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(1) ネフェルティティなど聴きながら

ネフェルティティ
NO.1 2011.11.13





<ネフェルティティなど聴きながら>







マイルスはとにかく、新しい音楽がやりたかったのだろう。
今まで誰ひとりやったことのなかった音楽。
それがたとえジャズではなくなってもかまわなかった。
フォービートでスタンダードを演奏する、そういうスタイルがジャズなら既に飽きていた。

新しい音楽のスタイルを自分の手で作り出す。
誰にも文句は言わせない。
ここまで行くのにはさすがのマイルスにもそれなりの苦労があったに違いないが、とにかくそこを突破して自分の好きなことをやる権利を手にした。
ポップスの世界にはよくある話でも、それをジャズでなし得たマイルスは凄い。
プール付きの家に住んだ唯一のジャズマンと言われたマイルス・デイビス。
これは成功した者にのみ許された商業録音だ。

ただ、彼にとっては既にどうでも良い事であったにしろ、やはりこれはジャズから遠ざかっていく音楽だった。
この後のマイルスはその道をどんどん進んでいき、ついにはジャズメンですらなくなっていった。
当時のレコード会社ならびに関係者にそんな事を指摘できる訳はもちろんなく、言いたいこと(があったかどうかはわからないが)など言えないのは評論家も同じであり、一般のファンを巻き込んで有り難くマイルスの新しい音楽を拝聴していた。

今となってはマイルス・デイビスの新しかった音楽を聴く人はあまりいなくなった。
時間というろ過装置を通過した後、マイルス・デイビスはどこか滑稽で少しもの悲しい。










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(2) サムシンエルスな出来事

サムシンエルス
NO.2 2011.11.14





<サムシンエルスな出来事>





大御所なのである。
マイルスが一音プッと吹くだけで周りの者どもは「まいりました・・」となるわけだ。
一番手でソロを取り、アッと言う間に自分の世界を作ってしまった。
これではいくらキャノンボール・アダレイがリーダーだと言ったところで誰も信じはしない。

マイルスはアルフレッド・ライオンに対して、借りがあるという意識がいくらかでもあっただろうか。
少しはあったのだろうと思う。
だが、これ一枚できれいに清算出来てしまうあたりがお坊ちゃんらしい。
そしてそこはやはり契約の国であり、ミュージシャンとプロデューサーの関係を如実に物語ってもいる。
ジャズとてビジネスなのである。
何はともあれ、多くを語る必要のない大名盤であることには一切異存ない。

B面を聴いている時地震があったようだ。
「ようだ」というのは体感がなかったからで、
しかし針が飛びまくり、スピーカーから身も凍るようなノイズを発生させたが、幸いにして盤も針もスピーカーも無事だった。
しかしながら、これがもっと大きなユレならどんなことになるのか。
桑原、桑原・・・

3.11では多くの人命、財産は言わずもがな、貴重なレコードも多数失われたことであろう。
実に不謹慎な物言いではあるが、それらも改めて弔われて然るべきであると思う。
レコードには何十年も前に演奏された「音」が吹きこまれてもいるが、同時に「魂」もまた記録されていたのだから。











(8) マタドール ジャズメンに年金を

ドーハム
NO.8 2011.11.20




〈マタドール ジャズメンに年金を〉






ジャケットの割りに内容はまともだ。
ジャッキー・マクリーンとボビー・ティモンズの参加が大きい。
下手をすればフラメンコ、良くてフュージョンか何かにカン違いされそうだが、レッキとしたジャズである。
ジャケットの割りに内容がまともなレコードというものは時としてある。
「デモンズ・ダンス」なんかもそうだが、ジャケットと内容が身も蓋ないくらいピッタリな場合もある。
「ビッチェズ・ブリュー」なんかがそうだが、ジャケットはオドロオドロシイが中身は普通かそれ以下、というのは困りものだ。

日本の某CD会社が出した諸作。
ミュージシャン本人はもう大抵お爺ちゃんだが、ジャケットにヘアヌードがあしらわれている。
何を思っての採用なのかじっくり聞いてみたい気がする。
女の裸は何もジャズのジャケット写真で見なくても良いのではないのか。
こっそり一人でいくらでも見られるご時世だというのに。
週刊誌各社が競ってその手の写真を載せた頃であっても、表紙には使わなかった。
CDのジャケットとは表紙であろう。
あんなジャケット写真ではミュージシャンだって困るではないか。
だが、幸いにもジャズのCDなどというものは極少数しか売れず、世間の耳目を集めるような事もないので、実際にはあまり知られていないのだろう。

年金定期便とかいうものが来た。
現時点で想定すべき65歳時の年金額が140万とある。生活できるわけがない。
これは以前の会社がインチキした結果なのだが、それはもう思い出したくもない。
今後65歳まで働いたとして年金額を200万まで上積みできるだろうか。
その前に死ねば何の問題ももちろんないのであるが。

最近は年金問題で何かと騒がしいが、低負担の場合には低福祉だし中負担なら中福祉、これは当然なのであって低負担で高福祉などありえない事は子供にもわかる。
個人的には中福祉などと中途半端で貧乏臭いことを言わず、北欧型高負担・高福祉社会が良いと思っている。
そのためには消費税が20%を超えようとも致し方ない。
そうすれば月最低6万円の年金保証だとか、そんな人をバカにした話もしなくなるだろう。
月6万円でどうやって人並みの暮らしができるというのだ。

消費税というやり方はかなり公平な課税方法だと思う。
少なくとも所得税が高いのよりはマシであろう。
税金というやつは、国家を運営していく上で必要な経費の分担金である。
一人いくらの定額制(つまりバイ・ダッチ、割勘)が本来の姿なのであって、たくさん稼いだからたくさん負担するというのはどこかおかしい。
マンションの管理費を所得に応じて負担はしないのである。
まして累進課税などされては頑張って稼ぐ気がなくなるというものだ。

ジャズメンは今も昔も基本的に貧乏だ。
高名なミュージシャンが本業でさっぱり食えず、副業に精を出さざるを得なかった話はいくらでもある。
デューク・ジョーダンはタクシードライバーをしていたし、ジャッキー・マクリーンは教師をしていた。
これはやはり悲しい話だ。
経済的にもう少ししっかりしていれば彼らは、もっと多くの素晴らしい作品を残したかもしれなかった。
年金などというものもきっとなかっただろう。
それでも好きでやっていた事だから、たとえ金はなくとも満足感はあった事だろうが、彼らの暮らし向きが実際どうだったのか、大変気になるところだ。











(24) ホット ハウス フラワーズ 優秀なジャズならざる者

ウィントン
NO.24 2011.12.6




〈ホット ハウス フラワーズ 優秀なジャズならざる者〉





ウィズ・ストリングス、ヒモ付きである。
父であるピアニスト、エリス・マルサリス氏が、尊敬するウィントン・ケリーに因んで名付けたとされるが、長男ブランフォードの立場はどうなる。
しっかり者で出来の良い次男坊に、優秀ならざる長男は嫉妬するのである。

私はクラシックも出来るジャズミュージシャンであると本人が語ったというが、ウィントンについて良く言わない意見があるのは理解できる。
才能あるバーチュオーゾ(必ずしもジャズメンではない)が、ジャズを上手くやってみせる、という臭いが確かにあり、それが殊更巧妙になされている事に対する反発は当然あるだろう。
だが、それが悪いか?
音楽的に優れている場合には一定の評価を与え受け入れる、それくらいの度量がなくてどうするのだ。
フュージョン旋風ですっかり道を誤ったジャズを軌道修正し、正しく歩めと諭したのはこの男だったのだ。
今更ジャズに昔日の輝きが戻るとは誰も思ってはいまい。
熱かった日々はもう二度と戻らない。
ジャズは最早伝統芸能となったのである。
であれば、伝統芸能ジャズの正確な継承者ウィントン・マルサリスの存在には十分意味があるのであり、得難い貴重なミュージシャンであると尊重すべきだ。

さて、積年の懸案事項であったLP-12のターンテーブルシートを、このたびカーボン製の社外品に換装したのである。
LP-12付属のシートときたらペラペラした極軽いフェルト製品で、
冬になると静電気によってレコード盤と密着してしまい、
盤を上げると一緒にくっついて来るような情けないモノだ。
こんなシートはやめてしまいたいところであるが、
合金製のターンテーブル外縁が高くなって全体が盆地のようになっているものだから、外す訳にもいかず困っていた。
それと比べたらこのカーボン製シート、盆地にピタリと納まり非常に見栄えもよろしいと私は喜んだ。
しかしながら、レコード盤との接着状態を横から見てわかったのだが、レコードという物は中央のレーベル部分が微妙に一段盛り上がっているものだから、完全な平面に置けば接触するのはこのレーベル部分のみとならざるを得ない。
したがってどのように高価な材料を使用しようとも、
ただの平面では再生中盤とほとんど接触しない、という事態が起きるているのだ。
つまりレコードの溝部分は空中に浮いた状態で針が溝をなぞっている状態である。
本当なら、そうしたレコードの形状に合わせてセンターレーベル部分を削らなければならなかった筈だ。
志が低いと言おうか、これでは数万円もの投資に見合う効果があるとはとても思えず急に悲しくなった。













(29) ランプローラーと月の砂漠

リー
NO.29 2011.12.11




〈ランプローラーと月の砂漠〉





ジャズの花形は何と言ってもトランペッターである。
ロックバンドのリードギターのようなものだ。
キーボードやベースが主役になるバンドはまずない。
ジャズではトランペット。
他の楽器がどんなに頑張っても、トランペッターが一音吹いたら全部持っていかれる。
拍手も歓声も女も何もかも。

リー・モーガンはステージで恋人に射殺された。
あなたを他の女に渡さない、あなたは私だけのもの、と。
何という模範的なジャズメンなのだ。
これでなくてはジャズじゃない。
ジャズメンは女に撃たれるか(刺されるも可)薬か、最低酒で死ななくてはダメだ。
それも若くして。

本作には佐々木すぐる作曲「月の砂漠」が入っている。
その経緯はまったく知らない。
唐突と言えばその通り。
だが、ここでもジャズと哀愁の相性の良さが証明されている。

月の砂漠で思い出すのが和田誠監督作品「真夜中まで」だ。
真夜中まで、つまりラウンド・ミッドナイト。
ジャズをテーマにしている。
ジャズをテーマに日本で映画を撮ると、どうもまあまあ止りだ。
理由は様々あろうが、どうにもベタベタしている。
まるで安い日本酒の喉越しのようだ。
日本映画、日本人俳優・女優の限界なんだろうか。
もっとクールにドライに作ってもらいたい。

この映画でどうしても気になったのが「月の砂漠」だった。
主人公真田広之演じるトランペッターに客の大竹しのぶがリクエストする。
しかし、真田は「ジャズだからね、童謡はやらない」と受けない。
本作を知る者は不審に思う筈だ。
リー・モーガンが「月の砂漠」を演っていることは、少しジャズを知っている者なら知らない筈がない。
「真夜中まで」の関係者にも知っている人間が居たと思う。
でも、それを知っていてわざとそういう展開にしたようなヒネリは感じられないのである。
もしかしたら和田誠さんが知らなかったのか。
周りの人は知らない筈がないと思って言わなかった、言い出せなかったのか?

さらに、ヒロインのミシェル・リーがゴツ過ぎてダメだ。
助けてあげたい、支えたいと思わせるような儚な気な女優を、他に思いつかなかったのだろうか。
真田広之がどちらかと言えば小柄で華奢に見えるのだから、あれはミスキャストだと思う。
ヒロインがニューハーフに見えて仕方ない。











(35) 2011年のビッチェズ・ブリュー

マイルス
NO.35 2011.12.17



<2011年のビッチェズ・ブリュー>




言わずと知れたビッチェズ・ブリュー。
本作のタイトル、というか読み方は本当に「ビッチェズ・ブリュー」でいいのか。
これは長年胸につかえた疑問だった。
ビッチの複数形なんだからビッチズ。
「ビッチズ・ブリュー」ではないのかと。
いつかネイティブに聞いてみたいと思っている。

今や本作を聴く機会、年に一度あるかどうかというところだ。
延々と続く。
発売された70年代初頭、この音楽は確かに新しかった。
それを今聴くとどうか。
多くの懐かしい出来事を引き摺りながら、多少の痛々しさを内包したタイムカプセルの蓋が開く。
私は今ではすっかり治りきった傷跡を指でなぞりながらそれを聴く。
深い感慨は特に湧いてこない。
時間が経ちすぎたのか。
多くの時を経てのちに冷凍保存された音楽を解凍した時、フレッシュな切り口がそのまま再現されるものもあれば、保存状態が悪くミイラ化している音楽もある。
残念だがこれは後者だ。

レコード片面約20分一曲、というのは思い付きやすい発想かもしれない。
CD一枚約80分一曲はまだ聴いた事がないが、あったら怖い類のものだろう。
マイルスが生きていたらやったかもしれない。
いや、多分やる。
これは力がないと出来ないことだから、それを承知でマイルスはやる。
そして誰も止められない。
並みはずれたミュージシャンがいつの間にかいなくなってしまい、CDも売れなくなった。

音楽産業は死にかけている。
ないしは全く別の形態になろうとしている。
ダウンロードとかいうやつ。
パッケージメディアの終焉である。
そうなったらあなたはどうする?
それを買うか?
というより、既にそのようになりつつある訳だが、多分私は一生そうしたモノに縁がないだろう。
音楽はレコードで聴く、ジャケットを手に取り、眺めながら聴くものであろう。
だから最低でもCDだ。
ダウンロード?そんなモノは願い下げである。











