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番外編 ①

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<番外編 ①>





フレデリック・コーエン著、行方均訳。
100ページそこそこの薄っぺらい作り、本というよりは小冊子である。
何が書かれているか。
ブルーノートオリジナル盤の特徴について個別に紹介しているのだ。
オリジナル盤とは発売当時にプレスされた盤のことだ。
書籍の初版本に相当する。

この本には、1509・・・Lex,RVGe,Fr,/Lex,f,Bs,nl
こうしたものがずらりと羅列されている。
これだけでは意味をなさない。
解読が必要となる。

・レーベルの住所はレキシントン街767番地
・レコード盤の最内周にRVG(ルディ・ヴァンゲルダー/録音エンジニア)の手彫り
・レコード盤の外縁(rim)は盛り上がっている
・裏ジャケットの住所はレキシントン街767番地
・額縁ジャケット
・背文字なし
・ラミネート加工なし

といった内容になる。
ブルーノート1509番のオリジナル盤はこうですよ、ということだ。
1509は「ミルトジャクソン」だが、それは書かれていない。
ジャケットの写真もない。
演奏内容の解説も一切ない。

この本を必要とするのはどういう時だろう。
コレクターが購入しようとしているレコードが、本当にオリジナル盤であるかどうか確認する時に役立つ。
それも、何人いるか知らないが、コンプリート・コレクションを目指しているコレクターに役立つ。
彼のブルーノート・ライブラリーに、一枚でも"贋作"が混じっては意味がないからである。

私は1509のオリジナル盤は欲しくない。
たまたま行った店に1509の"オリジナル盤"が売られていて、それを気紛れに購入する可能性はあるが、それが本当にオリジナル盤であるか確認する必要は特にない。
だからこの本は私には無用の物だ。
それを購入してしまったのは、ネットショッピングの大きな限界がそこにあるからだ。
店頭で手に取り、これをレジに持っていく事はあり得ない。

2011年11月、ディスクユニオンが3500円で発売した。
これは初版第一刷である。









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番外編 ②

the band



<番外編 ②>






マーチン・スコセッシが監督したドキュメンタリー映画「ラスト・ワルツ」は、1976年に行われたザ・バンドのラストコンサートを記録したものだ。
ニール・ヤングがエリック・クラプトンがジョニ・ミッチェルがリンゴ・スターが、そしてあのボブ・ディランまでもが集結、ザ・バンドの解散、いや、と言うよりもロックの終焉を宣言した。
ジャズに引導を渡したロックもまた、およそ20年で自壊し伝統芸能となった。

何事にも始まりと終わりがある。本稿も例外ではなかった。
けして報われる事のない作業は、約百編の言いっ放しののち早くも終わりを迎えた。
死ぬ前に言いたい事を言ってやろうと思ったが、それもなかなか楽ではない。
語るべき事が、実は案外少ないのである。

願わくば何か「語るべきこと」がまた出現し、何かを言わずにおれない衝動が私を突き動かす日が来てほしい。
文章を書くという行為は、結構な頭の体操でもあるからだ。
何か適当なテーマがあれば、書き続けることも出来るだろう。
だが、特別な才能を持ち合わせない普通の人(つまり私)には、それがなかなか見つけられない。
人はなりたい者になれる訳では普通ないし、
文章を書いて生計を立てたいと思ったこともまたないのであるが、毎日職業として書き続ける方々のご苦労が少しはわかる。
なりたいと思ったことはないが、なれた筈もないのであるが、ならずによかった。

駄文を時々読んでくれた数人のみなさん、どうもありがとう。
みなさんにも素敵な「MUSIC LIFE」が訪れますように。

いつかまたお会いしましょう。










番外編 ③

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<番外編 ③>





終了宣言以来そう経っていないのにと、どうか笑って頂きたい。
ちょっとした旅をして、ご報告したい事が出来たのだ。
有り難いことだと思う。
さてこの写真お判りと思うが、沖縄の普天間飛行場である。
今回私は沖縄へ赴き、普天間、嘉手納そして辺野古などを見てきた。

私の町に一番近い空港から、沖縄への直行便は飛んでいない。
だから仕方なく、先ずは羽田まで飛ぶ。
所要時間約一時間半である。
この便に乗って初めて知ったのだが、今は国内便(JAL)にもファーストクラスというものがある。
驚いた。たったの一時間半ファーストクラスに座ってどうだというのだ。
だが、それは試してみなければ分らないことだ。
というわけで、ファーストクラスへのアップグレードを希望した。
追加料金8000円とのことだ。
微妙というか高い。
しかし食事が付いているという。四国の有名な割烹との提携であるらしい。
たいへん美味そうだ。
ところが残念ながら、その便のファーストクラスは売り切れていた。
急にがっかりしたが、私は気を取り直して機上の人となった。
上昇していく旅客機の、小さな窓から見える我故郷。
3月中旬のその大地は、まだ雪に覆われ白一色であった。

羽田からは多くの家族連れやカップルが搭乗してくる。
幼い子を抱いた若い夫婦も目立つ。
旅客機は一万メートルという高高度を飛行する。
機内は与圧されているが、地上と同じ気圧にはできない。
そこではダイビングとは逆の耳抜きが必要になるが、
赤ちゃんにはそれが上手く出来ないという。
やがて機内のあちこちから、赤ん坊の泣き声が聞こえ始める。
お母さん方、わが子がなぜ泣くかわかっているかい?
耳が痛いんだよ。
幼い子にとってそれは、理不尽な拷問のようなものだ。
彼らは特に沖縄旅行を望んではいないのだ。
それを望んでいる若いお父さんお母さん、わが子を抱いての沖縄旅行は無理だ。
どうしても行きたいならわが子のため、そして他の乗客のため、筏にでも乗って行くしかない。
だがJALの機内では耳が痛いと赤ん坊が無き続け、それを聞かされる無関係な他の乗客も、黙って一緒に耐えるしかないらしい。

昼過ぎには那覇に着いていた。
空港近くでレンタカーを借りる。
これがEV(電気自動車)の日産リーフだった。
どういう事情か知らないが、沖縄本島ではEVの為の充電インフラがかなり整備されている。
各ホテルはもとよりコンビニ、公営の駐車場などにも充電施設があるのだ。
これには驚いた。そして充電には事実上別の費用が発生しない。
私は沖縄に滞在した四日間、車の燃料代を一切負担しなかった。
これは一体どういうカラクリになっているのだ。
おそらくはEVの電気代というものが、ガソリン車の燃料代よりずっと安上がりなのだろうが、それにしても只な訳がないのである。電気代は誰が負担しているのだろう。
沖縄から北方に遠く離れた我町で、私は電気自動車の充電装置を見かけた事など一度もない。
同じ日本ではないか。これはどうなっているのだ。
解けない疑問を抱えたまま、電気自動車は音もなく走り始める。
当然だが本当に静かだ。遠くでモーターが回る気配とロードノイズ、あとは風切り音がするだけである。
その事で逆に危険なのは、歩行者にまったく認識されない点だ。
那覇の路地裏を走る。前を行く歩行者はいつまでも狭い道の真ん中を歩き、よけてくれる気配がない。
まさかクラクションを鳴らす訳にもいかず、後をゆっくりついて行くしかない。
何かの拍子に後ろを振り返った歩行者が、驚いて道の端によけるまで。

那覇から北方のホテルへ向かう。
高速道路を含め沖縄の道路は非常に状態がいい。
我町とはもう全然違う。
我町の道路はどこも舗装が傷んで穴だらけになっている。
主に冬期間に凍害によって傷むのだが、厳しい財政事情が補修の妨げとなっているようだ。
この地では凍害を起こすほどの冬がないため道路の傷みも軽微には違いないが、その他社会インフラや町の様子を見て感じるのであるが、どうやら沖縄は財政が相対的に豊かであるらしい。
その財源がどこにあるのか、私にはわからない。
ここには観光以外に特別な産業があるとは思えないし、その観光にしたところで本島の空き地の相当部分が米軍基地となっていて、充分な観光地を展開できるスペースがあるようにはとても見えない。
米軍が相応の地代を払っているという話も聞かない。
となれば、国庫負担しかないだろうな。
沖縄の豊かな社会インフラは、国庫によって賄われているのだろう。

高速道路を走ると、充電の残量が見る見る減っていく。
リーフはフル充電で約200キロ走ることになっているが、それはエコ走行モード(とノーマル走行モードがある)で理想的にエコ走行をした場合、つまり現実の走行ではありえない数値という事のようだ。
実際に走行可能なのは半分くらいではないかと思う。
リーフの電気モーターはトルクが強く、気持ちよく加速する。
だが、そんな事をしていたら目的地まで着けないのではないかと不安になるくらい、バッテリーのゲージが減っていく。
仕方なくエコモードにするが、悲しいくらい力がなくなってしまうのである。
ちょっとした登りでどんどんスピードが落ちてしまう。
エコモードでは車の流れに合わせた運転は難しい。
だが、この調子なら充分ホテルまで到達可能であった。

ところでバッテリーの充電というのはどうやるのだろう。
EVを扱うのが初めてである以上、勝手はまったく分らない。
そこで途中のサービスエリアで充電してみる事にした。
充電装置は二口あったが、充電している車両はない。
今はまだ台数が少なく、施設の利用者数も知れたものだとしても、
今後もしEVが普及した場合どうなるのだろう。
その点には一抹の不安が残る。
さて、充電であるが思いのほか簡単である。
繋いでスイッチを入れて後は待つだけだ。
充電機には普通バージョンと高速充電機とがあり、
サービスエリアにあるのは高速の方だった。
約20分程度でフルの8割まで充電が可能で、
逆に言えばフル充電は出来ない。
充電中の車から目を離すのが何となく不安ではあったが、
トイレに行ったりコーヒーを飲んだりしていたら20分はあっと言う間である。
さあ、目的地のホテルまであと少しだ。

空港から車で一時間半ほど行った西海岸の岬の突端に、宿泊先のリゾートホテルが建っていた。
従業員の誘導で車寄せに着ける。
明らかに私よりも華奢な、若い女性従業員の方が荷物を運んでくれる。
この状況に私はいつも戸惑う。
男ならどうと言うことはない。有り難く運んでもらえば良いのだ。
だが、小柄な女性に仕事とは言え荷物を運ばせて、私は平気でいられない。
このあたりの客の心理を、ホテル側がもっと推察すべきだと思うが如何なものか。
車は駐車場へ運ばれ、ホテル側で充電もしてくれるとの事であった。
この日、沖縄の最高気温23度、日没は午後6時半過ぎであった。
我町との比較で言えば、最高気温で20度以上高く、日没は30分程度遅い。
日本は案外広いのである。





ブセナ









番外編 ④

海軍




<番外編 ④>





翌日は南部の戦跡を訪ねた。
写真は帝国海軍の司令部壕である。
海軍はツルハシともっこで、この地に広大な地下司令部を構築した。
その労力には頭が下がるが、だからと言ってそれで戦に勝てた訳ではない。
出来る限りの努力を惜しまなかったと、それだけの事なのである。
日本軍は米軍との比較で、工兵の機械化や兵器装備の近代化で決定的に劣っていた。
だから精神主義に走るしか他に方法はなかったのだが、その事で一定の成果を上げたとも思う。
だが、肝心の装備兵器で負けていては戦場では苦しい。
日本軍の歩兵の主力装備がボルトアクションの小銃で、それをやっと一発撃つ間に米兵はマシンガンをバラバラと撃ってくる。
実際の銃撃戦では、一発一発丁寧に狙ってなどいられるものではないという。
狙いをつけている間に頭を撃ち抜かれてしまうのだ。
だからいきおい顔を上げずにメクラ射撃をすることになる。
そうなると弾の発射量の勝負になってしまう。日本軍は弾薬の準備も少ない。
そんな状況下にありながらも精神力にものをいわせ(つまり命を的に)、火力に劣る小銃を手にした日本兵は良く戦ったと思う。
実際、沖縄戦ではアメリカ軍にも相当の犠牲者が出ている。
1万2千人が戦死しているのだ。
だが、キルレシオでは10倍の差となった。
アメリカ軍は地上戦闘員だけでも5倍という圧倒的な戦力で押し寄せ、自軍の犠牲の10倍、12万人近い日本兵を殺した(非戦闘員殺害数を含まない)。

沖縄戦で劣勢の日本軍が米軍に一定の出血を強いることが出来たのは、サイパンなどでの戦訓を生かし無謀な水際作戦を棄てたからだった。
敵の上陸を無理に阻止しようとせず、上陸後内陸部で敵を消耗させる作戦に変えたのだ。
これは軍事的には正解だろう。
だが、一方でこの作戦が地元民などの非戦闘員の犠牲を増やす結果となった。
軍部は元より、沖縄県民の犠牲を斟酌していなかった。
米軍の本土進攻を遅らせる、それ以外に重要なことなど何ひとつなかったのである。
沖縄県民の安全には少しの配慮もなされなかった。

琉球はそもそも、薩摩に併合されるまでは小なりといえレッキとした独立国であったし、日本よりもずっと中国寄りのポジションに立っていた。
歴史にIfは意味がないとは言うが、もしも薩摩に併合される事なく、中国の属国といった立場が続いていたとしたなら、沖縄戦はなかっただろう。
今、軍事大国となった中国が、武力にものをいわせて沖縄に色気を出し始めている。
こういった現実を沖縄の人々はどのように受け止めているのだろう。
かつて同胞を虫けらのように殺した同じ米軍の、在日基地の8割近くが現在も沖縄に存在している事と合わせ、この地の歴史はあまりに過酷である。

帰りに那覇に立ち寄り、やちむん通りを歩くなどした。
家人がシーサーを買いそうな勢いであったが、ぎりぎりにて思いとどまったようであった。
良かったのではないか。
そんな大荷物を買い込んだら後が大変である。
国際通りのレコード店を覘いたら、ジャズのバーゲンコーナーがあり、正規国内盤が三枚で2480円とのことだ。
これはルール的にアリか、と思いつつもリーフで聴こうとアキコ・グレースや澤野の北川潔など三枚を購入。
沖縄ではジャズの人気が更にパッとしないのだろうか。
どうもイメージ的に似つかわしく思えないのも、あながち偏見とばかりは言い切れまい。
店を出たところで猛烈なスコールに遭遇した。
急遽雨傘を買い求める。
この日の外気温は25度を超えていたようだ。
まことに南国である。






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番外編 ⑤

嘉手納


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<番外編 ⑤>





三日目は朝から基地巡りだ。
まずはホテルから一番近い辺野古のキャンプシュワブを目指す。
東海岸の人里離れた場所にそれはある。
普天間の飛行場をここへ移転させようとした日米合意は、それなりに合理性のあるものだと思う。
埋め立て予定地がサンゴ礁の美しい海岸だと聞いたことがあるが、基地のフェンスに阻まれて確認することは出来ない。
移転を当て込んで某政治家が買い占めたとかいう土地も、特定は困難だった。

次に向かったのは、極東最大の米空軍基地嘉手納である。
冒頭の写真は基地と道路を隔てた「道の駅」展望デッキからの風景だ。
今やちょっとした観光スポットになっているようだ。
運が良ければ最新鋭のF-22ラプターなども見ることが出来るというが、生憎この日は飛来せず航空自衛隊でもお馴染みのF-15が訓練しているのみだった。
だがそれでもF-15が目前で急上昇していく様にはそれなりの迫力があり、その騒音は普通の民間空港では体験出来ないものである。
晴れた空を見上げ続けた私は、季節外れの日焼けをする事となった。

そして最後に宜野湾市の普天間を訪れたのである。
番外編③冒頭の写真は、普天間飛行場滑走路の延長上にある嘉数公園からの風景だ。
高台にあり、飛行場を見渡せる恰好のポジションにある。
普天間は危険な飛行場として問題になっているが、確かに街中にあり飛行場として相応しくない立地であるのは明らかだ。
では、この状況はどのようにして形成されたのだろう。
嘉手納基地は旧陸軍の飛行場を米軍が整備したものだ。
元々そこに飛行場があったのだ。
だが、普天間は違う。
この飛行場は戦後米軍が、一から原野に構築したものだ。
何もない所に基地が出来、その後周辺に人が集まって危険な普天間が出来上がった。
ではなぜ、それほど危険だという基地の周りに人が群がるのか。
それは基地が金を落とすからであり、雇用を提供するからだ。
これといった産業がなく、従って求人が少なく、10パーセント以上の高失業率に喘ぐ沖縄にあって米軍基地は、トップの観光に次ぐ重要な雇用の場となっている。
その待遇は、思いやり予算による国家公務員に準じたものだという。
だから基地からの求人にはいつも20倍を超える応募がある。
自ら望んで危険な飛行場周辺に集まった人々が、飛行場が危険だからどこかへ移転しろと主張し始めるのはどうもおかしい。
どこかで誰かが、故意に話の筋を書き換えている、そんな気がしてならないのだ。

普天間では騒音問題で訴訟すら起きている。
基地の騒音がどれほど酷いのか、どれほどの被害を及ぼしているのか、それは実際にそこで暮らしてみなければ本当のところはわかるまい。それはそうだ。
だが私が嘉数公園に滞在した小一時間、基地周辺は実にのどかな状況だった。
離発着があったのは、KC-130輸送機の着陸一回のみである。
だから我慢すべきだと言うつもりは毛頭ないが、嘉手納の騒音とは全然違う。
普天間は海兵隊基地だ。
飛来する機体のほとんどがプロペラ機であり、桁外れの騒音を出すジェット戦闘機の離発着はないのだ。
嘉手納周辺の騒音のひどい地域では、我慢できなくなった住民が防衛省に土地を売ってどんどん出ていくという。
その譲渡所得には、5000万円の特別控除すらあるのだ。
この国では居住地選択の自由が保障されている。だが、普天間にそうした動きはないようだ。
普天間の人たちは本当に基地移転を望んでいるのだろうか?
中には心から望んでいる人がいるのかもしれない。
それが実際にどれくらいの割合なのか、一人一人に本心を聞いてみたいものだ。

