107) 黄色い雪

41DS3VZ7MAL__SL500_AA300_.jpg
NO.107 2013.3.10



<黄色い雪>





絶頂期を過ぎたバド・パウエルの運指はもつれ、もう昔のようにいかない。
だが、ジャズ史上あまりにも有名な「クレオパトラの夢」が入った本作は名盤紹介の常連。
肩口から顔を覗かせるのは息子のジョンである(ただし、妻の連れ子)。
私は20年前までこの曲のタイトルを知らなかった。
ジャズ喫茶でバイトしていてそれはないだろう、と又してもお叱りを受けるだろうが事実だ。
ジャズ喫茶は有名すぎるこの盤を避ける。
実際私は本作を、バイト先はもとよりどこのジャズ喫茶であろうと聴いたことがない。
ジャズ喫茶というのはそういう所だ。
有名盤をバカにする。
そして、こんないいレコード知らないだろう?とマニアックな方向へ行く。
店側も客のリクエストも。
そんなジャズ喫茶は日本独特の文化でもある。
ジャズ発祥の地アメリカにも、現在ジャズが最も熱いというイタリアにもそうしたものはない。
私は極東の島国が生んだこのジャズ喫茶がたいしたものだと思うのである。
ジャズは必ずしも黒人と白人に独占されている訳ではない。
残念ながら言葉はわからないが、ジャズのスピリットは伝わって来るのだ。
そんな日本の更に辺境の北国に今日、あの国の影響と思われる黄色い雪が降った。
地球は、世界は繋がっている。
当然ながら海も繋がっているから、津波の引潮がもっていった物が太平洋を渡りアメリカ大陸の西海岸に流れ着きもした。
あの震災からもう2年。
当事者の嘆きが消えない一方で、その他の心の中であの出来事は確実に風化が進んだ。
それは仕方のない事だ。
被災者に生活があるように、その他の者にもまた生活がある。
だからことさら必要以上にわざとらしい事を言うつもりもないのであるが、今日ばかりはあの日の出来事を思い出し、改めて犠牲者のご冥福を祈ろうと思う。











(110) What Are You Doing The Rest Of Your Life?

helge.jpg
NO.110 2013.4.22




<What Are You Doing The Rest Of Your Life?>






ある知人女性が50そこそこで亡くなったみたいだ。
知人と言っても20年も前に何度かテニスでご一緒した事がある程度の知人で、最近になって某オーディオマニアの結婚式でばったりお会いしたら、彼女も結婚したばかりとの話だった。
老後にお互い一人は寂しいね、という共通認識のもとに結婚したのだという。
しかし、そんな彼女に老後はなかったわけだ。

改めて言うまでもなく、全ての生物は誕生した瞬間からカウントダウンが始まる。
だが、その数字は誰にもわからない。
わからないまま歩く薄暗がりの足もとには地雷原が続いている。
歳がいくほど地雷の密度は増すばかりだ。
だから実際私にも老後というものがあるのかどうか。

残りの人生をどう過ごす?
これは難しい問いだが、私は多分今まで通りに過ごすだろう。
今まで聴いてきたように音楽を聴き、
今まで飲んできたようにワインを飲み、
今まで語ってきたように人と語るだろう。
テニスはいつまで出来るかわからないが、出来る間はやるつもりだ。
そんなところであとは特段大きな悔いもない。

亡くなった彼女の人生がどうだったのか、それはさっぱりわからないが、多少なりともテニスが彼女に幸せをもたらした事を望みたい。
遠い日の街角ですれ違っただけの関係、そんな彼女だが、ご冥福を祈り、彼女と彼女が心を残した夫君に敢えてこの曲を贈る。

HELGE LIENのピアノを聴いてください。
人生これで良いのだ、と言う以外に今私は術を知らない。











(111) SEA CHANGS

トミフラ
NO.111 2013.5.23



<SEA CHANGES>





トミー・フラナガンが亡くなってもう12年だ。
本作は1996年の録音なので、フラナガンのキャリア中では晩年に入る。
この年、旧東芝サッカー部が私の町に移転して来た。
どんなものか見物に行ったが、下手くそでとても見ていられなかった。
夏にはアトランタでオリンピックがあり、日本サッカーは24年ぶりの出場を果たした。
前園や中田が一躍時の人となり、二人でカップ麺のCMに出ていたのを憶えている。
司馬遼太郎さんや渥美清さん、横山のやっさんなんかが亡くなり、菅・鳩山を党首に民主党が結成されたのもこの年だった。

フラナガン作のタイトル曲を聴くとバブル崩壊後の世相を思い出す。
世の中は不景気にも慣れはじめ、そろそろ立ち直るのかと思われた頃だ。
しかし実際にはそれから20年近くが経過した現在も、少なくとも私の町は不景気のままである。
アベノミクスとやらのおかげか、東京あたりからは何やら元気の良い話も聞こえて来るようだ。
そんな調子があと数年も続くのであれば、あるいはこの町にも好景気がやって来るかもしれない。
だが、いくらなんでもそれは難しいのではないか。
東京をほんの少しバブリーな風で煽っておしまい、精々そんなところだろう。











(124) 追悼盤

マル
NO.124 2014.1.29






<追悼盤>


ビリー・ホリディの歌伴を務めたマル・ウォルドロンが、彼女の死を悼み捧げた「レフト・アローン」。
ジャッキー・マクリーンのむせび泣くアルト・サックスが頭から離れず、本作もマクリーンの代表作にカウントしたいところだが、参加一曲のみという事でなんとかマルの手元に残った。
実はビリー・ホリディが書いた歌詞もある。
しかし、この曲を録音する前に本人が亡くなってしまい、従ってビリー・ホリディが歌った「レフト・アローン」は残されていない。
だからだろう、マルは他の歌手に歌わせる事はせず、代わりにマクリーンを呼んだのである。

ビリーの死後、マルもマクリーンも皆死んだ。
人の死はけして避けられない。
人生でこれだけが唯一の公平かもしれない位だ。
自然なことだし、普通のことだ。
だから嘆き悲しむことではないのかもしれない。
だが、身近な人の死は、どうしたってやはり悲しいのだ。
私はそれについて今日、多くを語ることはできない。
彼がこの曲を知っていた保証もないが、
霊前に捧げて祈る。
御霊安らかであらんことを。










(127) チェック盤

bill.jpg
NO.127 2014.2.19



<チェック盤>





ビル・チャーラップのピアノ、本当に良く歌う。
バカテクとかいうのではない。
しっとりと歌うのである。
ピアノの一音一音が情緒に訴えてくる、ある日のもう忘れかけた情景を映し出して見せる、そして女心の隙間にそっと忍び込む、彼はそんなピアニストだ。
クリスクロスや日本のビーナスレコードからCDを出していたが、やがてブルーノートが目をつけ、持っていった。
本作を国内盤で持っているが、輸入盤とはジャケ写真が異なるようだ。
ジャズの世界では今なお、こんな事が時々起きる。