(40) サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム

マイルス
NO.40 2011.12.21



<サムディ・マイ・プリンス・ウィル・カム>





実はこのNOTEには元ネタがある。
レコードやCDをずい分買ったが、時として「こんなのあったっけ」などという情けない症状を呈している。
そこで手持ちのライブラリーを一度端から全て聴き通すこととし、聴いたタイトルや感想をノートに記す作業を始めた。
2008年春のことであった。
3年半経って、現在四分の一くらいのところまで来ているが、しかし、このペースでは生きているうちに終わらない可能性すらある。
これが非常に根気のいる仕事で、時には面倒になってタイトルと演奏者しか書いていない。
このままでは継続すら危ぶまれてきたので、モチベーションを維持する為にと始めたのがこのNOTEだ。

元ネタのノートを振り返ってみると重複して同じ盤が出てくる事があり、それをすっかり忘れてまた聴き、書いている。
それがおかしなもので、だいたい同じような事を書いていたりする。
にも関わらず、聴いた事、書いたという事実は忘れている。
1年も経つと多くの事を忘れるのだ。

レコードを聴くという、比較的印象に残るであろう事柄ですらこの有様である。
忘れていい事と悪い事はあるが、嫌な事はさっさと忘れてしまえば良いのだ。
だが、嫌な事というのは深く印象に残るものらしく、いつまでたってもなかなか忘れるものではない。

本作には二人のテナーマンが参加している。
ハンク・モブレイとジョン・コルトレーンで、さすがに二人の音色の違いは分かる。
あまり良いと思うことのないコルトレーンだが、モブレイのテナーがあまりにモッサリしているので、ここではすっかり得をしている。

参加ミュージシャンの中で唯一生存していると思われるのがジミー・コブだ。
ジミー・コブハムというドラマーがいたように思われて、しかし曖昧なままになっていた。
ビリー・コブハムなら、マッコイ・タイナーの「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」の派手なドラマーなのだが、ジミー・コブハムはロック系のドラマーだったかもしれない。

ずっと昔から気になっている事なのに、そのまま放置してきた個人的な宿題がある。
解決できた事もあるが、いつの間にか忘れてしまった事も相当数あっただろうな。

本作のジャケットは何人目かのマイルスの奥さんだったと思うが、
これだけはなんとかならなかったものか。










(45) クッキン 名盤の作り方②

クッキン
NO.45 2011.12.26



<クッキン 名盤の作り方②>





マラソン・セッションをして驚異的な作品群だとする気はない。
これはやはりやっつけ仕事だ。
ただし、質の高いやっつけ仕事なのである。
これがジャズの本質であり、衰退した原因でもあると思う。
レコード一枚作るのがあまりにも簡単なのだ。
マイルス本人がそれを一番感じていたのではないだろうか。

優秀なジャズメンにスタジオを与えれば、質の高いジャズのレコードがポンポン生まれてくる。
マラソンセッションはそれを証明したに過ぎない。
録音現場を見たことがないから、書かれたものから推察して憶測で語るしかないのだが、ジャズの録音というものは、簡単なアレンジがあり簡単な打ち合わせがあるだけで、あとは好きにやってくれというものだろう。
ブルーノートこそ録音前にリハーサルをやったというが、それはあくまでも例外であった。
それ以外のレコード会社ではまったくのぶっつけ本番であり、一日スタジオを押さえたら午前中に一枚、午後にもう一枚という具合に一日で二枚分のレコードを録音したというのである。
しかし、それは驚異でも何でもない。
まさしく、それがジャズなのだ。

こんな調子だから、ジャズのレコードというものは恐ろしく数が多い。
ジャズ喫茶の有名店はどこも大量のレコードを所有していたが、たいてい「万」の位の数であったと思う。
中には三万枚などという店が実際あり、その店は今も営業している。
札幌の「ジャマイカ」である。
ジャマイカへ行ってリクエストなどしてみると分かるが、店の人は所有するタイトルのうち、半分も把握していないのではないだろうか。
それはそうだろう、この数は既に人知の及ぶところではない。

私はジャズと名の付くレコードが全部で何枚あるものか知らない。
だが、ジャマイカにあるものが全てだとは思わない。
何故ならジャマイカのレコードはほとんどがアナログ盤で比較的古い年代のものであるし、現在も世にジャズのレコードが、CDという形態で日々増え続けているのである。

私はマイルスのした仕事に批判的な事も言いはするが、もちろん大好きであり、彼の作品をそれなりの数手元に置いている。
それを数えてみたら、60枚ほどの数だった。多いと思われるだろうか。
しかし、中山康樹氏著「マイルスを聴け!」には562枚のマイルス作品が掲載され、その本は手元の国語辞典よりぶ厚い。

ビートルズは何枚のレコードを残したか。
12枚である。
イーグルスは9枚に過ぎない。
中山本の562枚は海賊盤を含んでいるが、それにしてもこの差がジャズという音楽の本質を見事に示唆していると思う。
私はジャズ喫茶を営んでいる訳ではないので、一音楽ファンとして所有する60枚のマイルスが、少なくとも過少だとは思わない。
それらは意図して必死に集めたものではなかった。
気が付けばいつの間にか集まっていたのだ。
そして、それらのどれ一つとして内容的に質の悪いものはないが、これは演奏のクオリティの問題でも作品としての出来栄えの問題でもない。
需給バランスの問題である。
作り過ぎてはいけない、という事だ。
ジャズは自らの持つ本質(能力と言ってもいいが)によって、自分の首を絞めたのだ。











(50) オープンセサミ 開け裏蓋

freddie.jpg
NO.50 2011.12.31



<オープン セサミ 開け裏蓋>





フレディ・ハバードは2年ほど前、70才で亡くなった。
もう過去の人になっていたが、そして少しコマーシャルな所を批判されていたようだけれど、また一つ巨星が落ちたとその時思った。
これが彼の初リーダー作だった。
極東の田舎町で、こうやって故人の遺作を聴いている。
世界はそれなりに広いが私の世界はまことに狭く、たとえそうではあっても、やはりそれなりにいくつかの問題を抱えている。
しかしそんな事にはまったくお構いなく、フレディ死後の世界は来年も先へ進んでいくだろう。
人は誰も自分の世界で、自分なりに歩いて行くしかない。

すでにだいぶ前の話となるが、ステレオ・サウンドの菅野沖彦氏が「音のヌケ」について語っておられた。
後面解放型スピーカーは音のヌケが良い、との話に膝を打った。
我4344の裏面三分の一はメンテ用に蓋となっていて、ネジで留めてある。
それを外してみたのだ。
当然逆位相の低音が出てくるだろう。
だが、それがどうした。
長年の不満が一挙に解消されたのだ。
モヤモヤがなくなり、4344mk2は正しく解放された。
これなら、未知数の新スピーカーなんか要らないのではないか?











(62) ダメンズ・イン・ミラノ

chet.jpg
NO.62 2012.1.12



<ダメンズ・イン・ミラノ>





チェット・ベイカーが好きだという女性は少なくない。
イケメンの上にトランペッターで、歌まで歌うのだから無理もない。
破滅型の人生だった。
後年の姿など、その劣化ぶりに驚き目を覆うが、
もしかしたらそうした所も逆に、彼女らの母性本能を刺激するのかもしれない。
イケメントランペッターで歌も歌うダメンズ、これはもう最強の女たらしなのである。

計算尽くで男を見る女性が一般的に多い一方で、ダメな男に惹かれる女性というのが実際いるようだ。
ダメな男が好きというのではなく、たまたま好きになった男が実はダメなヤツだったという事も考えられるが、どうもそうとばかりも言えないように思う。
私自身がもしかしたらそれで助けられた、という気がしなくもない。
そしてこれも言えると思うのだが、ダメンズウォーカーは時として、ダメンズを更に致命的な所までダメにする。
私がついていなければ、この人はどうにもならない、などというのが錯覚だとある時期気付き、彼女たち自身がその事を一番良く分かっている。
それでもダメな男と離れる事が出来ない。
不思議な事だと思う。
だが、男と女の間がそもそも不思議なものである以上、そこにはどんな事だって起こり得る。
そういう事にでもして置くしかないようだ。

本作は1959年に残された現地のミュージシャンとの録音で、ライブではない。
チェットの艶やかなトランペットはここでも良く鳴り、環境によるものかメンバーによるものか、リラックスした好演奏が繰り広げられる。
こうした流れが半世紀の時を越えて、ファブリッツィオ・ボッソやハイ・ファイブへと繋がったのだろうか。
白人トランペッターの系譜はアメリカを離れ、遠くイタリアに残された。
大したトランペット吹きだったチェット・ベイカー、歌など歌っている場合ではない。











(69) Off To The Races

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NO.69 2012.1.19



<Off To The Races>





ドナルド・バード、ジャッキー・マクリーン、ペッパー・アダムス、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、アート・テイラー。
ハード・バップ、そしてブルーノートの一大興行だ。
本作は1958年の録音だが、どうしてこんなにというくらい、この年には名盤が大量生産された。
ブルース・ウォーク(ルー・ドナルドソン)、クール・ストラッティン、ソウル・トレーン、サムシン・エルス、マイル・ストーン、モーニン、シーン・チェンジズ(バド・パウエル、クレオパトラの夢)・・・まるで際限がない。
今では考えられないような、何か大きな波が来ていたのだろう。

この盤は東芝の国内盤だが、キング盤とはかなり違うと聞いた。
東芝がジャズっぽく、キングはオーディオ的であるのだとか。
それにブルーノートオリジナル盤を加えて聴き比べしてみたいものだ。
ここでも特に、ジャッキー・マクリーンはジャッキー・マクリーン以外の何者でもないが、各盤によってどのように違って聴こえるだろう。
何れにしても間違いなく、ジャッキー・マクリーンに聴こえるに違いない。
これは凄い事だ。今音を聴いただけで演奏者を特定できる者が何人いるか。
大西順子くらいしか思いつかない。

同業者でテニス関連のKが結婚するらしい。
テニスコーチの青年に来週の結婚式に出るか、と聞かれて分かった。
そうか、ヤツは来週結婚するのか。
20才年上の私は場違いと見え呼ばれていないが、流れから言って少し不自然であり困ったなと思っていたら、Kから電話があった。
ジャズのCDを披露宴に使いたいので貸してほしいという。
上手い解決策であろう。
ついでに祝いの品を届け、一件落着とする。

後日漏れ伝わったところではK、同業者はおろか会社の同僚すら一人も呼ばなかったのだとか。
職場結婚にも関わらず、である。
それで上司が大分ご立腹らしいが、Kは一向に意に介さず、それがどうしたという風情らしい。
大物である。










(71) 帝王の計算

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NO.71 2012.1.21



<帝王の計算>





1952年と54年の録音。
52年はヤクでボロボロだったというから割引して考えるにしても、
立ち直ったとされる54年の演奏を聴く限りマイルス・デイビス、意外と平凡なトランペッターだった。
アルフレッド・ライオンはどこに惚れたか。

「毎年録音する」との口約束を守ったのが本作である。
そんな約束をし、ヤク中に録音の機会を与えるほどにマイルスを気遣っていたライオンであったが、55年にはプレステージに持っていかれ、次はコロンビアであった。
ライオンの心境如何ばかりであったか。

58年になり、キャノンボール名義で本Note NO.2を吹きこんだのみで、
その後ブルーノートとマイルスの縁が切れたのは如何なる理由によるものだったろう。
つまりはマイルスにとってブルーノートは既に過去のものであって、
さほど価値のある存在ではなくなっていたのだ。
ブルーノートとは当時、その程度のレコード会社だった。
売り上げがパッとせず、経営はいつだって苦しかった。
そして最後はライオンも遂に支えきれず、売り飛ばしてしまう。
それを今更、世界最高のジャズレーベルであるかのように持ち上げるのも、実はどうかしているのかもしれない。
その点ではプレステッジもリバーサイドも、何ら変わる所はない。

そしてマイルスという人はしっかり計算の出来るドライな男だったのだろう。
であればこそ「ジャズの帝王」などというものにも成り果せた。
成功するためなら何だって捨てる。
晩年の姿がそういった事の積み重ねの結果であったのは多分間違いないと思う。
だからと言ってマイルスの作品に、何の価値も変化は生じはしない。
音楽は音楽として聴く、それだけの事だ。











(91) ウィスパー ノット

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NO.91 2012.2.11



<ウィスパー・ノット>





ベニー・ゴルソンは多くの名曲を書いた。
中でもとりわけ「ウィスパー・ノット」が私は好きだ。
なんという見事な構成だろう。
音楽と数学には共通性があるという。
ベニー・ゴルソンはきっと頭の良い男だったろう。

楽譜を理解出来ない私は、無論数学も苦手だった。
高校最後の数Ⅲに至っては、定期テストが殆ど零点で、
生活指導もしていた数学の教師から、最後のテストが零点なら卒業させない旨宣告された。
なんとか5点取って私は高校を卒業したが、この時の事は40年たった今でも時々夢に見る。

リー・モーガンはこの時弱冠18歳。
私が数学で零点を取り続けていた年齢だ。
そんな自分と比較してモーガンを語る事にたいして意味はないが、この18歳のトランペッターは不気味なほどの早熟ぶりを見せる。
この後、けして長くはなかった活動期間をモーガンは疾走した。
まるで34歳での夭折を、予め悟っていたかのように。

三つのバルブと唇の形のみで、全ての音階を吹き別けるトランペットという楽器は難しい。
普通は音を出すことすら出来ない。
まだ少年と言ってよい年齢で、この楽器を完全に自家薬籠中の物としたモーガン。
彼は神と取引でもして、トランペットのテクニックを自らの寿命と引き換えたのか。
そのようにでも考えなければ、私はこの演奏に合理的な説明が付けられない。