米軍基地は沖縄にとって、実は金の卵を産む鶏なのかもしれない。
だとするなら、それが少々騒々しいとか排泄物が臭いとか言って、そう簡単に絞め殺すわけにもいかないだろう。
現在国庫から手厚く支出されている補助金や交付金は、基地負担への見返り、保証の意味合いが相当ある筈だ。
基地がなければ見直し必至、米軍基地あっての補助金・交付金、米軍基地あってのインフラ整備なのである。
もしも基地が全部なくなれば、沖縄は経済的に成り立たないのではあるまいか。
おそらく地元の人たちは、その事を充分理解している筈だ。
基地反対を叫ぶ声は別の方向から聴こえてくるものだと思う。
誰かが地元の本音を無視した政治闘争にすり替えている、それが沖縄の基地問題の真相ではないだろうか。

基地問題は原発問題と構造が似ているようにも見える。
しかし沖縄の米軍基地が福島の原発のように、他県民に迷惑をかける事態は考えにくい。
だから沖縄の基地問題は、外部の者をして安易に口をはさむことを許さない。
もしもそれが可能であるなら、地元の人たちが住民投票でもして自分たちで決めるしかない複雑で多面的な問題なのである。

駆け足で沖縄を周り、翌日私は我が家へと帰った。
そろそろ大音量で音楽を聴きたくなっていた。
いつでも最高の音をだせるよう、アンプの電源を落とさずに私は出かけていた。
およそ70年前、帰れないかもしれないと知りつつ沖縄へ向かった多くの将兵がいる。
彼らの出征は事実その通りになってしまった。
短い旅が終われば、私の日常はすぐに元通り再開される。
私はその事を知っている。
それは恐らく大変幸せなことなのだろう。
平和とは明日の予定が立てられることなのだ。
だが、平和はけして只ではない。
日産リーフの充電が実は只ではないように、何らかの形で誰かがそのコストを負担しなければならない。
そして完全に管理され、コントロールされた状況下ではじめて、平和は明日も継続される。
平和の継続を担保するものは、外交と軍事力だ。
戦争反対を叫べば戦争がなくなり、平和を求めれば平和がやってくる訳がないことを私は改めて思った。
四日ぶりの故郷に立てば外気は氷点下。
北国の春は尚遠く、まだまだ影も形も見せてはいないのだった。











番外編 ⑥ VANISHING POINT

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<番外編 ⑥ VANISHING POINT>





あたりに人影がなくなっていた。
家々の窓は真昼間だというのにカーテンで閉ざされ、
雑草に覆われた庭に全く生活の気配がない。
福島第一原発警戒区域。
原発の事故現場まであと20キロである。
ここから先へ一般人は行く事を阻まれる。
言わば地図から消された場所だ。

ゴールデンウィークを利用して福島へ行ってきた。
今日本中を揺るがす原発問題の震源を見ておきたかったのだ。
私の地元にも原発がある。
それは我家からおよそ60キロほどの距離だ。
驚いた事に、その直下に活断層があるかもしれないとの話もある。
同様の状況を多くの原発について指摘されるこの国の住民一人ひとりにとって、
福島の悲劇はけして他人ごとではない。
2012年5月、他人ごとではない日本中の原発が全て止まった時、
他人ごとでない様相が二つに分かれた。
それは主に利害関係の差だった。
行政や電力会社と無関係な者のなかに、このまま原発を廃止してもらいたいという希望を口にする声は少なくない。
一方で原発の恩恵を直接享受する人たちは、早期の再稼動を希望するのである。

私の地元の原発は住民の多くが細々と漁業で生計をたてる寒村に作られた。
原発によって彼らの生活が一変したという。
貧しい村に雇用がもたらされた。
原発関連の交付金で役場が建て替えられた。
有線テレビの放送施設が作られた。
どうしてそんなものが必要だったのか解らない、インドアのスケートリンクが作られた。
お年寄りに人気が高いパークゴルフ場も作られた。
これらを村民は無料で利用できるという。

極めつけはこれだ。
補助金によって100円で購入できる弁当がデリバリーされるようになったのだ。
原発のおかげで寒村は貧困から救われたように見えた。
誘致に反対する声もあったが、実際に出来てみれば原発は、村民に幸福をもたらす魔法の装置だったのだ。
ただし、永遠に事故が起きなければ、という条件付きではあるのだが。

だからだろう、この村の村長はテレビのインタビューにこたえて一日も早い再稼動を望み、最後にこう付け加えるのを忘れなかった。
「絶対安全という保障が前提です」
これが田舎者の頑迷でなくて何だというのだ。
いったい誰にそのような保障が可能だろう。
実際に事故は起き、多くの者がそれを目撃した今、安全は保障できないそれ故の交付金であった事が明らかとなった筈だ。
しかし、なぜだか彼にはそれが理解できないらしいのだ。
これを聞いたとき、私は福島へ行こうと思った。
行ってどうなるものでもないのだ。
それは薄々判っていたが、私は行かずにいられなかった。
起きてはいけない、しかし可能性がけしてゼロではない原発事故が実際に起きた地を、この国の住民の一人である自分も訪ねておかなければならなかった。
同じ事がいつ私の地元で起こるかわからないのだ。

私にとって福島はけして身近な場所ではない。
もしも原発事故がなかったなら、私は一生福島を訪れることなどなかったかもしれない。
だから私には何の先入観も思い入れもなく、ありのままを見てそれを受け入れることが出来るだろう。
そして今福島へ行くからには、現地で金を使わなければならないと思っていた。
私に出来る事といえば、せいぜいそれくらいのものだからだ。
宿をとった磐梯熱海のオーベルジュは、
全館がこの日はどうやら満室らしかった。
同じようなことを考える人が世の中にはいるものだ。
だが、予約を入れたホームページから漂うのは苦境である。
この一年、店の経営は大変だった筈だ。
それが漸く、ゴールデンウィーク限定かもしれないが、この満室である。






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LivingRoom


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BathRoom




私が取った部屋は2ベッドルームのメゾネットタイプで、床面積が100㎡以上あった。
最早ちょっとした一軒家なみの広さである。
そうした部屋が七つあり、中庭に面した離れのような佇まいとなっている。
各部屋に源泉かけ流し、檜の相当大きな内風呂がある。
だから大浴場は必要ないが、別に露天風呂とサウナの施設が用意されている。
それらを堪能し、夕食の時間となったので私はレストラン棟へ向かった。
レストランはブースに分かれていてるが、基本的には一室である。
ジャケット着用で席に着き、フレンチのコース料理をシャンパンや赤白ワインと共に頂いた。
どれも5ケタのワインもさすがに素晴らしく、
私はこの宿を選んで良かったと思った。
コースも中盤になり、口直しのシャーベットが出ていた。
異変が起きたのはそんな時だった。
目前を5歳くらいの男の子が走り過ぎたのだ。
私は目を疑ったが、けして蜃気楼という訳でもなかった。
ほどなく、先ほどの子供が今度は逆方向へ走って行った。
今度は嬌声を発しながら。

こうした事態が続いていたが、店の側でその子ないしその親を制した様子はなかった。
店にとってこれは悪夢に違いない。
だが、あるいは想定できたシーンでもあったのだ。
予約はホームページから行うようになっており、予め室内着を用意する為だとして性別年齢をつまびらかにさせているからだ。
幼児を受け入れればどのような事が起きるか、これは誰にでも想像できる。
しかし店としては経営を維持していく為に売り上げが必要である。
つまり、背に腹は代えられなかった結果であった。
店としては何とか何事もなく収まってくれる事を祈っていた筈だ。
事実多くのケースでは店の評判を落とすような事件に発展する事なく、売上だけは上がり、うまくいっていたことだろう。
だが、いつかこんな日もあるのではないかと、内心ビクビクしてもいたのではないだろうか。

原発も同じ事だなと私は思った。
原発事故も又、背に腹を代えられなかった結果である。
背に腹を代えなかった結果、ウサギを追った山も小鮒を釣った川も、一切合切が放射能に汚染された。
人の気配が消え、耕作が放棄された周辺の田畑を目の当りにすれば、原発という物は危険に目を瞑ったり安全以外の何かを優先したりしても良いものかと、多くの人が疑問を持つだろう。
自分の故郷が何どきこのような景色に変わるか判らないのだ。
レストランで子供が走り回る悪夢とは次元が異なる話だがそれでも尚、この国の政府は目を瞑って飛ぼうとしているらしい。
こんな大惨事が滅多な事でそう何度も起こる筈がないと、
彼らはそのように考えているようだ。






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生きているうちに、再びこの先へ行ける日が来るのか?










番外編 ⑦ 

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<番外編 ⑦>





2012年も残り少なくなった頃、こんな一枚に出会った。
告井延隆というギタリストによるビートルズものである。
アコースティックギターだけの演奏(歌一切なし)なのだが、ギター一本で見事に原曲のアレンジを表現している。
告井氏はセンチメンタル・シティ・ロマンスというバンドのギタリストであり、リーダーでもあるという。
失礼ながらそのバンドを私は知らない。
現在63歳というから、団塊世代である。
ということはビートルズ世代だ。
告井さんはビートルズの影響でミュージシャンになったのかもしれない。
「こんな一枚」といったが、実際は第3集まで出ている。
しかしながら、何故か一般流通していないらしく、通販で入手するしかないようだ。

私は遅れてきた世代だ。
高校生になる前、既にビートルズは解散していた。
高校一年の時、級友数人を誘い三番館の小屋で「LET IT BE」を観た。
その時の私は「イエスタデイ」すら知らなかった。
級友達も恐らくは似たようなものだったと思う。
彼らは皆、地方の中学出身だった。
地方の旅館や公務員や造り酒屋の息子達。
そんな田舎者に当時「LET IT BE」の価値を理解するのは容易くなかった。
気が付くと気の毒にも級友らは皆、口を開け熟睡しているではないか。
だが、私はそのメリハリの希薄な映画を、最後のタイトルロールまで必死に凝視していた。
良くはわからないが、何かとてつもないものを覗いた気がした。

今のように情報が溢れかえっているような時代ではなかった。
ビートルズが来日した時、テレビで彼らの演奏が放送されたが、母はそれを見せてはくれなかった。
息子が不良になるのを彼女は恐れたのだった。
私とビートルズの接点はどこにもなかった。

ラーメン一杯100円で食える物価であったが、
一方でレコードは現在のCDと大差ない値段だった。
私の毎月の小遣いは500円であり、もしもLPレコードを入手しようとしたら、それは半年がかりの買い物であった。
そんな私に、やがて思いもよらぬ幸運が転がり込んできたのだ。
同じ高校に一年年長の従兄がいた。
彼は私にステレオを買い与えた開業医の伯父の息子で、ドラムセットやエレキギターを所有していたし、家のガレージには卓球の台すらあった。
そんな従兄が大学受験に失敗した。
彼は肩まであった髪を切って坊主頭となり、受験の邪魔だからと惜し気もなく私にレコードをくれたのだ。
信じられなかった。私の手元にビートルズのLPがすべて揃っていた。



<蛇足的後日談>

その時のレコードを、私は今でも大事に持っている。
ビートルズを捨てた従兄は東京の理科系の大学を卒業したのち、地元の国立医科大学に入り直し三十路にしてめでたく医者となった。

私の受験がどうなったか?
最早多くを語る必要はあるまい。













番外編 ⑨

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<番外編 ⑨>





夜中にランダムで曲をかけていたら、「明日に架ける橋」が流れてきた。
最初に買ったLPレコードは森山良子かこれだった。
どちらが先か忘れたが、残念ながら森山良子は既に手元にない。

中学3年の同級生がシングル盤を買い、素晴らしいと教えてくれた。
私は清水買いでLPを手に入れ少し誇らしく思ったが、「サウンド・オブ・サイレンス」が入っていないのを知り非常に落胆した。
CBSソニーの国内盤にはシールドがかかっていて、試聴ができなかったのだ。
だからと言って大枚はたいて購入したLPレコードを放置するわけがなく、私はまさに擦り切れるほど繰り返しこの盤を聴いた。
高校進学が決まった後の、最後の春休みの頃だった。
私は朝からこの曲をかけ、傍で母が洗濯をしていた。
息子を見る母の眼差しが、柔らかな春の陽を受けて穏やかに微笑んでいた気がする。

四月になり、同級生と私は一緒に、地元では結構有名な進学校に進んだ。
有名進学校であるはずのその高校は、学園紛争で機動隊が入り、その後大変なことになっていた。
授業中に教室の後ろから侵入してきた上級生が、黒板に向かって生卵を投げつけた。
隣のクラスには火のついたバルサンが投げ込まれた。
トイレではいつも誰かがタバコを吸っていた。
校内のどこにも、学び舎という雰囲気など一切なかった。
しかし、時期が来ると彼らの多くは、いつの間に勉強したのか有名大学へ進学していくのだった。
セクトに入り、「君も入ってくれたらやらしてあげる」と言って同級生をオルグしまくった挙句、自殺未遂事件を起こして学校をやめた女生徒もいたが、一方で過激派のリーダーだったある男は、退学処分をモノともせず大検を経て京都大学に入り伝説となった。

例の同級生は、その後どこかの家電メーカーに就職したのち、私も記憶にある中学の別の(当然だが)同級生と結婚したという。
思いのほか旧友との繋がりを大切にする男だった訳だ。
それからの消息は知らない。
リストラになど遭遇していなければ良いのだが。

あの頃、人生は無限の可能性を秘めているかに思われた。
別に根拠があったわけでは無論ない。
ただなんとなくだ。
怖いもの知らず、とは良く言ったもので、それは知らぬが仏とたいして意味は違わない。
人生にかけられた橋がどれほど脆弱なものであろうとも、過去にそれを渡った経験がない以上知る由もなかった。
今から振り返れば冷汗の連続だった難所の数々を、だからその時は気付きもせずに通過してきた。
やっとここまで来た。
残りわずかとなった道程もなんとか無事に渡りきる事ができますようにと、そんな時ばかりは亡き父に手を合わせたりしてみる。

あの頃と違って多少の知恵がついた現在は、先に横たわる橋が必ずしも安全とは限らない事が私にも当然理解できる。
この橋が明日への架け橋とは限らない。
しかし、だからと言って残された選択肢は極めて限られており、最早私にはこの橋を渡るしか道がない。
そして橋を渡り切った時に尚命があるのなら、更にその先の地雷原を息を止めて駆け抜けるよりないのだ。
イチかバチか、全速力で。

嘘だと思うかもしれないが、書き終えた時に「LET IT BE」が・・・・
現実というヤツは時々、さらりとドラマチックだ。











番外編 ⑪ オリンピックがやってきた!

虹




<番外編 ⑪ オリンピックがやってきた!>





あれは高校一年の冬だった。
故郷の町はオリンピックで一気にインフラの整備が進んでいた。
私が住んでいた古い公務員アパートの目と鼻の先には地下鉄の駅が出来た。
戦前から地下鉄が走っていた東京なんかとは違って、地方の都市で地下鉄があるところなどまだほとんどなかった頃の事だ。
オリンピックが来なかったら、故郷に地下鉄が走るのはおそらく20年は先の話となっただろう。
たとえば京都に地下鉄が出来たのはそれから10年後の1981年のことであり、あの世界的な観光都市よりも私の故郷が二択的に優先された理由があるとすれば、それはオリンピック以外には考えられない。
もっとも、京都は地面をちょっと掘ると色々な時代の色々なものがざくざく出てきて、その都度工事がストップして発掘調査が始まるというから、そういった事が疎まれて後回しにされた面ももしかしたらあったのかもしれない。
なにしろ「刷毛で掘った地下鉄」と言われている。

いずれにせよ私は生まれてこの方、それまで地下鉄というものを見たこともなかったのは事実である。
それはいったい何なの?というわけで、寝静まる頃悪ガキを集めて見学に行った。
無論無許可である。
信じられないような話だが、当時地下鉄駅の建築現場は夜施錠も消灯もされていなかった。
我々は易々と地下への階段を進み、駅のホームに出た。
暗いトンネルが左右に続いていた。
資材を運ぶトロッコが軌道に置いてあった。
ここまで来たら乗ってみるしかない。
トロッコはハンドブレーキで停止しているらしかった。
そいつを解除すると、トロッコは静かに動き出した。
隣の駅との間に大きな川があり、その川底を通過するためだろう、隣の駅に向かって急激な坂になっていた。
むき出しの悪ガキを乗せた小さなトロッコが猛烈な加速を始めた。
「あわわ・・・・・」
「ガタガタガタガッ・・・・・!!!」
川底をクリアした地下鉄の軌道が再び上り坂となり、トロッコは徐々にスピードを落とすとやがて停止した。
そこは隣の駅のホームだった。
我々は地上に上がり、無言の行進をして元の場所へ戻った。
今夜のことは人に言わないほうがよさそうだと思った。
だが、誰もが無言だった。
しかし、全員が同じ気持ちだったらしく、その後この話が出たことはない。

オリンピック・・・なんて素敵な響きだろう。
私にとってオリンピックは東京でもなければロンドンでもない。
あの16歳の冬が私のオリンピックだ。
それはスキーのアルペン競技やジャネット・リンやアイス・ホッケーや、そしてジャンプだ。
だからレスリングが除外される事なんてどうでもいいことだ。

オリンピックは外人をたくさん連れてきた。
私は友人と街を流し外人を見つけては
「Can I Help You?」
と声をかけ通訳気取りだったが、たいてい
「No Thank You!」
と問題にされなかった。
それはそうだろう、あなたは外国であやしいガキに声を掛けられたらどうする?
私だったら相手にしない。
それでも私はがっかりなんかしなかった。
おそろしく気分が高揚していたのだ。

日の丸飛行隊が表彰台を独占した日は、ちょうどバンドの練習と重なっていた。
私は女の子とデートしていたが、仲間にはジャンプを見に行くとウソをついた。
それがあとでバレて散々吊し上げをくった。
まさかそんな劇的な結果になるとも思わず、デートで練習さぼるのはマズいからオリンピック観戦にしとけ、くらいの軽い気持ちだったが、それがああいう事になって、お前いいもの観たなあ、語ってみろとなった。
当然しどろもどろであるから、すぐバレるわけである。

今度2020年だかのオリンピックに東京が手を挙げている。
自分が生きているかどうかは別にしても、その事に私は何の関心も持ち合わせない。
私のオリンピックは、遠いあの冬の日に置いてきたのだろう。
それにきっと無理だよ。