ビルの母親は歌手のサンディ・スチュワートである。
親子でCDも出している。
母親の歌伴を息子が、それも親の七光りというのでなく立派に務めた。
孝行息子だ。
そして父親は作曲家のムース・チャーラップである。
母親が歌手で父親が作曲家なら、その息子が必ず売れっ子ピアニストになるとは限らないだろうが、これは血統ということだ。
見ての通りルックスも良い。
なんだかなあ、と思わずぼやきたくなるのは私だけかな。

ところで多分、私はオーディオマニアの部類だと思う。
オーディオを上手く鳴らすのが簡単ではない事も知っている。
だから分かるのだが、オーディオマニアはいつも不安だ。
自分の装置から出るこの音が、本当はダメダメなんじゃなかろうかと。
そこでこの世界には「音質チェック盤」なるモノが存在する。
何もジャケットに大書してある訳ではない。
仲間内でそう言われたり、あるいはオーディオショップで試聴用に用意されていたりするものだ。
これが不思議なことに、押しなべて優秀録音盤なのである。
古くはオスカー・ピーターソン「We Get Requests」やボブ・ジェームス「Foxie」、最近ではブロイアン・ブロンバーグ「Wood」笹路正徳「Birdland」といった比較的入手しやすい諸作だ。
これらは確かに音がいい。
しかしながらだ、録音が良い盤からいい音が出るのは当たり前なのではないか。
オーディオショップが試聴用にそれらを使うのは分かる。
客が驚いてスピーカーを購入するからだ。
だが、オーディオマニアが自分の装置のチェックに、優秀録音盤を用いることに意味はあるのか。
いささかの意味があるとすれば、それは慰安であろうか。
ちっともいい音がしない自分の装置から、たまには良い音を出して少し安心する、というか・・・

そこで本作、これは正真正銘のチェック盤だ。
私は長い間、本作一曲目の「In The Still Of The Night」のベース音階をきちっと再生出来ずにきた。
それをなんとかしようと、涙ぐましい努力を続けた結果、近年なんとかウッドベースの音階を判別出来るようになってきた。

これが出来たなら、あなたの装置の低音再生もある程度大丈夫です。
あくまでも、「ある程度」ですけど。











(129) 演奏家

山中
NO.129 2014.3.7



<演奏家>





山中千尋嬢のデビュー作である。
本作の上梓は澤野商会最大の手柄かもしれない。
当時は30人規模のライブハウスにも出ていたので、間近で彼女を見たことがある。
ピアニストと言えば比較的スタティックな存在感の人が多い中にあって、最大級のダイナミックなオーラを彼女は発散していた。
その後当然のようにメジャーに移籍し、有りがちな事だが、本作を凌ぐ作品を彼女はまだものしていない。

日本人の女性ピアニストはクラシック出身が多く、山中千尋さんも例外ではない。
そしてよく考えてみれば、そうしたピアニストは日本人にも女性にも限らず多数あり、あのビル・エバンスですらがそうなのだ。
この難しい楽器を自在に操るには、クラシック的訓練が普通は不可欠であるという事か。
難しい割にジャズで報われないのも、この楽器の持つ特性である。
ピアノはある意味ジャズに向いていない。
半音の半音といった微妙な音を出す事が出来ない。
そして意外に思うかもしれないが音が小さい。
万一トランペットとのバトルになれば、ピアノには到底勝ち目がないのだ。
だからだろう、ピアニストには知的でクールなイメージがどうしても付きまとう。
ピアノにも情熱はあるが、その炎はアルコールランプのようにいつも青白い。
どんなに燃えようとも、絶対に赤々と燃えはしない。
だから『情熱大陸』を奏でられるのはバイオリンであって、けしてピアノではない。
挙げ句の果てにホーン入りのバンドにあっては、ピアノは常にリズムセクションである。
ドラムやベースの仲間にされる始末なのだ。
苦労して修得しても、どうも割に合わない。
それなのになに故であるのか、彼女ら日本人ジャズピアニストに代表される、そして少なくはないピアニストがクラシックから転向するのは。
逆は聞いたことがない。

幼少より厳しいレッスンに耐え、ピアノを自家薬篭中のものとした頃、彼女らはジャズと出会うのである。
その時、ある種の人がジャズのとりこになり、さらにこう思う。
なにこれ?素敵な音楽じゃないの。私が学んできた音楽よりずっと自由でスリルがあるわ。
そしてこうも思う。
これなら私にも出来るかもしれない。
いいえ、私もやってみたい!
ピアノを操る技術ならすでに完成されている。
あとはジャズの文法を少し身に着けるだけだ。
そうしてジャズピアノを始めてみると、自分が今までやってきたピアノはいったい何だったのかと思えてくる。
とにかく何が何でも譜面通りに弾かなければならないクラシックと違い、ジャズピアノのアドリブの楽しさときたら、まるで世界が違うのであった。

一方でジャズに関心を示さない人もいる。
黙々とクラシックピアノを弾き続けるのだが、この分野のピアニストはジャズより更に需要が少ないだろう。
だから彼女らはピアノの教師になるか、あるいは趣味でピアノを続け、年一回の発表会にすべてをかけるしかない。
先だってこの種のコンサートに行く機会があった。
バイオリン、ビオラ、チェロ、そしてピアノによる演奏会だった。
ロングドレスに着飾ったピアニストは、幸せそうにスタインウェイのフルコンサートを弾きまくった。
スタインウェイは実にゴリゴリとゴツい音を響かせた。
彼女の表情はあくまでも晴れやかであり、自分が続けてきたことへの自信と満足感に溢れていた。

きっとどちらでも良いのだ。
きっとどちらもこの上なく楽しいに違いない。
自分がこれだと思える音楽と楽器に出会い、続ける幸せ。
演奏する歓び。
これは演奏家にしか分からないことだ。
それをものにするには経済力と努力が必要であるが、
同時に運と才能も必要だ。
彼女らはそのすべてがそろったんだなあ。
そしてこうも思った。
オーディオとは違う世界であると。
オーディオ雑誌『ステレオサウンド』の主筆であった菅野沖彦氏はこう言っておられた。
オーディオ装置から出る素晴らしい音楽は一つの芸術である。
レコードからそんな音を引き出す人はレコード演奏家である。
気持ちは分からないでもない。
でも私は少し違う気がする。
オーディオマニアなどそんな大したものではない。
菅野さんには弟がいる。
有名なジャズピアニスト、菅野邦彦氏である。
兄は弟の演奏を聴き、ピアノを諦めたという。
レコード演奏家発言は兄貴の負け惜しみだろうな。











(137) リマスター

spring.jpg
NO.137 2014.5.2


<リマスター>



昨日オーディオマニア宅にて宴会があり、楽しく飲んだ。
マニアであるから、もちろん相当のこだわりをもって装置を選び、セッティングしておられる。
現在(明日のことはわからない)二系統のシステムを楽しんでおられた。
メインがタンノイ・ターンベリーのシステムで、サブがJBLのL26である。
ある意味理想的な組み合わせに思えた。
まるっきり音が違う。
ターンベリーはタンノイにあっては比較的現代的な音を聴かせるのではないか。
対してL26は、最近のやや優等生的になったJBLとは違い、誰もがイメージするコテコテのJBLサウンドだ。
これが逆の組み合わせだとちょっと困るかもしれない。
どちらのシステムも、持ち主の趣味の良さを窺がわせる良い音を出していた。