(104) ハーサンズドリーム

lee3.jpg
NO.104 2013.2.7




<ハーサンズドリーム>





BLUE NOTE 1557。
本作が吹き込まれた時、リー・モーガンは18歳だった。
信じたくない人は信じなくていい。
たいていの人が信じられまい。
私も信じられない。

老成したトランペットも凄いが、
収録された全5曲の出来栄えもまた信じられない領域にある。
すべてが楽曲として素晴らしい。
作曲アレンジはベニー・ゴルソンひとりによってなされたのだ。
なんという才能だろう。

最も有名な「アイ・リメンバー・クリフォード」、クリフォード・ブラウンの死を悼みトリビュートされたこの曲は冒頭のひと吹き、すでにこの段階でそのアンサンブルに鳥肌が立つ。
この曲の素晴らしさを今更改めて語るのもアレだが、
他の4曲が勝るとも劣らず、なんとも贅沢でお買い得なレコードとなっている。
これはいまどきなかなかない。
CD一枚に「いい曲」が一曲でもあればましな方で、大雑把に言えば5枚に一曲10枚に一曲あるかどうかだ。

「アイ・リメンバー・クリフォード」はB面に収録された曲だ。
A面冒頭の曲は「ハサーンズドリーム」である。
ASのジジグライスがフルートを吹いた。
これが効いている。
私は本作ではこの曲が一番好きだ。

テンサイは忘れた頃にやって来るらしいが、どうもなかなかである。
ベニー・ゴルソン級の才が突如出現して、大名曲を量産してくれないかな。
そうすればジャズの閉塞感はたちまち霧散するであろう。
私のささやかな夢は、精々そんなところか。











(123) 涙なくして語れぬ愛もある

ダスコ
NO.123 2014.1.24



<涙なくして語れぬ愛もある>





ヨーロッパの火薬庫と言われたバルカン半島。
なかでもセルビアに鳴り響いた一発の銃声によって、第一次世界大戦が始まった。
オーストリア皇太子の暗殺である。
時は過ぎ、冷戦後の凄惨な内戦の末、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロなどに分裂した旧ユーゴスラビア。
ダスコ・ゴイコビッチの音楽から、出身地のそんな背景を読み取る事が出来るだろうか。
見てはならないものを目にし、なくしてはいけないものを失い、失ってはならない人と別れた後、人は美しい旋律以外の言葉を忘れるのかもしれない。
行ったことはない。そして多分一生行くことのない地、バルカン半島。
あまりにも遠く、私のこの小さな人生からかけ離れた世界だ。
だが、幸いにしてダスコ・ゴイコビッチのトランペットを私は聴くことが出来た。
そう、私にはいつも聴くことしか出来ない。
そしていつかその涙がかわき、いつの日か涙なしに愛を語れるようにと祈ることしかできない。











(130) ラジオの日々

ビター
NO.130 2014.3.12



<ラジオの日々>





ビタースィートサンバ。
ハーブ・アルパートとティファナブラスである。
我々の世代なら誰でも一度は聴いたことがあると思う。
この曲は、有名なラジオの深夜放送のオープニングナンバーだった。
特別真剣に勉強していた訳でもないのに、日付が変わるまで起きていて、ラジオだけは真剣に聴いていた。
そのことで世界と何か繋がりが持てたような気がしていた。
そしてラジオを通して、電波の向こうにある世間というものを覗き見ていた。
それが後日の何か役に立ったかどうか、それはわからない。
だが、一生記憶に残る何曲かの音楽との出会いがあった。
ラジオはほとんど唯一の音楽的情報源だった。
しかし残念なことにまるごと一曲かかることはなく、しかも最後の方はCMが被さったりするのだった。

ラジオと言えばAM放送であり、NHKのFM放送が始まったのは高校生になってからだ。
伯父に買ってもらったステレオセットで聴くNHK-FMは何故かノイズまみれで、ディスクジョッキーの生硬な語り口がリスナーをしらけさせた。
かかる曲の多くがクラシックだったこともあって、FMはほとんど聴くことがなかった。
後年ステレオのコンポを自力で購入した際に、テクニクス(ナショナル、現パナソニック)のFMチューナーを導入したのだが、付属のフィーダー線アンテナで受信するFM放送にはやはりノイズが混入していた。
そこで私は5素子の巨大なFMアンテナを下宿の窓の鉄柵に設置したのである。
このことにより、鮮明なFM放送の受信が可能となった。
NHK-FMでは相変わらず「夕べのクラシック」やら「今日の邦楽(歌謡曲にあらず)」やらを放送していたが、当時住んでいた関西には民放のFM大阪があり、音楽主体の番組が多くあった。
それもジャズを含むポップス音楽を、たいていはハショルことなく終わりまでかけるのである。
「FMレコパル」や「FMファン」といった専門誌があり、相当前から番組表が出ていた。
中にはレコード発売前の新譜、それも売れ筋をまるごと放送するような番組すらあった。
レコードの売り上げに影響しないのだろうか。
気に入ったら買ってくれという事だろうか。
だが私は余程のことでもない限りレコード購入にまで至ることはなく、とにかく有難いことこの上なしな番組であった。

その太っ腹ぶりに歓んだ私は、片っ端からカセットデッキでそれらを録音した。
LPレコードをどんどん買うような力はまだなかった。
しかしカセットテープならその十分の一の投資で済むのだ。
そして万一気に入らなければ、別の曲に差し替えることだって可能である。
そうこうするうちに、カセットテープのコレクションは膨大な分量になり、それらのほとんどが今でも手元にある。
その中にストーンズの特集を録音したテープが数本あるが、これにはまいった。
大阪は日本橋のちょっと怪しい電気店で買ったフジフィルムのカセットテープで、非常に安かったので私は大量にこれを購入した。
こいつは一応録音も出来て再生も可能なのだが、片面をかけ終わるころ、テープの磁性体がヘッド(読み取り装置)にべったり付着して異音が鳴りだす代物だった。
要するに偽物をつかまされたのだ。
今のことは知らないが、大阪とはそうしたところのある街だった。
もっとも怪しげなのは大阪に限らない。
京都のある大学の教授が河原町で買ったジャケットのボタンは糸で縫い付けられておらず、あろう事か糊で貼ってあったという。
ジャケットのボタンをとめる習慣がない彼は、数年後何かの都合でとめたときにはじめて気付いたのだとか。
もう時効であると笑っていた。

ところで当時私の身近にはテレビというものがなく、10年ほどの間テレビからの情報が途絶しているため、普通の日本人なら当然知っているような常識を知らない場合がある。
もっともそれらはどうでもいいような話なので、たいていそれ程困りはしない。
ラジオの深夜放送というものがまだ存在しているのかどうか知らない。
だが、まだやっていたとしても、私はもうそれを聴くことはまずないだろう。
何しろ夜は九時頃に寝てしまうものですから。











(139) MORE CLIFFORD

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NO.139 2014.5.8


<MORE CLIFFORD>



ブラウニーの死後、既に発表されていた音源の別テイクや、採用されたテイクの再編集を集めて12インチにまとめたものだ。
だが、なぜか本作は他よりうんと音質が良い。
そうした事はままあるもので、エンジニアが替わったり、替わらなくても体調が変わったり、あるいはちょっとしたスタジオのセッティングの変化等々で作品の音質も変化するものだ。
なにより関係者が、突然のブラウニーの事故死を悼み、彼に捧げるべく通常考えられない気の使い方で完璧な仕事をした可能性はある。
彼らをして、それをさせる動機は十分にあった。

身近な人の事故死はこたえるものだ。
心の準備がまったくなされないまま、突如家族の死を告げられる恐怖を私は想像したくない。
セウォル号だ。
あの沈没事故は本当にあまりにも無残だ。
これほど残念な事故が今どきあるのか、と言うくらいの残念さではないか。

私には複数の在日朝鮮人の知人がいる。
今も昔も彼らが不当な差別を受けてきた事実を私も無論知っているが、私は彼らに一切の偏見を持っていない。
それだけは断言できる。
それには私が住む場所の地域性もあるとは思う。
しかし何より、彼らは至極まっとうな人々であったからだ。
むしろ尊敬に値する人格者ですらあった。
だから彼らを知る者として、あの船のスタッフのとった理不尽な行動とのギャップを埋める手だてをすぐには思いつかない。
それはどこの国に行ってもどうしようもない人間はいるものだ。
だが、それだけの事だろうか。
どうも私はそのようには思えなくなってきている。
長年なんとなく納得がいかないままに放置してきたけして少なくない事柄が、一本の線で結ばれてしまいそうだ。







(142) お大事に

blue m
NO.142 2014.5.20


<お大事に>



今回9枚まとめて購入したブルーノート4000番台の一枚。
何故10枚でなく9枚かと言えば、「3枚購入で1枚プレゼント」のシールが貼ってあったため。
以前もこれにやられて、たいして欲しくもない盤を随分無料ゲットしたが、結局そうしたモノはのちのちあまり聴かない。
わかっている筈だが、人間は同じ過ちを繰り返すもの。
詐欺に引っかかる人は過去にもやられているか、将来またやられる、それと同じだ。
手元にきてみればそのキャンペーン、既に終了していたというオチまで付く。
日付が小さくて見えなかったという、笑えない(つまり他の人は笑う)ネットショッピングの盲点である。

本作ブルー・ミッチェルの4228番はどうか。
これは初めて聴いた。
私にとってブルー・ミッチェルの価値は音色(と書いて「ねいろ」と読めばもっともらしい)にある。
幸い艶やかなトランペットは4000番台後半となっても健在であった。
そしてその内容未だJAZZの範疇にとどまっていた。
それは良いとして、本作が録音された1966年、アルフレッド・ライオンはブルーノートをリバティに売却するのである。
その後のブルーノートがだいぶ怪しい方向へ行ったのはご承知の通りだが、1966年と言えばそう、ビートルズが来日したのもこの年だった。
前回「まいりました」と団塊諸氏に脱帽したポール・マッカートニーの日本公演が、武道館含め全て中止となった。
こういう時にどう言ったらよいものやら分からないので、とりあえずポールに「お大事に」と言っておく。
ウィルス性炎症がどういうものか知らないけれど、きっと辛いのであろう。
ポールはアル中で、目を離したスキに飲みすぎたとの話もあるけれど。

中毒と言えば覚醒剤で逮捕されたミュージシャンがいる。
大きなお世話だと基本的には思う。
覚醒剤は戦後まもなく禁止されたが、それまでは薬屋で売られていた。
「ヒロポン」である。
「なかなか治らぬシロポン中毒」などと麻雀では言う。
戦時中は夜間戦闘機のパイロットに打っていた。
その効果絶大で、B29を一度に5機撃墜した者が出たという。
そのかわり体には相当悪いのだろう。
だから非合法薬物になった訳だが、合法薬物で相当体に悪いものだっていくらでもある。
酒、タバコ、抗がん剤はどうだ。
覚醒剤は闇の資金源になるからイカン、と言うが、それは非合法化されたからだ。
非合法化したら、酒ですらマフィアの資金源になったのだ。
事実合法だった頃のヒロポンは闇の資金源ではなかった。
薬局の売上に貢献しただけだ。
ほっとけ、と私は言いたい。
人生すべて自己責任である。
だからなんとかいう歌手も気にする事はない。
少なくともワイドショーあたりの糞コメンテーター風情に、裏切られたであるとか、人の道を外れたとんでもないヤツであるとか、人間失格扱いまでされるいわれはない。
この際シラばっくれても時間の無駄だから、とっとと認めてしまえ。
人生はとても短いのだ。
そして覚醒剤を打とうがかわりに野菜サラダを食べようが、遅かれ早かれ彼はいずれ確実に死ぬのである。好きなようにしたらいい。
今は事実関係を争わずさっさと法廷に立つことだ。
涙の一粒も流して反省したふりでもすれば、執行猶予が付くかもしれない。
そうしたら自由の身となり、また打てば良いのだ。
お大事に。

薬物中毒といえば、先日一滴の酒も飲まないのに肝臓を悪くして入院した知人。
中毒までいくかどうか知らないが、どうも相当の薬マニアらしい。
酒のかわりに薬とは少し驚くが、その場合つまみはどうするのであろうか。
何れにせよ彼は医療関係者であって、そうした行為がどのような結果を呼ぶか当然熟知していた。
それでも薬を飲んで肝臓を悪くするのは勝手である。お大事に。
もう一人お大事にな人がいる。
テニスエルボーになってしまって痛いのだそうだ。
薬マニアもそうだが、エルボーの彼も今週末の団体戦のメンバーである。
試合前最後の練習会を途中で切り上げて帰っていった。
その背中に「お大事に」と声をかけたが、なんだか妙な気分だった。
それしか思いつかなかったのだ。
私にもテニスエルボーの経験がある。
こいつはそう簡単に治るものではなかった。
私の場合は一年以上かかり、その間左手でラケットを握っていた。
何もしなければ体力が落ちてしまい、二度とコートに立てなくなるような気がしたからだ。
そしておそらくそれは事実であり、私の選択は間違っていなかったと思っている。
だが、左手で入った中級クラスの女コーチはそれを見抜き、感じ悪いヤツだと思ったらしく、今では会っても目を合わそうとしない。