ところで、あの時私をときめかせた冬のオリンピックは、1940年に実施される予定があったのだという。
それが日中戦争の影響で中止されたのだとか。
もしも戦争がなくて、オリンピックが史実の30年前に行われていたら、故郷の姿はきっと今とはだいぶ違ったものになっていたのだろう。
そしてそれから80年後、2020年に二度目のオリンピックがやって来たとしても、それらの事が私をあんなに熱くさせる事はおそらくなく、付随して起きるであろう交通渋滞なんかを冷めた口調で批判したりするのかもしれない。
名曲「虹と雪のバラード」を聴き、夜中にそんなことを考えている。
この曲を「人生の一曲」に加えながら。











番外編 ⑫ 明日香村

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<番外編 ⑫ 明日香村>





突然亀石が畑の真ん中に出現する。
ドラクエで魔物に遭遇するくらい突然だ。
周囲に人影はない。
この物体は想像以上に大きい。
しかし重機を持ち込めば移動できない事はないだろう。
現在の所有者が誰なのか知らないが、そうした事態を想定する様子はない。



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酒船石である。
これで酒を造った、薬を製造した、いや生贄台だ、と諸説あるが今も解っていない。
画像の左下が段になっているのが判る。
これは切り取られた跡だ。
工具の爪跡も生々しく残っている。
実は反対側も同様に切り取られている。
誰がいつ、何のためにそうしたのか、それも謎だ。
この物体も管理されている様子がない。
小高い岡の上に打ち捨てられている感じだ。
こんな事で良いのだろうか。



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酒船石がある岡の下にはこんな構造物がある。
地下水を誘導して第一の石桶から第二の亀型の桶に流したと考えられているようだ。
何のために?
説得力のある説明はなされていない。
岡の上はほったらかしだが、こちらは見物料も徴収して人の管理下にある。




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封土を失った古墳だという石舞台。
巨大である。
蘇我馬子を埋葬したのではないかと言われるが、もちろん判っていない。
この巨石をどうやってここへ運んだものか。
下にコロを敷いて運んだとの説もあるが、当時の道路事情を考えるとかなり難しいのではないか。



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石室に入ることもできる。
巨石が落ちてきたら・・・





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学術調査がなされた古墳の数少ない例、高松塚。
被葬者はわかっていない。
木棺の破片と一緒に遺骨の一部や刀剣の部品などが出土した。
残念ながら盗掘された後だった。



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古墳内石室の内側に描かれた壁画。
比較的保存状態が良い。



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すぐ近くに文武天皇陵がある。
「立入禁止 宮内庁」の立て看あり。
こちらが調査された事はない。
そして恐らく今後もない。








<付録>


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奈良は不思議な場所だ。
今では失われた古代の記憶の影を食い、
奈良公園で鹿が大繁殖している。
彼らは神々の化身か。

想像以上に奈良は田舎であった。




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この建物は寺社ではない。
今回の宿泊先、奈良ホテル。
100年以上前にホテルとして建造された。
奈良の歴史としては、ごく最近の出来事だろう。



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ホテルのすぐ下にある猿沢池。
何という事もない小さな、そして淀んだ水溜りだが、このように多数の亀が生息しており、日がな一日甲羅干ししている。
この状態でたとえ万年生きるのだとしても、あまり羨ましくはない。
この池の存在は奈良時代には既に認識されていた。
明日香村の亀石等との繋がりを感じるのは、私だけではあるまい。










番外編 ⑬ GUAM

グアム1
遠く見えるのが宿泊したホテル
その先はTwo Lovers Point 恋人岬




<番外編 ⑬ GUAM>





なんとこの歳になってグアムへ新婚旅行である。
グアムを選んだのは何より近いし、
加えて現在私の地元から直行便が飛んでいるのがその理由だ。
もしかしたら人生最後の海外旅行になるかもしれないからと、人生初めてのCクラスを奮発した。
同じ便にFクラスの設定はなく、これは一生に一度もFクラスを利用しない可能性があるということだが、それならそれでいい。
F設定のある路線は長距離であり、シンドくていやなのとその料金があまりにも法外であるからだ。
日本の某航空会社のロンドン往復正規料金であるが、250万だという。いくらなんでもそれはないのではないか。
まあひとつ下のクラスではあるがCクラス、十分に満足させてくれる内容だった。
空港に飲食付専用ラウンジがあり、搭乗前からすでに待遇が違う。
機内では離陸前のウエルカムシャンパン、食事はテーブルクロスが敷かれワイン付、シートも広く快適とYクラスとの差は小さくない。



グアム5
おデブのおばちゃんCAに頼んだ白ワイン、
遂に出てこなかった・・・


グアムは20年ぶりの四度目である。
いやもう全然違う街になっていた。
先頃無差別殺人事件のあった繁華街など20年前には存在しなかった筈だ。
20年という歳月の重さを改めて認識させられた。
もちろん変わったのは街だけではないのだ。
今そこに立つ私自身がまるっきり変わってしまっている。
レンタカーで慣れない右側通行をする勇気というか無謀さはもうない。
20年で少しだけ大人にもなったのである。



グアム7
ここであの凄惨な事件が…



妻は泳げない。
従ってマリンスポーツの類はご法度である。
これが思わぬ事態を招いた。
せっかくだからどこかへ行こうという事で、地元の朝市を見物した。
バイオハザード5にアフリカの村が出てくるでしょう。
あんな感じだ。
今にもナタを手に襲いかかってくるのではとの妄想がよぎる。



グアム3
どいつもこいつも山賊に見える



彼女が日本からネットで申し込んだ「トレッキングツアー」、これが今回特筆すべきメインイベントとなった。
当日参加者はなんと我々二人だけ。現地人青年のガイドがほとんど日本語を解さない。そして私の英語ははっきり言ってひどい。不安が募る。
キンキンに冷房を効かせたバンに乗って、我々はどんどん人里離れた山間部に入っていった。
「スターティンポイント」とガイドが言い、バンを路肩に寄せたのはホテルを出発してから一時間後だった。
前日このツアーを主宰する事務所で選んだ「スポーツサンダル」を履き、リュックに昼飯や飲み物を詰めていよいよ出発である。

道なき丘陵地帯を下り、我々はジャングルに分け入った。
鬱蒼と茂るジャングルは薄暗く足場が悪い。
ガイドは慣れた足取りですたすたと歩き、時折振り返って我々を待つ。
こんなところを行くのか?
だが、それはまだほんの序の口だったのだ。
やがて下りが終わり、行く手に小川が現れた。
道はない。まさかな・・・
だがガイドはためらう素振りも見せず水に入っていった。
この水路を行くようである。ついて行くより仕方がない。
足が濡れるので靴は向かない。だから「スポーツサンダル」を買うかレンタルする必要がある、というのが主催者側の説明であった。こういうことか・・・
足元はもう最悪である。
水深が深いところでは腰まである。
足を取られて転びそうになる。
もしも転べばリュックが水につかり、昼飯のおにぎりがダメになるだろう。
妻と二人、必死にガイドのあとを追う。
だが、この試練もまだまだ序の口だった。
ジャングルはいよいよ奥深くなり、完全に日差しを遮ったかと思うと、どこから湧いたか蚊の大群が襲ってきた。
手足に顔にびっしりたかる黒い点。それを手ではらいながら尚も進む。
横井庄一さんはじめ、日本の兵隊さんの苦労が偲ばれる。

やがて前方がひらけた。
どうやら滝の上に出たようだ。
「ジャンプファースト?イートファースト?」
ガイドが聞いてくる。
ジャンプ?なんだそれ?
「い、イートファースト」
「オーケー」
その辺に適当に座って食えと言う。
ガイドがヤシの葉を集め火を点けた。
猛烈な煙。蚊の対策らしい。
我々はヤシの煙に燻られながら、ツアー会社が用意したコンビニのおにぎりを食った。

やがて食事が終わり、ガイドは厳かに宣言した。
「ジャンプタイム!」
おもむろにTシャツを脱ぎ、彼は飛んだ。滝壺に。
「カモーン!」
えらいこっちゃ。冗談ではないぞ。
「カモーン!」
何がカモーンか、バカめ。
恐る恐る下を覗く。3mはありそうだ。
「カモーン!」
くそったれが、いいかげんにしろよ。
「カモーン!」
いくか?いくしかないのか?
えーい、オレも日本男児の端くれ、うしろは見せられまいぞ。
そして遂に私は飛んだのである。

良く生きて帰って来られたものだ。



グアム2
水ははっきり言ってけしてきれいではない


外国へ行って食い物が美味いと思ったことはあまりないのであるが、今回もなかなか思うようにいかなかったのである。
現地料理のチャモロ亭へ行ったが、いまひとつだった。
写真はチャモロ風焼きソバ。ビーフンのような春雨のような珍妙な食物であった。
ただし、量だけはばかに多い。



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地元の人は口にしないようだ


結局一番ましだったのは、宿泊先日系ホテルのサンセットBBQであった。
帰国後、数十ケ所に及ぶ虫刺されの見苦しさと痒さに悩まされているところだ。



グアム6
午後7時フィリピン海に夕日が沈む










番外編 ⑭ 2013夏

浅草
雷門とスカイツリーは至近距離




<番外編 ⑭ 2013夏>





夏である。
当然のように連日暑い日が続く中、さらに暑い所へ行ってきた。

まずは東京へ。
命の危険を感じるほどの暑さだ。
だが、めげる事なく浅草へ出かける。
下町を熱風が吹き抜けている。



スカイツリー


スカイツリーを間近で見上げる。
高い。のけぞる高さだ。
そろそろほとぼりもさめた頃かと思ったが、同類の田舎者が今も続々押し寄せて、展望台のチケットなどとても買えたものではないのだ。



アリビラ
急遽ニライビーチの系列ホテルに一泊


翌朝6時の便で沖縄へ向かう。
今回は本島北部のリゾートを予約した。
広い敷地にコテージが点在し、三日間ゆったりと滞在出来る筈であった。
那覇空港に着いてみると、私の名前をかかげた人が出迎えていた。
予約した宿泊先の方であった。
送迎付きとは聞いておらず、私はレンタカーを利用するつもりでいた。
はて?
話を聞けば、予定の部屋が害虫の発生で使用できなくなり、代替の部屋もないことから本日は系列の別ホテルに宿泊してほしいとの事であった。
まあいいか。ゴネても仕方あるまい。



普天間


途中で普天間に立ち寄った。
オスプレイを見るためだ。
離発着シーンに遭遇できたら、との期待虚しくオスプレイ、影も形もありはしない。
それどころか普天間は、この日も静まりかえっているのだった。



観覧車


翌日、炎天下乗った観覧車。
めまいがしてくる。



オクマ


レンタカーで北へ北へ。
沖縄本島は意外に広い。
2時間のドライブでやって来ました、オクマビーチリゾート。
クマゼミの大合唱が我々を迎えてくれた。



マリンウォーカー


マリンウォーカー。カナヅチの妻でも大丈夫。
母船とホースで繋がってます。
だが万一洋上で、空気を送ってくれるコンプレッサーに何か不具合が起きたら・・・



日没
この日は素晴らしい日没を見ることができた


コテージ
床が砂だらけに


オリオン
オリオンビールで乾杯!










(112) みちのくジャズ喫茶行脚 ①

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NO.112 2013.8.16



<みちのくジャズ喫茶行脚 ①>





ジャズ喫茶。
それは初めてジャズを聴いた場所である。
多くの町に多くのジャズ喫茶があり、
私の町にもまた数軒の店があった。
多分そこは「B♭」か「MONK」だったように思う。
高校生だった私は、それが不良への第一歩になるような気がしたものだ。
恐るおそる扉を開けたあの日の事を覚えている。
薄暗い空間にコーヒーの香りと煙草の煙が充満し、
圧倒的な音量のテナーサックス(かなんか)が響きわたっていた。
客で混みあう店内の空いた椅子をなんとか見つけて座ると、
店員と思しき兄さんがやってきて水の入ったコップをテーブルに置き、にこりともせず目で合図を送ってくるのだった。
「注文は?」という事らしかった。
私はメニューも見ることなく、コーヒーを注文した。
ネスカフェ以外で初めて口にするコーヒーというやつは、苦いばかりで一つも美味しくなんかなかった。
私は吸えもしないしない煙草にむせながら、耳をつんざくトランペット(かなんか)に全身の神経を集中させたが、ジャズという音楽は当然さっぱりわからなかった。
それなのにわかったような顔をして肩をゆする私は、相当滑稽な存在だったことだろう。

あれから40年が過ぎた。
40年聴き続ければどんなバカでも少しは曲やミュージシャンを覚え、愛聴盤の一枚や二枚出来るものだ。
だから私もそうなった。
ジャズはいつでも身近な存在だった。
しかし気が付けばその間、あんなにたくさんあったジャズ喫茶がどんどん姿を消していたのだ。

いつまでも続けて欲しい。
だが今や歴史の向こうに消えてしまいそうなジャズ喫茶。
行けるうちに行っておかねばきっと後悔する。
就中日本一音が良いと言われる「ベイシー」を訪ねずして、ジャズファンとしての生涯を終える訳にはいかないのではないか。
なんのかんの言っていた事も事実だが、私は遂にベイシー詣での決意をしたのである。
「ベイシー」は岩手県の一関にある。
せっかく遠出するのだから、可能な限り多く他の店にも寄りたい。
そして「せっかく」行ってもやっているとは限らないが、その場合は潔く受け止めて一切愚痴は言うまい。
何しろ自分がお盆休みなのだ。
向こうの事情が同じでも何の不思議もないのである。
そうだ車で行こう。今回はその方が何かと便利だろうから。

さてさてそのようにして、真夏のジャズ喫茶行脚が始まった。
夫婦二人旅である。妻もジャズを聴く。
彼女はエリック・ドルフィーを贔屓にするなど、どちらかと言えば私よりもとんがっている。
運転も出来るので好都合。
交代で運転していくことにする。

早朝6時に出発した我々が最初に着いた町は函館だった。




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「想苑」は函館山の麓にあった。
知らずに前を通っても、誰もジャズ喫茶だとは思わないだろう。
古い一軒家に置かれた古いJBLのスピーカーから、ケイコリーの相変わらずな歌声が流れていた。
老夫婦二人で店をやられているようだが、彼らは二代目だという。
いったいいつからこの店はあるのか・・・
そして訪れた客は今まで何人いるのだろう。
駐車場でちょっと話をした青年の車が富山ナンバーだった。
富山からこのスピーカーを聴きに来たのだそうだ。
この日私が見た自分達以外の客は彼一人である。

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函館港からフェリーに乗る。
3時間半の船旅。これが結構辛い。
時季が時季だけに船内とても混んでいて、身の置き所がない。
なんとか椅子を二つキープするも、次第に尻や腰が痛くなってくる。
時計は遅々として進まず、一生着かないような気さえしてくる。
だから青森に着いた時は本当に、相当嬉しかった。
宿泊先のチェックインを済ませ、早速街に出る。




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出ました青森ブルーノート。
でもこの店はジャズ喫茶には認定出来ない。
なにしろスピーカーがショボ過ぎる。
ミニコンポ程度の小さいスピーカーを棚に押し込んでいるのだ。
老夫婦が切り盛りする店内、町内会の老人クラブの様相で、小音量のジャズを圧する津軽弁が飛び交う。
完全には理解しきれないが、何かリクエストしろと言うのを何とか解し、デクスター・ゴードン「ゲッティンアラウンド」をリストから選択する。
失礼を承知で言うが、今までで寂しさ一番のデクスターだった。



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上野発の夜行列車を降りた時から雪の中だったという、これがうわさのJR青森駅。

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(113) みちのくジャズ喫茶行脚 ②

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NO.113 2013.8.16



<みちのくジャズ喫茶行脚 ②>





翌朝の「あまちゃん」を妻が見終わるや、東北自動車道を南下する。
地元ナンバーは外車率が低い。
そして軽自動車率が高い。
理由は様々あろうが、東北は一歩裏道に入り込むと恐ろしく道が狭いのである。
車一台通過出来るか、という道の向こうから対向車が普通にやってくる。
でかい車に乗っていられるものではない。

この日は朝から30度近かった。
走ること約2時間で、岩手県の県庁所在地盛岡に到着する。
盛岡は歴史ある城下町であり、今回一番の都会でもあった。





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この日最初の店「ノンク・トンク」は郊外型ジャズ喫茶だ。
この基本コンセプトに無理がないか気になるところだ。
お客は入っているだろうか・・・


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それを確認することは叶わなかった。
メゲることなく次の店を目指す。
「ダンテ」は盛岡の中心部にあった。
私が車で待つ間に妻が様子を見に行った。
12時開店の情報をゲット。
近くの駐車場に車を入れ、街を探検する。
何か食べよう、ということになった。
それなら「盛岡冷麺」でしょう、と意見一致で店を探す。
だが盛岡冷麺、香川における「さぬきうどん」や札幌における「札幌ラーメン」とは様子が違う。
店が見当たらないのだ。
チラシ配布中の地元民をつかまえて店を教えてもらう。
私の地元の「盛岡冷麺」と同様、本場でも冷麺は焼き肉とセットなのである。
単独の「冷麺屋」は存在しないのだ。

さあ、おなかもいっぱいになったし、「ダンテ」のジャズを聴こう。




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ここの特徴はとにかく店内のとっちらかりようだ。
音は悪くない。
中域の充実した、オーディオ的ではないがジャズらしい音がする。
ジャズらしい音で「ダイナ・ワシントン DAINAH JAMS」など聴かせて頂いた。
それはいいのだが、店内を少し整頓されてはいかがだろう。
スピーカーの周りがワインのダンボールだとか、スズランテープで縛ったレコードプレーヤーだとか本だとかで、もうごちゃごちゃである。


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この店もご夫婦二人でやっておられた。
恐らくは他人の人件費まで稼ぐだけの来客はないものと推量する。


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いよいよ「ベイシー」に向かって東北自動車道を更に南下する。
盛岡から一関まで約一時間の道のりである。
はたしてベイシー、開いているか?
一関ICを降り、何はともあれ現地を確認する。


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あった。
ベイシーは地味な住宅街の中にこつ然と姿を現した。
初めて行った人は大概驚くだろう。
そもそも一関は「市」だが田舎だ。
そしてベイシーはひときわ普通の場所にある。
拍子抜けするくらい普通の場所だ。