タンノイシステムではちょっとした試聴を行った。
それが本作、ビル・エバンスの「You Must Believe In Spring」である。
当方持参の方は普通の盤(CD)で、先方のそれはリマスター盤なのだ。
こんなに違っていいのか。
特にエバンスのピアノが違い過ぎるほど違う。
それくらいリマスター盤のピアノの響きが美しい。
私の盤がそっけなく聴こえるくらいだった。

一夜明け、現在自宅にて本作(普通盤)を聴きかえしているところだ。
悩ましいのである。
リマスター盤を買い直すか。
あの音は確かに魅力的だった。
しかし一方で、ジャズの音としてはやや華美に過ぎているとも言える。
だが白状するが、そうした華美なピアノの音が私は嫌いではないのだ。
でも、聴き比べなければ、これはこれで良いとも思える。
しかしあの音を忘れられるのかと問う、内なる声も聞こえる。
堂々巡りだね。リマスター畏るべし。








(148) 日本人プレーヤー

ozone1.jpg
NO.148 2014.6.16



<日本人プレーヤー>


日本代表の初戦敗退で心も身体も重苦しい。
サッカーは芸術だ。
そしてこじつけでもなんでもなく、ジャズだ。
一定のルールがあり文法があるが、本質はアドリブである。
それ故日本人には難しいのか。

小曽根 真はバークリーを首席で卒業している。
同期だったダイアナ・クラールが「小曽根にはかなわなかった」と証言している。
彼のような日本人ジャズミュージシャンが多くはないが時々いる。
そんな小曽根の本作はデビューアルバムだ。
正確な運指や端整な曲作りに、クラシックの十分な訓練をうかがわせる。
極めて日本的な、そして優秀なミュージシャンである。
ジャズの秀才と言っていいだろう。

日本には時々ではあるが優秀なサッカー選手も出る。
しかしこれも多くはない。
古くは釜本、カズ、そして中田といったところか。
なぜか皆、真ん中より前の選手だ。
世界基準の優れたキーパーとディフェンダーが出たことはない。
サッカーは守備なくして成立しないというのに。
キーパー、センターバック、MF、そしてフォワード、そこに核となる世界基準のプレーヤーが最低一人いなくては、ワールドカップでは戦えない。
そして必要なのは「秀才」より「野獣」だ。フォワードにおいては特に。

どうも民族の限界かな。









(152) 父の日には娘も帰って来た

horace2.jpg
NO.152 2014.6.22



<父の日には娘も帰って来た>




先日6月18日の事、ホレス・シルバーが亡くなった。
享年85歳とのことだった。
おくやみ申し上げる。
しかし同時に、随分長生きしたんだと率直に思った。
彼の世代のジャズメンは短命である。
それは麻薬によるものだ。
ジャズ好きな知人とその事について話す機会があった。
ホレス・シルバーは麻薬をやっていたかどうか。
もしもやっていたのに長生きしたなら凄いけど。
まあ、そんな話をしたのだ。
私はやった事がない為自信はないものの、彼の目つきがちょっと疑わしいと思っていた。
知人はもし彼が麻薬中毒だったなら、85歳まで生きた筈がないと言った。
知人は医師だ。
だからきっと彼の言う通りなのだろう。
了解、それはわかった。
次に私が気になるのは、薬中ではないがアル中の場合だ。
私も、そして知人の医師もアル中だからである。
だが、それはちょっと怖くて今回は聞きそびれた。

ホレス・シルバーは数々の名曲を残した。
とりわけ私が好きな一曲は、本作タイトル曲の「ケープ・バーディン・ブルース」である。
ケープ・バーディンとはアフリカの小さな島で、ホレス・シルバーの父親の出身地だという話だったと思う。
NO.67「ソング・フォー・マイ・ファザー」ジャケットに写るあの父さんである。
なんとも親孝行な人だったのだ。
本作はブルーノートの4000番台も後半であるし、ジャケットもそれなりに怪しいけれど、大丈夫このあたりはまだ問題ない。
フロントラインはウディ・ショウ(tp)にジョー・ヘンダーソン(ts)、それに時々J.J.ジョンソン(tb)だ。
ホレス・シルバーを一通り聴いた人には、是非本作も試してもらいたい。










(154) 彩

f1.jpg
NO.154 2014.6.25



<彩>



本作、佐藤準氏の事はほとんど知らない。
だがこの「彩」に収録された一曲目「A Latchkey」の旋律を、私は生涯忘れることはない。
ブラジル関連でもう一つだけ、どうしても触れておかなければならない出来事がある。
かつて私はF1にのめり込み、夜中に起き出して全戦欠かさず観戦していた。
ブラジルが生んだ「音速の貴公子」アイルトン・セナを応援するためだった。
この曲は私にとってセナのテーマソングだ。

1994年セナは、マクラーレンから前年チャンピオンのウィリアムズ・ルノーへ移籍したばかりだった。
まるでコース上を貼りついたようにコーナーを駆け抜けるウィリアムズを駆って、セナは四度目のグランプリを獲得するのではないかと私は思っていた。
しかし一方で一抹の不安もあった。
F1ではレギュレーションがしょっちゅう変更される。
この年のレギュレーション変更において、実はウィリアムズの快進撃を支えたアクティブサスとトラクションコントロールというハイテクデバイスが禁止されていたのだった。
それはおそらく政治的な力が働いた結果であったろう。
その結果、ウィリアムズ・ルノーは前年までの安定感を失い、非常にコントロールが難しい車になっていたと言われている。
そして5月1日、第三戦サンマリノグランプリで、突然その悲劇は起きた。

ポールポジションからスタートしたセナは、世代交代を迫るミハエル・シューマッハーに背後から追いまわされる。
運命の7周目だった。
イモラ・サーキットのタンブレロコーナーのコンクリート壁に、セナは200キロ以上のスピードで真っ直ぐ突っ込んでいった。
享年34歳。

それ以来、私はF1を観ていない。
私が観たかったものは結局、アイルトン・セナの活躍でありF1ではなかった。
そのような例は他にもある。
江川卓が引退してのち、私はファンだった筈のジャイアンツ、そしてプロ野球への興味を失った。
同年代の江川に声援を送っていただけだったのだ。
その後同郷の皆さんが、本拠地をこちらへ移して来た超地味なパリーグのチームに対し、まるでひい爺さんの代からファンだったような態度で熱狂するのを見るにつけ、ただただ白けるばかりだ。
あんたら昨日までジャイアンツファンだったんじゃないのか。
いくら秋波を贈ろうとも、まるで相手にされない愛しいヒト巨人軍。
でも、つれない態度にもメゲず、抱き続けた深情けだった。
ところがそこへ、ちょっと不細工だけど手の届きそうな別の相手が現れた。
そんな手近なヤツと、さっさとくっついただけの話だ。
そういう、軽いというかお調子者というか、おもいっきり良く言って自由なところが、我同胞のワラかすところだ。
まあ、開拓者精神かもしれんね。