さてさて今夜、私は自己責任でガッチリ酒をキメる予定。
そして試合前は禁酒だ。
それもこれも自己責任である。

それでは皆さんお大事に。









(149) 知らずにいたかった 

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NO.149 2014.6.17



<知らずにいたかった>




新進気鋭と言われたライアン・カイザーも既に40過ぎ。
本作はライアン27歳のワンホーン物である。
今時のトランペッターとしては特にテクニックがある方ではない。
事実、リンカーン・センターのステージで、御大ウィントン・マルサリスに「ついてこれる?」という感じで、ナマ暖かく見守られていたとの目撃談もある。
しかし私は彼の音が好きだ。
そして特に本作は録音が良い。
2000年の発売だったから、もう結構前の作品なのだが、今聴いてもハッとするくらい音がいい。

2000年当時、我が家にあったスピーカーはJBL4425だった。
これは鳴らしやすいスピーカーで、素晴らしくリアリティに溢れた音がした。
今にして思えばずっとこれで良かったのだ。
それを販売店の口車に乗せられて、色々なことになっていったという訳だ。
今家にあるスピーカーを4425に換えたとしたら、それはきっとガッカリな音に聞こえるだろう。
でも知らずにおれば、それはそれで幸せな人生なのである。
何事もそうだ。

2000年といえばシドニーでオリンピックがあり、私はサッカーを観にオーストラリアへ行った。
それはひどいものだった。
何がひどいって、人種差別が。
数々のイヤな目にあったが、それはここでは触れないでおく。
中田英寿氏が二度目のオリンピック出場を果たし、グループリーグ突破の原動力となったが、決勝トーナメント1回戦(対アメリカ)のPK戦でまさかの失敗。日本はアメリカに負けた。
信じられないものを見た気がした。
このあたりから、日本代表に対する私の期待がどんどん肥大していった。
それは一言で言えば「悪い白人を懲らしめてくれ」であり、「広島・長崎の恨みを晴らしてくれ」だったろう。

1998年のフランスワールドカップ初出場に続いて、自国開催の2002年大会、2006年のドイツ大会と、もうワールドカップ出場は当たり前の気持ちが醸成されてきた。
そして2010年の南アフリカにおいて二度目のグループリーグ突破を果たしたのち、ワールドカップはベスト8以上を目指すものとなっていた。
どうかしていたのだ。皆がどうかしていた。マスコミに煽られ、現実というものを見なくなっていた。
ドーハの頃のようなウブなファンにはもう戻れないとしても、私はもっと謙虚になろうと思っている。
この程度の国民に、この程度の政治家。
それが事実だとするならば、この程度の民族にこの程度のサッカー代表、それも当然事実である筈だからだ。





(156) 島 裕介 名曲を吹く

島裕介1
NO.156 2014.7.4



<島 裕介 名曲を吹く>



横浜・横須賀の旅も終わりが近づいていた。
この日は夕刻より、赤レンガ倉庫「MOTION BLUE YOKOHAMA」で渡辺香津美のライブに予約を入れていた。
MOTION BLUE は東京ブルーノートの経営らしく、そこに一抹の不安を覚えたが、渡辺香津美がジャズに帰って来たとのふれ込みであったので、この際行ってみることにした。
私はその前に「ちぐさ」へ、どうしてももう一度行きたいと思っていた。

ちぐさには一時過ぎに着いたので、もう営業を始めている筈だった。
だが、何やらどうも昨日と様子が違う。
店内に複数の男女が、それも立ったままで何かしているのがガラス窓越しに見える。
何だ?
入口ドアに張り紙があった。
「通常営業は18時半からです」
なんだと、今日はそれまで貸し切り?
その時間では渡辺香津美と被ってしまう。
老眼の目を凝らしてよく読むと、どうも何かイベントが行われるようだ。
妻と顔を見合わせた。
入ってみるしかない、彼女の目がそう言っていた。
私は恐るおそるドアを開け、入口付近で激しくジャジーなオーラを発する男性にきいた。
「あのー、予約とかしてないんですが、入れますか」
その人は意外とフレンドリーで、「どうぞどうぞ、2000円です」と快く飛込みの我々を受け入れてくれた。
元々狭い店内からテーブルや椅子を殆ど運びだし、わずかなスペースを作っている。
もしかして、ここでライブをやるのか?
我々はわずかに残された椅子に、少し所在無げな気分で腰かけた。
やがてレコード演奏が始まった。
どういう訳かレコード片面を通してかける事をせず、一曲のみ、それも超がつく有名曲ばかりが店内に流された。
これはこれで悪くない。
しばらくすると、隣に座っていた初老の人物が立ち上がり大声を出した。
「今日はレコードを聴くだけ?スケジュールとか言った方がいいんじゃないの?」
それはまるで、俺みたいなベテランのジャズ聴きはこんなヒットメドレーみたいなのは聴いてられない、そんな風に言っているように私には聞こえた。
こうした人は割とどこにでも居るもので、最早驚くことでもない。
レコードを一曲ずつかけていた若者が、マイクを持ち話し始めた。
「今日は1954年から65年くらいのハードバップの一番おいしいところをかけます。そして2時くらいからライブになります。これを2セットの予定です。では先日亡くなったホレス・シルバーの名曲をお送りしましょう」
ニカズ・ドリーム、ソング・マイ・ファーザー、トーキョー・ブルース・・・こういった所がかけられた後、一人の若者が立ちあがり言った。
「そろそろやります?」
物腰の柔らかな、落ち着いた立ち振る舞いの青年だった。
彼の立ち位置は私の目の前、わずか2、3メートル先である。
隣にピアニストの青年が座り、聞き覚えのあるイントロを引き始める。
やがて先の青年のトランペットがテーマを吹いて入ってくる。
「イパネマの娘」である。
演奏後、「ハードバップど真ん中のはずが、一曲目からまさかのボサノバでした」と、ブラジル・ワールドカップの事を少し話されたので、もしかしたら彼はサッカーファンかもしれない。

それはそれは、とても艶やかなトランペットだった。
私はこのような至近距離でトランペットを聴いたことがない。
音は大きい。
だが一つもうるさくない。
私はタンギングに少し特徴のあるそのトランペットに一発でやられた。
彼が島 裕介さんだった。
失礼ながら、私は彼を存じ上げなかった。
日本は広い。
そしてジャズ界は広い。




4横浜



いいものを聴いた。
それも思いがけず聴かせていただいた。
やがてファーストセットが終わった。
本当にそれは、あっという間の事だった。
私は島さんの演奏をもっと聴きたいと思った。
だが、残念ながらジャズに帰って来たという渡辺香津美ライブに間に合わなくなる。
仕方ないな。
我々は「ちぐさ」を出ることにした。
帰りがけにふと見ればCDが三枚並べられていいる。
島さんのCD?
それ以外である筈もない。
これは買うしかない。
それも三種類すべてだ。
長年のリスナーとしての経験が私をためらわせなかった。
これを買わずして何を買うというのだ。
そして私は島さんに声をかけた。
これは相当ためらいつつ。
「あのー、すみませんがサインなどして頂けないものでしょうか」
島さんは快くサインしてくれた。
それも三枚すべてに。
私は感激し、勢いにまかせて握手までしてもらったのである。
「オレ、AKBじゃないぞ」
もちろん彼はそんなそぶりなど少しも見せはしない。
これらのCDは家宝になるだろう。

帰宅後毎日聴いている。
私は本作を、自信を持って全力プッシュする。
年季の入ったジャズファンでなくとも、きっと感動するはずだ。
そしてジャズをあまり聴いたことがない、という人でも。
そういう人はまず、「INK BLUE RHAPSODY」というボーカルものを是非聴いてもらいたい。
彼の作曲によるものだ。
あまりのかっこよさに言葉を失う。














(157) Hardbop Revivers

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NO.157 2014.7.7



<Hardbop Revivers>



石井裕太とハードバップ・リバイバーズのファーストアルバム。
島裕介がプロデュースしているが、何故かリーダーではない。
メンバー以下の構成。
石井裕太(ts,cl)
島裕介(tp)
魚返明未(p)
横田健斗(b)
山田玲(dr)
 
島さんについては年齢不詳状態だが、他のメンバーは公開している。
皆若い若い。私の息子くらいの歳だ。
多分島さんだけ一世代上ではないか。
リーダーは一応他にいるけれど、全体を統括しているのは彼だ。
BlueNote 1595 サムシンエルスみたいな関係か。

モーニン、モーメンツ・ノーティス、シスター・セディ、マーシー・マーシー・マーシー・・・・
怒涛のハードバップ攻撃が続く。
そして、もう少し続けて!というトコロで無情にも終わる。
だからまた、最初からかける事に必ずなる。
彼ら世代はこれらの曲を、どのようにして初体験したのだろう。
高校のブラバンで部長が楽譜を配っているシーンが、なんとなく水晶玉の向こうに見える気がする。
酒を飲みながら毎晩聴いている。
こうして世代を超えて演奏されていくのだなあ。
目頭が熱くなる。
還暦近くなると、男はすぐに目頭が熱くなる。

これはもう理屈抜きだ。
若い彼らがこれだけの仕事をした。
それだけで見事。
余計なことを、利いた風なしゃらくさいことを、あーだこーだ言う必要なし。
どーぞ宴会でこれをかけてください、おとうさん達。
大音量でこれをかければ、遠いあの日がすぐ傍まで戻ってくる。
盛り上がること間違いなし!
街にはジャズ喫茶がたくさんあった。
どんな街にもたいていあった。
そしてそこでは、こんな音楽がいつも流れていた。
僕らはそこでこれらの曲と出会い、いつの間にか身体がそれを覚えていた。
記憶力が今より何倍も良かった。
そしてあらゆることに敏感でありそれ故傷つき易く、僕らは生きていくだけでいつも感じた痛みとともにこれらの曲を刻み付け、一生消えない入れ墨のように僕らの人生の一部となった。
そんな時代もあったねと溢れ出る涙。
泣くなおやじ。前を向け。
涙を拭いてまあ酒でも飲みたまえ。

盛り上がると言えばそう、ワールドカップも佳境である。
残って欲しいチームも次々消えたが、ベスト4が決まってみれば極めて妥当。
ブラジルvsドイツ、
アルゼンチンvsオランダ。
ブラジルは相当やばい。
アルゼンチンも当然強いが、オランダに悲願成就させてやりたい気もする。
だが、一番強そうなのはやはりドイツか。
セレソン頑張れ。
メッシも、ロッベンもみんな頑張れ。
ドイツはなんか悪いけど、適当にやってくれ。









(158) マリアナ

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NO.158 2014.7.9



<マリアナ>



35歳で世を去ったジョー・ゴードンが、亡くなる2年前コンテンポラリーに残した最後の作品。
本作はコンテンポラリーらしく録音も良好で、作曲家としても良い仕事を残した彼のオリジナルで固められている。
中でも「マリアナ」のもの悲しい哀愁を帯びた旋律は、忘れる事の出来ない私的名曲のひとつとなっている。
ジョー・ゴードンにとってのマリアナとは何だったのか私は知らない。
だが、私にとってマリアナで想起される第一のものは、マリアナ諸島で起きたマリアナ沖海戦だ。

1944年6月、既に敗色濃厚となりつつあった日本に対し、アメリカ軍機動部隊はサイパン島上陸作戦に先立ち、マリアナ諸島への進攻を開始する。
ここを取られたら、東京が戦略爆撃機B-29の攻撃圏に入る。
帝国海軍は総力をあげ、これを阻止すべく対峙した。
この時の日本の航空作戦が有名なアウトレンジ戦法である。
我が国航空機の長い航続距離を生かすべく、アメリカ軍機の作戦空域外に空母を配し、そこから航空攻撃をしかけるというものだ。
日本機は片道3時間近い距離を飛行し、アメリカ機動部隊に迫ろうとした。
だが、この時点で日本軍は既に熟練パイロットの多くを失っており、多くが未熟な搭乗員だった。
加えてアメリカはレーダーを完全に実用化、友軍機を的確に誘導し日本軍航空隊を圧倒した。
撃ち漏らした日本軍機を待っていたのは、アメリカ機動部隊対空砲のVT信管という新兵器だった。
これまで高速で移動する航空機に対し、水上戦力の対空兵器を命中させることは極めて困難だった。
このVT信管は命中せずとも電波により相手機を察知、近距離で爆発し撃墜するという画期的なものだった。
これにより我が国は作戦参加した艦載機、400機近くのほとんどすべてを失い、あまりの容易さからアメリカ軍に「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄される始末だった。

本日早朝、ブラジルでこの七面鳥撃ちの惨劇が繰り返された。
テクノロジーの進化は作戦を変えさせる。
そしてその戦訓が後日の戦いに生かされていく。
ブラジルが受けた傷はあまりに深かった。
下を向くなと言っても、それは無理だ。
日本人の私ですら、あまりの事に全身の力を失った。
だが、いつかきっとこの日の屈辱が生かされ、再び立ち上がる日が来るだろう。
勝負事に勝敗はつきものだ。
だから面白い(もちろん戦争は除外)。
ブラジルの皆さん、落胆するのは無理もないが、あまり度を過ぎた事にならぬようお願いします。









(162) CLUB JAZZ 

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NO.162 2014.7.16



<CLUB JAZZ>



島裕介2010年のリリース作品「Silent Jazz Case」。
これを一日中聴いている。
Silent Jazz Case はバンド名で、これが1stアルバムという事だと思われる。
4年たつも2ndは出ていない。
本作のような音楽を「クラブ・ジャズ」と呼ぶようだ。
さて、そりゃ一体いかなるモノぞ。

「クラブ」という娯楽施設があるという。
イントネーションに注意が必要で、テニスクラブのように「ク」にアクセントを置かず、平坦というか上昇調に発音する。
過去に行ったこともなければ今後一切行く予定もない、そんなヤツが語れば群盲評象の類にもなりかねないが、どうやら昔のディスコのようなものであるらしい。
要はダンスホール。
そのような場で流れる踊れるジャズ、それがクラブ・ジャズの定義、という事で合っているでしょうか。