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店は開いているのだろうか。
そっと様子をうかがう。
何の音楽も一切漏れては来ない。
もう一歩肉迫する。
ドアのガラス越しに明かりが見えた。
私は車で待つ妻に駆け寄り報告した。
その時彼女の目がこう言って私を責めたのだ。
「何でドアを開けて確認しないの?」
だが私に出来るのはそこまでだった。
それ以上はとても出来ない。


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ホテルにチェックインして徒歩で出直すことになった。
車を置いて来ればビールだって飲めるじゃないか。
ホテルとベイシーは案外近い。
20分はかからないのではなかろうか。
気温は30度以上あるけれど・・・

ベイシーの屋根を写そうとしたのが上の写真だ。
歪んでいるのがわかるだろうか。
地震の影響によるものか、それとも経年劣化だろうか。

ホテルのシャワーで汗を流し、徒歩で再びベイシーへ。
思った以上に遠いような近いような微妙な距離だった。
だが、歩かなければ分からない事もある。
一関の民家は窓ガラスが単板で二重サッシにもなっていない。
冬の寒さはたいしたものではなさそうだ。
途中に市の庁舎があった。
一関は本当に何の変哲もない田舎町だ。
もしもベイシーがなかったら、私は一生ここに来る事はなかっただろう。
殺風景な磐井川に掛かる「いわい橋」を渡れば、ベイシーはすぐそこだ。
本当に開いているのか?お盆だぞ。
中で何か作業してただけじゃないのか?
急に不安になってくる。
角を曲がるとベイシーが見えた。
中から黒っぽい服装の人が出てきた。
(じぇじぇじぇっ!)
それが菅原さんだと、私はすぐにわかった。
菅原さんはくわえ煙草で外の照明を点け、また店の中へ入っていった。
ドアの近くへ行くと、今度は店内からジャズ以外の何物でもない音楽が聞えてきた。
どうやらベイシーはこの日、本当に営業しているらしかった。




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(114) みちのくジャズ喫茶行脚 ③

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NO.114 2013.8.17



<みちのくジャズ喫茶行脚 ③>





照明を絞ったベイシーの店内は薄暗く、入店直後の慣れない目ではスピーカーを探すことすら困難だった。
店のお姉さんがカウンターの中から手で誘導する席に、我々は腰を落ち着けた。
その間菅原さんはこちらに全く関心を示さない。
目を凝らせば前方数メートルの位置に、写真で何度も見たあのスピーカーが鎮座していた。
菅原さんが自作したというウーファーボックスは、思った通り相当でかい。
片チャンネルに2発収まるJBLの15インチ、2220Bが小さく見える。
我が家の箱も15インチのダブルだが、印象としては当方の二倍くらいある。

先客が三人いた。我々を含め五人。
これが2時間余りの滞在中に在席した全てだ。
デューク・エリントン、J.J.ジョンソン、そしてカウント・ベイシーらのレコードが次々にかけられた。
ベイシーでかかる曲は全てアナログレコードである。
それをリンのLP-12、SME3009、シュアーV15-Ⅲのラインナップで演奏している筈だ。
真似をした訳ではないが、我が家のプレーヤーは、カートリッジが異なるだけであとは同じ構成である。
どんな音がするのか、どこが違うのか、興味は尽きない。

これが日本一と言われるジャズ喫茶の音か。
何が違うと言って、まずとにかく音量が違う。
音はデカいが、ノイズが少ないのに驚く。
レコード特有のスクラッチノイズが極めて少ない。
私は自分と同類の匂いを感じた。
やはり菅原さんはオーディオマニアなのだ。
だからレコードの扱いが徹底して丁重なのだろう。
私にはわかる。私もレコードに傷をつけた憶えなどないからだ。
中古で入手した盤だってあるのかもしれない。
その時既に存在した傷やノイズ源があっても、
そこから先自分の手でコンディションを落とす事などあり得ないのだ。
それを「営業」という「より過酷な」環境の中で継続して来られた。
凄まじいオーディオマニア魂を、私はベイシーの音から聞き取った。
だが、私は次第に辛くなってきたのである。
音はいい。多分いい・・・と思う。
しかしながら如何せん、デカ過ぎるのだ。
これ以上聴いていられない程。
誰かがこの事を、加齢のため少し耳が鈍った菅原さんに伝えなければなるまい。
それはお姉さん、あんたの仕事だ。
マスターに媚びて、カウント・ベイシーの演奏に拍手などしている場合ではないのだ。
だが、彼女にそんな心算は一切なさそうだった。

切れの良いところで仕方なく我々は席を立ち、支払いを済ませた。
次のレコードは聴き慣れた「フレディ・ハバード オープン・セサミ」だった。
失敗したのである。
これを聴いてから帰るべきだった・・・





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翌朝、一関から北へ戻る。
奥州水上の郊外型ジャズ喫茶「ハーフ・ノート」へ向かった。
それにしてもカーナビというやつは偉大な発明である。
カーナビなくして今回の旅はまずあり得なかった。


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ハーフ・ノートは郊外と言うより、完全に山の中にあった。
よくこれを決意出来たものである。


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店の隣に連なるのは多分ご自宅であろう。
我々の存在に気付いたご主人が出て来られた。
間もなく店を開けるので少し待ってほしいとの事である。
とりあえず良かった。


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隣は田んぼ。
いたる所に「トトロの森」がある。


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店が開いた。
ログハウス風の吹き抜けの建物である。
間違いなく相当の金がかかっているのが一目でわかる。
スピーカーはJBLパラゴンだ。
まだ新しい。最近復刻されたものだろうか。
かけられる曲は全てがピアノトリオだった。
それがマスターの好みであり、店のポリシーだったとしても私は異議を唱えるつもりなどない。
だが、しばらくすると携帯ラジオらしきモノから高校野球の中継が聞こえだしたのはどうした事だろう。
我々は早々に席を立つしかなかった。











(115) みちのくジャズ喫茶行脚 ④

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NO.115 2013.8.17



<みちのくジャズ喫茶行脚 ④>





少々残念な「ハーフ・ノート」で委託販売していたのがこれ。
盛岡の「ダンテ」で聴いた「ダイナ・ワシントン Dainah Jams」。
スタジオライブ盤で、あのクリフォード・ブラウンも参加している。
これも何かのご縁と、すかさず土産がわりに購入した。
そういえば他に土産物の類は何一つ買わなかったのである。

北上を続けた我々は、青森から再びフェリーで北海道側に戻ってきた。
前回の辛さを教訓に椅子を避け、二等船室で横になれるスペースを確保した。
レンタルの毛布をかぶり横になって読書やうたた寝などしていたら、復路は非常に楽だった。
旅には慣れが必要である。



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帰路用にリストアップしておいたのがこちら。
函館の「J.B. HOUSE」。


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青森ブルーノートほどではないが、ここもスピーカーが小さい。
おそらく音源は有線放送だ。
これではジャズ喫茶とは言えず、旅の締め括りに相応しくない。
そこで急遽、過去に何度か行った事のある「マイルスの枯葉」を追加訪問することにしたのだが・・・


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ここは機材にたっぷりお金がかかっていた。
スピーカーは寺島靖国師匠もかつて使っておられた、レイオーディオの木下モニターRM-6Vであった。
全て過去形。昨年12月に廃業したとの事である。

ジャズ喫茶行脚の最後はなんとも物悲しい結末とあいなった。
今回訪問した店はどこも客の入りが悪く、商売繁盛しているようにはとても見えない。
しかも経営者は押しなべて高齢化している。
次に行く機会がもしあったとしても、残っている店がいくつあるのか。

最早、金持ちが道楽でやるないし公営化でもする以外、ジャズ喫茶に生き残る道は残されていないのかもしれない。
ジャズ喫茶は日本が世界に誇る文化だ。
鰻同様、手遅れになる前に真剣に保存を検討すべきだ。
今やジャズ喫茶が絶滅危惧種に指定されても、何ら不思議はない状態なのだから。











番外編 ⑮

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<番外編 ⑮>





サイモン&ガーファンクル1967年のライブ音源が輸入盤で存在した。
国内盤では出ていない。
彼らの最大のヒット作品は後にも先にも「明日にかける橋」であり、それ以前には「サウンド・オブ・サイレンス」等の小山があるものの、全体としてはありがちなフォークデュオに過ぎなかった。そう言えなくもない。
近年になって1969年のライブが国内盤で出されたのは、その音源に当時ほとんど知る人もなかった「明日にかける橋」が含まれるからだ。
これがあるとないとでは、全体の重量感が全然違ってしまうのは事実である。
本作には当然含まれない。
そのかわり、というのも何だが、多くの初期作品を聴く事ができる。
私はそれらをほとんど知らず、何か彼らの新譜を聴くようで、大変徳をした気分である。

本作がAmazonから送られてきた今日、たまたま息子と娘が帰省していた。
それは息子の25回目の誕生日を皆で祝う為だった。
彼は目下小学校の教員になるべく日々を送っていて、うまくいけば今月中にもそれがかなうかもしれない状況にある。
つまり、うまくいかない時もある、という事でもあるのだが、たとえうまくいかなくてもいいではないか。
そんな風に思えてもきた。

私が25歳の誕生日を迎えたのは場末の酒場だった。
全ての事が混沌としていた。
私はなす術もないままに日々を暮らしていた。
「トゥエニーファイブ!」
安酒をあおってはそう叫んでいた。
そして先の事はちっとも考えていなかった。
「トゥエニーファイブ!」
あれから倍以上の時が過ぎた今、私はこうしてなんとか生きている。

彼らのこれからの人生に責任を持つ事はもうできない。
けれども、幸せに暮らして欲しいとそれだけを精いっぱい祈ってやまない。

誕生日おめでとう!










番外編 ⑯ バイオハザード・リベレーションズ

バイオ




<番外編 ⑯ バイオハザード・リベレーションズ>





このゲームをかれこれ半年もやっているのだ。
本編(キャンペーンモード)はとっくに終了したのだが、番外編のレイドモードに手こずっている。
これが聞きしに勝る難しさで、バイオハザード史上間違いなく最難関だろう。
作り手がそのように仕組んでいるのだ。
ワラワラ湧いてくる化け物がどいつもこいつもとにかく硬い。
本来ならマグナム一発で倒せる筈のザコですらそうだ。
本作におけるマグナムは史上最弱だ。

これから最後のステージである「ゴーストシップ」に挑むのだが、現状の装備ではまず無理だ。
最終決戦の前に、武器を強化するカスタムパーツをゲットしなければならない。
欲しいカスタムパーツがいくつかある。
「グレネードランチャー」
だが、これを手に入れるためにはノーダメージであるステージをクリアしなければならず、私はきっぱり諦めた。
「オートローダー」
これは武器へのリロード(装弾)が不要になるという素晴らしい品である。
「グラトニー」
ゴーストシップでは弾薬が不足する(本作には無限弾の設定がない)。
特にライフルやガバメント・パーカーモデルの弾が欲しいのだ。
グラトニーを装備すると、他の銃器の弾をライフル、ガバメント・パーカーモデルに流用可能になる。
700発所持するマシンガンの弾ですら流用出来るという。
これはもう無限弾と大して意味は違わない。

この二つをなんとか手に入れたい。
そいつは「サイドデッキ」という場所にある「違法カスタムパーツ」にランダムに出現するとされている。
だが、それがなかなか出るものではない。
暗闇の死闘、水没した通路、細い通路での絶望的な戦闘・・・様々な難所を越えた先にあるサイドデッキにたどり着いた時、私の手は疲労と恐怖で震えている。
今度こそ出てくれと祈るように開いて見ても、出てくるのはいつもしょーもない物ばかりだ。
この頃では色々と夢に見るようにすらなった。
夢の中の私は死に物狂いで銃を乱射している。
アメリカなどでしばしば起きる事件は、こうした事と関係ないだろうか。
寝汗をかいて夜中に目覚め、ほっとするがもう寝られない。
仕方がないから、起き上がって「サイドデッキ」へ・・・
どうも少し疲れている。











番外編 ⑰

大滝



<番外編 ⑰>





すでに相当前からリタイア生活に近い印象だった。
だからまさしくそれは「長い休暇」を過ごしたのちの事だった。
自宅でリンゴを食している時に、突然彼は最期を迎えたという。
名曲「さらばシベリア鉄道」のセルフカバーを含む本作は昔、私の妻がカセットテープに録音して聴かせてくれたものだ。
それまで彼の存在を知らずにいたので、私は非常に驚いた。
才能のある人がいるものだと感心した。
「冬のリビエラ」「熱き心に」「すこしだけやさしく」「風立ちぬ」「夢で逢えたら」「Tシャツに口紅」これらもすべて彼の仕事である。

大瀧詠一、享年65歳。
しかし、なんとはかないものである事か。











番外編 ⑱

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<番外編 ⑱>





マレーシア航空のボーイング777が消息を絶っておよそ二週間になる。
連日ニュース番組等で色々言っているが、まるで要領を得ない。
堂々と空を飛んでいたあんなでかい物が、何の痕跡も残さず姿を消すだなんて、そんなばかな事があるのか。
そんな事が可能なら、戦闘機のステルス性など簡単な話になってしまうではないか。
何か裏がありそうだ。
世界中を驚かす急展開が絶対にある。

飛行機という乗り物は時々落ちる。
これは事実だ。
だから列車事故で落命するより確率が低いとか言われても、ハイそうですかと私は言う気にならない。
できれば一生乗りたくないのが飛行機だ。
それは自動車事故で死ぬ事だってある。
事実クリフォード・ブラウンやスコット・ラファロらはそれで命を落としているのだ。
しかし、自動車ならガス欠しようがエンジンが故障しようが、少なくとも落ちる心配はない。
だが飛行機はそういう訳にはいかず、ひとたび落ちればまず助からないと思った方がいい。
クリフォード・ブラウンらの頃は、ツアーは自動車だった。
ある町での公演が終わると、楽器を自動車に詰め込んで、広いアメリカ大陸を次の町を目指して走ったそうだ。
それは過酷なツアーであったという。
その後、ミュージシャンの移動は飛行機が普通になった。
ジム・クロウチが飛行機事故で死んだのは1973年の事だ。
「リロイブラウンは悪いやつ」「アイ・ガッタ・ネーム」「タイム・イン・ア・ボトル」等々、たくさんの名曲を書いた。
ジャケットでご覧の通り、鬼瓦と言うかマグマ大使のゴアと言うか、風貌はちょっとコワモテだが、その歌声は実に素晴らしい。
もしもまだ聴いた事がないなどと言う人がいるなら、それはいささかもったいないと断言する。

ほかにもいる。
ジョン・デンバーも飛行機事故で死んだ。
レイナード・スキナードに至ってはバンドが消滅した。
ほんと、乗りたくない。
事故だけでなく、テロやハイジャックまであるのだ。
これはもう杞憂では済まされないのではないか。
でも、今後もきっと乗るんだろうなあ。











番外編 ⑳ 宝物(ほうもつ)

鏡



<番外編 ⑳ 宝物(ほうもつ)>



知人が肝機能障害で緊急入院となった。
酒など一滴も飲まない男だ。
驚いて急ぎ見舞いに行ったのだが、手ぶらというわけにもいかず、途中で本屋に寄った。
「ビートルズの幽霊」と「テニスマガジン6月号」を買った。
そして自分用についでに買ったのが「聴く鏡Ⅱ」。
ジャズ喫茶「ベイシー」の菅原正二さんが、「Stereo Sound」に25年間連載中の文章を単行本化したものだ。
「聴く鏡Ⅱ」というからには普通「Ⅰ」もある。
こちらは2006年に出ている。
そして、「Ⅰ」の前の「初号機」に当たる「ジャズ喫茶ベイシーの選択」がある。
この巻と「ぼくとジムランの酒とバラの日々」とは同一内容であるから、一応注意を要する。
両方買うのは勝手だが。
ちなみにジムランとはジェームス(J)・バロー(B)・ランシング(L)の略で、おわかりだと思うがJBLの創業者の事だ。
昔の人はJBLをジムランと言った。
今はもう言わない。
ところでレシートを見たところ、この300ページに過ぎない単行本は2700円とかなり高めだ。
400ページを越える「ビートルズの幽霊」が1600円だから、本は目方で売買するものではないが、この本のポジションが見える。
そんなに売れるわけはない、と出版元が考えているのだろう。
それともむしろ逆でステレオサウンド社、菅原さんで一息つきたいか。
何れにせよ、仮にもジャズファンだオーディオマニアだというのであれば、これらは読んでおきたい。

「趣味は面倒なものに限る」
菅原さんはそのように仰る。
なぜなら
「面倒は愉しみを持続させ、楽はアクビをさそうだけだから」
だそうだ。
良い音が出ない時、菅原さんの言葉に実は幾度も励まされた。
販売店に任せきりの「良い音」に価値などないんだと。
そんなものは趣味とは言わないんだと。
(本心を言えば任せきりでいいから良い音が出て欲しかったが・・・)

見る鏡には自分の姿が映る。
他人の目で自分を見たことがないので断言しかねるが、きっとそっくりなモノが鏡には映っている筈だ。
それを虚像と言う。
大陸から鏡が入ってきた当時の倭人は相当驚いたことだろう。
そして鏡は宝物として大切にされた。
聴く鏡にはそっくりな音楽の虚像が映る。
虚像はそっくりであればあるほど良い。
よりそっくりであるようにと、オーディオマニアは血道を上げる。
いつわりの姿と知りながら。
虚像だがただの虚像ではないのである。
からっぽで中身は何もないむなしいものだ、などとは金輪際思っていない。
音楽を映し出す「聴く鏡」は私の大切な宝物だ。












番外編 ㉑ ギタージャンボリー

クリス 2



<番外編 ㉑ ギタージャンボリー>



クリス・スペディングの「Guitar Jamboree」をご存じでしょうか。
私は30年以上前にラジオで聴き、後年中古レコード屋でこれを購入した。
5000円くらいだったと記憶している。
高いのか安いのか微妙なところである。
手元にある盤は状態極めて良いが、新譜当時なら半分以下の金額だった。
そうは言えども、当時の私には本作を購入する力など確実になかったのだ。
だからミントコンディションを後年入手する金額としては、一応妥当なところと言っておく。