ジョン・マッケンローの引退も、テニスのテレビ観戦から遠ざかるきっかけとなった。
毎年夜中に見ていたウィンブルドン、あの情熱はなんだったのか。
そう、どのような情熱もウソのように冷める時がある。
だが、一生冷めることのない情熱もきっとあるのだ。
ウィンブルドンへの関心は失ったが、私はテニスをやめていない。
オーディオへの執着、ジャズへの興味も失っていない。
では、サッカーはどうか。
中田がペルージャに移籍した頃、専用チューナーを買いCSアンテナまで設置して、私は胸ときめかせ彼に声援を送った。
そんなスカパーの装置一式は、もうとっくにゴミと化した。
今にして思えば、中田が代表の中心であればこその熱狂だったのだ。

サッカー日本代表とは私にとって何か。
それはあの太平洋戦争、たとえばミッドウェイ海戦を筆頭に、起きた数々の無念を(ほんの少し)晴らしてくれるかもしれない存在だった。
私の父は戦争に行った。
それも志願してまで行き、予科練で終戦を迎えた。
もしも何か歴史の歯車がほんの少しずれていたなら、彼は特攻に行き私は生まれなかったかもしれない。
そんな父は生涯戦争について、私に何一つ語ることがなかった。
しかし、どれほどの思いがその胸中にあったか、私にはわかる。
息子に一切話さなかったことで余計にわかる。
そんな私と父の思いは今回も遂に叶わなず、日本艦隊は返り討ちにあって撃沈された。
完敗でありほぼ全滅、玉砕と言っていい結果だった。

映画「ミッドウェイ」のラストで次のようなセリフがあった。
ニミッツ提督役のヘンリー・フォンダであったろうか。
それはこういうものだ。
「我々はほんの少しついていただけだ」
その後の私の研究では、そんな話はただの外交辞令に過ぎない。
十分に勝つチャンスがあったとされるミッドウェイ海戦だが、我帝国海軍は完敗した。
それも実際は、完全に負けるべくして敗れたのである。
その話はまた機会があれば語りたいと思うが、ミッドウェイの雪辱をサッカーで遂げることなどどうやら出来そうにないらしい。
サッカー、特にワールドカップは普通のスポーツ、球技なんかではない。
文字通り命をかけた格闘技であり、もっと言えば戦争の代用品だ。
そのことの本当の意味に日本の代表選手が気付き、雄々しく立ち向かう日が果たして来るだろうか。
多分、私が生きているうちにはないな。
無念を晴らすのは、第二次太平洋戦争でアメリカ第7艦隊を殲滅する時まで待つしかないようだ。

本日は母の誕生日である。
母は83歳になった。
その息子も還暦へのカウントダウンが始まっている。
何かと言えば誰かが死んだ話をしたり、思い出話が多くなったり、また、同じような話の繰り返しになったりは、そんな訳だから仕方がないと、どうかご容赦お願い申し上げ候。










(155) 命まで取らない 

honnda1
NO.155 2014.6.27



<命まで取らない>



本作も日本のジャズ史に残る名盤の一枚だ。
40年以上も前の作品だが、録音も非常に良い。
本田竹曠はとても力強いタッチのピアノを弾いた。
ピアノの弦がしばしば切れてしまう程であったという。
私はレット・イット・ビーの前奏をなんとか弾けるのが関の山であるから、それがどれほどの事かよくわからないけれど、トミー・フラナガンやレッド・ガーランドが演奏中に弦を切った話は聞いたことがない。
だから憶測で語る以外ないが、もしかしたらその当時の本田は随分と気負いこんでいたのかもしれない。
後年、ネイティブ・サンなどと、相当柔らかい事にもなった本田であったから。

本田宗一郎さんは、しなやかで強靭な人だったという。
F1グランプリでのあまりの強さに閉口したFIA(サッカーで言えばFIFA)が、ホンダ封じのレギュレーション変更(ターボ禁止)を断行した時の事だ。
スタッフが本田宗一郎氏の所に行き、露骨なFIAに抗議してもらおうとターボ禁止措置が出た旨報告したという。
本田さんは開口一番「ターボが禁止されたのはうちだけか?」ときいた。
そんなわけはない。
「なら大丈夫だ。ばかなやつらだ。それならうちはターボなしで最高のエンジンを作るだけだ。で?話ってのは何だ?」
そんな本田宗一郎に憧れ続けたアイルトン・セナが、初対面で感激のあまり号泣したのは有名な話である。

もう一人の本田。本田圭佑は少し入れ込み過ぎたのだろう。
内心は不安だってあった筈だ。
だからそれを打ち消そうと、大きな事を言って自分を鼓舞した。
長友の会見を見て、彼らも今どきの日本人の若者であると納得した。
心に柔らかく、それゆえ弱く傷つきやすいところを抱えている。
それを自分が一番よくわかっているから、出来るはずがないと知りつつの「優勝」発言で自らトランス状態になろうとした。
イングランドでは若い選手が次々に代表を辞退するという。
イングランドの世代交代がうまくいかず、まさかの予選敗退を呼んだ原因はそんなところにもあった。
サッカーの代表とはそれほどの重圧がかかるものなのだろう。

硫黄島で戦った日本代表は壮絶な消耗戦をアメリカ代表に課し、初めて死傷者数でアメリカに勝った。
栗林忠道中将はバンザイ突撃をけして許さず、徹底した持久戦でアメリカ海兵隊を苦しめたが、守備隊は最終的にはほとんど戦死した。


長友よ、内田よ、お疲れさんでした。
ゆっくり休んでください。
そうしたら、またいつか日本のために戦ってほしい。
サッカー日本代表も時には苦しいだろう。
だが、誰も命までよこせとは言わない。















(165) 整 理

aaron.jpg
NO.165 2014.7.23



<整 理>



現在我家にあるCDとLPの総タイトルは3千を超える。
実際にはこの数、音楽好きならそれほど珍しくもないと思う。
ただ困る事が二点あり、一つは物理的キャパがほぼ限界に近づいているという事だ。
これを意識するというのもあって、購入の勢いは明らかに落ちた。
以前のように、やみくもに買うような事はもうない。
もう一つ困るのは、聴きたいものがどこにあるか分からなくなるのだ。
ない、となったら本当に出てこない。
小一時間探しても見つけられない事がザラにあった。
それは結構いい加減に探しているせいだ。
決めつけによって見落としている。
これは他のことでも有りがちな話なのだが、探し物は結局、何度も探した場所から発掘される。

あるとき閉口して整理を決意した。
リストの作成である。
同時にアルバム本体にナンバーのシールを貼った。
この作業を行ったのは10年くらい前からだった。
しかし、構想に欠陥があり、後から増えるモノを始末に負えなくしてしまった。
とうとう限界に達したと見た妻が「やり直そう」と言い出したのである。
割り振るナンバーのルールを変え、気の長い作業が先日スタートした。
新ルールにより、CD棚の先頭に来たのが本作である。
生誕250年にあたった2006年、モーツァルトをジャズ化したアルバムがたくさん出た。
私は本作が我家に存在することなど、すっかり忘れていたのである。
第一次整理後、一度も聴いていない可能性がある。
では、この機会に聴いてみるのかと言えば、それもしない。
ただ棚にささっているだけ。
一々手を止めて聴きだしたら本当にこの作業、いつ終わるかわからなくなる。
というのもあるが、正直に言えば私にとってもう一度聴く気にならない音楽なのだ。
これを世間では「不要」という。
そうしたものが恐らく、いつ終わるか不明なこの第二次整理で大量に出てくるだろう。