よくわからないけれど、そういう事にしておいて話を進める。
本作が出たのが前述した通り2010年、「名曲を吹く」が昨年で「The Hardbop Revivers」が今年出た。
どれも芸風が相当異なる。
トランペッター島裕介の多彩な足跡をたどり、少し混乱してきた。
スタジオミュージシャンとしての参加ならわかる。
しかし、これらは自身がプロデュースしたものだ。
どれも島さんの思いが込められた作品であると考えて良い筈である。
私は本作と「名曲を吹く」のギャップに特に驚いた。
これはどうしてももう一つのユニット、「Shima&ShikouDUO」も聴いてみるべきだと思っているところだ。







(163) DEEP NORTH

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NO.163 2014.7.17



<DEEP NORTH>



トランペッター島裕介のもう一つの顔。
それがこの「Shima&ShikouDUO」である。
正直言って驚いた。
彼の「作曲力」に。
本作の大半が島さんのオリジナルである。
そのどれもが、歌詞をつければ即歌になるといった、非常にメロディアスな作品だ。
「名曲を吹く」の「Ink Blue Rhapsody」がそうした曲であったが、一曲だけ気まぐれに書いたものかもしれなかった。
だが、そうではなく、島さんはその道で十分やっていけるくらい作曲の人だったのだ。
本作の「クラブ R」や「海を見下ろして」など、それなりの歌詞をつければ歌謡曲として間違いなくヒットしそうだ。
それらの曲は「平成歌謡」として、きっと長く歌い継がれる名曲になるだろう。
いや、私が知らないだけで、実際既にそういう事になっているのかもしれない。
これは困った。
何も私が困ることはないのだが、益々島さんという人が分からなくなってきた。

色々調べているうちに、彼の年齢がわかったのである。
なんかもう、ストーカーだな。
島裕介、1975年生まれであった。
丁度私と20違う。
私がやっと成人となったあの頃、彼は生まれたのか。
これは重要なヒントだ。
その時、ビートルズ解散は言うに及ばず、彼が物心つく頃にはイーグルスすら解散していた。
しかし、彼は私とは比較にならない量の音楽情報に囲まれて育った筈だ。
音楽はもう特別なものではなく、日本人の生活に完全に溶け込んでもいたと思う。
だが、ジャズの光明は遥か彼方に後退していた。
そんな時代に、どのような経緯でトランペットを手にしたのだろう。
わからない、想像するしかないが、「スィングガールズ」のようなストーリーが彼にもきっとあるに違いない。
少年島裕介は何かのきっかけで、ギターではなくトランペットを始め、その音に魅せられた。
いろんなトランペッターを片っ端から聴いたことだろう。
そういう事が難しくない時代になっていた。

そして高校生になる頃、マイルス・ディビスが死んだ。
横浜「ちぐさ」で彼はこんな事を言っていた。
「ホレス・シルバーは偉大です。マイルスよりずっとね」
何故ピアニストのシルバーとマイルスを比較するのか、そして自分と同じトランペッターのマイルスの評価が何故シルバーの下なのか、その時私にはわからなかった。
「Silent Jazz Case」において彼は、明らかにマイルスを意識した曲をやっている。
また、他のアルバムでも、マイルスの代名詞であるミュートを結構な頻度で使用してもいる。
それでもマイルスは、彼にとってシルバーより下なのだ。
キーワードはきっと「作曲」だ。
マイルスも良い曲をたくさん書いた。
しかし、シルバーはその点ではマイルスを上回ったと言えるかもしれない。
特に島さんにとってはそうなのだろう。
彼の音楽の中で作曲が占める比重は相当重いようだ。
私は最初、彼のトランペットの音にやられた。
だが今、島裕介がただのトランペッターで終わってはあまりに惜しいと思い始めている。
なにより、誰よりも本人がそう思っているのではないか。
これは更に、他の作品も聴いてみなくてはなるまい。
私はあせってamazonを漁った。
現在入手可能な作品はもう、あと二つしかなかった。









(164) Poetry

poetry.jpg
NO.164 2014.7.22



<Poetry>



島裕介、伊藤 志宏によるデュオ「Shima&ShikouDUO」の2009年作品。
本作はビクターからの発売となった。
所謂メジャーデビューを果たした、という事になるだろう。
しかし、ビクターとの関係は一作で途絶えている。
このあと島さんは自分のレーベル「MOS sound」を立ち上げ、現在に至っている。
ビクターでのアルバム製作は、(まったくの想像だが)思う通りにやらせてもらえなかった可能性もある。

3年後に出された「呼吸」の帯に「一発録り」とわざわざ謳われているから、普通は本作含めマルチレコーディングで録られていると考えるべきだろう。
ジャズの、それもデュオの作品製作現場が、通常そのようになされているというのは少し驚く。
もっともライナーノーツによれば彼らは、ジャズを演奏しているという意識を特に持っていないという。
なるほど、それはかなりうなずける話だ。
「ジャズもやるけど、特にそれだけじゃないよ」
島裕介の実像が浮かび上がる。
彼らは慶応大学ジャズ研の先輩・後輩であることも判明した。
これも私がイメージするところと大きく外れない。
尚、本作と「名曲を吹く」での「黒いオルフェ」の比較だが、
私は後者、ギターとのデュオの方が好きだ。












(166) Newtype

呼吸
NO.166 2014.7.26



<Newtype>



Shima&ShikouDUOが自主レーベルMOS soundからリリースした2012年作品。
現在本作が彼らの最新作ということになる。
山梨県見延町の総合文化会館に機材を持ち込み、一発録りされたホールトーンが美しい好録音盤だ。
そしてMOS soundレーベル第一弾ということもあり、力の入った作品となった。
今まで聴いた中では最も「芸術」寄りのアルバムである。
普通の流れだと、しばらくはこの路線で行きそうに思う。
だが、けしてそうはならない。
翌2013年にMOS soundより個人名義で出されたのが「名曲を吹く」なのである。
「名曲を吹く」、このアルバム冒頭に持ってきた曲は、なんと「椰子の実」だ。
名も知らぬ遠き島より、流れ寄る椰子の実一つ・・・島崎藤村の作詞で有名な童謡、日本人なら知らぬ者とてないあの曲である。

本NOTEの(29)<ランプローラーと月の砂漠>で和田誠監督の映画「真夜中まで」を紹介した。
作品中ライブの客として友情出演した大竹しのぶが、主人公のトランペッター真田広之に「月の砂漠」をリクエストするシーンがある。
客のリクエストに対してトランペッターは、ジャズだからね童謡はやらない、と断る。
ちょっと不可解なシーンなのだが、まあ、百歩譲って分からなくもないとしよう。
もっとジャズっぽく聴こえる曲はなんぼでもあるからだ。
だが、島さんは童謡を吹く。
それもメロディーを崩さない。
ジャズメンは原曲のメロディーを崩したがるのが普通だ。
崩してナンボ、それがジャズ、そういった傾向が確かにある。
島さんは崩さない。
原曲の持つ美しいメロディをいつくしむように。
ひとつ間違えば、ニニ・ロッソ的なものになる恐れだってなくはない。
だが、彼にはそんなことにはならない自信があったと思う。
ところで彼が「名曲を吹く」で演ったのは「椰子の実」だけではない。
「Here There and Everywhere」「ふるさと」「Englishman in New York」「この道」、
そして前に紹介した「Ink Blue Rhapsody」。
もちろんジャズも演っている。
「The Day of Wine & Roses」「Night in Tunisia」「Song My Faether」「黒いオルフェ」、
それらの中に「椰子の実」などなどがちりばめられている。
ごく自然なかたちで。

翌年つまり今年だが、島さんがMOS soundからリリースしたのは「Hardbop Reviver」だ。
「Moanin'」「Airegin」「Sister Sadie」ハードバップのヒットメドレーである。
口うるさいジャズ関係者から批判を受ける可能性は当然あった。
容易に想像がついたと思う。
だが、島さんにはそんなの関係ない。
去年は「椰子の実」、今年はハードバップが演りたくなった。
演りたい曲を演りたいように吹く、それだけだ。
まさに「ジャズもやるけど、特にそれだけじゃないよ」。

「GQ Japan」の2000年8月号が手元にある。
その時の特集が「トランペッター不良論」で、寺島靖国氏が一文「不良の引力」を寄稿されていた。
氏が何故ジャズが好きかと言えば、不良の音楽だからだ、と言うのである。
自分はどちらかと言えば優等生に属する男という自覚で、それが面白くない。
一度でいいから不良をやってみたいがダメだ。
だから氏はジャズを聴いて不良になったつもりでいるのだ、と言う。
なるほど、と私は思う。
私もそうだからだ。
ただし、間違っても優等生などではないのだが、間違いなく不良ではない。
断っておくが、ここで言う「不良」とはチンピラのことではない。
それは「いなせ」ということだ。

一方でトランペターと言えば、モダンジャズにおいては絶対的エース、つまり花形だった。
ピアニストがどんなに美しいソロを弾こうとも、テナーサックスがどれほどむせび泣こうとも、次にトランペッターが仁王立ちでワンフレーズ吹けば、喝采は全て彼のモノ。
それがトランペッターだった。
だが、島裕介にはそういった意識を感じない。
音楽の中で常にバランスを取っている。
変な力みが一切ない。
おそらくステージで、自分が花形役者だとは思っていまい。
そうなのだ、彼は、彼らはと言ってもいいが、ジャズを含め音楽のすべてを知っている。
ジャズは特別な音楽なんかじゃないと知っている。
音楽のすべてが見えている。
そのうえで、彼らなりにジャズが好きなのだ。
彼らは新世代のミュージシャン、ジャズのアムロ・レイだ。

私の島裕介研究もそろそろ、それなりの結論が見えて来たようだ。
島裕介という人はもちろん「不良」ではない。
むしろ優等生タイプだと思う。
知的であり、クールであり、きわめて有能である。
それはトランペッターとしてばかりではない。
昔、中村八大というジャズピアニストがいた。
あの「上を向いて歩こう」の作曲者としても有名である。
島裕介は平成の中村八大になる可能性すらある。
ただ、ジャズという狭いジャンルで括れば「遅れてきた青年」かもしれない。
それは事実だ。仕方がない。
60年前に存在していたらどんなだっただろう。
そんな想像もしてみたりする。
いやいや、勝手なことを言うな。
彼は現代において、大きな輝きを放っているのだ。

島裕介の音楽は力強く華麗だが、優しさに溢れている。
それはニュータイプの「いなせ」である。















(170) 二択困難

bosso.jpg
NO.170 2014.8.5



<二択困難>




今となっては「High Five」で有名なファブリツォ・ボッソの2004年作品。
ハイ・ファイブの「Five For Fun」とはピアノ、ベースが異なるだけだ。
本作が日本でのデビューアルバムとなった。
ダニエル・スカナピエコ(ts)との強力なフロントは既に確立しており、何やら余裕すら感じさせる。

最近トランペットは島裕介を集中的に聴いてきた。
その後ファブリツォ・ボッソを改めて聴くと、人種の違いをしみじみと感じるものだ。
胸板の厚みの差というか、エンジンの排気量の差といった感じか。
どれほど発音が完璧でも、日本人の女性ボーカルはすぐ分かる。
それと同じことだと思う。
身体を支配しているホルモンの差が音になって現れる感じだ。
松岡修造とジロラーモの芸風の違いとでも言うか。

では、どちらが好きかと言えば、それは難しい話になる。
女性ボーカルの二択なら日本人。
ではあるが、日本人以外に好きなボーカルがいないかと言えば、そんなことはない。
むしろいくらでも挙げられる。
しかし、日本人以外の女性ボーカルに色気を感じない、これは事実なのだ。
音楽として聴く分には問題とならないが、私は日本人以外の女性と生活することなど出来まい。

こうした感情というか血が、いざという時国を守る男たちの勇気を支えるのだと思う。
逆に言えば、外国の非戦闘員に対する無差別爆撃を平然と行わせる原動力ともなるのだろう。
人間という動物の度し難い暗部だ。
それはともかく、では二つのトランペットはどうかといえば、私は急にどちらとも言えなくなる。
ファブリツォ・ボッソの持つ軽やかさ、軽々と難所を越えていくような馬力感を島裕介は持ち合わせない。
だが島裕介の背後に見える日本の美しい山河、また雨月物語にも通じる鬼気迫る闇、そうしたものは当然ながらファブリツォ・ボッソとは無縁だ。

私にはどちらか一方を選択するのは困難である。
それはどちらか一人と生活することも、またけしてないというのが案外理由かもしれない。
本作は非常に録音が良い。
ウーハーが良く動く。
それが見えるようだ。









(173) ジャケ買い

ambrosetti.jpg
NO.173 2014.8.11



<ジャケ買い>



イタリアのトランペッター、フランコ・アンブロゼッティ2006年のenja録音。
ジャズ批評誌でジャケットデザインの賞を取った。
エンヤはドイツのレコード会社だが、イタリア人ミュージシャンのアルバムだとこんな洒落たジャケットになる。
思えば本作を新しくなったスピーカーで聴くのは初めてだ。
購入以来三回目くらいかな。
その程度の作品内容だと思って頂いて構わない。
ソプラノ・サックス(ゴメンナサイ、私嫌いなんです)が入っていたり、バンドネオン(手風琴)が入っていたり、ストリングスが被ってきたり、意味不明のイタリア語による語りがあったり・・・
そもそもイタリア語というやつがどうも好きじゃない。
意味は一切分からないので、響きというか雰囲気についての印象に過ぎないが、雰囲気なら圧倒的にフランス語だろう。
昔「グリーンカード」という映画で、お茶の水博士のような風貌のジェラール・ドパルデューが、ピアノ伴奏とフランス語の語りだけで女心を鷲掴みというシーンがあった。
イタリア語なら笑いを取るところだ。
イタリア映画を観るとしたら、喜劇以外は絶対日本語吹き替え版だ。
イタリア語のラブストーリーを字幕版で観るのは考えられない。
韓国語も中国語も考えられないけれど。
あと、ドイツ語も。