一度は聴いていただきたい類のものだ。
チャック・ベリー、ジミー・ヘンドリックス、ジャック・ブルース(b)、ピート・タウンゼント、キース・リチャーズ、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ポール・コゾフ、デイヴ・ギルモア等々の、まあ言ってしまえば物まね大会である。
ギター版コロッケといったところか。
つまり物まねとしては相当レベルが高いのである。
ある世代の人なら思わずニヤニヤしてしまう筈だ。
Youtubeで検索すれば当時の動画も出てくるので、そちらもご覧ください。

アルバムを通して他の曲もあわせて聴けば、クリス・スペディングが才能あふれるミュージシャンである事は容易にわかる。
これを器用貧乏と言うのはたやすい。
しかしそれは、最も安易な評価に過ぎない。
不器用長者な私にはそれがよくわかる。
売れっ子になって持て囃されるか、器用貧乏だと軽んじられるか、きっとその差は紙一重だ。
最もワリをくったのがクリス・スペディングだとすれば、たとえばその対極にあるのがポール・マッカートニーである。
間もなくまたまた来日し、追加公演であの武道館に立つ。
途方もない金額のコンサートだ。
ふざけるな、日本を舐めてるのか、という領域に入っている。
しかしだ、これが最後のチャンスかもしれないのである。
私は抽選に応募してみることにした。
発表から当日まで10日しかない。
コンサートは平日3時開演である。
しかもあの金額。
普通の社会人には到底無理だろう。
これは巷間言われる団塊世代の実力が、はたして本物かどうかを試すまたとない機会だ。













番外編 ㉒ まいりました

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<番外編 ㉒ まいりました>



2014年5月21日、およそ半世紀ぶりにポール・マッカートニーが武道館に帰ってくる。
そのほとんど法外と言っても過言ではなかろうという料金のコンサートチケットが見事に外れた。
自分の応募分はデカデカと赤字で「落選」。
正直に言う。
それを見た時、残念ではあるがほんの少し安堵のニュアンスが心の奥の方に浮かんだのは事実だ。
特段常識人だと思ったことはない。
むしろあんたは逆だ、と言われたら反論のしようもないのであるが、そんな私から見ても、大箱コンサートのチケットが10万円というのはマトモではない。
ディナーショーならあるかもしれない。
でも武道館だぞ。
行ったことはないが、アリーナ席と言っても後ろの方だったらステージなんか見えるものではないだろう。
終始スクリーンに映るポールを見ることになる。
ありえないくらいコスパが低いコンサートだ。

それでも私は行こうと思った。
半世紀前の武道館は、北国の小学生だった私には手も足も出ない天空の城だった。
私にはまったくと言って良いほど成す術もなかった。
そうしてビートルズは私を置き去りにしたまま、どんどん先へ行ってしまった。
行き着く処まで行ったのか、あるいは飽きてしまったのか、彼らはコンサート活動を止めると言い出していた。
その間、私の時計は遅々として進まなかったが、やっとのことで高校生になり、大学生になる頃遂に彼らは解散した。
その頃には私の音楽への関心も、次第にビートルズ的なものを離れジャズへ向かっていた。
私はジャズ喫茶でアルバイトを始めていた。
そうこうするうちにジョンが殺され、そのニュースを私は酒屋のカウンターで聞いたのだった。
驚き悲しんだが涙は出なかった。
一杯の酒でビートルズを飲み込み、私はおっさんになっていった。
そして21世紀が来る頃にはジョージが死んだ。
時間はもう、あまり残されてはいないようだ。

よし、行こう、武道館へ。
行くなら今だ。
それに、なんとなく行けそうな気がしたのである。
なんと言っても東京(国立)と大阪(長居)の間に、中二日の過密日程で急遽はめ込んだ追加公演だ。
金額も金額である。
可能性は低くないような気がした。
そして平日15時開演というのも味方するような気がした。
だが、すべてあまかった。
ビートルズ人気健在、ポール・マッカートニー恐るべし、そして侮り難きは団塊世代の諸先輩方。
まいりました。

飛行機も予約した。
ホテルも手配した。
しかし、行けないものは仕方ない。
全部キャンセルだ。
残念過ぎるので本作を購入し妻と観た。
2009年のニューヨーク公演の記録である。
CDが二枚、DVDが二枚入っていた。
私が買ったのは輸入盤で、2400円だ。
くどいようだがディスク4枚で2400円。
なんという安さか。
10万円のチケットと比べたら、(比べてどうなるものでもないが)タダ同然と言って良い。
そして、悔し紛れに言うのではないが(ホントに?)、これで十分だったのかもしれない。

それにしてもポールという男、どうしてこんなに元気なんだろう。
この時既に70近いというのに、2時間以上弾きっぱなしの歌いっぱなし。
その立ち振る舞い若々しく、
若いモンにまったく負けてなどおらん。
いるんだよね、こういう人が。

これはお買い得です。
録音極めて良好。
ただ、取り扱いには注意。
涙腺破壊盤だ。

おひとりの時にハンカチ用意してこっそりどうぞ。




番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.1

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<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.1>



戦艦三笠はイギリスで建造され、1903年、帝国海軍連合艦隊旗艦として就航した。
当時の日本には、この艦(フネと読んでください)を作る力がまだなかった。
しかし、あの長門を起工したのは、そのわずか14年後であった。
栄光と悲劇、光と影に彩られた帝国海軍の、そんな黎明期に君臨した戦艦三笠は、今もその歴史、その姿を我々に伝えている。
神奈川県横須賀市の三笠公園に、しかし三笠は係留されていない。
地面に埋められ固定されているのだ。
ワシントン軍縮会議の結果を受け、帝国海軍は三笠の廃棄を決定したが、二度と軍艦として再使用出来ない状態にする事を条件として、この地にモニュメントとしての存続を許された。
そんな三笠に座上した東郷元帥旗下の帝国海軍連合艦隊と、当時着々と南下を窺がっていた帝政ロシアのバルチック艦隊が激突した日本海海戦で万一、我連合艦隊が敗れていたなら、その後の歴史は相当違うものとなったのは間違いない。
私が現在居住している場所などは、日本ではなくなっていた可能性は大いにある。

私は今回、梅雨でしのつく港のヨーコ横浜横須賀を訪ねてみることにした。
軍事オタクの気を引くだけでなく、ジャズもさかんな土地である、と聞いていた。



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横須賀にはアメリカ海軍の基地があり、沖縄同様その内側は祖国日本にあって日本ではない。
アメリカ海軍の軍人・軍属が我が物顔で街を行きかい、彼らの存在を既に前提とした商店街が形成されているのもまた、沖縄と同様である。
この街には英語で物件を表示した不動産屋がたくさんある。



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そして、米ドルが流通する場所が少なくない。
ドブ板通りもそんな場所の一つだ。



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この写真ではまだ午前中とあって、人影もほとんどないが、それでも怪しい。暗くなったら一体どうなるのだろう。
ドブ板通りを抜けて三笠公園へ向かい、私はいよいよ戦艦三笠の艦内に足を踏み入れることにした。



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上の写真は三笠入口付近に展示されている大和の45センチ主砲弾である。
身長155センチくらいの日本人女性と比較すると、そのサイズを把握できるだろう。
私は思ったより小さいと感じた。

三笠は戦後、その上部構造物を全て撤去されてしまい、甲板上に水族館やダンスホールを建造される、というとんでもない不遇時代を過ごした。
そんな三笠を救ったのが、あのニミッツ提督だった。
ニミッツ提督は東郷元帥のマブダチで、友が活躍した艦の惨状を見かね、アメリカ海軍関係者から金を集めて三笠再建に協力したのだという。
その額7億円、今の貨幣価値でいくらになるか知らないが、三笠再建費用のおよそ半分をニミッツ提督が集めてくれた。
この話を聞かせてくれたのは、艦内案内係の小柄な老人だった(ボランティア?)。
彼は海上自衛隊の退役士官で、潜水艦乗りだったという。
面白い話を聞かせてくれた。
それはまた次回。












番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.2

三笠



<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.2>



案外小さいな、というのが連合艦隊の旗艦だった三笠の印象である。
それもその筈で、全長が130メートル排水量は1万5000トンに過ぎない。
もちろん見たことはないが、大和は全長260メートルあり、排水量は6万トン以上だった。
130メートルという全長は、太平洋戦争当時なら巡洋艦程度のサイズだ。
多数の副砲が船腹から突き出る海賊船スタイルは、この後急速に陳腐化した。
案内係の元海上自衛官氏によれば、海が荒れると副砲の砲眼から海水が入るため、時化の日は使い物にならないのだという。
現在装備されている砲は全てダミーだが、当時の砲は鋼鉄のレールにぶら下げられていて、波が高くなってくると船内に引き込み、砲門を閉めなければならなかった。

この退役士官氏であるが、気になる展示物などを見ていると「よくそれに気付きましたね」と突然どこからともなく現れ驚かす。
ひとしきり説明すると「それでは」と去って行かれるのだが、暫くすると「よくそれに・・・」、これの繰り返しだった。
彼の解説で一番驚いたのは、佐世保における爆発・沈没の話である。
1905年5月の日本海海戦直後の9月、三笠は佐世保で沈没した。
当時の軍艦には信号灯などに使用するアルコールを大量に積んでいた。
水兵がこれを度々金だらいにあけ、火をつけて匂いを飛ばしてから酒盛りに供した。
ところが何かのはずみで火のついた金だらいをひっくり返してしまい、たまたまそこが弾薬庫であったため誘爆を起こして沈没に至ったというのだ。
日本海海戦における戦死者は十数人に過ぎなかったが、この事故では300人以上が亡くなった。
その後三笠は引き上げられ、元通りに修復されたが、同様の事故がその後もあったという。
「気の緩みです」元自衛隊士官氏は帝国海軍の軍規が必ずしも褒められたものではなかった事に触れ、それが勝てるはずのない対米戦そしてミッドウェイにも繋がっていると厳しく指摘した。
彼は自衛官、つまり軍人としては相当小柄で、私はそれを特に意外に感じたが、やがてその理由も明らかになる。

戦艦三笠への興味は尽きないが、横須賀軍港クルージングの予約時間が迫っていた。
残念だが、三笠を退艦する時がきた。







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今回の旅でとりわけ楽しみだったのがこのクルージングだった。
わずか40分程度のツアー中、何度も歓声を上げる。
観てください、これを。
日本が誇る「そうりゅう型潜水艦」が、それも二隻ならんで係留されているではありませんか!
そうりゅう型の特徴はX舵とスターリング機関。
ネットで調べればすぐわかると思うが、一言でいえば「素晴らしい」ということだ。
海上自衛隊は原子力潜水艦を持たない。
しかし彼らに聞くと原潜を特別羨ましいとは思わないそうだ。
それくらい「そうりゅう型」の性能が素晴らしい。
原潜が優れているのは潜りっぱなしが可能な点だ。
だが、先の元潜水艦乗り氏も言っておられたが、可能とは言っても別の制約による限界があるのだという。
それは食糧だ。
潜水艦というフネは小さいので、積載可能な食糧にどうしても限界があるのだ。
そしてここで彼の体格が思いのほか小さい理由が判明するのだが、同様の理由から潜水艦乗りには身長制限がある。
海上自衛隊においては170センチ以上の者は潜水艦で勤務することができない。
そして男女機会均等法の時代となり、女性自衛官は最早普通の存在となった現在も、女性の潜水艦乗りはいない。
それにも合理的な理由がある。
狭い艦内には個室というものが極端に少なく、着替えする場所もないという。
そんな艦内を裸同然で男がブラついているような環境が潜水艦という世界なのだ。
そこに女性自衛官を配属するというのは、やはり相当無理がある。
昔、「女は乗せない戦車隊」と言ったが、現代では「女は乗せない潜水艦」なのである。
ただし、乗せないのは女だけではないので、女性の皆さんご勘弁を頂きたい。
自衛隊では納税者の理解を得るためにいろいろサービスをしており、護衛艦に乗るチャンスも結構あるが、潜水艦にだけは大人は乗せてもらえない。
機密のかたまりだからだ。
兵器というものはそもそも軍事機密のかたまりであろうが、特に潜水艦はシャレにならない軍事機密なのである。

さて、次の絵も大変素晴らしい。



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艦番号62。
こいつはアメリカ海軍のイージス艦「フィッツジェラルド」だ。
憧れのイージス艦、それもアメリカ海軍の艦と日本のそうりゅう型潜水艦が並んで絵になるなんて!
そしてもっと興味深いのが、白い船体の艦番号722である。
この艦はアメリカ沿岸警備隊のフリゲート艦「モーゲンソー」である。
なぜUSコーストガードの艦が横須賀に?
考えられる理由の一つは、技術の優れた横須賀ドックまで整備のため回航されてきた、というものだ。
しかし、もしかすると別の理由があるかもしれない。
「モーゲンソー」は1969年就役の古い艦だ。
もしかしたら南沙諸島であの国にいじわるされている、気の毒なフィリピン海軍に貸与されるのではないだろうか。
1967年就役の同型艦「ダラス」が2012年に退役し、その後フィリピン海軍に就役しているからだ。







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軍港巡りクルージングはあっという間だった。
しかし、本当にいいものを見せて頂いた。
夜は横須賀のジャズを堪能したかったが、目あての店が休みだったり、体力的にまいっていたりで、結局訪ねた店は一軒だけだった。
ジャズは次の街、横浜で。







番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.3

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<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.3>



横須賀から横浜へは東京方面に30キロ弱、京急で30分程度の移動になる。
写真は横浜で滞在したホテルの前に係留されている退役練習船「(初代)日本丸」だ。
日本丸は昭和3年に日本で建造され、多くの商船乗組員を育成したご覧のとおりの美しい帆船である。
現在は二代目が就役中で、次世代の船乗り育成に活躍している。




17横浜

上の写真が宿泊先のホテルが入ったランドマークタワー。
あべのハルカス以前は日本一背の高いビルだった。
フロントは一階にあるものの、客席は52階から上で、我々の部屋は58階だった。
エレベーターで上がっていくと、気圧の変化で耳が遠くなる。
特に妻はこの変化に弱く、毎回耳抜きに苦労していた。



7横浜

部屋からの眺望だ。
窓の下を雲が流れていく。
遠く大桟橋に大型客船が停泊しているのが見える。




18横浜


夜景だとこうなる。
この日は70階(最上階)のレストランを予約し、妻の友人と娘さんをご招待した。
滞在したフロアーよりも更に12階上という事だが、景色が更に素晴らしいかと言えばそれほどの事もない。
ここまでくればもう大差ないということか。
それよりも、私はこのレストランが当ホテルのメインダイニングだと勝手に決めつけていたが、実は68階にあるフレンチレストランの方がメインであると後でわかった。
良く調べなかった当方のミスだが、このホテルでは館内の案内があまりしっかりしていない。
自分でネット等勝手に調べてくれ、というようなスタンスは少し不親切だ。




8横浜


ランドマークタワーに隣接する二軒の輸入車ディーラー。
右がフェラーリ、左はロールスロイスである。
私の町でこういう店は成立しない。
ここは豊かな土地なのだろう。
事実、ホテルの車寄せに、ガンメタのフェラーリ458が無造作に停められていた。
ガンメタの選択が実にさり気なく見えた。
一点豪華主義的買い物なら、フェラーリは赤かせいぜい黄色あたりになるわ、妻がそう言った。




9横浜


街を散策する。
これは水上バス。
乗る機会はなかった。




15横浜


ホテルの部屋から見えたイギリスの豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」。
世界一周の途中に寄港したものか。
この船は日本で建造したものだ。
戦艦三笠とは逆の展開。
日本の建艦技術は飛躍的に進歩したのだ。
もはや造ろうと思えば正規空母だって楽勝だろう。
ところで豪華客船の船旅にはちょっと惹かれるものがあり、いつかリタイアしたら考えようかなぁなどと思ってもいた。
だが、セウォル号事件で一気に熱がさめた格好だ。
あの事件が世界中に報道され、クルーズ業界に与えた影響はきっと小さなものではあるまい。




横浜20


横浜にあるのは民間の施設・民間船だけではない。
上は海上保安庁の横浜基地と展示施設。




14横浜


巡視船「しきしま」が係留されている。
写真ではよく識別できないが、「しきしま」は二連機関砲を装備し、ヘリ搭載可能な世界最大の巡視船だ。
つまりこの艦は結構強力な兵器である。
自衛隊はもとより、このような装備・兵器を備えた組織が「憲法9条」で規定する戦力ではない、とする見解に私も到底納得できるものではない。

そこで今話題となっている「集団的自衛権問題」についての私見を、私にも少し語らせてください。

戦力とは外国(場合によっては国内)の軍隊およびそれに準ずる集団に対し、組織的に対抗可能な武力である。
だから拳銃等持つとはいえ警察組織は戦力ではないし、組事務所に隠してあるヤッパやハジキも違う。
だが自衛隊は明白な戦力であり、海上保安庁(諸外国においては沿岸警備隊、コーストガード)も戦力だ。
これを違うと言い張る人と、私は絶対友達になれない。
では日本は、憲法が禁じたこのような戦力を何故持つに至ったのか。
そもそもアメリカは、憲法9条という形で何故日本に戦力保持を禁じたのか。

米英は戦争前から(!)戦後の日本とドイツの扱いについて検討していた。
それは徹底的な武装解除というもので、特にアメリカは日本に対して厳しい見方をしていた。
それは自らが嫌がる日本を無理やり開国させ、結果としてバカげた軍事大国へのレールに乗せ、太平洋を挟んでの軍事的対峙に至らしめた深い後悔の念があったからだ。
だからこの際徹底的に叩き、二度と軍事的に立ち上がれない国にしようという強い決意を戦前既にもっていた。
問題はそのケンカをどうやって始めるか、それだけだった。
ひとたび戦端をひらけば、負けるわけがない事は明らかだったが、アメリカは一応国民主権の民主主義国家なので、国民が納得しない戦争を勝手に始めるのは問題があった。

当時、アメリカは日本軍の暗号を完全に解読しており、いずれ帝国海軍連合艦隊がハワイに来襲するのは当然察知していた。
わからないのはその時期だけで、来るなら早く来い、その攻撃を甘んじて受け国民を説得する材料にできるだろうと考えていた。
だから真珠湾には退役間近かの旧式戦艦しか停泊しておらず、大事な空母は不在だったのだ。
このあたりの話は諸説あり、多くの識者が様々語っているが、私も大体そんなところだろうと思っている。
アメリカにとって真珠湾など安い出費に過ぎなかった。
これを戦略という。
日本は真珠湾攻撃という戦術に勝ち、戦略的に負けた。

有名な「ハルノート」という厳しい内容の対日要求があるが、これを書いたのは実際には国務省の官僚で、それを見せられたハルは「こんな事を言えば日本と戦争になるぞ」と言った。
それに対しそのゴーストライターは「それで良いのです。それが大統領のご意向ですから」と言ったという。

長くなりそうなので、多少とばすが、こうして日本は戦争に負け、軍隊・戦力を持てない国にされた。
戦争に負けるというのはそういう事だ。
そのような例は歴史上いくらでもある。
そんな日本に再軍備の風を吹きつけたのは、共産勢力の台頭・東西冷戦の流れだった。
戦勝国アメリカの事情が変化した、それだけの話である。
それまで吉田茂氏は、個別的自衛権すら否定していた。
あたりまえの話だ。
憲法にそう書いてあるのだから。

「三百代言」という言葉がある。
簡単に言えば詭弁だが、この時に日本政府は道を誤ったと思う。
憲法解釈を詭弁を弄して歪め、再軍備を急ぐべきではなかった。
真っ向から憲法改正に挑み、議論を尽くして再軍備しておれば、今日のような恥ずかしい事態はなかっただろう。
憲法とは国民一人ひとりのものだ。
だから小学生にでもわかるような内容でなければならない。
日本の大人は、憲法が抱える大矛盾を子供たちに説明できるか?