今月の文芸春秋に「終活」の事が書かれていた。
人生の終わりに向けて、少しずついらない物を整理しなさい、というものだ。
それはもちろん捨てるないし売るという事だ。
親が捨てられなかったものを子供が捨てるのは更に難しい。
だから自分の始末は出来るうちに自分で、というのである。
これは究極の「整理」だ。
私はこれまで、買ったことはあるがLPやCDを売ったことがない。
まして捨てるなど。
私にそれが可能だろうか。
まったく自信がない。

ところで先日報告した「オスプレイ」であるが、
「自衛隊は遠からずこれを大量に調達するだろう」といった話をした。
だがもう一年も前、すでに導入が決まっていたみたいです。
知らずにしたり顔で勝手なことをほざいておった訳です。
この類のことも、間違いなく相当数あるのだろうな。
そう思うと少しイヤになった。














(169) 音楽がある限り

denny.jpg
NO.169 2014.8.3



<音楽がある限り>



デニー・ザイトリン、1998年のビーナス作品である。
端正という表現がぴったりだ。
アル・フォスターのドラムがなかったら、少しばかり単調なアルバムとなった可能性はあるが、ジャズというのは不思議な音楽で、ピアノトリオならピアノとドラム、ベースが会話しているかのような流れにしばしばなる。
ピアノが多少予定調和的であっても、聴きどころはそうした流れの中にもある。
だが、それもマルチトラックによるレコーディングが横行しているようだから、近頃では怪しいものになってきた。
映画の撮影のように、各パーツを別々に作り、ジグソーパズルを組み立てる如くの作業となっているなら、それを知らされればジャズファンとしてはだまされた気分にもなろうというものだ。

デニー・ザイトリンは精神科医でもある。
二足のワラジというやつで、そういう人は少なくないが、はっきり言って感じよくはない。
不動産屋兼内装屋、ラーメン屋兼ギタリスト、ジャズ喫茶のマスター兼評論家、これくらいの所ならまだ許してもいい。
医者であり作家、ピアニストであり工学博士、元都知事で現在衆議院議員でありながら作家でもある、こういうのが面白くない。
最後のは言わずと知れたあのご老人だ。
政治と文学のどちらがあなたにとって大切ですか?
この質問に「そりゃあ文学です」と彼は即答したという。
ちきしょう、そう思いつつも最新作を読んだ。
「やや暴力的に」
いったいあの男はこれをいつ、どこで書いていたものか。
悔しいけど面白かった。







(210) レッド ガーランドの事など

moodsville6.jpg
No.210 2014.10.9



<レッド ガーランドの事など>




ムーズヴィルというのはプレステッジの傍系レーベル、と言うよりも特殊シリーズと言った方が良いだろう。
どのように特殊か。
ミュージシャンは他のプレステッジ同様の所属ジャズメン達である。
ただ内容が分かりやすいというか、バラードものやスタンダード中心となっている点が特長となっている。
そもそもわかり易く作ろうとの趣旨であるところへ本作、レッド・ガーランドのトリオであるからわかり易くない訳がない。
せめてもの配慮か、大有名曲は避けられた。

前にも書いたが、レッド・ガーランドはマイルスバンドの「ザ・リズムセクション」の一員である。
マイルスがレッド・ガーランドを雇った理由がわかる気がする。
要するにセロニアス・モンクのようなピアニストでは邪魔になったのだ。
自分の演奏を妨げない、もっと普通のピアニストが良かったのだろう。
そういう意味では必ずしも、レッド・ガーランドでなければいけない理由はなかったのかもしれない。
事実、本当はアーマッド・ジャマルが欲しかったとの説もある。
しかし一方でマイルスは、レッド・ガーランドのブロックコードが気に入っていたという。
普通右手による単音で進行するメロディを、レッドガーランドはコードで演奏することがしばしばあった。
これをブロックコードと言うようだが、もちろんシングルトーンによる演奏も行った。
これがコロコロとタマを転がすように滑らかであり、レッド・ガーランドの大きな美点となっていた。

昔ジャズ喫茶のバイト仲間が、レッド・ガーランドを「女子大生のアイドル」と言った。
カクテルピアニストなら良く言われていた。
サロンの甘ったるいBGMだ、というような意味だろうと思う。
けっして褒めてはいないのだ。
まあ、言わんとする所はわからないでもない。
だが、女子大生のアイドルとはどういう事だったのか。
私はずっとそれが気になっていた。
そして後年、あの男が付き合っていた女性が多分どこかの音大のピアノ科で、レッド・ガーランドを気に入っていたのだろうと結論付けた。
ジャズ喫茶が今よりずっと繁盛していた当時でも、店に女子学生が来ることは希であったし、彼女らがレッド・ガーランドをリクエストする場面を見た記憶もない。
キース・ジャレットやチック・コリアならあるけれど。
そのバイト仲間は同志社大学文学部の学生で、就職がないから中学の教師になるのだと言っていた。
もう名前も覚えていないが、君の人生はその後どうだった?
そして今でも音楽を聴いているか?

私はピアノという楽器が好きだ。
だから気を付けていないと、ブログもライブラリーもピアノのカテゴリーばかりが増えていく。
もしもどうしても一つだけ楽器を選択せざるを得ないなら、多分私はピアノを選ぶ。
では無人島に持って行けるピアノのレコードを10枚選べ、となったらどうするか。
きっと聴きやすいピアノトリオにするだろう。
レッド・ガーランド諸作品のようなアルバムだ。
トミー・フラナガンも入れたい。
エディ・ヒギンズなんかも選ぶかもしれない。
女性なら大西順子や山中千尋や三輪洋子など、比較的最近の日本人。
秋吉敏子はない。
ビル・エバンスはどうだろう、わからない。
オスカー・ピーターソンも微妙。
多分セロニアス・モンクのアルバムは選ばないと思う。
そのうち無人島に持っていく10枚を本気で選ぼう。
ところで電気はどうするんだ、とかのツッコミは無しだ。
















(221) QUINTESSENCE

evans5.jpg
No.221 2014.10.29



<QUINTESSENCE>




「真髄」といった意味であるらしい。
ジャズの真髄。
この盤がどれ程の知名度や人気を持っているものか、私は知らない。
知らないが恐らく、エバンス作品の中で上位に来ることはないだろう。
1977年ファンタジーレコードに残された本作、B面最後のケニー・バレル作「BASS FACE」を聴いて欲しい。
話はそれからだ。

1957年あたりをピークにジャズは、次第に勢いを失って行き遂に「死んだ」とすら言われる。
本当にそうか。
私は正直そのように思っていない。
確かに変形もしただろう。
そりゃーあなた、半世紀以上も経って何一つ変わらないなら、そいつは伝統芸能の仲間になったという事だ。
ジャズは今も変形し続けている。
あえてそれを発展とは言わないでおく。