実は最近では英語モノの日本語字幕版も面倒だ、という話を友人としたばかりだ。
若い頃はパッと見た字幕の内容が一瞬で頭に入ってきたのに、最近では頭から一字一字読むようになった。
そうすると、長い字幕だと全部読み切れないという悲しい現象が起きる。
頑張って全部読み終えても、必死に見ているのは字幕だけで肝心の映像は全然疎かになっていたりするのだ。
勢い、吹き替え版へ行くようになってきた。
でなければ、一度吹き替え版で内容を把握してから字幕版へ、という手間のかかる事態となる。

閑話休題。
まあ、中には2曲ほど傾聴に値するトラックもあるにはある、というのが本作の真相だ。
たとえ中身がそうでも、本作のこのジャケットは所有するだけの価値がある。
ジャケ買いというヤツだ。
だからLPレコードならもっとずっと良かったのに。
今、商業音楽はダウンロードとかの話になっているが、それにはジャケットは付いてこないのだろう。
何とも味気ないことである。
音が良くても悪くても、私はそんなものは絶対買わない。


アンブロゼッティのenja作品にはもう一枚、とってもいいジャケットがある。


ambrosetti 2

その名もズバリの「THE WIND」。
ね、手元に置いておきたくなりませんか?
アンブロゼッティについて、マイルスはかつて「黒人のハートを持った白いトランペッター」と評した。
ダスコ・ゴイコビッチと共にエンヤが強力プッシュしたトランペッターだ。
こちらはワンホーンものであり、曲、演奏とも聴くなら断然こちら。
「LIQUID GARDENS」の方は飾っておいてください。

さて、心配された台風であるが、私のところでは今の所何事も起きていないようだ。
だが、これからお盆なのに、どうも週末の天気はあまり予報が良くない。
台風の後遺症ということか。
様々計画を立ててもおられようが、皆さんあまり無理をなさいませんように。

















(190) おもいでの夏 おもいでの発掘

summer1.jpg
NO.190 2014.9.16



<おもいでの夏 おもいでの発掘>




EW(イーストウィンド)は、88レコードの伊藤八十八氏らにより70年代に運営されていた日本のジャズレーベルだ。
録音が良く、光沢のあるジャケットの質感が好きだった。
アートファーマーの本作は、EWが1976年ニューヨークで録音している。
発売当時買いそびれ、20年以上も経過してから散々探したものだ。
実際のところは、買いそびれたと言うよりスルーしたのであった。
それはなんだかあまりにも軟弱な気がしたからだ。
タイトル曲「おもいでの夏(THE SUMMER KNOWS)」は同名映画のために、ミシェル・ルグランが作った曲だ。

おもいでの夏、それは年上の女性との避暑地の淡い恋の残像。
夏が終わり少年は手紙を書く。
撮った写真を送るからと聞いてた住所へ。
だが宛先不明で戻ってくる手紙。
あれは本当にあった出来事?
少年はわからなくなってくる。
白昼夢?
真実はあの夏の日だけが知っている・・・
とかの(クソ映画の)想像をした結果、どうも購入にいたらなかったようだ。
私はこの映画を観ていないため、TRUE STORYは知らないけれど、まあきっとそんなところだろう。
違ったらゴメン。

しかし後日、どこかで本作を聴き悔いた。
シダー・ウォルトンのピアノで始まるイントロ。
・・・美しいではないか。
そしてアート・ファーマーが奏でるフリューゲルホンによるテーマ。
せ、切なすぎる・・・
既にいい年になっており、美しいものは率直に美しいと認めて私は憚らなくなっていた。
よし、このレコードを買おう。
ときは既に、とっくにCD時代となっており、レコードを探すなら中古屋を漁ることになる。
ないのである。
ないとなったら本当にどこにもない。
そういう時は棚上げするのが一番だ。
ないものは仕方がないではないか。

数年後、エサ箱(レコードの陳列棚)から本作を引き当てた。
もう半ば忘れかけていた頃だった。
この時のドッキリ感を上手く説明するのは難しい。
初恋の人にばったり街で遭遇、ありきたりで陳腐だが、そんなに外れてもいない。
手にした本作は状態もたいへん良かった。
レコードを随分買ったが、本作を探し当てたこの日の事は忘れられない。
ところがその後なんと、何度も見つけてしまうのである。
探しに探して見つけた後は二度と出てこなくてよろしい。
頼むから出てこないで。
発掘するのは探している他の盤にしたいのだ私は。
だが、同じのが出てくる。
人生ってのはたいていそんなものだ。

尚、A面3曲目の「アルフィー」であるが、
先日紹介したソニー・ロリンズの曲とは同名異曲(バート・バカラック作)である。
A面2曲目には大好きな「黒いオルフェ(カーニバルの朝)」も収録された。








(207) MAGNIFICENT

サドジョン
No.207 2014.10.6



<MAGNIFICENT>




ブルーノート1527番、「ハトのサドジョン」である。
サド・ジョーンズはジョーンズ三兄弟の真ん中(兄ハンク(p)、弟エルビン(ds))であるが、他に7人の兄弟姉妹がいたというから凄い。
10人の子を生んだ母親は歌手であり、彼らは典型的な音楽一家に育ったようだ。
典型的な音楽一家ってどんな一家だ、と普通の一家に育った者は思う。
親兄弟全員が音楽家という家庭が、世間には結構あるものなのだ。
そして有名なジャズメンの兄弟もまた有名ジャズメンという例、これも非常に多い。
ヒース三兄弟(ジミー(ts)、MJQのパーシー(b)、アルバート(ds))、ブレッカー兄弟(ランディ(tp)、マイケル(ts))、アダレィ兄弟(キャノンボール(as)、ナット(tp))等々。

バド・パウエル(p)の弟リッチーも優れたピアニストであった。
彼の場合ちょっと気の毒だと思う。
1956年6月26日のこと、妻ナンシーの運転で次の公演先シカゴへと彼らは向かっていた。
夜の高速は雨で視界が悪く、路面は滑りやすかった。
長距離運転に疲れ集中力が低下したナンシーが運転を誤り、同乗者3名全員が死亡した。
もう一人の同乗者がクリフォード・ブラウンである。
ブラウニーの死は多くの人に惜しまれ、追悼曲を送る人もあった。
だが、リッチー・パウエルに関する類似の話を聞かない。
そりゃあリッチーの家族友人らも悲しんだことだろう。
しかし不謹慎ながら、ブラウニーのケースとは桁が違う気がする。
死後に誰がどれだけ嘆こうが、誰が何を捧げようが、死んだ当人には全然関係ない、そう言ってしまえばその通りなんだが。

以前寺島靖国さんの「トランペッター不良論」を取り上げたことがある。
イナセなトランペッターが、金も女も歓声も全部持っていくというものだ。
マイルス・デイビス、リー・モーガン、チェット・ベイカーあたりがこのタイプだろう。
ところが逆に真面目で温厚な学級委員タイプのトランペッターがいる。
演奏はともかく人柄的にブラウニーはこちらに分類される。
ブッカー・リトルも本質的にはこちらだ。
そして本作のサド・ジョーンズもそうだと思う。
端正で理性的な演奏を残した。
晩年、カウント・ベイシー亡き後ベイシー楽団のバンマスを立派に勤め上げた。
そんなところに彼の人柄をうかがわせる。
協調性があり、いつも穏やかだった。
それ故かリーダー作はそんなに多くない。
だから一作一作を大切に聴きたい。
ハードバップ期にあって珍しく、ゴリゴリ力ずくで迫って来ない本作に、今日はホッと心癒される思いだ。







(220) もうひとつのアランフェス

of spain
No.220 2014.10.24



<もうひとつのアランフェス>




1959年も押し迫った頃、ギル・エバンスは自分のオーケストラを従え、スタジオに通い続けていた。
自ら譜面を書いた「アランフェス協奏曲」のリハーサルのためである。
六日目となり、漸く主役が姿を見せた。
それからマイルスとギル・エバンス・オーケストラは、9日間かけてこの曲を完成させた。
今聴くとどうだろう。
冗長で散漫な印象を持つのは私だけだろうか。
これはギルとマイルスによる実験盤だ。
マイルスは直前の「カインド・オブ・ブルー」でモードを掴みかけていた。
それをもっと前へ進めるために、スパニッシュ・モードの手を借りようとした。
だが、どうも大成功だったとは言い難く、微妙な生煮え感が残った。

本作を聴くならB面。
「THE PAN PIPER」「SEATA」「SOLEA」と続く流れに作品としてまとまりがある。
当初の彼らの意図も分かりやすい。
マイルスのアランフェスは忘れた方がいい。

ところで後日ギルが語るところによれば、ギルはマイルスのために編曲の仕事をいくつかしたが、代金を払ってもらったことがあまりなかったらしい。
ジャズメンのいい加減さなら、改めて言い出してもきりがない。
「カインド・オブ・ブルー」収録の「ブルー・イン・グリーン」は本当はエバンス(こちらはビル)の曲らしい。
だが何故かマイルス作ということになっている。
逆にマイルス作の「ナーディス」、本人は一度も演っていないこの曲を気に入ったエバンスが十八番にした。
なんらかの支払いは行われただろうか。
どうもそんな風には思えない。
もしかして「ブルー・イン・グリーン」とのバーターか。
いや、そうではなく、この曲の作者もエバンスだ、という説もある。
何れにせよ皆死んでおり、著作権すら消滅している。
死人に口なし。
音楽だけがこうして残された。













(243) 雨の246

246.jpg
No.243 2014.12.13



<雨の246>




本作はトランペッター島裕介のデビュー盤にあたる。
現在廃盤となっていて簡単に入手出来ない状況下、当島裕介研究所でもなんとか聴いてみたいと思っていたところ、この度九州のある素敵な女性に送って頂き念願叶った。
ブログに手を出して以来、やってて良かった事など特にない。
しかし今回は有難かった。
先方あまりに遠いのと、私の余生もそう長くあるまい事から、一生お目にかかる機会がない可能性が高い。
もっともこのようなネット社会以前なら、接点などどこにもなかった筈だ。
人と人の繋がりとは不思議なものである。
そしてインターネットもこの国も、満更捨てたものではない。

すっかり気を良くした私は、期日前投票に出かけたのである。
今回ばかりは棄権に傾きかけていた。
なにゆえの選挙かそれもさる事ながら、投票に殆ど意味がなくなりかけていたからだ。
私の選挙区に磐石の地盤を有する与党の世襲議員がいる。
しかるに野党は一本化すら出来なかった。
これでは選挙などやってもやらなくても同じことだ。
野党の大物は、今回も敗者復活の銅バッジを目指しているらしかった。
とても付き合いきれない、と思っていた。

私は個人商店のような会社を営み、あるモノの売買を生業としている。
この「あるモノの売買」にかかる税金がひどい。
一件あたり50万から100万といったところだが、これは利益に対してかけられる税ではない。
儲かっても損しても関係なしに課税されるのだ。
これが仮に年間20件あったら?
もちろん個人の所得税、住民税、それに法人税は別口である。
結果、個人の所得をはるかに上回る額の納税を、私は毎年強いられて来た。
江戸時代の悪代官ですら、五公五民だったというのに。

現在、私の利害を代弁する政党も政治家もこの国にはいない。
だから私は政治的にグレてしまっている。
だが世界を見渡せばもっと酷い国がいくらでもある。
そして選挙権を放棄する事で、私の利益となる事など一つとしてないのだ。
それに競馬を見るなら馬券を買わなくてはつまらないだろう。



国道246号線は東京都千代田区の三宅坂交差点から都心を抜け、横浜を経由して静岡県沼津市へ向かう最も有名な三桁国道だと地元の人が言う。
だが私は見たことも走ったこともない。
有名かどうかを勝手に決めてはいけません。
”有名な国道230号線”をご存じか?
「雨の246」、このタイトルからついでに思い出した「中央フリーウェイ」についての、これも「ある素敵な女性」の考察がある。
「中央高速ってあんな夢みたいな景色じゃないわ。ラブホだらけでとても歌になんかならない。だから私ユーミンは天才だと思ったの」と、”有名なのりしー”がかつて語ったものだ。
そういえば昨日誕生日だったね。
ちょっと遅くなったけれど、Happy Birthday!
お互い還暦がせまって来た。
だけど、もう暫くテニス頑張ろう!