そもそも軍隊・戦力を持たない国家などというものが存在し得るわけがない。
どうやって自国民を侵略から守るのだ。
昔、元という国が日本に攻めて来た。
実はこの時、日本には軍隊がなかった。
平安貴族が廃止してしまったからだ。
貴族にとって軍隊は汚らわしいもの、目にするのもイヤなものだった。
だから自分たちを警護する北面の武士等わずかな例外を除き、日本には国軍が存在しなかった。
そのままでいけば、日本は元のほしいままに蹂躙されるだけだったろう。
それを救ったとされる鎌倉幕府とは国の正式な組織ではない。
当時の憲法に当たる「律令」のどこにも書かれていない私兵に過ぎない。
憲法にない戦力が日本を救ったのである。
ちなみに「律令」は中国から輸入したもので、自主制定憲法ではない。

日本は昔からそういう国だった。
自衛隊や海上保安庁の存在が憲法解釈の変更でクリアー出来るのであれば、集団的自衛権の行使容認などものの数ではなかろう。
気にする事などない、全然オーケーだ。

だいぶ長くなってしまった。
国家的戦力である海上保安庁が敵の侵略を防いだ例が横浜にあった。
次回それをご紹介します。





番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.4

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<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.4>



1933年に開業した現存する最古のジャズ喫茶「ちぐさ」。
1994年、創業者吉田衛氏が死去。
その後も常連客らの努力で営業を続けたが、2007年ついに閉店となった。



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ここからが凄い。
2012年、関係者の努力で場所を移し再開された。
残念ながら私は吉田衛さんにお会いする機会はなかったが、よほどの人物であったのだろう。
そして「ちぐさ」という店が、それほど多くの方に愛されるいい店だったのだろう。





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経営者自身が何らかの事情で店を移転したという話ならいくつかある。
しかし、このような例を私は他に知らない。
レコードや機材、椅子、テーブル、壁に掛けられたパネルまでもが、前の店をそのまま再現しているという。
いったい誰が、どこに保管してあったのだろうか。

かつて数々の有名店があり、その多くが店を閉めた。
なぜって、儲からないからだ。
儲からないというよりも、店を維持出来ないほど売り上げが少ないからだ。
寺島靖国さんが吉祥寺で今も営業を続ける「メグ」。
ご自身がよく書かれているが、来店者数が一桁という日がけして珍しくないのだという。
申し訳ないが「ゼロパンチ」の日だってあるかもしれない。
全国に残る数少ないジャズ喫茶の多くが、きっとこんな調子で細々と営業を続けているのだ。
仮に平均10人のお客が500円のコーヒー(ちぐさの場合)を飲んで帰れば、売り上げは五千円という事になる。
ひと月休みなしに店を開けても15万だ。
こんなんで続けられるわけないでしょう。

横浜滞在中私は二度この店に足を運んだが、誰が店主なのか結局わからなかった。
もしかしたらそういう人はおらず、多くのファンによるボランティア経営によって維持されている可能性があると思った。
一度目に伺った際は、三人のお年寄り(失礼、しかしまさしくそうとしか言い様がない)がエプロン姿で頑張っておられた。
頃合いを見計らったように、ぶ厚いファイルを二冊持ってこられた。
「よろしければリクエストをどうぞ」
なんとも泣かせる話じゃございませんか。
私はかつてこのように低姿勢なジャズ喫茶を、見たことも聞いたことも一度たりとない。
「営業努力」という四字熟語が頭に浮かんだ。

恐縮しつつ、ジョー・ヘンダーソンの「テトラゴン」をリクエストさせて頂いた。
写真に写るスピーカーの素性を私は知らない。
多分特注品ではなかろうか。
なん十回聴いたか分からないという「インビテーション」が、我家の居間より狭いくらいの店内に流れた。
完全に負けたと私は思った。
だが、ひとつも悔しくはなかった。
そうだろう、そうだろう、これだけの店だもの、これくらいの音が出るのは当然だ。
そして私は追加のアイスコーヒーを頼んだ。




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これはちょっとヘビーな話題になる。
海上保安庁横浜基地隣接の展示館の内部である。
2013年に起きた奄美大島近海の不審船事件で、沈没した某国工作船と思われる船体を引き揚げて展示したものだ。
不審船を発見した巡視船が停船を命ずるも、不審船はそのまま時速60キロの猛スピードで逃走をはかる。
時速60キロというのはイージス艦に相当する船速だ。
巡視船は停船命令を継続しつつ追跡を開始。
しかし不審船は停船しない。
巡視船はやむなく威嚇射撃を行い、ようやく不審船の停船に成功した。
当該不審船に乗り込もうと接近した時だった。
相手方が自動小銃による射撃を開始。
これにより乗組員三名が負傷、これでようやく正当防衛射撃が可能となる。
巡視船は相手船首部分(人員なしと考えられる)への20ミリ機関砲射撃を敢行する。
これに対し不審船側からロケットランチャーが発射される。
巡視船は相手船体後部への射撃(機関部つまりエンジン破壊を目的)を行う。
逃げ切れない事を覚悟した不審船は自爆、自沈した。




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上の写真は引き上げた船内から押収した自動小銃・ロケットランチャー等の武器である。
船体後部は観音開きのハッチになっており、上陸用舟艇が格納されていた。
また、ハングル文字の辞書や金日成バッジ等も押収されている。
しかし、不審船の乗員が全員死亡したため、事情聴取は一切できなかった。

某国工作員はこうした方法で、我国への覚醒剤輸送等様々な非合法活動を行っていたと考えられる。
また、一連の拉致事件にもこのような工作船が使用されたのだろう。
これが日本周辺の現実だ。
そしてこの国を我々の知らないところで日夜守っている人たちの現実だ。
彼らは(もちろん自衛隊もそうだ)相手に撃たれるまで、武器を使用することすらままならない。
これは憲法違反の戦力を保持するこの国の政府が、内心感じている疚しさからもたらされているように私は思う。
こんな気の毒な沿岸警備隊は、日本以外世界中のどこを探してもない。
平和ボケした多くの日本人は目を覚まさなければいけないのではないか。
さすがにそのようなバカバカしい絵空事を言う人は減ったが、非武装中立などありえない。
ありえないなら、勇気をもってきちんと決めようや。
あつものに懲りて膾を吹いていた時代はもう終わりにしなければならないのだ。
祖国を守るために。
拉致被害者を二度と出さないために。












番外編 ㉔ 横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.5

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<横浜 横須賀 JAZZ 艦 Vol.5>



渡辺香津美ライブが行われるレンガ倉庫が見えて来た。
向こうに見えるのはダイヤモンド・プリンセス号。
その巨大さがわかる。
この後間もなく、彼女は次の寄港地へと出航して行った。
まだ日が高くジリジリと暑い。
レンガ倉庫は戦前戦中戦後の歴史を通し、柔軟にその姿を変えてきた。
今は多くの店やレストランが入り、多くの人が訪れる一大観光スポットだ。
私にはどうもあまり関係ない場所のようだけれど。

BLUE MOTIONは三階にある。
時間差入場の基本自由席だ。
我々が入った時にはステージ前の席はもう空いておらず、ステージ左壁際の四人席に並んで席を取った。





3横浜



相席になって前に座られたら、ステージは全く見えなくなる。
そこで一計を案じ、料理やワインでテーブルを埋め尽くした。
これなら向かい側に座ろうと誰も思わない筈だ。
この店の店員は東京ブルーノート同様、どこか事務的で無愛想とまでは言わないが、少し愛想不足である。
忙しいのはわかる。
客数に比して店員数が圧倒的に不足している。
だが、それは私の知ったことではない。
運ばれてくる料理はけして完食しない。
空いた皿を下げられないためと、何より完食するほど旨くないからだ。

ライブが始まった。
ピアノ笹路正徳、ベース井上陽介、ドラム山木秀夫(未知)といったメンバーである。
一言で言って「超上手い」。
もう、ただただひたすらに上手い。
だがそれだけだ。
それがどうした、そんなものはもう聴き飽きている、という感じ。
魂はどこに置いてきたのか。
私は彼らにそれを問いたかった。
渡辺香津美はジャズに帰って来てなどいなかった。
これがこの旅の最後の、そして少し生煮えな夜となった。

でもまあ、仕方ないのである。
当たりもあり、外れもあるのが音楽だから。
つまり好みの問題である。
当然ながら、この夜のステージに大満足された方も大勢おられるだろう。
今彼がやっている音楽を私はあまり好まない。
ただそれだけの事だ。

私は今回、島裕介という素晴らしいトランペッターを知ることができた。
それで十分過ぎるくらいだ。
それで十分なのに、念願のそうりゅう型潜水艦やイージス艦を見ることも出来た。

毎日毎日我々は実に良く歩いたのである。
平均15000歩といったところか。
旅は元気なうちに、歩けるうちに行かなくては意味がない。
改めてそう思った。
もしも行きたいところがあるのなら、迷わずどんどん出かけて下さい。
行きたいところがない場合ですか?
趣味を持つことです。
好奇心のアンテナをいつも張り巡らせていれば、行きたいところはいくらでも出来る。
人生は旅だ(なんか意味が違う気もするが)。










島裕介Ⅱ


Vol.2も出ています。
いずれもamazonにて入手可能。
聴いてください。
彼を知ってよかった、きっとそう思うはずです。












番外編 ㉕ MV-22 オスプレイ

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<MV-22 オスプレイ>



航空ショーで「オスプレイ」を見た。
普天間で、待てど暮らせど姿を見せなかったオスプレイが、あっけなく至近距離にあった。
え~、いいの?って感じである。

この機体は結構高価だ。
何しろ開発に膨大な金が掛かっている。
40年越しの計画となった。
だから日本でも、20年前の「エバンゲリオン」に既に登場しているくらいだ。
あれやこれやで、米軍調達価格70億(日本円換算)と言われている。
もしも自衛隊が買うことになれば100億円くらいか。
これはF-15と大体同じだ。
そして自衛隊は遠からず、必ずこれを導入するだろう。
恐らくは数十機単位で。
それだけのビッグビジネスであれば、当然惜し気なく見せる。




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オスプレイ上空を、我ブルー・インパルスがフライ・パスするこの絵。
かっこよすぎる。
今回は輸送機など様々飛来するなか、三沢米軍のF-18も来たのだが、速すぎて捉えきれなかった。




コブラ



自衛隊の対戦車ヘリ「コブラ」。
もう古いが、全面的に「アパッチ」に置き換えられる事は多分ない。
対戦車作戦が既にありえなくなった。
コブラに限らないが、自衛隊の装備が実戦に使われたことはない。
それでよい。
抑止力とはそういう事だ。
日本では、あの富士重工(スバル)がライセンス生産した。




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オスプレイは、水平飛行形体ではローターが地面に接触する。
従って、通常の飛行機のような滑走離着陸は出来ない。
と言うより、する必要がない。
だからオスプレイは画期的なのだ。

兵器はしばしば採算や実現可能性を無視する。
ヘリコプターとレシプロ機両方の機能が欲しい。
単純なニーズに従って研究開発され、結果的に人類の英知を向上させた。
これは事実だ。
オスプレイはそうして生まれた。
私はオスプレイと、それを実現させた人たちを尊敬せざるを得ない。
不可能を可能たらしめた実例だ。
しかし、地上での水平飛行形体は、上のようにローターを畳むしかない。

航空ショーというものに生まれて初めて行って驚いた。
大変な人出だ。
千の単位では絶対ない。
万、もしくは更にいっこ上の単位だろう。
その中に何人某国のスパイがいるのやら。
でもそんな事は言っていられないのだ。
非常にビジネスライクな催しであった。




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夏は来ぬ。
我家の壁にオニヤンマがとまっていた。
昔は図鑑でしか見たことがなかった。
温暖化?
それならそれで仕方がないだろう。
時代は変わるのだ。
諸行無常、浮世の真実である。













番外編 ㉖ 緩く候

jazz爺men




<番外編 ㉖ 緩く候>



井上順主演「JAZZ爺MEN」。
諸兄にはスパイダースの井上順と言えばお分かりだろう。
本日旅行より戻り、明日返さねばならぬというので、やや無理やり観た。
もうベタでベタでベタベタだ。
この映画が「SWING GIRLS」以降に撮られたことに目まいを覚える。
がしかし、私はもう・・・・
なんという緩さか、我涙腺よ。
観ると言うなら止めはしません、ご同輩。

さて、小旅行より戻ってみれば、先だってお邪魔した横浜は「ちぐさ」のライブを主宰されていた、「Mr.ジャジー氏」よりコメントを頂いていた。
年齢不詳だがまさしく「JAZZ爺MEN」にキャスティングしたいような人物だった。
旅は出会いを生む。
それは人であったり風景であったり、または物体であったりと様々だ。
良い出会いもそうでない時もあるが、総じて言えるのは近頃良い出会いが多い。
多くなった、と言うべきか。
それは恐らく、こちらに受け入れる準備が出来てきた、という事なんだと思う。
大人になる、というのはそういう事だ。

お盆休みに京都へ行った。
この街には昔住んでいたことがある。
むしろ思い出したくない事の方が多いくらいだった。
それが変わるものなのだ。
京都はガキが行くところではない。
京都に住むには、私は若すぎた。
その頃はいい事なんか一つもなかったくらいだが、今になってみれば多少の土地勘もあり、悪いことばかりでもなかった。



京14


下鴨神社で古本市が催されると言うので、まずはそちらへ


京13


ウッソウと茂る杜。
真昼間なのに薄暗い。
いくつあるかわからないこのテント全てが、京都中から集まった古本屋さんだ。



京12


立っているだけで全身から汗が噴き出す。
そんな劣悪な環境を誰ひとり問題としていない。
そうだよな、私とて分かっていて来たのだ。
苦情を申し立てる根拠はどこにもない。
歩け、歩くのだ、前へ。
という過酷な前進を経て発見したのが上の雑誌だ。
私が生まれた頃に発行されたオーディオ雑誌である。
しかもデッド・ストック。
折り目一切なし。
私に出会うのをここで待っていたかのようだ。
クーッ、これだけで来た甲斐があった。



京10


命の危険を感じる暑さだ。
出町柳の「ラッシュ・ライフ」でビールを頂く。
やっているとは思わなかった。
お盆なのに。





俵


満足しつつ宿へ。


京8



結構有名な日本旅館である。
蛤御門の変で一度大部分を焼失した。
床の間の掛軸は室町時代の品だという。
どこの国とは言わないが、これを持ち帰るような不埒者が現れないよう願いたい。



京9


庭を眺める。
ふと、背後に新選組の気配がして振り返る。
軽く龍馬の心境だ。




京7


燭台が置かれている。
なにゆえ?