エバンスの、例えば「あなたと夜と音楽と」に続けて、本作を聴いてみる。
つまりトリオ作品ではないものとの比較を試みる。
どうですか、真髄に変化がありますか?
仮に多少の技術的変化があるとしても、それは進化であって少なくとも「死」へ向かう老化ではない。

来月私の住む町に、活きのいいトランペッター島裕介がやって来る。
頭が柔らかい。
だから彼はジャズを特別視しない。
音楽があった、だからジャズもある。
そこが素晴らしいのだ。
彼の周囲に多くの若手ジャズメンが見える。
ニュータイプのジャズメン達。
彼らがこのジャズという音楽に惹かれているのが私にも分かる。
なんのなんの、ジャズは死んでなどいない。


話が変わり過ぎるけれど、今日はだいぶ疲れている。
春秋年二回の、恒例親子温泉ツアーから帰ったところだ。
今回はN別温泉某露N何とかいう宿へ行ってきた。


2014102818340002.jpg


疲れているから結論を急ぐが、良くなかった。
母を不快にさせては意味がないからと、言葉を飲み込む場面ばかりだった。
あれで一人4万請求出来るなら、商売も楽なものだろう。
いや、そうではないな、楽ではない結果があれなのか。
どれくらい良くないか、一度行ってみて下さい。
一々語る気に私はならないので。

年二回を続けた結果、もうネタが尽きてきた感じだ。
どこかに素敵な宿がないものか。

秘密の情報をお知らせください。
けして公言いたしません。
私のささやかな親孝行にご協力頂けると、大変有難いです。









(229) トリビアの泉

teruel.jpg
No.229 2014.11.13




<トリビアの泉>




フランス人ピアニスト、エリック・テリュエルのデビュー作「Traboules Pursuit」。
本作を輸入したガッツプロダクションは、これを「Sidewalk Chaser」と改題した。
ガッツプロ、ポーランドなどの東欧ジャズを扱ったが、取っ付き難く売れなかった。
そこで起死回生策「ピアノトリオ万歳シリーズ」に打って出た。
本作はシリーズ第三作である。
原題「Traboules Pursuit( トラブール パスート)」ではなんだかわからない。
故ヤスケンさんがライナーに書いておられるが、Traboulesという単語はフランス語の辞書にも載っていないという。

だが、調べれば出てくるものだ。
Traboulesはエリック・テリュエルの出身地リヨンの旧市街に500年前からある、屋根のある小路だという。
複数の建物内を通る抜け道というか、路地裏のようなものだ。
Pursuitは英語・フランス語共通の単語で、「追跡」のことだから、「Sidewalk(歩道)Chaser」というのは一見ほとんど同じ意味に思える。
ただ、不思議な事にガッツプロがわざわざ改題したタイトルであるが、ガリ版刷りに毛の生えた程度の粗末なライナーにちょこっと載っているだけで、ジャケットのどこにも反映されていない。

一方「Trivial Pursuit(トリビアル・パスート)」というアメリカ発祥の大ヒットしたボードゲームがある。
双六のようなもので、サイコロを振り盤を進む。
進んだポイントで出されるクイズを解くことが出来れば、更に先へ進むというものだ。
トリビアルとはラテン語で三叉路の事であり、転じてありふれた事、更に雑学を意味した。
それはTRIが大学の基礎教養科目七つのうち三学(トリウィウム/文法・修辞・論理)であり、他の四科(クワドリウィウム/算術・幾何・天文学・音楽)よりも下らないとされたからだ。

「Traboules Pursuit」というのはもしかしたら、「Trivial Pursuit」のフランス版ではないだろうか。
もしもそうなら、「Sidewalk Chaser」の改題では意味を成さなくなる。
というような「トリビアの泉」的薀蓄など、この際まあどうでも良く、私がここで一番注目してもらいたいのは、本作収録の「ブルー・ランタン♯26」である。

こんなにかっこいい曲があまりにも知られていない。
エリック・テリュエルを一言で言えば「知的なピアノ」ということになる。
彼の一番いい所、一番おいしい所がこの一曲に凝縮されている。
寺島靖国師匠の「JazzBar 2014」が間もなく出る頃だ。
何故この曲がJazzBarシリーズ過去13枚に採用されることなく、打ち捨てられて来たのか私は理解できない。
1999年フランス録音。
ピアノトリオ絶対の推薦曲である。

ところで、中田ヒデと柴咲コウの話、あれは本当なのか?
過去に色々話題もあったが、あれは陽動であって実は中田氏、女に興味がないのではと思っていたのだが。








(231) SOUL FOOD 魂の糧

soulfood.jpg
No.231 2014.11.18



<SOUL FOOD 魂の糧>




前世紀末、バカテク認定していたピアニストが三人いた。
モンティ・アレキサンダー、ゴンサロ・ルバルカバ、それに本作のサイラス・チェスナットだ。
バカテクという言い方には少しばかり否定的なニュアンスが含まれる。
テクニックばかりが先走り内容おろそか、といった感じだろうか。

1992年、サイラス・チェスナットは日本のアルファジャズから「キャラバン」でデビューした。
29才だった。
ピアニストとしてもう既に若くない。
その時のベーシスト、クリスチャン・マクブライドなど弱冠19才だったのである。
サイラス・チェスナットに、このチャンスを何とかモノにしようという焦りというか、決意は当然あっただろう。
「スタンダードナンバーを」とのレコード会社の要望も、黙ってのむしかなかったと思う。
であれば違いを見せるならテクニックだ。

2年後アトランティックからオリジナル曲でかためた「Revelation」が出た時、私はこのピアニストがただのバカテクでない事にやっと気付いた。
彼には作曲の才能があった。
例えばホレス・シルバーも数多の名曲を書いた作曲の人だが、ピアノは普通だ。
デューク・ピアソン然り。
楽器の天才且つ作曲の天才、こんな人世の中にそうそういるものではない。

アトランティックで成功したサイラス・チェスナット、同時期に日本のM&Iからも複数のアルバムをリリースしている。
こちらは契約の関係で、「マンハッタン・トリニティ」名義だった。
日本のレコード会社はジャズと言えば反射的に「マンハッタン」である。
しかも相変わらず「スタンダードナンバーを」。
だが、サイラス・チェスナットはテクニックのひけらかしをしなかった。
もう彼にそんな必要などなかったのだ。

余裕が演奏すら変えてしまう。
でも一番変わったのは体型かもしれない。
「100 Gold Fingers」という人気ピアニスト10人を集める企画で来日した時、病的にメタボ化した姿を見て大変驚いた。
このコンサートに付いたコピー、「ニューヨークからピアニストが消えた」にも笑ったけど。

本作タイトル曲を聴いて欲しい。
これは是非聴いておきたい一曲だ。
9分近い長尺にも関わらず、飽きさせることなく一気に聴かせる。
フロントにマーカス・プリンタップ(tp)やジェームス・カーター(ts)らを並べ、既にビッグネームとなっていたデビュー盤のベーシスト、クリスチャン・マクブライドが付き合っている。