ところで島裕介は慶応ジャズ研の出だった。
彼は恐らく一般入試で慶応の理工学部に入り、院まで出て松下電器に就職したエリートだ。
だが島さん、ジャズを忘れることが出来なかった。
松下電器にテニス部はあっても、ジャズ研はなかったのかもしれないが、それならそれで社会人のバンドでトランペットを続ける道が当然あった筈だ。
しかしそのようなヌルいやり方を潔しとせず、島さんは3年で退社しプロを目指した。
私の計算ではそれから3、4年を経過したのち、本作が世に出たと思われる。
もう既にいい歳になっていた。
ひょっとしたら家族がいたかもしれない。
己を通すその変わり、彼は現実を見通した自己プロデュースを選択したのではなかっただろうか。
音楽で食っていくために。
複雑な難しい曲を書くことも、恐らく彼ならいくらでも出来る筈だ。
だがそんなものが売れる筈がない事、そして何より美しくない事を理解していたし、同時にどのように音を使えば聴衆のハートをつかみ動かす事が出来るかも、あわせて島裕介は熟知していた。
それから彼の音楽は自ら定めたルールに従い、ブレる事がなかった。
それが島裕介の正義であり、まさに「確信犯」であった。


この記事があと三つ後ろにずれたなら、本作と数字が揃ったなと、あとで気付いた。










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(246) So What ?

kind of blue
No.246 2014.12.19



<So What ?>




「モード奏法」というタームがある。
私は何度説明されても理解出来ない。
まさしく「So What?」である。
しかし、仕方ないのではないかと思っている。
これは「For Musicians Only」な用語だ。
音楽にもスポーツにもやる人と見る(聴く)人がいる。
「テニスのコンチネンタルグリップはこのように薄く握り、内転を効かせてサーブをこう打つ」そんな事言われても、やった事のない人にはピンと来ないし理解出来ない筈だ。
たとえ理解できなくても、錦織選手の試合は観ていて楽しいですよね。

何が言いたいかというと、本作はモード奏法のメソッドに沿って演奏された初めての作品である(らしい)。
私はモードを解さないが、本作を聴いて楽しいというか心打たれる時もある。
特に「So What」と「All Blues」だ。
エバンスのピアノが何故かエバンスに聴こえない。
だからか、確かにそれまでになかった音楽だという気がする。
ただ、あくまでも「気がする」のである。
そうだった、「Blue In Green」は何度聴いても旋律として記憶に残らないというか残せない。
これも私の理解力を超えた存在だ。

いい盤だとは思う。
だが中山康樹氏のように、これがジャズの最高到達点、ジャズが残したものは結局これのみ、ジャズはマイルスにオンブにダッコ、といった話をされると、そんな大袈裟な、いい盤は他にもたくさんあるし、いいミュージシャンは他にも大勢いるよと言わざるを得なくなる。
中山さんも、おそらくそうと知りながらの発言だろう。
スウィングジャーナル編集長だった氏は、児山紀芳さんあたりと比べればずっと商売上手な人だ。
実はマイルスも商売上手だったと私は思っている。
それはあの変わり身の早さを見れば分かる。
機を見るに敏。
まるで辣腕トレーダーのようであった。

これはマイルスを批判しているのではない。
そうであらばこそ、マイルスはあそこまで成り上がる事が出来たのだ。
自分というものを知っていた。
トランペッターとしては、けして一流とは言えない自分を。
そこでマイルスはミュートの多用を思いつくのである。
ロングトーン、ハイノートは出来る限り避けた。
ミュートと中音と短いフレーズ、これがトレードマークとなる。

音楽産業は楽器が上手いだけではダメだ。
あらゆる意味のアレンジとマネージメントが当たらなければ売れない。
マイルスは自分をかっこよく見せる術を知っていたのだ。

日本人はこれが下手だ。
自己演出が出来ない。
やる前に照れてしまうばかりだ。
テレビの街頭インタビューなどを見ると、彼我の差がはっきりする。
日本の皆さんはどこかぎこちなく、居心地悪そうだ。
対する欧米の方々、堂々とカメラ目線で持論を述べる。
こんな風に人前で振る舞えたらなあ。
そのように思って見ていた事もあった。
だが今、そんな事が苦手な同胞を私は愛する。










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(258) BLUE'S MOODS

blues moods
No.258 2015.1.17



<BLUE'S MOODS>




ブルー・ミッチェルといえば本作「BLUE'S MOODS」であり、A面冒頭の「I'll Close My Eyes」に尽きる。
ハード・バップ期にトランペットのワンホーンが案外少ないのは、何よりもぶ厚いアンサンブルのテーマを重視したからだ。
そこを押してワンホーンで演らせたトランペッターに共通するのが、やはり音の美しさだろう。
ブッカー・リトル(タイム盤)、ケニー・ドーハム(Quiet Kenny)、リー・モーガン(Candy)、皆美しい音色を持っていた。
ブルー・ミッチェルもそうだ。
オリン・キープニューズがどうしてもワンホーンで録りたかった、この燦爛たる響きを聴いて欲しい。
音楽にとって「音」がどれほど大切か、改めて納得してしまうだろう。

本作のもう一つの美点はジャケットのかっこよさだ。
演出ではあるまい。
ブルー・ミッチェルがたまたま煙草を左手の中指と、薬指に挟んだままプレーした瞬間を切り取ったものだ。
ついでにラッパの先から煙が噴き出ていたら?
完璧だがギャグっぽくなるかもしれない。
この写真はアングルも素晴らしいと思う。
正面から見たブルー・ミッチェルってどうも、こんなに男前ではなく天狗猿のような顔だったから。


学生時代の仲間とスキーに行くため、娘が帰って来た。
早朝ゲレンデまで1時間かけて娘を送る(迎えにも行ったが)父さんを笑わないで頂きたい。
昔は私も随分スキーにのめり込んだものだった。
2mの板を何本もかついで長野の白馬なんかへ行った。
久々にスキー場という所へ行ったら、今やスノーボーダーの方が多いのであった。
昔はそんな者は一人もいなかったのである。
スキーの板も変わった。
カービングスキーというモノに代わり、最早2mどころか身長よりも短いのである。
はっきり言ってかっこ悪いと思った。

帰宅後娘がリフト・ゴンドラの券を見せてくれた。
5時間券に「スーさん」と商品名をつけている。
「スーさん」というユルキャラが国際スキー場にいるらしい。
数人の方だけに分かる楽屋落ちな話なのだが、どうしてもお伝えしたかった。



スーさん









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(269) 選択肢のない車選び

the cat walk
No.269 2015.2.18



<選択肢のない車選び>




ドナルド・バード(tp)は車好きだった。
ジャガーMKⅡにもたれてポーズを取る本作「The Cat Walk(Blue Note 4075)」の他に、デューク・ピアソン(p)がゴスペル調コーラスをアレンジした珍盤「A New Perspective(4124)」のジャガーEタイプや、ジャッキー・マクリーン参加の「Off To The Races(4007 この記事のKに間もなく長男が誕生する。すぐにも子供が欲しいと言っていたのが3年かかった。良かったね。その子が成人する頃君は、既に現在の私とおなじくらいの歳になっている。なにかと大変だろうが頑張るしかあるまい)」におけるメルセデス190SL等、車とツーショットのブルーノート盤が三枚ある。

本作ではペッパー・アダムス(bs)との異色二管フロントとフィリージョー(ds)が特に効いている。
トランペットとバリトン・サックスのアンサンブルが新鮮で面白い。
それにやはり、フィリージョーが叩くと空気感が違うのだ。
冒頭のデューク・ピアソン作の美しいオリジナル「Say You're Mine」など、ピアソンの曲が大半を占めるが、タイトル曲は本作リーダーであるドナルド・バードのオリジナル「The Cat Walk」とした。
曲の出来では「Say You're Mine」に及ぶべくもない。
比肩する曲なら当然そちらを冒頭に置いた筈だ。

ジャズ評論家に詳しい人はいないらしく、この事に触れる記事を見た事がないけれど、「The Cat Walk」とは猫が通るような狭い道とか曲調とかいう事よりも、先ずはネコ足と言われたしなやかなジャガーの走りを称賛したものだと思われる(尚、現在のジャガーはレンジ・ローバーと共にフォードを経てインドのタタ・モータース傘下にある。もうかつてのようなネコ足ではない)。

このジャガーMKⅡは当時ドナルド・バードの愛車だった可能性があり、つまり結構稼いでいたのではないかと想像される。
本作が収録された1961年、ジャズがまだポップスの王道に君臨していたのだ。
それはビートルズが登場する直前の事だった。
後年ジョン・レノンはサイケにペイントしたロールス・ロイス・ファントムVを乗り回し、エスタブリッシュメントの間で物議を醸すこととなる。

かつて男はたいてい車好きと相場が決まっていた。
それは一丁前の男なら煙草くらい吸うものと決められていたのと、あまり違わない発想だったのかもしれなかった。
私自身なんとなく自分もそうなのかな、と思った時期もあったのである。
だが最近の風潮はどうだろう。
特に若者が車に興味を失ったと言われ久しい。
私もなんだか分からなくなった。
実際のところ、私はそんなに車が好きではないのかもしれない。
しかしそれは現在どうも魅力的な車がない、という事とまったく無関係ではないように思う。
思えば昔の車は、哲学と言うと大袈裟だが、拘りを感じさせるオーラを放つものが少なくなかった。
今はどうだろう。
無国籍化が進み、何が何やらすっきりしない。

Q7とトアレグとカイエンが実は基本的に同じ車だ、といった話を聞くとやはりどこかに釈然としないものが残るのは私だけではないと思う。
アウディをスペインで製造していたり、ポルシェをフィンランドで製造していたり、BMWをアメリカや南アフリカやあまつさえ中国で製造していたり、もうわけがわからなくなってもいる。
どこで製造してもベンツはベンツです、都合上そのように言いたいのは分かる。
でもね、シャンパーニュ地方で作られた発泡ワインだけがシャンパンです、という非常に納得しやすい方の話とはどのようにして整合性を保つのでしょうか。

そんな現代自動車事情のなかで、先日妻の車を買い替えた。
どちらかと言えば消去法で無理やり選んだのだった。
そうこうするうち、今度は私が普段仕事等に使う車の更新時期がせまっている。
しかしながら、はっきり言って買いたい車がないのだ。
多分既にそういう歳なんだろう、というのは確かにある。
今使っている車に私は何の不満もない。
そしてこれを凌ぐ車を思いつかなかった。
それならいっそ最後までこれでいくか、そのようにも思った。

それがここへ来て急浮上してきた車がある。
ジープの「Wrangler」という車種だ。
JBLのドライバーとレビンソンのアンプ、それに空母と戦闘機とイージス艦を除き、私はアメリカの工業製品をまったく信用していない。
万一これを買えば間違いなく様々な、それも我が国の車にはあり得ないような下らないトラブルにきっと見舞われるだろう。
だがWranglerに私は、今の車の殆どが失ってしまったある種の矜持を感じるのである。
ひょっとすると私はこれを人生最後の車にする可能性がある。
もしも徳大寺さんがご健在で私の友人だとしたら何とおっしゃるかな。




Wrangler1.png











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(273) 信号機雑譚

walkin.jpg
No.273 2015.3.3



<信号機雑譚>





ひな祭りも最早私にはあまり関係がないから、本日は前回に続いて信号機シリーズ第二弾としたい。
ジャズと信号機。
そう来るなら避けて通れないのが本作「WALKIN'」である。
JJジョンソン(tb)ラッキー・トンプソン(ts)ホレス・シルバー(p)らによる異色の顔合わせとなった。
1954年4月録音の本テイクがマイルスにとってこの曲の初演となる。
少し混乱するけれど「COOKIN'」「RELAXIN'」等のマラソンセッションは56年10月だ。
パーソネルもそちらはコルトレーン(ts)ガーランド(p)チェンバース(b)フィリージョー(ds)のレギュラー・クインテットで、本作とはまったく関係ない。

それから暫く経って60年代に入り、「WALKIN'」はマイルスバンドのライブにおける定番曲となっていた。
「In Europe」「Four&More」「In Berlin」、これらライブ盤に収められた「WALKIN'」と本作を聴き比べると、テンポがかなり異なる。
ライブでは一般にアップテンポの方がノリが良いのだ。
60年代快速調「WALKIN'」でドラムを叩いたのはトニー・ウィリアムスだった。
こちらの方が良いと言う人もいるだろう。
だが早ければ良いというものではないと私は思う。
さらにこの曲でトニー・ウィリアムスがドラム・ソロを取るのがパターンとなり、それがまたやたらと長いのがイヤだ。

本作のドラムはケニー・クラークなのだが、控え目で大人な感じに私は好感を持つ。
第一、スタジオバージョンである本作の方が圧倒的に音がいいのだ。
マイルスのライブ盤には片面30分近くあるものが少なくない。
カッティングのレベルを下げれば可能とはいえ、それは音質を犠牲にしたものとならざるを得ない。
私は「マイ・ファニー・バレンタイン」のオリジナル盤を所有する。
同様の理由により音質最低である。
聴いたことがないので保証できないが、これらについてはCDの方に分がある可能性を否定できない。

ジャズと信号機といえばもう一つ、矢口史靖監督の「スウィングガールズ」を思い出す。
歩行者用信号機のメロディ「故郷の空」に「これってジャズ?」と反応するシーンがある。
なんとあれから既に10年だという。
まいっちまうねえ。
「故郷の空」は某テレビ局朝のドラマにも使われているらしい。
この曲が実はイギリスのトラディショナルだからだ。
我家にはテレビがない(事になっている)ため、確認はできない(事になっている)。

小学校2年生のある朝、学校の手前にある国道に信号機がついていた。
弾丸道路と呼ばれた希少な舗装道路に設置されたそれは、当時周辺にある唯一の信号機だったせいで歌まで作られた。
「渡ろ渡ろ、何見て渡ろ、信号見て渡ろ・・・赤青黄色、青になったら渡ろ・・・大丈夫と思っても、止まって、もういいかい?」
半世紀以上前のこんなつまらない事を覚えているのに、昨日入れた非常に大事な仕事をすぐ忘れる。
なんとかならないものだろうか。