京11


夕食のおしながき。
全部読める人がいたら尊敬する。



京6


夕刻より激しい降雨。
翌朝の銀閣寺では、崩れた向月台の補修が間に合わない。


京5


この技をどうやって後世に残そう。
私が思い悩んだところでどうなるものでもない。
銀閣寺から哲学の道へ向かう頃、生まれてこの方見たこともないドシャ降りに。



京2

京3

京4


東大路丸太町のジャズ喫茶「YAMATOYA」で雨宿り。
老夫婦がやっておられる、京都最後のジャズ喫茶だ。
前回来た時とはまったく違う店になっていた。
近年大改装されたという。
奥さんというか、店主夫人というべきか、まあいいや、おばちゃんが気さくで話し好きな人で驚いた。
しばらくすると、恐らくは娘さんと思われる若い女性がゆかた姿で現れ、(おばちゃんと)交代したので更に驚いた。
お盆だ。




京1


四条大橋から見た鴨川があり得ない事になっていた。
今夜は五山の送り火だ。
こりゃダメかなあ、と多くの人が思ったことだろう。




大文字



午後八時、なんとか大文字の送り火が灯された。
よかった。
一番安堵したしたのは保存会の皆さんに違いない。
もうすでに古すぎて起源が分からなくなっているらしい。
遅くとも室町時代には行われていたという。
それも今より数が多かったとか。
送り火が消えたあとの山に、夜遅くまで青白い光が絶えなかった。
保存会の男衆が懐中電灯を照らし、後始末をしていたものと思われる。
何事も後世に伝えるというのは、生易しいことではない。















番外編 ㉗ 暗黒時代も悪くない

荒井由実




<番外編 ㉗ 暗黒時代も悪くない>




予めお断りしたい。
私はこの音楽家を特に好んでいるわけではない。
逆に「ユーミンてなんだよ」との思いは強く、
なぜに荒井由実名義で押し通せなかったかと残念に思う。
ただし、歌唱以外のあらゆる意味で天才だとは思う。
あまり関心がないだけだ。
大いに関心があるのは妻で、
このCDを知人から頂いて以来、
酒の席でこれをかけると大変機嫌が良い。
ありがたい事だ。

荒井由実が登場したのは70年代初頭だったと思う。
彼らの音楽は「ニューミュージック」と当時呼ばれていた。
吉田拓郎、井上陽水、赤い鳥、かぐや姫、ガロ、等々様々いた。
この一大ムーブメントが何に対するアンチテーゼであったかと言えば、既存の歌謡曲、特にGS(グループサウンズ)に対するものだった。
ブルー・コメッツ、スパイダース、タイガース、テンプターズ、ワイルドワンズ、等々これも様々いた。

60年代の終わりに一世風靡したGSを今聴くと愕然とせざるを得ない。
これがビートルズと同時期に存在した同種の音楽か?
日本は一体何をしていたんだ。
そんなこんなでニューミュージックの登場とはなった。
確かに音楽的には相当情けない、GSは。
はっきり言って、日本音楽史上における暗黒時代なのである。
ではあるが、この勢いは一体何だ。
これが時代というものか。
ウムを言わさぬ正面突破だ。
10年に一度なら聴いてもいいかも。
そんな風に思えて来るから不思議だ。








番外編 ㉙ MUSIC LEGEND

abbey road





<番外編 ㉙ MUSIC LEGEND>






知人のK子からビートルズ関連のDVDを頂いた。
アメリカのテレビ局が制作したデビュー50周年記念のコンサートだった。
今年1月に収録されたものを、最近になってWOWOWが放送したという。
その知人というのがまた筋金入りのマニアで、四人の生年月日を諳んじる程の人物である。
それが何かの役に立った事があるかどうか、それはまだ聞いていないのだが。

その方ほどではないにしろ、ビートルズについて何度か書いている通り、私も昔は相当熱心に聴いていたのだ。
何もビートルズに限らない。
音楽を聴きだしたきっかけはジャズ以外のジャンルにあり、ある日いきなりマイルスやエバンスに手を出したわけではない。
それは団塊以後の世代なら普通であろう。
むしろ中坊の時突然、私はジャズから入ったと言う人がいるなら挙手願いたい。
え?いるの?
ウソだ、あなたはウソをついている。

私は正直に言うが、40年前までビートルズの熱心なファンだった。
だから全213曲を全て知っている。
今や年一回も聴かないけれど、ブートレグ以外の音源を殆ど持ってもいる。
しかし、そういう人はたくさんいる筈だ。
この放送をご覧になった方も少なくないと思う。

昔ファンだった皆さんは、このコンサートをご覧になってどうでしたか。
私が知っている出演者といえば、ジョー・ウォルシュとスティービー・ワンダーくらいのもので、若手のミュージシャンなんか誰一人見たこともなかった。
彼らは皆ジョンやジョージよりずっとギターが上手い。
今風に、というかジャズっぽくイエスタデイを歌う女性もいた。
彼らは皆ビートルズナンバーを、評価の定まった名曲として扱い演奏している。
既にそのメソッドすら確立している感がある。
つまりスタンダード、定番ということだ。

だが当然ながら、ビートルズがそれらの曲を初演した時にはまだ何の定評も、そしてもちろん何の手本もなかったわけであり、彼らはただ自分の信じるところに従ってアレンジし演奏し歌ったのである。
しかしながら、後出しジャンケンである筈の後世のミュージシャンが、ビートルズのオリジナルを越えた例を私は知らない。
それはジャズ化されたナンバーも例外ではなかった。
時代が先に進めば、テクニックも進歩する。
それは特に音楽に限った話ではなく、人類の歴史そのものの有りようだった。
だが、全てをテクニックやテクノロジーの進歩で更新出来るとは限らないのだ。

数ある(といっても十数枚しかない)アルバムから一枚を選ぶとしたら、悩みに悩んで私は掲載した「アビーロード」にするだろう。
知られている通り、本作は事実上のラストアルバムだ。
アビーロードの収録直前、ビートルズは既に殆ど解散状態となっていた。
わかった、最後にもう一度ビートルズらしい作品を録ろう。
ポールが言いだしたとされている。
それは前作のゲットバックセッション(世にいう「レット・イット・ビー」)が散々な出来だったからである。
このままでは終われない。
彼らはおそらくそうした暗黙の了解を共有してスタジオに集まり、この名作を残した。

発売当時、世界中で「ポール・マッカートニー死亡説」が話題になった。
横断歩道を渡る四人。
曰く、ポールだけが裸足で、足並みが逆だ。
先頭のジョンが神父、リンゴが葬儀屋、最後のジョージが墓掘り人夫。
左車線に駐車したワーゲンのナンバープレート「28IF」。
これはもしポールが生きていたら28歳という謎かけ。
・・・なんて事が言われた。
実際には先頭と最後尾の二人が先に亡くなることとなる。

そういえば、上記番組の会場にある女が来ていた。
こいつだけは映すな、という奇怪な女。
ビートルズはいずれ解散しただろうが、この女がいなければあと2枚や3枚はレコードが残った可能性がある。
だがそれも、「愛」を歌い続けたビートルズ伝説の一つに数えようではないか。
今はもう全てが、遠い過去に過ぎ去った出来事だ。

アビーロードB面のラスト「THE END」でポールは歌う。
僕らはずっと愛について歌ってきたね。
バンドはこれで解散するけれど、最後にこれだけあなたに伝えたい。
あなたが愛した分、愛はきっと返ってくるよ。
伝説と太陽が地平線の彼方へ沈んだ。









番外編 ㉜ 島裕介ライブ Ⅰ

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<番外編 ㉜ 島裕介ライブ Ⅰ>




島裕介がやって来た。
私は友人六人を誘い、ライブハウス「JAMSICA」へ足を運んだのである。
会場満員。
補助椅子まで動員された。
この日の出し物、「山田丈造カルテット feat.島裕介」ということで、島さんをゲストに迎えた2トランペットのクインテットであった。

山田丈造カルテットの面々は島さんより一世代若い。
同じトタンペッターとして島さんと比較されてしまうリーダー多少緊張気味であったが、次第に開き直り、島さんを中心に大ハードバップ大会を繰り広げた。
我々以外に来ていた人たちの素性無論わからない。
若者が多かった。
彼らは楽しんでいかれただろうか。
私が心配する事でもないのかもしれないが、こちらのグループでいえば楽しんでもらえたと断言できるのは、私含め半分だと思う。
演目が少々マニアックだった。
「え?あれで?」とミュージシャン側は言うに違いない。
だが来場者全員がジャズファンだと考えてはいけないのではないか。
友人一人爆睡、これが何より雄弁に現実を物語っていた。

島さんはそれを知っている。
故の「名曲を吹く」二作だったのである。
先ずは聴いてもらう、ファンになってもらう事が必要だ。
昨夜誘った友人の大半が恐らくリピーターにならないだろう。
「それで結構、わかる人だけ聴いてくれ」
そう言いたい気持ちは理解できる。
でもそれでは店がもたない。
満席だったのであれば問題ないのでは、という声が聞こえる。
だがあれは恐らく島さんの営業努力によるものだ。
ジャズを扱う大半のライブハウスが苦境に立たされている。
こらえきれずに店を閉めてしまう。
それではミュージシャン自身がプロとして生活していけない。
結果としてこの音楽が衰退していくだろう。

難しいところだが、せめて半分、ジャズファンでなくとも聴いたことのある曲をやってくれないか。
そしてあとの半分が、島さんのオリジナル諸作のような美曲なら、誘われて一回だけ義理で来たという人たちがジャズファンになっていく可能性がある。







番外編 ㉜ 島裕介ライブ Ⅱ

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<番外編 ㉜ 島裕介ライブ Ⅱ>




島裕介のライブ二日目。
ピアノの伊藤志宏氏との「Shima&ShikouDUO」である。
今日は4人を動員し会場の「のや」へ向かう。
不思議な店だった。
ライブ会場と飲食スペースが完全に分離されている。
夕方6時店に入り、先ずは食事を済ませる(しかない)。

店内に「海を見下ろして」が流れていた。
ああ、ライブに備えて島さんのCDを流しているな、と私は思った。
だがよく聴けばどうもいつもとテイクが違うようだった。
これは本番に備えたリハーサルであったと後で知る。
ライブ前から「生音」を聴いていたことになる。

非常に不本意な内容の飲食を済ませ、廊下伝いに隣接されたライブ会場へ向かう。
40席ほどの椅子が並べられている。
食卓テーブルで使う飛騨の家具的木製の椅子である。
これに2時間も座るのか。
他の選択肢はない。
じっと我慢するしかないのだ。

満場の客。
若い。
そして女性が多い。
数えたら男は8人、若い女性が25人、若くない女性が5人だった。
若くない女性のうち3名は我が方の関係者だから、圧倒的に若い女性の比率が高い。
どうしてこういった構成になるのだろう。
何らかの理由がある筈だ。
観察していて分かった。
その多くがShima&shikouの知人であるらしい。
残りは多分、どこかの大学のジャズ研などではないだろうか。
客席に昨夜共演の女性ピアニストを発見した。
少し遅れてベーシストもやってきて、私の前に座った。
今夜の聴衆はジャズの非常にコアな部分にいる人たちだ。

演奏された曲の殆どすべてが、当然だがShima&Shikou名義で出ている4枚のアルバム、「雨の246」「ROAD TO THE DEEP NORTH」「Poetry」「呼吸」からのものだった。
一曲一曲の演奏がやたら長い。
だから曲数が少なくなった。
ライブには有りがちなことかもしれないが、今回そうなった原因は伊藤氏の長いソロのせいだ。
彼の技術は素晴らしいと思う。
もしかしたらそれを聴きに来ているピアニストが多数いた可能性がある。
だが私は違う。
評論家でも何でもない素人に過ぎず、ピアノすら弾けはしないが私ならこう言う。
「うまいね、でもそれがどうした?」
ミュージシャンズ・ミュージシャン、フォー・ミュージシャンズ・オンリー。
あなたがやっているのはジャズではないのか?
いいですか、ジャズはポップスだ。
大衆の音楽だ。
優れた大衆音楽は必ず売れる筈である。
どうです?売れますか?
売れなくて結構、それにジャズでもない、ポップス?帰れ帰れと伊藤氏は言うに違いない。
それは彼が作るオリジナル曲に良く顕れている。
ただ小難しいだけ。
演奏含め一人よがりなのである。
少し面白いのは話(MC)のみではないか。

島さんがこれを読む可能性がなくはない。
そうなれば、島さんとはもう良好な交流を保てないだろう。
だったらついでにもう一つ言っておく。
島さん、「Shima&ShikouDUO」はもう止めたほうが良いよ。
本人たちが一番わかっていると思う。
良く言う「方向性」が、今や全然違ってしまっている。
だから二人のライブが「久しぶり」の事になり、最後のCDから2年経過しても新譜が出ないのだ。
このチームのリーダーは島さんの筈だが、既に島さんのコントロールが利かなくなっている。
昨夜私がリクエストした島さん作の名曲「海を見下ろして」をこの日演ってくれた時、伊藤氏はこう言った。
「そんな曲もあったな、案外野郎がリクエストするんだよなこれ。オレなら断るけど」
この不遜な発言はあながちジョークとは言えないものだった。
少なくとも慶応ジャズ研の後輩が先輩のオリジナル曲に関してする発言として、普通許されるものではなかろう。

今回のライブを私は相当楽しみにしていた。
それはあの「横浜 ちぐさ」での島裕介が記憶に焼き付いていたからだ。
私は揃えたCDから「私的島裕介スペシャル」をこさえ、毎日これを聴いていた。
それは以下のようなラインナップです。
もちろん伊藤氏のオリジナルは一曲も入っていない。



1. 海を見おろして
2. 椰子の実
3. ラルゴ
4. 酒とバラの日々
5. オーバーヒート
6. 黒いオルフェ
7. ROAD TO THE DEEP NORTH
8. この道
9. 男はブラック
10. インク・ブルー・ラプソディ
11. クラブR
12. ふるさと
13. 湯気の中で
14. 素晴らしき世界
15. おどりば
16. チュニジアの夜
17. Happy Birthday To You
18. 碧い春
19. イパネマの娘





最後に、これからも更なる活躍を願っています。
本日の千秋楽、私も行くつもりであるが、もうリポートは書かないかもしれない。



















番外編 ㉜ 島裕介ライブⅢ

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<番外編 ㉜ 島裕介ライブⅢ>




島裕介ライブも最終日。
私は直前までテニスの練習会があり、終了後そのまま会場へ向かう流れだった。
まさかジャージ姿で行くわけにもいかない。
そこで家を出る時からジャケットを着て行き、テニス・コートで着替え、終了後に再度着替えてライブを聴きに行くことにした。
会場付近に駐車場が見つからない可能性があったので、テニス・コート近くの駐車場に車をとめ、地下鉄で出かけた。

この日のライブハウス「円山ノクターン」が今回一番快適な環境だった。
開始時刻の2時半は、島さんがこのあと東京へ帰るからだ。
なかにし りく さんという、地元のシンガー・ソングライターのソロライブへのゲスト参加の形だった。
なかにしさん、興行的に難しい時間帯にスケジュールを押し込んでも、島さんとのデュオを実現させたかったのだと思う。

島さんの役割はオブリガードと間奏だ。
つまり「なかにし りく」のバックミュージシャンという事だ。
このなかにし りく というシンガー、なんと言うか女性歌手イルカの男性版といった感じで、申し訳ないけれど私は興味がない。
ではこのライブ鑑賞に不満があったかと言えば、まったく逆、三日間で一番良かった。
それは島裕介のトランペットを満喫したからだ。
島さんのソロコーナーがあり、サッチモで有名な「素晴らしき世界」と「ゴッドファーザー」を独奏した。
トリハダが立った。
そして前二回のモヤモヤ感の正体をこれで悟ったのである。

私は結局島裕介のトランペットに生理的に惹かれるところがあり、ただそれが聴きたいだけなのだろう。
それが島オリジナルの美旋律によるものなら最高だが、そうでなくとも十分感動が訪れる。
伊藤志宏氏のピアノや山田丈造カルテットの演奏は、悪いが特に聴きたくない。
トランペットソロでライブ一本押し通すのはシンドイだろうから、それなら島さんのトランペットを邪魔しないバックバンド付きが最高だ。
「島裕介カルテット」というより「島裕介と彼のトリオ」。
直言すれば大看板の大物になって欲しいという事だ。
島裕介のトランペットと作曲には、それを実現する力がある。
我儘であるとか贔屓の引き倒しであるなどと、別に私は思っていない。
リスナーやファンといったものは本来我儘であるし、それが許される立場だからだ。
ただ、私の希望がいつか叶うとしても、それにはもう少し時間がかかるかもしれない。
島さん、古希までには何とかお願いします。









番外編 ㉝ 注文の多い料理店

テーブル 4




<番外編 ㉝ 注文の多い料理店>





先週のこと、仕事上の接待で「モ○×△ル」というレストランを使った。
この町ではそれなりに有名ではあるのだが、少し行き辛い場所にあるので私は今回が初めてであった。
先様ご夫婦より遅れてはならず、ワインリストを検討する必要もあったので予約時間の30分前に到着した。

開店したばかりの店にまだ先客はなく、ガランとした無人のテーブルが並ぶ中私たち夫婦は店中央の席に通された。
着席して間もなく、ソムリエバッジを付けた初老の方が来られ、席を間違えましたと言い窓側のテーブルへ移動するよう促された。
接待である旨予めお伝えしていたから、良い席を用意して頂いたのだとは思うが、この手のレストランで席替えというのは初めての事である。

お招きしたお客様が来る前にワインリストを拝見したいとソムリエ氏にお話しした時、私は重大なミスにやっと気付いた。
うっかり老眼鏡を忘れたのである。
目を凝らしてリストを見る。
しかし無論見える筈もない。
やむなく妻に頼んだがどうも埒が明かない。
恥を忍んでお店の方に老眼鏡の用意がないか尋ねてみた。
だがいつまでも回答がない。
ここはソムリエ氏に相談するに限ると、視線を送るのだがなかなか気付いてくれない。
そうこうするうち、早目にお客様が到着してしまった。

ようやく女性スタッフがやってきて「お飲物はどうなさいますか」と言うので「ソムリエの方と相談させてください」とお願いした。
いつもなら3、4本頼む。
だが今回は先方の奥様がさほどお強くないとお聞きしていた。
そこで私はシャンパンのハーフと白赤という作戦を考えていたのである。

シャンパンのハーフはないという。
そのかわりグラスで提供出来るとのことなので、それではグラスのシャンパンとあとはブルゴーニュの白と赤でだいたい3万くらいでお願いしますと言った。
こういった話はぜひお客様が来る前に済ませておきたかったが、もはや仕方なかった。
するとソムリエ氏はこう言った。
「赤だけで3万ですか?」
その時咄嗟にそれを肯定する判断力が働かなかった。
接待だ、ケチな事など言ってはならなかったのだ。
反射神経が鈍くなっている。
私はこのように言ってしまったのである。
「いえ、全体で3万です・・・厳しいですか?」
「・・・仕入担当と相談してみます」
そう言って彼は奥へ引っ込んだ。

その時私の携帯が鳴りだした。
マナーモードにするのを忘れていたのだ。
滅茶苦茶であった。
私は外へ出て用件を済ませ、席へ戻る途中ソムリエ氏のところに寄り言った。
「リストの字が見えないので適当に言いましたが、3万を超えても結構ですから」と。
今度こそ携帯のマナーモード設定を忘れなかった。

店を予約した時、次の二点をお願いしていた。
肉料理を苦手とする妻はシーフードのみとして頂く。
お招きした奥様が生のトマトをお嫌いなので避けて頂く。
以上に加え当日店で、妻が小食なので盛り付けを少な目に(もちろん料金は普通で)とお願いした。
テーブルでお互いの子供の事や仕事上の事などを話し始めた私たちの耳にこんな声が聴こえてきた。
「一人トマト抜き、一人量少な目だ!」
店内から見えない厨房からだった。
先方の奥様が苦笑いされていた。

食事も終盤となった頃、グラスにワインが無くなった。
普通なら何らかのアピールがあるものだし、追加の注文など聞くと思う。
そうしたことはまったくなかった。
私はソムリエ氏を呼んで妻にグラスの白を頼み、そしてお客様に何か召し上がりませんかと尋ねた。
するとソムリエ氏は我々のボトルを持ってきてグラスに注いだのである。
ワインはまだ残っていたのだ。

お勘定は10万を超えた。
この店なんとこれでもミシュランガイドで星を三つ獲得している。
いくら有名であろうとも、初めての店を接待に使うものではないとつくづく思った。
料理の味?
何を食ったか覚えていない。












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番外編 ㉞

ドレスの色




<番外編 ㉞>





世間を騒がすドレスの色。
あなたは何色に見えますか?