(237) あわてんぼうのサンタクロース

merry ole
No.237 2014.11.30



<あわてんぼうのサンタクロース>




ブルーノート4323番、デューク・ピアソンのメリー・オウル・ソウルである。
サンタ姿のピアソンがピアノを背負っている有名なジャケットだ。
であるがカラーという事もあり、とてもブルーノート作品に見えない。
なに?クリスマス・アルバム?その通りだ。
ピアソンの初リーダー盤であるブルーノート4022番「PROFILE」と見比べてみれば、同一人物とも思えない違いがある。
多分こちら、本作の方が地だろう。
ジャズメンもイメージ作りに大変だったのだ。

ピアソンはただのジャズメン、ただのピアニストではなかった。
アルフレッド・ライオンが引退して後のブルーノートを、プロデューサーとして支えたのは彼だ。
4000番台の後半諸作にはピアソンの息がかかっていると思って良い。
そして最後の最後に来て、どさくさ紛れにクリスマスアルバムを吹き込んだ。
ミュージシャンというのは、クリスマスアルバムを作りたがる人達だ。
それが出来たら一丁前、一流の証しだからである。
ピアソンンの満足気な顔をご覧頂きたい。

あまり大きな声で言い辛いが、私は結構クリスマスソングが好きだ。
片っ端から集めて私的コンピを編集し、それが現在第三集まで来ている。
定番と思われるものを既に使ってしまい、そろそろネタ切れが近い。
どこかに素敵なクリスマスソングがないものだろうか。
そんなに集めてどうする、と言われればまあおっしゃる通りである。
スイカと一緒で所詮季節ものだもの。
ところがクリスマスアルバムの解説を見ると、「これはただのクリスマスアルバムではない」とたいてい書いてある。
季節を通して聴ける完成度に仕上がっている、と。
そんなわけあるかい!
クリスマスアルバムはクリスマスアルバムだ。
ただのクリスマスアルバムで結構。
それ以上である訳がなければ、無論それ以下でも当然ないのである。
大好きなクリスマスソングであっても、真夏にかけたら何事かと思われよう。
事実、家人から必ず苦情が寄せられる。
だから辛抱していたが、明日から12月、そろそろいいのではないか。

本作はCD化されたが長らく廃盤となっており、法外な値段で取り引きされていた。
それが現在再発され、非常にお手頃な価格で手に入るようだ。
ブルーノート4000番台も最後の方だが、大丈夫怪しげなものではない。
良く出来た、しかしただのクリスマスアルバムである。
安心してお買い求め頂きたい。


♪あわてんぼうのサンタクロース♪クリスマス前にやってきた・・・









(244) Run Away

dark beauty 
No.244 2014.12.15



<Run Away>




これも毎日のようにリクエストがきた盤だ。
ジャズのレコードというものは、何度かお話しした通り膨大な点数あり、名盤といわれるものが中にある。
どれが名盤か、なんて事は聴く人が勝手に決めればいい事だ。
だから私は私で、勝手に私的名盤について述べるだけなのだが、実際のところ一般にこの名盤と称するもの、どうも二種類あるように思われる。
それは評論家が選び本に載っている名盤と、ジャズ喫茶の名盤である。
評論家という職業は権威を拠り所とする。
つまりかっこつける、というか難解をもってよしとするところがどうしてもある。
分かり易いものに解説などいらないし、であれば商売のネタにもならないからだ。

ジャズの名盤紹介本がたいていロクなものではない理由はこうした事情による。
特に初心者は気を付けたい。
マックス・ローチ「We Insist!」、アルバート・アイラー「Spiritual Unity」、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ「苦悩の人々」、アンドリュー・ヒル「Black Fire」これらを初心者の私は、某社「モダン・ジャズ決定版」本によって掴まされた。
本当にこれらが好きなら、一人で聴いていればよいのだ。
どうぞどうぞ。
だが、人には薦めるな。
といった類のものだ。

もう一つの「ジャズ喫茶の名盤」とは、実際にジャズ喫茶でよくかかった盤だ。
「名盤」というのに文句があるなら、「人気盤」でいい。
こちらの特徴は、聴けば一生忘れられない旋律をもった曲が必ず一曲は含まれる、ということだと思う。
デクスター・ゴードン「チーズ・ケーキ/Go」、ビル・エバンス「ナーディス/At The Montreux(お城のエバンス)」、デューク・ジョーダン「フライト・トゥ・ジョーダン」、鈴木 勲「Play Fiddle Play/Blue City」等々いくらでもあり、ケルンコンサートなどは長尺のA面一曲全部がそうだったという事だろう。
本作、ケニー・ドリュー「Dark Beauty」もそんな一枚だった。
1961年に欧州へ落ちのびたケニー・ドリューが、74年デンマークのステイプル・チェイスへ吹き込んだ盤である。

アメリカの黒人ジャズメンは既に50年代の始めから食い詰めており、渡欧する者後をたたなかった。
バド・パウエル、スタン・ゲッツ(白人だったネ・・・)、デクスター・ゴードン、アート・ファーマー、皆そうだ。
アメリカはむしろ終始一貫黒人ジャズメンに冷淡だった、と言う方が正しく早い。
ケニー・ドリューもその一人であった訳だ。
知らぬ者とてなき有名ピアニストであるから、「ケニー」といきたいところだが、ケニー・ドーハム(tp)もいればケニー・バレル(g)、ケニー・クラーク(ds)もいるため、フルネームでお呼びしなければならない。

本作の名を後世にまで知らしめたのはタイトル曲ではなく、「Run Away」の方であった。
ステイプル・チェイスは北欧のレコード会社だから、やっぱりそんな音がする。
つまり、ブルーノートのような脂っこく黒々した音ではない。
どちらかと言えば淡白で冷静な音作りだ。
ところが本作に限って、偶然だろうかオーディオ的に非常に面白い音に仕上げられた。
その秘密はドラムのチューニングと採音にあった。
更にはニールス・ペデルセンのベースも、何と言うか非常にクリアに捉えられている。
この二つが「Run Away」を人気曲に、「Dark Beauty」を人気盤にしたのである。
聴いてみてください。


話変わるが実は先週、妻の車がやって来る予定であった。
その二日ほど前に担当者から連絡有り、納車を延期して欲しいと言う。
何かあったのですか?
何かあったに決まっている。
お父さんが亡くなったのだと、彼は相当テンパった様子でそう言った。
私の娘と同世代の青年だ。
これは車なんかに構っている場合ではなかろう。
私は了承し、車の件は後日落ち着いてからお話ししましょうと言った。
ところでお父さん、おいくつだったんですか?
私は恐る恐る尋ねてみた。
私より三つ上とのことだった。












テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(248) RELAXIN' AT 五輪橋

eclypso.jpg
No.248 2014.12.24



<RELAXIN' AT 五輪橋>




名盤請負人トミー・フラナガンのリーダー盤、1977年録音「ECLYPSO」である。
野口久光氏のライナーノーツによれば、ECLYPSOとは日蝕の意であるとの事だが、辞書にはない。
日蝕ならECLIPSEである。
これとCALYPSOを合体させた造語である、と本人が生前語っていたとの証言があり、どうもこちらが正しいように思われる。
No.96登場の1957年録音「OVERSEAS」1960年「MooDs VILLE 9」の後、日本関連盤2枚があるのみで、トミフラにとってやっと5枚目となるリーダー作だった。
西ドイツ(当時)のenjaレーベルによって救済されるまで、トミー・フラナガンという名ピアニストは事実上無視されていた。
それはジャズというものにショービジネスの側面がある以上、仕方のないことであったろう。
トミフラが「名盤請負人」と呼ばれる事に、大きな意義を申し立てる人は多くないと思う。
ただ、それがどういう意味かと言えば、「ピアノ職人」という事であり、別の言い方をすれば「一流サイドメン・名脇役」という事なのだ。
つまりトミー・フラナガンはけしてスターではなかった。
彼のステージを私は京都で見たことがある。
実際地味だった。
例えばハービー・ハンコックに感じたカリスマ性や、オスカー・ピーターソンが発したオーラやエンターテイメントを、トミー・フラナガンに見ることはなかった。

本作を一言で言えば「オーバーシーズを意識したジャズメンオリジナル集」である。
盟友エルビン・ジョーンズ(ds)を迎え、「リラクシン・アット・カマリロ」と自作の名曲「ECLYPSO」を再演した。
サキコロでサポートしたソニー・ロリンズの「OLEO」に始まり、チャーリー・パーカーの「CONFIRMATION」で終わる。
同じenjaレーベルに彼が残した「CONFIRMATION」というアルバムがある。
2007年に出た同CDのライナーノーツに、「ECLYPSO」からの再収録と書かれている「CONFIRMATION」であるが、良く聴けば別テイクなのである。
このライナー氏であるが、実際はニューヨークで録音された本作をミュンヘン録音としていたり、相当いい加減ではある。
しかし、二つの「CONFIRMATION」の違いを見逃したのに無理もなかったとも言えるのである。
そっくりだからだ。
このあたりにトミー・フラナガンの「職人」が見える。

日本は一流の職人をリスペクトする国だ。
だからだろうか「OVERSEAS」が一番売れたのは日本だという。
トミー・フラナガンは日本のジャズファンに最も愛されたジャズメンの一人だと思う。
本作について一つ言っておきたい。
録音があまり良くない。
特にジョージ・ムラーツのベースだ。
当時ベースの音をマイクではなく、ピックアップで録音するのが流行り始めていた。
本作ではそれがあまり上手くいっていない。
ドラムの音もコモって聴こえる。
録音では20年前の「OVERSEAS」に完敗だ。

ところでA面ラストの「リラクシン・アット・カマリロ」は、ラバーマンセッションで錯乱したあのチャーリー・パーカーが書いた曲で、担ぎ込まれたカマリロの病院で大変リラックスいたしました、という曲だ。
実は先日、妻の妹が具合悪くなって入院したのである。
この人物、父親譲りのとても性格の良い女性で、なんとも言えず人をリラックスさせる特技を持っている。
最初は体調が悪そうで心配したが、昨日見舞った姉の言ではすっかりよくなり、ベッドを離れて待合室のテレビで一人、退屈そうに韓流ドラマを観ていたという事だ。
どうやら間もなく退院できそうだ。
良かった、一安心だ。
クリスマスを病院で過ごす事になるが、それで済んで本当に良かったと思う。
だからそれくらいは我慢すべきだ。


彼女に、そして皆さんに、何はともあれ今年もメリー・クリスマス!











小樽7


昨日、小樽へ行ってきました。
雪の小樽駅前。
前を行く謎の女ひとり。




小樽10


お約束のジャズ喫茶探訪・・・









テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(252) 坂道のアポロン

brilliant corners
No.252 2015.1.3



<坂道のアポロン>




1956年リバーサイドに残されたセロニアス・モンクの代表作、ブリリアント・コーナーズである。
プレステッジで不遇をかこつモンクを身請けしたオリン・キープニューズは、コンテンポラリーシリーズに十数枚の録音の機会をモンクに与えた。
中でも本作は最も有名であり、最も内容の濃い一枚である。
力強く、そして不思議なジャケットだ。
デザイナーはポール・ベーコンだった。
パソコンなどというものがなかった時代、これは相当苦労したのではないか。
そんな事を言うのはたやすい。
いったいどのようにしてこれを作るのか。
私などの埒の外だこれは。

「I Surrender,Dear」を除く四曲がモンクのオリジナルだ。
素晴らしい楽曲が並ぶ。
アーニー・ヘンリー(sa)ソニー・ロリンズ(ts)オスカー・ペチフォード(b)ポール・チェンバース(b)クラーク・テリー(tp)マックス・ローチ(ds)と、面子も凄い。
モンクのピアノについては前回お話ししたのが率直な気持ちであるが、音楽家モンクをそれだけの扱いで私は終わりに出来ない。
と言うよりも正直なところ、終わりにしてはいけないのではないか、という何か良くわからないある種の義務感のようなものが、私をして時々本作をターンテーブルに載せさせる。
そしてやはり毎回思うのだ。
どうしてもっと普通に弾かなかったのかと。

やろうと思えばできたのだ。
ブルーノート5000番台に初期の音源が残っており、そちらでの彼は多少後年の片鱗を見せはするものの、もう少し普通にピアノを弾いている。
モンクは売れなかった。
後輩のウィントン・ケリーや弟子のバド・パウエルが注目される一方で、モンクが脚光を浴びることはなかった。
そしてモンクのピアノはこのスタイルに改造されたのだ。
私はこれを改悪だと思っている。
痛ましいことだ。
新しいことをやるのは構わない。
どれほど斬新であろうとも、その音楽が美しければ称賛をもって迎えよう。
私にとって音楽は、兎にも角にも美しくなければならない。
しかしどんな別嬪にだっていつか飽きるし逆に、ブスも三日たてば慣れるというから私は、モンクのピアノにも慣れる日が来るのかもしれないと思った。
だが不協和音は何度聴いても不協和音だった。
モンクはやはり作曲の人だ。
それでいい、それだけで十分に素晴らしい。

今朝娘が帰った。
彼女の住む町まで、ここから車で2時間ほどの距離だ。
二度目となる転勤までまだ一年以上あり、それは私が内心勝手に予想しているだけの事で、実際にどうなるかなんて分からない。
そればかりか、家から5時間かかる場所への転勤もある。
娘からの「無事着いたコール」を聞いたあと、私たちは2年越しとなる「番外編 ⑯ バイオハザード・リベレーションズ」にやっと決着をつける事が出来た。
実際の作業を行ったのは息子だった。
私と娘はただ金を稼ぎ、武器のレベルを上げただけだ。
とてつもなく大変だったけれど。

それから私たちは、息子の推薦するDVDを観た。
「坂道のアポロン」という、フジテレビがいつの間にか放映したアニメだ。
九州の田舎に転校した主人公がジャズに目覚めていく話だ(今のところ)。
毎回有名なジャズの曲名がタイトルとなっていく。
これが大変面白い。
こんな風にして私たちの正月が終わり、少しずつ普段の生活へ戻っていくらしい。
明日には息子も帰るという。
私は8日ぶりのテニスだ。


















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

プロフィール

バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
最新コメント
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
"Count" Basie