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(277) JOY SPRING

joy spring
No.277 2015.3.17



<JOY SPRING>





ブラウニーのソロはいつも美しい。
マイルスのソロが幾何学模様だとすれば、ブラウニーの場合は一幅の絵画だ。
溢れ出る美しい旋律を次から次へアドリブで紡いでいったのだとしたら、これは奇跡としか言いようのないものだ。
ヘレン・メリル盤におけるクインシー・ジョーンズのアレンジが頭にこびりついているため、ひょっとしたら他にもそんな風に録音されたものがあるのではないかとつい想像してしまう。
だがそんな話はもう、今となってはどうでも良い事なのだろう。
真相は最早誰にも分からない。
クリフォード・ブラウンの素晴らしいトランペットがこうして残され、私は気の向くままにそれを取り出して聴くことが出来る。
それだけでいい。

本作は「JOY SPRING」「JORDU」を含むB面が好きだ。
就中このオリジナル曲「JOY SPRING」が私にとってブラウニーが残した録音のベストテイクだ。
この曲を聴くと気持ちが晴れ晴れとしてくる。
やっと春の気配がしてきた。
次第に日の出が早くなり、昨日ついに気温が10度を超えた。
一気に雪解けもすすむだろう。
長かった冬が終わる。

柔らかな陽光さす縁側で「やっと春になって有難いですね」という妻に、「うん、でもまたすぐに冬だよ」と夫が言うのは夏目漱石の「門」だった。
女はかつて男の友人の妻だった。
人生何があるかわからないという事、そして一難去ってまた一難それが現実ではあるのだけれど、性懲りもなく私は春の訪れが嬉しい。











テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(286) SILENT JAZZ CASE 2

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No.286 2015.4.25




<SILENT JAZZ CASE 2>





2010年の一作目(No.162)から5年の時を経て、先頃「SILENT JAZZ CASE 2」が出た。
クラブジャズの本当のところはわからない。
多分一生わからない。
スムーズジャズという訳のわからないものがあるけれど、クラブジャズとは結局のところ「スヌーズジャズ」とでも言うべきものだ。
なんだか金太郎飴のようでどこを切っても変わらない。
島裕介が何故こうしたものをやるのか、それもわからない。
「名曲を吹く」の諸曲や「海を見下ろして」との比較でどちらが上位にあるのか聞いてみたい気もする。
だが答えは聞かずとも明らかなように思えて怖くて聞けない。
音楽的により複雑であり、「能力」を存分に発揮しやすいのは間違いなくこちらだからだ。
彼は現代の有能な若手音楽家である。
だから怖くて私は聞けない。

では本作は私にとって全然ダメか?
そうではないから困る。
何はともあれかっこいいのだ。
認めざるを得ない。
訳もわからず、闇雲にかっこいいと。
だから遂、繰り返し聴いてしまう。

彼はたくさんの引き出しを持っており、それをどう使うかどうやったら音楽をかっこ好く作れるか、それをを熟知している。。
どこをどうすれば女が悦ぶか、隅々まで知り尽くしたドンファンのようだ。
だから私のような昭和のオヤジを手玉に取るなど造作もない。
島裕介はいつも冷静にリスナーを観察している。
そして的確に急所を付いてくる。
見事だ。
しかし、一層 SILENT JAZZ CASE ならば、先ずは一作目を推す。
「手心」を感じる分、多分一作目が聴き易い。
二作目は一段とマニアックである。
こちらを先に聴くのは少し危険だ。

「お望みなら世界一のロックバンドを作ってみせる」
かつてマイルス・デイビスはそのように豪語した。
しかし、それは無理だったと私は思う。
マイルスにそのような柔軟性はなかった。
ただ「へのってた」だけだ。
島裕介なら?
世界一はどうかわからない。
だが、日本一のロックバンドなら案外いけてしまうのかもな。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(287) SILENT JAZZ CASE R&B

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No.287 2015.4.29




<SILENT JAZZ CASE R&B>





これも島裕介の仕事である。
本作の存在を私は知っていた。
しかし私がこれを買わないことも、おそらく彼は知っていた。
ダウンロードのみの販売だったからだ。
それがいつの間にか密かにCD版が出ていたのだ。
恋人が他の男に宛てた手紙を見てしまったら、しかも遠い昔の出来事ではなく現在進行しているらしい話であり、どうやら本気であるらしきものであったなら、あなたはきっと私のような心境になるだろう。
聴いてはならないものを私は聴いたようだ。

本日は祝日である。
昭和の日だそうだ。
このままでいくと、あと一万年も経ったら毎日が祝日になるのではないか。
それはいいが、水曜日は元々私の定休日なので、どうも今日は損した気分だ。
だが天気も良く、テニス日和となった。
いいぞ。
今日から屋外テニスが始まるのである。
インドアと外ではもうまるで違う競技になるから不思議だ。
あれ?オレのサーブってこんなに遅かった?
シーズン当初はそんな風にいつも戸惑う。
そしてそれが普通になっていく頃、私は真っ黒に日焼けしているだろう。
今年も怪我などしませんように。
















テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(291) 才能のV8エンジン

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No.291 2015.5.11




<才能のV8エンジン>





チェット・ベイカーへのトリビュート盤である。
2000年に出た本作を私は長い間オクラ入りさせていた。
それはストレートに言えばピンとこなかった、もっと率直に言うと好きじゃなかったからだ。
引っぱり出して聴いたきっかけが、前回お話ししたサウンドトラック盤である。
ティル・ブレナーが音楽監督を務めたドキュメント作品を後年DVDで観直す機会があった。
この映画実はドイツ製作で、ティル・ブレナーの起用にはそうした繋がりも当然ある。
だがドイツのジャズミュージシャンは彼一人ではない。

ティル・ブレナーはたくさんのものを持っていた。
クラシック出身のトランペットは常に抜群の安定を見せる。
それを可能にするのは分厚い胸板の堂々たる体躯だ。
トランペッターが音を外さなくなるのは彼がトランペットをやめる時だ、そのように言われるほどトランペットで正確な音程をキープするのは難しい。
だがティル・ブレナーの奏でるトランペットは音を乱す気配も見せない。
如何なる場面にあっても冷静であり、その安定感はウィントン・マルサリスをも上回る。
5リッターのV8エンジンで高速道路を制限速度を守ってゆるゆると行く、そんな余裕を感じさせる。
それが私には面白くなかった。

チェット・ベイカーは自分に才能があるように見せようと頑張った。
実際以上に良く見せるのには大変な努力を要する。
無理が破綻を呼ぶ。
彼の容姿が急速に衰えたのは麻薬のせいばかりではなかったかもしれない。
ティル・ブレナーには明らかな才能がある。
それも尋常ならざる才能だ。
それを隠そうともしない。
彼には普通のことだからだ。
この差は大きい。
加えてご覧のルックスだ。
可愛げがなさすぎる。
本作を拒否する背景にあったのは結局嫉妬だろう。

十数年の時を経て、素直に才能を認め受け入れることが出来る歳に私はなった。
つまりそれはある種の諦観でもある。
ダメダメな人生を呪うのではなく、そういうものだとやっと受容できるまでに私は半世紀の時を要した。
それでもヒップホップ的な作りや、DJの効果音はやはり好きになれないし、チェットを意識しすぎた(いや、意識しているのはマイケル・フランクスではないかとの説もあろう)ボーカルも私はいらない。
とりわけチェットの声をサンプリング音源として使用する事に賛成できない。
唯一ライブ録音が使用されたタイトルナンバーがいっそ一番いい。
これだけが普通のハードバップだ。










テーマ : JAZZ
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(292) CHETバラードを吹く

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No.292 2015.5.14




<CHETバラードを吹く>





前回お話ししたトリビュート盤の元ネタがこのジャケット。
ただし内容はまるで異なる。
本作はジャズの王道スタンダード集である。
「チェットバラードを吹く」といった趣きの作品だ。
ティル・ブレナーもスタンダードを演ったが、一聴何を演っているのかわからないくらい原曲から遠い。
そうなる理由もわからなくはないのだ。
後発の人は気の毒なところが確かにある。
普通に演奏したくても、半世紀以上も前にやり尽くされてしまった。
でもそれなら良い案がある。
手付かずの曲を探すか、自作するのだ。
曲は殆ど無数にある。
それでも気に入る曲がない時は、自分で書けばいい。
分かり易く心に残る曲(テーマ)を書いて欲しい。
難しくて何度聴いても覚えられない曲に名曲と呼ばれるものは恐らく一つもない。
覚えやすいというのは十分ではないにしろ、名曲の必要条件だ。
つまり売れるための必要条件でもある。
道楽でやっているならともかく、ある程度売れなくては暮らしが立ち行かない。
そこのところで上手く折り合いをつけなければならない。
商業主義とは少し違う。
誰にだって生活があるのだ。
家族だっているかもしれない。
売れる曲を書くのはけして悪いことではない。
その代りアドリブは存分にやればいい。

チェット・ベイカーの時代にそんな工夫をする必要はほぼなかった。
腕利きをスタジオに集め、スタンダードをチャチャッと演れば高確率で名盤と呼ばれるものになった。
いい時代だったのである。
本作は1958年の末から翌年始かけて、リバーサイドレコードがそんな感じで製作したものだ。
ペッパー・アダムス(bs)ハービー・マン(fl)ポール・チェンバース(b)フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)ケニー・バレル(g)それにラファロとバンガードへ出る前のエバンスらが脇を固める。
非常に録音がいい。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(294) STANDARD TIME

ウィントンvol3
No.294 2015.5.20




<STANDARD TIME>





先週マイルス・ディビスを一人で一気聴きした。
時間的制約から全部という訳にもいかず、選択的マラソン鑑賞にならざるを得なかったがしかし、これが思った以上に楽しかった。
そして再確認したのである。
スタンダードは色褪せない。
むしろ色褪せなかった結果スタンダードとなったのだと。
スタンダードに成れなかった試みは時に悲惨であり滑稽ですらある。
その点ではウィントン・マルサリスも同様だ。
彼の偉業もやはりスタンダードに限定されるものだ。
ただここで言うスタンダードは少し意味が広範で、だからたとえば「Four」や「Footprints」「Straight, No Chaser」なんかも普通に含まれる。
でも当然「Bkack Codes」や「Knozz-Moe-King」は含まれないので念のため。

マイルスの後でウィントン・マルサリスのスタンダードを聴くのは少しアンフェアな行いかもしれない。
それはある種の後出しじゃんけんのようなものだからだ。
しかしながらウィントン・マルサリスの演奏を割り引いて聴くかと言えば、人間の耳はそんなに都合よく出来ていない。
両者のトランペットには残酷なほどの差があり、我家のレコードとCDとオーディオ装置はありのままにそれを伝えて来る。

ウィントン・マルサリスにマイルスという先駆者があった事は言うまでもない事実だ。
ウィントン・マルサリスは無人の荒野を行きこの地点に立ったわけではない。
それはそうだ。
しかし同時にこうも言える。
マイルスがいなければウィントン・マルサリスというトランペッターが存在しなかったかどうか、それは誰にもわからない。
本当は少しわかるけれど、つまりどうでもいい事なのだ。
それは小型カセットプレーヤーのウォークマンとiPodの関係に似ている。
歴史の事実とはそういうものだ。
父エリスは敬愛するウィントン・ケリーの名を息子につけた。
それを父が望んだかどうかわからないが、しかし息子は父のあとを継いでピアニストになることはなかった。
事実はただそういうことだ。

ウィントン・マルサリスは自らの道を行き、やがて長じ父と共にこのアルバムを残した。
「父さん、おれピアニストになれなくてゴメン」
「マイサン、何を言うか。立派なトランペッターになりおって・・・」
ジャケットに写る親子の表情そのままに、穏やかでくつろいだ上質な時間の流れがここにある。
珠玉の全21曲、なんという大盤振る舞い。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

(295) カウントダウンが始まる

playboys2.jpg
No.295 2015.5.24




<カウントダウンが始まる>





微妙なジャケットだ。
セミヌードだからではない。
どーしてこのイモねーちゃんなのか。
本作の評価は是非聴いてからにしたい。

ジミー・ヒース(ts)の名曲「For Minors Only」で快調なスタートを切る。
これだけで私のメーターが振り切れる。
この曲が好きだ。
本作の全7曲中ペッパーの2曲を除き5曲がジミー・ヒースのオリジナルで、「For Minors Only」はこれが初演である。
しかしジミー・ヒースはこのセッションに参加しておらず、この辺りの事情はわからない。

この時チェットは26歳の若さだ。
そればかりではなく、ペッパー31歳、ピアノのカール・パーキンスも27歳と皆若い。
そんな彼らにどんどんレコーディングの機会が与えられる時代だった。
ジャズミュージシャンンはスターでありアイドルだったのだ。

ウエストコーストジャズを象徴するかのような美しくも洒落たアンサンブルで全編を固めた本作だが、これだけどんぴしゃなコンビネーションを見せつけるチェットとペッパーがレギュラーバンドを組んだことはない。
この二人の顔合わせ実は非常に希少だ。
それ故か、雑誌のプレーボーイとタイアップしたというこのジャケット故か、本作は廃盤店でも結構高い。
私が所有する盤はただの国内盤だが、5桁に近い値段だった。
手に取った時、強欲な店主に完全に見透かされ、足元を見られたと思った。
それでも飛びついたのはけしてジャケットのせいではない事を、クドい様だが(特にスー嬢に)申し上げておかなければならない。

ピアニストのカール・パーキンスは本作収録の翌年交通事故で亡くなっている。
彼の死を悼み、リロイ・ビネガーが書いた美しいバラード「For Carl」をもしもお聴きになったことがないなら、こちらも是非チェックして頂きたい。
多くのミュージシャンがこの曲を録音しているが、私はとりわけピアニスト故田村翼(よく)氏の「Ballad For Hamp」収録テイクが好きだ。
心ゆさぶる名演である。










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Author:バロン ド バップ
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