どうやら約七割の人が青と黒に見えるらしい。
残りの三割が白と金で、私は後者だ。
当ブログは地が紺色なので少し状況が変わる可能性がある。
妻は多数派だが、このページを見る角度で結論が異なると言った。
しかしどのような角度であろうとも、私には青と黒になど絶対に見えない。

何れにせよ大変なことではないだろうか。
自分が見ている世界と他の人が見ている世界が果たして同じものなのか、という検証不能だった筈の疑問に対する解答ともなり得るからだ。
これは多くの人が内心不安に感じていた事ではなかったか。
何も視覚に限ったことではない。
五感のすべてについて言えることだ。

私が聴いている音楽が、他の人にはまったく違う風に聴こえている可能性がある。
これは感度の話ではない。
私にAと聴こえる音楽が別の人にはBと聴こえ、そのBとは実は私にとって聴くに堪えない騒音を意味するものだった。
味覚ならこうだ。
私がワインの味として認識している知覚をX、別の人のそれをYとし、XYを入れ替えたらYとは私にとって大嫌いな納豆風味だった。

人の知覚は従来信じられていたよりも、ずっと個人差が大きいものかもしれない。
もしもこの仮説が正しければ、人の嗜好が様々ある事に説明がつき易くなる。
蓼食う虫が好き好きなのも当然だった。
何故こんな美人と冴えないおっさんが?という疑問も解けようというものだ。
彼女の脳では「冴えないおっさん」が、とてもセクシーなオスと認識されていたのだ。
案外「こんな美人」が実は「とんでもないブス」かもしれないのだが。

今ならオーディオマニアがアンプに大金費やす理由が分かる。
一方でそんなものに見向きもしない人がいる事も。
誰であろうと聴くに堪えない騒音を増幅する機械に興味を示す筈がないのだ。



ところで、このページの「地」って紺色で合ってますか?












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番外編 ㊱

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<番外編 ㊱>





2006年に買ったパナソニックのプラズマテレビである。
購入店舗はヨドバシカメラだった。
5万円程度のポイントが付きますとの事でカードを渡されていた。
ところが次にその店へ行った時、ポイントとやらは既にきれいさっぱり消滅していた。
1年以上経過していたからだった。
その事について事前に告知されていた覚えはない。
家電製品はその場でズバッと現金値引きに限る。

さて今回「chromecast」を接続するにあたり、問題が生じていた。
うちのテレビにはHDMI端子が三口あり、一番にはプレーステーションを繋いでいたため二番に「chromecast」を挿したのだが映らない。
プレーステーションと挿し替えてみる。
一番なら問題ない。
しかし三番もダメだ。
実は二番三番は購入以来一度も使用していない。
とはいえ単純な端子と配線の筈だから10年やそこらで腐る訳がない。
オーディオマニアとしてはこんなバカな話はなかった。

そうは言っても映らないものは映らないので、パナソニックのカスタマーセンターに問い合わせた。
この手の相談窓口はどこもそうなのだけれど、非常に質が低い。
色々聞くと「それではこちらにおかけください」とたらい回しにされる。
どいつもこいつもバイトのにーちゃん、ねーちゃん風であり、訳のわかった技術者という感じが一切しない。
コストの問題だから仕方ないとは思うが、これらのオペレーションセンターはまず間違いなく外注だろう。
オーディオ関係の、例えばハーマンとかアキュフェーズに電話した場合、絶対こんな事にはならない。

埒が明かないので、それでは技術者を派遣してください、という事になった。
「出張修理のご依頼ですね。それではこの番号におかけ直しください・・・○○がお受けいたしました・・・」
私が話していた相手は人間だったのかと本気で考え込んだ。

後日「技術者」がやって来た。
症状を確認し彼は言った。
「ちょっと電話してきます」
車に戻りどこかと連絡をとったらしい「技術者」が言うには、マイコンの基盤が悪いので交換になりますとの事である。
ちょうどそのパーツを持参しているので、今すぐ修理可能だが部品代だけで四万弱かかるそうだ。
私は言った。
「症状から想像するに、そのような大袈裟なパーツ交換ではなくて、何か簡単な設定のような気がするんですけどね・・・パーツですか、それでホントに直りますか?」
素人が何を言う、的な一瞥と共に、HDMI端子にそのような設定は何もない、パーツ交換で解決できる筈であると彼は言う。
それ以上私が口を出しても仕方ない。
9年落ちのプラズマテレビを4万出して修理するのが果たしてどうなのかとは思ったが、結局パーツ交換してもらう事にした。
さていよいよ修理なのだが、壁際に設置した状態ではどうにもならない。
台からおろして裏蓋を外す必要があった。
技術者は一人である。
仕方がないので手をかした。
二人で台からおろす。
なんとクソ重たいことか。
長年のオーディオマニアの勘ではこやつ、50キロはあった。

裏蓋が外され、どうにも心もとない手つきでパーツ交換が行われるのを私は見守っていた。
それでどうだったかって?
見事に何も変わらなかったんだよ。
しばし長考に入る「技術者」氏。
「テレビをリセットしていいですか?」
なに?リセット?なんだそれ、聞いてないぞ。

リモコンで何やら操作がなされ、要するにテレビは出荷状態に初期化されたようだ。
バカバカしい話だが、これで直った。
もちろんこれなら私にも出来たのである。
レビンソンのCDプレーヤーを初期化する方法はユーザーに開示されており、実際私もやった事があるけれど、その手順はずっと複雑だ。
交換した4万のパーツが元に戻され、ふたたびクソ重たい本体を二人で台に戻した。
そして5千なにがしの出張料と技術料を悪びれる様子なく受け取り、パナソニックの「技術者(恐らく外注)」氏は帰っていった。

この話をもしも松下幸之助さんが聞いたら怒らないかい?
それとも案外、直ったんやろ?それでええやないか、と言うだろうか。











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ジャンル : 音楽

番外編 ㊲

む~ら






<番外編 ㊲>






出町柳のジャズ喫茶「む~ら」を訪ねた。
ごく普通の住宅街、ちょっと分かり難い場所にある。
防音対策らしく、入り口のドアが二重になっているが、それでも盛大に音が漏れて来る。
特にズンズンと腹に響く重低音だ。
こりゃー期待出来そうだ。






む~ら1

先客が二人いた。
年配の男女で、おそらくは町内の方だろう。
マスターと楽しく語っておられる。
「どちらの県から?」
マスターが早速相手をしてくれる。
「ええ、北海道です」
「それはそれは、遠いとこからようおこしやしたなあ!」
「観光かなにかで?」
「こちらのお店を訪ねて来ました」
私、こういうセリフを平気で言えます。






む~ら2

スキンヘッドの厳つい店主、ざっくばらんな方で色々と話が弾む。
店内に大きな水槽が二つあり、アロワナを飼っておられた。
ジャズ喫茶で魚(それもアロワナだっせ!)と水槽は初めて見た。
それにしてもペットも様々である。
昨年暮れに20年愛した「紅子」(もちろんアロワナ嬢)を亡くしたとかで寂しそうだった。






む~ら3


かかる曲は少し古め。
モダン以前のものばかりだ。
「家でもレコードかけてはるの?」
「ええ、まあ」
と私。
「オーディオにも凝ってはんの?」
「はあ、それなりに・・・」
「どんなん聴きはりまんの?」
「まあ、色々と何でも聴きますけど(ちょっとこの店の雰囲気と違うかも・・・)」
マスターの方が10歳くらい若いのではないか。
プロレスラーとも地回りのやくざとも見える風貌に、終始気圧され気味だった。
私は昔、河原町荒神口にあった店でバイトしていた話をした。
その店はもう20年以上前になくなっているが、最後のバイトだった男が現在「む~ら」の常連客だという。
聞けばその男は私より10歳以上若いというから、もちろん面識はない筈だ。





しあんくれーる





マスター曰く、夕方一度閉めて片付け夜は毎日ライブだという。
「む~ら」は今年で10年目。
ジャズ喫茶だけなら2年もたなかった、とマスターが言う。
「そうかもしれませんね・・・でも文化財みたいなものですから。私、全日本ジャズ喫茶保存会の者で、日本中のジャズ喫茶を周って採点しているんですよ」
と、ささやかな反撃であるが、この作り話には何か詐欺的なものを想起したかもしれずマスター反応がない。
そろそろ妻が退屈している筈だった。
「頑張ってください、また来ます」

日本中のジャズ喫茶を周ろうと思っているのは本当だ。
急がないと皆なくなってしまう。
ジャズ喫茶の絶滅が先か、私がくたばるのが先かという重大な局面に入りつつある。
我々は「む~ら」を後にした。
とうとうエリック・ドルフィーのリクエストを言い出しかねたまま。









京都4

さて、この日の宿は昨年夏に泊まった「俵屋」の向かい側だった。
同じように何百年もの歴史のある宿だが、今回は新館しか空いておらず思った以上にモダンな空間だった。







京都3


さり気ないが気が利いている。
良く見ると相当贅沢でもある。
しかしけして目立ち過ぎない。
感心したのは風呂だ。
各室に内風呂があり、無論大浴場などというものはない。
檜の浴槽は普通かもしれないが、壁床天井が無垢の天然木で構成されている。
普通ならバスパネルなどの樹脂系の材料か、精々頑張っても石材にするところだ。
だがこの宿の風呂は潔く天然木。
扉も木製だ。
桶も椅子も。
傷んだら交換すればいい、という発想。
これが本物の贅沢なんだろう。

こういった宿では主(たいてい女将)が食事中挨拶に来る。
強いて言えば、あれはやめたらどうだろう。
お互いその方がハッピーだと思う。







京都2

朝まで気が付かなかった。
床の間の壁が二重構造になっていて、朝日が当たると柊の葉が浮かび上がる。







京都1


次第に雨模様へと天候が変わっていった。
我々の部屋は三階だが、坪庭を設えてある。
京の雨は風情があっていい。






京都8


今回残念ながらブルーノートは営業していませんでした。












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番外編 ㊴

いずも





<番外編 ㊴>





集団的自衛権を巡る論戦が続いている。
手元の平成17年版防衛白書に「集団的自衛権は憲法9条のもとで許されない」と明記されている。
これを言ったのは小泉政権下の防衛庁(当時)だ。
その後憲法に変更は加えられていない。
相当スジの良くない話だが、ゴリ押しするつもりのようだ。

護衛艦「いずも」をご存じだろうか。
排水量2万トン、全長248メートルのご覧のような巨艦である。
ミッドウェイ海戦において山口多聞少将が座上し4空母沈没後ひとり奮戦、米空母ヨークタウンを撃沈して一矢報いた帝国海軍連合艦隊正規空母の「飛龍」よりも大きいこの艦が空母ではない。
何故なら「いずも」が蒸気カタパルトを持たないからではなく、憲法が禁じた戦力にあたる「空母」を装備できないからとの理屈だ。
もちろんそうした意味では最新鋭の10(ヒトマル)式戦車もF15戦闘機も戦力ではないのだが、空母型護衛艦いずもほどには刺激的ではないとみえ、もはやあまり注目を集める事はない。

前述の「平成17年版防衛白書」から10年が過ぎた。
平成17年の時点で防衛白書は中国の軍事力増強に懸念を示しつつも、まだ深刻な脅威とみなしていない。
実際には脅威を認識しつつ、敢えて知らぬふりをしたかもしれない。
痛くもない腹を探られ、変な下心との邪推を恐れたかもしれない。
それから日本の周辺はどのように推移しただろう。
その間日本自身はあまり変わらなかったのではないかと思う。
ただ徒らに時間を浪費するのみだった。

もう少しまともな国になりたい。










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

番外編 ㊵

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<番外編 ㊵>





5年乗った車を手放す日が近付いた。
この車どうもデザインが好きになれず、新型が出たら考えようと思っていたところ、新型がオーストリア生産からアメリカ生産となり、慌てて最終在庫を購入することとなった。
つまり許容できるのはオーストリアまで。
アメリカ製タイガー戦車を許せなかったということだ。
イメージの問題に過ぎないのかもしれないけれど納得できない。
なんか変ではないか。

おかげでエラく安い買い物ができたが、やはり最後まで今一つ愛着を持てずに来てしまったのも事実だった。
でも改めて眺めたら前姿は結構さまになっているかも。
むしろナンボか格好良いのかもしれない。
そうなんだ、ダメなのは後姿なんだよな。
後ろから近付いていくとき、いつも少しがっかりだったもの。

もう一つイヤだったのがオイルだ。
やたらとオイルが減る車だった。
2000キロも走ったらランプが点き、オイルを一缶(1ℓ)補充させられる。
その度にディーラーまで行くのが面倒になり、オイルをストックしておくようになった。
つまり自分でオイルを入れられる人になったって事だ。
多少マニアック感は漂うが、やはりやらずに済むならそうしたい。

美点を一つ挙げるならシートだ。
そもそも300キロの百貫デブが座り続けてもなんともないように作られている。
60キロそこそこの私など子供みたいなもんだ。
革が上質である事も手伝って、シートは一切へたらなかった。
この点は尊敬に値する。
「駆け抜ける喜び」はそうでもなかったな。











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(300) そして私は還暦をむかえた

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No.300 2015.6.15




<そして私は還暦をむかえた>




300回記念である。
そして休養届でもある。
私もとうとう還暦らしい。
友人知人には内緒にしてある。
特に何か言われても困ってしまうから。

家族はいい。
知られてもいいんだ。
何の道隠せるわけがないのだし。
子供達に記念のイベントを用意されるのはそれなりに意味があるだろう。
残り僅かとなってきたがこれからも最後までよろしくと、妻にはそう言おう。
「おおブレネリあなたの仕事はなに♪」ときいたら、
「わたしの仕事はあなたの世話♪」
そう言って君は笑った。
いつもすまない、ありがとう。
あまり世話をかけないように気をつけます。

自分のために還暦祝いの車を買った。
きっとこれが人生最後の車になる。
こいつに乗って遠くへ行こうと思う。
みんな元気で!










テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

外伝 ①

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2001年のヴィーナス作品。
ジャケットはモネ。
故ローランド・ハナ作品を故ヤスケンが解説している。
When I Grow Too Old To Dream 夢見る頃を過ぎても。
最高だ。











外伝 ②

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アダム・コヴァレフスキ(p)の風のささやき。
ガッツプロが2001年にリリースしたポーランドのピアノトリオである。
東欧の音楽は我々日本人の琴線に触れてくる。
タイトルナンバーのせつなさよ。
ミシェル・ルグランなんかと馬鹿にしていた自分が馬鹿だった。








外伝 ③

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ポール・スミスと言えば、現在では普通このピアニストを想起しない。
初めて娘にもらった誕生日のお祝いがポール・スミスの携帯ストラップだった。
もちろん携帯につけていたのだが、携帯ごと便所に落とした。
無論のこと娘には内緒だ。
手を突っ込んで拾い上げ乾燥させたのち、車のキーホルダーとして今も愛用している。
後日同じ物を買い彼女に渡したが、あれはどうなったかな。

そうだゴメン、思えば初めて娘にもらったのは肩叩き券とかそういったものだっただろう。
行使した事はないので、今もこの家のどこかにあるかもしれない。

本作のオリジナル盤が手元にある。
コンディション良好だ。
「あなたと夜と音楽と」が入っている。
なんて素敵なタイトルなんだ。







外伝 ④

41S1BEQ4V9L[1]





ジョージ・ケーブルス奏でるトロイメライ。
プリアンプを替えてからというもの、すべての音楽が美しく響く。
それまで何とも思わなかった音源が宝物に変わった。
今まで不満に感じていたうちの音のアレやコレ。
それら全部がプリアンプのせいだった可能性がある。
どこかおかしかったのかもしれない。
オーディオは一カ所でもダメな部分があると全部ダメ。
分かっていたが改めて再認識した。
軽く10年無駄にした感じだ。







外伝 ⑤

french kiss





「French Kiss」と言うからには英語目線である。
イギリスとフランスの仲が悪いのは今さら言うまでもない事で、お互いバカにし合っているのだろう。
イギリス人から見たフランス人のキスは下品で見ていられないという意味だ、この言葉の裏は。
挨拶、愛情表現、と言うより最早性行為であると。
では日本人のキスはどうか。
何と言ったらいいだろう。
良く分からない。
ただ、キスしたがるのは大抵女性の方じゃないでしょうか?
日本人男性はキスを好まないかもしれぬ。
だから世界一女にモテないのかもね。









外伝 ⑥

マイルス1





マイルス好きにとって貴重な4ビートワンホーンもの。
現在CDR-HD1500三号機にアナログ盤を録音中で、マイルスの山にさしかかっているところだ。
中山康樹氏著「マイルスを聴け!」によれば、ブートを含めマイルスのレコードというものが世に500タイトル以上存在する。
そのうち私の手元にあるのは有名盤のみだが、それでも数十枚を上回る。
これまで二台のHD1500に録音したもの以外を今回すべてデジタル化しようとしている。
数えてみたらマイルスも半分以上残っていた。
当分の間マイルス漬けの日々続く。








外伝 ⑦

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バリー・ハリスは達者なピアニストだ。
趣味の良いメロディラインが時にトミフラを想起させるが、甘くなることがなくアア違うなと気付く。
そうした意味ではレッド・ガーランドよりもやはりずっとドライである。
今回改めて聴き再評価したピアニストの一人だ。

ただ問題なのが私の装置で、オルトフォンのカートリッジSPUシナジーがトレースしきれずビビる盤がある。
本作もその一枚だ。
まったく支障ない盤もあり、その差がどこで生ずるのか不明。
ビビるのは決まって左チャンネルだ。
これが目下悩みのタネとなっている。
どうもSPU全体にそうした傾向が見られるようだ。
わからん。





外伝 ⑧

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テナーの山に入った。
ロックジョー・デイビスの1977年モントルーライブ。
ピアニストがオスカー・ピーターソンである。
更にオンベース、レイ・ブラウン。
泣ける。




プロフィール

バロン ド バップ

Author:バロン ド バップ
音楽がある限り

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